2017/02/10

映画「幸せなひとりぼっち」を観る

Photo 最近、ずっと家で原稿を書いている。孤独を満喫していると非難する人もいて、これをかわすのには工夫がいる。本当のところ、家には妻がいるからそうゆうわけではないのだし、家から1歩も出ない日も結構あって、運動不足も重なり、一人で作業を行うことに苦労がないわけではないのだ。さらに、ずっと原稿を書いていると、持病の肩こりが激しくなるという自分からはなかなか離れられないので、これはこれで困っている。以前は、鉛筆やボールペンのせいだと思っていたが、パソコンに向かうようになって、キーボードを打つようになってからも、依然として、肩こりは午後の2時くらいには手から登ってきてしまう。ここで運動習慣のある人ならば、外へ出て、身体を動かせば良いのだけれども、残念ながらその習慣を持っていない。

 

そこで、手と頭だけで作業を行なっている状態から、なるべく全身で「書く」ことを行おうということで、経済学を勉強するものは、アダム・スミスの例を知っている。彼は国富論を書くときに、自宅で口述筆記を行なった。スミスのように、口述筆記人を雇ったり、テープ起こしを依頼したりする余裕は、この研究費が毎年削られているご時世では、到底望むべくもないので、最近はパソコンの音声認識を、肩の凝ったときには試すことにしている。声を出すことで、なんとなく勢いがつくし、頭と手との間が動いているという感覚が良いのだ。もっとも、音声認識ソフトが不完全なので、声に出したことの半分くらいしか認識しないので、原稿への実利はないのだが、運動不足解消ということであれば、許せるというところかもしれない。

 

それでも、映画を見る方が圧倒的に、肩凝りには効くと思う。今回観た映画には、珍しく良い邦題がつけられている。たぶん、原題は「オーヴェという男」というのではないのかな。これよりは、ずっと「幸せなひとりぼっち」という題名の方が良い。この映画を見ていくと、じつは「ひとりぼっち」、すなわち孤独がテーマとは思われないかもしれないのだ。むしろ幸せなのは、周りの仲間との交流にこそある、ということがテーマのように思えてくるような内容の映画なのだ。それにもかかわらず、あえて題名を「幸せなひとりぼっち」とつけたところに、この映画の意味がある。

 

なぜ「ひとりぼっち」が幸福なのか。これがこの映画の一番面白かったところである。主人公のオーヴェは、愛する妻を持っていた良い夫で、綺麗で倫理的なコロニー的共同住宅地の自治会長だったし、40年以上勤めた鉄道マンという日常生活を持っていた。ところが、すべて失い、自らの命を縮める決断をするところから、この物語が始まることになる。妻を失う孤独、自治会長を奪われる孤独、辞職勧告を受ける孤独などが、孤独の原因なのかと映画を見ていく中で、最初はそのように思ってしまうのだ。

 

ところが、この映画がスェーデンで歴代3位のヒットを飛ばし、5人に一人の人が見たという点は、並みの孤独とは異なる孤独が描かれているからだと、思われる。なぜオーヴェは自殺を企て失敗するのか。ここに理由が凝縮して現れているのだ。それは、妻が亡くなり妻から自由になったにもかかわらず、本当の自由をつかんでおらず、妻の思い出から離れられないからであり、また、共同住宅地の面倒を見る義務がなくなったにもかかわらず、共同住宅地に固執しているからであり、さらに親子二代勤めた鉄道局からの自由も、「白シャツ」という官僚主義の抑圧という形で、得られていないからである。つまり、自分からの自由、自分の我執からの自由が得られていないことから、自殺を図っているのだ。何回かの自殺未遂を繰り返す中で、自らの孤独というものの意味が明らかになっていく。

 

「幸せなひとりぼっち」的孤独というのがあるのだと思われる。ふつう、孤独は連帯が得られないから孤独なのだ。ところが、「幸せなひとりぼっち」的孤独というのはそうではなく、描かれた理想的な連帯を持っていた自分というものが得られないようになったから、オーヴェは孤独なのである。ほんとうの孤独ではないのである。孤独になれない孤独なのだ。ところがやがて、ほんとうの孤独に目覚めていき、最後は無事往生を遂げることになる。最初は愛する妻を忘れることができないから、自殺を図ることになるのだが、最後は愛する妻から離れることができたから、無事本来の自分を得て死んでいくことができたのだ。

 

Images1 モンテーニュも「孤独について」で言っている。「孤独なるものの目的とは、ただひとつ、そうすることで、よりゆったりと、気楽に生きることだと思う。けれども、人はその道筋を、かならずしもうまく探せない。仕事から離れたぞと思っていても、それを取り替えただけのことが多いのだ」。それにしても、オーヴェが最初に、妻と列車の中で遭遇する場面は良かったな。こんな思い出があると、なかなか妻の記憶からは逃れられない。

2017/01/24

フランク・ロイド・ライトの椅子と建物を見に行く

P1016912 池袋へ出る用事があったので、以前からずっと行ってみたかったフランク・ロイド・ライト設計の自由学園「明日館」へ寄ることにする。駅から10分くらい歩いた、ちょっと入り込んだ住宅街に位置している。

 

P1016916_2 じつは、2、3歳の頃、ということは幼稚園就学以前ということになり、ほんとうに記憶が定かであったのかというところもあるのだが、ここから歩くことができる距離にある西武線椎名町の北側に住んだことがあった。父が当時下町にあった高校の教師を勤めていて、この近くの分譲アパートに住んで、通っていたのだ。空き地に草むらが広がり、まだトカゲなどが出る場所のあった頃だ。さすがに池袋近辺なので、すでに田園風景はなかったけれども、まだ利用されない空き地は存在していた。

 

P1016917 裏道をぐるっと回って、立教大学を通って、学大付属豊島小学校裏に出ると、すぐ池袋駅だった。それで、父が教師だったこともあって、お金があったら、自由学園へ入れたかったなどと言うこともあったのだ。P1016937 母は、映画が好きで、アパートの1階に住んでいた友人と一緒に、わたしを連れて、目白にあった映画館に通っていたから、その帰りの散歩でもきっと、この明日館の前を通ったりしていたことだろう。

 

P1016908 正面の広場へ出る前に、左に「婦人之友」社が見え、右に曲がると、「明日館」が見えてくる。第1印象は、正面ホールとそれから左右にシンメトリーに広がる講義室群だ。P1016926 何しろ、横に両翼を伸ばした大きな鳥のような屋根を持つ低層の建物群があり、その前に大きくゆったりとした何もない空間が存在していて、一つの宇宙を構成しているようだった。遠くに見える池袋のビル群が近代的であるのに対して、こちらの空間は非近代的な空間を実現している。

 

P1016911 門が二つあって、右の見学受付の前には、2時から始まるガイドツアーを待っている人々が集まってきている。前もって、写真だけでも取っておいて、ガイドツアーはゆっくり聞くことにする。P1016953 けれども、結局はガイドで詳細に紹介されると見所が変わってきて、ツアーの後に写真をとることになったところも出てきてしまったのだ。とくに印象に残ったのは、菱形のステンドグラス風の窓のある正面ホールということになるだろうが、ところが一旦中に入って観ると、ホールの裏にある食堂の素晴らしさがじわりじわりわかってくるのだった。

 

P1016938 なぜそうなのかと言えば、これはわたし特有のテイストなのだが、やはり「椅子」との調合具合いが良いという点に尽きる。ホールにある菱形の背板をもった、学校椅子も洒落ているが、ここの食堂椅子も赤いアクセントが効いていて、テーブルと調和している。100脚くらい制作するというので、木材の幅を揃えて、大量生産に備えたそうだ。さらにこれらと、大谷石の暖炉がある食堂との整合性が取れている。ことに木製の照明器具が凝っている。P1016966 「有機的建築」というフランク・ロイド・ライトの標語が響いてくるようだ。ライトの言葉を直接引用すると、「椅子はそれが置かれ使われている建物に合わせて、デザインされなければならない。P1016932 有機的建築では椅子は機械器具のように見えてはならず、建物がつくり出す環境の優雅な一員として見えなければならない」と述べている。

 

P1016956 椅子が並んでいて、昔の椅子より現在の椅子は、一回り大きい。体格が違ってきたということらしい。この菱形の背板椅子は、制作者不明ということだが、明らかにこのデザインは「フランク・ロイド・ライト」を意識したデザインであることは間違いない。食堂椅子は、弟子であり、この食堂を改造した遠藤新の設計になるものらしい。当初、この食堂には、東側、西側と北側にベランダがあり、下から上までの大きなガラス扉があったのだというのだ。P1016984 ほんとうのところ、光がいっぱい入る、その食堂を見たかった。現在は、ベランダは食堂と合体されて、三つの小部屋として繋がっている。これで、60名程度の食堂が、さらに数十人規模膨れ上がって使えることになったのだそうだ。

 

P1016973 これらの建物群を見ていると、その昔、この地域には「池袋モンンパルナス」が展開して、松本竣介、靉光などの住んだ画家村があったし、戦後になると、漫画家たちの「トキワ荘」などがあったのだから、P1016944 もし時代が一致していたならば、上野と並んで、芸術文化の集積地となった可能性もあったのではないか、と思いを馳せたのだった。P1016989 P1016990 P1016972 P1016978 P1016943 P1016987 P1016952 P1016948 P1016925 P1016920 P1016963

2017/01/17

来年度放送する授業「色と形を探究する」の最終録画が終了した

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4 月から始まるテレビ科目「色と形を探究する」とラジオ科目「日本語アカデミックライティング」のテキストがはやばやと送られてきた。2年間かけて制作したのだ。 一緒に制作した先生方や、編集者・ディレクターの顔は浮かんでくるものの、手に取ってみると、原稿用紙に書きつけていた頃が夢のごとくであり、自分の手から離れてしまった文章がこのように活字となってしまうと、にわかに書きつけられた世界がすでに彼方の世界のように思えてしまう。とはいえ、授業科目なので、録画・録音したのちも、数年間は質問を受けたり試験を採点したりと、通常業務がついてまわるし、何度も考え直すことが出てくることになるだろう。

 

P1176852_2 思い返してみると、わたしはここ数年間、音や色や形や言葉などの「感性」というものに注目して授業科目を作ってきた。経済学からは少し離れるのだが、十分に社会科学の領域内で考えることが可能だったので面白いと思いつつ制作してきた。感性を媒介として、人と人とがいかに結びついているのかを考えてきた。今年は、特に「色と形」に焦点を結んで考えてきたのだ。かなり困難なこともあったのだが、それでも、得るものはたいへん多かったし、今後の課題も発掘することもできた。さて、このように成果物が目の前にあるのだが、学生の方がたはこれらをどのように受けとめるのだろうか。

 

