2017/11/01

「社会経営研究」「社会経営ジャーナル」第5号のβ版発行!

Img_9202 沖縄から幕張へ帰ってきた。毎日、ポットへコーヒーを入れてから、1日が始まるので、那覇にいても、幕張にいても、それほど日常は変わらない。悪い夢を見た日は違うのだが、午前中には原稿に向かい、午後から活動が始まるというサイクルの内にあれば、どこに居ようと大差ない。はや11月となり、遅ればせながら来年度から始まるラジオ科目「都市と農山村からみる身近な経済」収録の季節が巡ってきた。Img_9204 2年間かけてきたテキスト作成も最終段階になってきて、初校、再校、フレンドリー・アドバイスなどと3回目の点検も済み、今回は放送原稿を2回作成したから、少なくとも5回くらいは内容の検討を重ねたことになる。悪い夢とは、検討を重ねるときに見えてしまうから始末に悪いのだが、もう放送の段階では迷っている暇はないのだ。研究室の窓からの景色も変わり、紅葉が目立つようになって来た。

 

Img_3476_2 制作棟3階にあるRBスタジオへ向かう。ラジオスタジオは幕張にABと2つあり、きょうは小さな方のBスタジオでの収録だ。調整室では、島根大学のI先生、ディレクターのK氏、録音技師の3人が待っている。日頃、中国へ出張したり気管支炎を患ったりした人たちが、決められた日時にぴったりと一堂に会すなどということが起こることが不思議な現象だと思えてしまう。

 

Img_3079 今回の科目録音では、すべて対話形式で収録を行うことにしている。4人の講師が入れ替わり立ち替わり、2コマずつ収録し、攻守を変えて、1コマずつそれぞれ話す役と聞き役とを務めることにしている。一回は専門を語り、一回は相手の話を聞くということだ。とくに、聞き役は重要で、話す役からうまく話を引き出さなければならない。Img_3080 話す方はこれまで書いて来たことだから、それなりに道成りで話していけば良いのだが、聞き役は聴取者・受講者たちの代表という意味があって、どのように決められた話をうまくわかりやすく聴きだすのかが問われる。日常にはない、きわめて面白い役どころなのだ。もっともうまくいけばの話で、うまくいかなければ、悪夢になるのだが。

 

Img_3479_2 金魚鉢のこちら側と向こう側とで、また金魚鉢の中では向こう側のマイクとこちら側のマイクとで、次々と合図とおしゃべりが繰り返されていく。音楽が始まって、ディレクターがキューを出してからの互いの共通意識の世界を彷徨する緊張感はたまらない。シナリオ案は一応作っておくのだが、それは保険のようなもので、主としてアドリブ部分を一生懸命考えつつ、番組は進んでいく。Img_3075 アドリブが続かなくなったときには、このシナリオへ帰って来て、対話者とレベルを一致させて、さらに先へ進んでいく。ウォーキングを2人で行なっているようなものなのかもしれない。一緒に歩き、前へ行ったり後ろへついたりしながら、2人とも常に足を前へ出していくのだ。I先生は初めての経験だとおっしゃっていたが、コンビネーションはとてもうまく行って、少し削っただけで、初取りで済ますことができたのだった。

 

20171102_232436 沖縄からのお土産の35珈琲と、牧志市場で購入したサーターアンダギーを、「社会と産業」カンファレンス室のAさんに渡して、早々に幕張を出る。きょうは、研究同人誌の「社会経営研究」と「社会経営ジャーナル」の再校を行なって、とりあえずβ版を発行する日なのだ。先日、執筆者へ校正を依頼しておいたメールが続々と届いている。Kさんは85歳を過ぎているのだが、校正原稿をプリントアウトして、修正点を書き出して送ってくださった。明日からは奈良を来訪する予定の忙しい中、校正原稿を送ってくださったのだ。他の執筆者も編集者たちの懸命の編集に耐えて、寛容の精神を発揮してくださっていて、感謝の言葉もないくらいだ。

 

20171102_233045 校正段階で依頼された中には、編集委員会の趣旨に合わないところもあり、そのことで執筆者の意にそぐわないことも出てきてしまうかもしれないが、その場合には、三校の段階でもう一度連絡をお願いしたい。β版の良いところは、直しながら発行できる点であり、紙版の雑誌では考えることができない発行形式が可能になるのだ。夜遅くになってしまったが、どうやら今年もようやく発行にこぎつけたことを執筆者と編集者と読者とともに喜びたいと思う。

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2017/10/30

「海の青さに空の青」の沖縄

Img_3401 「海の青さに空の青」というイメージで、沖縄へはいつもは向かう。ところが、今回ばかりは、台風22号の風雨で、この青さには接することができないらしい。そこで、うちの中で楽しむことのできる沖縄料理に徹することに決めた。

 

Img_3412 1日目の夕食は、沖縄に住んでいる友人T氏が東京に住んでいる息子さんS君を一緒に連れて来て、那覇市栄町市場にある沖縄料理の店「パヤオ」にて食事。パヤオとは素敵な名称なのだが、フィリピンでの浮き漁礁のことで、これが海に浮いていると、その下に魚たちが集まって来るのだそうだ。まさに、そのような雰囲気の店だった。

 

Img_3413 T氏とは中学時代から一緒に育って来ていて、結婚も同じ頃にしたし、彼のシンポジュウムに招かれたり、わたしの授業番組に出ていただいたりして、共通の話題がたくさんあり、もちろん食事をするよりも話をしている方が多いのだが、今回は料理も十分に楽しんだのだ。息子のS君は好青年に育っていた。沖縄へ戻って来て、この湿気を吸った、ちょっと気温の高い気候がとても良いと言っていた。そのような感覚が地元出身の人びとの中にはあるのだな、と彼の感想に好ましさを感じたのだった。Img_3414 彼が幼少の頃に、やはりわたしが沖縄に来て、T氏の奥様も一緒に食事をした記憶がある。酒はT氏がボトルキープしていた、那覇の泡盛「瑞泉」を水割りでいただく。結局、彼は最終バスがなくなるまで、一緒に飲んでくれたのだった。

 

Img_3421 じつは、2日目も彼と食事をした。前から気になっていたという店が、やはりホテルの近くの栄町にあって、そこでは山羊料理をイタリア料理として出していた。「ル・ボン・グー」というまさに山羊中心の店だ。ロビンソン・クルーソーが孤島で、家畜を飼っていて、確か山羊だったと思われるが、やはり島には山羊が似合うと思うのだ。断崖絶壁の草を食んでいる構図は、想像するだに、興味がわく。野生のように放牧された、沖縄の山羊はさぞかし美味しいのだろうと来店したのだ。Img_3425 予想に違わず、山羊肉の入ったカルパッチョには山羊の粉チーズまでかかっていて、香りはかなりキツかったのだが、美味しい夕食となった。その後も、山羊尽くしが続いた。この歳になってくると、T氏と互いに、人生の苦しいことも楽しいことも両方あって、それぞれ乗り越えて来たという感慨があるのだ。とついつい、老人の会話が続くのだ。

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3日目には、ようやくにして、本来の仕事である面接授業を1日分だけはたっぷりと行ったのだ。少しでも仕事になって良かったと思ったのだ。そして終了した後、沖縄学習センター所長のT先生と、沖縄料理の代表的な居酒屋で、丸ビルへも支店を出している「うりずん」へ行く。このうりずんという言葉の響きもとても良い。2月から4月の潤いたつ季節を表した言葉だそうだ。ここでも、島らっきょう、チャンプルーなどの沖縄特有の料理を堪能した。T先生がキープしている酒の甕には相当な年季が入っていた。すでに40年あまり、この店に通っているのだそうだ。

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Img_9101 最後の日には、午前中に仕事を早々に済ませて、午後は国際通りから、牧志公設市場あたりを散策する。まず妻から頼まれていた菓子「サーターアンダギー」を買う。その店は、午前中で完売するほどの人気店のところで、卵黄がそのまま菓子の中核部分の黄色を決定していた。沖縄の母みたいな方が出て来て、おまけだといって、もう一つを紙袋に入れてくださった。それをつまみながら、公設市場の一階の魚屋や肉屋などを見てあるいたのだ。

 

Img_9110 市場の向かいにある店を見ていると、こんなところに古本があるのだという店を見つける。「ウララ」という店で、一間ほどの狭いスペースに下から上までぎっしりと古本・新本を並べている。とくに、注目される店先には、「世界の市場」とか「日本の市場巡り」などの市場本と店主が書いた本が置いてあった。Img_9107 興味を覚えて、奥の書棚を覗いてみると、沖縄出身の「山之口獏」の詩集が置いてあった。フォーク歌手の高田渡が歌っていたことで、わたしは知っている。その高田渡がプロデュースしたCD「獏」が売られていたので、購入した。Img_9122_2 最後に、「生活の柄」という詩が入っていて、沖縄民謡歌手の大工哲弘が歌っていて、高田渡の内地的歌い方に比べて、ウチナンチュー的な歌い方になっている。Img_3481_2 高田渡の歌も悪くはないものの、作った本人よりも本人らしい歌の歌い方というものがあることを理解したのだった。Img_9121 ベターっと大地に寄り添うような、湿気たっぷりのウチナー的情緒いっぱいの歌に変わっている。

 

Img_9156 昼食は、市場の近くを歩いていて見つけたのだが、並木の素敵な壺屋町の自然食店「Mana」で、自然食の日替わりプレートを食べる。当然のように、女性たちが時間になるとわっと入って来た。Img_9139 美味しさを楽しむというよりは、自然さを楽しむという食事だった。身体の中がすっとして行くような感覚がある。そのあとは珈琲だ。向かいの喫茶店「Mahou Coffee」にて、アメリカン風味のコーヒー。すっきりとした苦味系の味だ。Img_9140 この近辺には、ギャラリーや雑貨屋やDIYの店が多く、以前紹介した絵本「きょうはパーティのひ」を店先に並べている絵本屋さんもあって、1日を十分に過ごせそうな街だ。つまりは辺境の街なのだ。

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ここを右に曲がり、もう一度右に曲がり、さらに、小高い希望ヶ丘公園と、ハイアットリージェンシーホテルに挟まれた急な坂道を登って行くと、両側に不思議な飲み屋さんやブティックが並んでいて、そして行き着く先に目指す「桜坂劇場」という名画座、カフェ、カルチャセンターのビルに当たる。Img_9134

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出張先で映画を、という習慣を忠実に実行すべく、東京で見逃していた映画「ギミー・デンジャー」を見る。映画「パターソン」が同時に公開されたので、こちらの映画はスルーしていたのだ。ロック歌手ギミー・ポップをジム・ジャームッシュ監督がドキュメンタリーで描いた作品だ。Img_9168 60年代から今日に至る、ロックの「危険」性を扱っているのだが、このように社会の中で相対化されると、ちっとも危険ではなかったといえる。ロック歌手の常道で、人気が出て、薬に溺れ、心と健康と家族が崩壊するのだが、ギミーの場合には、このあと復活するのだ。当時はこのような状況が見えなかったので、みんながギミーの方向性を危険だと考えていたのだが、時代が変われば、「危険」という考え方もかなり変わるということだ。

 

Img_9100 最後に、駅のコーヒースタンドで、「35」珈琲を購入し、飲みながら沖縄での生活を反省する。パンフレットによると、この珈琲は風化した骨格珊瑚を利用したサンゴ熱で焙煎されているらしい。Img_9198 カルシュウムの乾いた感触を思わせる、これもさっぱりした苦味系の味だ。沖縄から珊瑚を持ち出すことが県の漁業法で禁止されているので、地域特化のコーヒーといえる。現地でしか、生産が許されないのだ。そして、この代金の3.5%が珊瑚礁再生・保護に寄付されているということだ。フェアトレード的手法だと思う。「何気ない1杯のコーヒーで沖縄の海にサンゴが増える」というキャッチコピーは泣かせる。これはアイディアだ。

