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2006/05/26

千葉大のデザイン展

金曜日の夜8時まで開館しているというので、千葉市美術館で開催中の「戦後日本デザインの軌跡」を見てきた。

千葉大工学部工業意匠科出身のデザイナー達の足跡である。このように言われてしまうと、わたしのような素人には、いかにも卒業展示のような感じに聞えてしまう。けれども、そうではなく、この展覧会には、わたしたちが実際に生活のなかで使ってきた、実用的で、記憶に残っているプロの(とわたしが言ったら、かえって失礼な)作品・商品群が展示されていた。

入り口に並べられたオートバイ、入ってすぐ正面に置かれたトランジスタラジオ、扇風機、自動車、カメラなどに始まって、化粧品、洗剤容器に至るまで、年代順に並べられており、これはそのまま日本人の消費生活そのものを現わしている。授業で取り上げた、初期の「ウォークマン」、あるいは一世を風靡した「キャノネット」のカタログなども出品されていた。

さて、デザインとはなにか、ということである。これらの作品群を見ていると、デザインがデザインとして意識されるようなデザインは、デザインとはいえないのではないかと、率直に思った。

良い商品ほど、商品とデザインは一体化している。と、過去のものを眺めていると思えてくる。つまり、生産者と消費者の距離を縮める機能を、良いデザインは持っている。

デザインの意味には、たくらみ、企て、陰謀、はかりごとなどの人為的、作為的意味の語句が含まれていると、辞書には書かれている。けれども、素晴らしいデザインほど、その人為性や作為性が目立たなくなり、デザインは作品や商品のなかに溶け込んで、必要不可欠の構成物のひとつとなっている。

そのデザインがなければ、その商品も成り立たないほど重要で、しかし実際に使われて真価を発揮するようなものがデザインなのだと思った。

展示のかたすみに、半透明のトレーシング・ペーパーに手書きの鉛筆で描かれたデザイン素描が出展されていた。ここには、あきらかに人為性があり、あふれるばかりの作為が存在すると思った。つまり、良いデザインというものの人為性や作為性があらわれるとすれば、このような生産過程でしか、現れないのではないかと思った。

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プロフィール

  • 坂井素思
    放送大学教員で、社会経済学領域を研究しています。