2018/01/01

謹賀新年

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2017/12/31

今年も押し詰まってきた、静かな年の瀬だ

Img_0661 今年も押し詰まってきた。この1年間にとりわけ時間を割いたのは、自分の仕事だが、それ以外のボランティアとして、放送大学の「過半数代表者」という労働活動だ。放送大学のような労働組合のない職場では、職員・労働者の立場を代表して、就業規則改正などに署名する無償奉仕の役職だ。労働基準法に定められている。ただし、今年は労働契約法問題があった。

 

周りの人びとには、なぜそんな歳になって、労働争議などに加わらなければならないのか、と多くの不評と少しの賞賛をかっていたのだ。ふつう、このような労働活動には体力がいるので、若手の「職員・労働者」が大学から指名されて、いやいやながら行うのが相場だ。自ら進んで行う、しかも定年間近な人はいない。

 

なぜ行ったのかといえば、やはり社会科学を学んできて、机の上以外でどのくらいのことができるのか、ということだと思っている。1年間という限定的な活動なので、かなり限られた、威力の少ないものになることは当初から予想されたのだが、限定的な中で、どれほどのことができるのかが勝負だった。相変わらず、自分の人生と社会との関わりを凝視し動かしてみたいという自分の癖が出たのだと思われる。

 

ところがやはり、自分ではそう思っていても、社会に出て行う活動には、どうしても他者の人生を左右してしまうということがあるために、その結果については重い責任を負い、辛く感ずることが多いのも現実であった。ある種の運動だからして、多少の勝ち負けの感覚はあり、戦闘性ということが求められるために、気分の高揚は避けることができなかった。したがって、たとえ勝利があったとしても、それはかなり苦い、繰り返すがさらに苦い苦いものであったと告白せざるをえない。

 

実際の内容については、全「職員・労働者」に向けてのお知らせで述べたので、ここで述べることはないのだが、そのことに関係しない点で、別の苦い敗北感を持った例ならば、ここでも書いても許されるだろう。

 

国会で「退職金諸法案」というのが11月に通った。簡単にいえば、それは退職金のプールが足りなくなってきたので、国家公務員の退職金を直ちに切り下げたいというものだ。放送大学ではこれまでの慣例として、給与や退職金などに関して、国家公務員に準ずる措置が取られることになっていた。放送大学は、「特別な私立大学」なので、この法律に従う義務はないのだが、慣習としてそうなっているらしいのだ。それで、過半数代表者が呼ばれ、ここに署名してくれと求められたのだ。

 

新聞によると、この措置によって、国家公務員の退職金は平均75万円くらい引き下げられることになるのだそうだ。結構な大金が減らされる。つまり、これに署名した途端に、わずか数年後に迫ったわたし自身の退職金が、どんと減らされることになり、そのことにここで署名せよということなのだ。あっという間に目の前で、75万円が消えてしまうという悪夢を見なければならないというのだ。

 

その場では、「なんという巡り合わせなのだ」と呟いてしまったくらいなのだ。慰めてくれているのだろうが、総務課の若手の職員の方は、僕らはもっと将来減らされますよ、というのだが、まだ実感はないだろう。言葉は悪くなるが、負の「宝くじ」に当たったような、「もってけ! 〇〇」という気分だったのだ。

 

おそらく、今までの過半数代表者の方もそうだったと思われるが、放送大学は私立なのだから、慣例とはいえ、これだけ補助金が減ってきていて独立採算の可能性を求められているのだから、そろそろ近い将来には、国家公務員に準じなくても良いと一言書いて置くことも必要になってきている。今後も、人件費削減案が目白押しなので、もう少しの任期になったとはいえ、憂鬱な日々が続くのだ。このように、お金で済む問題ならばまだ良いのだが、そうでないことが起こるともっと苦い日々となる。借りをつくって生きるのが人間の特性なのだということだと諦めなければならないのだろうか。

 

山之口獏の「年越しの詩」をよんで、気分を紛らせた。

 

詩人というその相場が

すぐに貧乏と出てくるのだ

ざんねんながらぼくもぴいぴいなので

その点詩人の資格があるわけで

至るところに借りをつくり

質屋ののれんもくぐったりするのだ

書く詩も借金の詩であったり

詩人としてはまるで

貧乏ものとか借金ものとか

質屋ものとかの専門みたいな

詩人なのだ

ぼくはこんなぼくのことをおもいうかべて

火のない火鉢に手をかざしていたのだが

ことしはこれが

入れじまいだとつぶやきながら

風呂敷包に手をかけると

恥かきじまいだと女房が手伝った

 

Img_0664 大晦日の最後の最後に、英国のサッカーチーム、マンチェスターシティの19連勝の記録のかかっている英国プレミアリーグ「マンチェスターシティ対クリスタルパレス」戦を見ていた。クリスタルパレスが意地を見せた、引き分けの熱戦だった。ところが、試合の終了近くになって、わたしの好きな選手のデブライネ選手が反則にあって、足を負傷し担架で退場してしまった。パスがうまく決まるのがサッカーでは重要な要素だとわたしは思っていて、デブライネはこの直感的なパスのうまい人で、ずっと今年は眺めていたのだが、ざんねんな出来事だった。デブライネには、早く怪我を克服してパス回しの輪に戻って欲しいと切に祈ったのだ。こんなこともあったにもかかわらず、またマンチェスターシティの連勝ストップということでも、選手たちや監督が顔色ひとつ変えないで、試合後相手の監督、選手と激励しあい、互いの肩を叩いていたことにも感動したのだった。

2017/12/26

『都市と農山村からみる身近な経済』が出来上がってきた

Img_3696_0000 島根大学I先生、近畿大学のS先生とA先生が主任講師で、わたしが分担講師として加わっている、放送大学のテキスト『都市と農山村からみる身近な経済』が出来上がって送られてきた。何と最速で印刷された(わたしの経験内でのことだが)テキストだ。今までで、年内に受け取ったのは初めてだった。

 

今回、この4人で制作したことには、意味があるのだ。I先生がうまくまとめてくださっているので、「まえがき」の最後の部分を引用したい。

 

Img_3697_0001 「我々四名が放送大学において知己を得、本書を共同執筆することになったきっかけは、故林敏彦先生(元放送大学教授)が自身のゼミにおいて、学生たちを分担指導する仕組みを整えられたことによるものである。林先生は20174月に74歳の若さでご逝去された。林先生の教育・研究のスタンスは林ゼミで体現され、我々はそこに参加し自由闊達な議論の中から多くのことを学んだ。そういう意味で、本書は林ゼミの一つの産物でもあると思う。林先生の学恩に思いを致し、ご冥福を心からお祈りしたい」


2018年度4月からの新規科目なので、一度手にとって、ご覧ください。ラジオでは、講師たちが会話形式で収録を行っている。

 

2017/12/22

年末恒例、博士後期課程の京都合宿

Img_0588 今年も年末恒例となった博士後期課程合宿が京都で始まった。今年度の修士論文提出締切が先週あって、M2の全員の方14名が提出したと報告があった。みなさん、頑張りましたね。Img_0585 それに加えて、副査を担当する分の6名の修士論文が送付されてきたから、年末には20論文を読むことになる。修士論文の20の想念をそのまま頭の中には止めた状態で、身体だけは宙を滑るように飛んで、京都に来ている。

 

Img_0586 合宿の1日目は、4人の方が発表し合うことで約8時間くらいかかり、世界の縮図がわたしたちの頭の中に住みついたかのように思える時間だったのだ。2日目からは、経済学研究法という授業で、2名参加者で、朝9時から夜9時まで部屋をとった。3日目にはやはり朝9時から午後3時まで行った。Img_0644 とはいえ、多少途中で早めに終わらせたりしたために、合計24時間くらいの合宿となった。アイディアの世界だけで満たされた世界のあることを実感する。24時間が「浦島太郎的時間」となったのである。

 

Img_0607 2日目と3日目の授業では、文献研究だったので、それぞれ自宅での自習時間がそれに加わり、全体では、2日間だけのメニューに限れば、この自習時間を加えて、2単位分の22時間を優に超えて時間を費やしたことになる。3人だけで1室に籠って、2日間をしゃべり続けるという世界があるのだ。学生にとっては約30時間以上、わたしにとっても、かなりハードな授業だと思うのだ。Img_0608 彼らの場合自習時間とはいえ、全体で500ページを超える大著をテキストに選んでいるので、1日100ページずつ2時間かけて読んだとしても、5日かかるし、参加したS氏のように関連論文に目を通すとなると、準備だけで1週間はかかってしまうだろう。年末に行うことが妥当な授業といえよう。

 

Img_0611 今回の文献研究では、ひとつの現象を二面性でみていくという態度を改めてみようと考えた。三面あるいは場合によっては、3層構造で考えていくことを3人で行ってみたのだ。Img_0618 このように、二面構造を三面構造にするには、結局平面を立体で考えることになるので、二面の間に中間を設けたり、二面と異なるレベルをもうひとつ外に設定するなどの、これまでの考えをもう一度ひっくり返す必要が生ずることになる。

 

Img_0620 このようなたっぷりした時間の流れの中でしか試すことのできない、貴重な体験なのであった。時間に余裕が出て来たときにのみできることであり、3人で底の底まで降りて行ったという自負が生まれたのだ。これをさらに遡るのは個人的に行わなければならないのだが、このように複雑化させ、形而上的なやり方に凝ってしまうのも、やはりこの場だからこそ行われたのに違いないだろう。

 

Img_0622 授業を午後3時に終了させて、ゼミ全体をまとめ、評価簿を書かなければならない。そのまま京都に滞在した。二日目には夜になっても、ゼミの熱気が冷めないので、京都に来たら必ずよる喫茶店「Kosci」へいく。じつはゆうべも夜になってから来たのだが、あいにく満席で入れなかったのだ。今日は、クリスマス・イブなので、ひとりで過ごす人はそんなにいないだろうと考えたのだ。窓際のゆったりした席を取ることができた。やはり、ゼミの最中では頭に血が登ってしまっていて、これが少し冷めないと正常な仕事には入れない。

 

Img_0623 最初にアーモンドのかかった栗のペーストの入ったパンとコーヒーを頼む。持って来た北欧ミステリーのH・マンケル著、刑事ヴァランダーシリーズの中に、ヴァランダーが捜査の行き詰まったときに相談する、故人で年上の同僚リードベリーがいる。これが、いつも適切なアドバイスを行っていて、素晴らしい。たとえば、「振り出しに戻った」とリードベリーなら言っただろう。「空白や不明瞭な点はそのままにしておくのだ。お前さんがはっきりわかっていることから始めるがいい」と言ってくれるのだ。そして、ここだというところでは、「あり得ないと思うところでも関係性を探すのだ」とはリードベリーがしばしば言っている言葉なのだ。

 

Img_0619 まさに、今日のゼミ参加者たちに贈る言葉はこれなのだ。わたしのところに降りてこずに、みんなのところへ降りてくれと言いたい。この頃には、ちょうどお腹も空いて来て、本日のさつまいもの温かいスープと、パンとサラダを注文する。もちろん、収穫の多いときには、ワインが必要だ。窓の外には、雨が降り出して、雪になりそうな雲行きとなった。このたっぷりした、京都的まったりさには感謝したい。5時間ほど止まったのだが、まったく席を立ちたいと思わないサービスが素敵だった。帰りに、感謝を述べて持ち帰りのパンを購入すると、おまけにもうひとつのパンを紙袋に入れてくれたのだ。パンをかじりながら、北欧ミステリーをついに読みきったのだ。

 

Img_0639 次の日の午前中、整理すべき今回のゼミのことが意外に多く、ずっとホテルで作業を行った。このようなとき、チェックアウトの時間が遅いところは助かる。昼食は、ここも毎年おなじみとなった、1年には一回食べたいと思う、菜根譚「雪梅花」へいく。担々麺がおすすめなのだ。濃厚な味と辛味が寒さに効く。Img_0637 Img_0633 Img_0629

