2009/06/28

弘前の街と喫茶店

Photo_7 朝から夕方まで、講義は二日間びっしりあり、その前後や移動日には幕張での委員会や、講義が重なっているので、今回、折角弘前まで来ても、街歩きはほとんどできない。じつは、6月に、学生のKさんがわざわざ横浜からこの弘前へ面接授業を受講しに来ていて、市内観光のパンフレットやバスの時刻表などをたくさん仕入れてきてくださっていた。

それによると、戦災に会わなかった分、古い歴史的建造物が街のいたるところにあり、それをめぐるだけでも、たいへん楽しいのだそうだ。

Img_2861ということを聴いていたので、お昼休みに街の中心部である土手町近辺を散策した。ちょうどよさこい祭りの日に当たっていたらしく、市外からも観光客が押し寄せてきていた。

じつは準備運動で、朝の講義が始まる前に、弘前大学の構内にある「外国人教師館」を拝見させていただいていた。ちょっと部屋自体は狭かったが、しっかりした造りの瀟洒な家だった。

Photo_8 旧市立図書館は、遠望するに止まり、まずは昼食を。太宰も通ったという古い喫茶店「万茶ン」へ寄る。表通りによさこい連が来ていたので、みんな観客として出てしまっていて、店には客はひとりもおらず、ゆったりと食事ができた。喫茶店には学生がくるのか、と質問すると、旧市街には若い人は来ず、歳を召した女性客が中心だということであった。

Photo_9 ちょっとコーヒーがもの足りなかったので、土手通りを横切り、川を通り過ぎて、左にまがったところにある、こちらのほうが古いのではと思わせるような名曲喫茶「ひまわり」へはいる。ベートーベンのバイオリン協奏曲が耳に飛び込んできた。この一瞬で、この店が気に入ってしまった。

たぶん、3時間くらい本を読んでいても、大目にみてくれそうな余裕あるつくりで、滞留した文化のほこりが素晴らしい。ここは、学習センターの女性の方々の推薦であった。

Photo_11客の90%以上は、女性客であり、いつものように素晴らしい居心地の良いところには、女性しかいない、という法則性がここでも当てはまっている。ゆっくりと協奏曲の半分(全部聴いていると45分ぐらいあったと思うので、講義に間に合わなくなPhoto_12 ってしまう)を楽しみながら、今日の最後の一杯になってしまったのであるが、コクのある、以前は(あるいは今も)自家焙煎を行っていたと思われる味の、コーヒーを飲む。

Photo_13 帰りに、大学までの途中にあった「昇天教会」を外から眺めて、講義へ戻った。

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2009/06/27

津軽じょんがら三味線のライブ

Photo 面接授業のために、青森の弘前へ来ている。街のみんなは、青森県の西半分を示す「津軽」という言葉を使っている。わたしのようなよそ者にはわからないが、コミュニティとしては、こちらに同一性があるのかもしれない。

太宰治や寺山修司などのイメージと、ねぶたや棟方志功と重なる部分があると思われる。弘前でありながら、やはり津軽というもっと広いものを必要としているような気がする。

Photo_2 土曜日の午前であることもあって、街中も何となく閑散としている。弘前大学構内のメーンストリートに面して、図書館の向かいにある放送大学の学習センター辺りは、なんと言ってよいかわからないが、たぶん無機的な言い方をすれば、人口密度が極めて希薄だ、ということになる。

決してマイナスのイメージではなく、かと言ってプラスのイメージでもなく、勉強するには最適の環境だ。

面接授業での学生の方がたの反応も、東北特有の奥ゆかしさと、内に秘めたものとがあって、面白い。講義は、順調に進んだ。青森という県でも、八戸などの東部と、ちょっと異なる西部の違いなどを、事務室の方がたから教えてもらう。

学習センター所長のA先生が面白いところへ連れて行ってくださるというので、興味津々。着いたところは、大学から数分の四辻にある居酒屋「あいや」なのだが、普通の居酒屋とは異なって、ライブ演奏を聞かせてくれるのだそうだ。着くと、すでに満員で、あとから来た人たちはみんな入るのを断られていたようだ。それほど、盛っている。

Photo_4最初に、駅近くにある「山唄」という三味線のライブハウスができ、そこで育った人たちが弘前市内でぞくぞくとこのようなライブの居酒屋を開いたのだそうだ。ライブといっても、この店の人たちが行うのだが、三味線と民謡を演奏し、舞踊も交えるのだ。

じつは、学生時代に津軽三味線の高橋竹山を描いた映画『竹山ひとり旅』(1977年)を、観たことがあるが、津軽三味線のライブは初めてであった。また、最近になってたくさんできてきたそうなのだが、このような三味線を聴かせ、酒を飲めるようなところがあるとはまったく知らなかった。もし興味があるなら、とA先生が顔を覗き込んだときに、一瞬の判断で、お願いしますと言ってよかったとつくづく思い、先生にはほんとうに感謝申し上げるしだいである。

まず、前座の方がたが(Jazzにも通ずるとA先生は形容なさっていたが)インプロビゼーションを行い、一気に聴く世界へ誘う。荒々しさと繊細さが交互にダイナミックに押し寄せ、「魂をゆさぶる」三味線の世界へ入っていった。

Photo_6初心者向けに、よさこい節やじょんがら節などを旧節と新節を比べてみたりできるように配慮されている。津軽の方がたは、普段は控えめな喋り方をして、シャイな雰囲気を持っているのだが、いざ表現するところに出ると、それまで抑えていたものが堰を切ったように一気に、過剰な爆発として出てくるようだ。

明日の授業でも、後半になって、学生の方がたが、このような情熱的な態度をあらわにして、質問をしてくるのだろうか。ちょっと想像を逞しくした。

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2009/06/19

現代の「灰とダイヤモンド」

映画「ハゲタカ」を観た。NHKドラマのときには、忠実な視聴者ではなかったのだが、今回の劇場版はたいへん凝った作りになっていて、興味深かった。テレビのほうがちょうど現実的な事件が起こっていたので、臨場感はあったかもしれないが、筋としてはこちらのほうが深く考えさせるところがあり、現実を超越する視点もあって面白かった。リーマン・ショックも劇中で映画的にうまく利用していたと思う。

「お金」というものは、ホット・メディアであって、クール・メディアではない、ということがみんなの頭のなかを支配し始めたのはいつのころだろうか。ここで、お金に対して「ホット」になってしまってるというのは、儲けたいという感情が表に出てしまって、頭が暑くなっている、という意味だし、「クール」というのは冷静で、理性的に対処する、という意味だ。わたしたちは、このような意味に使っている。バブルのとき以来、たしかにこのとおりだった。

お金はいつのまにか、ホットな媒体になっていて、いくら得をした、いくら損をしたと言って日常を支配している。けれども、以前から思っていたのだが、お金は、貨幣は、むしろ「クール・メディア」なんじゃないか、ということだ。

この「クール・メディア」という言い方は、以前にも使ったように、情報論のマクルーハンの意味だ。ホットとは高密度の媒体で、クールとは低密度の媒体ということだ。ラジオは、視覚が利かない分だけ、テレビに比べて情報量が少ないため、クール・メディアなのだが、聴覚に限ったぶんだけ、参加者の感情移入が盛んに行われて、実際には「ホット」な感情を際立たせる。

わたしは、「貨幣はクール・メディアだ」と前から主張したかったのだが、映画「ハゲタカ」の表現はまさにその片鱗を見せてくれていて、よくぞ言ってくれたと思った。主人公Wは、ハゲタカであることに徹していて、決して経営者に転進しようとは考えないし、ハゲタカはハゲタカの仕事を全うすべきだという倫理観を持っている。この感覚は、これからの金融社会では、意外に必須な感覚だと考えている。クール・メディアであることを疎んじる事はできないのではないかと思う。

もちろん、みんながハゲタカになるような社会は、当然おかしいのだが、ハゲタカの生まれる必然性までも否定してしまうほど現実は寛容ではないと思われる。実社会と虚社会とがバランスを持たなければならない社会段階にきていることはたしかなのだ。

貨幣はメディアとして、「疎」だから、もっと想像力が発揮されるべきメディアであり、もっと人間をひきつけ参加させなければ成り立たないメディアなのだと思うのだが、この考えに賛成する者はいないだろうな。皮肉な事に、貨幣は問題が起きると、かえって人間を遠ざけてしまう。ふつうの時間には貨幣から遠ざかっていても良いから、むしろ問題が起こったときこそ、普通の人がこのメディアに想像力を吹き込んで、正常な状態を確保する事が求められるべきじゃないだろうか。そういうメディアだと思う。

これ以降、ネタバレも含んでいるので、映画をご覧になっていない方は読まないことをお勧めする。

今回、この映画の極めつけは、最後のほうの場面で、準主人公Rが札の散らばる泥道で、刺されて、札を掴みながら野垂れ死にする場面だとわたしは思う。これは、映画の系統でいえば、映画「灰とダイヤモンド」でチブルスキーの演じる主人公マーチェクの、洗濯物を掴みながら、やはり刺されて野垂れ死にする場面や、やはり映画「勝手にしやがれ」でジャン=ポール・ベルモンド演じる主人公ミシェルがパリの街頭で刺されて、身をくねらせて死ぬ場面などを踏まえている。

ばたんと倒れて死ぬのではなく、何かを真剣に希求し、その最後に果てなければならないのだ。半身姿勢を反転させながら、かなりの距離を何かを掴んで移動し、その果てに死ななければならない場面なのだ。ミシェルはパリの街が象徴するように手を伸ばしている先には「自由」があり、マーチェクの場合には洗濯物が象徴するようにふつうの「生活」があり、そして、「ハゲタカ」のRが希求するのは、「お金」なのだ。

でも、Rの場合、その先には金以外のものが求められていたという、ちょっとドラマとしては余計な落ちがついていた。でも、脚本家が「やった」と思った瞬間は良くわかる。ほんとうのところ、説明はいらなかったと思うくらいだ。

なぜハゲタカたるW氏が刺されるのでなく、ハゲタカになりきれなかったR氏が刺されることになったのか、この点がこの映画の「素敵な」ところだと思われる。ハードボイルドの伝統は健在だ。

わたしたち日本人は、今後もこのような金融危機を何度も潜り抜けなければならないだろう。そのたびに、目減りする資産に嘆くのでなく、むしろそこから、ハゲタカW氏のようなタフな教訓を学び取っていかなければならないだろう。授業料の高くつくことは仕方ないのだ。将来へ向けての精神的な蓄積の多くなることを望むのみだ。

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2009/06/11

最終ロケ

Ucc_7 コーヒー取材ロケの最終日となった。

きょうは、昨日のコーヒーアカデミーの部屋をお借りして、講師のN氏と、ベテラン鑑定士で、UCCの幹部でもあるT氏にインタビューをお願いしてある。

Ucc_8 コーヒーの味、味覚とはなにか、という基本的なところをじっくりと話していただいた。コーヒーの味覚には、それぞれ細かい、苦さや甘さなどの味覚があるが、統合的に見れば、やはりコーヒー独自の味というものが存在し、それらが規格化されて共通の味が確定できる、というところが素晴らしかった。

Ucc_9 相対的で主観的な感覚が、なぜ絶対的で客観的な味として確定できるのか、という点が焦点であった。答えは、番組を見ていただくとして、このなかでT氏によるカップテイスティングは、見ごたえがあった。

Ucc_11 サイズの測り方、カップの上澄みのすすり方、点数評価の手際よさなど、うまく番組の時間に入ればよいな、と思うくらい興味深い。T氏は、ブラジルのコーヒー院の免許皆伝で、現在はコーヒー院は廃止されているので、もうこの資格を取る事は不可能なのだそうだ。

ひとつだけ、面白い事に気づいた。それは、鑑定表である。この形式は、組織によってすこしずつ違うのだが、これに書き込むときには、細分化されている判定基準にしたがう。疑問に思ったのは、訓練によって、コーヒーそれぞれの味覚は共通化し規格化されていることは認めたとしても、書き込まれるのは実際にはひとつひとつの味覚の評価だけでなく、後味などの統合化された味が基準として提示されているのだが、この統合的な味覚の判断基準まで、規格化することは可能なのだろうか、ということだった。

Photo_11 ロケを終えた後、お世話になった広報のI氏にお礼を述べて、ロケ班とも別れる。いったん、神戸の元町に出て、以前お休みで飲むことができなかった樽子屋珈琲店に寄るが、今回もすでに店が閉まっていて駄目だった。余程、巡り会わせが悪いらしい。そこで、以前にも寄った、「グリーン・コーヒー・ロースター」でメリケンブレンドを飲んで、神戸を去ることにする。

お土産は、コーヒー博物館で、今日から発売し始めたという、Bodum社のコーヒー豆メジャーだ。Ucc_12 大きなほうのメジャーが、10グラムで、裏返して小さなほうのメジャーが7グラムになっている。1杯ならば、10グラムで、追加して2杯目を入れるならば、追加分は7グラムということになる。ちょっと重いが、ステンレス製で、綺麗な流線型を描いている。

Photo_12 コーヒー豆のメジャーでは、先日伺ったK氏の経営するミ・カフェート社のメジャーがイタリアのガラス製で美しかったが、これは年間会員でないともらえないので、ちょっと手が届かない。

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2009/06/10

香りの訓練

Ucc 以前、香りがメディアとなって人間社会を支配する映画「パヒューム」について触れたことがあった。そこから類推するに、香りに関しても、言葉と同様に、視覚や聴覚に訴えるのと同等の香り言語文法が形成されることがありうると考えるようになった。

きょうは、神戸にあるUCCコーヒーの本社にある「コーヒーアカデミー」のN氏を訪ねた。明日、取材に応じていただくので、1日まえに伺って、内容を詰めておくことが必要だった。

Ucc_3 そのなかで、クラシフィカドール(コーヒー鑑定士)の話が出て、米国の例が紹介された。その中で、「香りのキット」というのがあって、ワインの香りを判定する訓練に使うのだそうだ。これと同じ原理で、コーヒー用にも開発されたものがあるとのことで見せてもらった。

ポテト香り、土香り、レモン香りなど数十種類の小瓶が箱に詰められていて、序列つけられている。有名なコーヒーの香りとしては、ナッツやチョコレートがあるが、それ以上に、このキットは豊富な並びを見せている。味覚や嗅覚にも、豊富な言語Ucc_5 文法があり、それらを駆使して、鑑定士たちは日夜、コーヒーを評価していることになる。日常生活のなかには、まだ浸透していないが、もし言語のようにこれらの香りがもっと喋り始めたら、日常生活も豊かになり、香り言語、色彩言語入り乱れて、たいへんな事になるだろう。

N氏に別れをつげ、ディレクターのF氏と三宮の街へ出る。あいにく、雨が強く降っていたので、アーケード沿いの店に入る。さらに、以前から入りたかった、大丸の1階にある、エスプレッソの専門店で、今日最後のコーヒーを飲む。旧居留地の古い建物が雨に濡れて、光で輝いていた。

Ucc_6 因みに、上の香りのキット写真で、壜の影がないことにお気づきだろうか。これは、カメラマンがビデオ撮影するときに、専門の照明の人がセットして撮っていたものを、横から撮らせてもらったのだ。それは、この隣の写真のような、巧妙な反射板を使っている。

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2009/06/09

「正しい」珈琲

Photo_8 今日は、南千住にあるカフェバッハのT氏へのインタビューを行った。ここは、1960年に起こった、山谷ドヤ街の焼き討ち事件のあった交番の並びにある。

いまでは、住民もすっかり高齢化しており、またドヤ街にも外国人向けの安いホテルが立ち並んでいて、ひところの姿はない。交番も、駐在員は警察署なみにいまでも多いが、署から交番への格下げがあったらしい、と教えられた。

Photo_9 取材というのは、不思議な作用を持っているので面白い。相手の方がどのような現実を抱えているのか、ということが主眼であるのだが、それで取材を申し込むと、打ち合わせのときには、その現実がまさに現れてくる。打ち合わせは、雑談であっても、歴史が凝縮されて現れて素晴らしいものになる。

それで数日後に、本番のインタビューが始まると、そこではすでに打ち合わせのときのことが織り込まれていて、歴史は繰り返さない、という原則のとおりに、もっと違う話へ移ってしまうことになる。

このことは、取材も現実だ、ということを表しているのだと思われる。わたしは聞き役として、2倍以上の話を聞くことができて仕合せである。けれども、テレビに定着できるのは、やはりそのほんの一部でしかないのだ。相手の方にも、聴取者の方にも、なんとなく申し訳ない気分にときどきなってしまう。

インタビューは順調に進んだ。なかでも、職人的な「正しさ」という言葉が印象的だった。AさんとBさんとは嗜好が異なるのだから、美味しさの感覚も異なるはずである。ところが、両者ともに「美味しい」という場合があるのである。T氏はこのことを追求したのだと思われる。

Photo_10 取材のなかで映像を撮りたいので、店のカウンターで話をしていて欲しい、とディレクターのF氏に求められた。すこし恥ずかしかったのだが、珈琲を飲ませていただけるという役得もあったので、カウンター内でコーヒーを淹れてくださった方と話をして過ごした。

そのときに、「美味しい、と思えるコーヒーを淹れたときは、どのようなときですか」という質問をしてみた。しばらく、考えていて、「急がないで、ゆったり」と淹れたときです、という答えが返ってきた。むむー、そうか。ドリップにお湯を注ぐ瞬間に、時間が止まったかのような動作を示すのは、それだったのか。

今日のコーヒーでは、バッハブレンドは相変わらず素敵だったが、パナマ産のゲイシャ種豆のコーヒーがあり、すこし違う味を楽しめた。上品で、やわらかなコーヒーという印象だった。すっかりお世話になってしまったが、T氏と奥さん、それからN氏に別れを告げ、家路を急いだ。

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2009/06/04

「戻り」の感覚

Photo_5 伝説のコーヒー、カフェバッハを訪れる。ひとつの水準を提示し、一時代を画した味だ。苦味、甘味、酸味、コクなどすべてにわたって、怠ることなく、配慮されていて、二度目に来てもおそらく同じだという信頼感がある。この次に来ても、また同じ味に出会え、加えてさらに想像力をかきたててくれる事を予期させるコーヒーだ。

たぶん、現在の日本で、卓越という言葉が一番適切なコーヒーだと思われる。あまりに「卓越」という言葉を使いすぎると、嫌味に聞こえてしまうが、比較して優っているということを、現代の風潮ではあまり言うことは憚れるが、ときには使って復活させておきたい。

コーヒー1杯のなかに、凝縮されたものがあるのだと思う。

なぜカフェバッハは卓越したのか。それは、第一にスペシャルティ・コーヒーが世界的に流行ってきたこともあるが、第二に、テイストとして、苦味ということが市民権を得てきたこともあり、さらに、第三に、マイスター制に近いかたちで、独特のグループ制をとっており、安易なチェーン展開は行っていないことなどをあげることができる。

Photo_7 けれども、もっとも特徴のあるのは、コーヒーにひき付けて、独特の言葉を編み出してきている点だ。獅子文六の「可否道」ではないが、コーヒー哲学に近いものを感じさせる。たとえば、T氏の出版した『珈琲大全』なかで、「システム珈琲学」という言葉使いをしている。コーヒー豆の品種と、煎り方などが相関関係にあるとする考え方であり、きわめて説得的だ。

きょうは、インタビューの打ち合わせで伺ったのだが、最後にT氏の奥さんに、焙煎工場を案内していただいた。白い仕事着と、鉄紺色のエプロンがドイツ風の工房に似合って素敵だった。

Photo_6 焙煎をしていて、「よく焙けた」と思えるときは、どのようなときなのか、ということを質問してみた。そのときに「戻り」の感覚というようなことをおっしゃった。コーヒー豆は、焙煎すると、はじめは膨らんで後にハゼる。このときに、職人として特有の感覚があるらしい。ひとつは、膨らむことでの豊かな感じ。もうひとつは、最後に収縮して、戻る感じだということだ。

この最後の戻る感触に合わせて、豆の焼成を行うというのは、熟練の手を持つ人でないといえないことではないかと、思った。訊いて、良かったな、と思った瞬間であった。きょう最後のコーヒーは、当然バッハブレンドで、濃厚な1杯となった。

