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2006年7月に作成された投稿

2006/07/30

吉祥寺の喫茶店

昨日同窓会のために、吉祥寺へ行ったが、早く着いてしまった。久し振りの街なので、懐かしい喫茶店を回ろうとするが、まだ開いていないらしい。吉祥寺は、やはり夜の街なのかもしれない。

Funkyは、場所が良すぎるために、昔から割をくっていた。パルコやカルディなどの新たな業態にいつも押されていた。今回も「いつまで続くのか」と思わせる風情は変わっていない。060729_124601

けれども、このような危機的な状況で、かれこれ30年以上も続いているということは、見直すべき何かがあるのかもしれない。このシブトサは見習うべきだ。

長く続くということは、それなりに培ってきたソーシャル・キャピタルを持っているということに違いない。そのような表に現れないものは、どのようなものなのだろうか。一度、じっくりと考えてみたいものだ。

060729_130701_1  結局、「Open」という看板がかかっていながら、開いていないファンキーはあきらめて、すこしはなれた「Sometime」で時間をつぶす。

ここにある調度品(とは名ばかりで、30年をこえる古さだけが取り柄の、このことが大事なのだが、ガレージ風のテーブルや椅子、ピアノ)は素敵で、美味しいコーヒーを飲んで、すっかり落ち着いてしまった。このまま、読書に入ってしまえば、そのまま30年前に帰ってしまうかのようであった。

この街の終わりには、先日娘に頼んで、今回は娘に頼まれた「モカ」のヤニブレンド・コーヒーを仕入れた。

2006/07/29

坂井ゼミ卒業生の同窓会

ゼミ同窓会に招かれて、吉祥寺のF亭へ行く。美味しい食事をご馳走になりながら、集まった方々の話を聴く。以下、発言順。

「国立大学の大学院」を修了して、後身の面倒を見たり講演をしたりしている人

同じく大学院「修士論文」を完成させ、学習センターの同窓会活動に精を出している人

家事研究が高じて、「実用新案」を取ってしまった人

PCを扱う職場から、「伝統技の継承」を行うところに転進した人

仕事を終え、「悠々自適」の生活を過ごしている人

観劇で「余暇」を楽しんでいる人

現役の仕事から、「退職後の生活」へ移行する準備を行っている人

放送大学の「同窓会役員」を務めている人

集まった8名の方々のその後の生活は、たいへんバラエティに富んでいて、聴いていて興味津々だった。

F亭を出て、井の頭公園を散策することになり、池の源泉や、弁天様などを回った。以前、この近辺に住んでいたときには気づかなかったところが、たくさんあるのに驚いた。

最後は、公園近くの静かなコーヒー屋さんで懇談して別れた。半分は、わたしより歳が上にもかかわらず、みんな元気だった。

年上の方々が、わたしを先生と呼ぶので、コーヒー屋の旦那が驚いた顔をしていたのが印象的だった。明らかに、品格・風格から言っても、またサラリーを比べても、わたしより上に見える方々が多い。いろいろな点で、この大学では、学生と先生の位置が逆転しているところが面白いところなのだと思う。

2006/07/27

行き先の見えない会議

「行き先のない会議」と聞いて、ぞっとして尻込みしない人はいないだろう。

今日、たまたま10数大学が集まって、ひとつの将来計画を立てようという合議が行われた。目的も異なり、方法も異なり、参加する分野も異なる人びとがどのようにして、ひとつの合意に達することが出来るのだろうか。ここには、たいへん難しいものがある。

多くの会議には、もちろん「行き先」が確実に在るわけではない。もし確実な議論のゆくえがあるならば、会議を開く必要がない。

今の時代、会議が嫌われる理由は、このように開く必要がない案件が多いにもかかわらず、相変わらず会議が開かれたりするからだ。このような理不尽なことがあるから、嫌われるのだ。

そこで、行き先や、最終到達地点などがあらかじめわからないような会議で、どのようにしたら、曲がりなりにも結論を得られるか、という現代的でかつ切実な問題を考えてみよう。

  • このような場合に、確実な方法として、もっとも採られるのは、あらかじめ着地点の予想を立てておいて、そこへ議論を誘導する方法である。通常、議長となる人が会議の長びくことを阻止するために、この方法が採られる。
  • すこし乱暴だが、ちょっと先まで議論をあえて進めておいて、途中でずれが生ずるようであれば、途中で引き返して、戻ってくる方法である。
  • 最初から、はじめに設定してきた点を維持しようと考える。ひたすら、変化することを抑制しようとする方法である。
  • それでも、合意が得られないのであれば、最後は後退を覚悟することになるのも仕方ない。

いずれにしても、もし結論まで持っていきたければ、全員の参加者が自らの立ち位置を自覚して、議論相手の力量を推し量り、譲るべきところは譲らなければ、行き先は定まらないだろう。

