2019/04/01

Bench 91−ベンチの日常に注意して、映画「マイ・ブックショップ」を観た。

 

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この映画「マイ・ブックショップ(原題:The Bookshop」には、6つのベンチが出てきた。なぜ美術担当者が6つものベンチをこの映画に取り入れたのかといえば、簡単な理由で、ベンチが田舎町の様子を反映しているということなのだ。フローレンスという戦争未亡人が、小さな港町にブックショプを開く。古い家「オールドハウス」を買い取ったのだが、街を支配する女王であるガマート夫人と取り巻きに邪魔されるという話だ。映画なので、写真をそのまま掲げることができないのが残念である。実物のベンチは映画館で見ていただくことにして、拙いイラストで我慢してもらいたい。

 

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近代は権力と貨幣によって効率よく運営されることを目指した世界だ。ブックショップというは、いわば近代以前の職人工房のようなところであり、近代世界からはつねに敗者としてみられてしまう場所だ。権力が中央政府の法律を盾にして小規模な勢力を潰しにかかると極めて弱い。また、貨幣が市場の論理で生産性の高い商売として攻めてくると、小さなブックショップは為す術もないのだ。つねに、近代社会では、権力と貨幣が幅を利かせてくる。その権化として映画で描かれたのが、ガマート夫人と取り巻き連中だ。だから、フローレンスの繰り出す、粘り強い勇気でさえも絶えず失敗する。もっとも、失敗はするのだが、それは決して無駄にはならない、むしろ有益な失敗であることを描いたのが、この映画なのだ。世間の表にはついに現れなかったとはいえ、読書家のブランディッシュ氏との交流と、お手伝い役のクリスティーンとの共同作業はのちのち芽を息吹かせることになるのだ。

 

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https://www.youtube.com/watch?v=d-WC60ndP_o

 

表には決して現れないものが、この映画にはたくさん隠されている。フローレンスの勇気や信頼や献身だけではない。とくにここで取り上げたいのが、件のベンチだ。主人公のフローレンスが街中を歩いていく。すると保育園があり、その庭には、パーク・ベンチが置かれている。子どもたちが集まる場所として描くのに、ベンチは最適なのだ。ベンチの置かれた場所がその街にあるだけで、なんとなく余裕が感じられ、安心する気分になる。長く置かれてきたベンチらしく、すっかり生垣の樹々の中に埋もれているくらいその場所に似合っている。

 

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2番目に出てくるベンチは、書店のバルコニーに置かれた緑色のペンキに塗られた、背板のないベンチだ。店の前にちょっと座って、パラパラと本を渉猟するのに適している。このちょっとした気遣いが、店の違いとなって現れる。店の前には、ベンチを置くのは良い習慣だ。わたしの研究室の前にも、なぜか、またいつからかはわからないのだけれども、ソファ・ベンチが置かれている。きっと誰かが待つこともあると思われているのだろう。可能性のベンチだ。

 

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3番目のベンチは、田舎町の小学校で生徒が座っていたベンチだ。英国でも、こんな木製の机とベンチがあったのかというのがわかった。使い古されていて、この小学校のシーンを見せるだけでも、どのような街にブックショップを開いたのかという観客のイメージをさりげなく形成することができる。

 

4番目のベンチは、街を支配している保守的な女性ガマート夫人がロンドンに出て、甥の議員と公園で会うシーンで腰掛けるパーク・ベンチだ。これも効果的に使われている。パーク・ベンチにもいろいろあって、解放的な感じのする椅子と、閉鎖的な椅子とがあるのだが、ちょっとした背板の高さ加減でそれがわかる。もちろん、二人が悪巧みを行うシーンなので、後者の背板が高く、密談を行なっている風をだすパーク・ベンチが使われているのだ。

 

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5番目に出てくるベンチは、途中まではなかったのだが、後半に店の中に置かれるようになったベンチだ。開店の頃は、一人用の椅子しか置かれていなかったのだが、途中からベンチが入ってきていて、やはりゆったりと店の中で本を読むには、横の席に本を積み上げることができる、ベンチが最適だと思わせたのだった。上のイラストがそれなのだが、映画そのものの中よりも、メイキング映像の中に含まれていて発見したものだ。それで何が言いたいのかといえば、じつはわたしも椅子のある本屋へ行くと、まずはベンチを探すことにしている。

 

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6番目のベンチは、フローレンスのBBC時代の同僚という設定の曲者ノースの家の前に置かれたベンチだ。住んでいる人間は曲者なのだが、この小屋と思しき家はたいへんよい。ノースよりももっと鄙びた人が住んでいそうな小屋なのだ。ノースが住むには勿体無い。入り江にちょっと佇んだ薄い青色の小屋なのだ。そのドアの脇に置かれていた背板のないベンチがあり、小ぶりな小ベンチで、ちょっと訪問客が主人の帰ってくるのを待っているという設定ではたいへん効きそうな小道具となっている。このベンチがもしなかったならば、このシーンもあり得なかっただろう。メイキング映像には、家の中にも素敵なベンチが置かれていたのだが、映画の中では18世紀頃の古いウィンザー椅子だけがそのまま置かれていた。

 

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メイキング映像では、もう一つ革製のソファ・ベンチが出ていたが、映画で使われていたのかは今となってはわからない。さて、このように思い出してみたのだが、日頃見過ごしている風景の中で、じつは意識してみると効果的な日用品がたくさんあることに気づくだろう。少なくともこの映画の中では、ベンチは特別な位置を占めて、俳優と並んで、渋い演技を印象付けていたと思われるのだ。

 

 

2019/03/25

Bench Warmers Society 2−会社椅子を考える会社は余裕のある会社だ

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BWSのことを聞きつけて、「それじゃ会社の椅子を紹介します」と言ってくださったのは、今年度修士課程を修了なさったUさんだ。安楽椅子は、ふつう縦に揺れるのだが、Uさんの職場には、横に揺れる椅子がおいてあり、しかもこれが労働に使われる椅子だというのだ。まず、横揺れということと、労働椅子なのに揺れるという二つの点で、なぜだ、と思ったのだった。それで、お願いして写真を送っていただいた。それが、この写真だ。