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2009/06/03

藪のなかで迷ったこと

オリバー・ストーン監督映画『ブッシュ』が上映されて、話題にならないまますでに今週で銀幕から下ろされるそうだ。

この監督の『ウォール街』『JFK』をかつてみたことがあるが、きわめて真面目で率直な描き方で、切れが良い画面構成を保っていて、本格派の映像だった。これだけの緻密さを見せるのであれば、もうすこし深みということが在っても良いのではないか、と思ってしまうほど、見終わった印象は意外にも淡白なものだった。それは、この『ブッシュ』でも言えるのではないだろうか。

若い頃の放蕩は有名だが、全編を貫いて共通しているのは、この放蕩に象徴されていることだ。ひとつは父ブッシュ大統領との親子葛藤であり、もうひとつは個人的な執着である。

このふたつの軸はたいへん面白かった。アメリカの政治が、個人心理の葛藤から動かされていくという想定には、すこし無理があるものの興味深いものがある。放蕩生活の失敗や落選やさまざまな失敗がまったく生かされず、あるいは気にもされず、議員に当選し、知事にも選ばれ、さらに大統領に駆け上がっていく、という成功物語が語られるのは、ブッシュの場合には有り得たのかもしれないと思わせるものがある。おそらく、アメリカ個人主義の伝統なのかもしれない。

ブッシュは、父親から離れなければならなかったにもかかわらず、同じ道に入り、それを超えることがついにできなかった、ということなのだろう。もちろん、映画の核心は、なぜ大量破壊兵器の確認ができなかったにもかかわらず、大統領と側近たちの会議で、最終的にイラク攻撃が承認されたのか、という点だ。これは、見てのお楽しみ。

ブッシュが最も楽しげに写り、自分でも熱中していたのが、野球球団の経営であったというのが、ストーン監督の解釈だが、それはアメリカ国民の間だけのことに止めておいて欲しかったと思う。この映画の中で唯一迷う場面がある。それは、退任の記者会見で、就任中なにが失敗であり、その失敗から何を学んだか、という質問を受けたときだ。

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2009/06/01

コーヒーの卓越

Photo_3 K氏が中米へ出張だというので、そのまえにインタビュー取材を行ってしまう事になった。月曜日の朝早くに、六本木のヒルズのそばにある、事務所を訪れる。

インタビューの終わりに、「コーヒーのどのようなところに、『卓越』を感ずるのか」という、ちょっと抽象的で難しい質問をわざとしてみた。立派なワインセラーのような、コーヒーセラーがあるので、高レベルの美味しいコーヒーについておっしゃるのかと思っていたが、その答えは、意外なものだった。

Photo_4それは、先日飲ませていただいたサン・セバスチャン農園の豆に出合ったときだったそうだ。エルサルバドルの国立コーヒー研究所在籍中に、農園を回って歩いたそうだが、そのとき、100年以上にもわたって、伝えられてきた農法で、最高と考える豆を作りつづけている姿に出合って感動したのだということである。

コーヒー農園は、ふつうはいわゆるモノカルチャーなので、豆相場の影響を極度に受けやすく、したがって製法も収益を求めるので相場に左右されるのが普通だ。これに対して、同じ姿勢で作りつづけることが大事だ、という農園は珍しいらしい。

味覚というものは、コーヒーに限らず、「おいしい」というだけで完結するのではなく、それを突き抜けて向こう側に、歴史や風土や習慣などの社会的想念を連想させる、ということだと思われる。コーヒーの味(テイスト)も、一日にして成らず、ということだと思う。

今日は収録の間、サン・セバスチャン農園のものと、特別にパナマ産のものもご馳走になった。コンシェルジェのかたが、見事なドリップさばきで、シュワーと膨れる淹れかたを披露してくださった。午後には、K氏は中米へ発っていった。わたしもK大で講義があるので、早々に六本木を後にした。

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2009/05/28

農業製品の輸入

午後から、平凡社から『コーヒーハンター』を出版したK氏を訪ねる。インタビューの打ち合わせで、時間を取っていただいたのだ。

印象的だったのは、コーヒー豆は農産物であるという、いわば当たり前のことだった。日本では、栽培が難しいので、ほぼ100%は輸入しているのが、現状だ。そこで、「おいしい」という消費者の立場だけからしか、コーヒーが語られる事がないのはバランスを失している、という主張には強いものがあった。

けれども、このことを日本人として言うことができるのは、本当にコーヒーのことを知っている限られた人たちだろう。K氏は20代のときから、中米のコーヒー研究所に入って、栽培技術を学び、さらに、ジャマイカ、ハワイ、スマトラのコーヒー農園を手がける、という経験の持ち主で、わたしたち日本人の枠組みをはるかに超えている。

だから、よく知っていて、取り引きにも通じているといえるだろう。つまり、生産者と消費者との間の「情報の非対称性」がもっとも典型的に現れているのが、コーヒー取引だということだろう。

話していて、ゆとりある態度が素晴らしかった。コーヒー農園で一日労働して、夕方日が沈んでいく山間地を望む姿が二重写しになった。雑談のなかで、デネーセンの『アフリカの日々』が話題になった。北欧の貴族がアフリカの農園経営を行う話だったが、最後は失敗に終わっても、ヨーロッパとアフリカを結ぶ人とコーヒーとの関係を描いている点で、コーヒー文化モデルの一つとして、今でも訴えるものがある。

Photo_2毎日飲んでいるコーヒーが、このような人びとによって栽培されていると考えるだけで、すこし味の内容が濃くなる思いだった。ここでいただいたコーヒーは、グアテマラのサン・セバスティアン農園のもので、上品でフルーティという言葉が合っている1杯だった。カップ&ソーサーは、ブラジルのサントスにある商工会議所で購入したものだそうだ。

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2009/05/26

取り込むことと放り出すこと

放送大学が他の大学と異なる面を持っている点は、数々あれど、もっとも気に入っている点は、教員と学生の区別が外見ではわからないことにある。

構内をふらふら歩いていても、ほとんど気にならない。みんなふらふら歩いていて、学生も教員も同じ挨拶をする。大学内は、ほぼ同じ気質の人たちで満たされている。もっとも、ふらふらというのは気分の問題で、実際には、あまりに多様過ぎて、かえって見分けがつかないというのが正確なところだ。

もしこれが一般の大学ならば、「ふらふら」は若い学生たちのなかではかなり目立ってしまう。哀れみを受けるか、それとも尊敬の対象となるか、いずれにしても教員と学生との間には、歩き方でもかなりの断絶があり、一緒に歩いていても、二つの違和感ある世界が隣り合わせで、というより混在して存在する。

なぜこんなことを話題にするのかといえば、今日はひとつの建物のなかで、二つの世界がまったく分けられているところを訪れたのだ。ふつう、建物のなかで二つの世界を別々に分けているところは珍しい。かなり費用がかかってしまうというのが実情ではないか。

ところが、今日訪問した病院では、病院スタッフが歩く通路と、患者あるいは顧客が歩く通路が完全に分けられていて、通常わたしたちがその病院を訪れると、診察室以外では、看護師の方をまったく見かけることはない。医師も、廊下を歩いているのを見たことがないのだ。

病院では、ほとんど自分たちと同じ境遇の患者だけを、表面的には見かけるだけだ。技術的に考えるならば、院内感染、あるいはスタッフの外部との接触を極力避けようとしていることはわかるが、そのかわりに、医師たちとの親密な接触を妨げてしまうという難点も持っている。

けれども、これ以外に、じつは大きな影響を与えているのは、安心感なのかもしれない。つまり、白衣というのは、以外に圧迫のイメージが強いのだ。だから、病院へ行って、気が滅入るのは、「白衣」が目だって多いところだ。白衣を見ることないというのは、かなりの安心感となっている。

ひとつの建物へ入って、異邦人感を持つのは、自分が違う世界に来たのではないかと思うときである。この点を避けているだけで、この病院の試みは成功しているのではないかと思われる。

Photo_3 ここは大病院なので、5階の喫茶店には、「東京會舘」が入っている。かえりに、今日最後のコーヒーとチーズケーキ。両方とも美味しかったが、それ以上に、以前から目を付けていた、カップ&ソーサーが素敵だった。MIKASAのボーンチャイナで、白地に紺色の細い線が縁を飾っている。譲ってもらえないかと、相談したが、現在生産終了していて、もう手に入らないとのことだった。このようなたっぷりしたカップに目がないのだ。

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2009/05/20

線という活動

どのような状態になると、芸術活動が活性化するのか、ということは永遠の謎だが、何人かの人びとを観察していると、そこに共通点がないわけではない。きょうは、偶然にも線描という方法を手に入れた途端に、能動性を発揮した二人の展覧会を相次いで見ることになった。

きょうは朝から、大学で3つの会議が重なってしまうという珍しい現象にあった。そのうち、二つへ出席すると返事を出したが、実際には1時間で終わるような会議はひとつもないので、結局のところ、お昼過ぎまでひとつの会議に出て、他のふたつはパスすることになった。

さらに、午後からは打ち合わせが相次いで二つ続いたため、それで時間になってしまった。慌てて、最初の展覧会会場のある千葉駅へ向かう。ところが、駅前のデパートへ飛び込んだのは良いが、てっきりデパートはひとつしかないと思い込んでいて、会場を間違えてしまったのだ。もうひとつあって、老舗のデパートのほうが会場だった。

14代今泉今右衛門氏の展示会だ。以前にも、東京での展示会へは伺わせていただいた。前回には、ちょうど幾何学模様の雪をモチーフにした「墨はじき」を編み出したときで、それまでとはちょっと異なる展開を見せ始めたときだった。そのときには、あまり説明を聞いても、こちらの未熟さもあって気づかなかったのだが、この技法はどうやら「線描」の方法らしいのだ。

先代の13代が吹墨技法を編み出して、点描的な方法論を確立していたことが、前提となっているのではないだろうか。おそらく、このことはご本人に聞いてみないとわからないが、先代の点描に対抗して、14代は線描にこだわったのではないかと思われる。

その線描の技法がとりわけ美しかったのは、白い地の部分に線描された透明な更紗文だった。これが窯から出てきたときには、かなり感動的な瞬間だったのではないかと想像される。このことを今右衛門氏に聞いてみたいと思った。このことだけでも、今回企てている取材の価値はあるように思われる。

Photo 今日二つ目の展覧会は、千葉市美術館に来ている「パウル・クレー東洋への夢」展である。先週の予告どおり、訪れたしだいである。パンフレットによると、わたしが先頃読んでいた『クレーの日記』の日記番号842に、「ここでやっと私の線の使い道が見えてきた。1907年のある日に陥った装飾の袋小路から、ついに出口を見つけた!」という言葉があったらしいのだ。ちょうど、この言葉を綴った頃の線画が来ていた。これによって、クレー特有の線描画法が確立していったらしい。

クレーの線描には、世代を経ても本人にとっては共通な特徴があるように思える。それは、クレーが絶えず、線を二重にしたり、絵具でコピーした線を使って厚みや奥行きを出したり、さらには筆太の線で欠落した部分を残す表現をしたりしている点に表れている。つまり、線描のあらゆる文法を駆使して、線を活動主体としたクレーの世界を創りあげているのだ。クレーは、「線は造形のエレメント」だと言っている。

Photo_2 きょう最後の珈琲は、美術館近くのいつものコーヒー豆屋さんで、ホンジュラス。豆でブラジル・サントスNO2と、キリマンジェロAAをそれぞれ200gずつ煎ってもらって帰宅する。

豆屋さんの出口に、珍しく「コーヒーの木」の苗が置かれていたので、これもさっそく購入する。店の人は、このままですこし育つまでPhoto_3 我慢して、そのあと鉢を入れ替えてください、と言っていた。実がなることまでは期待していないが、どこまで育つのか楽しみだ。ものの本によると、3メートル位までは成長するらしい。

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2009/05/15

ジグソーパズルか、ブリコラージュか

何年かぶりに、飯田橋へ出る。学生時代には、神楽坂などに繰り出すこともあったのだが、このところはすっかり横浜と千葉とを行ったり来たりしていて、東京のなかでも、ちょっと足が遠のく場所が増えている。

Sn3b0090_2 やはり、ギンレイ・ホールにどのような映画がかかっているのか、ウィンドウを覗きたくなるのは、飯田橋へ来たら昔も今も同じだ。きょうはお堀端の道まで、行列が続いていた。それも、学生ではなく、サラリーマン・ウーマンが見事に20人ぐらい、開館を待っている。「おくりびと」が目当てらしい。

ちょうど、会社がひける夕方6時だったので、これから映画というのは、健全な生活だと思われる。仕事場の近くに、名画座のあることが働くことの必須条件だと、わたしは思う。その点では、わたしの場合、幕張のシネプレックスの存在は大きい。

さてきょうは、かつて放送大学の学習センター所属で、当時は「若手」だったOBの先生方との会食を、後楽園涵徳亭で行なった。最高齢は工学のO先生で、74歳になるというのに、いまでもテレビ出演があり、元気そうだった。最年少は、今年放送大学に英国から赴任してきた30歳代のI先生だから、この年の差分だけ、放送大学でも「若手」層の積み上げが進んだことになる。

昔話を確かめたり、外にいる方には放送大学がどのように見えるのかなどを伺ったりして、まわりに居る方々との話をするだけで、時間が過ぎてしまった。話を聞いていて、やはり感じ方が違うな、と思ったのは、「生涯学習」という点だ。

多くのOBの先生方は、国立大学や私立大学へ転勤して行ったのだが、そこで教えている学生は、やはり若い人が中心で、教え方が違っている。あまり強調すると、それほど「一般大学教育」と「生涯学習」とは違わない、と言われてしまいそうだが。

簡単に言ってしまうために、G.バウマンの秀逸な比喩をお借りするならば、そこには「ジグソーパズル」と「ブリコラージュ」の違いが存在するのではなかろうか。現代の大学教育では、世の中の多様な分化現象にあわせて、どんどん専門化が進み、それぞれの専門領域の共通性を探ることがさらに難しくなってきていることは、共通認識としてある。

問題は、それぞれバラバラになった専門領域を、どのように大学教育・生涯学習のなかで統合していくのか、ということだ。ひとつは、複雑な組み合わせをひとつひとつ合わせていって、あたかもジグソーパズルのように、繋ぎ合わせて統合されていくことが求められている。おそらく、ジグソーパズルのように、最後の完成形がはっきりしているときには、このようにして専門を組み合わせるだけで、問題は解決するのかもしれない。

けれども、現実はそれほど甘くはない。最終の完成形などというものは、実際にはイメージすらも、通常は存在しないのだ。そこで、多少無駄だとは思っても、どうしても「外見上はあまり結びつかないさまざまな要素の寄せ集め」をとりあえずは行ってみて、ブリコラージュの変形を続けることになるのだ。

生涯学習の場合には、独断や偏見が忍び込む危険性は伴うが、最終到達地点は不確実なのだから、その模索を同時に行なう必要があり、この点で、一般のカリキュラムがある程度固定できる「大学教育」とは異なってくるのではないだろうか、などなど、久しぶりに懐かしい声に囲まれて、昔行なった青い議論を再び思いだしてしまった。

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2009/05/12

一日の使い分け

Photo 千葉での生活も次第に慣れてきて、横浜時代のように、一日を使い分けることができるようになってきた。

朝の通勤路では、桜とつつじの華やかだった季節が終わり、タンポポからさらに、クローバーが目立つ季節を迎えている。黄色い花からから白い花へ転移が始まった。それにしても、種子を飛ばすころの白いたんぽぽならいざ知らず、こんなに首の長い黄色いたんぽぽを見たのは初めてだ。

Photo_2赤やピンクが優勢を極めている季節は、人間が暖かさを求める季節に当たっている。そして、黄色から白色へ移るにしたがって、暑さが自然を支配する季節になるのは、人間が暖色と寒色を決めたことと関係があるに違いない。実際の季節の色ではなく、期待される季節の色がそのことを決定している点が、やはり人間の仕業であることを示している。

きょうは午前のうちに、3つの打ち合わせをこなし、偶然の立ち話も楽しみ、さらに溜まっていたメールも済ました。試験問題の校正も行えば、すでに12時になっていた。先生のなかには、朝の7時半から仕事をしている方がいて、先生方の「激務」の様子がわかるというものだ。あるいは、裁量労働制の影響なのかもしれない。わたしの場合には大学での仕事はこれまでとして、あとは家に帰っての仕事を残して、大学を後にする。

Photo_3 京成電車で千葉中央駅まで出る。幕張まで来てしまうと、この電車も大都市の交通というよりは、小都市の電車という趣で、のんびりとした乗客を運んでいて、この日中という時間であることも手伝って、居眠りをしている客をどこか遠くの世界へ攫っていってしまいそうだ。

街の温度は、5月だというのに7月並みで、どこか木陰が欲しいと見回す。通り道を1本入ったビルの裏に、千葉モノレールの葭川公園駅があり、その近くに素敵な喫茶店を見つけた。外見よりも内部からの眺めがよい。「楡」という店だが、昔は楡の並木でもあったのだろうか。鎌倉時代から在る千葉城につらなる地域だから、きっと古い樹があったのだと想像される。

Photo_4 ランチが凝っていて、メニューから2種類のものを選べる。オムライスとあんみつという組合せにする。それに、ミニサラダと吸い物、さらに飲み物がついている。オムライスには、にらが入っていて美味しかった。あんみつは見た目に涼しげで、黒糖が香っていた。コーヒーもたぶん美味しいのだと思われるが、これからいつもの珈琲の豆屋さんへいくので、ちょっと抑制がはたらいた。

今日の後半の仕事がなければ、道沿いにある千葉劇場で、「シリアの花嫁」がかかっているので、寄り道をし、さらに展覧会を千葉市美術館でみたいところだが、両方ともに断念する。後悔しないように、見ることができるときに見る、というのが信条なのだが、信条どおり行かないのが現実なのだ。

Photo_5 先週、みすず書房から出版されている『クレーの日記』を読んでいたのだが、ちょうど美術館では、16日から「クレー展」を開催するとの垂れ幕を目にした。また来週来ることにしよう。帰りに、ブラPhoto_6 ジル産のブルボン豆と、コロンビア産のエメラルドマウンテン豆を浅く煎ってもらって持ち帰る。珈琲豆の店ではセールだったので、ホンジェラスをカップでのみ、試飲でインドネシア産の「バリ神山」を味見して、今日最後の1杯とする。

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2009/05/02

新しい1歩を踏み出すとき

忌野清志郎氏が亡くなったと報ぜられた。それで、1970年代の映像をYouTubeで見た。

何といっても、「ぼくの好きな先生」が初期の作品では思い出に残っている。当時、1973年ごろ、いわゆる石油ショックが襲ってきて、日本は今日どころではなく、経済マヒの様相を呈していた。

今日の金融危機だと、危機に陥る金融資産があるということだが、1970年代には、まだまだ資産もなく、高度成長期が終わってしまい、原油の輸入もできなくなり、日本経済は戦後最大の危機を迎えていたその年だった。フロー経済の危機で、オタオタしていた時代だった。

当時、横浜の学生であって、東横線の白楽というところに下宿をしていた。この年、下宿の近くの神奈川大学の大講堂で、浅川マキと、それから忌野清志郎が所属していたRCサクセッションがコンサートを開いたのだ。当時はまだ、ロックバンドではなく、アコースティックのバンドであった。

まだまだ、大学紛争の残滓が残っていて、そのコンサートも当然学生の資金稼ぎだったと思われる。神奈川大学大講堂へは、そのとき初めて行ったのだが、外見からして横に細長く階段状になっていて、流れるようなフラットな形状が素晴らしい建物だった。今は、取り壊されてしまって、跡形もない。この神奈川大学にその後教えに行くようになるとは、当時はまったく考えても見なかった。

RCサクセションはどちらかといえば、前座であった。生のベースの音を響かせて、渋い舞台だった。けれども、そのなかで、なにか変わるんだ、というメッセージを出し続けていて、それがこちらにびんびん響いて伝わってきて、たいへん印象に残った。この1年のうちに、終わりになるか、それとも、生まれ変わるか、の瀬戸際に立たされていたのだ、とあとで知ることになる。