 










640 新幹線までにかなり時間が余ったので、四条へ出て、京都シネマを覗くと、映画「わすれ草」がかかっていた。60年代の学生運動で、女性闘士だった人がアルツハイマー病にかかり、息子がドキュメンタリー作家として撮った映像だ。印象的だったのは、昔のことは覚えているのだが、近年のことが駄目なのはわかっているのだが、それで過去のことだけでもやはり人間は生きられないという現実だ。6401 いずれ、自分にもやってくる状態なので、そのときどのようになるのか、たいへん憂鬱である。とともに、そうなったら記憶がなくなるから、周りのことさえなければ、意外に幸せなのかもしれないとつい思ってしまう楽観主義の自分も見つけたのだった。Img_0601 実際には、この映画の中で、かなり辛い最後がある。

 

Img_0641 帰りの新幹線では、これもいつものように、カツサンドとコーヒーを飲食し、北欧ミステリーは昨夜読了してしまっていたので、用意していたプリントを楽しみながら、今回の合宿旅行を終わりにすることにしたのだった。

 

 

 

2017/12/21

横須賀美術館で伊藤久三郎展を観る

Img_0504 午前中、放送大学総務課から呼び出しがあって、東京文京学習センターの中にある放送大学の東京オフィスで会合があった。余裕のある時間に家を出たのであるが、京急線が遅れてしまって、品川近辺で止まってしまったのだ。一つの電車が遅れると、玉突き式に次々に乗り換える電車ごとに遅れてしまい、途中挽回できないまま、ついに遅刻してしまった。案の定、そのあとは悪いことが続いた。

 

Img_0445 午後、失地を回復しようと、かねてより妻と約束していた横須賀美術館行きを実行に移す。本来であれば、逗子市にあるいつもの店へ、美味しいパスタとピザを食べに回るのであるが、その店が残念なことに秋に閉店となってしまったのだ。それで、今回は美術館の中にある、イタリアンの店に変えたのだった。まずは腹拵えしてからということで、ランチで混んでいる店へ入る。海鮮の具が美味しかった。

 

Img_0512 企画展は、京都の抽象画家の伊藤久三郎だ。普段観ることのできない、個人蔵のものや、他の美術館からの出展のものも多く、充実した展覧会だった。全部を見終わってから、妻と珍しく意見が一致したのだった。それは初期の頃の作品がよかった、という感想だった。もちろん、単なる感想なので、観る人がみれば、やはり後期の抽象度の高い「キャタピラー」や意味不可解な「KOPFFUSSER」の方に軍配が上がるのだろうが、印象は印象なのだ。

 

Img_0507 初期のものにも、抽象画と同じようなモチーフが出てくるのだが、最初の方が活き活きとしているように思えるのだった。たとえば、灰色の使い方に独特なところがある。初期には、思わず灰色なのだが、後期になると意識的・意図的に使われた灰色が濃厚になってくるのだった。

 

Img_0501 日が落ちるまで、まだ時間があったので、美術館の図書室で資料を散策する。年賀状の図柄を決めていたのだが、なんとなく地味な感じがしていた。ここの資料室には、英国ウィリアム・モリスのケルムスコット書の数万円する復刻版がおいてあった。Img_0519 それを見て行くと、大方は見たことがあったものなのだが、一つ晴れやかな真っ赤な花のついたNのイニシャルをかたどったものが急に目の前に現れたのだった。これを来年の年賀状にしようと決める。コピーを撮ろうとすると、カラーコピーは行っていないというのだ。それでも、なんとか手に入れて、来年の図柄が決定されたのだった。

 

Img_0462 それから、モリスのデザイン書の隣には、たぶんこの横須賀美術館でも企画展が開かれたことがある、イタリアのブルーノ・ムナーリの絵本がおかれていて、その中の詩が素敵だったのだ。

 

子どもの心を 一生のあいだ

自分の中に持ち続けるということは

知りたいという好奇心や

わかる喜び

伝えたいという気持ちを

持ち続けるということ

 

ブルーノ・ムナーリ

 

第1に、「知りたいという好奇心」、第2に、「わかる喜び」、第3に、「伝えたいという気持ち」というまさに三段階説が実現されている詩なのだ。僭越ながら、同じことを考える人が時空を超えているのだな、と共感してしまったのだった。


Img_0463Img_0469Img_0439 Img_0475 Img_0465 Img_0563

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なぜか、横須賀へ来ると、帰りのバスはしあわせのバスとなる。富士山が見えようが、見えなかろうが関係なしに、海岸は波を作り出しているし、ヤシの木は風をいっぱいに受けているし、街は人の息吹を自然に伝えているのを観ることになって、帰りの電車はアイディアをエネルギーとして、それこそこの時とばかりにガタピシと動き出して行くのだった。

 

2017/12/20

予てから企てていた「ウィスキーレモン」をつくる

Img_0386 わたしの本を編集してくださった編集者Tさんがやはり左右社で編集した本、『makingつくること』(T・インゴルド著)を読んでいたら、対照(co-responce)という言葉に出会った。意味からすれば、「共呼応」という、二つの対象が互いに共鳴しあって、物事を作り出していく意味に相当すると思われる。Img_0398 つくることは、つくる人と対象物との間の相互に感入する関係だということだ。この観点は、何も新しい考え方でなく、プラトン=アリストテレス以来の「質量形相論」で「個体というものがいかに形成されるのか」という議論の延長線上にあるものだ。衒学的ではあるのだが、改めてアリストテレスの『形而上学』の新訳を購入して、読み直した次第だ。これは次に書く本で、使いたい題材となった。

 

Img_0396 秋に、松本市にあるコンフィチュールの店、シェモモのM氏からおおよそのことを聞いたのちは、「ウィスキーレモン」なるコンフィチュールに憑かれている。このところずっと、これを自分でつくる機会を狙っていた。パンにつけて食べるのに、甘さばかりでなく、苦味と酸味の効いたものが欲しくなってきたのだ。シェモモでもときどき製造しているそうで、そのタイミングに店へ行けば手に入るのだし、Img_0406 また、通信販売という手もあるが、その場合自分でつくる機会を逃してしまうことになる。まずは自分で作ってから、シェモモの「ウィスキーとレモンのコンフィチュール」の購入を考えることにしよう。

 

Img_0392 シェモモではレモンは瀬戸内海産と言っていたのだが、それで、もし自分でつくるとしたならば、「レモン」という素材をいかに手に入れるかがキイポイントとなる。外国産のレモンにはモノカルチャア的な栽培法が取られており、そのため大量生産に有利なポストハーベストの薬が使われていて、ジャムを作るには不向きであることは知られている。Img_0391 また同様に、長期に運搬されるために、ワックスがかかっていて、レモンの皮そのものを使いたいようなマーマレードを作るには、やはり日本産で、ワックスのほとんどかかっていないレモンを探さなければならなかった。

 

Img_0411 もちろん通信販売の発達している現代なので、すぐにもインターネットで無農薬レモンは見つかるのだが、それらは3キロとか5キロとか、少なくとも1キロ以上は購入しなければならず、運送費だけでもままならない費用となるらしい。レモンという対象物にかなりの思い入れと購入のための手間暇をかけなければならないことを、思い知った次第なのであった。まずは、「質量」たる素材に、つくることが支配されていることを実感した。プラトンのようにレシピというアイディアさえ整えば、「ウィスキーレモン」がすぐ手に入ると思ったのが間違いだったのだ。

 

Img_0416 じつは、今回の沖縄出張で、「レモン」素材のことがクリアできた。妻に沖縄の黒糖購入を頼まれていた。沖縄学習センターの事務長Y氏にお聞きすると、黒糖ならばぜひ「多良間」のものをというので足を伸ばしたのだ。宮古島物産店というのが、那覇の国際通りにあって、そこで求めたのだ。それで、ひょいっと隣をみると、そこにレモンがあったのだった。宮古島産の無農薬レモン2個を求めた。

 

Img_0409 あとはウィスキーだ。住んでいる近くの小さなスーパーマーケットでは、ときどき酒類の安売りを行っている。偶然にも今回、通常値段の半値の伝統的スコッチが棚に並んでいた。砂糖は通常の蔗糖で間に合わせた。レシピは以下のとおりとなった。

 

レモン    300g(レモンの量に合わせて、以下の素材の量を考える)

ウィスキー 60g(好みでプラス/マイナスするが、今回はかなり多めにした)

砂糖      200g(今回はもっと少なくした)

水        200gM氏に聞けば水は入れないと答えただろうが、今回は少量)

 

1. タワシでレモンを洗って、4つに割り、皮と身を離す。

2. 身から種を取り出し、ざく切りにする。

3. 鍋に身と皮を入れて、最初は強火で、あと弱火。

4. 砂糖を3回に分けて入れる。

5. ウィスキーを入れて、とろみがつくまで煮詰める。

6. 火を止め、冷まして瓶詰め。これで出来上がり。

 

Img_0421 まだとろみが固まらない汁の暖かいときに味見をしたのだが、自分でいうのも何なのだが、なかなかの出来上がりだった。皮の苦味がウィスキーの苦味と輻輳して、さらにレモンの酸味と、とろみの甘さがそれらに乗り、複合した味が絶妙だったのだ。

 

Img_0424 こうなってくると人間の心理というものは恐ろしいもので、「ウィスキーレモン」の観念がわたしの中に住み着いてしまったのだ。シェモモの「ウィスキーとレモンのコンフィチュール」と、さらにはスコットランドのアイラ島で有名な伝統のモルトウイスキー「ボウモア」のウィスキーマーマレードも取り寄せて、じっくり味わって比べてみたいと思うようにもなっているのだ。メイキングとは、インゴルドが述べるように、観念と素材の限りない相互作用として存在することをコンフィチュールのつくることに見たのだった。

 

2017/12/17

沖縄学習センターで再び面接授業

Img_0337 台風のせいで、というのか、台風のおかげというのか、再び沖縄で面接授業だ。10月の季節外れの台風襲来で、二日のスクーリングのうち、1日分だけようやく消化して、今回後半の授業のために再び来沖した次第だ。

 

Img_0336 この時期は師走というくらいに、私たちにとって、収穫祭が開かれる時期だ。先日卒業研究が終了して、審査発表会が開催されたばかりなのだが、現在の時期は、次の修士論文の締め切りが間近に迫ってきているのだ。Img_0322 仕事なのだと割り切ってしまえば、固まるのを待って、それを取り込み、批評して返せば良いのだが、仕事と割り切れないところがあって、やはり「収穫祭」という言葉の方が妥当な感じがするのだ。それは、ある程度なのだが、一緒に作ってきたというちょっとばかりの思い入れが、わたしにとっても収穫だと思わせるものがあるのだ。

 

Img_0332 今年は、10人ほどの方が入れ替わり立ち替わり、50枚から100枚くらいの分量のファイルをメールで送ってきている。わたしも一度はファイルへワード文書のコメント機能を生かして、なるべく詳細に、時間の許す限り、批評コメントに織り込んで返信している。けれども、何回もコメント機能を繰り返しても意味がないだろうと考えて、臨機応変に短い指摘を文書で送付することも行っている。

 

Img_0334 今年の特色は、1ヶ月前に周到に送ってくるタイプの方はいらっしゃらなくて、だいたい遅め遅めの第1波、第2波、第3波と続いた。このため、論文の重なりが激しかったのだ。特に、最後の金曜日は13日ではなかったのだが、朝の枕元でパソコンが鳴り始め、夜までに6本の論文が送られてきた。このうち3本はすでにコメントを送っていて、2回、3回、4回目のものだったので、簡単なコメントで返した。Img_0328 けれども、あと三日という段階で、初めて送ってきた学生が3人もいたのは初めての経験だ。わたしもその昔、この手のことをした覚えがある。三日前に先生に見せるということを一度行ったことがあり、大手町の地下の喫茶店で呆れ顔でコメントを受けたことがあるので、因果応報とはまさにこのことだ。