P1176880 それで、今日はテキストが届いただけでなく、じつは授業科目「色と形を探究する」の第15回、つまり最終回の収録日なのだ。5人の担当した講師全員、N先生、S先生、Y先生、O先生、そしてわたしで最後をしめようということになっている。午後からの収録に、Y先生は早くから控え室にきていらっしゃった。準備としては、それほどないのだが、定番通りメイクアップする部屋へ行って、専門のスタッフによって、テレビ用のお化粧をするのだ。それが済むと、テレビの技術スタッフとの全体的な打ち合わせがあり、シナリオ案にしたがって、ディレクターがレクチャーして、ディレクター達は二階の副調整室へ入り、私たちはスタジオフロアでカメラの前に座ることになる。

 

P1176854 今まで数百回も行ってはいるのだが、いつもこの録画の流れに没頭するまでには時間がかかるのだ。それで大概はリハーサルというものを行って、スタッフと出演者が互いに確認し合うのだが、今回は慣れた先生方だけなので、それぞれの場面のリハーサルは行わずに、進めるところは進むだけ撮っていくことになる。これだけ慣れた先生方ならば、腹八分目でおおよそのところうまくいけばOKなのだ。P1176864 講義というものは、相手との間の了解なので、上手い下手はあるのだが、大方良好に伝わるのであれば、それで良いのだと思われる。対話というものは、この程度の曖昧さが必要で、あまりにびっしりと計画どおりに、一字一句正確に撮ってしまうと、身も蓋もない杓子定規の、聞くに耐えないものになってしまう恐れがある。ある程度の緩さが必要なのだ。

 

P1176875_2 自然科学における「色と形」と、人文科学における「色と形」、さらに社会科学における「色と形」が勢揃いした。それでわかったことは、「色と形」の現れ方が、時間的・空間的にかなり幅があるということだった。Y先生は何億光年にも及ぶ「色」の出現について述べていたが、次のS先生は現在目の前にある「色」というものの現れを問題にしていた。この隔絶した世界のあり方を、一気に並べて共通点や、相違点を述べてしまうという壮大なことを、この番組で行ったのだった。O先生の批評が当を得ていたと思われる。P1176853 客観的な「色と形」から主観的な「色と形」、表層の「色と形」から深層の「色と形」、作り出す側の「色と形」から受け取る側の「色と形」などなど、この多様な幅のある「色と形」にはまだまだ探究すべきことがたくさん残されているな、というのが率直な、録画後の感想だった。けれども、「色と形」を様々な角度から考える「橋頭堡」のようなものをここに築くことができたのではないかと思われる。わたしたちが生活する中で、常に分子レベルの色彩を感知する細胞を意識しながら、「青」という色を認識するわけでもないのだ。生物学的な認知と、心理学的な認知と、さらに社会科学的な認知には、ある程度の距離があって当然だということもおぼろげながらわかってきたのだった。

 

P1176881 さて、いよいよ夕方になって最終回の打ち上げ会だ。近くのイタリアン「Oreaji」にて開いた。この科目を企てたH先生も加わってきた。天文学のY先生は、今年度で定年となるのであるが、タイミングの良い?ことに、ちょうど今日が古希の誕生日だということであった。S先生の取り計らいで、このような誕生日プレートが用意されて、打ち上げ会も盛り上がったのだった。P1176897 考えて見ると、通常の大学では、天文学の先生とこんな雑談をする機会は、社会科学者にはないし、ましてや同じ授業科目を作ってしまうなどということもないのだ。今回は、「日本語アカデミックライティング」とこの「色と形を探究する」の二科目で一緒して、自然科学的「感性」と社会科学的「感性」の共通点と相違点を考えることができたのは、もちろんすべてを理解したわけではないとしても、たいへん稀有な体験であったと感謝している。

 

 

P1176887_2 また、今回の収録では、3人の先生方がガテマラ取材を成功させていて、その時のシャーマンなどとのやりとりも、学問を超えた話として興味深いものだった。このやり方をもう少し最後の番組で反映させればよかったとも思ったが、それはあとの祭りとして、謹んで今後の課題として楽しみに残しておいても良いのだと思ったのだった。P1176902_2 さてせっかく、「色と形」という小さな窓が空いたのだから、一方的に窓から見える風景だけでなく、外からそれぞれの部屋へ闖入して、それぞれの研究分野へと重ねることができればということだが、それにはもっと時間が必要だろう。P1176901_2 けれども、少なくとも受講生の方々の中では、このような窓が開くことになるのだから、風の如くに存分に部屋に入り込んで、いろいろな「色と形」の姿を見ていただきたいと考えている。とにかく、一つの終わりと、もう一つの終わりの始まりとがあったのだ。


2017/01/08

京都御所の隣、新島会館でゼミを開催する

Img_5747 宿を京都の四条にとっていたので、寺町通りへ出て、ひたすら北へ上っていく。京都市役所の横を抜け、喫茶店エイトの前を通り、二条通りを超えると、左に三月書房があり、右に明日行こうと考えている民芸品店がある。Img_5748 これらを眺めながら、御所の南へ出た。そこからすぐのところに、新島襄・八重の旧宅に隣接して、今日のゼミが開かれる新島会館があるのだ。着くとすでに5名の方々が準備を行なっていて、程なくみんな到着して、総勢20数名のゼミ開催となったのだ。

 

Img_5744 大学の外でゼミを開くことに、わたしはずいぶんと、これまでこだわってきた。毎月開かれるゼミは、日常的な作業の報告に費やされて、それをチェックするだけで精一杯だ。ところが、一歩外へ出てゼミを開くと、非日常的な発表を行わなければならない、という心境になってくれる。発表するという意識が表に出て、他者を説得しなければならないという要素が濃厚になる。通常のゼミでは時間制限がないような議論ができたのであるが、外でのゼミでは20分ぴったりで終えなければならないので、表現が絞まる必然性が出てくるのだ。Img_5737 それで、これまでと違った発表を行うことになる。先生がたや先輩たちが聞いていることに対する緊張感も重要だ。ちょうどM1の人びとが先行研究の整理を終え、M2へ進み、論文を書く体制への転換期になっていることも関係して、外に出てのゼミの効果がちょうど出てくるのだと思われる。

 

Img_5752 今回の冬季ゼミのテーマは、論文の中核となる部分を発表するということになっていたので、ゼミではかなり本質的なところが出てきていたと思う。昨日と同様、参加学生以外に、I先生、S先生、A先生、それから今日だけ参加のS先生に加えて、OBのY先生、Hさん、Yさん、Fさんの8名参加し、さらにM2のAさんともうひとりのAさんも議論に加わってくださった。したがって、M2の方々2名の報告(成年後見制度論とセカンドキャリア論)を含めて、12本の発表が行われた。相変わらずの多彩なテーマが並んだのだ。

 

ナチス政権と民主主義体制

地域の変容と公的・民間セクターの役割

中国の対日経済交流と政経分離

スローシティとまちづくり

日本の社会政策と労働

地方圏学生の地元志向

地域とソーシャルキャピタルの育成

総合交通体系と民間航空の役割

地域の生活時間と余暇活動

宗教における社会貢献活動

 

Img_5739 今後、今日発表した論文の「山場」となる議論を中心として、順調に肉付けを行なっていってほしいと願った次第だ。最後のあいさつでは、先生がたの指摘はいつもながら鋭かったし、最後に聞いた参加者の同期の方々への反省の言葉も容赦なかったので、参加した皆さんの心の中には、かなりの蓄積物がお土産として止まったことだと思われる。この辛口の応酬にめげず、それを糧として、後半戦でも頑張っていただきたい。

 

Img_5759 さて、程よい時間になったので、懇親会の開かれる料理屋チェーンの店へ行く。歩いて、10分程度だ。あいにく雨が降ってきた。目的の場所は、京都の繁華街である木屋町を流れる高瀬川の源流の場所だ。江戸時代の豪商角倉了以の旧邸があったところで、さらに明治時代には、山縣有朋が第二無鄰菴を構えていたところである。Img_5763 あちこちに、石の標べが立っているので、それと知らされる。庭を鴨川から取水した水路が通っていて、それが高瀬川へ流れ込んでいる。それを利用した日本庭園が作られている。庭の起伏は意外に激しくて、池が作られているように見えるのだが、これが流れているのが特徴で、むしろ川が通っているという印象なのだ。取水を利用した庭の典型例だと思われる。


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Img_5779 懇親会なので、非公式なおしゃべりが主体になるのだが、真面目な方は、昼間の議論を思い出して、さらに突っ込んだ議論を繰り広げている方々もいらっしゃって、多彩な懇親会となった。    わたしもいくつかの相談を受けることになったのだが、すでに料理が回り、お酒も十分に入っていたので、相談への対応がきちんとできたのかは、少し心配になる。Img_5783 本当のところ、懇親会もゼミの重要な一貫と考えているので、真面目な相談も歓迎したいところだ。懇親会の幹事のOさんとTさんと教育支援者のKさんには、たいへんご面倒をかけたが、おかげさまで会はたいへん盛況だった。Img_5786 Img_5785 Img_5784

 

Img_5794_2 二次会は、この店の料亭風の門を出て、高瀬川沿いに十数メートル下ったところにあるカフェへ入って行うことになった。この店は、友人のK君が存命中によく一緒に来て議論した場所でたいへん懐かしい。Img_5795 店のオーナーは変わってしまったけれど、たっぷりしたコーヒー碗があって、チョコレートケーキを一緒に取ったのだ。ゼミOBYさんは、昨日の夜行バスできて、朝の京都タワーで風呂を浴び、今日も夜行バスで東京に帰るのだそうだ。Img_5799 このような行動ができるのであれば、京都合宿もそれほど重荷ではない。彼はバスの時刻まで、時間を潰す必要があるとのことだった。雑談の内容は、最近よく話題になる「働き方」の話になって、10時を過ぎるまで議論が続いた。外でのゼミの効用は、夜がたっぷり使えるというところにもあるのだ。


Img_5809_2 宿への帰り道、麩屋町辺りに画廊やギャラリーが並んでいて、麩屋町ギャラリーのいつものオランダタイルも素敵だったけれども、現代画家のギャラリーのゼロ年代世代作家のものも、かなり目立ったのだ。数百万円の値段付きで飾られていた。今の心境は議論をしてスッキリしていたからこのようなものではなかったけれども、今日の天気はこのような感じの空模様だったので、掲げておくことにしよう。



2017/01/07

今年の仕事始め

Img_5729 今年の仕事初めも、例年通り京都からだ。修士論文の面接審査と大学院ゼミナールなどで出張なのだ。京都に来て、修論を読む以外にも、お正月早々良かったことがある。12月初旬頃から、老化に因る右膝の痛みがずっと続いていて、朝起きての階段下りでは、膝を曲げることが難しくなっていた。きっと水が溜まっているのではとは思っていたのだ。ところが、京都に来て、一日目は痛かったのだが、二日目の朝からほぼ痛みを感じなくなり、階段も楽に上り下りすることができるようになったのだ。Img_5736 重い荷物を持ったのが良かったのか、水が良かったのか、それとも、行いが良かったのか、いずれにしてもこの旅の何かが膝に良かったことは間違いない。1ヶ月で治ったのを考えると、五十肩のようなものだったのかもしれない。今年の仕事も、おそらくこのように老化との並走ということになるに違いないのだと覚悟を決める。