1歩踏み出すかどうかの、直前の舞台だったのだ。その後、結局1年では終了せずに、35年有余にわたって、ロックに邁進したことになる。そのコンサートには、わたしの友人たちもたくさん来ていて、そろそろ就職を考える時期にさしかかっていた。

経済学部のS君と、彼の恋人だとみんなに思われていたKさんも来ていたし、また同じく教育学部のMさんも合流してきて、帰りの坂道を歩きながら、漠然と将来のことに思いを馳せ、駅の手前の中華料理屋で、どの1歩を踏み出すのかを話した記憶がある。

RCサクセションの歌は、そのような意味では、元気付けたっぷりの亢進剤の役割を果たしてくれたような気がする。その後、節目節目にそのような歌がラジオから聞こえて、そのつど1歩を踏み出す能動性を受けたような気がする。

新聞でビートたけし氏が「ぐっと上がっていく時に、よく一緒にやった」と言っていて、うまく表現していた。世代特有の問題というものがあるのだ、と思った。

いまでは、すっかり歌を唄ったからといって、さすがに感情を高ぶらせることは少なくなったが、当時まだ売れていなかったバンドが、「ぼくの好きな・・・」を選んでいく姿は痛快だった。わたしも就職を考える際にも、会社へ入るかいなかを真剣に考えなければならないという時期を迎えていた。だから、こうした道に入っていった、ひとつの伏線として、切羽詰った彼の影響があったのかもしれない。もしあの世で出あったら、当時の話をぜひ聞きたいと考えている。またひとり、話を聞きたい人が亡くなってしまった。

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2009/04/29

他者性に対処する方法

これまで、嗜好品消費について、珈琲と葡萄酒を取り上げてきた。もしこれらの珈琲、葡萄酒に次いで、嗜好品文化として何を取り上げるか、と問われるならば、やはり今流行の「スィーツ」だろう。甘さというのは、疲れをとるばかりか、気分を落ち着かせる。珈琲や、葡萄酒にない、嗜好性がある。

ということで、まずは手始めに社会的な観点から。昨年漫画からテレビアニメになって評判をとった「アンティーク(西洋骨董洋菓子店)」が、実写版の韓国映画として劇場公開されたので、観にいく。予想通り、席は若い女性でいっぱいなので、前のほうの席をとって、小さくなって観てきた。

漫画とアニメは見ていないので、何ともいえないが、少なくともこの映画に関して言うならば、ストーリーについては、よく練られた筋が次から次へ展開し、小気味良いテンポが続いて、映画は進んでいく。とくに、主人公がひとりでいろいろな想像をするところで、複数の自画像を飛び飛びに多用する場面があって、基本的な描き方ではあるが、たいへん映画的な効果を挙げていたような気がする。

出だしが良いと思う。ふたりの主人公が出会うシーンだ。高校時代に、女の子から振られて、ケーキを置き土産に受け取る。そこへ準主人公から男性同士の愛を告白され、ケーキ投げが行なわれる。やはり、スィーツの極地は、パイ投げだ。ケーキを媒介とした集団的人間関係が生ずる瞬間として、申し分ない設定だ。ここからスタートするのは、悪くない。

映画のなかで次から次へ、人間関係が展開される。たとえば、オーナーとシェフ関係、シェフと弟子関係、オーナーの家族関係、店と客の関係など、すべてケーキを媒介として展開していく。ケーキは言語なのだ。

このような日常物を媒介とする漫画は、ワインの「神の雫」をはじめとして、古典的にはわたしの学生時代に流行った「味平」など、数多く成功例を挙げることができよう。だから、これらの二番煎じだったら、これほど面白くはないだろう。特色は、オーナーの心理分析にあるのではないかと思われる。

もちろん、推理小説仕立てで展開されるところはたいへん面白い。少年時代に誘拐にあったトラウマを伏線にしたドラマとしては、たいへん秀逸な設定であることは間違いないが、もうひとつケーキ特有の心理を描写していることでたいへん深い筋立てを追加できているように思えた。

「他者」をいかに取り込むのか、ということがケーキ屋の使命だ。ところが、このオーナーがケーキ屋を開いた動機は、通常と違っている。どこが違うのかは、ここではあまり関係ないので、漫画か映画を見ていただくとして、肝心なのはケーキを食べるとこのオーナーは嘔吐するという設定であり、ここがこの映画でいちばん重要なところなのである。

文化人類学者C.レヴィ=ストロースによると、他人の示す他者性に対処する方法には二つあるそうだ。ひとつは、嘔吐的方法で、異物を体内から排除する方法である。もう一つは、食人的方法で、異物を非異物化するために食べて消化し、一体化してしまう方法である。

主人公のオーナーは、ケーキに対して、シェフに対して、さらに過去のトラウマに対して、嘔吐的方法から食人的方法へ経緯させることで、ドラマを進行させている。この機軸がはっきりしていることで、このストーリーは明快なものになっていると思った。映画がこんなに成功しているならば、原作もきっと素晴らしいのだと思われる。

新型インフルエンザの報道が激しくなってきている。インフルエンザの歴史はまさに、嘔吐的方法から食人的方法へ、という繰り返しを行なってきたといえる。現在は、水際作戦を展開して、排除し隔離しようとしているが、いずれは多くの人の体内に侵入する段階が来ることは明らかだ。スペイン風邪の時には人口の3分の1の人のなかに入ってきた。そうなったら、ウィルスも食べて消化するほかないだろう。

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2009/04/23

もう一枚の絵画

もう1枚のル・ナン兄弟の絵画「幸せな家族(洗礼からの帰宅)」が、もうひとつのルーブル展(国立新美術館)に来ていた。仕事がそろそろ終わりになる頃に、妻からメールが届いて、15時半に待ち合わせて、乃木坂駅口から入る。

紀元前の「書字板」や、楔形文字を書いた「粘土板」などはたいへん興味があってもうすこし詳しく見たいとは思ったが、あまりに出展物が多かったので、ほとんどはパスして、今回もルナンの絵にほぼ直行する。

西洋美術館の絵画と比べると、登場人数が6名なので、構成の複雑さはむこうより少ない。けれども、色調といい、構成といい、同じ系列に属する絵画だ。

横一列に並んだ人物たちの配置には、やはりいつもの三角形の構成が効いている。一つは、大人の世界で、前の絵と同じで、祖母と夫婦がセットになっている。二つには、やはり子どもが3人いて、その世界がある。三つには、人物ではないがモノの世界があり、ここでも真紅のワインと、洗礼を受けた産着を包む緑のビロード、そしてパンだろうか、茶色の塊が三角形を構成している。

ここで、なぜこんなに3つに固執するのだろうか、と考えたが、それは当然描く側の配分の問題ではないかという考えに行き着く。つまりは、それぞれのセットごとに、兄弟のひとりが担当していて、結果として3世界になったのではないかという仮説である。

おそらく、このような推理は、他の誰かも行なっているはずだから、文献に当たってみれば、どの人物が兄弟の誰が描いたのかは特定できるのではないだろうか。三兄弟だから、三角形で常に3セットの構図が選ばれている。

などというのは、かなり穿った解釈だ。たぶん、おおよその絵画制作の分業はそうであったのかもしれないが、むしろここで重要なのは、制作者側の3セットではなく、鑑賞者側の3セットだろう。

つまり、ひとりがひとつずつの世界を描いていった、ということは、それを見る他の兄弟がふたりずつ見る側として存在していたということだ。つまり、制作がひとりの天才によって行なわれたのではなく、鑑賞者が近くにいて、たえず制作に意見が盛り込まれながら、制作が行われた、という点でも画期的だと思われる。

ときは、師匠と弟子による、工房での制作時代を乗り越えて、近代のチーム制作の時代へと進んだと思われる。この制作の意図においても、構成上の転換が起こったのが、このル・ナン兄弟当たりからだと思われる。

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2009/04/21

視覚世界の転換

先日、S先生から著書をいただいた。さらにそこには、もうひとつ論文が1篇付けられていた。それは、ル・ナン兄弟の絵画について書かれたものだった。そして今、ルーブル美術館展が西洋美術館で開かれていて、かれらの絵が1枚きているのだという。

こんなお誘いは初めてだが、その論文によると、この絵はその時代の画期的な絵画で、その時代の絵画を転換した、たいへん重要な絵であることがしたためられていた。これは行かなければならない。

さっそく、ほかの絵を飛ばして、「農民の家族」(17世紀半ば)の前に立つ。まず、第一に印象的なのは、この絵の周りには、17世紀の宮廷文化絵画が並べられているのだが、それとは色調がまったく異なり、庶民生活を描いている点だ。単一の焦点に絞る必要に迫られていた王侯貴族の絵画から、多焦点的な一般庶民の絵画への転換は、直ちに見て取れる違いだ。

第二に、感情や内面的な世界を描く技法でも変化が生じたといえる。神話の世界やキリスト教の世界での比喩やレトリックを介してでないと、現実と異なる世界が描けなかった絵画が、この絵からは、いわば真実を絵画に定着することが可能になったといえよう。写実から寓意へ、寓意から真実へ揺り返しが起こったのだ、と思われる。

第三に、明瞭なのだがけっこう困難なのは、「農民の家族」には、9人の家族が描かれているが、ひとりひとり見ていって、最後の9人目を見出したときに、ようやくこの絵の全体世界がわかることだ。

全員の視線が異なるところまでは、みんなが注目する。ところが良く見ると、3人ずつが3セットになっていて、過去の世界、現在の世界、将来の世界を構成しているのだ。ここまで来て、ようやく見える世界があるのだ。

過去の世界には、この絵の背景となっている、次の間の3人がいる。この3人は火を囲んで暖かいひとつの世界を作っている。もちろん、ひとりだけまったく後ろ向きの若者がいて、過去性を強調しているのはやり過ぎのような気がする。

これらに対して、前面には、将来の世界として、3人の子供たちが描かれている。病気のこども、正常なこども、しかし、3人目の、中心にいる子どもだけ、シャツをはだけて、いたずらっぽい目つきをして、ひとり輝いている。このような子供類型は、普遍的な将来像なのだ。

けれどもやはり、中心をなしているのは、若い祖母と夫婦の現実世界を現す3人である。現実の世界は、それぞれ3人が1箇所ずつ鮮明な色彩で、他の世界より一段と特徴強く描かれている。祖母は真紅のワイングラスを持っている。お母さんは緑のビロードのスカートをはいている。主人は控えめに茶色のザックを肩にかけている。貧しい労働のなかに、ワインやビロードの豊かさを交ぜている。この多焦点性はきわめて現代的だ。

3角形のそれぞれ三つの世界がこの絵画を構成している。このような構図を練り上げて、これらの世界がその視線の先までも世界を延ばしていくような世界観を映し出すようになったのが、この絵画の広さである。家族という宇宙の大きさが真実であった時代を思わせる絵である。

大人の落ち着きは、際立っている。貧しさをものともしない、毅然とした日常と非日常のバランスを保っている。どこを探してもこんな落ち着きはありそうにもないが、すぐ隣には簡単に見つけることができそうな気になってしまう。このような生活の根本が過不足なく、書き込まれている。

Photo この絵だけ見ていて2時間はあっという間にすぎた。肝心のラ・トゥール「大工ヨゼフ」もたいへんすばらしかったが、また後日。この2枚だけで十分だった。世界全体を手に入れたような、すっとした気分になったところで、雨の吹き付けるなか、上野駅の入谷口へ出て、道なりのつきあたりにある「北山珈琲店」へ行く。今日最後の1杯は、超重量級の苦味の利いたモカマタリ主体の深煎り珈琲「貴」を飲む。この店には、30分で出なければならないルールがあって、入ってから珈琲が出てくるまでに20分だから、楽しむ時間は10分間なのだ。このわずか10分間の味わいのなかに、5時間くらいを煎りこんで濾過したような、凝縮し尽された珈琲の味があった。


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2009/04/06

山桜の白さ

Sakura3ちょうど弘明寺公園の桜が満開で、昼間なのに花見客がたくさん来ていたのには驚いた。家族の話を聞くと、弘明寺駅のホームも花見客で一杯で、溢れんばかりだったそうだ。弘明寺の魅力は、初詣と花見さらに巡礼など、季節ごとに日常生活に関連することが盛りだくさんあって、それが人気となっているのだろう。

Sakura4電車から見る大岡川沿いの桜並木道も、今が一番の見ごろだ。桜の見ごろというのをいつにするのかということで、その人の価値観がわかる。たとえば、平均値からすれば、ソメイヨシノがすべての花を埋め尽くして、それが一辺倒になってしまう1時期がある。これが見ごろだという人もいる。

Sakura けれども、桜にも種類がたくさんあって、それらの多様な配合がすべて調和されたときが見ごろだという人もいる。わたしは後者である。隣の丘に植わっている桜がすこしずつず090406_150201れながら、花を付けていくのを見るのが好きだ。

とくに、白い山桜は、清々しい。この清々しさが加わらなければ、ピンクから弩ピンクへ一気に行ってしまい、経験の幅もぐっと狭まってきてしまうのだ。それでも、決して悪いわけではないのだが、白があるとより一層、青空に一番映えるような気がする。

桜の思い出は、小さなときから継続していて、とくに自分だけの視野に入ってくるのではなく、周りのすべての人と経験を共有しているところが素敵だ。

Sakura2_3 桜の寿命が100年くらいだ、ということも、個人の来歴にちょうど一つの尺度を提供しているように思われる。こんなに盛んに咲いているのは、なにか普遍的な現象であるように思えてしまうところがあるのだが、じっさいにはこの並木道の桜も、もし植え替えられなければ、数十年で死に絶えることになる。だから、いま見ごろの桜というのは、この数年間の最盛期を一生懸命咲き誇っているに過ぎないのだ、と考えれば、やはり桜というのは、人間の儚さを表現している花だな、と改めて思ってしまう。

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2009/04/05

話を引き出すときに必要なもの

三日間いくつもの原稿をちょっとずつ書いていたら、結局ちりぢりの文章がたくさんできただけで、ひとつの原稿も完成しなかった。そこで気分転換を兼ねて、川崎へ散歩。

昨日、珈琲を切らしてしまったので、いつもの豆専門のコーヒー屋さんへまわる。京急線川崎駅を出て、海岸のほうへ向かって、一本目に「砂子」という地名があって、そこに石でできた標識がたたっている。「旧東海道」がこの細いみちを通っていたらしい。観光用の看板によれば、川崎宿はかなり繁栄していたとのことだ。

そういえば、先日の沼津でも、ホテルを出てすこし行ったところに古い土蔵があって、その辺を散策していたら、やはり「旧東海道」という標識がたたっていた。ということは、あの沼津の旧東海道は、まさにこの川崎宿の旧東海道につながっていることになる。当たり前と言ってしまえばそれまでだが、途中断片化しているかつての繁栄した道が、時空を超えて結びついたのだ。

街を知るということは、このようなことをいうのだと思う。この道を行くとどこに出て、どのような店があるのかが感覚的にわかってくる。コーヒー屋さんへ行く途中に、勝沼ワインを置いてあると宣伝している酒屋さんがあるというので、以前見たかすかな記憶をもとに一本曲がって、その方向をながめてみたけれども、結局見つからなかった。あとで知ったのだが、その店は最近移転したらしい。それは予想していなかった。

090406_154601_2 今月の珈琲として、ケニア産とコスタリカ産がおいしそうだったので、煎ってもらうことにする。店内で飲む珈琲は安く美味しいので、今日も所望する。すると、酸味の利いた味で、とてもこんなに安い値段で飲めるようなものではないので、さっそくこの珈琲もください、と依頼すると、じつはこれは、いつもよりすこし高い豆なんです、といって、ハワイ産の豆を出してきた。ちょっと躊躇したが、やはり酸味に目が無いので、購入してしまう。

川崎の繁華街は、夜は相当賑わうが、昼はなんとなくのんびりとしている。通り抜けて、チネチッタへ入る。

今日の本題は、Presidencyという大統領と国民との関係だ。大統領が持っている最高権力とはなにか、ということで、それをめぐっての言説の物語だ。映画「フロスト×ニクソン」で、インタヴュアーと元大統領とが、この最高権力とは何か、ということを一番の山場にして、丁々発止の攻め合いを行う。「言葉の決闘」という言い方を、ニクソンはしていた。

見どころは、インタヴュアーがいかに失意のニクソンから、話を引き出すことができるか、という点にある。予想されるのは、その引き出されるときに、一瞬の「同定」つまり聞く側と話す側の一致が生ずるのだが、その一致がどのようなものとして描かれるかが問題だ。映画だから、驚きの部分を残しておかないと、面白くないとはいえ、実話とかなり違っているのだ。それは、ニクソンの性格に依存していて、本人と写される人とのギャップが決して埋まらなかった人ではないかと思われた。

この筋には関係ないけれども、大統領が冗談を言うのもたいへんだな、と感じたのは、部下を相手に、インタヴュアーの部屋に盗聴器を付けなければ、と言って、小さなメモ帳を取り出すシーンだ。もちろん、これは冗談なのだが、部下は真に受けるという演技をする。このときのメモ帳は、本物だろうか。大統領は、つねに近くに人がいて、言うことはその秘書が書き取ってくれるのだから、メモ帳は持たないのではないかと思っていた。メモ帳はニクソンには似合わない。

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2009/03/30

空から旅して歩く

大学の委員会に出席するために、幕張へ。この委員会では、重要でほんとうに話し合うべきことがあったのだが、この時期だからというので、来年度へ持ち越しとなった。それで、20分で終了した。

遠路はるばる来たのだが、拍子抜けだった。本来ならば、会議が短くて喜ぶべきところだが、こんなに短いのも、逆に仕事をしたという満足の気分にはならないから、不思議だ。

隣の席には、先日お昼を一緒に食べて、面白い話をしてくださった、中世の歴史を専攻なさっているG先生が座っていらっしゃった。これをどうぞ、といただいたのは、発刊されたばかりの岩波新書『日本の中世を歩く』だった。ちょうど新聞広告でみて購入しようとしていたところだったので、たいへん有り難かった。

これだけで、委員会に出た甲斐があった。帰りの電車内と、コンサートまでの待ち合わせの時間に読むことができた。最初のところが、素敵だ。わたしのような美味と、快感を楽しむことだけの旅を諌めている。『梁塵秘抄』に謡われた次の一節が興味深く、この本全体を表している。

  熊野へ参らむと思へども 徒歩より参れば道遠し 勝れて山峻し
  馬にて参れば苦行ならず 空より参らむ 羽たべ若王子

熊野詣に徒歩で行くには辛い、かといって、馬に乗ったら苦行にならない。そこで、空から行くからその羽をください、若王子。という意味だそうだ。旅をするのに、つぶさに体験するのは返って、意味がない。また、早く通り過ぎるのも考えものだ。結局、超越することが重要だ、ということだろうか。

G先生の旅は、時空を自在に飛び回って、ポイントを余すところなく伝えている。たとえば、旅をして足利へ行く、足利学校がどうしてこの地に建てられたのか、と自問する。その問いから、足利学校の前身を探求し、当時の日本の「大学」の成り立ちを解いていく。

つまり、歩いて、地面の表面をなぞるだけでもないし、馬に乗って、歴史をすっとばすわけでもない。空から、横の広がりを見たり、深く時間軸に沿って、探査していくことが、真の旅だと言っているようだ。

この本を持って、同じところを旅して歩きたくなる一冊だ。旅は美味と温泉だけじゃない、といっている割には、各地で美味しいものと美酒を食しているらしい。自分のことを振り返ってみると、放送大学の取材でも、このような旅ができれば理想的だし、ほんとうに言うことはないのだが・・・と先達の方法を見て反省すること多かった。

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2009/03/29

別れの季節

Sakura 今年の桜は、開花が遅れていて、今日は弘明寺の桜まつりの日なのに、まだ冬用のコートを手放すことができない。青空に透かしてみると、いつもならば、花に覆われてしまう空もまだ2分咲きの花では、透ける部分が多い。

Center 太陽が当たっているにもかかわらず、肌寒い。学習センターの建物とも一応お別れになる。けれども実際には、ゼミやボランティアでご厄介になるから、完全にはお別れではないのだけれども、心なしか、建物の色も青ざめている。

