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2006/07/02

「生かすこと」と「殺すこと」

ダニー・アイエロの出ている「ディナー・ラッシュ(2001)」が、BSで放映されていた。

「ジジーノ」という、NYの繁盛しているイタリア料理店が、この映画の主役である。何度も階段で運ばれていた、トマトのパスタは美味しそうだったな。

上の1階が店になっていて、ここでは水平的な、横の疎遠な関係が展開される。それに対して、下の地下1階が調理場と事務所になっていて、ここでは垂直的な、縦の親密な関係が展開される。そうそう、それから忘れてはならないのは、下の階には別の階段で、もうひとつの世界が用意されていて、最後の場面では決定的などんでん返しが待っている。

こういってしまうと、極めて図式で、構造的で静的な映画に見えてしまうが、ほんとうはその逆で、感情的で、流動的であり、ダイナミックな映画であった。そもそも、料理が美味しそうに撮られていて、飛んでいってすぐさま注文したいと思わせるところが、心憎い。あの「シャンペンのクリームスープ」を誰か造ってくれないだろうか。

下の階と上の階を繋ぐ親密な関係では、気の多い天才料理人と要領の良い女マネージャーとの関係はエロティックな親密さを表現しているし、多くの料理職人とまた多くの職人的給仕人たちとのやり取りも、組織というものの親密さを乱雑に現わしていて面白い。さらに、物語全体の背骨とも言うべき、この料理店の辣腕シェフと現在の経営者であるジジーノの間の親子関係は、この料理店でのあらゆる人間関係の親密さ、そして対立とを代表している。

上の階の登場人物も多彩である。雑学の超天才バーテン、料理評論家の二人連れ、粘っこい知ったか画商・芸術家群が料理店の場を盛り上げ、そのなかに子連れの女性達が配置されていて、落ち着いた上品なくつろぎと温かさを与えている。

最後の終わり方が振るっている。食事をマフィア風ギャングに、シャンペンをNYの刑事夫婦に振る舞う。そこで、親密でもない者が親密さを要求してきたら、どうするか。

あるいは、親密なものが親密さを拒否してきたら、どうするか。親と子との対決なのだが、これら二つが見せ場である。これ以上は、映画を見てのお楽しみ。

極めつけは、カウンターにずっと座って、会話を楽しんでいた謎の男の役割である。「金融マンでしょ」と言われ、「よく、職業を当てたね」と隣の女性に言っていた、それまで行きずりの疎遠な傍観者であった、この男がじつは「・・・屋」であったという展開は、かなり映画的であり、昇華の程度の高い結末だ。そうさ、いつだって、たまたま偶然であるかのように居合わせた者が、一番ドラマを転回させるものなのさ。「疎遠」な者ほど、「親密」なのだ。

最後は、かなりのハッピーエンドである。良きものは「生かされ」、悪きものは「殺され」る。とくに、天才料理人の悪い癖自体の始末は振るっている。それに考えてみれば、料理それ自体、生き物を「殺し」、良きものとして「生かされ」るものとして存在するのではないだろうか。

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プロフィール

  • 坂井素思
    放送大学教員で、社会経済学領域を研究しています。