 

Img_5734 まず、修論審査を行った。修論を提出した学生たちに「キャンパスプラザ京都」へ来てもらって、朝から一人30分くらいずつの間隔で審査を行った。それぞれ指導教官が異なっていて、島根大学のI先生、近畿大学のS先生、同じくA先生にお願いしている。先生がたには、毎年お正月を潰させてしまって、申し訳ないと思っている。けれども、学生にとっては二年間の成果が現れる時だ。タイから一時帰国して駆けつけて来た学生もいる。沖縄の赴任先から、このために来た学生もいる。やはり、力の入った論文を読むのは、先生がたにもわたしにも、かなりの喜びをもたらすのだ。完成したという感覚は、互いに議論していて、何ものにも代えがたい。Img_5721 借りたキャンパスプラザの研修室の時間ギリギリまで、審査を行ったのだった。印象深かったのは、「多面的機能支払」に関するTさんの論文だった。わたしのテキストから「フォーマル化作用」を使ってくださっているのだが、今回はそれに、E・オストロムの「プーリング作用」も解釈して加えていて、もう一押しで素晴らしい論文になるような予感がしたのだった。

 

1 夕方には、審査が終了して、ポッと時間が空いた。こんな時には、やはり四条の京都シネマへ足が向く。今年度の「出張先で映画」初めは、硬いところで、「ヒッチコック/トリフォー」を選んでいたのだが、昨日尊敬している友人のツイッター批評を見ていたら、「こんな対談だったら、ヒッチコックとトリフォーである必要はない」などという酷評が書かれていたので、急遽見るのをやめることにしたのだった。

 

観たのは、原題が「フーシ(Fusi)」という、アイスランド映画だ。英語原題が「バージン・マウンテン(Virgin Mountain)」、邦題が「好きにならずにいられない」だった。次第に改題・改悪されていくのがわかる。それにしても、とりわけ最後の「好きにならずにいられない」はまったく内容と合っていない、酷い題名だと思う。2番目の題名も、「山のような男が女性に無垢であった」という意味を比喩的に表していて、なんとなくわかる気もするのだが、ちょっとからかっているような響きが気になる題名だ。やはり、全体を表しているのは、「フーシ」という題名だと思われる。この一人の男が映画の中心なのだから。

 

Img_5720 太っていて背が高い大男「フーシ」は40代独身で、母親と暮らしている。空港で荷物の積み下ろしの仕事を行なっている。この場面から始まるのだ。広大な空港で、荷物車が一台進んでいくという場面が良い。アイスランドの寒く荒涼とした中での「孤独」を表しているシーンだ。職場では、同僚から馬鹿にされ、苛められている。けれども、オタク的趣味として第二次世界大戦の模型で戦争ごっこを行うのを楽しみにしている。このオタクの友人が不思議な人であり、また職場の上司の対応がふつうで面白い。孤独なのだが、まったく孤独なわけではないし、本人は孤独で悪いとは思っていない。ある日、母親の愛人からダンス教室の切符をもらう。彼はダンス教室の帰り、横殴りの雪嵐の中で、一人の女性「シェヴン」と出会う。彼女は花屋で働いているのだが、精神的な問題を抱えている。ここから、フーシの物語が始まることになる。あとは、映画を観て欲しい。

 

Img_5709 アイスランド的孤独とでもいうのであろうか。孤独とはなんなのか、ということがテーマの意図なのだが、それが少しずつ伝わってくる。雪に閉ざされ、心を閉ざして、部屋にも出ることができずに、レストルームで孤独を感ずる。アイスランドでは、このような個人的事情は当たり前に起こることであるようだ。それはフーシの上司の態度でもわかるし、シェヴンの勤め先の花屋の主人の言葉でもわかる。ごみ収集の仲間でも、一歩間違えば、このような状況が存在することになりそうだ。

 

 

Img_5713 その中で、フーシのあり方は淡々としていて、最初は消極的に見えるのだが、観ていくうちに、意外に積極的にみえてくるから不思議なのだ。孤独であっても、孤独を積極的に生きることは可能だということだ。孤独にも色々な孤独があって人好き好きだとは思うのが、孤独の多様な類型を確かめ、このような孤独のあり方もありうるということを追求した稀有な映画だと思う。日本語の題名はいただけないのだが、それ以外はとても良い映画だった。今年の映画は豊饒になる予感があって楽しみだ。宿への途中、パンの「志津屋」の元祖ビーフカツサンドを頬張りながら映画を反芻したのだった。夜のコーヒーは、京都駅地下店で買った小川珈琲のガテマラだ。

2017/01/01

今年もよろしくお願いいたします

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今年もよろしくお願いいたします。

 

12時を回る頃、思い立って初詣に行こうと家を出た。昨年は放送大学の授業科目「音を追究する」のラジオ放送で使う「除夜の鐘」を録音しようと、近くの弘法大師由来の弘明寺の鐘楼の下へ出かけて行って、10テイクほどの音を収集していた。それから、周辺の寺を回って、他の音も収録しようと、このS寺へも訪れたのだった。

 

今年は最初から、家から5分ほどのこのS寺を目指した。ちょうど近辺の家々から人びとが出てきて、この寺を目指して集まってきていた。玄関を入り、すでに満員の大広場を通り抜け、本堂に入り、左の縁側に設置された除夜の鐘をついてから、拝礼することになる。ここに至るまで、きわめて親密なコミュニティの世話があり、最後には極め付けの甘酒が振る舞われた。お汁粉もいかがかと尋ねられたのだった。

 

Img_1863 横浜の都会の真ん中にあるにもかかわらず、このようなコミュニティシップに満ちたお寺がまだまだ存在しているのを確認できたのだった。横浜の霧笛の音も良いけれども、除夜の鐘の響きも良いものだと思ったのだった。娘と一緒に甘酒をすすりながら、家へ戻った。

2016/12/30

デトロイト美術館展で今年の見納め

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原稿の締め切りが迫っているのだが、毎年同じことを言っているので、家族のみんなは本気にしてくれない。それを幸いと見るのか不幸と見るのか、この歳になってくると自分でも判定できない。Img_5577_2 母が存命中は千葉へ行く必要があったので、ついでに幕張の研究室に大晦日までこもって原稿書きを行なっていて、守衛さんたちから「今日まで仕事ですか」と笑われていたのだが、大学には他にも大晦日まで仕事を行なっている先生方が毎年何人かいらっしゃるので、かなり変わり者であることは間違い無いのだが、唯一の変わり者では無いことを毎年確認してきたのだった。

 

Img_5572 ところが、母が亡くなって、幕張へ大晦日に泊まる口実がなくなり、大晦日を自宅で過ごすようになってくると、大掃除やら買い物やら、年の瀬に済ませなければならないことが目白押しで、研究室にこもっていた頃が懐かしいとさえ思えるのだった。

 

Img_5544 上野で開かれている「デトロイト美術館展」の切符があるよ、と娘が誘ってきたのを幸いと見て、程よい仕事の切れ目を潮時とし、朝には家を抜け出した。娘が以前本郷三丁目に住んでいた頃に、湯島近辺で美味しい料理店を開拓してあり、それを期待して、地下鉄の湯島駅で待ち合わせて、Img_5541 まずはフランス料理の店へランチ目指して行く。ところが、店には張り紙がしてあって、本日予約で満席だとのことだった。Img_5576 こんな調子だとイタリア料理のピッツアの店も同じ状態だろうということで、方針を変えて、近くの日本料理の店に早々に入ってしまう。金目鯛専門店だった。金目鯛丼膳を注文する。

 

Img_5552 湯島天神がその店を曲がった正面近くにあった。学業の神様なので、今年の商売繁昌を報告して、感謝のお参りをする。ここには、受験生たちの合格祈願が殺到していて、絵馬を掲げる立て看板がずらっと並んでいた。読んでみると、みんな欲張りで、T大、W大、K大、R大などとずらっと受験校を書いて、祈願していたのだ。Img_5556 でも中には、親御さんたちだけの絵馬が掲げられていて、息子や娘の合格祈願をそっと願っている絵馬があって、好ましかったのだ。それから泣かせたのは、教師の絵馬で教え子が目的の試験に受かったことを感謝していた。教え子のチカラは信じていても、あとは神頼みというところは、確かにあるのだ。

 

Img_5571 湯島から男坂、女坂を下って、枯れたハスの花が茫々と続く不忍池を迂回し、上野の「時の鐘」を遠望しながら、日本芸術院の隣にある「上野の森」美術館へ出る。Img_5562 印象派とドイツ表現主義を中心としたポピュラーな絵が目白押しだった。たとえば、代表となる作品は、何枚かある有名なゴッホの自画像の一枚がきていた。ゴーギャンやセザンヌなどもそれぞれ教科書に出てくるような作品の次に控えているようなものがそれぞれきていた。

 

Img_1817 今回の中で、長く眺めてしまったのは、オスカー・ココシュカの「エレサレム」と「エルベ川、ドレスデン」だ。近景と遠景が斜め上下に分けられていて、絶壁や川によって、中間が仕切られている。ココシュカの人生全体を表しているかのようだった。Koljerusalem けれども、この景色、とりわけ遠景部分は秀逸で、不思議な盛り上がりを見せている。ココシュカの絵画では、恋愛関係にあった有名なマーラー夫人を描いた「肖像画」や「風の花嫁」などの人物像をよく目にしていたので、これまであまり注目することがなかった。Img_5592 けれども、今回の二枚ともに風景画であり、なおかつ、近くと遠くを独特の世界観で描いていて、興味深いものだったのだ。娘は、マティスの「窓」が良かったらしい。この絵の中の椅子やテーブルや窓の一つ一つを見て行くと、何の変哲の無い普通のものが並んでいるに過ぎない。それぞれの絵だって、特別に素敵なわけでは無い。Img_1821 ところが、この絵の前に立つと全ての人びとに、これは「マティス」なのだとわかるのだ。この明確さは、なんなのだろうか。

 

Img_1839 正岡子規球場の前を通って、国立博物館前を横切り、芸大の喫茶店と赤煉瓦の建物群を横目で見ながら、突き当たりの和菓子屋さんで、抹茶と和菓子のセットをいただく。Img_1858 丹波の大納言のゼリーが美味しかった。そのまま根津まで散歩して、千代田線と副都心線、東横線と乗り継いで、横浜の帰路へついたのだ。年の瀬のギリギリの散歩だった。Img_1861 Img_1849 Img_5546 Img_1841 Img_1852 Img_1853