あなたは、上記の4つの方法のうち、どれを採るだろうか。また、他にも可能性があるならば、ぜひお教えいただきたい。

2006/07/24

切符の紛失

JRの切符をなくしてしまった。

たしかにポケットに入れたと思ったのだが、やはり無いのだ。このところ、スイカ・カードに慣れていたので、つい油断してしまった。

すこし前から、兆候はあった。切符の紛失は、わたしの場合、健忘症の前触れである。その間の記憶が途切れるのだ。思い出そうとしても、まったく覚えていない。

多くは、他のことを考えていて、忘れる。たとえば、電車に乗る前に、思い出したことがあって、考えたりすると駄目である。あるいは、鉛筆を片手に、メモ帳を取り出して・・・などと、同時にほかのことをやろうとすると、その間完全に記憶が途絶えるのだ。

この程度のことなら、二つのことを同時にやっても、両方ともうまくいくだろうと思うが、やはり柔軟性が足りなくなってきているらしい。

今日のところは、仕方がないので、駅員の方に相談すると、親切な方で探してくれるという。自動改札機のところならば、あとの人が届ける場合があるらしい。切符に磁気がついているのだから、どうにかなるのだろうか。けれども、こんな悠長なことを頼んでも、ほんとうに良いのだろうか。

頼んでおいて、申し訳ないけれど、すこし心配になった。都会で、何百万人の人が利用する駅で、このような客が多くなったらどうするのだろうか。今後、高齢化社会では、わたしのような客は多くなるに違いない。(ポスターが貼ってあって、切符は無くさないように、と呼びかけている)

さて、問題は今日のわたしの場合なのだが、じっさい期待はあったにしても、見つかるわけがない。結局、どうすれば良いのだろうか。今回だけは、正直に申し出たので、信用していただいき、情状酌量で無罪放免となった。

じつは、公式に処理するなら、全部の区間分の三倍の料金を支払わなければならないらしい(ほんとだろうか)。ところが、無くしたのは最悪なことに、東海道線である。全部の区間といったら、終点は関を越えたはるか彼方ということになる。ほんとうに、危ないところであった。

2006/07/23

記憶と「自分の世界」

記憶の範囲が「自分の世界」の範囲を限っていたとしたら、わたしの世界はずいぶん狭いな、と今日こそは感じてしまった。

放送大学の学期末試験が始まって、二日目である。試験には、身障者の方がたが大勢いらっしゃる。

今日は、全盲の方で、Gさんの試験監督を担当した。試験室へ行くと、日曜日ということもあり、ご両親も一緒であった。身障者の方によっては、試験の解答方法が異なるので、最初に確認することにしている。

Gさんの場合、点字問題と音声テープ、それと点字で解答することがあらかじめ知らされていたので、その手順と、解答の転記をどのようにするのかを、試験が始まる前に話し合っておかなければならない。

Gさんは、点字問題を使用して点字解答をはじめに行い、その後、音声テープを聴いて、最後に解答を転記することを選択した。そして、ここまでは、通常通り進んだ。

Gさんの特別な「自分の世界」を垣間見たのは、その後である。驚くべきことに、Gさんは解答を進めるなかで、試験問題をほぼすべて暗記していたのである。

「すべて」というのは、当たっていないかもしれない。「体系的に」と言うべきかもしれないが、解答に必要なところは少なくとも文脈上すべて暗記していたと思われる。

それが分かったのは、音声テープを聴きだした時である。指で点字を追って、問題を確認すると思っていたが、それを行わないし、なお驚いたのは、すべての解答を点字メモを確認することなく、すべて諳んじていたからである。もちろん、その解答が正答であるかどうかまでは確信していないとは思うが、少なくとも自分の世界のすべてを記憶に止めておくという、凄い特技については絶対的な自信を持っていることは間違いないと思われた。

おそらく、このような特技の凄さは近くにいて、実感してみないとわからない。わたしたちには、問題用紙を目で見ることができるため、すべての問題を記憶しておく必要性がない。そのため、このことの凄さは注意しないと見過ごしてしまう。

たとえば、正誤問題を想像してみよう。わたしたちは比較を行う場合に、選択肢の1番から5番までを同時に見ることができ、選択肢の間を何回も目を走らせて違いを見つけることができる。けれども、全盲の人は、1番から5番までのすべてを記憶に止めて置いて、頭のなかで比較しなければならないのだ。

このときの記憶力の使用では、わたしたちの数倍の動員を行っているし、その記憶の範囲も驚くべきところまで達しているはずである。

さて、これは試験という限られたところでの現象であるが、おそらくGさんは生活のあらゆるところで、わたしたちの数倍の記憶力を駆使して、確実な「自分の世界」を築いているのだ。

Gさんは、このような自分の特技にそろそろ気づいているのではないだろうか。Gさんにとっては当たり前の才能が、わたしたちにとってはたいへん難しいことを。Gさんの絶対的な自信の根拠に、このような記憶に基づく、確実な「自分の世界」のあることを、はじめてちょっとだけ理解したように思った。