 

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外から見た限りでは、労働のための普通のスツールと変わらない。短時間腰掛けて、パソコンを操作するのに適しているような椅子だ。ところが、横揺れがするのであれば、ちょっとパソコンには不向きだろう。横揺れしながら、一箇所に集中するような仕事はできない。ということは、やはり労働椅子ではなく、ちょっと休憩して、横揺れを楽しむためのものなのだろうか、とわたしには思われた。

 

正解はおそらくないのだろう。会議の最中の気分転換には、横揺れは効くだろう。けれども、会議の中でずっと横揺れさせていると、話し相手の気は散って、ちょっと嫌な気分になるかもしれないとは思うのだが、一人で座る分にはまったく問題ない。

 

Uさんのコメントでは、打ち合わせに使われるコーナーの椅子だということであり、通常の椅子からちょっと離れて、会談する椅子として、ちょっと遊び心が入っているということではないだろうか。昼ご飯を食べるには不向きだということだが、それはそうだろう。ご飯が口に入らないと思われる。やはり気分転換用の椅子だと言える。

 

この椅子がベンチ・ウォーマー的思考の人には、ちょっとオフな気分を誘って、精神衛生上良い環境を作り出すことになるかもしれない。何ぶんにも、紹介されただけでわたしは座っていないので、横揺れがどのくらい労働や休憩に影響を及ぼすのかが、関心のあるところなのだ。横揺れの椅子はちょっと謎を含んだ椅子だとしておこう。見つけようと思っても、ちょっとやそっとでは見つからない、変わり種の椅子であることには違いない。

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もう一つ、ハイチェアの写真も一緒に送られてきた。デザインがほぼ同じだから、同じメーカーのものだろう。これも、脚を高くしたところで、ふつうの椅子と異なる。このように見ていくと、改めて考えると、Uさんの会社は余裕のある、遊び心を理解している会社ではないかと思われるのだ。昨年行ったヒアリングでも、日本における会社椅子の貧困さは、所得の貧困さを上回るのではないかと思われるほどの、惨めな状況が存在する。この写真の会社のように、会社椅子をもっと楽しいものにしてほしいとわたしは思うのだ。

 

2019/03/23

Bench 90−学位授与式後のホテルでロビー・ベンチに座る

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このベンチは、新宿にある有名ホテルの正面ロビーに置かれたソファ・ベンチだ。最近は庶民的で、公開された雰囲気を重視するホテルが増えたために、平面的な、べたっとした待合ベンチが置かれているホテルが増えてしまった。しかし、やはり伝統的には、宮殿形式風のソファ・ベンチを置くのが、高級ホテルの常識ではないかと考えられるのだが、いかがなものだろうか。

 

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よく写真集などで見られる宮殿形式ベンチの系統には、二種類あって、一つはこのソファ・ベンチのように背板が高いベンチ。もう一つはサロンでくつろぐタイプの寝椅子ベンチだ。これらについてはしっかりと調べなければならないのだが、背板が高いというヨーロッパのベンチの伝統は、宮殿にあっては秘密の会話が好まれたというような事情が関係しているのではないかと推測できる。確かに、日本では、大地から発達した座椅子が多いのに対して、ヨーロッパのベンチには、壁から発達した椅子が多いのだ。だから、宮殿形式を踏襲するホテルであればあるほど、正面ロビーのベンチは背板が高いものが選ばれることになる。隣の会話が聞こえにくい壁を持ったベンチという意味があるのだ。

 

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今日は、この新宿のホテルで、放送大学学位授与式後の懇親会が開催された。例年、NHKホールで授与式が挙行され、その後団体バスで移動して、同窓会主催のホテルの懇親会場へ行くことになる。そのときに、正面ロビーを通るのだ。もちろん、ホテルということは、高級であればあるほど、「見せびらかし消費」のメッカとなる場所なので、余裕あるベンチが至るところに設定されている。ばったり会った人びとがちょっと会話をするような場所が確保されているところがホテルの良いところなのだ。けれども、最近はどのホテルも有閑階級文化からビジネス文化に近づいていて、話をするなら、喫茶室へどうぞということになっていて、淋しい限りだ。1階と2階には、広い喫茶コーナーが設置されるようになっている。懇親会が終わったあと、卒業生や修了生と談話するには、これらの喫茶コーナーを確保しなければならなくなってきているのだ。残った修士課程のUさん、Kさん、Hさんと遅くまで雑談を楽しんだのだった。

 

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しかし、このようにビジネス文化がホテルに浸透すればするほど、じつは正面ロビーの背板の高いベンチは、座る機能を発揮するよりも、さらに「見せびらかし」効果を上げるべく、宮殿形式を採用するようになるのだと思われる。ベンチはその場所の文化事情を反映するのだ。

2019/03/20

Bench 89−対話ベンチ・鼎談ベンチ・座談ベンチなどの会談ベンチの発展を動物公園のベンチにみた

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春カフェの「あをや」では、O氏が着く前だったのでお先にちょっとと思い、散歩して乾いた喉をドイツ・ビールの小瓶で潤す。すでに2階は子連れの予約客でいっぱいで、1階の席もすぐに埋まってしまった。「あをや」の奥様は髪を、春めいたショートカットにしていて、忙しい仕事の合間にも雑談に付き合ってくださった。若いのに似合わず、いつまで生きられるのか、と謎をかけてきたりした。O氏とのランチ。ポタージュ・スープを頼み、春色コッペ・フランスコッペ・オムレツサンドをシェアする。ブロコリーの自然な香りと、りんご蜂蜜の甘酸っぱさが、口から鼻へ抜けていき、パンのもちもち感が持続して、これらの感覚を支えてくれた。