青色の気分でお別れと言うのも悪くない。さっぱりとしていて、2年前のお別れよりもなんとなく、また帰ってくるからという気分が強い。循環的だということが、放送大学の取り柄だ。

Kさんが久しぶりに訪ねてきて、京都で研究会があり、招かれて発表するのだというのだ。80歳を過ぎて、ますます盛んな探究心に驚いている。知的好奇心にも寿命があると、思い込んでいたのが間違いで、わたしの老後も考えなおす必要がある。

夜には、神奈川学習センターみんな揃って、送別会を催してくださった。中華街へ繰り出し、重慶飯店別館(ここは本館、別館、新館がそれぞれあって、大きな組織体なのだ)にて、食事をする。送られるのは、H所長、K先生、そしてわたしで、わたしの場合は2度目の神奈川学習センターからの旅出である。

思い出はたくさんあるが、やはり学習センターの範囲を逸脱して、横浜美術館、開港資料館、歴史博物館、さらに都市発展記念館などの外部のところと提携を行い、それぞれを回って、お願いに歩いたことは、楽しかった。

Allmember2_2 組織論を専攻するわたしにとって、現場を見て、実際にそれらの組織がどのように動いているのかを見ることができたのは、研究では得られない経験だった。

などなど、次から次へ思い浮かんできた。当初予定していた話をつい脱線してしまった。最後だから、学習センター精鋭部隊全員の写った写真を載せても大目に見てもらえるだろう。

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2009/03/26

沼津の魚市場

Photo_2 遠くから聞こえるざわざわという群集の声が当たり前であるかのような場所は、世の中にそれほど多くはない。駅や市役所などはすぐに思いつくが、今回は朝の4時、5時という時間である。

Photo_3 沼津の魚市場へ来ている。講義で魚市場を取り上げていて、もっとも面白いと思う点は、「身近」なものであることと、「遠隔」地で取れたものという、相異なった性格を持ったものが同居している点である。だから、もし食べている魚の来歴を知ろうとすると、ほんとうはたいへんな作業になるのだが、市場へ行けばどこから来たのがすぐわかる、というところが市場の市場たるところだと思う。

Photo_5 講義の統計などは、調べれば容易く手に入るし、写真なども出来合いのものは最近ではインターネット経由で得られることになったが、それでも市場というものの現実はなかなか伝わってこない。Aさんが欲しいと思っているものが、Bさんが持っていて、それぞれAさん、Bさんがたくさんいるのだ。それをどう一致させるのか、という古典的な問題が(わたしだけかもしれないが)現代でも面白いのだ。

Photo_6 それで、経済学のテキストのような理解をしても良いが、実際に一尾一尾の魚がそれぞれ取引されていくのを見ることは大切だと最近思うようになった。そこに行って見なければ、経済学が教えるような調整メカニズムがそこで一瞬できまるとは思わないだろう。ひとつの取引それぞれが調整のプロセスなのだ。

というわけで、築地、銚子に続いて、ここ沼津の魚市場を訪れたしだいである。朝早くから始まる。早いのはほんとうに苦手なので、沼津の街から歩いて20分くらいのところにある市場へは、薄暗いなか、太陽がすこし昇り始めてから着いた。途中、川辺を散歩しているご夫婦や、自転車で市場へ駆けつける人々に出会う。

Photo_7 外市場を通り抜け、「イーノ」という新しく作られた、市場へ入る。ここの二階が見学者用に、開放されていて、銚子のように近くに寄ってみるのも良いが、真上から観察するのも「せり」の場合にはよりわかるような気がして、良いのだ。築地のように、競り取引ができなくなるほど、観光客が来てそれを排除しなければならない、という事態をはじめから予想して避けるように作られた建物だ。

Photo_8 市場に入って、まず探したのは、沼津名物のアジだが、さすがに大量に水揚げされていて、リフト車で次から次へ、海から船が横付けされて直接市場へ運び込まれていた。まだ、小魚の段階で、上からみていると、メザシのオンパレードというところだ。

色鮮やかなのは、金目鯛だ。白い発砲スチロールの箱にピンクの身体を寄せ合って、せりを待っていた。水揚げの量もたいへん多かった。夜には、刺身や煮魚になって、食卓に並ぶことだろう。

Photo_9 この市場は近海ものが多いので、先日の銚子市場のようなマグロが並ぶことはあまり無いらしい。今日、もっとも高額だったのは、鯛で、キロ2500円だったそうで、3~4キロのものが2尾並んでいた。近海の清水の先で獲れたものだそうだ。

Photo_10 もっと大きく重い、ハマチなどがその隣にも並んでいたが、それらは養殖もので、やはり価格は安くなるそうだ。それに素人にはわからないが、と仲買の方がそっと教えてくださったが、尻尾に「虫」がいたのだそうだ。それで結構、安くなったとのこと。その虫が害のあるものであれば、まったく取引されないだろうから、質を落とすだけの「虫」だったのだろう。けれども、こんな判断は、一消費者では到底できないだろう。卸市場というものの存在する理由の一端がわかった気がした。

Photo_11 貝類の競りも行われており、一番最後には、生簀のヒラメたちが競り落とされていた。競りはほんとうに一発勝負で決まる場合が多い。それで、同じ価格をつける仲買が何人かいる場合には、どうするのか。

経済学の教えるところによれば、競り市場では、オークションが機能するのだから、同じ競り価格が叫ばれれば、価格が上がっていって、最後に最高値をつけて落札した者の手Photo_12 に渡る、となっている。けれども、理論と実際は異なる。ここでは、同じ価格の場合には、ジャンケンをしていた。つまり、相場はあらかじめ決まっていて、それよりも高くなることも低くなることもないのだ。ただ、ここでは誰のものが誰に渡るかが決定されればよいのだ。

そして、落札されたことは、水で濡らされて、ぺたっと箱に貼られた会社印のついた入札票が示すことになる。6時を過ぎる頃には、仲買人たちが仕事を終えて、市場を出て行く。運搬人たちがトラックへ運び込んで、散っていくのだ。

Photo_13 朝ごはんは、市場の2階の隅にある魚定食の店にて食べることにする。ごろっとした焼き魚(今日はマグロだった)が無造作に皿に乗っていて、いかにも魚市場の定食だ。こんなのを毎日食べていたら、街中の定食は食べられないだろう。とうぜん、味噌汁は蜆の味が美味しい、たっぷりしたのものだ。

Photo_14 見学者通路の壁には、魚の種類を描いたポスターが並んでおり、理科の勉強にも最適だ。図鑑と生の魚を見比べながらの見学は、滅多にできない体験だ。そのなかの1枚だけ、昔の沼津港の写真が掲げられていた。

Photo_15 そういえば、高校時代に戸田の友人宅へ泊めてもらい、帰りに船で西伊豆を見ながら沼津へ出たことを思い出した。そのときの印象では、道の両側に干物屋さんが出ていて、緑のプラスチックのかごに、あじの干物が入っており、高校生でも買えるくらいの土産物だPhoto_16 った。海から港へ入ってきて、上をみると、富士山が典型的な姿を見せていた。

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2009/03/11

街歩き

京都での取材は、文献収集だったので、それが終了した後には余裕が出来た。とはいえ、取材での材料探しは数多く行っておくと、あとで楽になるので、題材を探しての美術館めぐりと喫茶店めぐりを午後から行うことにする。

生活美という考え方については、哲学者のランガーなどをはじめとする芸術論者からは批判が出されているが、社会を問題にする場合に生活の美的性向については避けて通ることができない問題である。ちょうどアサヒビールの大山崎山荘美術館で、「濱田庄司の目」展を行っていたので、世界から濱田庄司が集めてきた民芸品をみることにする。焦点は、役に立ち、なおかつ洗練ということがいかに美的に表現されるか、という点である。

現在とは違って、超円安の時代にこれだけのものを収集できたという濱田の財力にも感心するが、それ以上に、使い込まれ、使用者の愛着がしみこんだ品々には、それなりの美しさが宿っている。それは近代が目指したような機能美でもないし、古代から続く様式美でもない。けれども、たどたどしさや、自然な不均等さ、さらには余裕ある弛みなどが、これらには顕著に見られる。たとえば、面取りした李朝の器には、ぴんと張ったまっすぐな直線の糸をちょっと弛めて、曲線を意識したような適度なスラックが観られる。このスラックは、生活に根ざした余裕の美だと思われる。

京都市内に戻って、昨日の喫茶店めぐりを再開したいと思うが、行きたいと思っていた「かもがわカフェ」と「エレファント・ファクトリー」はいずれも定休日だった。そこで、近くのスマート珈琲店へ回ってみるが、さすがに寺町にあるだけあって、満員でさらに3組が待っているとのこと。

仕方ないので、京都では街中でもっとも宣伝され配給されているように見える小川珈琲店(三条)へはいり、バリスタ大会で優勝したと宣伝されているエスプレッソをきゅっと飲む。これは、噂に違わず美味しかった。仕事の終わった後で、ちょっと一息つくというときには、カフェインが強く効いていて最適な1杯になりそうだった。

最近どうしても気になるのが、喫茶店の造りが女性、それも30代40代の働く女性にターゲットを絞っている感があることだ。店のなかに入ると、女性たちが会話を楽しむように作られている。1970年代に流行った、男性が一人で静かに本を読むというスタイルが忘却のかなたへ行ってしまい、そのような男性はあまり見られなくなった。昨日のJamJamのようなところでしか、生息できない品種となりつつある。

小川珈琲だけがとりわけそうであるというわけではないのだが、昔のあんみつ屋に似た造りになっている。単に、まめが大豆から珈琲豆に変わっただけなのかもしれない。その後、二条通を東から西まで歩く。学生たちが通うような喫茶店が、町屋を改造して、居心地のよい空間を作っている。今日、最後の1杯は、このような今風な店の大テーブルにて、大学生時代を思い出しながら。

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2009/03/10

神戸の取材

来年度のビデオ制作取材のために、京都と神戸を訪れている。論文の取材と違うのは、文献蒐集だけではなく、やはりビデオ制作では人と会わなければならないという点である。このためのスケジュール合わせがあって、このことが不得手なのだ。

うまくいかない場合と言うのは、だいたいこちらに原因があって、目的があいまいなままに取材申込を行うものだから、取材に応じていただく側としても、こちらの意図を測りかねているようなのだ。それでいつも、応じてくださる方にはたいへん迷惑をかけている。

けれども、その場になってみると、話しているうちにようやくこちらの意図が自分でもはっきりとしてきて、会う毎にいつもたいへん参考になって、会ってよかったなと思うのであるが、結局それは自分の想像力や構想力の足りなさを露呈することでもあり、恥じることになるのだ。自分の楽観主義にあきれる毎日である。

目的・ねらい・見方をはっきりさせてから、人と会え、というのは社会の常識なのだが、我がことながら非常識なので困ってしまう。

けれども、それ以上に得るものが多く、いわば取材の外部効果というものがあるのだ。取材そのものもさることながら、取材の周辺で得るものが間接的でありながらも、たいへん大きい。

今回は副産物として、喫茶店めぐりを行うことができた。神戸と京都の喫茶店事情についての雑誌「珈琲の本」(エルマガジン社発行)を読んで、そこに掲載されていた店を回ることで、コーヒーをめぐるパッションをなお一層得たという感じだ。

神戸元町駅を下りて、商店街へ下っていくと突き当たりに、緑の壁を基調とした喫茶店「エヴィアン」がある。酸味も残しているが同時に苦味もベースにしたブレンドを数十年にわたって出し続けているというので、たいへん期待して訪れた。ここ数年、日本人の珈琲趣味がすっかり東京御三家や、シアトル系コーヒーに押され、これが主流となったために、日本の喫茶店から酸味系のブレンドが駆逐されつつあった。酸味を極端に愛するわたしのような者にとっては、たいへん残念な日々が続いている。

けれども、エヴィアンのブレンドは、これを超えている。もちろん、最近の苦味系も活かしながら、あとに酸味が残るような複雑なコクのある味を実現している。この美味しさは、たぶん地元のコーヒーファンにとってはかなり「くせ」になる味だと思われる。ブレンドというのは、自然プラス・アルファの味だと考えており、ハヴィタスに属する状況が左右する。神戸には、それがあると強く感じた。

つまり、客層は必ずしもコーヒーファンだけに限られるのではなく、ふつうの常連客を集めていて、客回転のよさも抜群である。一杯引っ掛けて、また仕事に戻ろうとするさまざまな勤労層を集めている点で、これまでの喫茶店の中でも、上位に位置する店である。1杯300円を維持していて、この立地で、この値段。さらにこの美味しさがあるので、通常の外来チェーン店には決して負けないだろう。

2番目に回ったのは、JRの高架下に連なる商店街のずっと奥のほうに位置する「グリーンズ・コーヒー・ロースター」。ロースターという名前が示すように、店を入ると奥にどーんと焙煎機が置いてあって、工房の雰囲気をかもし出している。さらに客席も少なく、二階に数席あるだけだ。急な螺旋階段を上がって、ちょっと隠れ家的な雰囲気の店であって、長居できそうで落ち着く店だ。職人的な雰囲気のなかで、アートと技術の中間を狙っていることが表に現れている。

ブレンドは、たいへん標準的な味を実現していて、他の特色あるコーヒー種を頼めば、それなりに美味しいコーヒーが出てくることを予想させる「クリアな味」のコーヒーであった。「卓越」ということでは、標準をいかに工夫するのか、というであり、このことは意外にたいへんなことで、それを実現していることが卓越していることの証拠である。大きな窓からは通りが見えて、高架下にもかかわらず、電車の音さえ気にしなければたいへん居心地の良い美味しいコーヒー屋さんだった。

もう一軒というので、トア・ロードのタルコ屋もいってみたいが、今日がちょうど定休日で残念ながら、営業していなかった。そこで取材にいくまでの4時間あまりをエヴィアンの地下にあるジャズ喫茶「Jam Jam」で過ごすことにした。

学生時代に、新宿のジャズ喫茶を教えてくれたのは、同級生のIくんだったが、彼の行きつけの店が新宿歌舞伎町のコマ劇場向かいのビルの地下にあった喫茶店「木馬」であった。ここは天井が高くて、大広間があって、がんがんと大きな音響を響かせていて、素敵だった。

ここに似た雰囲気を持っているのが、この「Jam Jam」である。手元の照明を引き寄せて、400ページほどの本を1冊ちょうど読み終わることができた。音楽もピアノソロとトリオなどを中心として、選曲の流れが良かった。椅子もゆったりとしていて、ひじ付き椅子の位置が素晴らしかった。最後の曲は、前衛的な曲で、女性の声が楽器のようにスイングしていて、もうすでにこの店に居続けて3時間は越えていたのだが、それでももう1曲聞いてから出たいと思わせるものだった。

地下から出て、表通りの大丸百貨店の裏に回ると、そこにもテラス式のヨーロッパ風のカフェがあり、エスプレッソがおいしそうだった。ここは昨年のバリスタ優勝者などがいるのだそうだ。今日は外見だけを眺めて、通り過ぎ、その裏にある旧居留地38番を見学して、早々に取材地へ向かうことにする。

珈琲の味というのは、その土地の文化を吸い込んで育ってきていると思われる。この点で、神戸の珈琲文化というのは、このように多層的な構造を示していて、一日訪れたわたしでさえも、この構造の複雑に絡んだ味を楽しませてくれるだけの蓄積があるのだ。地域特有の「固有の味」とでもいうべきものを、それぞれの喫茶店が発達させている点で、日本のなかでも稀有な場所のひとつだと感嘆させられたしだいである。

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2009/02/21

酒の神ディオニューソス

Photo_3 酒の神ディオニューソスには親近感を持っている。わたしの家系には、日本酒の醸造を行っている分家が何軒かあり、その関係で西洋の神様ではあるが、ディオニューソスに対しても守護神のひとりとしてみる習性がある。酒に強い体質を受け継いでいるのも、ご先祖様のお陰だと思っている。今日も、勝沼からの帰り道で身体全体はアルコールで痺れているにもかかわらず、頭のなかはかなりハッピーな状態を保っていて、電車に揺られても良い気分だ。

Photo_4 山梨県の勝沼で葡萄酒に関する集会「なぜ今、日本ワインなのか」があるというので、制作取材と趣味の両面作戦でいそいそと出かける。現在、世の中はワインブームであると言われていて、テレビの連続ドラマや漫画連載で取り上げられている。それは、円高なので、輸入ワインが隆盛を極めているという面の反映でもあるが、それ以上に流行や社会文化、さらに消費者心理のような要素が混交していて、消費社会論の対象としてはきわめて題材に富んでいる。

Photo_5 なかでも、「日本の葡萄酒がどのような状況にあるのか」という点は、産業としても面白いし、また消費者を巻き込んだ社会文化状況としてもたいへん興味深いところだ。ワインについては、わたしはまったくの素人であるのだが、消費社会論を専攻するものとしては、この現象を見逃すことはできない。

Photo_6 もっとも中心にある問題は、グローバル化とローカル化という大きな流れのなかにあって、もともと「美的」であるとか、「美味的」であるとか、という主観的な規準が社会的な規準を反映せざるを得なくなっている、という問題がワイン文化のなかにもあるのだと思われる。葡萄酒という地域性の強かった産物がグローバリゼーションの影響を受け、変化を遂げているということだ。あるいは、グローバリゼーションが進展するからこそ、地域性という葡萄酒の特性が強調されているのだと思われる。

この集会の講師であるY氏は、内外のワイン書籍を上梓している有名なワイン評論家だが、葡萄酒の良さは葡萄の持つ「自然」と、醸造家および生産・販売者の持つ「技術」によって決まるとする。その結果として、グローバリゼーションの進展は、輸送技術の進展を伴って、世界中のワインがあらゆる場所で販売され、勝沼のワインも競争に曝されている、とする。とくに、20世紀後半から今世紀にかけて、加速度的にこの傾向が強まってきたとする。

Photo_7 これに対して、聴衆のなかからは、ローカルな醸造家の努力が重要で、葡萄酒のもつ地域性の重要さが強調される意見が出されていた。この「美的」な意味での地域性という点には、たいへん興味を覚えた。きっかけを掴んだような気分がして一応の満足を得たので、集会後の交流会では、ディオニューソスの酒宴にもっぱら参加することにした。

Photo_8 葡萄酒は、「人びとの垣根を取り払う」と言ったJ.J.ルソーの言葉は至言である。醸造家のAさん、醸造所オーナーのMさん、アドバイザーのMさんの話を伺うことができた。このなかでも、今回の目的を上回る成果を十分に果たすことができた。酩酊文化恐るべし、という感想を持ちながら、勝沼「ぶどうの丘」を下り、中央線に乗り込んだ。沿線では、梅が咲き始めていた。

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2009/02/20

三日間の引越し

Photo_22 研究室の移動は、5年前に一度行い、さらに2年前にもう一度行った経験がある。もう歳なので、さすがにちょっと片づけをしても、脱力感があり、いつも使っていない筋肉が痛い。

若いときには、20数回の引越しの経験にものを言わせて、ほとんどひとりで、結婚してからは妻とふたりで、整理を行い、引越しを行ってきた。けれども、やはり研究室の移動には、書籍が伴うので、家の引越しとはわけが違うのだ。

Photo_16 どのように違うのかといえば、とにかく多種多様な書籍の位置をバラして、再び同様に配置することがたいへんなのだ。したがって、もし自分で行い始めると、その場所を確定させるために、つまりは移動の仕事を先延ばしにしたいために、ついには本を読み始めてしまうのだ。これほど非効率な仕事はないだろう。読み始めたら、止まらないのは目に見えている。本がモノに見えなければ、引越しなんてできないだろう。

そこで引越し屋さんの説明によると、第1日目には、女性がふたり来て、本を段ボールに詰めます。第2日目には、運搬専門の人たち6名が来て運びます。また、それと同時に、書架を解体して、新しい研究室で組み立てます。第3日目には、再びふたりの女性が段ボールから本を出し、書架に納めます、ということなのだそうだ。