2006/07/22

自分自身の自己組織化

今日は、試験期間中であるにもかかわらず、積極的な学生たちがいて、卒業研究のゼミをやりたいと言う。求めに応じて、神奈川学習センターで開催する。

ところが、じっさいには試験のために講義室はすべて使われていて、空いている部屋は、パソコン実習室しかなかった。それでも、場所が確保できたのはラッキーである。

卒業研究でこの時期はたいへん重要である。卒業研究には、いくつかの段階が履修生共通に見られる。じっさいには数ヶ月前から準備が始まっているが、4月から先行研究の展望・検討を始めて、そろそろ早い人は夏休みごろに「草稿」を書き始める段階に入る。

文献・資料や統計などの整理が出来つつある実感を持ち、そろそろ頭のなかで、自分の文章が一人歩きする段階が訪れる。経済学者W.ロストウは、このような飛躍の時期のことを、飛行機の比喩で表現して「離陸」と名付けた。

自分のなかに、これまでの自分とは異なる自分が育ってくる。その異なる自分がこれまでの自分にはなかったような性格を、新たに付け加えるかの如くの段階が、卒業研究には存在する。

さらに、異なる自分が紡ぎ出す文章がどんどん膨らんできて、言葉が止まらないほどの状態になってくる。もしこのような状態がなく、先行研究のメモだけが空しく貯まるだけならば、どこかがおかしいのである。したがって、この時期はまた、停滞している人にとっては、むしろ反省の時期でもある。

などと、傍目八目的なことを言ってはいるが、これらの状態はすべて自分に返ってくることは言うまでもない。さて、夏休みに向かって、自分の仕事も反省してみよう。そして、自分のなかの「異なる自分」との対話を大切にしようと思う。

2006/07/21

宇田川町の喫茶店

今日、放送大学のテキスト制作の打ち合わせがあって、渋谷の宇田川町にあるNHK出版を訪れた。

宇田川町には、今から3、40年ほど前の中学・高校時代から、渋谷公会堂や、NHKへコンサートを聴きに通った覚えがある。まだ、公園通りにはパルコもなく、店屋が数えるほどしかなかったし、宇田川町にもセンター街のような賑わいは全くなかった。

何回かの流行を彩った歴代のギャル達もまったく出没しない、それ以前の時代のことである。

宇田川町のはずれに、ガラス窓の広く取ったコーナーのある、木造りの喫茶店があって、濃いミルク紅茶がおいしかった。名前を忘れてしまったが、たしか、赤い蛍光灯の看板が掛かっていたような気がする。

現在では、誰の記憶にも止められていないだろう。(あとで、NHK出版の方々にも聞いてみたが、ご存知の方はいらっしゃらなかった。)060721_154701

そこで今日は、待ち合わせまでのすこしの時間を潰すために、並行したもう一本違う路地?に見つけた「Tabela」に入って、コーヒーを注文した。どろっとしていて、エスプレッソに近いが、けれども酸味も効いている、という洒落た味のコーヒーだった。(トルコ・コーヒーはこんな味かな)

コーヒーで一服したのが良かったのか、編集者との打ち合わせは和やかに進んだ。締切りが近くなっても、このような関係を維持したい。Sさん、Yさん、Hさん、今日はありがとうございました。これからも、よろしくお願いします。

現場に伺うメリットは、仕事上の便宜を受けられるところだ。たまたま、今回の文献に使えそうな書籍が、今月NHK出版から発行されていて、譲ってくださいと言ったら、お使いでしたら特別に差し上げますとのこと。役得、役得。

2006/07/20

竈の煙

仁徳天皇が、町の高台から庶民の家に煙の立たないのを見て、3年間税を免除し、3年後にカマドの煙がたくさん立つようになったという話は有名である。

カマドの煙でなくとも、これに類した話は現在でもよく聞くし、自分でも試してみる。たとえば、地方へ出張に行ったときには、タクシーの運転手と雑談をするが、景気の話題は定番のひとつだ。関西では、もうかりまっか、というところだろうか。

最近、気に入っているのは、カマドはカマドでも、もっと大きな、製鉄所の高炉である。

横浜から高速道路の湾岸線をいくと、ベイブリッジを越え、大黒埠頭も過ぎて、扇島に入り、右手に、JFEスティールの東日本製鉄所(旧日本鋼管)がある。コークスの山積みを見る限りでも、大きな工場である。

工場群の遙か彼方に、高炉が二基(だと思うが)立っていて、最近はだいたい一基がフル稼働している。夜も火を落としていないし、その下に広がる圧延工場(だと思われるが)にも、煌々と灯が点っている。060720_192402

この製鉄所の「カマド」によれば、庶民の暮らしはかなり良さそうだといえる。もっとも、鉄の場合には、近年の中国需要の増大に寄るところが大きいのだが。

(右の写真では、明かりが強調されてしまって、そびえ立つ高炉は背景に退いてしまっているのが残念である。)

2006/07/17

「強さ」と「弱さ」の逆転現象

上野の文化会館小ホールで催された「大野徹也テノールリサイタル」に行ってきた。神奈川学習センター時代にお世話になったEさんのご招待である。Eさんは大野氏のお姉さんに当たる。