 

Img_0326 先日富山出張の折に、天候が崩れ、雪が舞ってきたのだが、その時に体調を崩し、それが1ヶ月も長引いている。この1ヶ月には様々な事件も起こって、ちょっと強い薬を医者に処方してもらっている。その薬が効いている時には、モルヒネの代わりになる薬だけあって、割と気分が仕合せになって、夢のような中にあり、そこではいろいろなアイディアが空を飛んでやってくるのだ。やあと叫んで、論文を突き動かしていくのだ。Img_0323 わたしに構わず、執筆者本人に直接到達すれば良いと思うのだが、と思って返事を出すと、実はそこがキイポイントでしたとすぐに答えが返ってきたりして、このような時には、まだまだ論文書きの商売はやめられないなと思ってしまうのだ。それでも、こんなに3人も残ってしまったのは初めての経験だ。

 

Img_0330 それぞれの人びとに、本来であれば書かれるべく生まれてきたアイディアたちは、今頃どの辺を彷徨っているのだろうか。誰かに取り付いて、この世に現れてほしいアイディアたちだったと言っておこう。未練がましいとはいえ、アイディアたちが可哀想だなと思ってしまうのだ。

 

Img_0327 さて、沖縄行きの時間が迫ってきてしまって、返事を出すのもできないかもしれない。例年はこんなこともないのだが、今年だけは台風のせいだから致し方ないだろう。諦めも自然災害のうちに入るのだ。

 

Img_0335 面接授業の方は、1ヶ月以上も間が空いてしまった。全員の日程あわせは行ったのだが、それでも、この間に新たな予定が入ってしまうかたもいらっしゃったことだろう。わたしにとっては、二日間続けるよりは、1日ずつ切り離された方が1回毎の密度が濃くなったような気がする。話の道草が多くなったことでも、そのことがわかるのだ。

 

Img_0329 「椅子の社会経済学」というテーマで、1年間面接授業を行ってきたが、今回で一応の区切りをつけて置きたいと思っていたのだが、講義をしている最中に、また新しい観点が出てきてしまったので、また、1年後には第2弾として再開しても良いと思ったような、今回の授業だった。

 

Img_0338 今回も、友人のTが夕飯を一緒に摂ってくれるというので、琉球大学から急行便に乗って、安里へ出る。「アグー」という、豚を神に捧げる風習が沖縄にあるそうで、そこでは在来種の豚が捧げられていたらしい。Img_0345 それの復活を目指している農場からの「豚しゃぶしゃぶ」を食した。中学からの友人Tと、なぜ会いたいのか、と互いに問うたのだが、やはり「懐かしさ」かなという常識的な答えに、雑談が巡り巡った果てに到達したのだった。Img_0349 互いの自慢をしてもそこそこだし、互いの不幸を嘆いてみてもそこそこなのだ。元は一緒ではないかというところに、いつも落ち着くのだった。

2017/11/14

富山県美術館へ来ている

177095296_unknown 今年、旧富山近代美術館が新しくなった。富山駅近く、運河の再開発地域に、「富山県美術館」として開館した。その報道の中で、これまで美術館が19世紀からの近代椅子のコレクションを行なって来ていることを知った。現在、わたしは放送大学の授業で、近代椅子を数多く取り上げ、これを経済社会的な見方で再構成している。177095616_unknown 講義室内では、教育のためなので、これらの近代椅子を見せても著作権フリーなのだが、実際には椅子デザインにも著作権があって、テキストに椅子を出すにも、許可が必要で、もし映像をまとめて撮るとしたら、どうしようかと考えていた最中だった。177096944_unknown それで、富山県美術館のコレクションをどのような形で大学授業に使うことができるのかを確かめようと、出張し取材することになった。ちょうど、コレクション展ということで、170種類ある椅子のうち、3分の1ほどが実際に展示中だった。この展示が本日最終日で、明日からは展示が変わると電話で知らされたのだった。ピンポイントのチャンスということだ。

 

177098592_unknown 昨日は、幕張のCスタジオ(放送大学の制作棟にはABの二つのラジオスタジオしかないのだが、もう一つ予備的に使われる研究棟にあるスタジオ)で、交通経済学のA先生と来年度からの授業科目「都市と農山村からみる身近な経済」のラジオ収録を行った。177097632_unknown A先生は秋にルーマニア出張に行って、ヨーロッパの交通事情調査を行なっていたので、なかなか打ち合わせする機会はなかったのだ。けれども、先日亡くなったH先生のゼミを通じて、すでに十数年議論を行い合った仲間なので、心配はなかった。収録にはすっと入って行けた。わたしの1段落を取り直しただけで、あとは初録りで予定していた時間を残して早々と終了した。

 

177099872_unknown その足で、東京駅から北陸新幹線で富山へ向かう。横浜へ帰るよりも、早く富山の宿泊所へ入る。このホテルが、ちょうど路面電車の停留所前にあって、数分に一度通り過ぎるガタガタピシャという音が生活のリズムにあっている。音が聞こえるたびに、窓際へ行って眺めてしまったのだ。

 

 橋をこえて、音が聞こえてくる

 グーという軌道を通じて伝わる音と

 ガタガタピシャという空気に伝わる音と

 

 姿をあらわす外側の恥じらいと

 きらびやかな内部の照明と

 

 客ひとりひとりの心を集めて

 包み込む光線の集団が通り過ぎていく

 夜の冷たさの中で

 そこだけが温かいものを感じさせる

 音と光を超えて、橋を渡っていく

 

177095776_unknown あくる日の当日、激しい雨になった。天気予報によると、途中から雪に変わるそうだ。市内ループ線の新型電車に乗って、富山駅へ出る。ここからの開発地域には、散歩歩道が川沿いに整備されている。その曲がり角に美術館もあり、運河の再開発地域もあるのだ。水平線と垂直線の際立った近代建築型の美術館へ着く。二階の迫り出した一階のエントランス、二階・三階の回廊式展示、屋上の庭園という典型的な美術館建築だ。それに、周りの魅力的なモニュメントが配置されていて、建物と環境全体が美的空間を強調している。

 

177095872_unknown 瀧口修造コレクションも藤田嗣治の特別展示もジャスパー・ジョーンズの絵もあって、魅力的な美術館なのだがそれらを通り越して、さっそく3階にある近代椅子の展示会場へ直行する。4段のひな壇が30メートルほど大会場に作られていて、それぞれ横に13脚ほどが乗せられている。177095920_unknown 一望で40脚あまりの名作椅子を眺めることができる仕組みだ。右上段のトーネット椅子に始まって、左下段のポストモダン椅子まで並べられている。椅子は見るよりも、座って感じるものなので、この方式はどうなのかと思われるのだが。

 

177095840_unknown したがってそれに加えて、広いフロアには、さらにブロックごとに分けて合計15脚ほどの椅子が配置されている。少し身近におりてきたというところだ。マッキントッシュ、リートフェルト、ブロイヤーと続く。そして、5脚ほど座っても良いとする椅子が置かれている。本当のところ、ここが一番重要なのだが、5脚とはちょっと出し惜しみという感は免れない。177096064_unknown 全部座れる形で展示して、どうしても壊れやすいものだけ、ひな壇に飾るべきなのではと思うのだが、管理の側からすれば、そうもいかないのではと思われる。ガウディーのベンチ、イームズの安楽椅子などはなかなか触感を楽しむところもないので、これらに座って、数時間過ごしてしまったのだ。

 

177096176_unknown さて、このように美術館で、近代椅子の展示を行う理由・意味にはどのようなことが考えられるのだろうか。一つは、当たり前なのだが、一覧展示の魅力だ。比較と歴史を一望できる点だ。「椅子の世界」というものが、個々の椅子でしか、わたしたちは感じて来なかったのだが、177096352_unknown このように一覧展示されると、すべてが一団となって、一つの世界を形成していることを知るのだ。名作椅子とは、どのような椅子のことを言うのだろうかということがわかるのだ。

 

177096400_unknown 「万物照応」というボードレールの詩がある。感性があちこちの椅子と感応して、自分の五感が部屋全体に張り巡らされる。一つの椅子に座っただけなのに、感性は60以上の発達を見せるのだ。椅子の世界という象徴の森に入り込んだかのようだ。このように詩を作り変えても、許されるだろう。

 

 人は椅子の間を静かに歩む

 象徴の森をゆくが如くに


 遠くから響き来るこだまのように

 夜の闇 昼の光 の深い調和のなかに

 五感のすべてが反響する


 栗の木理のような鮮烈な感触

 オーボエのように優雅で 拍子木のように枯れて

 甘酸っぱく 豊かに勝ち誇った 肘木の触わり


 無限へと広がりゆく力をもって

 紫檀 杉 楢 桜の木の香りが

 知性と感性の交感を奏でる


177098992_unknown コーヒーポットは持参したけれども、昼食は持ってこなかったので、すでに3時をすぎてしまったのだが、遅めの昼食を近くのコーヒーショップで食べることにする。美術館の向かいが江戸時代からの運河を復元した環水公園になっていて、広い敷地と運河に面して、公共の施設が並び、その中で単独で商業施設のSBコーヒショップが中央に迫り出している。177099152_unknown ちょうど紅葉を背景として、環境を加味したコーヒーショップとしては贅沢な配置を見せている。コーヒーだけでなく、プラスα部分がかなりある喫茶店であると言えよう。店内は「世界一美しいSB」というキャッチコピーに魅せられた観光客で賑わっていた。

 

177099056_unknown さて、師走へ向かって、忙しくなる季節だ。例年通り、今回の出張には、学生たちから送られてきている論文草稿を持参した。毎晩、1編ずつコメントをつけて送り返している。今年も力作揃えで、すでにA4ページの100枚を超えるものも送られてきている。これらが、2、3回やり取りされて、完成されていくのは、何か不思議な文字の世界を見ているようだ。線がいっぱい描かれ、その中でも何か選びとられた、活気のある線たちだけが残っていくのを見ている。177474048_unknown 花火が打ち上げられて、それらがずっと空高く線を描いて、美しい線画が大空に出来上がるように、学生たちが打ち上げてくる論文の描く軌跡を修正しつつ、その軌跡が意味ある美しさになるように、こちらも線を描いて返しているのだ。

 

177096736_unknown というようなことと同時に、わたし自身の論文も線を描きつつあるのだが、しかしそれは、他者の論文を直すようにはうまくいかない。こっちを塞ぐと、あっちから漏れてしまうし、あっちを埋めるとこっちが裂けてしまっている。沖縄で買ってきたCDから、詩人山之口獏の歌が響いてくる。

 

 

 靴にありついて

 ほっとしたかとおもうと

 ズボンがぼろになっているのだ

 ズボンにありついて

 ほっとしたかとおもうと

 上衣がぼろぼろになっているのだ

 上衣にありついて

 ほっとしたかとおもうと

 もとに戻ってまた

 ぼろ靴をひきずって

 靴を探し廻っているのだ


という、「動作の連鎖」が続いているのだ。ボロボロがホロホロになったり、ボロボロがポロポロになったりして、連鎖が幾重にも循環する。

 

 

 

 

2017/11/01

「社会経営研究」「社会経営ジャーナル」第5号のβ版発行!