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「夢見ヶ崎動物公園で花見をしよう」と提案すると、O氏はすぐに桜の開花情報を聞いてくださった。「未だだ」という返事だったが、何か咲いているだろうと、歩き始めることにする。それで、ベンチ探索が始まったのだ。夢見ヶ崎動物公園には、現在流行りの「マーケット・サウンディング」が実施されていて、顧客動向に敏感な制度が取り入れられつつある。もちろん、緊縮財政のもとでの努力という側面もあるのだが、業者からの提案の動機付けは必要だと思われる。制度が流行に流されなければ良い結果が期待できるだろう。このような努力結果が少なからず、この動物公園には歴史的に蓄積されてきている。

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動物園の檻が並ぶメーンストリートのベンチは入れ替えがかなりあり、ベンチの変遷を博物館展示のごとく追っていくことができる。当然ながら、今回は動物展示よりもベンチ展示を追ってしまったのだ。この動物公園がどのようにベンチを考えてきたのか、業者がどのように考えてベンチを設置してきたのかが、展覧会場のごとく陳列されている。O氏と来ると、前回の本門寺のベンチ巡り同様なのだが、なぜか決定的なベンチ認識の転回が起こるのだ。今回は、O氏が「社交」の専門家であったので、社会における2者関係から3者関係がなぜ生ずるのか、という雑談話からの刺激があったからだと後から思ったのだった。(O氏のブログはこちらから

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まず、動物公園の裏にある事務所辺りに注目した。この近くには、旧い時代の最もシンプルなベンチが保存されている。この木製2本座面ベンチは、感動するほどにベンチの最小限の機能を実現している。まず当たり前だが、2人掛け以上を実現している。座面の2本の間が空いていて、身体を支える坐骨が直接座面に当たることを避けているなどの基本が最低限満たされている。さらに、事務所の前には、金属製の簡易ベンチが置かれていて、かつてはこれらがメーンストリートに置かれていたのだな、と想像させられるのだ。これらが、おそらく初期の夢見ヶ崎動物公園のベンチ群を構成していたものだと思われる。

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今回注目したのは、動物公園という場所の特色がどのようにベンチに反映されているのか、ということである。ここがじつに、今回途轍もないとわたしには思われるほどの、思考の発展をもたらしたのだった。ヒントは、動物公園では家族連れが多いという点だった。ベンチは通常、2者関係を想定している。3人掛けのベンチもあるがこれだと真ん中の人が媒介して、結局は2者関係が二組作られるだけになる。だから、ベンチの標準形は2人掛けであるといえる。つまり、カップル的社交は、「対話(対談)」でダイアローグを構成している。ベンチは二人が親密な話をするイメージで作られている。パーク・ベンチの正統はやはり2人掛けのベンチが圧倒しているのだ。

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ところが、ここは動物公園なので、多くは家族連れで3人用以上、できれば横一列ではない形式が求められたのだった。その結果、3人以上用のベンチが発達することになった。「鼎談」形式でトリアローグ型ベンチ、あるいは4人以上用の「会談」型、「座談」型ベンチなどが、2人掛けベンチを圧倒する勢いで設置されたのが、ここの夢見ヶ崎動物公園だったのだ。もちろん、会談ミーティングタイプのベンチは、特別扱いで、東屋付きの景色の良い場所に1箇所だけ設置され、東屋が雨を防いでくれるので、ベンチやテーブルも木製のしっかりしたものがつくられた。けれども、これらの需要は多かったらしく、その後テーブル付きのベンチが定着した。弁当を広げることもできるため、家族連れの動物園ベンチとして、このタイプが便利だったと言える。当然ここでは、コスト・パフォーマンスを提案する業者は出てくるわけで、弁当を広げる必要がなければどうだということで、テーブルなしの多人数用ベンチが最終的に現れることになったのだ。

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なぜ会談型(ミーティングタイプ)ベンチ、つまり2者会談ベンチから3者会談ベンチ、さらに多者座談ベンチへと、ベンチが発展したのかという具体的な変遷が、この動物公園における人数規模で説明できたことは、今回の大きな収穫であったといえる。このことは、ベンチというものの多様な柔軟性によるものだということは強調しておきたい。ベンチというものには、人数に合わせたアフォーダンスが誘発される素地が含まれているのだ。

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最後になってしまったが、この夢見ヶ崎動物公園の一番奥にある、「座談ベンチ」というのか「多者関係ベンチ」というのかをお目にかけたい。なぜベンチが社会性を誘導するのか。それは、ベンチが2者関係から3者関係を経て、多者関係へと導くところにまで、人びとの想像力を乗せる媒介項となって現れるからである。縦横4メートルほどのこの木製の巨大なベンチで、車座を作り、みんなが一緒に座り、頭上には満開に咲いた桜が枝垂れている様子を想像していただければと思った次第である。


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Bench 88−ベンチの有無で、公共性・共同性の程度がわかる

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春カフェの季節だ。パン日和「あをや」でO氏と待ち合わせたのだが、早く着きすぎたので、JR鹿島田駅と矢向駅のちょうど中間のある塚越2丁目・4丁目(川崎市)辺りを散策する。バス通り沿いに、ザ・ミレナリータワーズという名称の、かなり高層のマンション群がある。この前面に「塚越こかげ公園」があり、このベンチがあった。

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伝統的なパーク・ベンチだ。脚にヌキが入っていて、鉄パイプがまだ残っているパーク・ベンチだ。しかし横棒1本だけしか通っていないところから見ると、鉄パイプ型の後期に出たものだと考えられる。また、差別型の肘木が真ん中に立ててあるのだが、裏から見ればわかるように、後付けのものであることがわかる。古典的なパーク・ベンチが後から修正されたという、転換期のベンチであることがわかる。