2017/10/29

2日目だけの沖縄の面接授業

Img_3445 昨日吹き荒れた「台風22号」は北上したために、まだ雨は残っているが、風は止んでいた。沖縄の人びとは多少の雨では傘はささない。また、暴風雨になると、傘をさしても役立たない。結局、傘はささないのだ。そんな小雨の中、ネットで検索した時刻に合わせ、琉大行きのバスに乗るために、早めにバス停へ行く。Img_3446 ところが、停留所には、張り紙があって、数日前にダイヤ改正が行われたというのだ。確かめると、5分前にバスは通り過ぎていた。日曜日なので、朝にもかかわらず、30分に1本しかない。万事休す。

 

Img_3447 と思って、顔を上げると、97番琉大と書いたバスがすっと現れたのだ。この世に神様がいるのではないか、と感じる一瞬だ。ステップを踏んで、腰掛けてもまだ信じられない。バスなので、5分くらいは遅れて当たり前なのだが。じわじわと湧いてくる、日常のラッキーを反芻するのだった。

 

Img_3450 琉大の構内には、低層の広葉樹が並木を形成している。風で飛ばされた小枝や葉っぱが歩道を埋めている。置き場の自転車が乱雑に横転している。10数年前にも来たことのある琉大図書館へ行く。入り口で部外者用書類へ記入して、閲覧者カードをもらう。Img_3451 調べたい図書のレファレンスを受けようとすると、わたしたちは日曜日のアルバイトなので、とやんわりと断られた。けれども、図書館は改装されていて、図書の配列はわかりやすく、書庫に入ってからも、目指す雑誌にすぐ到達できた。書庫には、このような閲覧用の椅子が置いてあって、書庫でちょっと本を読んだり仕事がしやすかったりするようになっている。難なく、コピーをとって、一仕事終わった気になった。

 

Img_3453 学習センターへ着くと、事務長さんとSさんが教務の応対をしてくださった。問題は、行うことができなかった昨日の補講をいつ行うのか、という点だ。結局、出席している学生の方々と相談して、全員が再会できる日を探ることになった。つまりは、11月、あるいは12月にもう一度沖縄へ来ることがほぼ確実になったのだ。教室でこの協議を行ってみると、まずわたしの都合の良い日は、ほぼ誰かが都合が悪く、完全に全員が一致する日は、1月の成績提出までの間には存在しないことがわかったのだ。Img_3452 困ったな、と言っていると、1人の学生が遅刻を認めてもらえるならば、一日を譲ってくれるということになって、ようやく全員参加の一日を作り出すことができたのだ。このような日程調整の困難さは、社会人大学の宿命だ。その予定日は、前日に東京文京学習センターで大学院ゼミを終えてから、羽田から那覇へ飛んで、次の朝を目指すという、猛烈サラリーマン並みの忙しさを味わうことなる。

 

Img_3448 今回の面接授業のテーマはこれまで3年ほど続けて来たが、「椅子の社会経済学」というテーマは今回が最後だ。いつものように、最初に自己紹介を兼ねて、受講生の方々の椅子体験を語ってもらう。聞いていて、定番となっているのは、小学校の椅子なのだが、木製派とパイプ派に別れる。戦後すぐの方々は木製派が多く、少し後になって来ると「パイプに合板」派が多くなるのだ。現在はほぼ「パイプに合板」をビスで止めた椅子が体勢を占めている。やはり、小学校時代からの記憶で、座板などの要所では「木」という素材は外せない。全部が金属とプラスチックになるには、時代の変化が必要だろう。

 

Img_9085 今回の話の中で、今までになかったのは、籐の椅子だ。柔らかなイメージと曲線・曲木に優れた素材だ。部屋の雰囲気が、この籐の素材によって、かなり決定されるほどに、強烈な印象を残す椅子だ。この椅子に、電灯のシェード、そして衝立も籐で揃えれば、立派なアジアン趣味の部屋になるだろう。沖縄のように、風が吹き抜けて行く部屋に似合いそうだと思ったのだ。

 

2017/10/26

育ててもらった場所が失くなってしまうこと

世の中には、思いも寄らず、そこに属している間に育ててもらえる場所というものがあるのだ。生まれてから、長らく家庭がそうだったし、妻との現在の家庭もそうであることは間違いないのだが、働くようになって、社会へ出るようになり、いくつかの場所を見つけていったと、今になって思うのだ。その一つが「財団法人家計経済研究所」だった。設立時の常任理事だったM氏が呼んでくださって、研究員になった。週に1、2回出れば良いということで、厚遇してくださった。

 

この研究所で書いた論文で、機関紙『家計経済研究』の創刊号に載せていただいた「家計原理と家族」は、その後のわたしの研究方向を決定的に左右するものだった。大学院までの研究を清算して、新たな一歩を踏み出したと自覚したものだった。現在でも、この時の問題意識を大事にしている。この意識は、1日や2日で育つものではなく、若い時といっても当時すでに30代になっていたのだが、経済的にも以前と比べれば恵まれて、放送大学での仕事もあってかなり忙しかったけれども、自分の研究にじっくりと取り組める心の余裕が、この場所に所属していることで培われたと今でも思っている。この論文は、とくに常任理事をはじめ、なぜか監事の方々にも、パーティの場などで褒めていただいたことも覚えている。

 

昨日、厚紙の立派な案内状がこの家計経済研究所から送られて来た。今年の12月5日をもって、31年間続いた家計研究の場を解散することになったそうだ。パネル調査など研究活動と4名の研究員の方がたについては、慶應大学が引き継ぎ、懐かしい「家計経済研究」雑誌などについてもN先生(日本女子大)が引き取ることになって、活動そのものは当分維持されるようだが、やはり場所、研究の拠点という具体的な場を失うことの影響は大きいと思える。研究員のK氏へ直ちに電話をかけたのだった。

 

論文や書評を書かせていただいた他に思い出深いのは、お茶の水大学の故M先生たちとの研究会の思い出だ。夕方になって、研究所が閉じる頃を目指して、若手の研究者たちが集まって来て、家計研究について議論を戦わせた。研究所はかなり鷹揚で、研究会のスポンサーになってくださったばかりか、この都内の一等地で議論の場所を提供してくださったのだ。現在、放送大学でゼミのために場所を大学以外の場所で借りようとすると、かなり高額な請求が来ることを考えれば、たとえ当時時間外の使用であったとしても、交通の便の良い(当時は文藝春秋社近くの麹町にビルがあったのだ)部屋を提供してくださったことは、今になって考えれば有難いことであったのだ。Img_3482 現在でも、この時対立した時の議論の夢を見るほどなのだ。議論が対立する中で、わたしは育てられていったのだと自分では考えている。

2017/10/23

台風の影響が心配なのだが、Tupera Tupera展を観に行く

Img_3337 横須賀美術館へ、Tupera Tupera展を観に行く。昨日の台風21号が日本を縦断して、近くの弘明寺公園には、樹々、葉っぱ、どんぐりの実などが所狭しと地面に散乱していた。Img_3323 午前中には、印刷教材の執筆と研究誌「社会経営研究」と「社会経営ジャーナル」の印刷を行なっていた。それで、理由はいくつかあるのだが、なぜか頭が詰まってしまっていたのだ。それを観た妻が、先週から行きそびれていた、この展覧会を勧めたのだった。

 

Img_3387_2 Tupera Tuperaとは、若手の絵本作家(だけではなく、多才能のデザイナー)亀川達矢氏と中川敦子氏の二人のユニットだ。展覧会の最後の方に、なぜ絵本を始めたのかという説明のコーナーがあって、当初は布の切り絵の画家だったそうだ。これにストーリーが付き始めて、絵本になったのだそうだ。じつは、見ていて、この初期のものに興味を思えたのだ。ストーリーよりも、形・色・素材などの楽しさに満ちている。言葉よりもモノの直感的な世界を重視しているように思えたのだ。

 

Img_3345 けれども、通常のモノの直感だけとは異なるところがあるようだ。絶えず、二つ以上のものの組み合わせで、制作を行なっているという特徴がある。たとえば、絵本の一つとなった、「しましまじま」は典型例だ。一本の筋だけではなく、色の異なる他の筋が数本組み合わさってリズムを作っている。Img_3388 ストライプと一言で言ってしまえば簡単なのだが、このストライプが島の人びとのあらゆるところに出現するのだ。まず、島全体がストライプだから、一本の線と2本目の線とは調和が必要になってくる。ということで、島に存在するもの全てが、一本では決まらないのだ。二色以上でデザインされるという意味がここにある。一つの考え方だけでは決定できないのがストライプの思想だ。

 

Img_3364 ふつうは、1人のデザイナーが二本のストライプの配色を調和させていくに違いないのだが、もしこの基礎的な段階から、2人のデザイナーが話し合いで配色を考えていたとしたら、どうなるだろうか。おそらく、意図するところはこのようなところではないかと思われる。Img_3334_2 あえて、2人に仕事を分けてみると、そこの見えてくることがあるのだ。縞模様自体が共同性を内包していると、Tupera Tuperaを見ていると思うのだった。ストーリーで共同性を描くのではなく、形・色・素材などで共同性を描いている。

 

Img_3348 結局のところ、この展覧会を見ていて、考えたのは「好奇心」という、絵本の世界の重要な要素だ。好奇心はどのようなときに浮かぶものなのだろうか。展覧会では、亀川氏が「思いつく」好奇心派を担当して、中川氏が思いついたことを「面白いと感じる」好奇心派を担当していた。Img_3360 会場には、ビデオが映写されていたのだが、制作のときに2人は、横に並んで机に対している。そして、2人の間にある画用紙に、まず亀川氏が思いついた、切り抜きの素材を置く。すると、その思いつきに反応して、次の切り抜きの素材が中川氏によって、画用紙に置かれるのだ。この対話的方法によって、作品が作られていく。

 

Img_3349 何か思いつくということは、最初の出発としてはたいへん重要な要素であることは間違いないのだが、じつはそれに連なる次の面白さが続かないと、作品は一方的な作者の独りよがりに陥ってしまう。だから、特に注目したのが、中川氏の役割だ。好奇心には、イニシャルなものだけでなく、作者の思いつきに対して、次の共感を準備することがとりわけ重要な好奇心となるのだ。以前、同僚の心理学者O先生と電車で一緒になったときに雑談した。Img_3352 やはり、心理臨床のあり方として、共感ということを多様に準備する(言葉は多少違っていたような気がする)必要があり、それが臨床の訓練ともなるという話を聞いたことを思い出した。好奇心の発揮には、単に思いつきの尊重だけでなく、思いつきへの共感が必要であることを、Tupera Tuperaの作品を見ながら想像したのだった。

 

Img_3372 いつものように、椰子の樹が並ぶ海岸通を、強い風にもかかわらず、満たされた気分でバスに揺られたのだった。Img_3375

 

2017/10/21

ウィンザーチェア展を観る

Img_3322 今年の卒業研究が追い込みに入っている。全員の参加者が下書きを届けてきた。卒業研究では、手いっぱいに広げていた知識は、いずれは妥当なところまで縮小して、無理のないところまで切り下げなければならないだろう。でも、無理したところは無理した過程で、そのぶんだけ苦労したので、なかなか捨ててしまうわけにはいかなくなっている方もいる。けれども、あえてこのようなところは、そのまま出すのではなく、すっぱりと切り、削る覚悟が必要なのであろうとあえて申し上げておきたい。カンナで仕上げを行うごとくに、最後は手触りの良いように、論文についてもそのような状態まで持っていきたいものである。

 

Img_3274 夏に長野市で開かれていた「ウィンザーチェア展」が東京に回ってきていた。長野市へ行きそびれてしまっていたのだ。現在は、この展覧会が駒場の日本民藝館で開かれている。Img_3267 井の頭線で先頭車両に乗って、改札を出てすぐの駅前の蕎麦屋「満留賀」で久しぶりのケンチンうどんを食べる。洒落た街並みが続く住宅地の中を日本民藝館へ向かう。

 

Img_3393 4分の1ほどの展示物は、松本民藝生活館からの出品だったので、すでにみたり触ったり、座ったりしたものが多かったのだが、椅子の場合には、やはり個人蔵というのが見逃せないのだ。なかなか個人蔵になってしまうと、見ることが難しくなるので、このような機会は得がたいのだ。どのような座り方をしたら、このようになるのか、そのことを想像するだけでも、展覧会を楽しむことができる。

 