Img_9202 沖縄から幕張へ帰ってきた。毎日、ポットへコーヒーを入れてから、1日が始まるので、那覇にいても、幕張にいても、それほど日常は変わらない。悪い夢を見た日は違うのだが、午前中には原稿に向かい、午後から活動が始まるというサイクルの内にあれば、どこに居ようと大差ない。はや11月となり、遅ればせながら来年度から始まるラジオ科目「都市と農山村からみる身近な経済」収録の季節が巡ってきた。Img_9204 2年間かけてきたテキスト作成も最終段階になってきて、初校、再校、フレンドリー・アドバイスなどと3回目の点検も済み、今回は放送原稿を2回作成したから、少なくとも5回くらいは内容の検討を重ねたことになる。悪い夢とは、検討を重ねるときに見えてしまうから始末に悪いのだが、もう放送の段階では迷っている暇はないのだ。研究室の窓からの景色も変わり、紅葉が目立つようになって来た。

 

Img_3476_2 制作棟3階にあるRBスタジオへ向かう。ラジオスタジオは幕張にABと2つあり、きょうは小さな方のBスタジオでの収録だ。調整室では、島根大学のI先生、ディレクターのK氏、録音技師の3人が待っている。日頃、中国へ出張したり気管支炎を患ったりした人たちが、決められた日時にぴったりと一堂に会すなどということが起こることが不思議な現象だと思えてしまう。

 

Img_3079 今回の科目録音では、すべて対話形式で収録を行うことにしている。4人の講師が入れ替わり立ち替わり、2コマずつ収録し、攻守を変えて、1コマずつそれぞれ話す役と聞き役とを務めることにしている。一回は専門を語り、一回は相手の話を聞くということだ。とくに、聞き役は重要で、話す役からうまく話を引き出さなければならない。Img_3080 話す方はこれまで書いて来たことだから、それなりに道成りで話していけば良いのだが、聞き役は聴取者・受講者たちの代表という意味があって、どのように決められた話をうまくわかりやすく聴きだすのかが問われる。日常にはない、きわめて面白い役どころなのだ。もっともうまくいけばの話で、うまくいかなければ、悪夢になるのだが。

 

Img_3479_2 金魚鉢のこちら側と向こう側とで、また金魚鉢の中では向こう側のマイクとこちら側のマイクとで、次々と合図とおしゃべりが繰り返されていく。音楽が始まって、ディレクターがキューを出してからの互いの共通意識の世界を彷徨する緊張感はたまらない。シナリオ案は一応作っておくのだが、それは保険のようなもので、主としてアドリブ部分を一生懸命考えつつ、番組は進んでいく。Img_3075 アドリブが続かなくなったときには、このシナリオへ帰って来て、対話者とレベルを一致させて、さらに先へ進んでいく。ウォーキングを2人で行なっているようなものなのかもしれない。一緒に歩き、前へ行ったり後ろへついたりしながら、2人とも常に足を前へ出していくのだ。I先生は初めての経験だとおっしゃっていたが、コンビネーションはとてもうまく行って、少し削っただけで、初取りで済ますことができたのだった。

 

20171102_232436 沖縄からのお土産の35珈琲と、牧志市場で購入したサーターアンダギーを、「社会と産業」カンファレンス室のAさんに渡して、早々に幕張を出る。きょうは、研究同人誌の「社会経営研究」と「社会経営ジャーナル」の再校を行なって、とりあえずβ版を発行する日なのだ。先日、執筆者へ校正を依頼しておいたメールが続々と届いている。Kさんは85歳を過ぎているのだが、校正原稿をプリントアウトして、修正点を書き出して送ってくださった。明日からは奈良を来訪する予定の忙しい中、校正原稿を送ってくださったのだ。他の執筆者も編集者たちの懸命の編集に耐えて、寛容の精神を発揮してくださっていて、感謝の言葉もないくらいだ。

 

20171102_233045 校正段階で依頼された中には、編集委員会の趣旨に合わないところもあり、そのことで執筆者の意にそぐわないことも出てきてしまうかもしれないが、その場合には、三校の段階でもう一度連絡をお願いしたい。β版の良いところは、直しながら発行できる点であり、紙版の雑誌では考えることができない発行形式が可能になるのだ。夜遅くになってしまったが、どうやら今年もようやく発行にこぎつけたことを執筆者と編集者と読者とともに喜びたいと思う。

「社会経営研究」「社会経営ジャーナル」第5号β版はこちらから

 

2017/10/30

「海の青さに空の青」の沖縄

Img_3401 「海の青さに空の青」というイメージで、沖縄へはいつもは向かう。ところが、今回ばかりは、台風22号の風雨で、この青さには接することができないらしい。そこで、うちの中で楽しむことのできる沖縄料理に徹することに決めた。

 

Img_3412 1日目の夕食は、沖縄に住んでいる友人T氏が東京に住んでいる息子さんS君を一緒に連れて来て、那覇市栄町市場にある沖縄料理の店「パヤオ」にて食事。パヤオとは素敵な名称なのだが、フィリピンでの浮き漁礁のことで、これが海に浮いていると、その下に魚たちが集まって来るのだそうだ。まさに、そのような雰囲気の店だった。

 

Img_3413 T氏とは中学時代から一緒に育って来ていて、結婚も同じ頃にしたし、彼のシンポジュウムに招かれたり、わたしの授業番組に出ていただいたりして、共通の話題がたくさんあり、もちろん食事をするよりも話をしている方が多いのだが、今回は料理も十分に楽しんだのだ。息子のS君は好青年に育っていた。沖縄へ戻って来て、この湿気を吸った、ちょっと気温の高い気候がとても良いと言っていた。そのような感覚が地元出身の人びとの中にはあるのだな、と彼の感想に好ましさを感じたのだった。Img_3414 彼が幼少の頃に、やはりわたしが沖縄に来て、T氏の奥様も一緒に食事をした記憶がある。酒はT氏がボトルキープしていた、那覇の泡盛「瑞泉」を水割りでいただく。結局、彼は最終バスがなくなるまで、一緒に飲んでくれたのだった。

 

Img_3421 じつは、2日目も彼と食事をした。前から気になっていたという店が、やはりホテルの近くの栄町にあって、そこでは山羊料理をイタリア料理として出していた。「ル・ボン・グー」というまさに山羊中心の店だ。ロビンソン・クルーソーが孤島で、家畜を飼っていて、確か山羊だったと思われるが、やはり島には山羊が似合うと思うのだ。断崖絶壁の草を食んでいる構図は、想像するだに、興味がわく。野生のように放牧された、沖縄の山羊はさぞかし美味しいのだろうと来店したのだ。Img_3425 予想に違わず、山羊肉の入ったカルパッチョには山羊の粉チーズまでかかっていて、香りはかなりキツかったのだが、美味しい夕食となった。その後も、山羊尽くしが続いた。この歳になってくると、T氏と互いに、人生の苦しいことも楽しいことも両方あって、それぞれ乗り越えて来たという感慨があるのだ。とついつい、老人の会話が続くのだ。

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3日目には、ようやくにして、本来の仕事である面接授業を1日分だけはたっぷりと行ったのだ。少しでも仕事になって良かったと思ったのだ。そして終了した後、沖縄学習センター所長のT先生と、沖縄料理の代表的な居酒屋で、丸ビルへも支店を出している「うりずん」へ行く。このうりずんという言葉の響きもとても良い。2月から4月の潤いたつ季節を表した言葉だそうだ。ここでも、島らっきょう、チャンプルーなどの沖縄特有の料理を堪能した。T先生がキープしている酒の甕には相当な年季が入っていた。すでに40年あまり、この店に通っているのだそうだ。

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Img_9101 最後の日には、午前中に仕事を早々に済ませて、午後は国際通りから、牧志公設市場あたりを散策する。まず妻から頼まれていた菓子「サーターアンダギー」を買う。その店は、午前中で完売するほどの人気店のところで、卵黄がそのまま菓子の中核部分の黄色を決定していた。沖縄の母みたいな方が出て来て、おまけだといって、もう一つを紙袋に入れてくださった。それをつまみながら、公設市場の一階の魚屋や肉屋などを見てあるいたのだ。

 

Img_9110 市場の向かいにある店を見ていると、こんなところに古本があるのだという店を見つける。「ウララ」という店で、一間ほどの狭いスペースに下から上までぎっしりと古本・新本を並べている。とくに、注目される店先には、「世界の市場」とか「日本の市場巡り」などの市場本と店主が書いた本が置いてあった。Img_9107 興味を覚えて、奥の書棚を覗いてみると、沖縄出身の「山之口獏」の詩集が置いてあった。フォーク歌手の高田渡が歌っていたことで、わたしは知っている。その高田渡がプロデュースしたCD「獏」が売られていたので、購入した。Img_9122_2 最後に、「生活の柄」という詩が入っていて、沖縄民謡歌手の大工哲弘が歌っていて、高田渡の内地的歌い方に比べて、ウチナンチュー的な歌い方になっている。Img_3481_2 高田渡の歌も悪くはないものの、作った本人よりも本人らしい歌の歌い方というものがあることを理解したのだった。Img_9121 ベターっと大地に寄り添うような、湿気たっぷりのウチナー的情緒いっぱいの歌に変わっている。

 

Img_9156 昼食は、市場の近くを歩いていて見つけたのだが、並木の素敵な壺屋町の自然食店「Mana」で、自然食の日替わりプレートを食べる。当然のように、女性たちが時間になるとわっと入って来た。Img_9139 美味しさを楽しむというよりは、自然さを楽しむという食事だった。身体の中がすっとして行くような感覚がある。そのあとは珈琲だ。向かいの喫茶店「Mahou Coffee」にて、アメリカン風味のコーヒー。すっきりとした苦味系の味だ。Img_9140 この近辺には、ギャラリーや雑貨屋やDIYの店が多く、以前紹介した絵本「きょうはパーティのひ」を店先に並べている絵本屋さんもあって、1日を十分に過ごせそうな街だ。つまりは辺境の街なのだ。

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ここを右に曲がり、もう一度右に曲がり、さらに、小高い希望ヶ丘公園と、ハイアットリージェンシーホテルに挟まれた急な坂道を登って行くと、両側に不思議な飲み屋さんやブティックが並んでいて、そして行き着く先に目指す「桜坂劇場」という名画座、カフェ、カルチャセンターのビルに当たる。Img_9134

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出張先で映画を、という習慣を忠実に実行すべく、東京で見逃していた映画「ギミー・デンジャー」を見る。映画「パターソン」が同時に公開されたので、こちらの映画はスルーしていたのだ。ロック歌手ギミー・ポップをジム・ジャームッシュ監督がドキュメンタリーで描いた作品だ。Img_9168 60年代から今日に至る、ロックの「危険」性を扱っているのだが、このように社会の中で相対化されると、ちっとも危険ではなかったといえる。ロック歌手の常道で、人気が出て、薬に溺れ、心と健康と家族が崩壊するのだが、ギミーの場合には、このあと復活するのだ。当時はこのような状況が見えなかったので、みんながギミーの方向性を危険だと考えていたのだが、時代が変われば、「危険」という考え方もかなり変わるということだ。

 

Img_9100 最後に、駅のコーヒースタンドで、「35」珈琲を購入し、飲みながら沖縄での生活を反省する。パンフレットによると、この珈琲は風化した骨格珊瑚を利用したサンゴ熱で焙煎されているらしい。Img_9198 カルシュウムの乾いた感触を思わせる、これもさっぱりした苦味系の味だ。沖縄から珊瑚を持ち出すことが県の漁業法で禁止されているので、地域特化のコーヒーといえる。現地でしか、生産が許されないのだ。そして、この代金の3.5%が珊瑚礁再生・保護に寄付されているということだ。フェアトレード的手法だと思う。「何気ない1杯のコーヒーで沖縄の海にサンゴが増える」というキャッチコピーは泣かせる。これはアイディアだ。

2017/10/29

2日目だけの沖縄の面接授業

Img_3445 昨日吹き荒れた「台風22号」は北上したために、まだ雨は残っているが、風は止んでいた。沖縄の人びとは多少の雨では傘はささない。また、暴風雨になると、傘をさしても役立たない。結局、傘はささないのだ。そんな小雨の中、ネットで検索した時刻に合わせ、琉大行きのバスに乗るために、早めにバス停へ行く。Img_3446 ところが、停留所には、張り紙があって、数日前にダイヤ改正が行われたというのだ。確かめると、5分前にバスは通り過ぎていた。日曜日なので、朝にもかかわらず、30分に1本しかない。万事休す。

