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2006/05/27

同窓会がはやる理由

卒業研究ゼミのため、神奈川学習センターへ行く。Aさん、Iさんともに、好スタートを切ったので、このままゴールへ向かって、論文作成を進めていただきたいと願っている。

ゼミが終了して事務室で話していると、所長のH先生が現れて、お茶をご馳走してくださるという。放送大学本部仕込みの(?)、本格的なお茶である。お湯がポットなのは研究室で仕方なかったが、その代わり、お茶菓子は立派な栗入りの上品な餡ブロック風の和菓子であった。

今日は、これから小学校の同窓会幹事会へ出席だということで、なにやら楽しげであった。思わず、同窓会のどこが楽しいのかと、失礼を顧みず、尋ねてしまった。

二年生のときに、担任だった女性の先生から、男女同権、民主主義の薫陶を受け、そのことを思い出として話したら、先生が喜んだそうである。三年生のときに、教室間の対立があり、二人になってしまって逃げていたら、授業が始まってしまい、授業中ずっと立たされたという記憶があるそうだ。

これは他人に言っても、何も面白い話ではないと思う。じつはわたしにも、ちょうど三年生のときに、同じく喧嘩をしていて、二人とも授業に遅れ、立たされて、罰として平手打ちを食らったという、楽しい思い出がある。と言っても、他人にはピンと来ないだろう思われる。

本人達には、周りの状況、重奏した時間、みんなの反応などあらゆる記憶が押寄せる瞬間なんだと思われる。だから、たとえ同じ話をしていても、共有する状況が異なれば共感も得られないし、逆に、互いに記憶が違っていても、共有する状況が同じであれば、それで充足するのだ。

もちろん、だから嫌なんだ、という臍曲がりの人もいることはわたしの経験上あって、それも分かるが、事実としてみれば、過去の記憶のなかでも、小学校のときの思い出は特別である。他人にはわからないけれども、当事者達にはひとつの瞬間に特別の凝縮のはたらく一瞬が存在するのである。

そして、果たしてその通りであったのか、時間を共有した同窓生に確かめて見たいのだと思われる。

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  • 坂井素思
    放送大学教員で、社会経済学領域を研究しています。