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2006/06/16

「待合所」の人の流れ

富山へ向かうので、東京駅へ行く。新幹線ホームへ上ったのはよいが、ベンチがひとつもない。一時間以上もまえに着いてしまったので、どこか座るところはないかと見渡すが、ホームの上には寄りかかるところすらない。

乗車口には、二列で並ぶようにテープで表示されたものがあり、早くとも30分以上前に来てしまうと、並ぶところもない。早く着いた人は、どうしたらよいのだろうか。ホームにはずっと止まってはいけない仕組になっている。

仕方がないので、階段を下りて、待合所を探す。幸い改札口に脇に30名ほどの背もたれのない長椅子が置かれている。すでに満員状態だったが、次から次へ立って行く人がいて、すぐに座れた。

待合所の必須の調度は、この長椅子だけである。(かつては、連絡用に公衆電話が置かれていたものだが、現在では隅っこに追いやられている。)長く座っているわけではないので、座る板も堅く、もっともシンプルなデザインが選ばれる。狭いスペースに最大限の人びとを詰め込む工夫がされている。

つまり、待合所は通過点であって、あまり長い滞留は予定されていないのだ。そして、この待合所の人の出入りの激しさは、ホームへ行ったり来たりする人びととの相関関係で成り立っている。

待合所は、水流の途中で設けられたダムのようなものであって、ホームが溢れかえらないためのプーリングの仕組である。

待っている人たちの様子をみると、複数の旅行者の場合は、おしゃべりを楽しむ人たちが多かった。ひとりの旅行者では、本を読むか、携帯を操作するか人が多かった。

けれども、最も目立ったのは、まったく何もせずに、瞑想に耽ったり、周りを見渡したりして、ただ単に時間つぶしをしている人である。これが多かったのは意外であったが、考えてみればここは「待合所」なのであって、ただ待っている人が多くて、当たり前なのであった。

けれども、これだけただ待つ人がいるということは、旅行の構成要素として、「待つこと」をもっと積極的に評価してもよいのではないかと思う。通路の片隅に長椅子だけの場所を用意するだけでなく、コーヒーが飲めて、ゆったりとしたテーブルと椅子が用意された待合所があっても、決して悪くはないと思う。十分商売としても成り立つのではないかと思われるが、「JR百貨店」としてはいかがか。

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  • 坂井素思
    放送大学教員で、社会経済学領域を研究しています。