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今回注目したのは、このベンチなのだが、じつはその後ろに連なるマンション群の公開空地には、公共管理となる「塚越こかげ公園」と、民間管理となる緑地の公開空地とがあることにも興味を覚えた。写真の手前が公園部分で草木の生えていない運動場のような公園が広がるのだが、その後ろに緑で竹林が鬱蒼としている部分が民間管理の公開空地だ。この後者にはベンチが設置されていないという点に気がついたのだ。市が管理する公園も、明らかにこれらマンション群ができたときに、この公開空地として提供されたと推測できるものだ。もともとは、古河鋳造や日本酸素の工場があって、それらが京浜工業地帯の衰退とともに移転して、作られた敷地だったものだ。なぜこの市の管理の公園の方にはパーク・ベンチが設置されているのに、マンション管理の方には、ベンチがないのだろうかが不思議な点だった。


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(https:// cdn.4travel.jp/img/thumbnails/imk/travelogue_pict/38/97/62/650x_38976237.jpg)

この一帯は、南武線沿線で、かつては京浜工業地帯として製造業の最も盛んな地域だった。今では、この京浜工業地帯では製造業の多くが撤退し、中京工業地帯が製造業では日本では一番であることになっている。そして、この地域も工業地帯だったものが、現在ではマンション群の集積がかなり進んでいる地域に転換してきているのだ。これほど見事に、半世紀の間に地域全体が様変わりした地域も珍しいのではないだろうか。


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この公園は平成19年(2007年)にできたという標識が出ていたので、おおよそこの地域のマンションへの転換点もこの年あたりだったのだと考えることができる。繰り返すが、問題は冒頭に掲げたベンチがなぜ公共管理ではあり得て、なぜ民間管理の公園ではベンチが設置されないかという点だ。これだけの芝生と竹林の幅のある空地なのであれば、このマンションの住民がこれらの空地で憩いすることは欲求として当然ありうるのではないかと思えるのだ。意外にベンチの管理には、難しい点があるかもしれないということかもしれない。ベンチが後から差別型に修正しているところから見ても、その可能性はある。けれども、おそらく最大の理由は、民間管理では、極力公共利用を排除する傾向があるのではないかと思われる点である。

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わたしが興味深いと感じたのは、じつはベンチはある種のリトマス試験紙の役割を持っているではないかということだ。ベンチが置かれているのは、これを受け入れる余裕のあるところで、民間管理では意外に余裕がないのだ、ということがわかった点だ。それは、ベンチが設置されているのか、設置されていないのかによって、逆にわかってしまうのだということだ。

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このような事例が他の公開空地でも同じように生じているのかはわからないのだが、公共性の発揮が部分的に行われていると、それで安心してしまい、その周りの地域では公共性の発揮が傍観者的になるという、ある種の社会心理法則が存在することはよく知られている。公園緑地についてのこのような「傍観者効果」が現れると、その地域の公園設置あるいは公共性の高い公園設備はあまり進まないことになってしまうだろう。この広大なマンション公開空地にベンチが少ないのは、その法則が効いているからだとは思いたくないのだ。

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2019/03/16

Bench Warmers Society(BWS)を作ろう!

ベンチの写真があったら、コメントと一緒に送ってください。とみんなに言っていたら、関西在住のI氏がこれらの写真とコメントを送ってくださった。パワーポイントで送付されてきたので、直接それをアップした。ありがとうございました。これを契機にベンチ・ウォーマーズ・ソサエティ(社会的にベンチを温める人びと)を立ち上げようと考えた次第である。世の中で見かけた、ちょっとしたベンチ・ウォーム活動をお送りくださればありがたい。1_2

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2019/03/15

Bench 87−上州のからっ風には、東屋付きベンチがふさわしい

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合宿2日目、午前中にコース会議を済ませ、昼食にはまた昨日の「たくみの里食堂」へ伺う。1日目だけしか出席できない先生と、2日目だけしか出席できない先生とがいらっしゃって、それで2日間続けて昼食会ということになったのだ。


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たくみの里には、木製ベンチがあちこちにたくさん置かれている。食事が始まる前にいくつか収集した。それらの中でも、この須川宿が観光地として整備されたときに、駐車場に隣接して作られた東屋風の休憩所のベンチ(冒頭の壁ベンチ)には、大工系の趣があって、やはり野外ベンチとは少し異なる雰囲気があるのだった。さらに、東屋の中にも、ぐるっと縁側風のベンチが建てつけられていて、大勢の観光客が来ても対応できる設えになっている。強い上州のからっ風を防ぐ必要があったのだ。


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注目したのは、この東屋の駐車場を挟んで反対側の敷地に置かれている、金属・プラスチックの野外ベンチだ。かなりの年数が立っていることが観察できるのだが、なぜここに置かれているのかが不思議なのであった。今では誰も振り向かないし、誰もこちらのベンチには座らないかもしれないが、その昔にはこの東屋もなく、駐車場にはこちらのベンチだけが設置されていて、みんなが利用していたに違いないのだろう。


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たくみの里食堂の大将(シェフなのか、マスターなのか、ご主人なのか、論争はあったのだが、Y先生が博多では大将だということで決まったのだ)は、2日目のメニューを考えるのに1週間かかって胃が痛くなるほどだったとおっしゃっていて、2日目は昨日とまた異なる、期待のできるメニューとなったのだ。どなたかがおっしゃったのだが、昨日が洋風であったのに対して、今日は多少、和風であるという感じがあった。たとえば、猪肉のつみれにはその雰囲気があった。味付けが淡いにも関わらず、猪肉の旨味が十分でていて、逸品だったのだ(残念ながら、味わっている間に、写真を撮るのを忘れてしまった)。ワインはS先生が調達して、結局12本すべてを空けたことになる。さらに、店にあった清酒谷川岳を御燗してもらい、それらも飲み干したのだった。