 

Img_3447 と思って、顔を上げると、97番琉大と書いたバスがすっと現れたのだ。この世に神様がいるのではないか、と感じる一瞬だ。ステップを踏んで、腰掛けてもまだ信じられない。バスなので、5分くらいは遅れて当たり前なのだが。じわじわと湧いてくる、日常のラッキーを反芻するのだった。

 

Img_3450 琉大の構内には、低層の広葉樹が並木を形成している。風で飛ばされた小枝や葉っぱが歩道を埋めている。置き場の自転車が乱雑に横転している。10数年前にも来たことのある琉大図書館へ行く。入り口で部外者用書類へ記入して、閲覧者カードをもらう。Img_3451 調べたい図書のレファレンスを受けようとすると、わたしたちは日曜日のアルバイトなので、とやんわりと断られた。けれども、図書館は改装されていて、図書の配列はわかりやすく、書庫に入ってからも、目指す雑誌にすぐ到達できた。書庫には、このような閲覧用の椅子が置いてあって、書庫でちょっと本を読んだり仕事がしやすかったりするようになっている。難なく、コピーをとって、一仕事終わった気になった。

 

Img_3453 学習センターへ着くと、事務長さんとSさんが教務の応対をしてくださった。問題は、行うことができなかった昨日の補講をいつ行うのか、という点だ。結局、出席している学生の方々と相談して、全員が再会できる日を探ることになった。つまりは、11月、あるいは12月にもう一度沖縄へ来ることがほぼ確実になったのだ。教室でこの協議を行ってみると、まずわたしの都合の良い日は、ほぼ誰かが都合が悪く、完全に全員が一致する日は、1月の成績提出までの間には存在しないことがわかったのだ。Img_3452 困ったな、と言っていると、1人の学生が遅刻を認めてもらえるならば、一日を譲ってくれるということになって、ようやく全員参加の一日を作り出すことができたのだ。このような日程調整の困難さは、社会人大学の宿命だ。その予定日は、前日に東京文京学習センターで大学院ゼミを終えてから、羽田から那覇へ飛んで、次の朝を目指すという、猛烈サラリーマン並みの忙しさを味わうことなる。

 

Img_3448 今回の面接授業のテーマはこれまで3年ほど続けて来たが、「椅子の社会経済学」というテーマは今回が最後だ。いつものように、最初に自己紹介を兼ねて、受講生の方々の椅子体験を語ってもらう。聞いていて、定番となっているのは、小学校の椅子なのだが、木製派とパイプ派に別れる。戦後すぐの方々は木製派が多く、少し後になって来ると「パイプに合板」派が多くなるのだ。現在はほぼ「パイプに合板」をビスで止めた椅子が体勢を占めている。やはり、小学校時代からの記憶で、座板などの要所では「木」という素材は外せない。全部が金属とプラスチックになるには、時代の変化が必要だろう。

 

Img_9085 今回の話の中で、今までになかったのは、籐の椅子だ。柔らかなイメージと曲線・曲木に優れた素材だ。部屋の雰囲気が、この籐の素材によって、かなり決定されるほどに、強烈な印象を残す椅子だ。この椅子に、電灯のシェード、そして衝立も籐で揃えれば、立派なアジアン趣味の部屋になるだろう。沖縄のように、風が吹き抜けて行く部屋に似合いそうだと思ったのだ。

 

2017/10/26

育ててもらった場所が失くなってしまうこと

世の中には、思いも寄らず、そこに属している間に育ててもらえる場所というものがあるのだ。生まれてから、長らく家庭がそうだったし、妻との現在の家庭もそうであることは間違いないのだが、働くようになって、社会へ出るようになり、いくつかの場所を見つけていったと、今になって思うのだ。その一つが「財団法人家計経済研究所」だった。設立時の常任理事だったM氏が呼んでくださって、研究員になった。週に1、2回出れば良いということで、厚遇してくださった。

 

この研究所で書いた論文で、機関紙『家計経済研究』の創刊号に載せていただいた「家計原理と家族」は、その後のわたしの研究方向を決定的に左右するものだった。大学院までの研究を清算して、新たな一歩を踏み出したと自覚したものだった。現在でも、この時の問題意識を大事にしている。この意識は、1日や2日で育つものではなく、若い時といっても当時すでに30代になっていたのだが、経済的にも以前と比べれば恵まれて、放送大学での仕事もあってかなり忙しかったけれども、自分の研究にじっくりと取り組める心の余裕が、この場所に所属していることで培われたと今でも思っている。この論文は、とくに常任理事をはじめ、なぜか監事の方々にも、パーティの場などで褒めていただいたことも覚えている。

 

昨日、厚紙の立派な案内状がこの家計経済研究所から送られて来た。今年の12月5日をもって、31年間続いた家計研究の場を解散することになったそうだ。パネル調査など研究活動と4名の研究員の方がたについては、慶應大学が引き継ぎ、懐かしい「家計経済研究」雑誌などについてもN先生(日本女子大)が引き取ることになって、活動そのものは当分維持されるようだが、やはり場所、研究の拠点という具体的な場を失うことの影響は大きいと思える。研究員のK氏へ直ちに電話をかけたのだった。

 

論文や書評を書かせていただいた他に思い出深いのは、お茶の水大学の故M先生たちとの研究会の思い出だ。夕方になって、研究所が閉じる頃を目指して、若手の研究者たちが集まって来て、家計研究について議論を戦わせた。研究所はかなり鷹揚で、研究会のスポンサーになってくださったばかりか、この都内の一等地で議論の場所を提供してくださったのだ。現在、放送大学でゼミのために場所を大学以外の場所で借りようとすると、かなり高額な請求が来ることを考えれば、たとえ当時時間外の使用であったとしても、交通の便の良い(当時は文藝春秋社近くの麹町にビルがあったのだ)部屋を提供してくださったことは、今になって考えれば有難いことであったのだ。Img_3482 現在でも、この時対立した時の議論の夢を見るほどなのだ。議論が対立する中で、わたしは育てられていったのだと自分では考えている。

2017/10/23

台風の影響が心配なのだが、Tupera Tupera展を観に行く

Img_3337 横須賀美術館へ、Tupera Tupera展を観に行く。昨日の台風21号が日本を縦断して、近くの弘明寺公園には、樹々、葉っぱ、どんぐりの実などが所狭しと地面に散乱していた。Img_3323 午前中には、印刷教材の執筆と研究誌「社会経営研究」と「社会経営ジャーナル」の印刷を行なっていた。それで、理由はいくつかあるのだが、なぜか頭が詰まってしまっていたのだ。それを観た妻が、先週から行きそびれていた、この展覧会を勧めたのだった。

 

Img_3387_2 Tupera Tuperaとは、若手の絵本作家(だけではなく、多才能のデザイナー)亀川達矢氏と中川敦子氏の二人のユニットだ。展覧会の最後の方に、なぜ絵本を始めたのかという説明のコーナーがあって、当初は布の切り絵の画家だったそうだ。これにストーリーが付き始めて、絵本になったのだそうだ。じつは、見ていて、この初期のものに興味を思えたのだ。ストーリーよりも、形・色・素材などの楽しさに満ちている。言葉よりもモノの直感的な世界を重視しているように思えたのだ。

 

Img_3345 けれども、通常のモノの直感だけとは異なるところがあるようだ。絶えず、二つ以上のものの組み合わせで、制作を行なっているという特徴がある。たとえば、絵本の一つとなった、「しましまじま」は典型例だ。一本の筋だけではなく、色の異なる他の筋が数本組み合わさってリズムを作っている。Img_3388 ストライプと一言で言ってしまえば簡単なのだが、このストライプが島の人びとのあらゆるところに出現するのだ。まず、島全体がストライプだから、一本の線と2本目の線とは調和が必要になってくる。ということで、島に存在するもの全てが、一本では決まらないのだ。二色以上でデザインされるという意味がここにある。一つの考え方だけでは決定できないのがストライプの思想だ。

 

Img_3364 ふつうは、1人のデザイナーが二本のストライプの配色を調和させていくに違いないのだが、もしこの基礎的な段階から、2人のデザイナーが話し合いで配色を考えていたとしたら、どうなるだろうか。おそらく、意図するところはこのようなところではないかと思われる。Img_3334_2 あえて、2人に仕事を分けてみると、そこの見えてくることがあるのだ。縞模様自体が共同性を内包していると、Tupera Tuperaを見ていると思うのだった。ストーリーで共同性を描くのではなく、形・色・素材などで共同性を描いている。

 

Img_3348 結局のところ、この展覧会を見ていて、考えたのは「好奇心」という、絵本の世界の重要な要素だ。好奇心はどのようなときに浮かぶものなのだろうか。展覧会では、亀川氏が「思いつく」好奇心派を担当して、中川氏が思いついたことを「面白いと感じる」好奇心派を担当していた。Img_3360 会場には、ビデオが映写されていたのだが、制作のときに2人は、横に並んで机に対している。そして、2人の間にある画用紙に、まず亀川氏が思いついた、切り抜きの素材を置く。すると、その思いつきに反応して、次の切り抜きの素材が中川氏によって、画用紙に置かれるのだ。この対話的方法によって、作品が作られていく。

 

Img_3349 何か思いつくということは、最初の出発としてはたいへん重要な要素であることは間違いないのだが、じつはそれに連なる次の面白さが続かないと、作品は一方的な作者の独りよがりに陥ってしまう。だから、特に注目したのが、中川氏の役割だ。好奇心には、イニシャルなものだけでなく、作者の思いつきに対して、次の共感を準備することがとりわけ重要な好奇心となるのだ。以前、同僚の心理学者O先生と電車で一緒になったときに雑談した。Img_3352 やはり、心理臨床のあり方として、共感ということを多様に準備する(言葉は多少違っていたような気がする)必要があり、それが臨床の訓練ともなるという話を聞いたことを思い出した。好奇心の発揮には、単に思いつきの尊重だけでなく、思いつきへの共感が必要であることを、Tupera Tuperaの作品を見ながら想像したのだった。

 

Img_3372 いつものように、椰子の樹が並ぶ海岸通を、強い風にもかかわらず、満たされた気分でバスに揺られたのだった。Img_3375

 

2017/10/21

ウィンザーチェア展を観る

Img_3322 今年の卒業研究が追い込みに入っている。全員の参加者が下書きを届けてきた。卒業研究では、手いっぱいに広げていた知識は、いずれは妥当なところまで縮小して、無理のないところまで切り下げなければならないだろう。でも、無理したところは無理した過程で、そのぶんだけ苦労したので、なかなか捨ててしまうわけにはいかなくなっている方もいる。けれども、あえてこのようなところは、そのまま出すのではなく、すっぱりと切り、削る覚悟が必要なのであろうとあえて申し上げておきたい。カンナで仕上げを行うごとくに、最後は手触りの良いように、論文についてもそのような状態まで持っていきたいものである。

 

Img_3274 夏に長野市で開かれていた「ウィンザーチェア展」が東京に回ってきていた。長野市へ行きそびれてしまっていたのだ。現在は、この展覧会が駒場の日本民藝館で開かれている。Img_3267 井の頭線で先頭車両に乗って、改札を出てすぐの駅前の蕎麦屋「満留賀」で久しぶりのケンチンうどんを食べる。洒落た街並みが続く住宅地の中を日本民藝館へ向かう。

 

Img_3393 4分の1ほどの展示物は、松本民藝生活館からの出品だったので、すでにみたり触ったり、座ったりしたものが多かったのだが、椅子の場合には、やはり個人蔵というのが見逃せないのだ。なかなか個人蔵になってしまうと、見ることが難しくなるので、このような機会は得がたいのだ。どのような座り方をしたら、このようになるのか、そのことを想像するだけでも、展覧会を楽しむことができる。