Img_3394 修理の形跡などは、とりわけじっくりと見させてもらった。どうしても、木製製品では年季が立つと、もっとも弱点のところに無理が出る。ウインザーチェアの場合には、まずは「貫」部分だ。脚に来るのは、人間と同じで、椅子を斜めにして座ったり、負担がかからないと思われているところに、必要以上の力を加えてしまったりということが、故障の原因となっている。もう一つは、木という素材の問題だ。数百年経ったときにどのようになるのか、たいへん興味を覚えるところだ。

 

Img_3392 二つの椅子に注目した。一つは、他の椅子からあり合わせの貫を持ってきて、自分のウィンザーチェアの補強に使っているものだ。この場合、本来であれば、部品を持ってきてしまう、そちらの椅子も修理に出さなければならないのだろうが、それはかなり融通性の効く「貫」の採用を行っていたのだった。それも、職人に任せれば、もっと上手く修理するだろうが、いかにも素人が行なったと直ちにわかるような形跡が残っているのだ。これも難しいところだ。自分で直したくなるほどに、愛着を持っていたのだろうか。

 

Img_3391 もう一つは座面の板の歪みだ。この椅子を眺めれば眺めるほど、この歪みが「自然」のものに見えて来るのだ。実際、自然の成せる技なのだ。歪んでいても、座っても大丈夫そうだ。むしろ、お尻の曲がった人や、曲がって座る人には、むしろ座りやすい椅子なのだと言えるかもしれない。この持ち主は、おそらくあまりに少しずつ変わっていったであろうから、この歪みを意識したことはなかったのではないかと思われる。歪みが輝きを持って、存在する椅子だと言えよう。この歪みがあったからこそ、持ち主の愛着を勝ち得たのではないかとさえ、思ってしまうほどなのだ。

 

Img_3282 民藝館の向かいの屋敷が、柳宗悦の邸宅だ。くぐり戸を入って、廊下を経て、階段を登る。小さな部屋がたくさんある。おそらく、客人たちを泊めるために、多くの部屋を作ったに相違ないだろう。真ん中に、書斎があった。壁は本で埋められているのだが、目立つのは、机と椅子だ。

 

2017 注目したのは、異形な動物の顔の彫刻が前脚から肘木にかけて刻まれている、大きな椅子の方だ。晩年、机に向かうことができなくなったときには、この頑丈そうな肘木に板が渡されて、そこで書き物が行われていたらしい。Img_3320 なんとなく、民藝に似合わないと感じたのは、椅子に取り付けられていた金属製のキャスターだ。床にくっきりとキャスターで傷つけた跡が認められた。そういえば、京都の河井寛次郎も書斎でキャスター付きの椅子を使っていたのを思い出したのだ。けれども、河井の方は、木製のユニークなキャスターだったのだが。

 

Img_3270 この椅子は、どこで作られたものだろうか。野生動物の彫刻の模様を見ていると、日本でもないし、欧米でもないことがわかる。それで、係りの方に聞くと、アフリカではないかという方もいらっしゃるとか。Img_3291 答えに慣れているところから、この部屋に入って来る一定比率の客で、この椅子はどこで作られたものですか、と聞く人びとがいるということだろう。

 

Img_3295 雨はなかなか止みそうにない。渋谷へそのまま出ずに、途中の神泉駅で降り、Bunkamuraシネマで上映されている、映画「ル・コルビュジエとアイリーン」をみる。アイリーンはデザイナーとして有名で、コルビュジエの一つの系統の椅子のデザインも行なっている。今回の映画は、「E.1027」邸を巡る問題を扱ったものだったが、シャルロット・ペリアン同様に、当時の著作権問題はかなりゆるく、後で問題となって来るのだとわかる映画なのだ。Img_3314 考えてみれば、使っている人には使用権が存在しており、あまりにその対象作品に愛着があるならば、著作権の一部をその使用者が持ったとしても、法律的にはありえないとしても、現実の世界ではありえてしまうような気になって来るのだから、不思議なのだ。

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Img_3306 アイリーンのデザインした椅子とサイドテーブルが映画館の入り口に置かれていて、観客たちは座って、写真に収まっていたのだ。

2017/10/15

「静かなる勤勉」を体験してみた

174992416_unknown カーム・インダストリー(静かなる勤勉)という言葉を以前紹介した。職人が理屈を言うことなくひたすら手を動かし働く状態だとされる。言葉では、このように説明されるものの、それではどこがカームのようで、どこがインダストリーなのか、と言われても、実際のところはわからないのだ。174992528_unknown それじゃ、せっかく良い言葉に出会っても使えない。今日1日は、このことに徹してみようと考えたのだ。幸いなことに、多くの仕事はおおよそ終わってしまったので、余裕をもって、この言葉で遊んでみることができるのだ。

 

175255616_unknown そのまえに、昨日にはヒアリングをお願いしていたM氏にテープ起こし原稿を渡したのだが、テントに人があふれるほどに忙しそうだったので、奥様に原稿を渡して、説明を行なっていなかったのだ。それで、雨の中人びとが来ないうちに説明をしようとテントにはいった。M氏は今年小刀でアクセサリーを彫るというワークショップを行なっていた。

 

昨日、F氏が子供の頃、よく小刀で木を刻んでいたという話をしていたので、M氏はどうだったのか、と聞いてみた。すると、そうなのだとおっしゃる。学校から帰ってきて、よく削っていたそうだ。きっかけは、やはり親の影響があるらしい。木を削ったり、縄を編んだりしていた姿をみていたことが大きくなっても出てくるのだ。果ては家の中、公共の施設の柱など、あらゆるものに刃を立てて、怒られることにもなったそうである。こうなると突然ではあるのだが、徒弟制というものはなんとなく二者関係を引きずっているような気がするのだ。

 

175255408_unknown 今日は1日、この「静かなる勤勉」に徹するとして、まずは「削り」だ。鉋に挑戦することにする。ほんとうは道具それ自体が最大の問題であるのだが、そこは疑似体験の域内で済ませようということなので限界のあることは承知の上だ。スプーンをT氏のテントで作ることにする。原型はすでに作られていて、最後の南京鉋(なんきんかんな)による仕上げ工程だけが素人のわたしに残されている。

 

175255472_unknown 最初は誰でも、角度といい、引く力といい、どのくらい削れるのか、どのような手つきで行うのか、まったくわからない。経験とはそういうものだ。まずは失敗してみなければ、次へ進まない。これは机の上での学習とまったく同じで、失敗の中から学んで行く、トライ&エラーの世界が広がっている。失敗を一度で繰り抜けるか、二度で繰り抜けるかで、その人のセンスが見えてくる。

 

南京鉋の場合に、木の逆目に立ててしまって、最初にガリッという音がする段階から、次のガガーにつながり、その感触がスー、サーという段階になれば、一応鉋が走って行る状態に到達するのだ。このガリっという状態に拘泥してしまうと、なかなか初期状態を抜け出すことはできない。職人というのはこの状態を脱する段階にいかに当たり前に到達することができるかの技能を身につけていることかということだ。そもそも職人になったら、ひとりでやっていかなければならないのである。カーム・インダストリー学習は自分で行わなければならないのだ。カーム・インダストリーの特徴のひとつは、ひとりでひとり状態から脱することができるかということだろう。たしかに、これは人に聞いてわかって行くような、ビジーでうるさい状態とは異なるものだといえるだろう。

 

175256624_unknown 削るというのは、刃の当たるところだけしか、ひとまずは関心を持ってはいけない。ところが、削るというのは全体の流れが存在するのだとT氏は言うのだ。全体との調和を図りつつ、削っていかなければ、全体の形が整っていかないのは明らかだ。頭ではこのことはわかっている。けれども、頭で意識していては部分的なところの心配りからだっすることはできないのだ。理屈を考えることなく、全体との調和がもたらせれていかなければ、ならないのだ。

 

出来上がったスプーンをみると、一本だけでは何もわからないことを知ることになる。練習に練習を重ねて、ようやくカームな状態に達することがわかる。勤勉さは結果ではなく、そもそもの最初の経験でのプロセスなのだということがわかった。

 

175255936_unknown_2 二つ目の挑戦は、昨日のF氏のところで、鍋敷きつくりだ。江戸時代の住宅から切り出してきたという、カツラ材を彫ってみることになる。最初に、面を平鉋で整える。そして、のみでひたすら彫って行くのだ。これにはまさに、問題の勤勉さということが要求される。打ち込んでいないと金づちが手につかない、のみが木を捉えてくれないのだ。

 

小学校6年生の男の子が、ひたすらのみを打ち込んでいた。すでに、12歳にして、並々ならない決心をしようとしているかのようだった。現に、お母さんを連れてきて、F氏のところへ通ってきたいというのだ。学習塾よりも、すでに職人を志望していて、15歳になったら、この道に進みたいということだった。ご両親も暖かくそれを容認しているようであり、静かなる勤勉は人をひとつの道へ誘う効力を持っていることを知ったのだ。このクラフトピクニックという催しの良いところは、このような隠れた人生の出会いを自然に用意しているところだと思われる。

 

175256000_unknown いつものように、シェ・モモのM氏のテントで、コンフィチュールつくりに挑戦する。味覚と嗅覚と触覚とを同時に練達へ導いてくれる場所だ。まず、コンフィチュールの素材となるフルーツを選ぶ。175256016_unknown ここで、早くも「静かなる勤勉」が出てくるのだ。バナナとイチジクをまず選んだのだが、M氏はもう一つだというのだ。なぜバナナとイチジクだけではダメなのか。グレープフルーツを二つ追加する。175256128_unknown 酸味が加算され、素人のわたしにも、この選択はよかったと後になって思われるのだ。次に、バナナを二つに切れとM氏は言う、最初に大きめに切ったのだが、それではダメだそうで、小さい方を採用することにする。少し大きめにそれぞれ切って、ホーロー鍋に入れる。175256240_unknown すでに、エキスが出てきて、これだけでも十分に美味しそうだ。測ってみると、見事に目指した180gを1g超過しただけだった。目分量の勘と暗黙知の世界が現れ、それが味の世界と結びつけられるのを見ることになる。スケールで測りつつ、これにグラニュー糖を素材分量の半分ほどを入れる。175256240_unknown_2 これで、少し強火でグツグツと煮るのだ。沸騰が止まらなくなったところで火を止める。すると、もろみが付いてきて、粘り気のある果実液が出来上がるのだ。175256368_unknown これを準備したジャム瓶に入れると、なんと口までぴったりの仕上がりなのだ。見た目にも綺麗で、2日ほどすれば、食べることができるということだった。ちょっと舐めてみたが、なかなか良い味を出していたのだった。

 

175256384_unknown 帰りに、栞日に預けていた、購入した古本を受け取り、グレインノートの奥様へ挨拶して、松本駅へ向かったのだった。

2017/10/14

松本のクラフト・ピクニックへ来ている

174992368_unknown F氏は木の手仕事に徹底的に回帰した木工作家だ。今日行ったヒアリング調査に答えてくださったのだ。歳をとってから改めて、木工ということを行う意味を、問い直そうとしたのだそうだ。F氏がなぜ作品にネジや釘を使わないのだろうかというようなところを、じっくりと聞きたかったのだ。175255648_unknown ここには、あとで言うような手仕事というものの本質的な問題が含まれている。古来からの宮大工などの仕事にあらわれているように、日本文化の中に、じつはネジや釘を使わず、木を生かすことを中心とした文化が存在するのだとおっしゃっる。もちろん、このような直角な物言いを嫌いな人もいて、椅子は座れればよいという方もいて、どちらも成り立っているところが、じつはわたしを魅了する椅子世界の包容力のあるところなのだが。

 

174992576_unknown すこしこの文脈からは離れるかもしれないのだが、ここでなんというのか、社会関係が「手仕事の違い」として出てくるということを考えてしまった。わかりやすい言い方をするならば、なぜか日本文化は「二者関係」として典型的に現れるのに対して、西洋文化はむしろ「三者関係」として現れる場合が多いと言えるのだ。たとえば、日本の木製椅子はほぞ組みで作られている。これに対して西洋では主としてネジで結合されるのだ。ほぞは、ほぞとほぞ穴との「二者関係」でできているのだが、ネジを使う方では結合する側と結合される側の二者関係に加えて中間で結合を受け持つ道具が媒介し、「三者関係」が成立するのだ。175255760_unknown ここで、はたと気づくのだが、手段的というときに、西洋では必ず道具的という言葉がつくのだ。道具的理性とはまさに、このような関係を示しているのだ。西洋では以前からずっと道具とともに人間は存在してきたのだ。それに対して日本では、道具を排除するように、両者の接合が行われるのだ。日本人にとっては、道具的理性はそのものズバリなので、かえってよそよそしいのだ。