Photo_17 結局、書籍だけで、段ボールの数は100個を超えてしまったが、当初の150個と言われていたのよりは、ずいぶん少なかった。大学の先生としても、少ないほうだと思う。この本を次から次へ、私情を挟むことなく、機械的に段ボールに詰めていく女性たちに感謝した。記号でどの書架にあった本なのかがわかるように、段ボールへ書付が行われ、図示して記憶されていくのだそうだ。

Photo_18 そうそう、いつも壊さずに運ぶのに苦労する、鳩時計も忘れずに荷造りしなければ。これは友人のK氏とI氏が記念に持ってきてくれたものだが、研究室にあると、本ばかりの空間がちょっと安らぐ感じがするのから不思議だ。

二日目に来た書架の専門家は、2年前にも来ていただいた方で、見覚えがあった。手際よく解体していき、整然と運んでいった。壁に直接支柱を打ち付けるタイプの書架で、壁にそれだけの強度があるのか、心配だったが、これは飽くまで補強であって、ほんとうに地震に大丈夫かどうかはわかりませんと正直におっしゃっていた。けれども、書架が倒れてくるときは、壁が崩れるときだから、そうなったら、建物全体の問題になります、とのことで、安心してよいのか、恐怖を感じたほうが良いのかは、わからなかった。結局は諦めなさいと言われたように感じたのだった。

Photo_20 さらに、運搬の方々には、2年前に千葉学習センターに置いていった積み残し分も運んでいただいて、感謝感謝であった。ひとりではやはり運べないものがどうしてもある。たとえば、大テーブルなど。台車もふたつ駆使しなければ運べないものもある。今回、懸案だったこれらを解決して、すっきりしたしだいだ。

3日目には、再び書架に本を納めていただいたが、仕舞うよりは整理して並べるほうが時間がかかった。この差はどうしてだろう。途中で、荷物が増えたせいだろうか。これまで段ボールのなかで眠っていた書籍群も、今回復活して書架に並ぶことになった。

さいごまで残って、整理を行っていたら、結局9時近くになってしまった。写真で見えるように、まだまだ段ボール2_2は20個ほど、開けられていない段階で、タイムアップになってしまった。引越しは消耗戦であることは、これまでの経験でわかっていたが、それでもこれまで溜めていた要らない物を一掃できるという点では、精神衛生上たいへんよろしい行為であることも確認できた。

Photo_21 さいごにいつも愛用している椅子を机に差し入れて、今日の引越しはひとまず終了とした。幕張のファーストフードの店で、紙コップのコーヒーを飲んで家路に着いた。

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2009/02/16

青山の思い出

Photo_9 妻が、3月に閉館してしまう「青山ユニマット美術館」の招待券をもらってきたので、二人で出かけた。スポンサーは、先日なくなったと新聞で報道されていた不動産会社の社長で、亡くなった途端に閉館とするということも、なんとなく底の浅い事業であった気がする。

けれども、収集品は厳選されたものが多かった。とりわけM.シャガールのものに特色があり、特集されていた。シャガールは、美術の教科書には必ず載っていて、小学・中学・高校では何度となく、わたしたちは見ていて、日本人にとって馴染みの画家だ。たとえば、高倉健主演のやくざ映画でも、親分がシャガール収集の趣味を持っているということを「見せびらかし」効果として使うくらい、日本人の絵画趣味のなかに定着している。もしこれほど皆がシャガールを知っていなければ、映画のなかで洋画収集の趣味を題材として取り上げたときにこれほどの効果を持つことはないと思えるからだ。

キュビズムとフォービズムの影響の多い、1910-30年代はあらためて文脈を追ってみると面白い。今回のなかでも、「酒呑み」「ダブル・ポートレイト」などに見られるような、自己の分裂や、多重人格性などは典型例だ。「あなたはわたしで、わたしはあなた」という状況は、思ったほど、日常では得られないが、絵画では数日で実現されてしまうのだ。

きょうの一枚は、やはり読書論がまだ頭から離れないらしく、書いてしまった読書論をさらに書き直したいと考えていることが、自分でもわかるような一枚となった。1925年作品「本を読む男(ラビ)」。ユダヤ教の聖職者ラビが目をかっと開いて、絵の半分を占める大きな黒い本を広げている。意思の強そうな鼻筋の通った顔立ち、輪郭のはっきりした大きな顎、そして背景にある建物と風景。いずれも、いつものメルヘン的なシャガールとは異なる構図になっている。

Photo_11 青山には、若いときに何回か来ていて、とくに渋谷に住んでいたときには、ちょっとした散歩コースに入っていた。表参道の地下鉄を降りて、紀ノ国屋向かいのビルの地下に、緑の色調のおしゃれな西洋飲み屋があったし、六本木に向かう道の右側に、不思議な雰囲気のレコード店が当時あり、他の店では手に入らない英国トラディショナルやフィドロの音楽のレコードが手に入った。いずれも、今は跡形もない。その昔、妻と出会って、2度目のデートがこの辺だったような気がする。そのとき寄った店もやはりもう無かった。もっとも、変わらない代表選手も「健在」で、青山墓地はモダンなビル群の裏に、いまでもある。

今回、スーパーマーケットの紀ノ国屋ビルも建て変わっていて、ポストモダン風な建物に変わっていた。その向かいの小路を入っていったところは、昔から小さな店が群居をなしていた。個々の店はほとんど変わってしまったが、全体のレトロな雰囲気はかなり残っていたのには救われる思いだ。

Photo_12 この小路に、甲府の喫茶店ロッシュがモデルとした店のひとつがあると聞いていたので、探してみることにする。ところが、二往復して店を確かめたが、その名前の店がどうしても見つからない。そこで3度目には方針を変え、名前や看板で見ていくのではなく、スペースでそれらしきところを見ていった。

2 あった。名刺が1枚貼ってあるだけ。けれども、ひとたびドアを開けてなかに入ると、70年代のにおいがしてきた。喫茶店ブラックホークを思い出して、一番奥の窓のテーブルを占め、今日最後の1杯のブレンドを注文する。居心地が良くて、結局3時間ほど過ごすことになった。木枯らしの舞う道を渋谷まで歩いPhoto_13 ても、20歳代の自分に帰った気分で久しぶりに爽快だった。気分が落ち込むことが続いたけれども、ずっと持続すれば出会えることもあるのだと、気を取り戻すことにする。

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2009/02/15

潜在的な部分

昨日は、発表会の第1日目を終えたあと、海浜幕張のビルのなかにある居酒屋で、懇親会が開かれ、雑談を楽しんだ。

SさんやIさんたちとの雑談のなかで、どういう風の吹き回しなのか、ドン・キホーテの話になった。ドン・キホーテはここでも英雄で、なぜ正気の世界と狂気の世界とがあるのか、なぜ狂気の人のいう言葉にこれほどの説得力があるのか、など学生の方々との議論は尽きることがない。

明けて2日目は、今年度の方針が話しあわれ、学生の方々の自主的な活動が目白押しの状態であることが印象的だった。この2年間は、いわば助走期間であって、今後が本格的なサポーターの真価が問われる時期に入ってくるのだという緊張感ある発表が相次いだ。

考えてみれば、神奈川学習センターには全部で5000人を超える学生が在籍しているのだ。だから、いくらサポーターの方々が活動的であっても、これら潜在的な学生のすべてを代表しているとはいい難い。いずれは眠れる獅子たちが目覚めて、この活動へ積極的・消極的に影響を与えてくるだろうと思われる。そのときのことを想像しながら、今回の発表報告会を終了した。参加なさった18名の学生・卒業生、新旧の学習センター所長をはじめとする教職員6名の諸氏に感謝するしだいである。

数日後には、研究室の引越しが迫ってきているので、本部の研究室の荷物をすこし片付け始めるが、まず気持ちのほうの整理をつけなければならないと思った。一息ついた後、八王子で行われるM先生のお通夜へ出かける。

会場にすこし早めに入ることができたので、M先生の肖像写真を遠目の正面から拝見できるところに座ることができた。式が始まるまでの間、写真を拝見しながら、どのようなことを考えながら、仕事をなさっていたのかを想った。

わたしのように、移動ばかりしている人間にとっては、そこに行けば必ず会えて(そのような雰囲気を持っているということだが)、話を聞いてもらえるような方というのは、たいへん貴重な存在である。もちろん、理想的な定常型という人間などは現実にはこの世に居ないのだが、それでもそのようなイメージを持った方は得難い。

どっかと場所を占めていて、すべての話がそこに集まっていくような存在が、言葉を商売とする世界には必要で、M先生はそのような位置を確実に占めている存在だったと思う。わたしのような浮遊型の人間が増えれば増えるほど必要で、貴重な存在だった。

Yamada 研究の違いも、このような生活態度を反映していたのではないかとも思われるが、ご本人がどのように考えるかは、またあの世へ行ってから議論することにしたい。

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2009/02/14

サポーターの発表報告会

14日から2日間かけて、サポーターの発表報告会が行われた。1年半まえに、特別の予算がついて神奈川学習センターの新しい試みとして発足して、実質的には昨年の1月19日の湘南国際村での総会で大方の参加者を求めることができた。

この昨年の合宿がうまくいったことで、昨年の活動がどんどん進んでいった気がする。最初にこのような合宿をして、サポーター全員の人たちの意見交換のできたことが、その後のコミュニケーションがつながる基礎になったような気がする。

サポーター制がなぜ企画されたのか、ということは、意外に知られていない。学生と放送大学があれば、双方のコミュニケーションはうまく行くだろう、と考えてしまう。ここに間違いが生ずる。とくに、放送大学の場合には、遠隔教育を行っているために、さらに双方の間に距離が生じし易い。この間を埋めるためにさまざまな方法があることは確かだが、もっとも効果的なのは、中間に双方を媒介する人を配置して、つねにコミュニケーション不足を補うことが必要である。つまり、サポーターの組織は、学生と放送大学を結ぶ、第三の組織なのだ。

サポーターというのは名目で、実質的にはサポーターを行うということは、コミュニケーション能力の琢磨ということなのだ。この点では、発表会を見ていると、ずいぶんとこの能力が互いに発達したように思える。それぞれの学習相談、学生調査、ウォーキング、バス研修旅行などの活動自体の成果も目覚ましいが、全体を考えた場合、もっとも素晴らしい成果はこのコミュニケーション能力の発達と、コミュニケーションの人脈などを成立できたことをあげることができるだろう。

質問のなかで、とくに議論になったのは、サポーターという組織のあり方だった。この組織はどう考えても中間的なので、学生の団体と考えてしまえば、サークルの一つとして考えても良いだろう。また、大学の学習センター側からみれば、大学の組織という位置づけでも違いはないだろう。サポーターを独自の組織として形成しておく必要は、いったいどこにあるのだろうか。この点が問題になった。実際、学生団体支援のサポーターメンバーは、新たにできたサークルの協議会とほぼ同じメンバーらしいのだ。

この問題は、たいへん興味深い。学生の方々が、サポートということをどのように考えているのか、ということに依存するだろうし、その問題の本質があるように思えた。神奈川学習センターでは、このようなことも学生側に考えてもらうことができるのだ。問題の面白さもさることながら、サポーターの方々の議論のやり方に成熟した話し方をみたような気がする。多くのサポーターの方々は、すでに自己紹介する必要がないほど、もう何年も活動を共にしてきているという経緯があって、この積み重ねが社会資本として、効いている。

「経験」という他の大学にはない、人的資源を放送大学は使うことができるということに気付いたことが、このサポーター制の最大の成果だったのではないかと、わたしは考えているし、このことにサポーターのひとりとして参加できたことに感謝したい。

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2009/02/12

M先生の訃報に接して

お茶の水女子大学のM先生が11日に亡くなって、複数の異なる系統から訃報のメールが届いた。M先生が生前から多くのかたとの交際を行っていて、いかに親しまれていたかを示している。

わたしが最初に会ったのは、設立以来ずっとお世話になっていた財団法人の家計経済研究所が公開講演会のために市ヶ谷の私学会館で開いたパーティだったような気がする。ちょうどM先生が共立女子大学からお茶大へ移った頃だった。日頃はパーティにはあまり出席しないのだが、この日だけは何人かのかたと会うことができて、印象に残っている。

すでに少ないながらも互いに家計論分野で論文を書いていたので、顔を会わせるのは初めてであっても、だいたいの見当はついていたと思う。それに、彼女のほうはこのような狭い業界では、かなり有名な存在であった。この分野で新しいことをやり、かつ分野全体を導いていかなければならないことが、若くして背負わされていた。

今から顧みると、方向性はずっと決まっていたような感じがするが、当時は五里霧中、互いに手探りで進んでいた。今日までの動きをみればまとまった動きを相当見せていることはわかっても、だからこそ、そこでは方向性を指示するものが求められたのだと思う。彼女の位置はそのようなところだったと思われた。

なかには、ユニークで素晴らしい論文を書く人が他にいなかったわけではないが、彼女に課せられたものはそれ以上であったことは間違いない。多少落ち着いたものでも、方向性を維持することにタイムキーパーとして動かざるを得なかったこともあったと想像される。

どちらからというわけでなく、財団法人家計経済研究所の部屋を借りて、研究会を持とうということで、かなり息の長い研究会を数年間、気の置けない形で続けることができた。1回ごとの会が終わるたびに、議論の楽しみを実感した覚えがある。途中で人の出入りはあったにしても延べで10名ほどが参加した。ここでいろいろのことがわかった気になった。この職業に就いて良かったと思えた瞬間のひとつであることは間違いなかった。

そのうちに、M先生がお茶大の要職につくようになって、時間がままならなくなってきた。研究会もそのころにほぼ終結へ向かったような気がしている。

この研究会で確認していったのは、互いの共通点と相違点だった。共通点は最初からはっきりしていて、旧来の「賢い」家政論や、「合理主義」的な近経の効用論をそのまま家計論に持ち込んだような、この分野のおかしい議論を一掃したいと互いに思っていた。とくに、彼女は中心的な位置にいたので、社会的にも新しい家計論を切り開く要請が強く求められたと考えている。

そのために共通の戦略を暗黙のうちに採っていたように思われる。それは、家計という単位を分離された独立したものと見なさず、社会のなかで、家計外のものとの相互作用で考えてみようということだった。けれども、ここで攻略上の互いの違いが次第に明らかになったと思っている。

どこが違っていたかといえば、詳細は省くとして、彼女は家計の構造、つまり縦に深く進んでいく議論を展開していった。これに対して、わたしのほうは家計のネットワーク、つまり横に広く結びついていく関係を問題にした。けれども、最終的にはこれらは対立するものではなく、統合できると考えていた。たぶん、彼女のほうも、そう考えていたと思われるが、今となっては推測するほかない。

もう一度、研究会をつくって、ここのところに関して議論してみたかった。突然の訃報に接して思うことである。

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2009/02/09

「チェ・ゲバラ」と「連合赤軍」

劇場に入ると、階段状になった席にずらっと客が入っている。この種の硬質な内容の映画にしては、これだけ人が集まるのは珍しい。団塊世代の年配の客が目立つ。そこには、この世代特有のかなり意識的な理由があるのだと思われる。じつは、自分のなかにもそう思えるところがあるのだ。

昨年公開されて、キネマ旬報ベスト5に入った映画「連合赤軍」については、封切りのときに観てはいたのだけれども、どうもいつものようには言葉にならず、わたしのなかで、映画としては言いようのない状況になって困っていた。封切りの映画館では、それこそ立ち見でも溢れてしまうほど、満員だった。それほど、このことは人びとの関心として生き続けていることはたしかだ。それにもかかわらず、まだわたしたちの世代のなかで判然としないことが多く残されているから、言葉にならないのだと思っていた。

今回映画「チェ」が公開されて、ちょっとだけだが、「判然としない」部分がわかった気がした。それは、「連合赤軍」と「ゲバラの革命」とどこが異なるのか、という見方ができることに気付いたからだ。

もちろん、実際のところはどうであったのかはわからない。映画で描かれるものと、現実とは異なる。けれども、そこで底流として支配していたものが何であったかを知ることは、大切な視点であると思われる。

両方ともに、武装闘争ということを掲げて、人民の自由獲得を目指した点では、共通点を持っている。ところが、片や人民の解放どころか、自分たちの自由も失う結果を招来した。片や人民を解放し、自分もその国から自由になった。この違いは、なにに原因があるのだろうか。

印象から求めるならば、まず「暗さと明るさ」、それは開放性(オープンさ)ということだと思われる。ここが違うと思う。脱退したいと申し出ることに対して、閉鎖的か開放的かという点は決定的だ。イヤなことをやっても成功しないという真摯なニヒリズムが必要なのだ。ここで強制したら、お仕舞いだが、現実はかならずしもすべて自発的に活動が行われるわけではないので、この点を強調すると、ゲバラの革命はやはり特殊例だということになってしまうだろう。けれども、なぜ自由に活き活きとした革命ができるのか、という視点は重要だ。

つぎに、無名性ということだ。名誉を求めたり金品を求めたりする動機で、集団を形成すると結局は、権力闘争に陥る。ここにも、かなり難しいものがある。ゲバラがキューバではまず無名兵士として異国のゲリラ戦に臨むことになったこと、キューバ革命が成功した途端キューバを離れたことなど、ゲバラの自ら進んでの選択には、この特性が色濃く残る。

最後に、もっとも現代的な視点を持っていると思われたのは、偶然の産物かもしれないが、「後方支援(logistics)」ということだ。このことは革命に限らず、活動すべてに共通する興味深い視点だと思った。どのような戦争や革命でも、後方支援が乏しい闘いは最終的には敗北するのだ。ゲバラが何回か、カストロに疎んじられる。そのときにつねに、後方支援にまわされて、このことの有効性を悟っていくのだ。

革命では、フロントがすべてを支配するということは、現実には真実だとしても、フロントだけでは何も動かないということも同じく真実なのだ。

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2009/02/06

魚市場について、その2

3 第1市場見学の成果が上がったので、その日の講義も進んだ。今日は、最後の日になってしまったので、朝の4時には目が覚めてしまって、せっかくだからというので、ホテルからはかなり離れている、半島の東端に位置している第3市場まで出かける。

3_5 この市場は、魚市場を超えている。水族館が店を開いているような雰囲気だ。魚屋へ行くと、鯛や平目が並んでいて、多様な魚が並んでいるように見えるのだが、ちょっと考えればわかることだが、魚屋の店先より、もっと多種類の魚が市場には水揚げされているのだ。

3_3 ひとつひとつ見ていくと、日が暮れてしまう。それを数時間で取引を済ませるのだ。市場というものの威力は、市場主義者がいう以上に、ここの現場では強力だ。それは毎日の積み重ねのなかで、習慣として行われているからに相違ない。

みんな顔見知りのくせして、知らぬ顔で次から次へ取引を成立させていく。それが市場の醍醐味だ。

Photo_11 それにしても、これはヒラメなのか、カレイなのか。魚類辞典を持ってくれば良かったな。ふぐはすぐわPhoto_12 かったのだが、ものの本では、ふぐ市場は下関に集中していると聞いていたから、こんなにたくさんのふぐの水揚げがこの銚子で行われているとは想像できなかった。街を歩いても、銚子のふぐなんてまったく売られPhoto_13 ていなかったし、ふぐ料理の店も無かった。考えてみれば、先日行った生簀の店でも、ふぐの生簀があるわけは無いのだが。

Photo_14 すずきや鯛が考えていたより少なかった。すらとした体型の魚は、見た目にも綺麗で、紳士然としている。だが、たぶん筋肉質の硬い肉ではないのだろうか。荒波の太平洋をこの硬質の鱗で覆われた身体で、しゅっしゅっと泳いでいたのだろう。

Photo_15 かにやアナゴ、うなぎなど桶ごとに、固められていて、こんなに多種類の小さなロットの商売を市場で行われているとは思わなかった。さらに、圧巻はあんこうだった。それもたった1尾で存在感があった。これだけの多種類の魚がそろえば、やはりそれ相応の仲買人の数が必要だろう。こちらのほうも、その数の多いこと夥しい。

Photo_16 講義が始まる時間が迫ってきてしまったので、早々に退散して、なにか見逃したものがないか、もう一度振り返った。銚子港のはるかかなたの太平洋が迫ってくるのが見えた。これを書いている最中に、港の潮の香が漂ってきていた。ふたたび訪れることは無いかもしれないが、この香りだけは覚えておきたいと思った。