 

Img_3394 修理の形跡などは、とりわけじっくりと見させてもらった。どうしても、木製製品では年季が立つと、もっとも弱点のところに無理が出る。ウインザーチェアの場合には、まずは「貫」部分だ。脚に来るのは、人間と同じで、椅子を斜めにして座ったり、負担がかからないと思われているところに、必要以上の力を加えてしまったりということが、故障の原因となっている。もう一つは、木という素材の問題だ。数百年経ったときにどのようになるのか、たいへん興味を覚えるところだ。

 

Img_3392 二つの椅子に注目した。一つは、他の椅子からあり合わせの貫を持ってきて、自分のウィンザーチェアの補強に使っているものだ。この場合、本来であれば、部品を持ってきてしまう、そちらの椅子も修理に出さなければならないのだろうが、それはかなり融通性の効く「貫」の採用を行っていたのだった。それも、職人に任せれば、もっと上手く修理するだろうが、いかにも素人が行なったと直ちにわかるような形跡が残っているのだ。これも難しいところだ。自分で直したくなるほどに、愛着を持っていたのだろうか。

 

Img_3391 もう一つは座面の板の歪みだ。この椅子を眺めれば眺めるほど、この歪みが「自然」のものに見えて来るのだ。実際、自然の成せる技なのだ。歪んでいても、座っても大丈夫そうだ。むしろ、お尻の曲がった人や、曲がって座る人には、むしろ座りやすい椅子なのだと言えるかもしれない。この持ち主は、おそらくあまりに少しずつ変わっていったであろうから、この歪みを意識したことはなかったのではないかと思われる。歪みが輝きを持って、存在する椅子だと言えよう。この歪みがあったからこそ、持ち主の愛着を勝ち得たのではないかとさえ、思ってしまうほどなのだ。

 

Img_3282 民藝館の向かいの屋敷が、柳宗悦の邸宅だ。くぐり戸を入って、廊下を経て、階段を登る。小さな部屋がたくさんある。おそらく、客人たちを泊めるために、多くの部屋を作ったに相違ないだろう。真ん中に、書斎があった。壁は本で埋められているのだが、目立つのは、机と椅子だ。

 

2017 注目したのは、異形な動物の顔の彫刻が前脚から肘木にかけて刻まれている、大きな椅子の方だ。晩年、机に向かうことができなくなったときには、この頑丈そうな肘木に板が渡されて、そこで書き物が行われていたらしい。Img_3320 なんとなく、民藝に似合わないと感じたのは、椅子に取り付けられていた金属製のキャスターだ。床にくっきりとキャスターで傷つけた跡が認められた。そういえば、京都の河井寛次郎も書斎でキャスター付きの椅子を使っていたのを思い出したのだ。けれども、河井の方は、木製のユニークなキャスターだったのだが。

 

Img_3270 この椅子は、どこで作られたものだろうか。野生動物の彫刻の模様を見ていると、日本でもないし、欧米でもないことがわかる。それで、係りの方に聞くと、アフリカではないかという方もいらっしゃるとか。Img_3291 答えに慣れているところから、この部屋に入って来る一定比率の客で、この椅子はどこで作られたものですか、と聞く人びとがいるということだろう。

 

Img_3295 雨はなかなか止みそうにない。渋谷へそのまま出ずに、途中の神泉駅で降り、Bunkamuraシネマで上映されている、映画「ル・コルビュジエとアイリーン」をみる。アイリーンはデザイナーとして有名で、コルビュジエの一つの系統の椅子のデザインも行なっている。今回の映画は、「E.1027」邸を巡る問題を扱ったものだったが、シャルロット・ペリアン同様に、当時の著作権問題はかなりゆるく、後で問題となって来るのだとわかる映画なのだ。Img_3314 考えてみれば、使っている人には使用権が存在しており、あまりにその対象作品に愛着があるならば、著作権の一部をその使用者が持ったとしても、法律的にはありえないとしても、現実の世界ではありえてしまうような気になって来るのだから、不思議なのだ。

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Img_3306 アイリーンのデザインした椅子とサイドテーブルが映画館の入り口に置かれていて、観客たちは座って、写真に収まっていたのだ。

2017/10/15

「静かなる勤勉」を体験してみた

174992416_unknown カーム・インダストリー(静かなる勤勉)という言葉を以前紹介した。職人が理屈を言うことなくひたすら手を動かし働く状態だとされる。言葉では、このように説明されるものの、それではどこがカームのようで、どこがインダストリーなのか、と言われても、実際のところはわからないのだ。174992528_unknown それじゃ、せっかく良い言葉に出会っても使えない。今日1日は、このことに徹してみようと考えたのだ。幸いなことに、多くの仕事はおおよそ終わってしまったので、余裕をもって、この言葉で遊んでみることができるのだ。

 

175255616_unknown そのまえに、昨日にはヒアリングをお願いしていたM氏にテープ起こし原稿を渡したのだが、テントに人があふれるほどに忙しそうだったので、奥様に原稿を渡して、説明を行なっていなかったのだ。それで、雨の中人びとが来ないうちに説明をしようとテントにはいった。M氏は今年小刀でアクセサリーを彫るというワークショップを行なっていた。

 

昨日、F氏が子供の頃、よく小刀で木を刻んでいたという話をしていたので、M氏はどうだったのか、と聞いてみた。すると、そうなのだとおっしゃる。学校から帰ってきて、よく削っていたそうだ。きっかけは、やはり親の影響があるらしい。木を削ったり、縄を編んだりしていた姿をみていたことが大きくなっても出てくるのだ。果ては家の中、公共の施設の柱など、あらゆるものに刃を立てて、怒られることにもなったそうである。こうなると突然ではあるのだが、徒弟制というものはなんとなく二者関係を引きずっているような気がするのだ。

 

175255408_unknown 今日は1日、この「静かなる勤勉」に徹するとして、まずは「削り」だ。鉋に挑戦することにする。ほんとうは道具それ自体が最大の問題であるのだが、そこは疑似体験の域内で済ませようということなので限界のあることは承知の上だ。スプーンをT氏のテントで作ることにする。原型はすでに作られていて、最後の南京鉋(なんきんかんな)による仕上げ工程だけが素人のわたしに残されている。

 

175255472_unknown 最初は誰でも、角度といい、引く力といい、どのくらい削れるのか、どのような手つきで行うのか、まったくわからない。経験とはそういうものだ。まずは失敗してみなければ、次へ進まない。これは机の上での学習とまったく同じで、失敗の中から学んで行く、トライ&エラーの世界が広がっている。失敗を一度で繰り抜けるか、二度で繰り抜けるかで、その人のセンスが見えてくる。

 

南京鉋の場合に、木の逆目に立ててしまって、最初にガリッという音がする段階から、次のガガーにつながり、その感触がスー、サーという段階になれば、一応鉋が走って行る状態に到達するのだ。このガリっという状態に拘泥してしまうと、なかなか初期状態を抜け出すことはできない。職人というのはこの状態を脱する段階にいかに当たり前に到達することができるかの技能を身につけていることかということだ。そもそも職人になったら、ひとりでやっていかなければならないのである。カーム・インダストリー学習は自分で行わなければならないのだ。カーム・インダストリーの特徴のひとつは、ひとりでひとり状態から脱することができるかということだろう。たしかに、これは人に聞いてわかって行くような、ビジーでうるさい状態とは異なるものだといえるだろう。

 

175256624_unknown 削るというのは、刃の当たるところだけしか、ひとまずは関心を持ってはいけない。ところが、削るというのは全体の流れが存在するのだとT氏は言うのだ。全体との調和を図りつつ、削っていかなければ、全体の形が整っていかないのは明らかだ。頭ではこのことはわかっている。けれども、頭で意識していては部分的なところの心配りからだっすることはできないのだ。理屈を考えることなく、全体との調和がもたらせれていかなければ、ならないのだ。

 

出来上がったスプーンをみると、一本だけでは何もわからないことを知ることになる。練習に練習を重ねて、ようやくカームな状態に達することがわかる。勤勉さは結果ではなく、そもそもの最初の経験でのプロセスなのだということがわかった。

 

175255936_unknown_2 二つ目の挑戦は、昨日のF氏のところで、鍋敷きつくりだ。江戸時代の住宅から切り出してきたという、カツラ材を彫ってみることになる。最初に、面を平鉋で整える。そして、のみでひたすら彫って行くのだ。これにはまさに、問題の勤勉さということが要求される。打ち込んでいないと金づちが手につかない、のみが木を捉えてくれないのだ。

 

小学校6年生の男の子が、ひたすらのみを打ち込んでいた。すでに、12歳にして、並々ならない決心をしようとしているかのようだった。現に、お母さんを連れてきて、F氏のところへ通ってきたいというのだ。学習塾よりも、すでに職人を志望していて、15歳になったら、この道に進みたいということだった。ご両親も暖かくそれを容認しているようであり、静かなる勤勉は人をひとつの道へ誘う効力を持っていることを知ったのだ。このクラフトピクニックという催しの良いところは、このような隠れた人生の出会いを自然に用意しているところだと思われる。

 

175256000_unknown いつものように、シェ・モモのM氏のテントで、コンフィチュールつくりに挑戦する。味覚と嗅覚と触覚とを同時に練達へ導いてくれる場所だ。まず、コンフィチュールの素材となるフルーツを選ぶ。175256016_unknown ここで、早くも「静かなる勤勉」が出てくるのだ。バナナとイチジクをまず選んだのだが、M氏はもう一つだというのだ。なぜバナナとイチジクだけではダメなのか。グレープフルーツを二つ追加する。175256128_unknown 酸味が加算され、素人のわたしにも、この選択はよかったと後になって思われるのだ。次に、バナナを二つに切れとM氏は言う、最初に大きめに切ったのだが、それではダメだそうで、小さい方を採用することにする。少し大きめにそれぞれ切って、ホーロー鍋に入れる。175256240_unknown すでに、エキスが出てきて、これだけでも十分に美味しそうだ。測ってみると、見事に目指した180gを1g超過しただけだった。目分量の勘と暗黙知の世界が現れ、それが味の世界と結びつけられるのを見ることになる。スケールで測りつつ、これにグラニュー糖を素材分量の半分ほどを入れる。175256240_unknown_2 これで、少し強火でグツグツと煮るのだ。沸騰が止まらなくなったところで火を止める。すると、もろみが付いてきて、粘り気のある果実液が出来上がるのだ。175256368_unknown これを準備したジャム瓶に入れると、なんと口までぴったりの仕上がりなのだ。見た目にも綺麗で、2日ほどすれば、食べることができるということだった。ちょっと舐めてみたが、なかなか良い味を出していたのだった。

 

175256384_unknown 帰りに、栞日に預けていた、購入した古本を受け取り、グレインノートの奥様へ挨拶して、松本駅へ向かったのだった。

2017/10/14

松本のクラフト・ピクニックへ来ている

174992368_unknown F氏は木の手仕事に徹底的に回帰した木工作家だ。今日行ったヒアリング調査に答えてくださったのだ。歳をとってから改めて、木工ということを行う意味を、問い直そうとしたのだそうだ。F氏がなぜ作品にネジや釘を使わないのだろうかというようなところを、じっくりと聞きたかったのだ。175255648_unknown ここには、あとで言うような手仕事というものの本質的な問題が含まれている。古来からの宮大工などの仕事にあらわれているように、日本文化の中に、じつはネジや釘を使わず、木を生かすことを中心とした文化が存在するのだとおっしゃっる。もちろん、このような直角な物言いを嫌いな人もいて、椅子は座れればよいという方もいて、どちらも成り立っているところが、じつはわたしを魅了する椅子世界の包容力のあるところなのだが。

 