 

174992640_unknown ここで、道具というものの考え方が決定的に違っているのではないかと思わせるのだ。「二者関係」が中心の社会では、道具は外側からやってくるものであるのだが、他方道具も当事者のひとつと考えるならば、「三者関係」が成り立ちそして、道具は内在化するものとして考えられることになるのだ。

 

175255856_unknown この考え方のバリエーションは意外に広い。ということを考えながら、話に聞き入ってしまったのだ。

2017/10/12

フィンランド・デザイン展を府中市美術館で観る

Img_3143 「フィンランド・デザイン」のシンプルさを楽しんだ展覧会だった。けれども、ただのシンプルさではないところが観られたし、面白い考え方に満ちていた。来て良かったと思わせる展示だったのだ。Img_3147

 

Img_3088 久しぶりに、府中へでた。駅全体が京王のショピングセンターみたいになっている。府中美術館へいくバスがどこにあるのか、さっぱりわからない。駅員に聞くと、下へ降りて、スターバックスの前だというのだ。Img_3146 つまり、駅全体が二階に浮いていて、下の1階がバス乗り場になっているのだが、どこから降りれば良いのかが初めての人にはなかなかわからないという駅の構造なのだ。「ちゅうバス」という、マイクロバスが市内を循環していて便利だ。百円で乗れるのは良いとしても、乗り場がわかりにくいのが、玉に瑕だ。

 

Img_3153 府中市を歩くと、昔から並木道が本街道の脇道に発達して居て、緑の多い街だという印象がある。ちょっとした並木が年を経て、このようなこんもりとした森と化している。しかも材木屋さんが途中にあったりして、たくさんの輸入木材がこんこんと眠らされていた。その延長線上の森の公園の中に、府中市美術館がある。Img_3151

 

フィンランド・デザインと言われても、いろいろな素材のデザインがあるのだから、焦点を作るのが大変だったろうが、「シンプル」という共通点を前面に出していて、まとまりのある展覧会になっていた。Img_3092 とくに、展示の最初の部屋の最初の展示が、1870年に作られた薄い土色の、薄手のカップ&ソーサーで、モダンで機能的ながらも、フィンランド的な複雑性を含んでいて、素敵ですごい。展示会の最初の印象が大切であることを教えている。画像がないのが残念なぐらいだ。

 

Photo わたしの今回の目的は、何と言っても、Artekのアルヴァ・アアルトの椅子だ。会場の写真は禁止されていたので、HK氏がネットに載せている写真を引用することにしよう。10脚あまりの椅子と、設計イラスト図面などの全体を見ることができた。とりわけ、その傍に掲げられて居たレリーフ作品がアアルトの基本的な考え方を表していて興味深かった。「成形合板」という、これもモダンで機能的な素材の中枢にある考え方の中に、アアルトだけは機能だけでなく、フィンランド的な「美」を持っていたことがわかる。Photo_2 スライスした薄板は無機的な素材なのだが、それを無限に変化する合板に成形することで有機的な「美」となるのだ。そしてさらに、ここには、薄板をさらに細いひも状の板にして、それを捻って、椅子の脚にまで仕上げる手法があり、観ていて泣けてくるほどだ。シンプルでありつつ、過剰なのだ。近代主義のシンプルさが、近代以後のシンプルさの多様へ転換する瞬間の一つがここにある。

 

Img_3106 アアルトの典型例は、スツール60にも表れている。美術館では、「名作椅子に座ろう」というので、アアルトやイルマリ・タピオヴァーラなどの椅子が入り口ホールに並べられていて、自由に座ることができる。椅子は視覚で味わうのではなく、やはりお尻からの触感を味わうものなのだ。スツール60は、最もたくさん用意されていて、このスタッキングできる多さが特色だ。なぜかといえば、椅子の多さの中で、色彩の多様性を座面の変化で味わうことができるのだ。これを眺めていて、アアルトのシンプルさの秘密がようやくにしてわかってきたのだった。Img_3093 単純なシンプルさではなく、「多様なシンプルさ」をアアルトは追究していたのだと思ったのだった。シンプルなのだが、多様性に特色があるのが、アアルトの椅子たちだ。


スツール60は部品がわずか4つである。座面が一つと、脚が3本だけなのだ。この大量生産を可能にした部品の少なさが、シンプルを表現している。Photo_3 けれども、壁面にスツール60のバリエーションが並べられていたが、木という素材の多様性、座面の色の多様性など、シンプルではあるが、多様でもあるのだ。「多様な単純」とよべるような状況がアアルトの椅子には観られるのだ。

 

Img_3100 展覧会の効用は、今まで知らなかったものを発見するところにある。イルマリ・タピオヴァーラが寄宿生たちのために作ったといわれる「ドムスチェア」が、それだ。まず、座面の位置が高く、46センチに作られている。通常は高くても43センチで、わたしの特注の椅子でも45センチだ。いかに高いかがわかる。勉強椅子では、脚の高さが時間が経つに連れて効いてくるのだ。46センチは良い線だ。それから、何と言っても、座面のこのRだ。この前へ行くほどに傾斜した独特のラインが勉強の前傾姿勢では良いのだ。数ヶ月前に女性の椅子作家の方を紹介したが、このR面はその系統にあると思われる。Img_3136 最後に、後脚の独特の形が特色になっている。アームを半分にして、そのアームを前で支えて、後ろへ傾斜を伸ばしている。この後脚からアーム、そして背板にかけての連続した部分は、前傾姿勢の後ろを支える装置になる。ちょっと勉強に疲れた時に、この装置が役立つ。シンプルかつ優美な形をしていると思う。昨年、デザイナーのM氏が宣伝して、特注のドムスチェアがロット生産され販売された。その時のポスター・カレンダーが評判になったのだ。Img_3139 ドムスチェアの欠点は、結合部分でかなりビス留めが使われているところだが、それをも多様性の一端にしてしまうほどのデザインだとも言えるところが、また強みなのだ。

 

Img_3148 隣接する喫茶店「Café Longtenos」で、ソフトクリームを食べ、今日座った椅子たちを省みて、再び楽しんでしまった。しかし、帰り道が遠いのだ。Img_3141 Img_3103 Img_3140 Img_3134 Img_3115 Img_3114 Img_3104 Img_3127 Img_3125 Img_3118 Img_3149

2017/09/24

グレインノート椅子展の最終日

Img_8615 今日は昼からずっと、グレインノート椅子展展示の最終日にお付き合いさせてもらった。ご主人のS氏と一緒にギャラリーの展示と訪れる人びととの歓談を楽しんだ。ギャラリー(gallery)の語源は、「回廊」ということで、本来は人びとが行き来するような空間だったのだ。だから、単に美術館の部屋のような閉ざされた場所ではなく、今回のように、松本市の中町通りから歩いて、ちょっと入ってくるような感覚が、この言葉にはあるのだと思われる。この場所は、窓からは道を通る人びとがよく見え、回廊的な要素があるのだ。

 

Img_8498 仙台から来たという、女性2人の旅行客は、まずは「異様」な形をしたT氏の「骨盤椅子」を見つけ、腰の締め付けを試していた。展示というものを考えさせられる行動だった。椅子なので、最後は座って見てもらい、お尻の感覚を試してもらうのが主眼なのだが、その主目的に到達するには、まずは視覚的な要素も大切なのだと実感させられたのだった。

 

Img_8488 名古屋から来た中年の女性は、ざっとほとんど全部に座ってみた後、自分のお尻にぴったりする椅子の感想を述べてくださった。パソコンを使用する関係の仕事を持っているようだったので、仕事椅子のイメージで座って回ったようだった。Y氏の編み椅子、A氏の健康椅子など、横から見ていると、背筋がぴっと立ち、お尻がすっぽり入って、見るからに身体にぴったりの椅子だ、という感触が周りに伝わってくるようだった。お尻モデルになると良いのではと思うくらいだった。これらの椅子の販促のために写真を撮っておくべきだったと後悔している。つまり逆に、椅子向きのお尻というものがあることを知ったのだ。

 

Img_8485 椅子展の中でF氏の椅子は、センスの良さが目立つ。F氏の大工仕事のファンだという、男性が現れて、コタツに使うようなF氏の和風椅子を写真に収めていた。おそらく、F氏に以前、改装を依頼したことがあり、その仕事振りに魅せられた方のひとりだと思われる。そういえば、先ほど、キッシュプレート・ランチを近くの喫茶店Chiiannで取った。まだF氏にはお会いしたことはないのだが、じつはChiiannの店全体のデザインをF氏は引き受けていて、その大工仕事の一端を見せていただいた。

 

Img_8730 F氏は最近、店の入口近くに据付ける小さな棚を持って来たのだそうだ。この写真ではよくわからないかもしれないのだが、遠目に見ると、3段の棚で、一番下の棚と二番目の棚の間の縦幅が、ずいぶんゆったりと取っていて、二番目の棚と三番目(一番上)の棚との間の縦幅は狭く作られている。この場所はギリギリのスペースなので、たくさんのモノをできる限り置きたいと思ってしまうところなのだ。しかし、下へ行くほどゆったりと作られている。なぜなのだろうか、と考えてしまった。Chiiannのご夫婦に聞いたのだが、F氏は別に理由は言わなかったのだそうだ。

 

Img_8725 その答えは、近くに寄って見るとわかるのだ。つまり、目線の問題だったのだ。狭いスペースなので、訪問者が上から立ったままで棚を見たときに、下へ行くほどゆったり縦幅を取っていないと、棚の中の展示物が上の棚で隠れてしまうのだ。つまり、大きなものを下の棚に入れるために、下へ行くほど縦がゆったりとっているのではないのだ。全ての棚の中のものが、ここに立った人に見えるようになっているからなのだ。なるほど、という工夫だ。F氏は、このようにちょっとしたところで、使う人の身になって考えることができる方らしい。ファンができるわけがわかった気になった。

 

Img_8732_2 もう一つこの棚には、隠された工夫が見られた。それは棚の脚だ。この点はChiiannのご主人も気がついていて、柱にギリギリに棚が据え付けられているので、脚の外側の部分は切り落とされていて、内側にだけ脚がつけられている。けれども、この脚があるだけで、安定感がぜんぜん違ってくるのだろう。

 

Img_8467_2 さて、グレインノートに戻って、夕方には展示された椅子を回収するために、東京からS氏がK氏と一緒にやって来た。デザイナーのS氏は今年から椅子展に参加した。それで、これまでの伝統的な椅子とは、また趣向の異なった椅子を出品していていた。一つはこのグリーンの箱をイメージさせる「箱椅子」だ。Img_8466 もう一つは、動物の象をイメージさせる「縞々椅子」で、白い木の木目の組み合わせが美しい。伝統的な椅子と、何が異なると、このようなデザイン主体の椅子が出来上がるのだろうか。ヒアリングを行った中で、その点を集中的に追究させてもらったのだった。たぶん、発想の方法が逆転しているところに、特色が現れていることはわかったのだが、さてそれをどのように言葉として定着できるのだろうか。今回も難問をずいぶんと抱え込んでしまったのだったのだ。

 

Img_8606 夕方になって、椅子作家の中では一番歳の若いT氏が最終日になってようやく展示する椅子を持って現れた。彼の椅子は人形物語の中で活きており、その世界でもっとも大きな作り物であるということで、独特の様相を持っている。聞くところによると身体が弱いこともあって、遅れることは常習的なことらしいのだ。作るということには、なんと様々なドラマを生み出すのだろうか。それで、20日に撮ったビデオと同様の視点で撮って、今回はT氏の椅子も入れて、Youtubeの映像を更新することする。彼の椅子がないバージョンと、彼の椅子が入ったバージョンの二つが出来て、それはそれで、今年の特色になったと思うのだ。意外なことに対する純粋な驚きの精神がここでは必要なのだろう。