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2009/02/05

魚市場について、その1

魚市場について、今年は調べて、積極的に授業に取り入れている。放送の講義へかけるにはまだまだ時間がかかりそうだが、スクーリングのほうではかなり面白くなってきている。

この20年のあいだに、日本人の魚をめぐる生活がかなり変わってきているのだが、それはなぜなのか、たいへん興味があるところだ。

たとえば、魚の生産量はこの20年間に半減している。その影響はわたしたちの食生活にかなりでている。講義のなかで、魚を食する頻度を聞くと、若い学生たちほど魚を食べていないことがわかる。クラスによっては、週に1回も食べない学生が多くを占めるに至っている。食生活の変化がかなり進んでいるのだ。

Market せっかく銚子に来ているのに、これまで魚市場を見学したこともない、ということは不自然であった。思い立ったときに行わないと、あとで悔やむことになる。

銚子には、第1市場から第3市場まであるが、タクシーで駆けつけると、第1市場ではちょうどマグロの水揚げの最中だった。毎日、マグロ船が入るわけではないので、ラッキーだった。この船は、白くかなり新しい船だったが、美しいフォルムを海に写していた。Photo馬が出走を終えたように、水で船員たちが清掃して、はやくも岸から離れようとするところだった。

ちょっと「南」にいったところで、これだけのマグロを取ってきたのだそうだ。このちょっとというのが、鹿児島県あたりなのか、それともフイリピンあたりなのか。自動車に乗らないわたしが、ちょっとそこに、と言われて、歩きつかれたことがあるように、おそらく数千キロを超えるであろう、ちょっとそこの遠洋のことを実感することには無理があろう。

Photo_2 千尾以上のマグロが並ぶと、海を知らないわたしにとっては、壮観と言うしかない。銚子のホテルには、壁画くらいの大きな玄人はだしの高校生が描いた魚市場の絵がかかっていて、そこには数百尾のマグロが描かれているのだが、このような豊漁はめったにないのだと思い込んでいた。

だから、たった1隻で、こんなに大量のマグロPhoto_3が水揚げされていることなど想像もできなかった。学生たちに写真を見せても、自分たち が住んでいる街で、このような光景が展開されていることは、ほとんどの人が知らなかった。日常は、日常を超えて存在するのだ。

9割は鬢長マグロで、美味しいものを紹介することに長けている「魯山人」であっても、このマグロは別で、三流どこの刺身にしかならPhoto_10ず、仕方ないので、米国のツナになるとされている。こうみていると、程よい流線型をしていて、ふつうのマグロよりよっぽど身が引き 締まっていて、見ている分にはたいへん美しいのだが、見た目に美しいものが美味しいとは限らないというのは、陸で取れる野菜と同じだ。

市場では、値段の高いものから低いものに向かって並べられるそうだ。手前のマグロは、よく見ると、穴が開いていたり、傷がついていたりする。事務Photo_5所に近いものほど、引き締まったものなのだそうだ。そして、鬢長マグロ以外のマグロが並べられている。

入札は、経済を学んでいるものにとっては、やはり興味深い出来事だ。仲買人たちはみな免許をもっていて、それぞれ会社の名前入りの入札表に、マグロの番号と価格を書いて、事務所の入札表入れへ投げ込んでいく。あとで集計して、放送で結果が知らされていく。

Photo_6もちろん、入札は緊張するが、そのあとの結果をしっかりメモして、今後の市況に備えることも重要な仕事なのだ。手鍵を駆使して、マグロの本体の内蔵を取り出した切れ目やひれをみたり、尻尾の丸く切り取られたものをひょいっと引っ掛けてみたりする仕草は、かれらにとっては自然な仕草なのだが、わたしたちにとっては崇高な業に見える。

Photo_7数十分ですべての取引が終了する。今日は安いもので、20キロほどのものが1万2千円、もっとも高いもので、80キロほどのものが、30万円ほどだった。同じ魚なのに、この差がどこに由来するものなのか。

仲買人たちは地元の人が多かったが、それをPhoto_8取り巻く人々として、運搬人たちがいる。さらに、黒いスーツに身を包んだ商社の人らしい一群も遠目に取引を眺めていた。卸業者なのか、スーパーマーケットの買い付け人なのか。

わたしたちの食卓や、寿司屋のカウンターに乗るころには、Photo_9これらのマグロの値段は3倍~5倍になって、違う顔をみせることだろう。ごろんと船を出てきた生き物は、最後は食生活の蛋白源として、美食の対象として、この港街から大都市へ向かっていくのだ。

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2009/02/04

最後の銚子グルメ

今回の連続集中講義で、4年間にわたるC大学での講師役も終了することになった。この大学が新設されて年次進行の4年間は、文部科学省に届けた科目が継続講義されなければならなかったのだ。

最後の銚子であるから、ご苦労様という気分である。そこで、これまで来て、美味しかったところ、まだ行ってなかったところ、この際まとめて毎日食べ歩こうということになった。

第1日目は、景色の良い「一山いけす」。もちろん、大広間には生簀があって、新鮮な魚が群がっていたのだが、窓のそとは太平洋で、自然の生簀というのも変だが、こちらのほうが見応えがある。ここは、放送大学の本部近くにある、いつもお世話になっているKビジネスの親戚筋に当たるらしい。そこで、銚子に滞在するならば、一度は行ってみたいといつも思っていて、これまで果たすことができずにいた。

まず、お造りを注文したが、新鮮さが格別である。銚子の市街からはすこし離れていたのでタクシーを使ったのだが、運転手が言うには、新鮮な魚というのは、「角が立っているんだよ」、なのだそうだ。その表現がぴったりの刺身だった。

こんなに広い部屋を満員にするほど、観光の季節には人が押し寄せるのであろう。けれども、きょうはほぼ貸し切り状態であって、ゆったりと味を楽しむことができた。

二日目は、銚子に来て、ポワレに目覚めたというフランス料理店「サバラン」を訪れた。以前にも食べたことがある、肉厚の「真鯛ポワレ」を注文した。銚子に来た初めのころは、ご主人が一人で切り盛りしていた。たぶん子どもがすこし大きくなって、奥さんが給仕をするようになり、料理に専念するようになったと思われる。夫婦でやっている田舎の小さな料理店という雰囲気を満喫して、最後のデザートの甘いタルトを味わって帰る。これだけ美味しく栄養をとれば、最後の講義にも力が入るというものだ。

さて、三日目は、心理学や臨床心理の先生方と思い出のある、明治期創業の鮨「大久保」。もちろん、にぎりは美味しいのだが、銚子名物の「伊達巻鮨」なるものをメニューで知ることになり、注文することにする。

見て楽しみ、味わって楽しみ、伊達巻の華やかさとでもいうべきものを楽しんだ。海沿いに伊達藩から、伝わったものだろうか。東京で食べる伊達巻は、ざらざらした食感だが、ここの伊達巻は滑らかで艶やか、かつ大きな感じだ。写真に撮ってこなかったのだが、皿への盛り付けも素晴らしい。上に乗っているのでもなく、間に挟まれているわけでもない。添えられているのだ。それは、鮨の概念を逸脱していると思われるのだが、これでも鮨というところに意味があると思われる。

最後に、東京へ何を持って帰ろうか、と考えたのだが、やはり銚子の魚と醤油で作られた、かつおの佃煮にすることに決めた。これにて、銚子の食べ尽くしも大団円を迎えることになった。

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2009/02/03

言葉だけの結びつきとは(読書論)

K先生が現れたのは、言葉と一緒だった。読書について講義する、と聞いて、思わずわたしも最近読書論もどきを書きました、と言ってしまった。

まず、ショウペンハウエルの「読書とは、他人にものを考えてもらうことだ」という有名な言葉から始まって、読書とは文字を読むことに止まらず、認識方法そのものだ、というところまで意見が一致した。こんなことは、滅多に無い。

多くのひとは感じているものの、言葉に出して共感を得たことは初めてだった。そこで講義に使うプリントをみんないただいた。魅力的で読みでのある箇所が満載だった。

たとえば、ドン・キホーテは最後に正気に帰って死んでいくことは有名だが、それじゃ、なぜ狂気に走ったのか、という件は久しぶりに思い出さされてしまった。つまり、読書は人格を二重にする、という逸話が当てはまるのであって、まさにドン・キホーテ以降の現代というのは、二重人格者の世界になったのだと思う。

それから、芥川龍之介のプリントも面白かったな。当分は、「オオル・ライト All right オオル・ライト」「何が一体オオル・ライトなのであろう?」という言葉が耳から離れないだろう。とりあえず、レエン・コオトのことが頭から離れられなくなって、自殺してしまうことだけには注意することにしよう。

そして、究めつけはハムレットのセリフ、何を読んでるんだいと聞かれて、「Words, Words, Words.」と答えるのだ。あえて、言葉だけなんだよ、というからには、やはり他の世界が存在するからなんだよな。徹底して、言葉だけの関係、つまりはもうひとつ、言葉だけではない関係の世界がそこに写されてあるのだ。これだけ読み込まれると、もう参ったというほかない。

K先生と別れて、今日から4日間22時間に及ぶ、言葉だけ言葉だけ言葉だけの講義へと向かった。

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2009/02/02

夜の高速バス

このまま走れば、地が果てる
このまま行けば、海を突き抜ける
途中寄り道があるとしても、そのまま道をたどって行こう
屏風のように崖が切り立ち、行方を遮ろうとも

夜の東京駅はいままでにない賑わいを見せていて
高速バスが地の果てまで通じているとは誰も気付いていない

夜の高速バスは人声に満ち溢れていて
こんな人里はなれた土地を目指しているとは誰も思わない

オアシスのように、闇の中に浮かび来る
コンビニには光が充満していて
かえって、人気の無さを描き出している

かつて、グレイハウンドがカウボーイたちを都市に運んで
ナイトホークに孤独なシルエットを描かせたのと反対に
いまでは、地の果てへ目的なしに向かわせる
ポストモダンの折れ線グラフが錯綜している

夜の高速バスは、今では企業戦士たちを女性化させ
化粧を窓に向かって行わせ、毛羽立った髪の毛を手で透かせて運んでいる

誰がコンビニを利用するのだろうか
キツネやタヌキはとうに追い払われ
江戸のやくざたちも今も田んぼを駆け巡り
現代での出番は回ってこない

外国から来た踊り子たちは、つかの間の休日を東京で過ごし
地の果てへ帰っていく
疲れた顔して、荷物を落とし
内の心に鍵をかけて、バスを降りていく

銛をもった漁師たちが、地の果てでどこが悪いのか、と問うている
風車がエコに貢献する時代になっていても
ドン・キホーテはそれでも風車に向かっている

明日もまた屏風へ向かって風が吹くだろう
地の果てへ向かって、それでも高速バスは走っていくだろう
海の底から地響きたてて、波が押し寄せ
風が吹いてきても、このまま走っていくだろう

                              銚子にて

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2009/01/20

岡山出張

昨日はそのまま、岡山出張に出かけた。K大学から新横浜までは、たいへん近い。そのまま新幹線に乗って、3時間半で岡山へ着いてしまう。

日が変わって今日は、午後の面接審査までのあいだ、来年度の講義準備で、いくつかの取材・資料収集を計画していた。けれども、そこへいくまでに、いつものように岡山では、喫茶店のリサーチが欠かせない。

前回6月に訪れたときにも、この岡山ではとても良い喫茶店のネットワークが発達していることがわかったが、もうすこし見て回る必要があると思っていた。

Photo 今回は自家焙煎ということにねらいを定めて、店を回ることにした。岡山では、自家焙煎を看板に掲げる喫茶店がたいへん多い。それは、関東のキイコーヒーや関西のUCCなどの大手の焙煎業者がほとんど進出してきていないからだろうと推測できる。また、岡山の人のコーヒー趣味が、スターバックスやタリーズなどの文化をまだすこししかうけいれていないからだろう。(それでも、駅を中心にして少なからず進出してきている。)

まず、岩田町の「後藤珈琲」を訪れた。輸入生豆用の麻袋が見えて、豆専門店の様子がわかった。客こそ少ないけれども、もっと人のくるところに店を開くならば、関東圏の「珈琲問屋」のような店になる可能性があると思われる。もしかしたら、こちらのほうが歴史は古いのかもしれないが。それから、柳川の「下山珈琲」も豆専門店だ。

Photo_11 ゆったりした流れの旭川の手前にある、前回も入った「コーヒー亭」で、魅惑珈琲(たぶん、コロンビア系)とトーストをいただき、ようやく朝食にありついた。ここまで、宿舎から早足で30分くらいかかっており、朝の散歩としてはちょうど良いくらいだ。このころには、観光客たちも後楽園方面を目指して、喫茶店前を通り過ぎていくのが見える。

Photo_4わたしの座っていた席がちょうどテラスのようになっていて、ガラス窓に観光地図が張ってあったため、若い観光客が地図を見ながら、こちらをのぞきこんで来て、もう休んでいるのか、という顔をこちらに向け、コケティッシュな笑いを見せていた。

散歩コースのついでに、前回も寄った「夢二郷土美術館」に入る。ここで今日の絵一枚として、「林檎」をあげたい。美人画の系統にある、夢二の一連の作品のひとつなのだが、林檎を描きいれることで、大正期の澄ましたモダン気分ではなく、あったかな生活を感じさせる作品になっている。そこが、他の美人画と異なっていて好ましい。

商業主義的に量産するなかで、筆が荒れるくらい、描いているなかでも、全体のバランスがたいへん良い。

おそらく、林檎畑で、編んだかごを片手にした、このような服装の女性がいることはまずないだろう。これは虚構であることが一目瞭然であるのだが、それでもいかにも現実にありそうだと思わせる構図をとっており、いつの間にか、隣に来て林檎を勧めてくれそうな女性が描かれている。

この絵は、都市化が進んで、日本の農家にある、儚いものが失われつつある日本で、そこに立つ女性の在り様を、あらわしている。なぜこれほど、夢二が大衆の支持を受けたのかといえば、大正時代に入って、絵というものが一般庶民の中に浸透し始め、日本人、とりわけ変わりいく女性の心を掴んだからに相違ないものと思われる。

Photo_5そのことは、働き始めた婦人層を描いた「婦人グラフ」の表紙絵にも言えることだろう。断髪のモダンガールにも、繊細な日本人的な特質が残っていることを、うまく描いていると思う。このことが、女性層の共感を呼んだ理由だと思われる。

Photo_6後楽園を迂回して、観光客のコースからはずれ、岡山城も横をすり抜け、月見橋の欄干から、近代と中世の織り成す、余裕在る風景を楽しみつつ、県立図書館へ入る。

相変わらず、この図書館は混んでいる。けれども、ほとんど開架式で、統計も大型図説も表に出ているので、行列をして並ぶという、他の図書館では恒例の景色は、ここでは見られない。

Photo昼食は、近くのパスタ屋さんを目指したが、12時からだとなっていて、以前もそうだったのだが、またもや、Aへ入ることになる。豆のスープとサラダ、ツナトマトのスパゲッティ、そしてデザートのアイスクリーム。美味しかった。

Photo_2 岡山大学へ行く間に、喫茶店に入ろうと考えていた。この近くにも、「街」とか、「小野珈琲」とか入ってみたいような喫茶店がたくさんあるが、やはり半年前に閉Photo_4店してしまった「カフェ・カーネス」の系統を継いでいるらしい 「Favonius」で、自家焙煎の珈琲を飲んでみたかった。けれども、残念ながら、定休日に当たっていた。

それで、結局は前回と同じパターンになってしまったが、珍しい珈琲に出会えたから、紆余曲折も、OKということにしよう。

Photo_5喫茶店「エスプリ」は、ちょっと間違えば、キッチュになりかねないが、グリーンの寂びを前面に出した店構えだ。店内がすべて喫煙という、今では珍しくなってしまったつくりになっている。ケーキが美味しいので、たばこを吸う女性客によく利用されている。

Photo_9  この店の豆は、珈琲輸入商社として有名な「ワタル」から豆を仕入れているらしい。学生時代に横浜へ出てきて、珈琲がほんとうに美味しかった。そのときの卸業者がたぶんこの「ワタル」だったと思われる。いずれ、輸入の現場を取材したいと考えていた。このようなところで、商社から店への流通についての情報が得られるのはありがたい。

Photo_10 なぜか、今日は歩いても歩いても、もっと歩きたい気分だ。結局、駅からスタジアムのある公園を通って、岡山大学へ入る。途中、腹が痛くなるが、ちょっと歩きすぎたせいなのかもしれない。

これで、出張の第一目的である面接審査にようやく到達した。岡山大学のH先生に、Sさんの卒業研究を1年間見ていただいたのだ。Sさんは大病を患ったにもかかわらず、論文を最後まで成し遂げた。放送大学の学生は、日々、仕事を持ちながら勉強するだけではなく、病気や事故などとも闘いながら、論文を書いているのだ。すこしぐらい、体調が悪くても、審査に来るだけの理由がある。

終了後、H先生が珈琲をご馳走してくださるというのでついていくと、街一番のホテルでポット・コーヒーを振舞ってくださった。これだけ飲んだので、帰りの新幹線では、さすがにコーヒーを飲まなかった。お土産は黍団子と大手まんじゅうだった。

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2009/01/19

今年度の最終講義

K大学の講義も今年度の最終回を迎えた。今回の講義では、すこし新しい試みを行った。と言っても、ちょっとトピックスの幅を広げ、新しい方法を試したに過ぎないのだが。

それで、学生たちが、全体としてこちらの意図をわかってくれたかどうかが、気になっていた。新しい題材・分野を講義する場合には、やはりいつもと異なる伝え方になるので、ほんとうに理解されたかどうか反応が気になる。前のほうに座っている学生は、これだけ一緒に時間を過ごすと、お付き合いだと思って、すこしは素振りを見せて、調子の良いときには頷いたり、しゃべりの乗らないときには無視したりして反応を返してくれる。

そして最終的には、試験で理解の程度はわかるのだが、その前にやっておくこともいくつかある。これまでの講義では、怠っていてあまり行わなかったことだが、今回は全体の復習とまとめをきっちりと行った。自分でまとめを行ってみると、自画自賛になってしまうが、途中で感じていたよりははるかにまとまっていることがわかって、むしろ自分にとって有益であったし、かつそれで嬉しくなった。

たぶん、それは、自分でもそのときには気付かなかった伏線がいくつかあることに、まとめを行ってみて初めて気付いたからだろう。もっとも、このまとめが学生にとっても有益であったかどうかは、来週の試験の蓋を開けてみないとわからないのだが。けれども、いつもよりはずっと、力が入っていることだけは感じてもらえたかな。

その意味でも、いまごろ試験勉強をして備えているだろうから、ぜひ良い文章を仕上げていただきたいと願うしだいである。

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2009/01/11

「1930年代・東京」展

二日間連続して、松本竣介の絵画に出会うことになった。

明日で終了してしまうというので、学習センターでの仕事を早目に終わらせて、目黒の庭園美術館で開催されている「1930年代・東京」展へ行ってきた。多くは、昭和初期の1920年から1930年代にかけての絵画、建築、写真などだが、その中に松本竣介の1939年制作「建物と人」が来ていた。

この絵には、いぜん岩手県立美術館でお目にかかっているから、二度目になるのだが、昨日の今日だからびっくりした。昨日の「街」に連なるもので、建物群や人物群が重なるうえに、青い色調の透明な膜が張られ、これらが現実の世界と似て非なるもうひとつの世界を描いていることを明示している。

だから、どうしても少しずらした違う世界を描いているように見えてしまうので、気がつかなかったことがあるのだ。たとえば、昨日のものは、換喩的に横に広がっていくような、多視点的な描き方をしていた。けれども、どうもこちらの絵は、同じ描法を使っているので、一見すると同じ効果を狙っているかのように思ってしまうのだ。

けれども、「建物と人」では、建物も人も、縦に並んでいる。昨日の横に並べてあるものと微妙に構図が異なっている。縦に並べることによって、隠喩的表現を強調していて、建物もどっしりとした建築物から徐々に手前に来るにしたがって、動的な乗り物へ視点がずれてきている。人びとも、表情の見えない不特定多数のなかから、次第に顔が見えるようになり、最後は妻の肩に手をかけようとする、おそらく自分が描かれている。抽象物から具体物への変遷が見事である。

