2012/05/26

靴磨きの抱えている問題と、都市問題はかなり似ている

Poster妻と待ち合わせて、映画「ル・アーブルの靴磨き」をチネチッタで観てきた。原題は「ル・アーブル」となっていて、制作者の意図としたら、都市問題、コミュニティ問題を扱った映画だったのかもしれないと思った。古いコミュニティに、一人の異邦人が紛れ込んだ時に、そのコミュニティの真価が問われるのだ。それでコミュニティが壊れてしまうのか、それとも、問題を飲み込んでも、立派に存続して行くのか。もし日本も数百年後に、後者の道を辿ることができるのであれば、僭越ながら、ヨーロッパの経験は無駄だったとはいえないし、今の日本社会ももう少し開く必要があるのかもしれない。

Photo_20物語は、靴磨きを行っている「マルセルとアルレッティ」の老夫婦の住んでいる、港町の小さなコミュニティが舞台である。パン屋があり、八百屋があり、パブもある。古き良き街である。ここに、ガボンからの違法難民の少年イドリッサが、ロンドンの母を訪ねる途中に紛れ込む。

Photo_21古きヨーロッパが、何世紀に渡るグローバリゼーションの結果、難民キャンプが増大し、さらに移民問題がヨーロッパの都市を蝕んでいる。これが、現実であるが、そこには個別の小さな、しかし重要な、この映画のような、少年の引き裂かれた家族を引き合わせなければならないという、人間固有の問題も、コミュニティ問題として起こってきているのだ。

映画の中心には、相互関係が三重に絡んでいる。家族の象徴たる犬の「ライカ」。コミュニティの象徴としては、「パンや野菜」、それに「ワイン」は欠かせない。さらに、マルセルの仕事は、移動してまわる「靴磨き」だ。これらはそれぞれ、一つには、主人公マルセルとアルレッティの「夫婦問題」として現れ、二つには、マルセルの「コミュニティとの付き合い」に影響を与え、三つには、靴磨きとして回る「ル・アーブルという都市」自体を表しているのだ。

この映画は、小さなところにとりわけ、手を十分に加えている。第一に、妻のアルレッティの間合いの取り方は、夫婦というものの余裕ある関係を伝えている。たとえば、星の髪飾りは、何種類か変わったが、どれも素朴で可愛らしく、素敵だった。第二に、このコミュニティの住居の色は、ペンキがくすんでいて時間の経っていることを、苦労して出していた。緑と青のなかに、白い枠が目立った。所得水準は決して高くはない人びとが住んでいるが、趣味は悪くないことを見せている。第三に、港と海をたっぷりと見せてくれて、世界に向かって開いていることを、映画の風景のなかに浮かび上がらせていた。

それで、スパイスとして目立った役割を演じたのが、違法難民少年のイドリッサと、コミュニティに潜んでいる密告者、さらに、機会あるごとに首を突っ込んでくる刑事であって、彼らの演じる役割が、変化をもたらし、結局のところこの映画のコミュニティがどのような種類のものであったのかを試しているし、それを伝えている。

今日のヨーロッパから見るならば、移民問題は悪い兆候として報道され尽くされている。この中にあって、この映画のようなエピソードは、あまりにハッピーエンド過ぎないだろうか、という向きもいるかもしれない。けれども、今の現実が悲観的になっているからこそ、今回のエンディングが返って、活きていると思いたい。少しの悪が存在していても、それを上回って緩いコミュニティが存在する可能性のあることを、あえてこの映画は示したのだと、わたしは解釈している。

Photo_22チネチッタで映画を観たのだが、帰り道にある喫茶店で、「靴磨き」もやっています、と出ていた。そういえば、昔学生アルバイトをやっていた時に、同僚に年取った日雇いの方がいて、戦後すぐの時代に、東京駅で靴磨きをやっていたことがあるんだ、という話を聞いたことを思い出した。今回の映画の主人公は、若い時はパリで、頭脳的な労働者であったことを匂わせて、今の妻に出会ってから、人と最も近くに関係をもつ「靴磨き」という仕事についたと言っていた。最後になって、映画の中に出てきた、あのブリキの箱を見ていたら、わたしももう少し年を取ったならば、営業許可証なるものを取って、「靴磨き」をして人と接点を持ち、日銭を稼ぐというのも悪くはない、とちょっと飛んだ想像力を働かせてしまった。

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2012/05/24

「オレンジと太陽」と心の中の怪物

523将来の自分がどのようになっているのか、ということを推測するうえで、最初の段階で、最も参考になるのは、親を見るか、あるいは親からもたらされる情報を見るかということになるだろう。そして、年を取るに従って、独立して自前の情報を駆使して、学校の友人や先生たちとの交流が、その人の情報となって行く。わたしたちに「シティズンシップ」というものがあるとすれば、人との関係でそれが形成されてくると言えるのではないか。さて、問題は、これらがなんらかの理由で壊されてしまったとしたら、どうなるだろうかということであり、今日の浮かんで来た課題でもあった。