2017/09/20

グレインノート椅子展を観る

Img_8460 あずさ5号で松本へ降り立つ。駅で感ずる、すうっと入ってくる風に秋だなと思う。今日、水曜日は松本市全体がほぼ休業日となるので、観光客も少なく感ずる。けれども、それを知らない外国人がかえって目立つのだ。考えてみれば、わたしも地元の人からは外国人と見られているのかもしれないと思うのだった。

 

Img_8461 グレインノート椅子展は公式には第10回を迎えている。わたしはここ3年ほど前からようやく通いはじめているのだが、毎年新作が出て少しずつ趣が変わってくるところが良いのだと感じている。「少しずつ趣が変わる」法則性というものがあって、その年には「座編み」が座板の世界の中から、一斉に出てきたり、椅子のデザインがカラフルになって出てきたりするのだ。今年も以前のものを少し発展させて、全体の流れはそれほど変わるわけではないのだが、少しずつなのだが、部分的に見るとかなりの発展が見られたものがあったのだ。

 

Img_8463 グレインノートのS氏制作のベンチは、昨年のUアームチェアの発展型なのだそうだ。Uアームチェアが魅力的であることは、わたしも放送大学の教材で取り上げさせていただいたので、十分にわかっているつもりだったのだが、Img_8495 これをみて、さらに想像力を異なる方向へ発展させていた方が顧客の中にいたということだ。世の中は広いのだ。

 

それで、このUアームチェアを発展させて、ベンチを作って欲しいという注文があったそうだ。それでできたのが、この新作のUアームチェア・ベンチなのだ。確かに、Uアームの肘木を受け継いでいる。つまり、特徴ある曲がり方と形状はUアームチェアの遺伝子を継いでいる。Img_8505 けれども、本来のUアームチェアの肘木は、たいへん細いので、背部分をベンチ風に長くするには、背部分を厚くする補強が必要となってくる。そして、アームを支える点も以前よりもスピンドルを多く設定しなければならなくなる。このような必然性が、少しずつUアームチェアの基本的な部分を改良し、発展させていく動因となっていることがわかる。少しずつ変わるということに必然性のあることがわかる。

 

Img_8506 そして、この少し変えたことによって、元のUアームチェアとは異なる造形を少しずつ生み出していることもわかるのだ。たとえば、座板の網部分以外にも、横のところに栗の木の木目を生かした部分が出てきて、これがこのベンチの特色となっている。デザインというものは、このようにして変化していくものなのだ。さて、このベンチがどのような場所に収められるのか、たいへん楽しみだ。このことこそ、想像力を掻き立てられるところなのだ。

 

Img_8471 少しずつ変えている点では、Y氏の編みの椅子にも、この特徴が出ている。これまでY氏は、野生的な特色を強調してきた椅子を作ってきている。そこにほんの少し変化を加えただけで、野性的であることに変わりがないのだが、野性的な印象が野に居る「貴婦人的な印象」に変わっているのが、この椅子だ。なぜ女性的な印象に変わったのかといえば、後脚を完全に45度に転ばせて、前脚から後脚への幅を極端に絞ったところに、その秘密がある。そしてまた、むき出しの背板部分を編みで覆ったところから、全体的に洒落た感じが出てきたのだといえよう。従来の男性的な椅子と、今回の女性的な椅子と、これら両方をペアで組み合わせて使う人が出てきても不思議ではないだろう。このようにして、基調は同じだが、重層的な多様性が出てくるのが、「少しずつ変える」醍醐味だといえる。

 

Img_8481 少し変えたという点では、H氏のウィンザーチェアも昨年から少し変わっている。どこが変わったのかわからないほどなのだが、座った感触が違うことがわかる。さて、これは製作者ご本人に聞いて見てようやくわかるのだと思われるほどなのだ。歯切れが悪くて済みません。でも、確かに昨年の小さくすっぽりした感触とは違っていて、少し大きくゆったりとした感じを優先させたのではないかと思われるのだが、さてどうだろうか。何れにしても、ウィンザーチェアなのだが、たいへん軽量に作られていて、それは座板を薄く削り込んだところに現れているのだ。

 

Img_8470 最後に注目したいのは、K氏のスツールだ。両方とも、じっくりと眺めるとようやく苦労した点が見えてくるような椅子なのだ。K氏は様々な意匠を組み合わせることがうまいことで知られている。たとえば、こちらのハイスツールでは、座面にレザーの柔らかい素材を配置して、座り心地の良いものとなっている。おそらくレザー部分は外注したものと思われるが、スツールというものがお尻に過酷であることを知っていないと、このような工夫はできないだろう。どうしても、木工で生きてきた人は、木工でどうにかしたくなるのだが、K氏はそれを乗り越えている。さらに、S氏にこのハイスツールの貫の作り方を聞いてみた。すると、このハイスツールの隠れた苦労が色々と見えてきたのだった。ちょっと見た目には、貫に椅子の脚が刺さって突き抜けているように見えるかもしれないのだが、そう見えるように作られているが、じつはそのような作りでは不可能なことがわかるのだ。Img_8469 それじゃ、どのようにしてこの貫を突き抜けるような脚をつけたのかが問題となるのだった。ほんとうに見れば見るほど、不思議な作り方をしているのだった。同様にして、もう一つの編みのスツールも、簡単そうに見えて、じつはウルトラC級の技術が入っていることが、それもようやく説明されるとわかるのだった。これだから、椅子を見るのはやめられないのだ。(9月16日から9月24日まで、松本市の中町通りグレインノートにて開催されています。)

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2017/09/08

パン日和「あをや」で夕食し、映画「Paterson」を観る

Img_2933 日常の一日を詩の言葉であらわしたら、どのようなことになるのだろうか。日常の変わらない一日を映像であらわしたら、どのようなものになるのだろうか。監督J・ジャームッシュの映画「パターソン」をチネチッタで観る。まずは日常ということで似合うのは、ベッドだ。というと、ちょっと違うことを想像する方もいるかもしれないが、今回の映画では、一日ずっとベッドを写していても良いくらいなのだった。S__28319755 この主人公二人のベッドでの姿は静かな日常そのものだ。歴史はベッドで作られるのはヴェルサイユ宮殿なのだが、日常こそベッドで作られるのだ。ここが平静である家庭は、日常も平静だ。ポスターがその仕合せなシーンを写している。

 

Img_2931 もう一つは仕事の日常だ。映画の中で、主人公の運転するバスが交差点を左に大きく曲がる。ウィンドウに街の日常がぐるっと映し出される。人びとが歩いている。ショッピングバッグを持っている。反対側を走るタクシーが光っている。

 

世界中から光粒子が集まってくるが、バスが通り抜けるところだけを避けている。周りはすべて日常だ。今日だけは、日常から抜け出て、ということが起こらないことになっているのだが、さてどうだろうか。

 

Img_2911 バスの運転手である主人公は、ニュージャージーのパターソンに住む「パターソン」で、ちょっとした時間に、詩を書いている。朝の6時10数分ごろ、目が覚める。妻の「ローラ」にキスをして、古い椅子の上から服をとる。最初はモーエンセンの椅子だった気がしたのだが、途中からフランク・ロイド・ライト風の椅子に変わっていた。どちらの椅子も古くて素敵だ。

 

Img_2925 詩のノートの入ったブリキの弁当箱を持って、古いレンガの街を通り抜ける。運転席で詩を書き付けると、上司がやってきて、周りの日常が流れて行くのだ。バスが出発し、時計が早回りして、乗客の会話に微笑む日常もある。

 

最初に出てくる詩は、「Ohio Blue Tip Matches」だ。食卓に何気なくおかれているキッチンマッチなのだが、マッチ箱からマッチ棒が取り出され、火が着けられるにしたがって、生の詩になっていくのだ。はじめは日常で、何か火を使う目的があったり火が求められていたりしていたのだが、それがマッチと火と人間との全体の関係に変わってしまうのだ。マッチが擦られ、炎が燃え上がるときに。Ohiobluetipmatches2boxesfullorigina

 

帰りにも同じレンガの道を通る。家に着くと郵便受けをカラにする。妻はカントリー歌手目指しての服飾つくりと、週末バザーに出品するカップケーキつくりに余念がない。この服とケーキのデザインが、以前の監督作品「コーヒー&シガレッツ」の市松模様の趣味を受け継いでいる。彼は夜の散歩に、飼い犬の「マーヴィン」を連れ、バーでビールを一杯飲み、客の悲喜劇に付き合いクックと笑う。こんな余裕ある日常もある。家に帰ると、ビールのほのかな香りを、妻のローラは好きだと言う。こんな毎日が繰り返される。

 

Img_2927 パターソンの日常とはいったい何だろう。映画のパンフレットに次の引用があった。「身の回りにある物事や日常におけるディテールから出発し、それらに美しさと奥深さを見つけること、詩はそこから生まれる」と。もちろん、兵役の写真などがベッドサイドに飾られていて、過去がちらりとのぞく場面もあって、映画には現れない日常もあることは想像させられる。なぜ彼は詩を書き始めたのだろうかということも気になるところだ。詩のシーンを通じて映画が何か描くと、ふつう非日常的なことになってしまいがちなのだが、むしろこの映画では大切な日常がかえって現れてくるのを感じてしまうのだ。少女の詩人が読んでくれる詩には、それが現れている。

 

Img_2913 監督J・ジャームッシュは、20数年まえにアメリカの詩人ウィリアム・C・ウィリアムスの詩集「パターソン」を読み、この街パターソンを訪れたそうだ。映画の主人公が「バスの運転手」であり「詩人」でもあるという、ディテールがいっぺんに浮かんだそうだ。

 

Img_2914 詩の好きな人であれば、映画の最後に出てくる「The Line」という詩には、きっと涙することだろう。この「1行(Line)」には、ドラマが凝縮されている。わたしたちにも、いつもこの「1行」が与えられていて、みんな気づかないかもしれないのだが、じつはそれぞれのノートに、ほんとうは書き込まれているのだ。

 

Img_2915 映画は、夜の7時からだった。K大の図書館で仕事をしての帰りに、少し時間ができた。その間に久しぶりに、パン日和「あをや」へ寄って、夕食をとった。Img_2917 奥様がちょうど2階で、パンの仕込みを行なっていて、パン屋の帽子なのだと思われるが、横縞の白い柔らかな毛糸の帽子を付けて現れた。かぼちゃなどのスープと、クリームチーズとアボガドのサンドをいただく。Img_2919 食後に、りんごと紅茶のセパレートティ。夏には、ご主人の実家のある帯広へ行ってきたとのことなどを雑談した。帯広に本店のある六花亭のチョコレートをおみやげにいただく。仕事中毒の自分自身から抜け出す、最良の一日となったのだ。

2017/09/03

急勾配の坂道を自転車で飛ばす

レンタル自転車を借りることができるというので、観光協会へ行く。保険には入っていないので、自己責任でお願いいたしますというのだが、それは借りたわたしのことを案じていってくださったのか、自転車のことを心配していったのか、つい聞くのをためらってしまった。

Img_8386

山の中の道路なので、一直線に続いている。それがなだらかに数百メートル続くので、下から見上げると、大した坂ではないように思えた。それが間違いだった。電動付きの自転車があったらと、途中で振り返ってみたが、すでに坂道をだいぶ上がってきていた。Img_8399

ちょっと休憩。山籠りして、すでに数週間経つ。この間の稲の成長ぶりは大したもので、すでに頭を垂れ始めている。そして、これだけの高地になると、稲よりも蕎麦畑が目立つ。稲穂よりも高く育ち、一面白い花を咲かせている。ずっと向こうの山までも達するかのように、白い絨毯が敷き詰められている。

 

Img_8360 最近では、スズメ除けの様々な機械が発達したので、案山子の姿をすっかり見ることがなくなったのだが、たまたま休憩した近くの田んぼには、それなりの表現力を持った立派な案山子が立てられていた。Img_8362 こっちの田んぼはダメだよ、あっちの田んぼもダメだよと聞こえるようだった。シェーの姿勢が標準形で外向的なものが多いのかと思ったら、意外に内向的な案山子もいることに気づく。