リサイタルはたいへん楽しんで聴かせていただいた。生の歌声がバーンと迫ってくる感動的な体験は、ホールに来て聴いてみないとわからないと思う。たとえわたしのように歌の内容がわからずとも、雰囲気さえ理解するなら、「楽器としての声」を楽しむことができる。

なかでも、迫力を感じたのは「マクベス」の「ああ、父の手」。強弱の声の綾を感じたのは、ワーグナーの「ローエングリン」からの「遥かな国」。懐かしさと不思議さを感じたのは「日本の歌」なかでも、初演の「初恋」では物語性が楽しめた。

そして、観客サービスとして「夏の思い出」をみんなで歌い、最後には恒例の「オーソレミオ」で締めくくった。はじめは孤独な聴取者として始まり、歌が進むにつれて、観客間の連帯感が生まれてくるような演奏会であった。

さて、演奏会を鑑賞している最中に、すこし不謹慎であったが、聴かせていただきながら、やはり音楽が作用する「人と人の結びつき」について考えてしまった。

感動が人びとを結びつける効果を、ここでは「感情作用」と呼んでおきたい。とくに「社会における感情作用」は、じつに不思議な作用を及ぼす性質を持っている。あるときには、状況を強化するかと思えば、あるときには状況を逆転させてしまう。

演奏会へはふつう二、三人の連れで参加するのが多い。(神奈川学習センターでお世話になったHさんにも久しぶりにお会いした。)通の人は一人で行くかもしれないが、それは例外的なものである。家族連れや友人同士が、それぞれ固まって座席し鑑賞している。おそらく、音楽は途中の会話などを通じて、小集団の凝縮性を高める効果があるのだ。

ところが、歌を聴いているうちに、親密さが浸透し、この歌を媒介として、この小集団よりも直接歌手や演奏家と結びつくという作用が、次第に表に現れてくることがある。

感情というものが、小さな共感から大きな共感へ広がっていく現象が見られる場合がある。いつも起こるわけではないが、感動が深い場合に限って、共感の広がりは強く人びとのネットワークを小さなものから大きなものへ転換させるのだ。

今回のリサイタルでは、このような経験をさせていただいた。そのあと、上野の街へ繰り出し、Eさんを囲んで、放送大学のU先生とI先生と、今度は小さなネットワークを固めることに勤しんだ。楽しい一日であった。

2006/07/16

花火大会がつなぐ人間関係

以前から、疑問に思っていたことがある。お祭りやカーニバルが作用を及ぼし、人びとを熱狂に巻き込み、参加意識を醸成し集団として一体化させる、とよく説明されるが、この理由については充分説明されているわけではない。社会学者のタルドによれば、超論理的な現象であると考えられるほどである。

外国から一人で来て、急に日本の祭りに参加し感動したという典型例がいくつもあることは知っているが、それはたまたま同化能力に優れた人が渡り歩いているからではないだろうか。ふつうの人が異郷の地で、その風習に染まるにはやはり時間がかかるのではないだろうか、とじつは疑っている。

今日、ゼミ合宿の帰り道で、弘明寺公園を通りかかると、港の花火大会を見ようとする人びとが鈴なりになっていた。斜面に設けられている階段には、みんなが同じ方向を眺めて並んでいる。

みんなが花火に感動しているのは間違いないが、もうすこし見ていると、一つの特徴があることに気づいた。それは、この公園に来た人たちは、みんな「連れ」だっているのだ。一人で花火をみている人はほとんどいなかった。もちろん、花火はきれいだから、ひとりで見に行く人もいるかもしれない。けれども、それは全体からすれば、少数であった。

この花火大会というお祭りは、そもそもはじめから小集団のためのものではないか、とこのとき思ったのだ。つまり花火をみるという表面的な理由のもとに、実際には家族連れ、友人同士、会社の仲間がそこで集っているのだ。花火は、視覚的な結びつきを果たすにすぎない。そこには、花火を通じた「弱い結びつき」が存在するが、実際には「連れ」を中心にした「強い結びつき」が、花火大会の本当の存在理由なのだ。という仮説は、いかがだろうか。

2006/07/15

ゼミ合宿

今日から、大学院のH先生を中心とする全体ゼミが、二日間の予定で始まった。朝、10:00から始まり、夕方の17:00ごろまで、両日じっくりと議論する。

今年は、27名が発表し、教室には先生方、学部生などを含めて、つねに30名ほどが詰めていて、たいへん活気のあるゼミ合宿となった。Img_0744

「おもろい」ことを追究して欲しい、というのがHゼミのモットーである。目から鱗を目指し、目が覚めるような、そしてさらに明晰で腑に落ちる「論文と発表」が求められている。もっとも、これはH先生の願望であって、じっさいにそのとおりになるわけではない。けれども、そういう姿勢が大事なのだ。

発表会では、ほかの人の気を惹かなければならないので、当然「見映え」が必要だ。とはいえ、「おもろい」ことと同様に、「見映え」と言われても、曖昧模糊としていて、なかなかわからない。

