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2006/06/23

「恋するトマト」あるいはトマトな関係

今日で終わりだというので、Aさんに薦められていた映画「恋するトマト」大地康雄主演・制作を見てきた。http://theres.co.jp/tomato/

この「トマト」の寓意は素晴らしい。トマトを理解すれば、おおよそこの映画を理解できる。(ほんとかな!)

トマトは地域性のある野菜である。熟れ立ての美味しい状態で出荷するには、遠距離は駄目で、近くのところにしか届けられない。それに熟れたトマトは、柔らかく、ちょっと押しただけで崩れてしまう。手厚く、やさしく育まないと、トマトという野菜は成立しない、などという常識的なトマト観がどう変わるかが見ものである。

もちろん、映画の後半では、トマト作りが主題として登場して、いかに大切に育てないと実を結ばないかと問いかけている。この点でドラマを盛り立てていることは間違いないが、しかしもっと深いところで、このトマトという比喩は効いている。

言うなれば、トマトは、主人公の「結婚」そのものを現わしている。主人公の結婚は、本来親密な関係をもとめている。農家での結婚というものは地域性のあるものだから、都会からふらっとやってきた女性にはあわないし、フィリッピンの女性にはだまされる。簡単に、強い絆を結ぼうとしても直ちに失敗する。トマトのように、手をかけ、時間をかけないと、強い信頼関係は結べない。

けれども、トマトを種にして運べば、地域を越えて、フィリッピンの大地にも芽を出させることができる。ときどき、このような弱い関係が人と人とを結びつけることがある。人間の結婚は、むしろ身の回りの親しい人とするよりは、遠くの見ず知らずの人と結びついたほうが、実多い。

トマトがこの映画の題名になっているのも、このような大きな理由があるのだ。それにしても、映画の始まりはあまり良くないと思う。やはり、この映画を成立させようと思うならば、レンコン農家ではなく、トマト農家を描くべきではないか。わたしだったら、絶対トマトから始めるけれど。

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  • 坂井素思
    放送大学教員で、社会経済学領域を研究しています。