 

Img_8388 さらに目的地は遠い。老人ホームがゆったりと現れる。そして、高級ホテルに配給車が次々に入って行く。この辺も、坂道で猿たちが戯れている。Img_8369 ボスザルともなると、自動車も避けない。今日は、クマが木に登っていました。と木工工房につく早々、椅子作家のY氏がおっしゃった。

 

Img_8371 じつは訪問の理由があるのだ。7月に訪れた時に、当地に忘れ物をしてしまい、それをいただきに来たのだ。ということにあるのだが、もちろんそれ以上に、再びお話を伺いたかったのだった。Img_8372_2 Y氏の椅子に囲まれて、1時間ほどおしゃべりを楽しんだ。5月にヒアリングを受けていただいてから、7月にはテープ起こしした原稿を見てもらっていたのだ。それで、いくつかのさらに聞いておきたいことがわかってきて、このことが気になっていた。

 

Img_8373 ヒアリングのときに、「作っていて楽しい」、という話をされていて、この「楽しい」という意味は、椅子を鑑賞したり座ったりする利用者の楽しさとは、明らかに違って、制作者としての楽しみということになるだろうことはわかっているのだが、それでは実際にどうなのだろうか、という質問をおそるおそる行ってみた。

 

Img_8416 制作者としての楽しみは、制作者それぞれで異なるのだろうが、と慎重に前置きして、Y氏の場合には、「形に現れてくる」ことだとおっしゃるのだ。これは聞くものにとっては意外な展開だ。制作者は自分の図面をひいて、その通りに椅子を作るから、形はすでに椅子ができる前には図面の中に、あるいは図面を作らない人でも、頭の中にあるはずである。だから、むしろ図面通りいかなかったり、自分の頭に描いた通りに行かなかったりすることは、制作者にとってはストレスになるはずだとわたしたちは思いがちである。Img_8409 ところが、そうではないと、Y氏はいうのだ。じつに、まさにここを聞きたかったというところに直ちに突き当たったのだ。ここで、楽しめるという境地がありうるということは、たいへん興味深かったのだった。

 

Img_8423 ヒントは、機械でできることなら、予想通りの製品ができないとストレスになるかも知れないが、けれども、ここが手作りの違うところだ、という確信にあるのだ。予想通りの製品ができないことの方が、楽しいのだ。近代がスベスベで、均質でなおかつ規格品を求めて来たという歴史をひっくり返す言葉だったと思う。

 

Img_8418 Y氏の作り出す椅子に座っていて、最近気のついたことがあった。山籠りのここ数週間、ずっと彼の椅子に座っていたのだ。それで、座り心地はぴったりで申し分ない。けれども、もう一つの面白い現象を発見したのだ。話は入り組んでいるので、わからないと感じた方は飛ばして読んでいただければと思う。

 

Img_8417 それは、Y氏の椅子の脚が八角形で作られているというところにある。じつは、椅子の脚には、貫(ぬき)が通っている。ふつう、直角に縦横二本の貫が一本の脚から出ている。これで、脚の二面が取られる。そして、縦横の貫に挟まれた一面があるので、椅子の構造では、合計三面がそれらに取られている。八角形の残りは五面ということになる。

 

Img_8420 ここで、わたしの癖なのだが、仕事をしていて、椅子の脚に触ることを絶えず行っているのだ。そして、いずれ頭に神経が集中して来て、疲れが溜まってくるのだが、そのときに、手で脚を上から下まで触ると気分が落ち着くのだ。おそらく、木に触っていることで、手へ血液が回るからかもしれない。最初、人差し指と中指で、脚の面をなぞっていた。そのうち、薬指、親指、小指とそれぞれの面があることに気づいたのだ。つまり、椅子の構造に使われている三面と、5本の指に割り当てられた五面とで、ちょうど八角形に当てはまるのだ。

 

Img_8421 それがどうしたと言われるとじつに困るのだが、限りなく緩やかな何らかの法則性がそこに存在しているかのような気になって来て、仕合せな気分になったのだった。もちろん、Y氏の側から、なぜ八角形にしたのか、という理由はあるのだ。それは、手で握るというときに、丸だと滑ってしまうが、八角形だと握りやすいということなのだ。何らかの引っ掛かりが必要なのだということだった。たぶん、手で触る感覚の問題であることは共通しているのだ。

 

Img_8394 すっかり話し込んでしまった。自転車のレンタル時間が迫って来たので、超スピードで坂道を飛ばす。すでに9月の風だ。風除けのヤッケを通して、寒さを感じさせる空気が染み込んでくる。道端の猿たちも、そろそろ冬仕度に入ろうかという早めの算段をしているようだった。

途中、「わっぱらんど」という、子供たちが水遊びをし、樹上の家を楽しむ場所を通ったが、当然のように閑散としていて、清冽な水だけが変わらずに流れていた。いよいよ、田舎の生活を切り上げて、都会の生活へ戻らなければならないのだ。

2017/09/02

仕事の打ち上げで、三蔵呑み歩き

Img_8302 今年も、夏の仕事の打ち上げを行う季節がやってきた。という口調からわかるように、目標からすれば、かなりの成果をあげたと言えるが、じつは一番済ませようと考えていたものが二つも残ってしまったのが残念な季節でもあったのだ。これらはじっくりと横浜へ帰ってから取り掛かることで、わたしの中では、一応の始末がついた。Img_8320 何といっても、意外なほど多くの20ほどの仕事を終えることができたことが大きい。このことを感謝して、それで満足しなければならないだろうし、これならば、打ち上げを行なっても良いだろうと思ったのだ。

 

Img_8242夏の仕事の打ち上げは、毎年恒例となった酒蔵の呑み歩きだ。信濃大町の街中に日本酒の香りが漂い、それに魅せられて特別JR列車が仕立てられて、都会から田舎から人びとが押し寄せるのだ。今年は冷夏で、昨年までの30度を超える中での呑み歩きとは少し異なる気分だ。宿から、シャトルバスが酒蔵近くまで出ていて、それに乗り込む。Img_8325 すると、いずれ劣らぬ常連の夫婦やカップルやら、さらには呑兵衛の若いグループがバスに乗り込んできた。さりげなく、そんなことはおくびにも出さないで集まって来てはいるが、じつはみんな、喉の奥には焼けるような欲望が渦巻いているに違いないのだ。

 

Img_8346買い物をする妻と別れて、まずは酒器が展示されている展示会場&レストランの「麻倉」へ行く。一番奥には、大町市在住のY氏の椅子も、2脚展示されている。いつものように、それに座ってみる。さらに木工の花瓶や彫刻画を一番多く出品しているH氏の作品を見学する。葉っぱをかたどった菓子皿を購入する。桜材の赤みを帯びた木理が生かされている。削りの手間がかかっている。

 

Img_8246 15時の三蔵「鏡開き」から始まる。最初の年、酒蔵「白馬錦」の大勢の中で立ち会った。昨年は甘口の酒蔵「大安北國」で歓声をあげた。そして、今年は辛口の酒蔵「金蘭黒部(市野屋商店)」でのカウントダウンに声を合わせたのだった。鏡開きの役割分担に興味があった。社長が進行役を務め、全体をリードするのは共通している。ここで、樽を割る槌をあげる面々が重要で、1人は華添えで、ミス大町。次がやはり杜氏の棟梁で、この後ずっと大吟醸の注ぎ手も勤めていた。自分の作品がどのように呑まれるのかは、ほんとうに気になるところだろう。

3番目はおそらく経営者の親族だろう。そして、最後に社員代表ではないかと推察した。この並び具合からすると、酒蔵の中での「杜氏」という職務の特殊性ということが際立っているように思えた。 

Img_8252 鏡開きの樽酒から利き酒は始める。杉の香りが辛口の味にしみていて、最初の1杯がまずはおいしいのだ。隣は、すぐに「金蘭黒部」の大吟醸の列だった。ふつう、呑み歩きスペシャルや、生原酒を試してから、最後に大吟醸というのが通例であるのだが、つい先ほどの「杜氏」の真剣な顔に魅せられて、まず大吟醸を頂いてしまったのだ。大吟醸がおいしいのは、当たり前なのだ、という言い方をするとたいへん失礼なのかもしれないが、おいしいのだ。香りもあるし、コクもあり、すっと入っていく。コメを削りに削って、一番の中心だけを使っていて、たいへん贅沢な作りの酒なのだ。Img_8240 こうなってくると、美味しければ良いのか、ということが出て来てしまうだろう。この大町には、長野県全体の搗精工場があって、そこで機械によって、コメを削るのだが、この機械化から生み出された味が大吟醸だということであれば、手作りの味はどこへいってしまったのだろうか。

 

Img_8250 ここでは、蔵でしか購入できない「どぶろく」をいつも購入することにしている。現地でしか呑むことができない、となると、この地域でこのような呑みのイベントを行う理由が出てくるだろう。ここでしか味わえないものが確かにあるのだ。

 

Img_8254 この蔵を出る頃は、まだまだ意識もあり、千鳥足というわけではない。次の蔵への道すがら、多くの呑兵衛たちが一緒に移動していくので、集団効果が働いて、みんな仕合わせ気分で歩く。いつもながら感心するのは、利き酒のテーブルの端には、必ず「やわらぎ水」が用意されていることだ。そして、毎回感ずるのは、水のおいしさがあって、酒がおいしくなるのだという常識的なことだ。Img_8268 ほぼ酒と同量、あるいは水の方が酒の量を凌駕するくらい、やわらぎの水にはお世話になっている。もちろん、食べ物として、お漬物が用意されているのだが、また今日は新鮮なトマトも食べ放題だったのだが、食べ物よりも、水が日本酒には合う、というのか、相性が良い、というのか、そのような気がするのだ。

 

Img_8275 次に、白馬錦と大安北國を続いて訪れる。大安北國では、集団効果が最大限発揮される。正面玄関を入ると、広い土間があって、もちろん広いといっても、これだけの人数が集まると狭く感ずるほどで、この中を利き酒のおちょこを持って、並ぶのだ。Img_8281 この並びつつ呑み、呑みつつ並ぶ中で、数種類の酒の比較をみんな言葉にしていくのだった。ここでは、この集合の効果が発揮されるのだろうか。いつもここの「無濾過生原酒」を購入することになる。Img_8278 甘口の特徴があるため、辛口から徐々に上がってくると、この生原酒のコクの深さにやられてしまうのだった。すでに、鏡開きの杉樽の中は空っぽで、それを惜しんで、さらに汲みあげるのだった。

 

Img_8261 この時点で、約1時間半ほどが経っており、その間呑み続けるのだから、すでに脚に来てもおかしくはない状態だと言えよう。けれども、道端に倒れている人は1人もいないし、気持ちの悪そうな、ドクターストップのかかりそうな方も見受けない。Img_8241 アルコール効果の最も良いところが集合に発揮されたという状況だった。今回は商工会議所の青年団が人力車を用意して、それに乗って回っている人々も見られたが、アルコール摂取で歩けなくなった方用ではないようだった。

 

Img_8263 地元の青年と話をする。すると、次から次へ、仲間たちがタッパを持って来て、持参の料理を提供してくださるのだった。すでに、地元のお祭りとして定着していることの証左であろう。Img_8266 帰りのシャトルバスに乗ったまでは良かったのだが、すでに三半規管にまでアルコールが回っていて、すべての乗客が過剰状態にあり、酔客のおしゃべりの量が夥しいのだった。バス中、わんわんとして、欲望の渦が騒ぎの渦に変わっていったのだった。Img_8287 きわめつけは、バスを降りるときに起こった。前を行く若いカップルの女性が、脚に来ていたらしく、道路に顔をつけるくらいにコケたのだった。ここまでくると、やはり中庸ということはあらまほしきことなりといえるのだった。

2017/08/22

O先生と松本カフェだ

Img_8061 天気が不安定で、大雨の予報が出ている、かと思えば、次の時間には、晴れ間が出ると言っている。こちらは31度の晴れだが、横浜からは雷雨の知らせが届く。などという日ごと時間ごとに変わる天候の今夏だ。そんな状態なので、今日一日の天気が気になって、朝5時には目が覚めてしまう。