2016/12/23

映画「君の名は。」を観る

Poster 先日、パン日和「あをや」を訪れたときに、O先生と「あをや」のご夫妻それぞれ、アニメ映画「君の名は。」を今度見ましょうということになっていた。動機は不純で、なぜ現在の日本人がこぞって、このアニメを見たのか、ということを知りたいからだ、ということだ。今年の8月に封切られ、この12月の時点で、宮崎駿監督の「千と千尋の神隠し」を抜いて、観客動員数と興行収入で日本のアニメ映画歴代1位となっていた。とくに、日常生活学者である、O先生は何故なのかを説明しなければならないという、義務感を強く抱くほどになっているとのことだった。そういうレベルまで達するほど人気が高く、2016年の一つの社会現象になっていたのだ。これは今年の、細やかではあるが、日本特有の事件ということになるであろう。

 

大方の見るところでは、今回の動員数増大の要因は、供給側にあるという、たとえば雑誌アエラなどの意見が有力な見方だとされている。新海監督作品の東宝の映画館にかける数が、前回は23館に止まっていたのが、今回は一気に300館に増えたから、販売力の強化が観客動員数に働いているものだ、という見解である。それじゃ、観客の方はどうだったのか、という疑問は残るのだ。

 

「出張先で映画を観る」シリーズの本年最終回を飾ったのは、この映画だった。いつも訪れる、四条にある京都シネマでは、最終回時間が早く、仕事が済むまでには、すべての回が上映開始していたこともあって、それならばというので、同じく四条にある京都マックスシネマへ、サンドウィッチと自前のコーヒーを持って駆けつける。客層がだいぶ異なり、わたしと世代のかなり異なる若者のカップルが多かったが、その中に混じって銀幕に集中して目を凝らしたのだった。京都では、やはり観光客であるという共通項があるので、世代の違いなどは超えてしまうところが良いところなのだ。

 

このような映画紹介では、ネタバレを注意しなければならないのだが、すでに8月公開であることもあって、またこれだけの観客動員数を誇れば、ある程度の筋書きは漏れている。そこで、ここではネタバレすれすれの最小限の情報を使うことをためらわずに行い、なぜ日本人が「君の名は。」をこれほど観たのかを僭越ながら考えてみたいと思う。

 

まず、このアニメ映画は前半と後半に分かれている。前半に感動したのか、それとも後半に感動したのか、という点で、見解は分かれるのではないかと思われる。前半は恋愛劇という普遍性を持っていて、これだけでも動員数はかなり稼いだと考えられる。後半は災害劇という特殊性を持っていて、現在の日本人全体へ影響を与える要素を濃厚に持っていると思われる。

 

前半の恋愛劇では、主人公の高校生男の子「タキ」と女の子「ミツハ」が夢の中で入れ替わる。片方は東京の男子校、もう片方は岐阜県の高校生で、それまで会ったことがない二人が夢を通じて、意識が入れ替わる。それぞれの人間の人格・肉体はそのままの状態を維持するが、行動する感性と理性がときどき代わってしまうという想定だ。もちろん、この設定自体は荒唐無稽な設定であることは明らかだ。

 

けれども、わたしたちにとって普遍的な状況が書き込まれていないとは言い切れない部分がこの映画の前半では表現されている。それは、他者が自分の意識の中に入ってくるときには、どのような状態になるのか、ということだ。たとえば、わたしの場合には、他者たとえば妻がわたしの意識の中に入ってきた時、どのような状態であったのかを思い出してみると、それはまさにふたりが同一状況を考える状態がそこに現われたという、普遍的な状況がそこには存在した。けれども、この時の記憶は一体誰の記憶なのだろうか、という単純な疑問は厳然と残るのだ。この普遍的なことを「入れ替わり」という状況で描いている点で、みんなの共感を得たと言えると思われる。この共感が一つのポイントであることは間違いないだろう。

 

けれども、映画の前半の恋愛劇以上に日本人の共感を呼んだのは、やはり後半の災害劇だったと思われる。第1に、ここ数十年の間にほぼ日本人全体ひとりひとりが何らかの災害に遭遇したという体験が蓄積されてきており、これらの災害はそれぞれ異なるけれども、共通して存在している日本人の間の「不確実さ」というものの共通感覚が存在するようになっているということだろう。この共通感覚をどのように表現したら良いのか、ということをみんなが求めていたということだ。あたかも空から降ってくるような、これらの災害を一体わたしたちはどのように受け止めたら良いのだろうかという、目の前の現実が日本人共通に存在するのだ。

 

第2に、災害でバラバラになってしまった都市や農山村・漁村が、もしもう一度何かを一緒に行おうと協力するのならば、そのときどのようなところまで降りていけば、その一致を見つけることができるだろうか。今もし日本人の心を一致させることができるとしたら、それはどのようなことなのだろうか、という社会の現状をうまくすくい取っている映画だと思われる。それぞれの災害体験は、異なるものであったけれども、日本人の共通体験の底にあるものが何なのかを、イラスト的に単純明快に、情報量を少なくズバッと描き出したのが、この映画なのではないかと思われるのだ。このことが後で考えてみれば、安易な描き方だと批判が出るのかもしれないのだが、少なくとも2016年のこの時期に必要とされた描き方だったと思われるのだ。

 

そして、災害の記憶という問題が提起されていた。記憶が残っていれば、バラバラになっても、それを結合する強い力が再生される可能性は残されているのだが、一度記憶が途絶えるならば、人と人の結びつきは完全に失われてしまうという、災害の現実があるのだ。

 

第3に、もしこの災害を避けることができたなら、その後の世界がどのようであっただろうかという、災害を受けた人びとの中には、現状維持したかったとする強い願望がある。これは今となっては、果てない願望かもしれないけれども、そして現実は映画のようには反転できないのかもしれないけれども、わたしたちの中には、限りない願望としてまだまだ残っている。これを胸にしまったままでいるよりは、何らかの方法で表に出した方が良いだろう。表現には限りはあるけれども、他方で限りないものを追求したいという強い欲求には止めることはできないものがある。

 

これらから考えるに、わたしの場合には、日本人の心を捉えたのは、やはり後半の災害劇のエピソードではないか、という結論となったのだ。もちろん、この災害劇は前半の恋愛劇と緊密に結びついてはいるのだが。さて、O先生と「あをや」のご夫妻はいかがでしょうか。

京都で博士課程のゼミを行う

Img_1800 博士後期課程の「経済学研究法」と「特定研究」の集中ゼミを京都で行って来た。京都学習センターでは、講義室が少なく限られているので、計画通りにゼミ室を取ることは難しい。そこで、学習センターの入っている、駅前のキャンパスプラザ京都の研修室を一日中借り切って、三日間に渡ってゼミを行ったのだ。島根、滋賀、大阪から加わってくる大学院生にとっては、駅前のビルは交通の便も良く、食事の心配もなく(一階に入っている「Kenya」は、学割が効くし、研修室まで出前してくれるのだ)、静かな空間が保証されている。

 

Img_5490 Fさん、Yさん、Hさんそれぞれにテーマは違っているのは、放送大学大学院的特性であって、縦に深く、さらに横に幅広くという大学の理念通りの課題を抱えており、好ましい議論ができる状況が現れたのだ。Img_1812 一人は消費者・生産者関係、一人は患者・医師関係、一人は被ケアラー・ケアラー関係で、内容や言葉はかなり異なるにもかかわらず、共通点もあって、大きな構図をみんなで描いているような気になってくる。朝から議論していて、気がつくと昼食となり、さらに気がつくと夕食の時間になっている。

 

Img_5511 そのうち、彼らの議論は査読論文などで現れてくると思われるが、それぞれの微妙に異なる点が他の人のテーマへ少なからず影響を与えていて、差異にこだわればこだわるほど、その差異が共通の課題となって現れてくるという、言葉で書いてしまうのは簡単だけれど、実際に現れてくると少し驚くようなことが起こっているのだ。Img_5515 この小さな差異となって現れる特殊な現象を一度解体して見ると、その底では原理的なところで結びついてくるという、意外な共通点が明らかになって来たのだった。

 

Img_5501 いくつかのキイポイントはあるのだが、それらは、消費者・生産者関係、患者・医師関係、被ケアラー・ケアラー関係のほぼ中間で問題になるという、きわめて普遍的な言葉で括ることができ、さらにそれぞれに異なる現象が生ずるところが面白いところだ。諸氏の健闘に期待したい。

 

Img_1807 ゼミの後には、京都で生まれ育ったHさんの紹介で、全面がガラス窓で、駅前広場が一望のもとに見ることができる、素敵なレストランへ入った。前に見える京都タワーが改装されたそうで、この塔のライトアップが当初は古い京都で違和感があったのだが、Img_5525 これだけの歴史を経ると、かえって京都のランドマークになっていると思われる。京都駅の成り立ちや、洛中洛外の話など雑談の方も盛んになった。このあといつものように、四条の方へ宿をとっていたので、夜には喫茶店「Kocsi」に出かけて、食後の甘い系統のパン数種と、コーヒーを飲んだ。Img_5519 Img_1808

2016/12/20

ラジオの最終収録

2017_4 年の瀬が迫ってくると、仕事もあらゆるものが最終を迎える。今日は、二年前からテキストを製作し、さらに今年度ラジオ講座を製作して来たものが、収録の最終回を迎えることになったのだ。『日本語アカデミックライティング』と題する放送大学のラジオ講座だ。書くことをとりわけ意識した論文作成講座なのだ。

 

ヨーロッパ経済史のK先生と日本語学のT先生が主任講師となって、天文学のY先生、教育社会学のI先生、そしてわたしが加わっての異なる専門領域の5名の先生による講座だ。先生方は、それぞれの専門領域で一家言を持つ方々ばかりなので、全ての番組に立ち会ったK先生とT先生は色々な意味でたいへんな思いで臨んだものと思われる。苦労が多かったラジオ制作だったと推察される。

 

けれども、こうして終わって見ると、かえって良いことばかりが思い出されて、多くの先生方と一緒に作る楽しさが思い返される。今回の中で、最も印象に残っているのは、番組の中へ挿入された対談者の言葉だ。

 

わたしは、今回おもしろいテーマをいただいて、二章分書いた。一つはこれまでも何回か書いたこともある「情報を調べる」という章であるのだが、これはこれで、今回書き直して色々と興味深いものがあったのだ。けれども、もう一つのテーマが変わっていて、「他者の言葉で書く」というものだった。この他者という言葉を使って、書くということを考えさせてくれるというので、二つ返事で飛びついたのだった。

 

それで、わたしの担当回の「他者と書くことの関係」についてはそれはそれで楽しかったのだが、それに加えて、今日の座談会でも、他の先生方からも興味深い話が飛び出して来たのだった。K先生のお話はとくに印象的だった。若い頃に漱石全集を購入して、日夜文体を真似したのだそうだ。そしてときには、字体までなぞったとのことだ。