おおよそ、「見映え」にはつぎのような共通点があるのではないかと思われる。思いつくままにあげてみたい。

第一に、キャッチフレーズが決まっていると、やはり抜群の効果がある。言葉は人目を惹くうえで、まだまだ重要である。それも、使い古された用語ではなく、見ている人の期待を裏切るようなフレーズの場合に、より効果がある。たとえば、「税の滞納防止策」とすると、論文の題名というより、役所の報告書・マニュアルに見えてしまう。「徴税システムの革新」とすると、同じ内容だが、論文の題名らしくなる。

第二に、こころ躍る論理性と、心に滲みるストーリー性は、人の心を掴む。放送大学の学生は、この点では充分に経験を積んできているので、それをいかに論理を繋いで論述まで持っていけるかが勝負である。たとえば、すべてを一般的な記述に置き換えて、分類してしまうことに力を注ぐよりは、ひとつの経験的な事例がすべてを現わすことのあることを利用すべきであろう。

第三に、発表でしゃべるときの勢いも、重要な要素だ。迫力がないと、なかなか人びとのあいだに、その考え方は浸透していかない。それに、15日、16日と二日間に渡ると、聞く方にも疲れが出てきてしまう。眠気と戦っている人びとを、こちらへ注目させなければならないのである。

つまり、「おもろい」とは、自分だけおもろいのではなく、ほかの人もおもろくさせなければならないのだ。

そして、今日はとんとんと無事終了し、恒例の懇親会をホイトウを貸し切って開き、さらに元気な人たちは二次会へと繰り出した。

2006/07/14

金魚鉢の中から

今日は久しぶりに、ラジオ番組の収録である。

いわゆる「金魚鉢の中」というスタジオに入って、マイクの前に向かう。『市民と社会を考えるために』という題名で、放送大学「社会と経済」専攻の先生方総出で、競作している、その一部となる番組である。ここは宣伝です。

今日、わたしの相手をしてくださったのは、法学のN先生であり、今回のテーマにうってつけの話題を選んでくださった。内容は聞いてのお楽しみに残しておこうと思うが、何と終わりの時間はものさしで計ったように、ぴったりだった。

対談という形式は、たいへん面白い。おそらく、聞くほうよりは、作るほうがずっと勉強になる。本を読むのでもなく、単に話を聞くのではなく、こちらの聞きたいことを質問して、相手が答えてくれるというのは、日常生活ではおそらくたいへん稀な出来事なのではないだろうか。

当然、対談では相手があることなので、制作では多少のシナリオを前以て作っておいたほうが良いのだが、やはり途中で、アドリブを入れる余地を残しておいたほうが楽しい。

そこでむしろ、対談相手の本音が出る場合が意外に多いのだ。今回、N先生の学問観が現れてきて、興味深かった。これまでお話した数少ない法学の先生の場合には、大体政治的な立場をはっきりとさせて、革新か保守かとわかるほうが多い。N先生の場合には、きわめて慎重で、リベラルな論調が魅力的だった。

このような意味でも、今回のこのシリーズでは、先生方の研究自体も良くわかるようになっている。ぜひお聴き願いたい。

この番組が、「金魚鉢の中」から出て、学生の方々のもとに届くのは、来年度なので、未だずっと先のことであるのが残念だ。

2006/07/11

ブログ仲間

近ごろ、「仲間」と呼べる関係が少なくなってしまった。

もちろん、仕事では多くの人間関係を日々作っているのだが、そのなかで仲間関係に発展することはほとんどないし、そこから発展した関係は今日では仲間とはそもそも呼ばないだろう。

中世のCompanyのような、共同経営者というイメージの仕事仲間は、やはり全人的なつき合いを指す場合が多いので、近代になってからは、このようなカンパニー的な仲間関係はやはり成立しないといえよう。

現代ではもっと軽くて、新たに結びつくような関係をすべて「仲間」と称しているが、やはり昔のような仲間関係とは程遠い。とはいえ、新しい都市型の仲間というのがあっても良いとわたしは思っている。

今日も横浜から幕張へ移動して、11時ごろになってしまったので、レストランでランチを食べ、コーヒーを飲んでいた。いつものホイトウは火曜日がお休みなので、天井が高く、温室風のガラス窓が開放的で気持ちのよい、このレストランを今日はたまたま選んだ。

ところが向こうから、こちらをちらちらと伺う男女の集団が見える。よくみると、放送大学のアナウンサーとディレクターの方々ではないか。道理で、周りが華やかな雰囲気になったはずである。

なかでも、ここでも「仲間」と呼んでよいものかどうか判断がつかないが、「ブログ仲間」のKiアナウンサーが一緒にいらっしゃったので、久しぶりにご機嫌を伺う。

同じ趣味をもっているというだけでは、かなり疎遠な関係ではあるが、今日的な関係のなかでは、立派な「仲間」だと勝手に思っているが、Kiさんいかがでしょうか。

http://blog.livedoor.jp/a76543211/

2006/07/10

好奇心の原型

今日は、Kさんと神奈川大学で会った。

現在、歴史民俗研究科で博士論文を書いていて、ときどき呼び出しがあり、内容を見せてくれる。

なぜ専門が違うのに見せてくれるのかといえば、放送大学の学部では、わたしのゼミに属していたこともある、という事情のあるのも確かだが、それ以上にこのような異質なことを考えるのは、わたし自身ほんとうに楽しいからである。もっとも、内容がまったく異質だというわけではなく、かなり重なる部分もあるから、余計楽しいのだといえる。