 

Img_8062 O先生と、恒例の夏カフェの始まりだ。大糸線で松本へ出るが、なんとこちら松本では日傘を必要とする真夏日だった。O先生とは、朝10時にリッチモンドホテルで待ち合わせたのだが、もう少しゆったりしたいと連絡が入り、11時に変更する。浮いた時間で、駅から直接に、ブックカフェの「栞日」へ行き、近くにできた「Sioribi INN」へ入る。Img_8076 ここは、昨年、Crowd-fundingで栞日のご主人が資金を集め、長期滞在型の宿を開いたところだ。わたしもほんのわずかながら、このFundingに応募したのだ。床板の1枚くらいの貢献をした。実際どのようなINNになったのか、泊まってみようということになった。Img_8080 近頃はやりのゲストハウスとは、まったく異なる作りだ。何しろ、ほぼビル全体を一人の客に貸し出してしまうという鷹揚さなのだ。正確に言えば、1階にはキッチンが入っているので、2階から4階が自由に使える仕組みだ。

 

Img_8088 2階がダイニング、3階が仕事場、4階が寝室となっていて、それぞれ一人用にはかなり贅沢な空間を確保できるのだ。この文章も3階のスペースで書いている。Img_8094_2 4階の窓からは、美ヶ原高原がNHKの鉄塔越しにのぞまれるし、反対側には、北アルプスの峰々が連なっている。ビルの前が松本市の幹線道路「あがたの森通り」なので、ちょっと自動車の音がうるさいが、朝夕の涼しさで、それも帳消しだ。さっそく、近くの焙煎豆の店ローラのコーヒーを淹れる。

Img_8038 Img_8036






 

Img_8096 荷物を置いて、次に中町通りある、いつもの工芸店「グレイン・ノート」へ向かう。奥様が風通しの良い奥の座席に腰掛けていて、涼やかな挨拶を返してくださった。今年の春から、椅子作家たちへのヒアリングをグレインノートのご主人S氏と奥様とわたしで共同企画している。Img_8098 ヒアリングした原稿を郵送して置いたので、その様子をお聞きし、残りの作家たちへのヒアリングの可能性を探った。というと、何か大袈裟な感じだが、雑談の中で、面白かったところをあげていただいているのだ。たとえば、椅子を作っていると、「頭いっちゃって」などという、製作者本能が率直に出てくるフレーズがたくさん出てくるのだ。

 

Img_8056 ホテルに着くと、ゆっくりとO先生が降りてきた。日頃のご無沙汰という感じはブログを見ているのであまりないのだが、それでもほんものの挨拶を交わすのはまた格別だ。そこまでは良かったのが、外へ出た途端に、直感的に今日の外歩きは無理だと、二人とも悟ったのだった。Img_8046 日差しがわたしたちをつねに日陰に追いやるほどだ。標高が500メートルほどあるので、それだけ太陽に近いというのが松本なのだ。それで、当初のカフェ巡りでは、いくつかのカフェを候補に挙げていたのだが、距離のあるものはほとんど諦め、近いところだけ回ることにした。

 

Img_8045 まずは、喫茶店「チーアン」でランチ。キッシュ・プレートで、野菜たっぷりの健康昼食を摂る。たいがい、健康問題から日常の会話は始まるものだ。わたしの体重を聞かれ、彼の予想が付されていた。見た目より体重が多いですね、ということになった。それで、さらに話していると、背は彼のほうが低いにもかかわらず、体重はわたしより6キロも多いことが判明した。Img_8052 彼は日頃ジムで鍛えていて、見た目より筋肉質であることを強調なさっていた。そうかもしれない。でも、昼食が済んで、その後さらにカステラを追加して注文なさっていたのだった。チーアン特製の美味なるカステラなので、仕方ないところではあるのだが。

 

Img_8054 現在の彼との共通点は、お互いヒアリングを抱えていることだ。上記のように、わたしは椅子作家のヒアリングをここ数年行っている。彼のブログを見ればすぐわかることだが、彼はゼミあるいはゼミ周辺の卒業生たちと会食・喫茶さらにはスイーツ三昧を行なっている。羨ましいからいうのではないが、アラサー・アラフォーの女性への連日のヒアリングをこなしている。Img_8068 ほんとうは、ヒアリングというと語弊があるのだが、でもこだわらずに大雑把に言えば、ヒアリングだと思う。親子の会話でもないし、友人同士の会話でもない。ライフコース論の専門家であるO先生がなんらかの意図のもとに、卒業生たちとの付き合いをしていることは確かだ。一番近い、公正な言い方をするならば、ヒアリングだ。

 

Img_8070 面白かったのは、ヒアリング相手のアラサー・アラフォーの方々にある種の系統が見られることだ。O先生は個人的な情報を漏らすことはしない方だが、ブログを見ている方々にはうすうす気づかれていることだ。まずは、有名W大卒業生なので、どうしても猛烈仕事人タイプは何人か見られる。この方々が就職し結婚するにしたがって、どうしてもその性格ができてしまうものらしい。じつにたくましい。Img_8118 次に見られるのが、表立っては、良妻賢母を表に表すタイプはいないのだけれども、潜在的な良妻賢母タイプはわずかだが見られる。けれども、現代では、良妻賢母が終わった後のことは、誰にもわからない。彼の卒業生にもまだアラフィフはいらっしゃらないのだ。Img_8117 それから、意外なことには、東京にとどまらず、地方へUターンして、地方公務員・地方優良企業勤めの方々がいて、極めて安定し、ゆったりと生活している方がたも多いということがわかる。この辺までは、常識的なのだが、話題になったのは、彼の卒業生には、いわゆる変わり種タイプがかなりの比率で存在するということだ。誰がとは言わないが、芸術家もいるし、海外留学派もいる。どうしても、彼女たちはブログの中でも目立ってしまうように、わたしには見える。O先生はニコニコして、そうですか、などとまだまだ断定を避けているのだった。

 

Img_8122 この後、またグレインノートへ戻って、いつもの田中一光さん制作の陶器を二人で「物色」する。彼は、彼の以前から持っている色調のうすいブルーのごはん茶碗を選択し、わたしはこれも以前から集めている、濃紺色の中皿を2枚求めた。Img_8123 そしてその後は、また結局のところ、またまた栞日に戻ってきて、書架の並んだスタジオ風の空間の中で、ゆったりと雑談に興じたのだった。このころには、大粒の雨が嵐のごとく降り出したのだった。

 

Img_8113 じつは先日盛岡出張の折に、喫茶店「Carta」で購入したCD「ワルツ」のピアノソロ奏者「ヘニング・シュミット」のCDがこの栞日にも並んでいて、しかも十月にはこの場所でやはりソロ演奏会が開かれるというのだった。Img_8114 このようなブックカフェを中心にして、今日本中で、かなりの口コミ系のCDが流行っているという現実に遭ったのだった。でも、仕事中に、この音楽を流していると、仕事本能が集中して出てくるような雰囲気になるから不思議なのだ。環境音楽の手作り版という感じなのだろう。

 

Img_8132 O先生とのカフェの付き合い時間の最長記録を更新したようだ。夕ご飯を彼の予約でフランス料理の「ルコトリ」で食べる。このころになると、雑談の内容も濃密になってきて、親密な関係やら、外に聞かれるとちょっとまずい関係などになってくるので、俄然食事も進むことになる。今晩は、わたしたちだけが独占してこの店の席をしめたようなので、ここでも気のおけない話題が続いたのだった。Img_8140 最後は古本ブックカフェの「想雲堂」で喫茶した。結局、O先生は連日同じ喫茶店を2、3回回ることになるのだ。それが今回の松本カフェであったようだ。Img_8145 日常性研究が彼の専門だとはいえ、このような繰り返しの中にバリエーションを発見する能力を発達させなければならないということだろうか。その意味では、彼との会話を通じてわかるのであるが、彼の日常性開拓能力には脱帽するところがあるのだ。Img_8155 Img_8144

2017/08/07

『貨幣・勤労・代理人 経済文明論』が出版された

9784865281811main_ 昨年の今ごろ、さあやるぞと、今回出版された本書の原稿に取り掛かったことを覚えている。すでに何年も考えてきていたことだったので、内容については、これ以上はもう良いな、などといういつもの楽観主義が、そのころにも出ていたのだった。だから、恒例のお酒の三蔵巡りを昨年行う頃には、もう原稿を渡そうと考えていたのだ。

 

Img_2707 その前から数えると、本書の担当である、左右社の編集者のT氏と、打ち合わせや初校・再校などで8回ほど会った。その度に、喫茶店を変えた。青山のラスチカス、蔦珈琲店、渋谷のセルリアンタワーの喫茶店「坐忘」、同じく渋谷のマメヒコ、東急文化村のロビーランジ、そして東京駅ステーションホテル・ギャラリーなどだ。Img_2545 喫茶店だけ見ても、注文の多い執筆者だったことがわかる。書籍の編集については、T氏にはいろいろとご面倒をおかけして、おそらく何度も徹夜に近いことがあったのだろうと想像されるし、喫茶店での応対も含めて、T氏のご苦労に改めて頭が下がる思いだ。

 

Img_2548 これらの喫茶店の中でも、複数回使ったところが1軒だけある、探してもなかなか見つからない喫茶店なのだが、表参道の「レ・ジェ」だ。店内は、会話するための静かな空気に満ちている。もっとも、昔からある喫茶店なので、喫煙者もオーケーなのだが。Img_2544 ここは左右社にも近いし、わたしも幕張から横浜への帰り道に、ちょっと遠回りすれば良いくらいのところで、都合よかったこともあって、3回ほどここで待ち合わせたことがあるのだ。

 

Img_2543 今回、刷り上がった献本10冊を持ってきてくださるというので、最後にここで待ち合わせることにした。ほどなく、T氏が現れ、グリーンの色調で表紙が整えられている本を手にすることができた。話題になったのは、特にお願いしていたイラストだ。じつはT氏の奥様に描いていただいた。本書の最初の方で、グリム童話をエピソードとして取り入れているのだが、その童話「ブレーメンの音楽隊」が盗賊たちを威嚇するところがあり、ロバ・犬・猫・鶏の4匹がリバイアサン(怪物)になるという場面を描いていただいたのだ。一斉に声を出すところなので、この動物たちの姿勢が重要なのだ。特に、ロバの上に乗った犬、犬の上に乗った猫の中間層でどのような姿勢を取るかが、リバイアサンの性格を決定するのだ。これが見事に描かれていて、声を出す姿勢がぴったりだった。1匹1匹別々に描いて、さらに統合したものだそうだ。本書の14ページ掲載なので、ぜひそのイラストだけでも見ていただきたいものだ。最初はブレーメン市の広場にある銅像の写真で済ませようと言っていたのだが、ごちゃごちゃして見栄えが悪い。イラストにしてよかったと思っている。

 

これで、めでたくT氏との喫茶店巡りも一段落つくことになる。終わりになってしまうのは残念だけれども、T氏はホッとしているに違いない。また、何かの機会に一緒に仕事ができたら良いなと思う次第だ。

2017/08/03

上諏訪での面接授業第1日目

Img_2594 宿の人に、放送大学の学習センターが入っている諏訪市文化センターへ最短でつく道を聞く。2年前にどのように行ったのかを忘れてしまったのだ。じつは、上諏訪の道は変なのだ。微妙に、道が直角ではなく、角度が70度だったり200度だったりして、距離感が方眼紙状でできている人には、上諏訪には住めないだろう。それは、たぶん高島城の城下町であったということと、それから諏訪大社つまりは諏訪湖に由来する道の出来方だったのだろうと想像させるのだ。

 

宿場街道の走りと、諏訪湖の走りが平行ではないために、それを結ぶ道が歪んでしまったのだと思われる。また、城下町では、敵が攻めてきた時に歪んでいた方が良いので、故意にこのような道にした可能性が十分にある。けれども、ここをまっすぐ行くと便利なのだが、どうして曲がってしまって、まっすぐに行けないのかな。近代的合理性が働いていない道の作りなのだ。

 