 

もちろん、そのままを真似ること自体に意味があるのではなく、真似ることで自分の体内に文体や字体が浸透することが重要なのだ。おうむ返しのように、すぐに真似ることの結果を求めるのではなく、自分のものになったという確信が必要なのだ。他者が自分の中に入ってくるということは、思った以上に困難があり、これを克服しなければ、他者の言葉を使って書くなどということはできないということだろう。

 

じつはラジオにおける座談会は、時間との勝負のところがある。一人の話者が時間を取ってしまうと、他の話者は時間が少なくなるというジレンマがあるのだ。だから、何か言おうと考えている場合に、ふつうは自分のいうことだけを考えて発言すれば良いのだ。ところが、ラジオの座談会では、それこそ他者がこの次どのようなことを言うのかまで予想を立てつつ、発言しなければならない。今回の座談会では、この「他者」がどのように言うのかを意識しつつの座談会であり、時間がぴったりに終わったことから考えて、5人の先生方がそれぞれの発言ばかりか、他の4人の発言を考えながら、つまりは、他者の言葉を意識しながら座談会を行なったのだと推察されるのだ。


この時間のぴったり感は、文章を書くときには、すこぶる大事なものだと思われる。ぴったりしていれば、表現もぴったりするということだ。ぜひ来年4月から始まる『日本語アカデミックライティング』のラジオ放送を聴いていただければと思うのだ。

2016/12/12

触感の記憶について

 

Img_5467 五月に見てきた松本市美術館の子ども椅子展で、「座るのが好きなんです」という子どもを連れていた母親がいて、本源的な欲求として「座る」という趣味が存在することを改めて知った。寝ることと、立つことは人間の基本的な本能であることは、よく議論されるが「座ること」もやはり基本的な本能であると言えるのかもしれない。お尻が覚えている本能なのだ。

 

Img_5454 けれども、人間の姿勢の中でも、寝ることと立つことに比べると、動物たちとの対比ということになるのだが、座ることには何となく文化的な匂いがするような気がする。母親が椅子好きだから、また、いろいろな椅子を知っているから、座るという本能が開発されている子どもが存在するようにも思えるのだった。

 

Img_5463 じつは今日、ハンス・J・ウェグナーが北欧デンマークのPPモブラー社でデザインした椅子の展示が行われているというので、横浜から千葉への移動のときに、銀座で途中下車してアンティーク家具屋さんが並んでいる銀座の一角を訪ねた。「ダンスク・ムーベル・ギャラリー」という洒落た小さな展示室で、「クラフトマンシップの真髄」という展覧会だった。単なる見学のわたしにも、親切に解説してくださった。本来は、PPモブラー社の展示即売を目的としたものだっただろうけれども、このような催しは素人にとってありがたい。

 

Img_5469 エレベーターを降りて、展示室に入って、まず目立ったのは、主力とするラウンドチェアである「ザ・チェア」「ブルホーン・チェア」「カウホーン・チェア」だ。三脚並んで展示されていた。最初見たときに、真ん中の「ブルホーン・チェア」を食卓椅子の「エルボー・チェア」と間違えてしまっていて、なぜエルボー・チェアがこんなに大きいのか、質問してしまったのだ。Img_5473 素人のわたしに対して、鼻白む思いだっただろうけれど、顔色ひとつ変えない努力をしつつ応対してくださったのはありがたかった。もしかしたら、「ブルホーン・チェア」は鉄の足の食堂椅子の方をいうのかもしれないが、そうならばこちらは「ブル・チェア」というのだろうか。この角の肘木に特色があるのだ。

 

Img_5465 このような間違いを経て、かえってこの「ブルホーン・チェア」の素晴らしさをじっくりと見ることができたのだ。座ってみるとわかるのだが、食卓椅子と異なって、ラウンドチェア特有のゆったりした座り心地があって、とくに横の余裕が身体の自由度を保っていてちょうど良い。そして、何と言っても、肘木の部分がグッと前まで突き出ていて、同じくウェグナーがデザインした有名なYチェアのような中途半端さはないのだ。Img_5466 特に注目したのは、やはり「後脚」だ。以前にもこの欄でコメントし、さらにテレビ番組の中でも強調したことだが、Yチェアで有名になった、「斜め45度に柱が向いていて、二次元の素材を三次元的に見せる工夫」が施されている。しかも、Yチェアのように、細い木が使われているのでなく、たっぷりとした太い脚となっていて、さらに太い分だけ、木目が美しく現れていて、曲がった木がほんとうに綺麗だ。削りの手間に余念がないのだ。この椅子を見ただけでも、今日来た価値があったといえよう。

 

Img_5464 ザ・チェアは1964年のケネディ・ニクソンの大統領選挙時のテレビ討論のときに座っていた椅子で、その写真が有名である。わたしもテキストに取り上げさせてもらったくらいだ。脚に抜きを入れないでも、この堂々とした椅子のバランスを保っているという、北欧デザインの中核的な考え方が含まれている。

 

Img_5453 もちろん、他のウェグナー・デザインの事務椅子や食卓椅子も十分に素晴らしいのであるのだが、それにも増して存在感があるのだ。この三脚を一度に比較して座ることができたのはたいへんな収穫であった。さらに奥の部屋には、ウェグナーのデザインしたテーブルが置かれていて、Img_5455 その前には、独身者用の椅子として名を成した「バレット・チェア」が置かれていた。楽器のような、木の削りと組み合わせの精巧さを見せていて、その曲線に沿って思わず触って撫でて、それからそっと座ってしまったのだった。Img_5461 Img_5457

2016/12/10

卒論審査・発表会が幕張で開かれた

Img_5418 一年の中でも、果実の収穫時期という印象のあるのが、今日行われる、この発表会だ。外目には大したことなさそうに、思えるのかもしれないが、やはり発表者にとっては、一年間この論文を仕上げるためにかなりの時間を費やしてきており、思い入れの程度は並大抵のものではないはずだ。恒例となった12月の卒論審査・発表会が、幕張本部の研究棟で開かれた。始まる1時間前には、10人ほどの発表者たちがすでに集まっていて、資料の準備に余念がない。


Img_5390 会場でわたしの前の席に座っていた、北海道からいらっしゃったOさんから話しかけられた。姿を見ても気がつかなかったが、ラジオ授業を聞いていたので、声で分かりましたということだった。美声でなくて申し訳ありませんとわたしは謙虚に謝った。そしてさらに、先日の北海道学習センターでの面接授業の時に、廊下ですれ違ったのを思い出したとのことだった。こちらもまた、お見それいたしました。Oさんは力の入った気迫を感じさせる発表をなさったのだ。

  

Img_5421 わたしのゼミの、Kさん、Sさん、Oさんは、皆さん完璧と言えるほどに準備万端だった。あまり準備しすぎると気力が続かないから、少し抑制した方が良い、と助言したくなるほどだった。三人ともに、10分という、与えられた時間ぴったりに報告が終了するという出来だった。

 

Img_5441 わたし自身はネットでのゼミ運営がルーズなのであるが、本人たちがその足りない部分を互いに補い合っていた。同様にして、発表会のプレゼンでも、三人三様の自分の特色を生かした報告を展開していた。トップバッターのKさんは、全体を大きく掴んで、それをうまくサマライズして提示する能力に長けた方で、「社会は私たちの脳の中に存在する」という、壮大な研究計画の一部を今回発表し、一部の発表で全体像がよく見えないという欠点をうまく乗り越えていた。


Img_5401 Sさんは、アイディア豊かな方で、今回の福島県の只見町のつる細工という、ふつうの方は見逃してしまいそうな題材を取り上げつつ、「どのような条件のもとで存続可能なのか」という困難な問題に挑んでいた。挑戦的な論文になったのではないかと思う。Img_5424 只見町の隣の三島町の編み細工は有名なのだが、あえて有名ではない方を取り上げて、特色を出していた。Oさんは、バランスの良い、確実な思考を展開する能力の持ち主で、重点を定めてそれへ向かって着実に結果を出していたと思われる。この誠実さが発展を生み出したのだと思われるのだ。

 

Img_5446 あまり褒めすぎると手前味噌的に思われてしまうので、ほどほどにとどめておくことにするが、この三人の方がたのコミュニケーションの取り方には、素晴らしいものがあったのは事実だ。一人の方が問いを発すると、他の二人の方々が答えを返すという、キャンパスネットワークの掲示板のやりとりが歴代のゼミの中でも群を抜いて多かった。この点はここに記録として留めておこうと思うのだ。Img_5450 日常文をふつうに掲示板に書きつけることができるということは、やはり観念をはっきり記述する能力が高いのだと思われる。これはやはり、社会人のなせる技なのだと思われる。言葉を慎重に選んで、言って良いことと言って悪いことを的確に書き分けることができるということだ。


発表会の写真を多く撮ったのであるが、皆さんのメールアドレスをまとめて聞いていなかったので、送付できなかった。この発表会で報告なさった方で、もし自分の発表場面の写真をご希望の方はわたしのHPからのメールでお知らせいただければ、送付したいと思っている。どうぞ連絡ください。

 

 

2016/12/09

O先生と冬カフェ

Img_1742 O先生から「冬カフェ」のお誘いのメールが来た。ちょうど良いタイミングで、一番の、そして最も忙しい最中の冬カフェである。O先生とは、「社交とは何か」を極めたいと常日頃から言っているところなので、最も忙しい時こそ、冬カフェを行いたいのだ。忙中閑ありなのだ。原稿締め切りが迫っており、Img_1741 さらに先週から今週は、卒論・修論・博論の締め切り、審査、報告会が目白押しであり、そして、ちょうどテレビ授業番組収録が今週あって、すぐ来週早々にもまた収録が2本ある。この時こそ、カフェのタイミングなのだとほんとうに思うのだ。

 

Img_1746_2 最初、日曜日はどうかとメールを返したのだが、彼が言うには、日曜日は休息日で予定は入れないのだという、「なるほど、その通り」なのだ。それじゃ、さらにわたしのK大での講義の後はどうか、と尋ねると、彼はいつも金曜日W大のゼミ日なのだが、先週合宿を行ったので、今週はたまたまお休みだ、というので、今日に決まったのだ。Img_1748_2 わたしはK大講義が終了するのもそこそこに、東急線の武蔵小杉から、南武線の鹿島田駅へ出て、予定通りの時間にパン日和「あをや」へ着く。じつに、数ヶ月ぶりの「あをや」訪問である。

 

Img_1751 ちょうど到着したら、O先生が店の写真を撮っていたので、一緒に入って予約席へ着く。なぜか、今回も幼稚園くらいの子連れが、先客でいた。子どもはパン好きなのだ。12月のドリンクである、あったかくたっぷりのレモネードと、クロワッサンをまずいただく。Img_1750 すっきりしたところで、夕飯には、トマトスープと、サーモン&アボガドのクリームチーズサンド。O先生は、カレーのスーププレートを注文し、ソーセージをつまみに頼んだ。食後の飲み物は、O先生はコーヒーで、わたしはミルクティ。このころには、お勤めに出ていた「あをや」のご主人も店に顔を出された。わたしは初対面だったので、ご挨拶を済ませた。