このように、何かを考え始める原動力であり、最も奥深いところで考える原型となるのが、好奇心ということだと思われる。

以前にも言ったことがあるが、好奇心が芽生える場合には、いくつかの共通点がある。たとえば、楽しさという要素は、好奇心にとって欠かすことができない。考えていて、辛くなるようでは、原動力たり得ない。それから、集中力が続くというのも、好奇心の原型には必ず存在する要素である。奥深くまで探究して止まないという姿勢の続くことが重要だ。

Kさんの抱えているテーマは、職能神信仰という、じつにユニークな題材である。近代に近づくにしたがって、日本に起こってくるものであるが、それを現場での取材を交えて追究している。

Kさんのいつも持ってくる論文の断片には、こちらの好奇心を刺激するものが一杯詰まっている。

たとえば、関東のK市には、機神(はたがみ)信仰というのがあって、この起源を辿っていくと、それぞれたいへん面白い知見が開けてくる。

ひとつは、この機神が昔からの土着の神様なのか、それともまったく新しい近世・近代の神様なのか、という争点があり、もうひとつは共同体の機能として、信仰を考えるのか、それとも共同体間の機能として考えるのか、という争点もある。などなど、興味のある方は、この博士論文が完成したら、読んでいただきたいと思う。

じつを言えば、Kさんはわたしの母親と同年配で、80歳近い。この歳で原稿用紙500枚分の博士論文を仕上げようというのだから、驚愕の一言であり、掛け値なしにほんとうに尊敬に値する。

追伸:さて、「ココログ・ブログ」の調子がおかしい。接続までに何時間もかかってしまう状態が続いている。そこで、明日7月11日から13日まで、メンテナンスに入るそうである。「Interwoven」もお休みとさせていただく次第である。

2006/07/07

保育園の庭で

幼稚園や保育園で、なにを学んだか、覚えていますか。

社会と経済カンファレンス室Aさんの通勤途中に、保育園があるそうだ。今日通りかかったら、保母さんが「ちゃんと水を取りなさいよ」と園児たちに言っていたそうである。

この暑さにもかかわらず、園児たちは朝から、そとで走り回っている。当然、汗をかくから、水分不足になる。家ではそんなことは教わらないから、園児たちは保育園で習うことになるのだろう。

え、そんなことまで、とは思うが、考えてみれば、わたしたちの世代でもこのような生活の基本を、幼稚園や保育園で習っている。

じつはわたしの通勤路にも、それぞれ保育園と幼稚園とがあり、今日は円陣(サークル)を組んで、サッカーのパスの練習を行っていた。

面白かったのは、サークルを組んでいるが、明らかにその意味がわかっていないということだ。丸く並んで、パスを行って、もしひとりがボールを受け損ねても、すぐ隣の人が対応してくれるから、サークルの意味が出てくる。

ところが、かれらはボールの受け渡しを1対1でしか行っていないのである。ボールがひとりの園児からもうひとりの園児に向かってしまうと、隣の園児は我関せずを決め込んでいる。

したがって、パスの慣れていない園児たちは、受け取ろうとするたびに後ろへそらしてしまう。けれども、隣の園児はそれをフォローする態勢にない。見ていても、いつも蹴ってはそらし、また戻してはそらし、という1対1の対応を繰り返しているだけなのである。

たぶん、保育園では、このようなことを学んだのだと思う。いつまで経っても、なんだか分からないが、上手くいかない、どうして上手くいかないのだろうか。この繰り返しが身体に染み込んだのだと思う。

おそらく、ふつうは個人的に解決してしまうのだろう。ボールを受ける技術、蹴る技術を修得して、1対1でも上手くいってしまう状況ができて、問題が解決したと思いこむのだろう。

サークルを組む意味がわかるのは、ずっとずっと後であり、もしかすれば一生わからずに過ごしてしまう場合もあるかもしれないのだ。でも、ここで上手くいかない、という経験はたいへん重要だと思う。

みんなと一緒にやっていて、どうしても噛み合ってこないという感覚。この感覚が存在する人と存在しない人との差は、ずっと後ではものすごいことになって返ってくるのだと思う。(先日、サッカーの中田選手が引退宣言をしていたが、この感覚を最も持っていた人だと思う。うまくそれが活かせなかったのは残念だ)

それにしても、園児とボールとの視覚的な比重の差は、見ていて微笑ましかった。ボールは大抵、大人用に作られている。園児たちがボールを追いかけている様子は、すこし大げさかもしれないが、運動会での大玉転がしを連想させるに似たものであった。