174992576_unknown すこしこの文脈からは離れるかもしれないのだが、ここでなんというのか、社会関係が「手仕事の違い」として出てくるということを考えてしまった。わかりやすい言い方をするならば、なぜか日本文化は「二者関係」として典型的に現れるのに対して、西洋文化はむしろ「三者関係」として現れる場合が多いと言えるのだ。たとえば、日本の木製椅子はほぞ組みで作られている。これに対して西洋では主としてネジで結合されるのだ。ほぞは、ほぞとほぞ穴との「二者関係」でできているのだが、ネジを使う方では結合する側と結合される側の二者関係に加えて中間で結合を受け持つ道具が媒介し、「三者関係」が成立するのだ。175255760_unknown ここで、はたと気づくのだが、手段的というときに、西洋では必ず道具的という言葉がつくのだ。道具的理性とはまさに、このような関係を示しているのだ。西洋では以前からずっと道具とともに人間は存在してきたのだ。それに対して日本では、道具を排除するように、両者の接合が行われるのだ。日本人にとっては、道具的理性はそのものズバリなので、かえってよそよそしいのだ。

 

174992640_unknown ここで、道具というものの考え方が決定的に違っているのではないかと思わせるのだ。「二者関係」が中心の社会では、道具は外側からやってくるものであるのだが、他方道具も当事者のひとつと考えるならば、「三者関係」が成り立ちそして、道具は内在化するものとして考えられることになるのだ。

 

175255856_unknown この考え方のバリエーションは意外に広い。ということを考えながら、話に聞き入ってしまったのだ。

2017/10/12

フィンランド・デザイン展を府中市美術館で観る

Img_3143 「フィンランド・デザイン」のシンプルさを楽しんだ展覧会だった。けれども、ただのシンプルさではないところが観られたし、面白い考え方に満ちていた。来て良かったと思わせる展示だったのだ。Img_3147

 

Img_3088 久しぶりに、府中へでた。駅全体が京王のショピングセンターみたいになっている。府中美術館へいくバスがどこにあるのか、さっぱりわからない。駅員に聞くと、下へ降りて、スターバックスの前だというのだ。Img_3146 つまり、駅全体が二階に浮いていて、下の1階がバス乗り場になっているのだが、どこから降りれば良いのかが初めての人にはなかなかわからないという駅の構造なのだ。「ちゅうバス」という、マイクロバスが市内を循環していて便利だ。百円で乗れるのは良いとしても、乗り場がわかりにくいのが、玉に瑕だ。

 

Img_3153 府中市を歩くと、昔から並木道が本街道の脇道に発達して居て、緑の多い街だという印象がある。ちょっとした並木が年を経て、このようなこんもりとした森と化している。しかも材木屋さんが途中にあったりして、たくさんの輸入木材がこんこんと眠らされていた。その延長線上の森の公園の中に、府中市美術館がある。Img_3151

 

フィンランド・デザインと言われても、いろいろな素材のデザインがあるのだから、焦点を作るのが大変だったろうが、「シンプル」という共通点を前面に出していて、まとまりのある展覧会になっていた。Img_3092 とくに、展示の最初の部屋の最初の展示が、1870年に作られた薄い土色の、薄手のカップ&ソーサーで、モダンで機能的ながらも、フィンランド的な複雑性を含んでいて、素敵ですごい。展示会の最初の印象が大切であることを教えている。画像がないのが残念なぐらいだ。

 

Photo わたしの今回の目的は、何と言っても、Artekのアルヴァ・アアルトの椅子だ。会場の写真は禁止されていたので、HK氏がネットに載せている写真を引用することにしよう。10脚あまりの椅子と、設計イラスト図面などの全体を見ることができた。とりわけ、その傍に掲げられて居たレリーフ作品がアアルトの基本的な考え方を表していて興味深かった。「成形合板」という、これもモダンで機能的な素材の中枢にある考え方の中に、アアルトだけは機能だけでなく、フィンランド的な「美」を持っていたことがわかる。Photo_2 スライスした薄板は無機的な素材なのだが、それを無限に変化する合板に成形することで有機的な「美」となるのだ。そしてさらに、ここには、薄板をさらに細いひも状の板にして、それを捻って、椅子の脚にまで仕上げる手法があり、観ていて泣けてくるほどだ。シンプルでありつつ、過剰なのだ。近代主義のシンプルさが、近代以後のシンプルさの多様へ転換する瞬間の一つがここにある。

 

Img_3106 アアルトの典型例は、スツール60にも表れている。美術館では、「名作椅子に座ろう」というので、アアルトやイルマリ・タピオヴァーラなどの椅子が入り口ホールに並べられていて、自由に座ることができる。椅子は視覚で味わうのではなく、やはりお尻からの触感を味わうものなのだ。スツール60は、最もたくさん用意されていて、このスタッキングできる多さが特色だ。なぜかといえば、椅子の多さの中で、色彩の多様性を座面の変化で味わうことができるのだ。これを眺めていて、アアルトのシンプルさの秘密がようやくにしてわかってきたのだった。Img_3093 単純なシンプルさではなく、「多様なシンプルさ」をアアルトは追究していたのだと思ったのだった。シンプルなのだが、多様性に特色があるのが、アアルトの椅子たちだ。


スツール60は部品がわずか4つである。座面が一つと、脚が3本だけなのだ。この大量生産を可能にした部品の少なさが、シンプルを表現している。Photo_3 けれども、壁面にスツール60のバリエーションが並べられていたが、木という素材の多様性、座面の色の多様性など、シンプルではあるが、多様でもあるのだ。「多様な単純」とよべるような状況がアアルトの椅子には観られるのだ。

 

Img_3100 展覧会の効用は、今まで知らなかったものを発見するところにある。イルマリ・タピオヴァーラが寄宿生たちのために作ったといわれる「ドムスチェア」が、それだ。まず、座面の位置が高く、46センチに作られている。通常は高くても43センチで、わたしの特注の椅子でも45センチだ。いかに高いかがわかる。勉強椅子では、脚の高さが時間が経つに連れて効いてくるのだ。46センチは良い線だ。それから、何と言っても、座面のこのRだ。この前へ行くほどに傾斜した独特のラインが勉強の前傾姿勢では良いのだ。数ヶ月前に女性の椅子作家の方を紹介したが、このR面はその系統にあると思われる。Img_3136 最後に、後脚の独特の形が特色になっている。アームを半分にして、そのアームを前で支えて、後ろへ傾斜を伸ばしている。この後脚からアーム、そして背板にかけての連続した部分は、前傾姿勢の後ろを支える装置になる。ちょっと勉強に疲れた時に、この装置が役立つ。シンプルかつ優美な形をしていると思う。昨年、デザイナーのM氏が宣伝して、特注のドムスチェアがロット生産され販売された。その時のポスター・カレンダーが評判になったのだ。Img_3139 ドムスチェアの欠点は、結合部分でかなりビス留めが使われているところだが、それをも多様性の一端にしてしまうほどのデザインだとも言えるところが、また強みなのだ。

 

Img_3148 隣接する喫茶店「Café Longtenos」で、ソフトクリームを食べ、今日座った椅子たちを省みて、再び楽しんでしまった。しかし、帰り道が遠いのだ。Img_3141 Img_3103 Img_3140 Img_3134 Img_3115 Img_3114 Img_3104 Img_3127 Img_3125 Img_3118 Img_3149

2017/09/24

グレインノート椅子展の最終日

Img_8615 今日は昼からずっと、グレインノート椅子展展示の最終日にお付き合いさせてもらった。ご主人のS氏と一緒にギャラリーの展示と訪れる人びととの歓談を楽しんだ。ギャラリー(gallery)の語源は、「回廊」ということで、本来は人びとが行き来するような空間だったのだ。だから、単に美術館の部屋のような閉ざされた場所ではなく、今回のように、松本市の中町通りから歩いて、ちょっと入ってくるような感覚が、この言葉にはあるのだと思われる。この場所は、窓からは道を通る人びとがよく見え、回廊的な要素があるのだ。

 

Img_8498 仙台から来たという、女性2人の旅行客は、まずは「異様」な形をしたT氏の「骨盤椅子」を見つけ、腰の締め付けを試していた。展示というものを考えさせられる行動だった。椅子なので、最後は座って見てもらい、お尻の感覚を試してもらうのが主眼なのだが、その主目的に到達するには、まずは視覚的な要素も大切なのだと実感させられたのだった。

 

Img_8488 名古屋から来た中年の女性は、ざっとほとんど全部に座ってみた後、自分のお尻にぴったりする椅子の感想を述べてくださった。パソコンを使用する関係の仕事を持っているようだったので、仕事椅子のイメージで座って回ったようだった。Y氏の編み椅子、A氏の健康椅子など、横から見ていると、背筋がぴっと立ち、お尻がすっぽり入って、見るからに身体にぴったりの椅子だ、という感触が周りに伝わってくるようだった。お尻モデルになると良いのではと思うくらいだった。これらの椅子の販促のために写真を撮っておくべきだったと後悔している。つまり逆に、椅子向きのお尻というものがあることを知ったのだ。

 

Img_8485 椅子展の中でF氏の椅子は、センスの良さが目立つ。F氏の大工仕事のファンだという、男性が現れて、コタツに使うようなF氏の和風椅子を写真に収めていた。おそらく、F氏に以前、改装を依頼したことがあり、その仕事振りに魅せられた方のひとりだと思われる。そういえば、先ほど、キッシュプレート・ランチを近くの喫茶店Chiiannで取った。まだF氏にはお会いしたことはないのだが、じつはChiiannの店全体のデザインをF氏は引き受けていて、その大工仕事の一端を見せていただいた。

 

Img_8730 F氏は最近、店の入口近くに据付ける小さな棚を持って来たのだそうだ。この写真ではよくわからないかもしれないのだが、遠目に見ると、3段の棚で、一番下の棚と二番目の棚の間の縦幅が、ずいぶんゆったりと取っていて、二番目の棚と三番目(一番上)の棚との間の縦幅は狭く作られている。この場所はギリギリのスペースなので、たくさんのモノをできる限り置きたいと思ってしまうところなのだ。しかし、下へ行くほどゆったりと作られている。なぜなのだろうか、と考えてしまった。Chiiannのご夫婦に聞いたのだが、F氏は別に理由は言わなかったのだそうだ。

 

Img_8725 その答えは、近くに寄って見るとわかるのだ。つまり、目線の問題だったのだ。狭いスペースなので、訪問者が上から立ったままで棚を見たときに、下へ行くほどゆったり縦幅を取っていないと、棚の中の展示物が上の棚で隠れてしまうのだ。つまり、大きなものを下の棚に入れるために、下へ行くほど縦がゆったりとっているのではないのだ。全ての棚の中のものが、ここに立った人に見えるようになっているからなのだ。なるほど、という工夫だ。F氏は、このようにちょっとしたところで、使う人の身になって考えることができる方らしい。ファンができるわけがわかった気になった。

 

Img_8732_2 もう一つこの棚には、隠された工夫が見られた。それは棚の脚だ。この点はChiiannのご主人も気がついていて、柱にギリギリに棚が据え付けられているので、脚の外側の部分は切り落とされていて、内側にだけ脚がつけられている。けれども、この脚があるだけで、安定感がぜんぜん違ってくるのだろう。

 

Img_8467_2 さて、グレインノートに戻って、夕方には展示された椅子を回収するために、東京からS氏がK氏と一緒にやって来た。デザイナーのS氏は今年から椅子展に参加した。それで、これまでの伝統的な椅子とは、また趣向の異なった椅子を出品していていた。一つはこのグリーンの箱をイメージさせる「箱椅子」だ。Img_8466 もう一つは、動物の象をイメージさせる「縞々椅子」で、白い木の木目の組み合わせが美しい。伝統的な椅子と、何が異なると、このようなデザイン主体の椅子が出来上がるのだろうか。ヒアリングを行った中で、その点を集中的に追究させてもらったのだった。たぶん、発想の方法が逆転しているところに、特色が現れていることはわかったのだが、さてそれをどのように言葉として定着できるのだろうか。今回も難問をずいぶんと抱え込んでしまったのだったのだ。