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バス時間の5分前まで粘ってしまい、料理と歓談に時間を忘れた。食堂の大将と、高校生でこの4月から東京の大学へ行くご令嬢、そして60キロの猪と、鹿と、加えてY主任、Aさんなどなどに感謝を捧げて、合宿の幕を閉じたのだった。バス停には買い物のスタンプラリー応募券を預けてきた。4枚応募したから、1つぐらい何かが当たるのではないだろうか。

 

2019/03/14

Bench 86−棚やスツールとセットされた木製ベンチ

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合宿の夜、湯宿温泉湯本館に泊まる。この旅館のロビーには、堅い木で作られた、がっしりとしたベンチが鎮座している。座る機能もあるのだが、重い木なので、どっしりとした見栄えを重視したベンチだと言える。湯本館は姉と弟のご姉弟で経営なさっているのだが、このベンチはお姉様の友人である作家の方に頼んで作っていただいたのだそうだ。


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よく見ればわかるのだけれど、独特の削りが脚や肘木や背板にほどこされていて、手間がかなりかかっていることがわかる作品となっている。このくらい存在感があると、当然周りのものを圧倒してしまう可能性が高いと考えられる。この威圧感を減らすには、周りに配置される環境物に配慮する必要がある。たとえば、部屋全体を椅子に合わせるとか、あるいは部屋が無理ならば、部品を椅子に合わせるとかという方法が考えられるだろう。ここでは後者が取られていて、飾り用の時計をモチーフとしたハイスツールが一台、それからあまり気がつかなかったのだけれども、商品を展示する棚も一台、同じ意匠で整えられていて、これらがセットとして、ロビーが飾られている。


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現在では、これらは模様替えで背景へ退いているのだが、ある時代には、この旅館の顔として、この玄関の中心を構成していたのだろうな、と想像してみるのだった。


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Bench 85−薪ストーブの前の仕合わせなソファ・ベンチ

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合宿最初の日程は、昼食会から始まった。上毛高原駅からバスで、江戸時代の須川宿に観光用に作られた「たくみの里」に着く。「たくみの里食堂」でこれも毎年恒例となっている、猪・鹿肉のジビエ料理を堪能する。


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食堂に着くと、まずみんなが手を温めようと薪ストーブを目指す。そして、仕事の終わらなかった先生方は、この前のソファ・ベンチに座って、パソコンを広げたり談義を広げたりするのだ。以前は、このテーブルの代わりになっている木製のベンチだけが置かれていたような気がするが、この本格的に居眠りできるソファ・ベンチが入ったことで、居心地・座り心地は圧倒的になったといえよう。防火を考えれば、木製ベンチが良いと思われるが、人間は贅沢に流れる傾向があり、それは止めることができない。


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散歩をして帰ると、すでに食卓には箸や皿が並び始めて、幕張から送ったワイングラスも取り出されていた。次々に繰り出される猪の肉と鹿の肉料理を前にして、1年間に摂取するたんぱく質全体の数ヶ月分を食べたような、仕合わせな気分になったのだった。


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Img_6042_2 Img_6038_2 感謝!

Bench 84−ベンチの形態は、機能に従うのではなく、環境に従う

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恒例の放送大学「社会と産業」コースの教員合宿だ。満員の通勤電車から東京駅で上越新幹線に乗り換えて、昨日に雪が降ったという群馬県へ向かった。上毛高原駅には、待合室や喫茶店などに多くのベンチがあるのだが、やはり目立つのは、丸太ベンチだろう。4メートルほどの丸太を両断して割ったところを座面として、丸い部分へ脚が組み込まれ、簡単な楔が打ち込まれている。シンプルかつ頑丈なベンチだ。ベンチは盗難などの危険があって、たいがいは地面に固定されているのだが、このくらい大規模になると、地面からは自由となって、むしろ重力を味方につけていると言える。


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丸太を二つに分断しているので、同じ形のベンチが二つずつ収められている。また、バリエーションを持たせるために、丸太そのままを切り株のようにして、一人用の椅子としても提供されているのもある。ひとつひとつ年輪が異なる。中には、出自がわかるものもあって、これはこの近くの沼田にある営林署から木が切り出されてきていることがわかる。


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同じような趣向で、駅そば店のテーブルと椅子も丸太造りであった。余計なつくりはなく、ただ単に切り株なのだが、やはり脚の高さに合わせたり、お尻の大きさに合わせたり、さらには横から見たときの安定感を考えたりされていて、丸太ベンチであるとはいえ、様々な配慮が行われていることがわかる。


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駅から、猿ヶ京行きのバスに乗るのだが、バス停の壁画の前にもやはり丸太ベンチが置かれていた。室内用と屋外用と何が違うのかといえば、雨風の影響が考慮されている点だ。


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外のベンチには、塗料が塗られていた。もちろん、自然を考慮して、自然な色を出しているが、やはり耐久性を考えると、無垢というわけにはいかないようだ。形態は機能に従うというよりは、ここでは形態は環境に従うということになるのではないだろうか。


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2019/03/03

Bench 83−コーラ・ベンチに米国の夢が腰掛けていた

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図書館のある丘の上から坂道を下ると、駅からは少し離れているけれども、近場の商店街が連なっている。その中に床屋さんが混じっているのだが、この写真で見るように、一見では床屋さんとはちょっとわからない店の容貌を見せている。何が変わっているのかといえば、この車のナンバープレートだ。入口から木造の建物一面に渡って、米国のプレートがレンガのごとくに積み重なって、貼り付けられている。木製の壁よりも、金属のプレートが張り付いていた方が確かに家は丈夫だろうとは思うのだが、かなり趣味が入っている。