2006/07/06

世界と自分の関係イメージ

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「雨上がりの夜に、散歩」

雨が上がって、からりとした夜には、
沈み込んでいた心が急に軽くなった気がする。

疲れきった一日と思われた日だったが、
ごみを置きに行ったついでに、散歩に出れば、
目が覚めて、夜の精気が急に美味しく感ずる。

ふと見上げると、
30年前には細く頼りなかったクスノキたちも、
20メートルほどの枝木を冠にいただいて、
森の連続のような、どっしりとした並木道を築いている。

クスノキの大きな世界に包まれると、
自分の小ささも、素直に認めたくなってくる。
そのような軽くなった弱気の自分を見出して、しみじみとする。

夜のとばりを破って、自動車が瞬間通り抜け、
またもや、現在が過去と交わろうとせずに、走りすぎていく。
過去を裏切ろうとする将来がみえてしまう。

そのことを、まだ世界の誰も理解しないでいる。
電柱には、子供クリニックの宣伝が見られる。
隣には、セレモニーホールの広告が貼られている。

空には、葉っぱたちがお構いなしにそよいでいる。
その夜空の明るさが、最後になってどのような結末を
わたしたちへもたらすのか。

歩いている自分と、不確実なままの世界とが
相変わらず同時進行している。
樹の下では、クチナシの白い香りが強く漂っている。

Kuchinashi

by Moto Shimon   
W.H.オーデンの記憶のために

2006/07/04

ダウンサイジングのもうひとつの文脈

昨日の続きになるかもしれない。

1980年代から90年代にかけて、リストラクチャリング、リエンジニアリング、あるいはダウンサイジングなどの横文字で表現された一連の共通する動きが、ビジネス社会のなかで流行したことがある。

一見すると、企業の合理化策のようにみえるので、その後この脈絡につながるとみられた成果主義と同様に、すっかり企業社会の悪者のイメージが定着してしまった感がある。

けれども、この問題はそう簡単に片のつくような問題ではない。1993年に出たハマーとチャンピーによる「Reengineering the Corporation(邦訳リエンジニアリング革命」では、生産性の上昇には、バラバラな仕事を統合して、少ない人数でこなすことが、現代では必要とされているとしている。「より少ない労働力で、より多くの仕事を」というモデルの誕生である。

このことは、経済学の有名なアダム・スミスによる「分業」モデルに真っ向から反対を唱えるものであった。つまり、仕事を細分化して、多くの人数を使って、流れ作業の増大を図ることが、生産性の上昇をもたらす、とするのが「分業」モデルであった。この「規模の経済」を目指すような図式とは、逆を主張しているからである。

この書物が出た後で、単なるリストラではないか、という批判が出て、このような考え方は下火になってしまった。

問題は、現在のところ、これらのどの方向性が主流となるのかは、現実の成り行きに任せられてきているところにある。実を言えば、経済の人間関係のモデルとして、分業モデルともうひとつのモデルがあることをきちんと認識すべきではないか、と考えている昨今である。

2006/07/03

「太陽の都」カンパネラ

大きな組織が崩壊するときには、その予兆というものが存在する。

カンパネラが描いた『太陽の都』1602年も、典型的なその一例である。中世の教会組織というものが崩れる危機に陥っており、確実にそのことを見通していた。Taiyo_1

教会組織に代替できるような組織は、存在しうるであろうか。暗黙のうちに、カンパネラが問題提起したことである。

とくに、仕事観については、現代に通ずるものを持っている。すこし引用すると、

「軍務、農耕、牧畜は、みんなが共同でおこないます。これらの仕事に習熟することはだれにとっても義務であり、かれらのあいだではこれらがいちばん貴い仕事なのです。しかもなるべく多くの仕事に通じた者が、それだけ高貴な人とみなされますし、だれもが自分にいちばん適した仕事に従事しています。・・・・・・・・それに、かれらのあいだでは、労働の配分が適正になされるので、だれひとり個人の健康をそこなうような労働には従事せず、ただ壮健にするような労働だけにたずさわることになるのです。」

というように、地位が高くなればなるほど、「多くの仕事に通じなければならない」状態になっていて、この現実は現代そのものである。その原型はこの「太陽の都」にあるといえるのではないか。

この都の統治は、「太陽」という多くの仕事と学問に通じた「形而上学者」によって行われており、かれは上記で指摘されたように、あらゆる仕事と学問に通暁していなければならない。

「太陽」の下には、三人の副統治者「ポン(力)」「シン(知恵)」「モル(愛)」がいて、統治者を補佐している。ポンは戦争・和平・軍略をつかさどり、シンはあらゆる学芸や技術に詳しくて、さらにモルは男女の結びつきから、生活全般を見ている。かなり、はばの広い機能をそれぞれ司っている。

話は現代に戻るが、1980年代から90年代にかけて、企業の上層部は多機能的な仕事を多く引き受けなければ責任を問われるような状況が起こってきていた。『太陽の都』カンパネラは、歴史の早い段階から、このような事態を予想して、ひろくこの本を書いて知らしめようとしていたに違いないのだ。