他にも、杉浦非水のポスターや、山名文夫のカフェバー図案集など、コメントすべきものがたくさんあったが、またの機会にしよう。

庭園美術館の入場料割引のドレスコードは、今回帽子であった。先ほどの「建物と人」でも、1930年代の特徴をあらわす帽子が描かれていた。宵闇迫るアールデコの庭園美術館の建物に、夜間照明の帽子がぼんやりと輝いて、わたしたちを1930年代へ誘っていた。

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2009/01/10

街の豊かさは何に表れるか

昨日から、卒論の審査のために、群馬にある放送大学の学習センターへ来ていた。群馬大学のKo先生にTさんの論文指導をお願いしていて、その成果が出たのだ。ここが放送大学の柔軟なところで良い点だと思われるのだが、日本各地の大学の先生方に協力いただいて、卒業論文作成指導をお願いするシステムがある。

審査が終わった後、同僚のKa先生とY先生が、こちらの学習センターに詰めていて、積もる話で盛り上がった。群馬学習センターは放送大学設立当時、地域センターのモデル校として、とくにデザインに気を配って建設が行われた経緯がある。4半世紀が経って現在改装工事中なのだ。全てが新しくなったようで、ほぼ新築に近いほどに、生まれ変わった。話に夢中で、センターの閉所時間をすっかり過ぎてしまっていたのも忘れるほどだった。夜になって、雨が激しくなってきた。

明けて今日は、雨も上がり、快晴。朝早く目が覚めてしまったので、持参してきた論文を一本読む。思わぬ分野の論文を読んでいて、思わぬ議論が発達していることを偶然知ることがときどきあり、異なる分野の論文をこのような旅行中に時々読むことにしている。夜中の宿屋、夜行列車の中などで読んだ論文がとくに印象に残る場合がある。今日の一本もたぶんそのような論文になるに違いない。

群馬の桐生には、わたしの研究分野に関係する題材が多数存在する。ときどき何を取材するのかわからなくなるほど、現実というものの多様さにいつも驚かされるのには困ったものだ。昨日、Ka先生が桐生の情報をたくさん提供してくださったので、それを片手に、前橋から桐生へ向かう。快晴は良いのだけれども、やはり上州のからっ風は相当なものだ。

Ookawa_2桐生に着いて、上毛電鉄の西桐生を過ぎ、急な坂道を登りきると「大川美術館」の玄関に着く。先日亡くなった大川栄二氏が設立した個人美術館なのだが、早くから集めていて、個人収集家としては名高い。それぞれ名作を集めている中で、「松本竣介」の収蔵品が多いことで知られている。

なかでも、彼の代表作「Y市の橋」の系譜に連なる「運河風景」や、「都会」「序説」などの青の系譜に属する「街」などがあり、さらに人物像として「婦人の像」や「自画像」が展示されている。

今日の一枚は、「街」を取り上げたい。ここには、松本竣介の現代的な世界観が表現されていると思われる。「街」には、時計台の建物を囲んだ「公共街」があり、派手な屋根に象徴される「ショッピング街」と小さな煙突が林立する「工場街」がうっすらと白く浮かびあがっていて、人びとはそれらの間から浸みだして来ている。

このなかでは、テーブルを囲んで食事をする人びとだけが、その位置が微妙だが、それぞれの街は、全体を包む青で分断されている。薄く塗られた青がその時代を表しているのだろうか。

けれども、分断された街々は、一枚の絵のなかに描きこまれた限りで、どうしようもなく有機的な連関を保たねばならなくなっており、さらに人間たちがこれらを結びつけている。だから、全体は青く沈んでいても、動的な社会的美しさを保っている。どう見ても、松本竣介には、間接的にではあるが社会科学的な視点が存在するけれども、それが直接的に第二次大戦の表現へ向かわなかったことで、かえって異彩を放っている。

Sinnju_2 絶筆となった絵は、3枚存在することを知った。以前、松本市の美術館で見たものと並んで、もう一枚の絵「建物」が展示されていた。

大川美術館からふもとへ降りていく途中の家々は、皆ゆったりと佇んでいて、桐生という街の物質的蓄積と、歴史的な豊かさを強く感じさせられる。本町三丁目の交差点近くに「新樹」というアンティーク喫茶店があって、からっ風に曝されてすっかり冷え切った身体を温めようと、メニューにあった「お雑煮」を昼食にする。鳥の出汁に、ほうれん草と鳴門巻きというシンプルで薄味の椀であった。

店に入って感じたのは、上州らしさというのだろうか。ふつうの地域で喫茶店に入り浸る常連客というのは、男性客なのだが、ここは全部女性客だった。さらに、経営者も従業員も女性だった。入れ替わり立ち代り、裏の駐車場から駆け込んでくる人びともすべて女性で、この街では男性はどこにいるのだろうか。もっとも、ここは甘味のおしるこなどを豊富にそろえているので、それで年配の女性客を集めているのかもしれない。

Souko_3  それ以外にも、外装は写真のとおりだが、内装もこっていて、一枚板のテーブルが素敵だったし、ウインドウに並んだ土偶たちも素朴な笑いを見せていた。これで帰路についても十分という気がしたが、まだ1時を回ったところだったので、とりあえずKa先生ご推薦の蔵群や群馬大学工学部を目指し、歩き始める。

Souko2 まず、寄ったのは、蔵や倉庫が保存されている「有鄰館」、孔子の「徳孤ならず必ず鄰あり」からとられたらしい。社訓として使われていたらしいが、当時の商人は教養があったということだ。途中、以前卒業生のKoさんから教わった、絹の買継商「書上家」の家のあとも見る。ここは坂口安吾の終焉の地としても有名だ。文書が大量に残されていて、東大のそうそうたる人びとの論文と、一般向けの解説の載っている報告書が書店で売られていた。

Dousou3_2 すぐ帰ってしまわなかったことがほんとうに良かったと思えたのは、群馬大学工学部同窓記念館で、1916年竣工の木造の講堂見たときだ。写真でわかるように、奥行きが広いばかりか、空間として包み込むような親しさがあり、思わず演壇に駆け上がって、声を張り上げてみたい衝動に駆られる空間だった。

Koudou1_3  一度でいいから、ここでしゃべってみたいと人に思わせるようなホールだ。なぜそう思うのかといえば、近代にできた、きちきちでべたーとした客席とは違って、それぞれすべての席の人Koudou3_2 の顔が見えるような距離感で収まっているホールだからだ。もし2階、3階席から質問を受けてKoudou2_3も、十分やり取りできそうな、ということは、対話のできる講堂になっているということだ。

駅までの帰り道は、1本道を変えて、ノコギリ屋根の工場跡がまだ残っているところをカメラに収めながら、当時の織物工や紡績工たちのことに思いをはせた。石積みの工場の壁には、何人の会話が染み込んでいるのだろうか。また、どれだけの商品が生産されたのだろうか。

Kabe3_2 Kabe2 現在では、その工場跡にパン屋さんが入ったり、レストランに変わったり工房になったり、変容を遂げている。たとえば想像するに、町並みが区画ごとに整然と並んでいて、もしかすると、これらはもうすこし大きな工場群の規格に合わせて、町並みが作られていたことを意味しているのかもしれないのだ。これらの痕跡には、すこしの豊かさと、すこしの残酷さが刻印されている。Kojo2_3

  からっ風が夕闇を急速に運んできた。帰りの電車は、高崎へ出て、横浜直通電車に乗る。O先生ご推奨の、普通車のグリーン席を試した。Ticket_2


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2009/01/03

今年の初仕事

Photo_12 新春恒例となりつつある、修士論文の読み込みのために、幕張の放送大学へ行く。ことしは、快晴続きで、雲の少ない正月三ヶ日となった。左の写真の右端に、ほんのちょっとだけ、放送大学のアンテナの先っぽがみえるはずだ。

公園の道も、すっかり冬支度の木々で覆われ、常緑樹の緑が濃さを増している。いつもは、年末の31日か、正月5,6日に行うのであるが、ことしはこれからも詰まっているので、3日に行うことになった。さすがに、放送大学には人影は見えない。守衛さんだけが詰めていた。けれども、すでにメールだけはびんびんと入ってきていて、H先生はすでに仕事体制に入ったようだ。

Photo_13 研究室からは、遠く幕張のビル群が見える。窓の前のテーブル席について、さっそく読み始める。ことしは事情があって、副査分を含めて全部で10名を超える数になった。多い方で600枚ほどを書いてくるので、全部に眼を通すとなると、かなり時間がかかる。

Photo_14このようなときには、大テーブル一杯に論文群を広げて、もちろんコーヒーを飲みながら、ゆったりと一日かけて読み込みたいものだ。かなりの力作のものから、ちょっと問題のあるものまで、比較する間に、論文たちの達成の程度がわかってくる。

このテーマならば、このポイントについて、どのように述べることができるかと予想しながら読んだり、この展開をしていくと、どこまで論ずることができるか、と限界を見定めたりしながら、進めていく。一番楽しいのは、もし自分自身でこのテーマを書くとしたら、どのようにしようか、と想像することだ。

どうしても頭から離れないので、比喩もワインがらみになってしまうが、やはり論文にも「栽培」と「醸成」とがあるように思われる。どのようなテーマで、どのような作業をすれば、どのような果実になるのか、というのは、「栽培」であり、論文でも必要最小限、自然に任せて、これを育成することが重要だ。

これに対して、「醸成」については、あまり早くでも駄目で、あまり遅くても駄目だ。ちょうど良い期間、寝かせておいて整理検討を十分し、校正に時間をかけないと良い論文にはならない。

Photo_15 と、えらそうなことを言うけれども、他の人の論文は悪いところがすぐわかるのだが、自分の論文となると、それがすぐにはわからないのはどうしてだろうか。

一日はあっという間に過ぎて行き、窓から夜景が見えてくる。今日、一日のコーヒーは、昨日の大和橋のコーヒー屋から購入したブラジル・サントス。すこし薄めに入れて飲み続ける。

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2009/01/02

思いがけないこと

Photo 街を歩けば、世相がわかる。林をさまようような経済と、その上に突き抜けるような社会の青さがある。

これだけの円高で、思いもかけない儲けを出しているのは、輸入業者だ。けれども、みんな慎重になって、いつ反転するかわからないので、収益を抱え込んで黙っている。

とりあえず挙げるならば、ワイン業者だ。大手の会社は在庫を抱えてしまっていて、なかなか値下げに踏み切らないが、中小の業者はここぞとばかりに輸入に精を出している。

新春福袋で、「Romanée-conti」が千葉そごうに出ていた。ちょうど勝沼ワインがそごうにあると聞いて訪れてみようとしたが、さすがに本物はセラーに仕舞ってあるらしく、売り場には写真だけが掲げられていた。

Photo_2 発想が貧困で、金銭文化極まれり、というところだが、売り場自体が円高での、海外での成金趣味をそのまま棚に持ち込んでいるようだった。もちろん、ワインは飲料であるばかりでなく、国際的には一種の財産で、資産運用の対象となっているし、「見せびらかし消費」のターゲットなのだから、成金趣味丸出しでかまわないのだが、円高が文化を主導しているようで、なんとなくメカニカルな感じがして、嫌な気分だった。案の定、勝沼ワインどころか、国産ワインはほとんど棚からは除かれて、跡形もなかったのも、世の趨勢としか言い様がない。

以前書いたように、年末に勝沼で、このような国際標準的なワインマーケットではなく、国産の地元のワインメーカーをめぐっておいて良かったと思う。人々が示す「テイスト」というものが金銭文化だけではなく、地域性にも根ざしていることを、これからもどのくらい言うことができるのだろうか。今後さらに円高が進んで、輸入シャルドネが甲州種国産ワインを駆逐しはじめないことを願うのみである。

Photo_3 さて、もうひとつ円高で注目しているのが、やっぱり「コーヒー」である。こちらも大手の動きは鈍いが、中小の業者の攻勢は鮮やかだ。コーヒーには、国産がないだけに、円高はメカニカルに美味しさに直結している。

千葉県庁近くの大和橋にあるコーヒー業者から、ブラジルの美味しいのが入ったという宣伝ハガキが送られてきたので、検見川神社への初詣に出たついでに、境内でいただいた甘酒を覚まそうと、散歩がてら出かけてみる。店の入り口には、樽で作られたPhoto_17 福袋がバーンと置いてあって、缶詰の福袋には、ブルマンNO1も入っているという触れ込みだ。

Photo_18

新春の1杯は、わざわざ飲みに来る価値のある、この店のブレンドから始まった。購入したのは、ブラジルのセットで、樽風に作られたコーヒー豆入れが付いてきた。今年もワインとコーヒーで、年が始まっPhoto_8 た。

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2008/12/27

夢のなかのワイン

よく夢にまで出てくるようになれば、本物だといわれるが、わたしの身体全体がワインを欲しているらしい。ついには、眠ってからの世界に登場してきたのだ。

それはたしかに「ぶどうの丘」のワインセラーで、味わったものだった。銘柄はどういうわけかラベルからすると、次の4つだった。「香り甲州2007辛口(大泉葡萄酒)」「フォーシーズンズ(山梨ワイン)」 「甲州辛口(五味葡萄酒)」「グリド甲州06(中央葡萄酒)白やや辛口」。そして、カウンターに陣取って、ワイングラスを傾けているのだ。

飲んでいるうちに眠り込んで、夢かうつつかわからなくなるのだった。ふっと目が覚めると、まだ机の上には仕事が残っていて、現実に引き戻された。まだまだ、年末まで酔っている暇はない。

とは言いつつ、最後に飲んできた「酒折」と「ソレイユ」ワインが気になったので、インターネットで調べてみると、学習センターのある弘明寺のK酒店でも、後者が販売されていることがわかる。

早速、仕事の帰りに商店街のちょうど中ほどにある店によると、夢に出来てきたワインが棚に並んでいる。正夢だったのだ。そして、蔵元ではすでに完売となっている「ソレイユ甲州辛口」が店頭に山積みとなっている。

燈台下暗しとは、よく言ったものである。このような形で、全国に山梨ワインのネットワークが築かれていたのだ。それがなぜ、一般には広まらないのか、ということはたいへん面白い題材であり、課題でもあると思われた。

甲府でもうひとつ、気になっていたことがある。それは、ちょうど同じ期間に講義を担当なさっていたO先生が、このたび岡山の大学へ移転なさったのだが、岡山にある美味しい珈琲店の名前を聞かれ、忘れてしまっていて答えられなかったことだ。

これもインターネットで調べてみると、旭川端の「カフェ・カーネス」であることがわかったが、残念ながらわたしが訪れた後、3ヵ月後に閉店となってしまったらしい。惜しむ声があちこちに載っていた。

1月の後半には、岡山出張があったので、この店へ寄るのを楽しみにしていたので、たいへん残念だ。老舗の良いところは、後継者をしっかりと確保する努力を行っているところだが、やはりそのことに失敗してしまったのだろうか。ほかの店員とか、親戚とかに受け継ぐ人はいなかったのだろうか。

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2008/12/26

甲府での講義

三日間の集中講義をYP大学で行った。今回は、テキストを使って、「築地」の魚市場を取り上げた。年末になると、とくに雑誌などで特集が組まれる。昨日も、新聞の第1面に宣伝が載っていた。

「築地」と聞くと、やはり「せり場」のイメージが強い。つまり、アメ横が消費者向けの市場であるならば、築地は卸、あるいは玄人むけの市場というイメージがあり、「市場論」を講義する者にとっては、一度は取り上げたい題材だ。

時あたかも、1週間ほど前に、「築地」があまりに外国人観光客に人気で、ついにはせりの立会いに邪魔になるといって、締め出しを発表した時期だった。このところ、築地に行くと、ほんとうにリュックの外国人を見かける。しかも、かなり奥のほうだ。

Dsc03229 たぶん、今回講義で使った経済人類学者T.ベスターの『築地』は、その人気にかなり貢献?した本だと思われる。時間がかかっていて、良くできたルポ&理論書であると思う。今回の講義では、読みあわせと、要約を繰り返し、途中3回ほどのグループ討論を重ねて、最終的な結論を出してみた。クラスの人数もちょうど27人で、5グループとなって、議論しやすい人数だった。

Class22 築地市場というものが、市場メカニズムと、組織ガバナンスと社会文化ガバナンスの混合物であることが、見事に描かれ、しかも、日本人の魚事情とのかかわりが、経済的のみならず、文化的にも明らかにされていて、たいへん興味深い題材だと思われる。

Class33_2 観光案内としても面白い。東京の真ん中の、海岸よりに位置していて、銀座に近い、けれども文化的には、東京よりも世界に近いのだ。そのコントラストが魚をめぐって描かれている。ちょうど受講生たちが生まれた1988年ごろに日本の魚生産と消費は、歴史的なピークを向かえ、それ以後ずっと低下してきている。

かれらにどのくらい魚を食べるか聞いてみたら、1週間に1回くらいが平均値だった。かれらの世代くらいから、魚を食べない世代が表に出てきたのだろう。

最後には、800字の記述試験を行って、大団円だ。学生たちも最後まで、健闘していた。三日間ともに、朝の9時に始まり、夕方の6時まで、15コマ22時間半のゼミ講義だった。帰省前のちょっとした勉強にはなったと思う。

その間、わたしの夜の食事では、夏に寄れなかった「フォー・ハーツ・カフェ」で、酒折の白ワイン辛口を初めて飲んだ。また、たらこスパゲッティの美味しい「楽」では、ソレイユ甲州辛口をグラスワインでいただく。いずれも美味だった。

胃のほうは、最初のころは、疲れが出なかったのだが、最終日になるころには、先日の数十種類の試飲が体中に効いてきて、震えとまではいかなくても、すこし普通ではないようだ。そうは言っても、やはり甲州の白ワインの美味しさには代えられない。

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2008/12/23

ワインと酩酊文化

Photo これまで、消費文化のなかでも、主として「覚醒文化」について注目してきた。それは、やはり経済と関係していたからだ。コーヒーと労働は相性が良い。

けれども、文化というものは当然「社会相対」的なものであるから、「覚醒文化」だけでは、バランスが悪かった。となれば、覚醒文化に対抗するのは、「酩酊文化」である。じつは、ビデオ授業では、これまでにビール文化を取り上げてきた。ビールの流行は、かなり消費文化の本質的な点をついていると思われる。

でも、できればもっと地域に密着して、酩酊文化を取り上げることはできないか、考えていた。毎年、山梨へ来ることになって、そのたびにコーヒーはだいぶ取り上げてきたが、前回からはワイン文化を考えるようになった。

Photo_2 今日、わたしの胃袋は、生まれて以来、最大の疾風怒涛の危機にある。ついに今日の最後には、鼻は利かなくなるし、味もついには見分けられなくなるほど、ワインを飲みまくった。これで身体を悪くしても、本望である。

宿泊しているところには、朝の温泉があったので、よく胃に言い含めて、覚悟して出る。1時間ほど歩いて、醸造所の固まっている地区の下岩崎地区、等々力地区を訪れる。

Photo_3 最初に訪れたメルシャン工場のある、宮崎葡萄酒醸造所あとの資料館などは、本日定休日で残念だった。もう一度訪れる機会を作ることにしよう。さて、今日の目標は、甲州種の辛口白ワインを味わうことにある。

メルシャンのとなりにある「蒼龍葡萄酒」で試飲したのは、以下の銘柄のものだ。けれども、これ以外に、まだ発売して1週間だという、勝沼産シャルドネを使ったものが美味しかった。名前は控えてこなかった。シャルドネの美味しいのは、ヨーロッパから輸入して瓶詰めをここでするメーカーがあるが、それとは違って、国産シャルドネだそうだ。でも、今日は甲州種に限ろうと考えていたので、購入を抑えた。この次、またシャルドネだけを賞味しにくることにしよう。

蒼龍葡萄酒
甲州辛口 720ml・白・辛口 ¥1,067
甲州樽熟成 720ml・白・辛口 ¥1,382
勝沼の甲州 720ml・白・辛口 ¥1,592
SORYU PREMIUM甲州2005 白ワイン (辛口) \2100