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米国風を装う中でも、とくに注目したのは、コカ・コーラのベンチだ。おそらく、ベンチの中でも、最も人びとの目に触れられてきたタイプのベンチだと言って良いだろう。先日岐阜市内の柳ヶ瀬でも見たし、逗子や鎌倉海岸の海の家などでは、かなりポピュラーなベンチだ。真っ赤なペンキで塗られていて、一目でコカ・コーラの宣伝ベンチであることがわかる。日本のスポンサー・ベンチの多くが空色なのに対抗している。わたしの推測するところでは、たぶんそれは逆で、コカ・コーラ・ベンチが赤かったので、後発の日本のスポンサー・ベンチが異なる色を選ばざるを得なかったのではないかと思われるのだ。素材は鉄パイプと鉄板なので、コスト・パフォーマンスは良い。もっとも、この床屋さんにあるコカ・コーラ・ベンチは装飾ベンチとして別ルートで手に入れたものだと思える。やはり、店主が米国のルート〇〇という雰囲気を楽しみたかったのだろうなと推測できる。


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米国のナンバープレートは、最近見たクリント・イーストウッド監督主演の「運び屋(The Mule)」でも映画の画面にかなりの表出があった。彼のトラックのプレート標識が8JK298で、あの最初のくたびれたトラックでずっと頑張って欲しかったのだ。そのあと、金が入ったので、高級トラックに変わってしまった。そのナンバーが92KB4Fだった。映画の中でも細部に神が宿る、必須のアイテムだ。


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この映画を観終わったあと、バス停のそばの旅行会社へ行く用事があり、バスセンターの中を横切ろうとしたら、真新しいペプシ・コーラのベンチが自動販売機の前に並んでいた。バスセンターにはコーラ・ベンチはお似合いだ。コーラを買って、長距離バスへ乗り込むというのは、米国的なイメージだ。日本の通勤客が、果たしてそのようなイメージで、ここでコーラを飲むかどうかはわからない。


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注目したのは、背板の板金が平面だけではなく、補強のヌキが入っていることと、ベンチを固定する場所がすでに、椅子のヌキ部分についていて、かなりの省略形になっていることだった。大量生産ベンチの面目躍如というところだろうか。


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2019/03/02

Bench 82−人間に劣らず、ベンチも複雑だ

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映画「グリーンブック」を観る。差別の描き方に批判があるのはわかるが、それでも主人公の二人の間での了解のあり方が次第に変化していくプロセスの描き方には素晴らしいものあることは否めない。


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運転手役のトニーが、警察に捕まりかけた雇用主で、ピアニストのドン・シャーリーを救う。これに対して、次の日に礼を言うドクターに対して、トニーが言う言葉がにくい。「人間は複雑だ。NYのクラブで見てきた」のだ。


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帰り道で、大きな角材を使った重厚そうなベンチをマンションの公開空地で見つけた。玄関を覗くと、中庭にも同じベンチが数台入れられていた。もしこれを角材で作っていたら、かなりの木材を使うことになるだろう。それで、指でコンコンと弾いてみると、中は空洞になっていて、表面だけに板材が使われているだけのベンチだった。見かけは重厚そうに見せかけていても、中身は空なのだ。ベンチも複雑なのだ。


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2019/03/01

Bench 81−映画館シートはギリシャ・ローマの劇場シートの末裔かもしれない

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原稿書きの仕事から、解放されてまず行ったのは、歯医者と映画だ。最近は治療というよりは、歯磨きの予防検診へ移ってきている。朝いちばんで、検診を済まし、その足でTOHOシネマ館へ行き、映画「ギルティ」を見る。北欧ミステリーファンには欠かせない映画だ。

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放送大学の「音」に関するラジオ授業を作ったときに感じたのだが、音の呼び起こす想像力は、ときには映像を上回ることを知らされた。「ギルティ」の中でも、暴力シーンが出てくる。女性の叫び声とともに、肉が弾ける音がする。それで女性が被害者で、暴力が加えられているのだと想像してしまうのだ。この力は過剰に大きすぎるのだ。あとになって、それが錯覚であることを聴衆は知らされることになるのだ。音が一般イメージとして一元的に伝えられると、現実との間にギャップが生ずる。このギャップをさまざまに駆使して、音というものの効果を最大限利用した映画だと思う。

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この映画館のシートに座った。考えてみれば、座面が跳ねて背板に収まる映画館の座席シートは、典型的なベンチだ。座席へ至る通路を最も狭くとり、収容客数を最大限にとる工夫であり、おそらくヨーロッパの古い劇場で発達したシート形式だと推察されるものだ。劇場の歴史を辿れば、いつ頃から座面が跳ねるシートがあったのかがわかるかもしれない。

 

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劇場のシートそれ自体は、ギリシアの野外劇場にも存在していたし、ローマの劇場にも存在していたから、シートの歴史は意外にもベンチの歴史よりも古い可能性がある。現に、ブリタニカ百科事典には、ベンチはシートの一種であるという記述があり、シートがまずあって、その中の1ジャンルとして、ベンチがあるという認識がふつうにあるのかもしれない。


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2019/02/28

Bench 80−2-図書館椅子は目的を表示する

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読書は孤独に行うものだ、ということは、椅子にも表れている。K大図書館の読書室には、一切ベンチは置かれていない。以前取り上げたように、ベンチは図書館内のおしゃべりのできる場所にはあるのだが、やはり読書室には個人用の椅子が置かれている。


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椅子はその意味では、図書館内の目的を示唆していると言っても良いだろう。アフォーダンスとまでは行かないまでも、環境指示的な役割を椅子たちは果たしている。わたしの場合、この教室用風の四角張った椅子は、多少クッションを効かしてはいるものの、労働椅子として機能したのだ。毎日7時間くらい、この1ヶ月は座り続けたことになるのだ。感謝すること夥しいものがあるのはもちろんなのだが、1ヶ月という期間はかなりの時間なのであり、贅沢を言うようだが、もう少し自由な椅子がたくさんあったらなとは思うのだ。