2006/07/02

「生かすこと」と「殺すこと」

ダニー・アイエロの出ている「ディナー・ラッシュ(2001)」が、BSで放映されていた。

「ジジーノ」という、NYの繁盛しているイタリア料理店が、この映画の主役である。何度も階段で運ばれていた、トマトのパスタは美味しそうだったな。

上の1階が店になっていて、ここでは水平的な、横の疎遠な関係が展開される。それに対して、下の地下1階が調理場と事務所になっていて、ここでは垂直的な、縦の親密な関係が展開される。そうそう、それから忘れてはならないのは、下の階には別の階段で、もうひとつの世界が用意されていて、最後の場面では決定的などんでん返しが待っている。

こういってしまうと、極めて図式で、構造的で静的な映画に見えてしまうが、ほんとうはその逆で、感情的で、流動的であり、ダイナミックな映画であった。そもそも、料理が美味しそうに撮られていて、飛んでいってすぐさま注文したいと思わせるところが、心憎い。あの「シャンペンのクリームスープ」を誰か造ってくれないだろうか。

下の階と上の階を繋ぐ親密な関係では、気の多い天才料理人と要領の良い女マネージャーとの関係はエロティックな親密さを表現しているし、多くの料理職人とまた多くの職人的給仕人たちとのやり取りも、組織というものの親密さを乱雑に現わしていて面白い。さらに、物語全体の背骨とも言うべき、この料理店の辣腕シェフと現在の経営者であるジジーノの間の親子関係は、この料理店でのあらゆる人間関係の親密さ、そして対立とを代表している。

上の階の登場人物も多彩である。雑学の超天才バーテン、料理評論家の二人連れ、粘っこい知ったか画商・芸術家群が料理店の場を盛り上げ、そのなかに子連れの女性達が配置されていて、落ち着いた上品なくつろぎと温かさを与えている。

最後の終わり方が振るっている。食事をマフィア風ギャングに、シャンペンをNYの刑事夫婦に振る舞う。そこで、親密でもない者が親密さを要求してきたら、どうするか。

あるいは、親密なものが親密さを拒否してきたら、どうするか。親と子との対決なのだが、これら二つが見せ場である。これ以上は、映画を見てのお楽しみ。

極めつけは、カウンターにずっと座って、会話を楽しんでいた謎の男の役割である。「金融マンでしょ」と言われ、「よく、職業を当てたね」と隣の女性に言っていた、それまで行きずりの疎遠な傍観者であった、この男がじつは「・・・屋」であったという展開は、かなり映画的であり、昇華の程度の高い結末だ。そうさ、いつだって、たまたま偶然であるかのように居合わせた者が、一番ドラマを転回させるものなのさ。「疎遠」な者ほど、「親密」なのだ。

最後は、かなりのハッピーエンドである。良きものは「生かされ」、悪きものは「殺され」る。とくに、天才料理人の悪い癖自体の始末は振るっている。それに考えてみれば、料理それ自体、生き物を「殺し」、良きものとして「生かされ」るものとして存在するのではないだろうか。

2006/07/01

自然の力

散歩をしていたら、ご近所の家の塀をはるか越えて、木槿(むくげ)が伸びているのが見えた。

しまった!いつのまに、そんな季節になっていたのか。さっそく、家に帰ると剪定ばさみをもって、庭へ出る。

家の北には、白い木槿の木があり、こちらは玄関の近くなので、頻繁に剪定をする。もちろん、頻繁と行っても、ご近所のなかでは最も怠惰であることは間違いない。

英国に研究留学した家族の方の話を聞くと、近所の方から絶えず芝を刈ったか、というチェックを受けるそうだ。さすがに、わがご近所には、そんな差し出がましい方はお住みになっていないが、わたしが手入れをあまりしてないことは、かなり有名であると思われる。自慢するわけでないが。

問題は、南にある八重の木槿である。日当たりが良い分だけ、伸びるスピードもなかなかなもので、ちょっと目を離すと3メートルは優に超えてしまう。さらに、今年は悪いことに、朝顔の蔓がずっと上まで絡みつき、木槿の木から樋を伝って、家の屋根にまで達しているではないか。

妻には、もうすこし前に切っていれば、花のつぼみも無駄にしなかったのに、と言われてしまった。そこで、助言を尊重して、もうじき咲く花をすこし残して、横に広がった木枝の部分を中心にして、ばっさばっさと整理した。

ちょうど、お隣のご主人が草取りをしていて、向こう側に落ちた枝を拾って処分してくださった。境界線上にある木々は、いろんな影響を及していることを認識させられた。

さて、経済学の重農主義学派によれば、自然は生産的だ、ということになるが、果たしてこの木槿の場合も、生産的といえるだろうか。こんなに時間をかけて手入れをしなければならないのは、むしろ非生産的なのではないかと考えてしまう。

もちろん、正解は、「自然それ自体は生産的か否かは決定しない、決定するのは受け止める人間の側である」ということだろう。木槿が可愛い花をつけてくれれば、剪定した甲斐があるというものだ。

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プロフィール

  • 坂井素思
    放送大学教員で、社会経済学領域を研究しています。