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2006/04/17

もぐりの学生

これまで2、3回会ったことのあるQ君が講義室の一番前の席に座っていた。一緒に喫茶店へ行き雑談をしていると、「もぐり受講」について、どう考えるかと問うてきた。

Q君は常習のもぐり学生で、あちこちの大学を回っているらしく、それが自分の存在理由のひとつともなっていると、失礼ながらわたしは思った。

どうも、わたしのところに来る直前に、ほかの先生の意見も求めたところ、真っ向から否定されてしまったらしい。

理由として、「講義授業は『売りもの』であり、ただで聴くのはフリーライダー(ただ乗り)に等しい」ということを、その先生は主張したのだという。支払っている学生と支払わない学生との公平性の観点から見ても、やはりおかしいとも言ったのだそうだ。

彼は怒りと意気消沈とが一度に押寄せている状態になっているらしい。確かに、Q君が腹を立て感情を高ぶらせるのも分かるけれども、Q君にもまったく非がないわけではない。

このテーマは、先生と学生との結びつきを考える上で、たいへん面白い観点を含んでいると思う。

先生は何のために講義を行っているのか、という根本的な問題がそこにある。もちろん、受講者に対して高等教育の知識を伝達していることは間違いない。また、先生もそれで口に糊していることも確かだ。

が、それだけに終わらないのだとわたしは思う。講義に対して、授業料が支払われる以上のことがなければ、先生も講義を行う理由が半減するし、学生もつまらないと思う。それ以上のものとはなにか、ということはたいへん難しいところである。

Q君が言うのは、授業料収入では大学はやっていけず、税金が投入されている。だから、もぐり受講を行う正当性があるのだという。支払の観点だけならば、この意見は正論である。

けれども、やはり大学というところはそれ以上の何ものかであってほしい。少なくとも、社会全般の文化水準を担っているのだという自負がなければやっていけないのではないか。

あえて言えば、もぐり受講を呼び起こすほどの何かが起こらなければ、つまらないと思う。

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  • 坂井素思
    放送大学教員で、社会経済学領域を研究しています。