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夕方になると、席の正面にある窓が次第に暗くなっていく。今夕、おおよその作業を終了する。あとはもう一度全体を調整すれば良いのだ。今夜のうちに編集者の方へ全部の原稿を送ることで、この1ヶ月の閉じ籠りも終了することになる。図書館からの坂道を下ったところにある、いつものパン屋で、北海道産小麦のバゲットを買って帰ることにしよう。


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2019/02/27

Bench 80−なぜか講師室には長椅子ベンチが置かれているのだ

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ベンチというよりも長椅子と言うほうが合っているかもしれない。毎年2月中は末日まで、K大学の図書館に閉じこもっている。朝9時半から夕方6時まで、原稿書きの仕事だ。恒例となっているので、座る席も決まっていて、また休憩のスタイルもほぼ同じだ。


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じつは昼食が問題だ。生協食堂が開いているときには、一汁一菜のトッピングとご飯だ。栄養満点の盛りだくさんのメニューだ。けれども、春休み中には休業の日が多く、そのときには、家から弁当を持参する。それで、食べる場所としては、ありがたいことに、講師室というところがあるのだ。友人のF氏たちが採点などの作業を行なっているところにお邪魔している。


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なぜかこの講師室には、この長椅子が置かれている。K大には講師室が3号館と23号館に2つあり、それぞれ利用させていただいているのだが、両方に長椅子が置かれている。そして、両方とも、背板を倒せば、ベッドにもなるという、便利な長椅子なのだ。原稿書きで、目が疲れてくると、これを倒して、ちょっと昼寝すると頭がスッキリする。


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さて、K大の講師室にあるこの長椅子が、わたしのために用意されているとは考え難い。それでは、なぜ個人用の椅子が並んでいる中で、そして、先生方は授業期間にはほぼこの個人用の椅子だけを利用するだけなのに、この講師室に長椅子が置かれているのだろうか。昔はよく、先生方が長椅子に座って、談義を催していただろうから、その名残りなのだろうか。

 

この謎については、F氏が教えてくれた。以前、授業を行なっていた高齢の先生が、途中で倒れたことがあったそうだ。教室からこの講師室へ運ばれてきて、寝かせるベンチが必要だということで、それぞれ1台ずつ手配されたのだそうだ。こうなると、高齢期になったわたしとしては、やはりこの長椅子に親近感を覚えるのだ。それで、休憩としてこの長椅子で仮眠をとることは、決して趣旨に反していないのだな、と安心したのだった。春休みの大学には、図書館と同様に、このような余裕がいっぱいあるのだと変に納得した次第である。じつは以下の記憶も加勢している。

 

その昔、大学院生時代のアルバイトで民間研究所に勤めていた。そこではよく座談会を開催していて、出席者の口述原稿を報告書に載せていた。それで当時一橋大学の産業組織論教授の原稿を国立へ取りに行ったときに、その研究室の草色のソファ・ベンチで教授が眠っていたのだ。研究室とソファとがイメージの中では快適に融合しているということもあったのだ。

 

2019/02/14

Bench 79−ラジオ・スタジオの椅子からカンファレンス室のベンチへ

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このベンチは大学のカンファレンス・ルームに置かれているベンチだ。いかにも事務用品カタログから注文されたという感じのベンチなのだが、これがひとつあるだけで、部屋の雰囲気が変わってくるように思える。ラジオの収録を終えて、帰ってくると、ストレスを和らげてくれるのは、個人用の椅子ではなく、ベンチのほうだと思う。


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今日はこの4月からラジオ放送が始まる『経済社会を考える』の収録最終日だ。もう一人の主任講師のM氏とRadioスタジオで、収録をしてきた。スタジオでは、マイクに向かって座るタイプの椅子なのだ。当然ベンチではなく、個人用の労働のための椅子だ。ここで、45分間のラジオ番組を作るのだ。マイクに向かって喋っていると、いつもは使わないような筋肉にストレスを感じてしまう。そこで、収録が終わったときには、やはりこのようなベンチにちょっと腰を下ろして、背もたれに身体を預けて座りたくなるのだ。


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2019/02/10

Bench 78−開放的だが閉ざされたベンチ空間を持った木の喫茶店

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喫茶店のその店に似合ったベンチを入れようとすると、たいへん難しい。多くの人びとに気に入られる必要があるからだ。けれども、逆に考えれば、特別なベンチを置いてしまえば、その店の主張や雰囲気を積極的に伝える武器ともなりうることになる。それがベンチの空間特性なのだ。


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このソファ・ベンチは、この店「totoru」の雰囲気を代表している。ベンチの素材が木製中心で作られている。この店の造りも木製の床やドアに始まり、天井から机や椅子に至るまで、木製が貫かれている。まさに、このベンチのような喫茶店なのだ。


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けれども、このソファ・ベンチは他の席とも異なる機能を持っていて、他の席から半分断絶した空間を形成しているのだ。じつは、このベンチの背板が二方向に壁のような効果を持っていて、囲まれた空間を保証している。それから、この写真からはわからないかもしれないが、前面が全部透明ガラスであって、裏口がそこにある。つまり、このソファ・ベンチのある空間は、この店でも特別な席になっていて、個室とは行かないまでも、三方向に壁があって隔絶した空間であると同時に、外への展望が効くことから、開放的な風景を持つ場所となっているのだ。さらに、この大きなテーブルが魅力であり、大きな樹から根がいくつも出ているような風の脚を形成していて、自然味を増している。


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ゼミOBのI氏とH氏とわたしはこの席の対面の4人掛けテーブルにいて、ゼミの続きの議論をしていた。今日は近所の小さな子どもを連れた家族がこのソファを占めていて、子どもが少しぐらい騒いでも構わない場所となっている。喫茶店で子連れの保証される空間がほんとうはあるべきなのだが、このような都会の真ん中では、やはり稀有な場所となっていて、このように意識しなければ、作れない空間なのである。ベンチとは関係ないのだが、ここのトイレはちょっと変わっていて、子どもが好きそうな、鍾乳洞の流れのあるシンクが入っている。童話の世界を思わせる趣向なのだ。