今回の面接授業では、4人グループで班を作って、端数が出ない12名で行うことができた。理想的な数だ。このようなグループ学習では、参加を重視したい。5人になってしまうと一人当たりの発言時間が少なくなる。3人だとあまり話す意味がなくなってしまう。やはり、4人というのがちょうど良いように思える。今回は、3グループ作り、課題が4つずつだったので、それぞれのグループの発表でも、全員が必ず1回は発表することができて、理想的な参加が可能になったのだ。12名は良いな。今後も、12名で申請しようかなと考えていたら、実際には14人で、欠席の2名がいたから、ちょうど12人になったのだった。12名というのは、狙って達成できる数字ではないのだ。

 

Img_2632 二日目になって、博士課程入学の相談に東京からわざわざ会いにきた方がいて、お昼を一緒に食べた。残念ながら、専門がかなり違うことがあって、博士課程では引き受けることができないことになったのだが、ご本人も上諏訪温泉を楽しんでおられた様子だったから、まったく無駄な出張ということではなかったと思われる。

 

Img_2634 また、千葉から面接授業に参加してきた方とは、二日目の面接授業が終了した後に、卒業研究のことで話し合うことができて、それなりに生産的な出張となったのだった。Img_2635 放送大学では、本部に近いところに住んでいたからと行って、幕張で先生方と会えるわけではない。むしろ、このように地方へ出張してきていた方が、互いに話しやすいということはあるだろう。これは、放送大学ならではの転地効果が働いているのだと、わたしは勝手に解釈しているのだ。

 

Img_2641 上諏訪では、いつもうなぎ屋さんで食事をすることにしていたのだが、今日は臨時休業だそうで、それではというので、以前諏訪に住んでいた伯母に連れて行っていただいたフランスの田舎料理を食べさせる店へ行くことにする。Img_2638Img_2639 どこが田舎料理かといえば、地方の名前がついた料理が次から次へと出てくるのだった。

2017/08/02

上諏訪へ面接授業の出張

Img_2568 昨日、新宿を特急あずさ号でたって、上諏訪駅へ着く。明日からの長野学習センターでの面接授業に備えて、前日に宿へ入る。昨年は、長野市で行ったので、上諏訪は2年ぶりだ。上諏訪駅前の長野学習センターが入る予定のビルは、まだ解体作業を行なっていて、すでに2年が経つが、工事はなかなか進まない。学習センターが入るまでには、さらに2年以上かかる予定だということである。駅前を通りかかる人びとは、みんな未だか未だかという顔をして通り過ぎていくかのように見えてしまう。

 

Img_2570 宿に荷物を落として、さっそく温泉と行きたいところだが、まだ陽が高い。そこで、宿場町をさかのぼって歩く。何故ならば、滞在中3日分のお酒をまず確保するためだ。この街道沿いには、酒蔵5軒が点々と並んでいて、試飲させてもらえる。けれども今日は残念なことに、大方の蔵は5時でお終いだということなのだ。それで、わたしのかなり遠い遠い親戚筋に当たるのだが、醸造元の「本金」へまっすぐ伺う。ここの「雨上がりの空と」という純米酒は、いつも買っているのだ。だが、今回はもう少し濃くのある「樋ノ口」を購入する。

 

Img_2569 奥様に話を伺っていたら、本金では「太一」という辛口を中心に品揃えを行なっていたのだが、若い世代に移って、バリエーションが豊富になってきているらしい。辛口中心の蔵でも、甘口(決して甘口とは表示しないところが面白いのだが)を置いておくと、かえって辛口との比較ができ、それなりに存在理由があるとのことなのだ。Img_2583 もちろん、甘口専門の有名な「真澄」でも、辛口を置くようになっていて、味というものの相対的な位置付けというものに気がついたのだった。これらを味わうことによって、その醸造所の味の系列がわかってくるのだ。

 

Img_2574 さらに、坂を登っていくと、父方の本家の菩提寺である「正願寺」に行き着く。Img_2575_2 ここは奥の細道で芭蕉に随行した「曽良」の墓があることで有名なのだが、祖母の墓があるので、いつも上諏訪に来たら、寄ることにしている。黄色のマリーゴールドが咲き誇って、本堂に迫っていた。

 

Img_2577 宿へ帰る途中、駅前に学習センターがあった時にランチで通った喫茶店「石の花」へ寄って見たが、やはり駅前工事の影響なのか、当分休業だそうだ。Img_2580 でも、この一角は奇跡的に残っていて、希望はつながったと行って良いだろう。店が再開されることを切に期待している。

 

 

2017/07/26

海の多様性について

Img_7935 雨が降ってきて、冷たい日だ。亘理町のイチゴ農家M氏から、冷夏でイチゴの苗が育たないし、畑のぬかるみに足が取られるという知らせが届いた。メールの件名も、「寒さの夏はおろおろ歩き」となっていた。

 

Img_7927 わたしも午前中仕事をしていたのだが、手足が冷えてままならないのだ。妻の提案で、横須賀美術館に行くことにする。このような日ならば、展覧会もレストランも空いているだろうということだ。Img_7948 決めてしまえば、1時間で着くのだ。観る方が主なのか、食べる方が主なのかは、問わないことにする。途中、ヤシの木が雨に濡れて綺麗だ。バスに乗って、馬堀海岸から走水漁港を抜けて、美術館へ到達する。

 

Img_2567 今回の企画展は、「美術にみる日本の海」ということで、横須賀に似合った展覧会だ。古賀春江の「海岸」がポスターになっていて、京急線の中でも目立つ。一番最初の部屋に、展示されていた。三人がいて、家族らしいのだが、近代的家族のすれ違いが描かれている。Img_8025 それが、海の色の違いとなっているのが、一つの工夫だ。近代家族の中心は、やはり奥様で、中央にデンとして欲望の塊としての存在感がある。もう一方の中心は、やはりご主人ではなく、子供なのだ。これを媒介するものとして、ようやくご主人が中腰で現れている。海に行くと、家族の現実が現れるという「海」だ。

 

Img_7954 須田国太郎の「海」は、構成が行き届いている。海は上辺にほんの少しのぞいているだけなのだが、手前の河と街の様子が克明に描かれていて、かえって「海」まで考えが及ばないくらいの密な画面を構成している。灰色の色調の中に、濃い重なりが続いていて、見るものの心を捉える。人間の営みがあって、海があるという「海」だ。

 

Img_7966 途中から、絵画の世界から海で使われるモノの世界が展開していく。大漁旗や漁師のはっぴなどが、真新しい実物として展示されている。この着想は面白いのだが、このような雄大な旗が美術館へ展示された途端に、現実感が遠のいてしまうのはなぜだろうか。Img_7962 色鮮やかさは、海の青には映えるけれども、美術館の白壁には合わないということだろうか。使われるモノには、使われている現場の「海」が似合うということだろうか。

 

Img_7971 見終わる頃には、昼をかなり回っていたので、レストランは空いていた。中央の席、レストランからガラス越しに、芝生そして「海」を見下ろすところに腰掛ける。Img_7972 ランチは、今月のスペシャルメニューで海鮮パスタだ。展覧会に合わせたメニューになっている。

 

 

Img_7988 相変わらず、空は曇りで、ここからみる船たちも、難儀だなと言いながら、浦賀水道を通過していくように見えてしまう。この海も、イチゴ農家のある亘理町に通じているのだな、と「海」の映し出す多様さと感覚の差を思いながら、三浦半島の海を後にしたのだった。Img_7997 Img_7992

2017/07/24

くずきりの贅沢

Img_2513 昨日、五条の「市川屋珈琲店」に座って、コーヒーを飲みつつ、京都で涼しさを味わうとしたら、どこが良いだろうと考えた。ふんぎりが悪いと思われるかもしれないが、もう少しの時間、京都滞在を延ばしてもよいと思い始めたのだった。Img_2511 五条から四条へ出る。六波羅蜜寺を通って、建仁寺へ入れば、苦もなく、暑さの中でも涼を取り入れた移動ができる。予約でいっぱいの喫茶店ヴィオロンの窓を恨めしそうに覗く。何といっても、この35度の最中の京都なのだ。水分摂取と休憩は必要だ。

 

Img_2514 日本史に登場していた場所が、次から次へと出てくる。けれども、静かな街歩きはここまでだ。栄西禅師の茶碑と茶の生垣をすぎて、建仁寺の正門をくぐり、花見小路へ出た途端、観光客が道全体を覆っている。Img_2515 警察官が出て、混雑をさばいているのが見える。街ごとに、人びとの様相が異なるのが京都だ。Img_2516

 

Img_2525 四条通りへ突き当たり、左を見ると、お目当の「鍵善良房」が見える。玄関の売り場を抜けて、一段上がったところに喫茶室が左右に分かれてあり、その奥に京都の懐の深さを表すような中庭があって、さらにその裏に茶室らしき家屋が続いている。Img_2523 この盆地特有の限りなく暑い京都を乗り切る一つの工夫が、これなのだ。つるりとしているがコシがあり、透き通った涼やかさをもたらす。これが、「くずきり」だ。

 

Img_2518 この切られた葛にどれほどの威力があるのだろうか。半透明の白い切れ端がひらひらと宙を舞う。そのまますぐに、口に運ぶわけではないところが凄いところで、器が二つに分かれて、その間をひらひら、ゆらゆらと、何と涼しげな浮遊が起こるのだろうか。

 

くずきりは、葛の入った氷の器から、蜜の入った甘味の器へ移っていくのだ。さらに、これを口へ持っていくころには、舌の先から喉の奥にまで、さらにゆったりとした甘さへの期待が満ちてくる。これら器と移動全体の世界観は、甘さの欲望によって統御されているのだ。もちろん、食べ物だから、料理人が甘さの世界を作り出す。けれども、箸を持ってからは、享受する側の世界だ。

 

Img_2521 なぜくずきりは贅沢なのかということが、ここにある。くずきりでの葛の役割は何かと改めて問うとじつはよくわからないところがある。葛には味がないのだから、甘味のみを味わうためならば、甘味の蜜そのものさえあれば、足りる。直接、蜜を飲めばよいのだ。なのに、なぜ葛を使うのか、ここで問題なのだ。贅沢を示す印なのである。涼やかさの源泉でもあるのだ。

 

甘味処のイメージからすると、まずお汁粉、ぜんざい、白玉だ。ここでは甘味の実体がいっしょくたに存在するのだ。これは夏向きではないのはないか。実体と分離された甘さの純粋さ、そして甘さと直接関係ないひらひらとしての、氷に浸けられた葛、この両者が口に含まれる、その瞬間に涼しさという虚構が作り出されるのだ。これは贅沢以外の何者ではない。冷たさと涼しさは、甘味の方になく、葛を媒体として伝えられるのだ。

 

「鍵善」では、涼やかさは甘さとともやってくる。これを期待するのは、京都の女性だけではない。男性もやってきているのを見たのだ。商店主らしい中年の男性がわたしの右奥に一人で座った。Img_2527 くずきりをするするとすすると、さっと帰って行ったのだ。このスピード感がくずきりには似合っているのだ。帰りの勘定を払い、入り口の両側にある黒田辰秋制作の箪笥を写真に納める。

 

Img_2530 さて、甘味の後はコーヒーだ。祇園から四条河原町へ出る。手前の高瀬川沿いにある喫茶店「ソワレ」は店内が暗く、静かな雰囲気が素敵で、このような人混みではオアシスのような存在だ。いつもはすぐに入れるのだが、やはり有名になると列ができる。時代が変わったのだ。前回と同様ここを諦めて、同じく高瀬川の少し上流にある立誠小学校跡のトラベル・カフェへ入る。ここで日記を書きながら、時間を十分に潰すことができた。

 

Img_2534 さらにおまけ。五条へ戻る道筋にあるガラス張りの古い喫茶店で、「冷やしあめ」の看板が出ていたのに誘われて、一杯いただく。生姜味が効いて、汗が引っ込み、さらに頭痛までも治ったのだった。Img_2540 この味は、関東にはない。駅に着いてから、いつものように、志津屋のカツサンド(夏なので、卵焼きサンドに一部変更されたもの)を購入して、心置きなく、新幹線に乗ったのだった。

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『貨幣・勤労・代理人』(経済文明論)

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  • 坂井素思
    放送大学教員で、社会経済学領域を研究しています。