 

Img_1752 O先生との会話は、彼の専門が日常生活であるので、身の回りの話が自然と多くなる。気の置けない雑談で楽しいのだ。たわいもないといえばその通りなのだが、日常のことにこそ、社交的な要素があると言えればと思うのだった。Img_1754 もっとも、ここに書くのは、差し障りのないことだけが選ばれるのであるが、実際はもっと切実なことも話題にはなっている。今日話題となったのは、まずは「カレーライス」だ。もう一つは「オレンジジュース」だ。やっぱり、たわいがないのかもしれないな。

 

Img_1757 先日行われたO先生の合宿では、昼食にカレーライスが出たのだそうだ。そのとき、なぜか、学生たちがどよめいた気がしたとのことだった。なぜどよめいたのかといえば、カレーライスというのが、小学校の頃から「わあーい」と叫ぶような特別のメニューであり、必ず「お代わり」をするのが当然なのだ、とO先生は主張するのだ。Img_1758 前者については、そうかもしれないが、後者の方は一般的ではないのではないか、と「あをや」のご夫婦もわたしも抗議を試みたのだけれど、O先生はまったく引くことなく、なおさらに強く主張するのだった。皿ものだから1杯じゃないの、と言ってもダメで、2杯以上食べると大人は太るのでは、と反証を出しても、まったく聞く耳を持たない状態なのだ。Img_1760 このように細かいところに論理の筋を探るのが、日常生活学者の道だとO先生の立場に立って考えても見るところではあるのだが。ここは倫理的に絶対に引くことのできないところだと、O先生は思ったらしいというところが、なんとなくおかしかったのだ。

 

Img_1761 「オレンジジュース」の話題は、懐古趣味の思い出からやってきた。始まりは、コーラの話だった。「あをや」のご夫婦がコーラ工場の階段が溶けたというエピソードを聞いたことがあるというのだ。ご夫婦とわたしとは、20年以上の年齢の開きがあるので、寡聞にしてそのエピソードは知らなかった。わたしは高校生の時に、じつはコーラ工場でアルバイトをしていた経験があって、その工場では古いコーラを流していたのだが、階段が溶けるということはなかった。Img_1762 それで、「ファンタ」ジュースの話に飛んで、「オレンジジュース」の話題へ移ったのだった。日常生活学者であるO先生の本領発揮であった。「チェリオ」「バヤリース」「プラッシー」「バレンシア」矢継ぎ早に、固有名詞が並んで行ったのだ。Img_1759 「ポンジュース」などと脇へそらせようとする意見には、目もくれず、ひたすら廃止された商標を追い求め続けたのだった。だからといって、何か有益なことがあったのかなどと、誰もそんな野暮なことは言わないのだ。

 

Img_1753 ついには、「あをや」の閉店時間になってしまった。奥様が来月のサンドウィッチのアイディアの一端を話してくださって、何やらまだよくわからないが、きっと美味しいサンドがメニューに現れてくることだろうと期待させられた。Img_1756_2 O先生は奥様と一緒に、「あをや」のクリスマスディナーへ参加するそうである。また、春カフェで会いましょうと言って、JR川崎駅で別れた。Img_1740_2

2016/12/08

横須賀美術館へ散歩

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冬の陽の落ちるのは早い。散歩に出ようとしても、まごまごしているとすぐ暗くなってしまう。先日の逗子・鎌倉へ行ってから、足の調子は良くないのは仕方ないとしても、呼吸器系の調子が良く、歩くことの効用については歳をとるほどに感じてしまっていたのだ。Img_5303_3 それで、今週も逗子と横須賀の美術館をはしごしようと妻と計画していた。電車の時間表など調べてもらっているうちに、両方は無理じゃないか、ということになり、さらに妻がどちらの企画展も見たくないと言い出して、結局のところ一人でトボトボと家を出て、横須賀美術館を目指すことになったのだ。

 

Img_5359_2 目的は二つあって、横須賀美術館の企画「新宮晋展」を観ることと、じつは3年前に開かれた企画展「日本の木のイス展」のカタログを購入することだ。当時、イス展をなぜか見逃していたのだ。それで、カタログだけでも手に入れておこうと思ったのだ。Img_5312_2 ここには、わたしの講義でも取り上げた、フランク・ロイド・ライトのイスや、柳宗理のイスなどが展示され、とりわけテーブルや部屋との調和の観点から取り上げられていて、今更ながらではあるのだが、見逃してしまっていて残念だったのだ。

 

Img_5321_2 それにしても、この美術館の海風の中を歩くのは、気持ちがよい。美術館に近づくにしたがって、今日の展覧会「新宮晋」のモチーフの一つである「風」のオブジェが芝生の傾斜した庭いっぱいに広がっているのが見えて、爽快な風模様を感じるだけでなく、観ることができるのだ。Img_5339_2 今日は小学生への美術館開放の日であったらしく、列をなして帽子をかぶった子どもたちが表坂道を降りてきた。Img_5330 前面のレストランには、犬を連れて、散歩途中の老人が風模様の黄色と、浦賀水道の青い海との対比を眺めていた。こうなると、体力がないからと言って、家に閉じこもっていられない。気分が晴れた分だけ、気力の問題だということになるだろう。

 

Img_5334_2 「新宮晋」の動くオブジェは、楽しいものだった。入ってすぐの部屋では、「水」を自然動力とした、二つの水車が展示されていた。「雨の光線」と「小さな惑星」と名付けられているオブジェだ。水車といっても、通常のものとは異なって、上から流れてきた水がオブジェに受け止められて、オブジェの内部で複雑な動きを見せ、それに合わせて、回る工夫が施されている。Img_5342 見ているだけで、いろいろな複雑な動きを見せるので、そのメカニズムがどうなっているのかを考えて見ているだけでも面白い物体なのだ。単純に水は上から下へ流れているだけなのに、溜められて横に向かうと、なぜこのように複雑な流れを見せるのだろうか。不思議な動きが生まれる遊具なのだ。

 

Img_5343_2 次の部屋では、今度は「風」がテーマになっている。天井に隠れて据え付けられた扇風機が風の流れを生み出して、それを受ける大きな風車と小さな風車が組み合わさって、これも大きな回り方と小さな回り方との複雑な組み合わせを見せている。Img_5337 あるいは、近くの風と遠くの風が、それぞれ大きな動きと小さな動きを連鎖的に生み出していく。ひとつとして、同じ動きはない。一つの風は、他の風とぶつかったり合流したりして、互いに弱く吹いたり強く吹いたりして、異なった風模様を作り出していく。

 

Img_5336 このように言葉で説明しても、隔靴掻痒でうまく伝わらないかもしれないが、それがオブジェというものの良いところなのかもしれない。特に注目したのは、「空のこだま(Echo of Sky)」だ。これを見たら、これまでの新宮の意図が、はっきりと見えた気がしたのだった。

 

Img_5355_2 水車にしても、風車にしても、なぜか新宮の作る今回の車には、支柱を挟んで、左右に二輪の車が付いているという共通点が見られた。そして、この二重の車を支える支柱が伸びて、地面に固定されたり天井に据え付けられたりして、何れにしても二輪を支える土台が存在するのだ。Img_5361_2 典型的には、「小さな花」と名付けられた三段に円柱が重ねられ、動きがグレデーションとなって現れる、回るオブジェなどは、最終的に三番目の円柱を支えるところで、土台が強調されている。いつも、土台との戦いの中で、車が回っているのが特徴なのだ。車は、しっかり固定するものがなければ、回らないのだ。これが展覧会の前半の答えだ。

 

Img_5341_3 ところが、「空のこだま(Echo of Sky)」では、初めて土台から、車の存在が自由になるのだ。車が上で転回するために、土台ではなく、重し(バラスト)が車の反対側に吊り下げられているのだ。バラスト効果がこんなところで目に見える形で出て来ようとは、到底想定していなかったのだ。Img_5366 驚いてしまったのだ。風車が宙に浮いて、それをバラストが左右に重心をとって、全体を安定させている。素晴らしい想像的オブジェだと思った。土台からバラストへ転換することが、こんなにオブジェ全体の自由を保障するとは本当に思わなかったのだ。Img_5365_2 おそらく、社会にもこのようなバラストがたくさんあるに違いないと類推を羽ばたかせてしまったのだった。

 

Img_5382_2 そんなこんなで、さらに常設展で、いつもの朝井閑右衛門の「パン」や三岸節子の「室内」や松本竣介の「お堀端」や国吉康雄の「毛皮の女」、さらに萬鐵五郎の「ガス灯」なども堪能して、Img_5376_2 3時間ほど心の散歩をして遊んでしまったのだ。Img_5378_2 夕闇迫る浦賀水道には、まだまだ常夜灯を掲げた船たちが行き来していた。ようやくにして、1時間ほどの家路に着いたのだった。遠くに、富士山が赤く染まっていた。

2016/12/03

ユリイカ現象が起こると研究者本能が疼く

「ユリイカ現象」とよんでいる現象がある。二年前にエッセイに書いた時に、名付けたものだ。本当のところ、この現象が起こるから、わたしがこの職業を続けているとも言えるものなのだ。古代ギリシアのアルキメデスが風呂に入った時に、有名な原理を発見して、興奮のあまりこの言葉「ウーレイカ!」を叫んで飛び出したと言われている。そしてじつは、今日もこのユリイカ現象が起こったのだ。

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放送大学の生活健康科学プログラム博士後期課程の報告会へ招かれた。博士課程では、集団指導体制をとっていて、複数領域の先生が学生に対応する。今回、N先生に依頼されて、わたしが副指導教員を担当しているKさんの報告会に立ち合わせてもらった。内容については、報告会が非公開なので、ここで述べることはできないのだが、そこで生じた「ユリイカ現象」という外部要因であれば、構わないだろう。

 

Kさんの報告を聴いていて、すでに議論は数ヶ月前から重ねて来ているので、当然と言えば当然なのだが、これまで行って来た議論がより深められたのであった。ただ、議論が深められたからといって、このユリイカ現象は生じないから不思議なものなのだ。でも、今回に限ってはこの累積された効果が出て来て、まさに「ユリイカ」現象となったのだったのだが、本当のところ瞬時に出てくる場合もあって、まことに奇々怪々の現象なのだ。

 

