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2006/07/23

記憶と「自分の世界」

記憶の範囲が「自分の世界」の範囲を限っていたとしたら、わたしの世界はずいぶん狭いな、と今日こそは感じてしまった。

放送大学の学期末試験が始まって、二日目である。試験には、身障者の方がたが大勢いらっしゃる。

今日は、全盲の方で、Gさんの試験監督を担当した。試験室へ行くと、日曜日ということもあり、ご両親も一緒であった。身障者の方によっては、試験の解答方法が異なるので、最初に確認することにしている。

Gさんの場合、点字問題と音声テープ、それと点字で解答することがあらかじめ知らされていたので、その手順と、解答の転記をどのようにするのかを、試験が始まる前に話し合っておかなければならない。

Gさんは、点字問題を使用して点字解答をはじめに行い、その後、音声テープを聴いて、最後に解答を転記することを選択した。そして、ここまでは、通常通り進んだ。

Gさんの特別な「自分の世界」を垣間見たのは、その後である。驚くべきことに、Gさんは解答を進めるなかで、試験問題をほぼすべて暗記していたのである。

「すべて」というのは、当たっていないかもしれない。「体系的に」と言うべきかもしれないが、解答に必要なところは少なくとも文脈上すべて暗記していたと思われる。

それが分かったのは、音声テープを聴きだした時である。指で点字を追って、問題を確認すると思っていたが、それを行わないし、なお驚いたのは、すべての解答を点字メモを確認することなく、すべて諳んじていたからである。もちろん、その解答が正答であるかどうかまでは確信していないとは思うが、少なくとも自分の世界のすべてを記憶に止めておくという、凄い特技については絶対的な自信を持っていることは間違いないと思われた。

おそらく、このような特技の凄さは近くにいて、実感してみないとわからない。わたしたちには、問題用紙を目で見ることができるため、すべての問題を記憶しておく必要性がない。そのため、このことの凄さは注意しないと見過ごしてしまう。

たとえば、正誤問題を想像してみよう。わたしたちは比較を行う場合に、選択肢の1番から5番までを同時に見ることができ、選択肢の間を何回も目を走らせて違いを見つけることができる。けれども、全盲の人は、1番から5番までのすべてを記憶に止めて置いて、頭のなかで比較しなければならないのだ。

このときの記憶力の使用では、わたしたちの数倍の動員を行っているし、その記憶の範囲も驚くべきところまで達しているはずである。

さて、これは試験という限られたところでの現象であるが、おそらくGさんは生活のあらゆるところで、わたしたちの数倍の記憶力を駆使して、確実な「自分の世界」を築いているのだ。

Gさんは、このような自分の特技にそろそろ気づいているのではないだろうか。Gさんにとっては当たり前の才能が、わたしたちにとってはたいへん難しいことを。Gさんの絶対的な自信の根拠に、このような記憶に基づく、確実な「自分の世界」のあることを、はじめてちょっとだけ理解したように思った。

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プロフィール

  • 坂井素思
    放送大学教員で、社会経済学領域を研究しています。