あくまで試飲ということなのだが、たっぷりと大きなワイングラスで注いでくれる。1軒目から、とても仕合せな気分になってきた。次に向かったのは、最近、シュール・リー製法(澱の上の純なところをとって特色があるとのことだ。じっさい、すっきりした味わいだ。)の 「アマリージョ」を出して評判になっているダイヤモンド酒造である。ここでは、次のものを飲んだ。女性たちの先客があって、ご主人が丁寧に説明してくださった。新酒を購入。

ダイヤモンド酒造
シャンテ デラ・ドライ 白/辛口 720ml・\1,270
アマリージョ 白/辛口 720ml・\1,585
甲州樽発酵 白/やや辛口 720ml・\2,320 
シャンテY・A Ch 2006 白/辛口 720ml・\2,845 
甲州ヌーヴォー 白/辛口 720ml・\1,270

Photo_4 つぎに入ったのは、山梨ワインである。表の道路からは見えないし、母屋にワイン資料館と、試飲室が作られていて、なんとなく入りにくい感じだった。誰もいないので、戻ろうとすると、住んでいる自宅から奥さんが出てきて、試飲室へ案内してくださった。これは、幸運だった。ここを見逃していたら、ここに来た甲斐が無かったといってもいいくらいなのだ。

Photo_5 地下のワインセラーにも案内してくださって、オーナー制度を敷いていることを知った。畑を契約して、200本くらいから預かってくださるそうだ。こうなってくると、ワインもその時だけの消費物というよりは、むしろ財産であり、長い目で育成していく文化そのものであることがわかる。酩酊文化、奥深し。ここで飲んだのは、以下のものだが、なかでも、「フォーシーズンズ」と 「樽醗酵(白)」 は素晴らしかったので、購入。 

Photo_6 山梨ワイン
勝沼(白)  蔵元価格(税込)720ml 932円
ヤマナシワイン甲州 蔵元価格(税込)720ml 1,397円
四季の詩 2006 蔵元価格 720ml 1,627円
フォーシーズンズ 2007 蔵元価格(税込)720ml 1,852円
樽醗酵(白) 2007 蔵元価格(税込)720ml 2,777円

さて、ここまででも、かなりの量を試飲したことになる。足元もすこしふらふらするが、ここちよい歩きである。昨年、甲府のN酒店で勧められた勝沼醸造にもよることにする。洒落た建物に、高いカウンターが据え付けられていて、気楽なおしゃべりで、専門的な説明をしてくださる係りの方がいて、さかんに「河」のある地域を意識していることを言うのだが、わたしの知識が足りないせいか、葡萄栽培で山と河との違いを理解することができなかった。今後の課題である。ここでは、次のものをいただいた。このなかで、すでに昨日、「古傳樽熟」を宿泊所の食堂で飲ませていただいており、その上級酒に当たる「アルガブランカ ピッパ」を味わう。結局購入したのは、今年出た「アルガーノ 甲州」。最後に飲ませていただいた「イセハラ」は、フランスに輸出していて、現地では1万円の値段がつくそうだ。すでにここでは完売だとのことだ。

話を聴いていて、葡萄酒をめぐる二つのテイスト文化のあることに気付いた。ひとつは、このようなそれぞれの醸造所が独自に製品間で発達させているテイストで、個別にゆるぎない文化を持っている。それと並んで、わたしたちが媒介している(すこしおこがましいが)横に連なるテイストで、個々の醸造所を超えて結ばれるネットワーク文化を形成している。このような二つの文化を同時に持つことのできるワイン地区はかなり限られていて、少なくとも東京や横浜のような広域のところでは、両方を発達させることは不可能だろう。

勝沼醸造
勝沼醸造 本葡萄酒 古傳樽熟 2006年 白  辛口 3,150円
アルガブランカ ピッパ 2004年  白 辛口 (樽醗酵・瓶熟成)
アルガーノ 甲州   AGUA VICOSA PRAZER 2008年 白 やや辛口
勝沼醸造 本葡萄酒 杯中至楽(白)白 辛口
アルガブランカ ヴィニャル イセハラ2007年  白 やや辛口

Photo_7 最後に訪れたのは、きょうの本命と考えていたグレイス・ワインである。ここは、他のところよりバランスよく、赤もまた、シャルドネも美味しいのだ。けれども、今日は甲州種限定、限定。次のものを比べてみた。そのなかで、購入したのは、2008年の出たばかりのものだ。今年のは、強い酸味を残していて、たいへん特徴ある味になっている。これが正式の商品になるころには、また評判を取ることだろう。

中央葡萄酒
グレイス 樽甲州(白)2007年 オーク樽醗酵、貯蔵¥3171 辛口
グレイス 甲州・鳥居平畑(白)2007年 シュール・リー製法 ¥2400辛口
グレイス 甲州・菱山畑(白)2007年シュール・リー製法¥2210 辛口
グレイス 甲州(白)2007年シュール・リー製法 ¥1890 辛口
グレイス 甲州・茅ケ岳(白)2007年 シュール・リー製法¥1690 辛口
グレイス グリド甲州(白)2007年 ステンレスタンク醗酵、貯蔵¥1596 やや辛口      
ヴィンテージ甲州(白)2008年 タンク醗酵 ¥1300 辛口

Photo_8 さて、これで終わりになるのかと思っていたのだが、ワインを飲みすぎて、昼食を取ることを忘れていることに気付いた。宿泊所に帰って、一服すると、すぐに胃は回復して、ここのワイン・カーブのあることを思い出した。1,100円を出して、試飲容器タートヴァンをもらえば、数百種の勝沼ワインを試飲できるのだ。ここでまたたっぷりと、以下のワインをすべて飲み歩いた。

アルガーノ甲州シュールリー(勝沼醸造)白ワイン (やや辛口) \1680
錦城ワイン 白(錦城葡萄酒) 白ワイン (辛口) \1280
セレクト勝沼白(蒼龍葡萄酒) 白ワイン (中口) \1068
勝沼甲州樽熟成06(蒼龍葡萄酒) 白ワイン (辛口) \1593
グリド甲州06(中央葡萄酒) 白ワイン (やや辛口) \1596
自家葡萄園(山梨ワイン) 白ワイン (極甘口) \2057
フォーシーズンズ(山梨ワイン) 白ワイン (やや辛口) \2057
ローレア勝沼 白(山梨ワイン) 白ワイン (辛口) \1037
J・Fミレー「無原罪の聖母」(シャトージュン) 白ワイン (辛口) \1313
エキストラセレクション(シャトージュン) 白ワイン (辛口) \2100
J・Fミレー落ち穂拾い夏(シャトージュン) 白ワイン (やや辛口) \2625
古代甲州2004(大和葡萄酒) 白ワイン (辛口) \1615
麻屋シャルドネ樽熟成2005(麻屋葡萄酒) 白ワイン (辛口) \2100
ホンジョー樽白(岩崎醸造) 白ワイン (辛口) \1575
ホンジョーオールド甲州(岩崎醸造) 白ワイン (辛口) \1260
香り甲州2007辛口(大泉葡萄酒) 白ワイン (辛口) \1680
勝沼醸造 古傳樽熟06(勝沼醸造) 白ワイン (辛口) \3150
勝沼醸造 稀種甲州(勝沼醸造) 白ワイン (やや辛口) \1890
勝沼醸造 杯中至楽 白(勝沼醸造) 白ワイン (辛口) \1365
ブロケード勝沼甲州(錦城葡萄酒) 白ワイン (辛口) \1575
SORYU PREMIUM甲州2005(蒼龍葡萄酒) 白ワイン (辛口) \2100
ザ・甲州(ダイヤモンド酒造) 白ワイン (やや辛口) \1795
シャンテ甲州(ダイヤモンド酒造) 白ワイン (辛口) \1070
Y・Aアマリージョ2007(ダイヤモンド酒造) 白ワイン (辛口) \1585
ハラモワイン甲州種(原茂ワイン) 白ワイン (辛口) \1270
等々力甲州2003(大和葡萄酒) 白ワイン (辛口) \1930
甲州(イケダワイナリー) 白ワイン (やや辛口) \1575
樽熟甲州(イケダワイナリー) 白ワイン (やや辛口) \1575
セレクト 白(イケダワイナリー) 白ワイン (やや辛口) \2100
06鳥居平甲州シュールリー(シャトレーゼ)白ワイン (辛口) \1890
甲州 辛口(五味葡萄酒) 白ワイン (辛口) \1322
かざま甲州辛口ヴィンテージ(甲斐ワイナリー) 白ワイン (辛口) \2500
2007年甲州 百(マルサン葡萄酒)白ワイン (やや辛口) \1260
ルバイヤート甲州シュールリー07(丸藤葡萄酒) 白ワイン (辛口) \1660

Photo_9 これだけ飲むとさすがに、酔うどころではない。小説「さかしま」の世界にどっぷりである。もういくら飲んでも、耽溺することなく、この地区の味の分布が半分くらいわかるようになった。勝沼の白ワインのテイスト文化は、100年以上かけて造られてきていて、独自性の競争と美味しさの共通性とが奥深さを形成しているといえる。

今日最後のコーヒーは、甲府に戻って、3ヶ月ぶりの「ロッシュ」で、ライト・ロースト。

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2008/12/22

山梨出張

前日からの仕事がどうもうまくいかなかった。うまくいかなかったで済む話と済まない話のあることはわかっているのだが。それにもかかわらず、どうしてもうまくいかないことが起こる。さてどうしようか、と考えているうちに、電車に乗る時刻になってしまった。

山梨出張の前に、締め切りの仕事を仕上げようと考えて朝6時まで頑張った。ここ数ヶ月の泥が脳に溜まっているらしい。結局いろいろな本を読むうちに、タイムアップで、山梨へこの仕事をもっていくことにする。山梨でうまく泥を落として切り抜ければ、なんとか追いつくことができるだろうという、楽観主義なのだが、それはどこまで通用するのだろうか。

つまり、たいていの人は複数の人間関係を抱え、複数の仕事をしているのだ。それで、どちらかの仕事をすれば、他の仕事はできないのだ。そのやりくりを行うことで、何とかやっている。

先日、時間の達人と皆が認めるK先生に、どうしたら複数の仕事をなんなくこなすことができるのか、聞いてみた。その結果は図らずも、聞くんじゃなかった、という結果だった。同時に二つの仕事はせずに、ひとつずつ集中して終わらせる、という回答だった。集中せよというのは、厳しい。もちろん、それでは誰にとっても適用できる答えというわけには行かないかも。

時刻表で検討すると、横浜から甲府まで、特急を使っても鈍行と30分しか違わないことがわかった。旅は鈍行が一番、という内田百閒に従って、横浜線を抜け、高尾に出る。

鈍行の良い点は、それぞれの駅で待ち合わせがあり、そのときにコーヒーやそばや、ラーメンをつまみ食いできるところだ。高尾はすでに東京の住宅地でありながら、中央線のスタート地点としての役割を意識している駅だ。もうすこし美味しければ言うことはないが。

相模湖を過ぎて上野原などの新興住宅が丘のうえにある地区を過ぎると、電車のなかも閑散としてきて、鈍行の旅らしくなってくる。甲斐の国に入ると、すでに葡萄園が葉を完全に落とし、びっしりと敷き詰められた絨毯のごとくに、蔓だけの畑が連なる。ゆうゆうと、甲府に到着。

山梨大学附属図書館で、他では手に入らない研究書があるというので、閲覧を申し込むと、残念ながら研究室に入ってしまってみることができないという。仕方ないので、すこし早かったけれども、放送大学の山梨学習センターへ行く。今日はお休みにもかかわらず、センター所長のY先生が出てくださって、卒論生Hさんとの面談を可能にしてくださった。Y先生の善意に恐縮するしだいである。

おかげでHさんの方向性も定まった。Hさんの報告を聞いていると、放送大学で卒論を書く意味に、ふつうの大学とは異なる意味が加わっていると感じる。経験的なことなのでうまく言えないが、あえて大上段風に言うなら、学術論文を書きながらも、人生の「生き方」モデルを追及したいという、実践的な意味をこめようとする姿勢が特徴として出ている。学生によっては、このことがマイナスにはたらいて、論文ではなく感想文風になってしまう人も出てくる。けれども、放送大学は社会人の大学なのだから、むしろ積極的にこの方向を狙うのも良いのでないかと、最近では考えている。

HさんとY先生との雑談で、金融危機のことが話題になった。貨幣や金融について、現在の日本人が転換点にあるという認識を持っていらっしゃることがわかって、興味深かった。

さて、今日の宿は、甲府からすこし戻って、勝沼(現在は甲州市)の「ぶどうの丘」というかつての町営ホテルに決めていた。駅に着くと、すでに陽が落ちていて、昼間の展望は夜空とつながって、闇のなかに溶け込んでいた。

ブドウ畑の谷と山の起伏を楽しみながら、さながら迷路の庭園を散策するがごとくに、向こうの丘のうえまで到達する。旅の醍醐味は、孤独にその土地に溶け込むことだが、その趣が十分達成される場所だ。そして、ここは単に眺望が良いだけでなく、ワインが集められ、さらに大浴場の温泉があるのだ。着いて早速、グラスワインで、前回の甲府で美味しかったアルガノワインのなかでも、2006年のいかにも熟成したという味の辛口白ワインを注文する。窓からは、甲府盆地が一望でき、近くにはワイン工場、遠くには笛吹町から甲府の繁華街へ通ずる照明が輝いていた。ひとつの宇宙が手に入ったかのような展望だ。

部屋に帰ると、宮崎あおい主演「初恋」を放映していた。1968当時の新宿を再現していたが、当然現在から見る当時という形になっていて、当時の、人が溢れるような猥雑な街という趣向は、画面には現れていなかった。人間関係が希薄になっていく時代という時代精神は良くわかるが、このような希薄さのなかで、主人公以外みんな死んでいく。そして、誰もいなくなった、という結末は、いかにも空しい。山のようにワインが詰まれた売店から、麻屋葡萄酒の「勝沼甲州シュールリー2006」を購入して、今日の最後の一杯とした。

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2008/12/18

年末の来訪者

12月に入ってからの仕事ラッシュもピークをすぎ始め、ようやく余裕が出来てきた。先週は、教授会を挟んで、幕張での仕事がずっと続いた。また、いくつかのテキスト執筆も、再校段階に入って、赤字を入れる場所も、少しずつ少なくなり、最終に近づきつつあるのがわかる。

神奈川学習センターへ出るのも、このところは土日だけだったので、今日のようなウィークデイ出勤は珍しい。職員の人たちは毎日出ているので、1週間も会わない感じがするのだろうか。皮肉でなく、「久しぶりですね」と言われてしまった。

午後には、卒業生のKさんがきて、博士論文を出版するので、編集に余念がない、という話をしていった。80歳になってから、腰と目を手術したとは到底思われない元気さだ。

その本のなかで、桐生の織物について書かれているので、観光の見所について教えていただく。来月には、わたしも前橋へ卒論審査に出かけるので、ちょっと足を伸ばして、桐生まで行って見ようと考えている。

きょうは、わたしの授業科目『経済社会の考え方』へ、東京のAさんからの質問が来ていたので、通信制の大学の利点を活かして、電話で応答する。以前は、質問をすることに、なんとなく漠然として行いにくかったらしい。働いている人にとっては、今でも時間を見つけることはそう楽なことではないが、近年質問について事情が変わってきた。

それは、テキストに「研究課題」という欄が設けられたために、その課題をめぐっての質問、意見、解答などが増えてきたことだ。これは、思わぬ効果だと思う。もし「研究課題」について、もっと効果があるならば、もうすこし工夫をする余地がある。春休みになったら、すこしこの問題について、考えてみようと思う。

さらに、12月28日のセンター最後の日に、学生から会いたいと予約が入った。年末の来訪者はまだまだ続く予感がする。ちょうど、切羽詰った仕事が終わったということが、相手に伝わるのだろうか。今までなくて、今回急に、このような訪問者が続くのは、不思議な感じがする。

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2008/12/09

久しぶりのテレビ収録

久しぶりのテレビ収録なので、すっかり時間尺(というそうだが)が狂っていたらしい。先日のラジオは、常にぴったり終わっていたのだが、今回テレビのほうは撮り始めて見ると、なんと20分は優に超過してしまうことがわかった。

これほどの極端な超過はこれまでも経験したことがない。今回、H先生の科目にゲスト出演という形で準備を進めてきた。一コマだけだったので、準備を行い過ぎてしまったのだ。この点でテレビというのは、たいへん正直なのだ。準備したすべてのとおり、結果を反映してくれる。

けれども、準備された制作の方々には申し訳ないが、ここからが共同作業の面白いところだ。また、このように思えたのも、H先生との組合わせだったからかもしれない。台本を途中でガラッと変え始め、アドリブを随所に入れ始め、さらに最後に台本で用意したところをかなりカットした、というよりも、変えてしまった。

変え始めると、緊張感は保持しているものの、お互いのアイディアが湧いてきて、きわめて興味深い作業になる。決められたシナリオどおりに進行させるのも良いが、やはり現場では、尺を臨機応変に変えて、そのときの言葉の尺を反映させるのが、もっとも良い結果を呼び込むことになる。

だから途中、進行が途切れると、なかなか元に戻らないのだが、新たに創り出すきっかけがちょっとでもつかめるようになれば、進行に復帰できる。最後の5分が今回の見せ場だった。その場で、パターンも書き直してしまい、あっという間に異なる筋書きに持っていき、締めくくりの場面へなだれ込み、ぴったりの時間へ持っていくことができた。

来年にも、いくつかのテレビ科目を受け持つので、もうすこし正しい時間尺を鍛えておきたいと考えた次第である。

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2008/12/07

沖縄と横浜を結んだ授業

今回、琉球大学のT先生と面接授業を一緒に担当した。T先生が沖縄の学生を前にして、同時にテレビ会議システムで講義を行い、横浜の講義室へ同時中継を行った。その後、こんどはわたしが横浜の学生を前にして、沖縄の講義室へ映像と音声を送った。そのあいだ、インターネットのテレビ中継で双方向の質問や意見交換も維持し、2日間で合計11時間15分の授業が成立したのである。まずは、参加してくださった学生の方々の長時間にわたる努力を労いたい。

ひと言でテレビ会議システムといっても、いざ授業で使おうとなると、じつはたいへんな労力を必要としている。だから、これまでは、対面指導やゼミや面接審査などの参加者の少ないところで使用されてきた。実験を重ねてきた先生方には感謝申し上げるしだいである。

今回、40名規模の正式授業に、たぶん初めてこのシステムが使われたのだと思われる。今回は、A先生にすっかりお世話になってしまった。カメラだけでも全部で10台分を同時に見なければならないし、さらにレジュメをシステムへ掲示することなど、通常の授業ではおよそ使うことのない神経をかなり使うのだ。

081206_120402 それから、今回の講義の目玉として、T先生が沖縄料理の試食を用意した。沖縄と東京圏の健康を比較することに関連して、沖縄食を味わってもらおうという趣旨である。珍しい沖縄野菜のハンダマ、サクナ、紅芋などが勉強机の上に並んだ。

横浜で好評だったのは、甘みのある、親しみやすそうな紅芋だった。やはり、味の薄いものは、多少避け気味のようだった。食べ終わっての感想としては、味覚というものには意外に地域性があるのだな、ということだった。

40名が全員しゃべることができるマイクが素晴らしい音質で、これまでのテレビ電話システムのどれよりも明確な音声を聴くことができた。今回のシステムのなかで、映像などの進歩もあったが、やはりこのエコーキャンセラー付きの音声システムがたいへん良いことが印象に残った。

最後に、拍手で幕を閉じたが、帰りに「またこの方式でやってください」、と学生の方から声をかけられて主催者の一人としては、たいへん嬉しかった。それにしても、放送大学の学生のかたは、やはり世間というものを良くご存知で、ひと言声をかけて去っていく、という心憎い方々が多いのだ。実り多い面接授業だったと、企画してくださったH先生へ報告することにしたい。A先生をはじめとしてFさんやKさん、学習センターの職員の方々など、この2日間の長いあいだ、支えてくださった方々に感謝申し上げるしだいである。

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