どのようなときに、ユリイカ現象が出てくるのだろうか。「やった」と叫びたくなる状態が現れるのだろうか。一般化はできないのであるが、いくつかの傾向がありそうだ。ユリイカ現象の第1段階として現れるのは、極めて個人的なものだ。個人的な発想の時に起こる場合が多い。自分の中で、「ああ、そうか」という思いが浮かぶ。それは妄想の類かもしれないし、単なる幻視なのかもしれないのだ。でも、わたしの卑近な現象を考えてみても、確実に何か研究について考えている時に、驚きをもって個人的な思いつきが生ずるから、おそらくこのような傾向もたしかにユリイカ現象の一部だろうと思われる。人間の本能的なものだと言っても良いし、個人的趣味だと言っても良いだろう。しかし、このことを他者へ漏らすと極めて高い確率で、変人とみなされる恐れがあるから、ふつうの人は口にしない。けれども、天才と呼ばれるような人びとは、個人段階のユリイカを大声で叫んでしまうものらしい。何度か、見聞したことがあるのだ。

 

ユリイカ現象の第2段階は、二者関係的なものだ。親密な関係にある人とだけと、その考えや妄想を共有できるのだ。自分の言ったことと、相手との関係が密接に結びついて、緊密な議論が成立することが期待できる。友人や夫婦の間で生ずるものだ。片方がその発想を自分のものだ、と思い込むし、さらに相手もその発想を自分のものだ、というところまで、思い入れが激しく出てくることになる場合があるのだ。逆に、この考えを共有しているからこそ、その友情が確からしく思えてくる。ユリイカ現象の相乗効果が現れてくる端緒となる状態が現れるのだ。Kさんとの、1対1の授業では、この形態のものだったと考えられるかもしれない。

 

ところが、ユリイカ現象には、第3段階があるのだ。それは、三者以上関係的なものだ。もちろん、ここで二者や三者と使った数字は、相対的なものであり、確実に2や3である必要はない。相互の複雑性の度合いの違いである。いわば、個人的ユリイカ現象や、二者関係的ユリイカ現象の発展型であり、集団的ユリイカ現象と言えるものである。もちろん、今回とくに言いたいのは、この第3段階であり、報告会や懇親会でのユリイカ現象なのだ。これは思い込みなのであるのだが、なぜ同じ思い込みが他者にも生ずるのか、ということなのだ。博士課程を造ってよかったな、と感ずる一瞬だった。

 

集団のユリイカ現象は、社交性の極みだと思っている。論文を媒介として、人びとが議論しあい、ユリイカ状態に集団に達するのだから。これは体験した者にしかわからないもので、研究ということを続けていて良かったと思わせるものだといえる。このようにして、研究者本能というものが、もし好奇心の行き着く果てにあって、それを通じて複数の人の間にユリイカ現象を共有できるならば、やはり社会人のための博士課程を造った意義があったと言えるだろう。Kさんの博士論文が来年には発表されるだろうから、みんなが感じたことの一端が、それでわかってもらえるだろうと期待して待っている。

2016/12/02

映画「オーバーフェンス」を観る

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映画「オーバーフェンス」を遅ればせながら、大森キネカで観てきた。今日がこの映画の最終日で、しかも最後の回だった。そのせいだろうか。観客は意外に多かった。それで、自由席の着席順を決める整理券を配っていた。ところが、ちょうどわたしの前に整理券を受け取った人が、この整理券を係員に返さなかったらしいのだ。客席にきて、アルバイトらしい係員が盛んに返すように頼んでいたのだった。整理券を持って帰って、記念品にするつもりなのだろうか。手作りの整理券というところが、このような小規模な映画館らしさを表していて、困った顔の係員も絵になっていた。失礼。

 

Img_1723 良い映画は出だしが良いという法則性に見事に適う映画だと思う。舞台は函館で、佐藤泰志の三部作という触れ込みだから、もっと暗いシーンから入るのかなと思っていたが、一羽のカモメが単色の曇り空を右から来て左へ、他のカモメが左から来て右へ飛んで、交差する。このカモメが何かを表しているようで、表していないようで、何とも良いスタートだ。これまでも、カモメシーンが使われた映画を観て来たのが、今回のカモメは考えさせるのだ。映画の中で、挿入画のように、シーンが変わるごとに、カモメシーンが出てくるのだが、途中では一羽だけのカモメが映ったり、二羽が並んで飛んだりするのだ。これらのシーンを根気よく撮ったカメラマンに拍手したい。

 

Img_1724 O先生も11月23日にこの映画を観ていて、ブログに載せている。ネタバレしないように気を使っているので、ここでもそれに習うことにしよう。となると、コメントは限られてくる。けれども、話の筋とは関係ないが、映画にとって重要なものを発見?したので、それを観ていきたい。

 

オダギリジョー演じる主人公のヨシオ(白岩義雄)と蒼井優演じるヒロインのサトシ(田村聡)の物語だ。離婚し転職を図る冴えない中年のヨシオが、木工の技術専門学校へ通っている。友人がホステスのサトシを紹介するところから、二人の物語が始まるのだ。ところが、サトシはかなり性格が壊れてしまっており、危機的な状況にある、という設定だ。双方ともに、「普通じゃない」状況にある。

 

Img_1728 わたしが注目したのは、「普通」というセリフがこの映画の中で3箇所に出てくる。一つ目は、40代の主人公が20代の女の子たちに揶揄われて、「普通に飲めばいいじゃないですか」と思わず漏らすシーンだ。二つ目は友人からサトシのことを「どういう娘なんすか?」と尋ねられて、「いや、別に、普通の・・・」と答える場面だ。三つ目は、離婚した妻と会っている最中に、その元妻から「でも、今は・・・普通になったね」と言われ、「いや、前から普通だよ」と答え、元妻から「私にはそうじゃなかった」と反論されるシーンだ。

 

何が普通であり、何が普通でないのか、が問題になっているわけではない。いずれも、みんなが「普通」だと考えていても、現実には「普通じゃない」状態が存在したことを表しているのだ。自分の周りを見渡してみれば、このような状態が溢れているのがわかるだろう。

2016/12/01

今年行った面接授業の全体結果について振り返った

Img_1707 今回の札幌での面接授業を終えると、「アーツ&クラフツ経済社会入門」と題した、今年度の面接授業、すなわち宮崎学習センターから始まり、山形学習センター、長野学習センター、そして北海道学習センターの4回の授業が完結することになる。今回の札幌での面接授業では、特色のあるいくつかの課題を設定していたのだが、これらの4学習センターに共通する課題もあり、それぞれの学習センターの学生の皆さんに、4回が終わったら、全体結果を公表することを約束していた。じつに、6月に始まって、11月までかかったことになる共通課題があるのだ。

Img_5180 4回がめでたく終了したので、ここに共通課題の結果を公表しておきたい。それは、アーツ&クラフツ(美術工芸)におけるデザインの傾向についてであり、具体的には「機能主義と装飾主義」という傾向が、参加した学生の方々に、いかに認識されるのかという点についてアンケート調査を行ったのだ。「椅子」という日用品クラフツを取り上げ、近代に注目された椅子群を学生の方々に見てもらって、何が「機能主義」的で何が「装飾主義」的なのかを感じてもらおうという趣向だった。おおよそ90名弱の方々に、43脚の椅子にそれぞれ点数をつけてもらって、学習センターごとに集計し、さらに今回4学習センター全体、すなわち80数人の集計結果がまとまった。受講した学生の方々には、当日配った43脚の写真資料を片手に、この全体結果と学習センターごとの差異を比較して、楽しんでもらえればありがたいと思う。

次の表でわかるように、機能主義的だと全体結果から示されたのは、チャドウィックの事務椅子、ブロイヤーのパイプ椅子、北欧デザインのウェグナー椅子などだ。チャドウィックの椅子には、人間工学的で仕事がはかどりそうだ、ブロイヤー椅子には、シンプルで持ち運びに便利そう、などという学生の感想があった。ブロイヤーの椅子に現れているように、バウハウス的な機能主義が椅子に現れている。

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それから、装飾主義的だと認識された椅子は、ウェブの貴族趣味のベンチ、ウィリアム・モリスの装飾椅子、アールヌーボーのガレ椅子などが選ばれた。美術品・芸術品にも匹敵するという感想のあったウェブの椅子、花の模様が彫刻されたガレの椅子などが、装飾的だと学生に判断されていた。アーツ&クラフツ運動やアールヌーボーの影響がこれらの椅子には、顕著に現れている。

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6月、8月から待ってくださった学生の方、そして、今回の札幌の学生の方々に感謝申し上げる次第だ。さて、今回の札幌訪問には、もう一つの目的があり、決して出張費を無駄にしない精神にあふれている。・・・のかな。ちょうど、あと3週間で、修士論文の締め切りが来るのだ。それで、現在M2の方々から毎日のように書き換えられた草稿が到着している。M2の東京のAさんからは、旅行予定があるらしく、直前の原稿が札幌へ出発するときに後を追ってきたのだ。そして、札幌のAさんも修士論文締め切り間近に迫っており、今回の出張の目的の一人であるのだ。つまり、論文の研究指導という目的も今回の出張には含まれている。

Img_5233 二日目の夜になって授業が終了し、北大にある学習センターから駅や道庁を経由して、途中で今年文書館が改修されて、お菓子屋さんになったという古いビルや、さらに札幌市の資料館のライトアップなどを見学しつつ、植物園横の老舗の喫茶店「倫敦館」に落ち着くことにする。Img_5236 Aさんが高校生時代によく利用していたのだそうだ。勉強する学生や、読書する学生の似合う喫茶店だ。二日間も喋っていると、ついさらにおしゃべりしたくなってしまって、Aさんの修士論文のこともさることながら、Aさんが北海道学習センターでの別の発表も抱えているとのことで、議論する種は尽きなかった。Img_5235 そうは言っても二時間が経つほどに、外はしんしんと冷えてきて、目の前をスピードを上げて走っていた自転車が見事に転ぶほどに、道路も凍ってきており、明日も研究指導の時間を取ってあるので、ほどほどに切り上げて、今日のところは大通公園へ出ることにした。

Img_1683 テレビ塔を囲んで、「White Illumination」というイルミネーションの催しが36回目を迎えて、観光客を集めていた。Img_5250 とりわけ、一番はしっこに位置していた8丁目会場には、ドームシアターが設置されていて、大きな万華鏡にみんな見入っていた。小さな時に見たような万華鏡の飽きることない模様の変化を堪能した。Img_5252 なぜ万華鏡は飽きないのだろうか。二つとして、同じ模様にはならないというところが、現実に似ているからなのだろうか。しばし面接授業の疲れを忘れて、見入ってしまった。

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ドームシアターの映像は、こちらから。

札幌での面接授業

Img_5215 昨夜、陽が落ちてからホテルへ着いたので、寒さのために窓に霧がかかって細かい水滴がついていた。それで、外の景色はキラキラしたビルのガラス窓しかわからなかった。向こうの方に、コンサートホールらしき大きな建物がようやくわかる程度だった。Img_1709 朝になって、水滴のない窓の上の方から、青空が広がっているのが見え、その下には札幌の藻岩山が昨夜降った雪で冬化粧をして現れた。そして、眼下には中島公園の池が真っ白に凍結していた。白い世界が目覚ましの清涼な風を運んできた。