 

Img_8606 夕方になって、椅子作家の中では一番歳の若いT氏が最終日になってようやく展示する椅子を持って現れた。彼の椅子は人形物語の中で活きており、その世界でもっとも大きな作り物であるということで、独特の様相を持っている。聞くところによると身体が弱いこともあって、遅れることは常習的なことらしいのだ。作るということには、なんと様々なドラマを生み出すのだろうか。それで、20日に撮ったビデオと同様の視点で撮って、今回はT氏の椅子も入れて、Youtubeの映像を更新することする。彼の椅子がないバージョンと、彼の椅子が入ったバージョンの二つが出来て、それはそれで、今年の特色になったと思うのだ。意外なことに対する純粋な驚きの精神がここでは必要なのだろう。

2017/09/20

グレインノート椅子展を観る

Img_8460 あずさ5号で松本へ降り立つ。駅で感ずる、すうっと入ってくる風に秋だなと思う。今日、水曜日は松本市全体がほぼ休業日となるので、観光客も少なく感ずる。けれども、それを知らない外国人がかえって目立つのだ。考えてみれば、わたしも地元の人からは外国人と見られているのかもしれないと思うのだった。

 

Img_8461 グレインノート椅子展は公式には第10回を迎えている。わたしはここ3年ほど前からようやく通いはじめているのだが、毎年新作が出て少しずつ趣が変わってくるところが良いのだと感じている。「少しずつ趣が変わる」法則性というものがあって、その年には「座編み」が座板の世界の中から、一斉に出てきたり、椅子のデザインがカラフルになって出てきたりするのだ。今年も以前のものを少し発展させて、全体の流れはそれほど変わるわけではないのだが、少しずつなのだが、部分的に見るとかなりの発展が見られたものがあったのだ。

 

Img_8463 グレインノートのS氏制作のベンチは、昨年のUアームチェアの発展型なのだそうだ。Uアームチェアが魅力的であることは、わたしも放送大学の教材で取り上げさせていただいたので、十分にわかっているつもりだったのだが、Img_8495 これをみて、さらに想像力を異なる方向へ発展させていた方が顧客の中にいたということだ。世の中は広いのだ。

 

それで、このUアームチェアを発展させて、ベンチを作って欲しいという注文があったそうだ。それでできたのが、この新作のUアームチェア・ベンチなのだ。確かに、Uアームの肘木を受け継いでいる。つまり、特徴ある曲がり方と形状はUアームチェアの遺伝子を継いでいる。Img_8505 けれども、本来のUアームチェアの肘木は、たいへん細いので、背部分をベンチ風に長くするには、背部分を厚くする補強が必要となってくる。そして、アームを支える点も以前よりもスピンドルを多く設定しなければならなくなる。このような必然性が、少しずつUアームチェアの基本的な部分を改良し、発展させていく動因となっていることがわかる。少しずつ変わるということに必然性のあることがわかる。

 

Img_8506 そして、この少し変えたことによって、元のUアームチェアとは異なる造形を少しずつ生み出していることもわかるのだ。たとえば、座板の網部分以外にも、横のところに栗の木の木目を生かした部分が出てきて、これがこのベンチの特色となっている。デザインというものは、このようにして変化していくものなのだ。さて、このベンチがどのような場所に収められるのか、たいへん楽しみだ。このことこそ、想像力を掻き立てられるところなのだ。

 

Img_8471 少しずつ変えている点では、Y氏の編みの椅子にも、この特徴が出ている。これまでY氏は、野生的な特色を強調してきた椅子を作ってきている。そこにほんの少し変化を加えただけで、野性的であることに変わりがないのだが、野性的な印象が野に居る「貴婦人的な印象」に変わっているのが、この椅子だ。なぜ女性的な印象に変わったのかといえば、後脚を完全に45度に転ばせて、前脚から後脚への幅を極端に絞ったところに、その秘密がある。そしてまた、むき出しの背板部分を編みで覆ったところから、全体的に洒落た感じが出てきたのだといえよう。従来の男性的な椅子と、今回の女性的な椅子と、これら両方をペアで組み合わせて使う人が出てきても不思議ではないだろう。このようにして、基調は同じだが、重層的な多様性が出てくるのが、「少しずつ変える」醍醐味だといえる。

 

Img_8481 少し変えたという点では、H氏のウィンザーチェアも昨年から少し変わっている。どこが変わったのかわからないほどなのだが、座った感触が違うことがわかる。さて、これは製作者ご本人に聞いて見てようやくわかるのだと思われるほどなのだ。歯切れが悪くて済みません。でも、確かに昨年の小さくすっぽりした感触とは違っていて、少し大きくゆったりとした感じを優先させたのではないかと思われるのだが、さてどうだろうか。何れにしても、ウィンザーチェアなのだが、たいへん軽量に作られていて、それは座板を薄く削り込んだところに現れているのだ。

 

Img_8470 最後に注目したいのは、K氏のスツールだ。両方とも、じっくりと眺めるとようやく苦労した点が見えてくるような椅子なのだ。K氏は様々な意匠を組み合わせることがうまいことで知られている。たとえば、こちらのハイスツールでは、座面にレザーの柔らかい素材を配置して、座り心地の良いものとなっている。おそらくレザー部分は外注したものと思われるが、スツールというものがお尻に過酷であることを知っていないと、このような工夫はできないだろう。どうしても、木工で生きてきた人は、木工でどうにかしたくなるのだが、K氏はそれを乗り越えている。さらに、S氏にこのハイスツールの貫の作り方を聞いてみた。すると、このハイスツールの隠れた苦労が色々と見えてきたのだった。ちょっと見た目には、貫に椅子の脚が刺さって突き抜けているように見えるかもしれないのだが、そう見えるように作られているが、じつはそのような作りでは不可能なことがわかるのだ。Img_8469 それじゃ、どのようにしてこの貫を突き抜けるような脚をつけたのかが問題となるのだった。ほんとうに見れば見るほど、不思議な作り方をしているのだった。同様にして、もう一つの編みのスツールも、簡単そうに見えて、じつはウルトラC級の技術が入っていることが、それもようやく説明されるとわかるのだった。これだから、椅子を見るのはやめられないのだ。(9月16日から9月24日まで、松本市の中町通りグレインノートにて開催されています。)

Img_8509 Img_8507

2017/09/08

パン日和「あをや」で夕食し、映画「Paterson」を観る

Img_2933 日常の一日を詩の言葉であらわしたら、どのようなことになるのだろうか。日常の変わらない一日を映像であらわしたら、どのようなものになるのだろうか。監督J・ジャームッシュの映画「パターソン」をチネチッタで観る。まずは日常ということで似合うのは、ベッドだ。というと、ちょっと違うことを想像する方もいるかもしれないが、今回の映画では、一日ずっとベッドを写していても良いくらいなのだった。S__28319755 この主人公二人のベッドでの姿は静かな日常そのものだ。歴史はベッドで作られるのはヴェルサイユ宮殿なのだが、日常こそベッドで作られるのだ。ここが平静である家庭は、日常も平静だ。ポスターがその仕合せなシーンを写している。

 

Img_2931 もう一つは仕事の日常だ。映画の中で、主人公の運転するバスが交差点を左に大きく曲がる。ウィンドウに街の日常がぐるっと映し出される。人びとが歩いている。ショッピングバッグを持っている。反対側を走るタクシーが光っている。

 

世界中から光粒子が集まってくるが、バスが通り抜けるところだけを避けている。周りはすべて日常だ。今日だけは、日常から抜け出て、ということが起こらないことになっているのだが、さてどうだろうか。

 

Img_2911 バスの運転手である主人公は、ニュージャージーのパターソンに住む「パターソン」で、ちょっとした時間に、詩を書いている。朝の6時10数分ごろ、目が覚める。妻の「ローラ」にキスをして、古い椅子の上から服をとる。最初はモーエンセンの椅子だった気がしたのだが、途中からフランク・ロイド・ライト風の椅子に変わっていた。どちらの椅子も古くて素敵だ。

 

Img_2925 詩のノートの入ったブリキの弁当箱を持って、古いレンガの街を通り抜ける。運転席で詩を書き付けると、上司がやってきて、周りの日常が流れて行くのだ。バスが出発し、時計が早回りして、乗客の会話に微笑む日常もある。

 

最初に出てくる詩は、「Ohio Blue Tip Matches」だ。食卓に何気なくおかれているキッチンマッチなのだが、マッチ箱からマッチ棒が取り出され、火が着けられるにしたがって、生の詩になっていくのだ。はじめは日常で、何か火を使う目的があったり火が求められていたりしていたのだが、それがマッチと火と人間との全体の関係に変わってしまうのだ。マッチが擦られ、炎が燃え上がるときに。Ohiobluetipmatches2boxesfullorigina

 

帰りにも同じレンガの道を通る。家に着くと郵便受けをカラにする。妻はカントリー歌手目指しての服飾つくりと、週末バザーに出品するカップケーキつくりに余念がない。この服とケーキのデザインが、以前の監督作品「コーヒー&シガレッツ」の市松模様の趣味を受け継いでいる。彼は夜の散歩に、飼い犬の「マーヴィン」を連れ、バーでビールを一杯飲み、客の悲喜劇に付き合いクックと笑う。こんな余裕ある日常もある。家に帰ると、ビールのほのかな香りを、妻のローラは好きだと言う。こんな毎日が繰り返される。

 

Img_2927 パターソンの日常とはいったい何だろう。映画のパンフレットに次の引用があった。「身の回りにある物事や日常におけるディテールから出発し、それらに美しさと奥深さを見つけること、詩はそこから生まれる」と。もちろん、兵役の写真などがベッドサイドに飾られていて、過去がちらりとのぞく場面もあって、映画には現れない日常もあることは想像させられる。なぜ彼は詩を書き始めたのだろうかということも気になるところだ。詩のシーンを通じて映画が何か描くと、ふつう非日常的なことになってしまいがちなのだが、むしろこの映画では大切な日常がかえって現れてくるのを感じてしまうのだ。少女の詩人が読んでくれる詩には、それが現れている。

 

Img_2913 監督J・ジャームッシュは、20数年まえにアメリカの詩人ウィリアム・C・ウィリアムスの詩集「パターソン」を読み、この街パターソンを訪れたそうだ。映画の主人公が「バスの運転手」であり「詩人」でもあるという、ディテールがいっぺんに浮かんだそうだ。

 

Img_2914 詩の好きな人であれば、映画の最後に出てくる「The Line」という詩には、きっと涙することだろう。この「1行(Line)」には、ドラマが凝縮されている。わたしたちにも、いつもこの「1行」が与えられていて、みんな気づかないかもしれないのだが、じつはそれぞれのノートに、ほんとうは書き込まれているのだ。

 

Img_2915 映画は、夜の7時からだった。K大の図書館で仕事をしての帰りに、少し時間ができた。その間に久しぶりに、パン日和「あをや」へ寄って、夕食をとった。Img_2917 奥様がちょうど2階で、パンの仕込みを行なっていて、パン屋の帽子なのだと思われるが、横縞の白い柔らかな毛糸の帽子を付けて現れた。かぼちゃなどのスープと、クリームチーズとアボガドのサンドをいただく。Img_2919 食後に、りんごと紅茶のセパレートティ。夏には、ご主人の実家のある帯広へ行ってきたとのことなどを雑談した。帯広に本店のある六花亭のチョコレートをおみやげにいただく。仕事中毒の自分自身から抜け出す、最良の一日となったのだ。

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  • 坂井素思
    放送大学教員で、社会経済学領域を研究しています。