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Bench 77−パーク・ベンチの新作はいかにして可能か

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鉄パイプのパーク・ベンチばかり取り上げていて、それでは伝統的なベンチしかないのか、パーク・ベンチに新作はないのだろうか、と問われてしまうだろう。手近なところで新作らしい野外ベンチを探してみた。

 

放送大学東京文京学習センターが入っている、旧東京教育大学跡地は現在、教育の森という名称がついていて、小学校から生涯学習施設まで多彩な学習施設の集積場となっている。昨年後半から、文京区が管理する体育施設に至る公園部分で改修工事が行われていた。公園といっても、東京の中でも山手線の内側の一等地なので、それなりの費用がかかった整備が行われている。当然のように、ベンチも出来合いの定型ベンチではなく、特別にデザインが依頼されたのではないかと思わせるようなベンチが置かれるはずだと思っていた。


 

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今日はこれを見ておこうと、学習センターでの大学院ゼミが早く終わったので、学習センターの玄関を出て、すぐ右の方向にある公園の石畳の散歩道へ出てきたのだ。駅へいく道とは異なることになるのだが。

 

案の定、ここにこのベンチがあり、すでに多くの人びとが座っていた。運動部の学生たちの集団や、犬を連れた散歩姿の奥様がベンチに座っていて、なかなか写真を撮るチャンスが巡ってこないほどだった。人口密度からすれば、もっと脚数が欲しいところだが、ちょっと洒落てみました風を装うには、希少価値を強調した方が、街の雰囲気に合っているかもしれない。これは、皮肉ではないだのだが。



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写真でわかるように、このパーク・ベンチでは金属板が柱を構成している特徴があり、パイプ業者ではなく、金属板加工業者がベンチに参入してきたことを表している。金属板のデザインに特化している。おそらく、デザイナーはこの金属の板を強調するように作ったのではないかと想像させられるのだ。とくに、横に比翼のごとく伸びた肘木が全体のデザインの中でも特に目立っていて、わたしの管見でもあまり見たことがない種類のベンチとなっている。このベンチの置かれているところはかなり余裕があって、芝生が張り出してきているので心配はないのだが、もし狭いところに置かれたならば、この比翼部分がちょうど子どもの頭部分に当たるところなので、ちょっとそこが気になるところではある。



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また、座面ではアルミに樹脂が被せられているタイプの角型のパイプが使われており、丸い鉄パイプからの脱却がここでも進行されていることがわかる。このように見てくると、鉄パイプ・ベンチからの転換を試みられている、いくつかの工夫が行われている点で、見るべきものが数多くある、パーク・ベンチなのだといえるのだ。

 

2019/02/09

Bench 76−ジャズ喫茶には、ベンチが似合う

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db (ダウンビート)の椅子は、ソファ・ベンチだとずっと思っていた。それは、このリスニング・ルームのほとんどの座席が三人掛け用に並べられていて、他のジャズ喫茶のように、一人掛け中心ではないからだ。



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言うまでもなく、ジャズ喫茶では、話してはいけないのだ。もちろん、後ろの方にある別室ではカウンターになっていて、おしゃべりできるBarスタイルの空間もあるから、常連ならば、こちらに座れば、一人でジャズを聴くことになっていることはすぐわかる。



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一人でジャズを聴く空間で、なぜ三人掛けを保っているのだろうか、という疑問が常にあった。ベンチのスペースを取りながら、一人掛けの贅沢な空間が許されているのだ。学生時代から数えれば、断続的ではあったが、もうかれこれ40年以上通っているから、疑問もかなり長いこと続いている。このような疑問は楽しむためにあるようなもので、疑問が解決してしまわないように、あれこれ想像力を抑制しつつ、通ってきているのだ。



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このようなときには、ベンチというものには、思考習慣的特性があるのだな、と思ってしまう。三人掛けに一人で座っていても、見えない人びとがそこにはいるのだ。そのように思考しても、決しておかしくない、余分な空間がこのdbには保証されているのだ。後ろの方からそれとなく聞こえてくる、他者のおしゃべりに対して、これ見よがしにビールを流し込んで、見えない人との対話を始めたのだ。



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Bench 75−木製ベンチは雪との親和性が高いのかもしれない

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野外ベンチでは、天候が座る人にも、またベンチそのものにも、さまざまに影響を与える。今日の首都圏では、雪がずっと降るらしい。このところ、雨もなかったので、少しばかりのお湿りになるだろう。とは言ったものの、野外ベンチにとっては、雪と寒さは人びとを遠ざけてしまうので、疫病神のように感じてしまうのではなかろうか。このように、ステーション・ベンチならば、まだ座面に雪が積もるわけではないので、あとはベンチの素材の持つ冷たさが問題になるだけだ。やはり、鉄製よりは木製が保温性というのか、保雪性にも富んでいるように思われるのだ。


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疫病神だとは言ったものの、それは座る人の立場からの見方であって、ベンチから見るならば、雪が積もって、座面に座る人が減り、休むことができて良かったと考えているかもしれない。また、雪を好きだなと思っているベンチもあるだろう。適度な湿度をもたらすことは、木にとっても再生のために良いといえるかもしれないからだ。


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この写真を見ていると、雪と木とは他の素材よりも、親和性に富んでいるのではないかと思わせるのだ。金属のベンチだと、少し溶けて、水となった雪が氷となって、ベンチから滑雪してしまうようなイメージなのだ。けれども、木製ベンチならば、このように雪の結晶が崩れないままに、綿あめのごとくに、雪の情感そのものを保持しているのだ。夜になって、街灯に照らされた公園ベンチに、雪が降り積もっているのを見ると、ほんとうに綺麗だなと思わせるものがあるのだ。

 

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  • 坂井素思
    放送大学教員で、社会経済学領域を研究しています。