Img_5185 朝食を食べた後、まだ時間があったので、ホテルの中島公園散歩案内図をもらって、ちょっと歩いた。ホテルの横がすぐ公園の入り口になっていて、地下鉄へ向かう通勤客が足早に階段を下っていく。Img_5183 幼稚園の施設が建物を擬人化させて、単調な緑の景色に剽軽なアクセントを加えている。道なりにコンサートホールへ向かって池の周囲を迂回する。途中、ベンチがあって、池に臨みつつ、重要文化財の豊平館を望む良好な配置の場所があった。Img_5192 典型的なレイクビューのベンチだ。おそらく、世界中のベンチの中でも、腰掛け率などというものがあるかわからないが、それに相当する率が良いと思われる椅子だ。Img_5194 ここを通る人の多くが必ず座ってしまうほどの良いロケーションのベンチである。

Img_5191 公園には、多くの彫刻が置かれているのだが、コンサートホールが近くにあることもあって、音楽に関係したものが散見される。Img_5199 札幌交響楽団の本拠地だということで、地下鉄のベンチでは、楽器を持った乗降客を多く見かけた。さて、彫刻なのだが、この陽に背を向けた指揮者は誰だかわかるだろうか。

Img_5201 コンサートホールを過ぎると、そのまま中島公園の南側にある地下鉄方面へ行くか、それとも、池の反対側を回って、ホテルへ帰るかの分かれ道となる。授業が控えているので、今朝のところは、池の反対側へ足を向け、枯葉が積もっている文学館の前の道を通って、いったん戻ることにする。Img_5205 そして、地下鉄で4つ目の「北12条」駅で降りて、放送大学の北海道学習センターへ入る。北大は入り口を入ってから建物までが長いのだ。その分の計算がうまくいかず、数分の遅刻をしてしまった。二日間の中で、なんとか挽回しよう。

Img_5207 当初懸念されたような、寒さで喉が詰まって、声が出なくなってしまうこともなく、ちょっと過剰反応だとは思ったのだが、龍角散のど飴を準備して臨んだのだ。しかし、その世話にもならずに、1日が順調に過ぎた。

Img_5211 以前、同僚のA先生が札幌へ来た時に、受講生の学生主催の懇親会が開かれたらしい。熱烈なA先生のファンがいたらしい。その伝えで、わたしへもお声がかかった。もちろん、A先生のように高級志向ではないので、ごく慎ましく近くのカフェで、Aさん、Sさん、Eさん、Kさん、そして事務長のIさんも残業の後、駆けつけてくださって、気の置けない飲み会となった。Img_5219_2 何が楽しいのかといえば、多くは学生の方々の放送大学の先生方や職員の方々への見方の面白さだ。これらの話の中には、同僚のわたしたちではうかがい知ることができない話がたくさんあって、猛省したり抵抗したり、会話が弾むこと、この上ないのだった。

2016/11/17

逗子で食事して、松本竣介展を観る

Img_5111 「思い立ったら、美術館」という良い習慣をずっと続けていた。身体に良いばかりか、精神衛生上良い効果があったのだ。ところが、気がついて見たら、昨年の今頃から、途絶えてしまっている。忙しさを理由にしたくないので、考えて観ると、つまりは良い展覧会がなかったということに落ち着くのだ。やはり、このようなところで、鎌倉の県立美術館が閉鎖されたということが効いているのではないだろうかと思ってしまうのだ

 

Img_5114 秋の冷気が朝早く地面に広がっていて、いくら歩いても汗が出ないのだ。空はすっかり晩秋の快晴で、散歩日和だ。妻と一緒に歩いて、上大岡へ出る。これまでと同様に、逗子周りで行く、鎌倉の美術館巡りの復活である。逗子の街は余所者には何となくよそよそしく感ずる街なのだ。それは、わたしの偏見かもしれないが、逗子の多くの住人がやはりみんな余所者だったからで、後から逗子市民になった人々が多いのではないかと考えている。鎌倉は高級住宅地のイメージが強いが、逗子は高級リゾート地のイメージで、つねに余所者がやってくる街なのだ。Img_5115 だから、逗子の街がよそよそしいのは当然で、わざと距離をとって、互いの余所者同士の摩擦を避けているようにも思えるのだった。もっとも、それは地元に昔からある魚屋さんなどで、観光客として買い物などすると、表に現れてきて、このクールさが逗子の特色なのだと思うようになるのだ。

 

Img_5119 まずは逗子に着いたら、昼食だ。いつもの「ヴェスパ」でピザとパスタだ。あいにく、席は満杯で、入口付近の真ん中の席になってしまったけれども、話をしているうちに、マリゲリータが運ばれ、クリームパスタもテーブルに乗って、近くの石焼窯の暖かさが伝わってくる。Img_1643 一人の男、一人の女の客も多く、外国人やサラリーマンのランチとして賑わっている。外国人の方は、肉なしでと後から注文を出していたが、習慣が異なる人を扱うことに慣れているのも、逗子の街の特徴だと思われる。

 

Img_1642 隣の駅なのに、逗子駅と鎌倉駅の、この違いは何なのだ。鎌倉の観光客の数が多く、盛り上がって異常な状態であることは理解できても、これらのほとんどが鶴岡八幡宮に行くのかと思うと、この街の幸福と不幸とを思わずにいられないのだ。Img_1647 足早に混雑している小町通りを通り抜け、でも豆屋の豆の試食はしっかりして、さらにずっと通り抜け、鶴岡八幡宮の横にあった、工事中の県立美術館前を横目で見ながら、県立美術館別館へ急ぐ。

 

Img_5132 松本竣介展がここで頻繁に開かれることについては、県立美術館が代表作の「立てる像」や「Y市の橋」などを持っているためである。それにちょっと個人蔵の作品を加えれば、このような小規模の展覧会は比較的容易にできるのだろうと想像される。今後も小規模で良いから、一年に一回は開いて欲しいのだ。

 

Img_5143 作品の「りんご」や「ニコライ堂」などは何度見ても飽きない。今回はモジリアーニ風やルオー風などの初期の作品が来ていた。これらの他者の作風を模倣した作品が並んでいて、それでもざっと見て行くと、やはり松本俊介風なのだ。

 

最近頼まれて、論文の引用とは何か、という文章をわたしは書いたのだが、引用はまさしく他者の言葉を活用して文章を書くことであり、言葉や作風を真似るということだ。それでも、最後には引用よりも、自分の文章らしさが出なければ、引用の意味がない。Img_5133 他者の言葉でありながら、自分の言葉として表現されてこそ、引用と呼べるのだ。どこで、線を引くことができるのか、と問われても、なかなか明確に答えることができない。けれども、これらの松本俊介の絵を見ていると、モジリアーニ風であってもそれを脱していると感じさせれば、真似しても真似ではないと言えると思われる。

 

Img_5151 先日、K大図書館のポスター掲示を見ていたら、鏑木清方美術館への招待券がもらえるということがあり、それを持って来ていた。静かな住宅街の一角に、アトリエを改造した平屋の洒落た建物で、絵と同時に、その場所を鑑賞したいと思わせる美術館なのだ。Img_5154 小さな展覧会なので、ちょっと散歩がてら一つだけ見たいというのに適した美術館なのだ。今回は、屏風絵の美人画が素敵だった。

 

そのまま、小町通りを下れば駅には近道なのだが、前を行く観光客の多さに、思わず表通りへ出ることにする。Img_5124 すると、横丁にはやはり雑貨の店が綺麗なブルーのショールを出していて、道ゆくものの気を引いている。このまま、参道をくだって、海まで出たい気分もあったのだが、秋がここまで来てしまうと物悲しい気分も手伝って、今日のところはここまでにしようと、来た道を家まで戻ることにしたのだった。久しぶりに随分と歩いた一日となった。Img_5121 Img_5164

2016/11/10

青空と、落葉と、世界と

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青空と、落葉と、世界と

(オーデン詩へのオマージュ)

紅葉が風に耐えている。

秋の日の遠くまで見通すような青空の中に

萌えたつ葉たちが揺れているのを見ると、

つい足が進んでいくのを覚える。

きのうまでの頭にひびが入るような忙しさと

同じ空間の延長線上に

あっけらかんとした

こんな日常がある。

明治時代に作られた椅子にすわって

昔のことを空想しているようで

どこかで忘れられていた安逸どもが

秋風とともに

身体全体に染み込んでくる。

椅子が青空の中へ飛んでいく。

幼児のクレヨンが

青空に絵を描いていくように。

もし昔の仲間たちがみんな死んでいったとしても

青空に描かれた空想たちがそのまま残ってくれるならば

わたしの書いたことだって、

そんなに非難されることではない。

足腰が立たなくなって

この坂道を這いずり登ったとして

元気に並んで、ピクニックを楽しむ

子供達に反感を抱くこともないだろう。

青空に描かれた空想が子供達に見えないないだろうし、

それらが理解されることもない。

それでも、わたしはそっと足を出すだろう。

老人ホームを夜に抜け出し

時計屋のコチコチと鳴る時間を泳ぐよりは

江戸時代の畑の真ん中に石を見つけて

のぼり旗を立て、

日本中から人びとを呼び出し

踊り出す方が面白いだろう。

青空のもとでこそ

許される祝祭の幕開けだ。

さあ、泣いていても始まらない。

青空の椅子が飛び込んだのは、

百人の会議が繰り広げられている

図書館だ。ちょうど後ろの席では、

大統領選挙の開票ニュースが

告げられている。

共和党がわずかだった差を広げている。

けっしてストイックだとは言えない選挙戦が

終わったことにみんな共感している。

貧しい人も金持ちも

ただ結果を待っている。

公園の片隅の椅子は

青空に描かれた椅子とどこか違う。

世界の人びとを近づけようと

青空の椅子は言っている。

けれども、目の前の椅子は、人びとを

遠ざけている。

現実の椅子は、

すわることは拒否しなくても

すわる人びとを選んでいる。

それが証拠に、椅子と椅子の距離は

会話ができないほど離れてしまっている。

まさに公園を歩いているうちに、

予期せぬことが起こってしまったのだ。

同じ青空のもとで

紅葉は風に揺らいでいる。

先行きのわからない世界を

青空の下の向こう側とこちら側で

計りかねている人びとがいる。

震災の後にも同じように青空が

広がっていて、みんなあっけらかんとした状況を

理解できないでいた。

風が吹いている。

今日も一日が暮れようとしている。

家に帰って、妻と今日を語ろう。

どんな世界が待っていようとも

みんな同じ青空の下にいることだけは

確かなのだから。

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プロフィール

  • 坂井素思
    放送大学教員で、社会経済学領域を研究しています。