524ちょっと脱線するが、自分が将来の自分を想定し、もっと年をとって、どのような街を彷徨しているのだろうかを考えると、一つには、本があった方が良いだろう、と思う。二つには、喫茶店があった方が良いだろう、と思う。三つには、本について言い合ったり、コーヒーを飲んだりする人びとがいた方が良いだろうと思う。もちろん、言葉を交わす必要はあるかもしれないが、年を取れば、もうそれほどしゃべりたくなくなっているから、挨拶程度のことが交わされれば良いと思う。それに、映画館があれば、言うことがないだろう。

Photo_14神保町がもう少し家に近かったら、そしてもっと小規模であれば、通うところだが、といつも思っている。神保町に通った思いでは、小学校から中学校にかけて少し(当時はまだ、都電が走っていて、池袋から護国寺経由して、神保町へ通った)、高校生と予備校生の時に少し(御茶ノ水から下って来て、大学紛争の催涙弾が飛び交う中だった)、そして大学院生の時に少し(シャンソンのレコード屋があったので)、と切れ切れながら、まとまって出没していた思いがある。その中で、5本の指に入るような、映画やレコードと巡り合ったのも、この街であった。

Photo_15そこでこの街で休憩をしようと思えば、他の街をよりも容易に店が見つかる。きょうも早くから街についてしまったので、数時間をつぶさなければならなかった。このような時は、読書OKの店というところにはいることにしている。

Photo_16富山房という新書版で良い本を出版している本屋のビルの地下に、Fという喫茶店があって、今日はここにはいる。編集者たちが好みそうな雰囲気だ。無線LANも使い放題で、申し分ない。特に、タンザニアのわたしの好きな豆が特集されていたので、すぐ注文する。

Photo_17いくら神保町とはいえ、このような喫茶店が栄えるためには、周りとの競争にかたねばならないのは辛いところだ。すでにチェーンのコーヒー店が新築されて、近くに進出していた。これで、この界隈の喫茶店地図が、塗り変わってしまうだろう。ビジネス客は、どうしても易きに流れるのではないだろうか。

Photo_18今、岩波ホールでは、ケン・ローチ監督の息子のジム・ローチ監督の映画「オレンジと太陽」がかかっている。映画が始まって、なぜこれほど最初の段階で、主人公を詳細に描かなければならないのか、ということが分からなかった。なぜだろうか。それは、追い追いわかってくるのだ。

Photo_19この映画の看板には、かつて英国と豪州とに間には、「児童移民」という事件、つまり児童だけで、親の同意を得ていない移民が存在した歴史があるとされている。そして、豪州に渡ってからの児童虐待の原因をつくったということを伝えている。このような問題を扱うのだから、この映画も親のケン・ローチ監督と同じように、社会問題をリアルに描いた映画だと思い込んでいた。前半は、少なくともこのような趣があったと思う。

ところが、途中から、転回が仕組まれているのだ。転回というからには、通常は急激な変化が生ずるように聞こえてしまうかもしれないのだが、じつはそうではない。この仕組みは、ジワジワとくるタイプのものであり、あそこでアーだったな、ここではコーだったな、と思い出され、話が次第に浸透して行く種類の転回であるのだった。

このようなジワジワ的な浸透には、恐ろしいところがあるのだ。気のつかないうちに、自分のなかに巣食ってしまうような種類の怖さだ。これが本当なのか、と分かる頃には、自分の身体に変調を来たすことになっている。もしそれが病気というものとして現れるのであれば、医者のケアで充当できるから、わかりやすい。

けれども、実際には、そのような変調は、見えないところで大きく育ってしまっていて、傍目からはなかなか分からないものなのだ。ここに来て、ようやくにして、この映画の成立する根拠が明らかにされてくるのだ。

映画の中では、「心の中の怪物」と呼ばれていた。これは、いったい何なのだろうか。直接的には、映像にはならない。それにもかかわらず、何らかの形で映像として残すには、どのようにしたら良いのかが問われることになる。

他者が負っているモンスターならば、傍目からはわかるかもしれないのだが、自分の中のモンスターはどのようにして理解したら良いだろうか。また、どのようにして、映像に定着できるだろうかが問われることになる。表に現れないものは、映像としても表さない、という抑制の効いたところを狙ったものが、成功しているのだろうと思われる。

女優エミリー・ワトソンが主人公を演じていて、このジワジワ感をうまく演技していたと思う。どうやら、この問題は、「児童移民」という特別な事件特有の問題ではなく、わたし自身のごく身近な問題ではないか、と気がつくのは、かなり後の方になってからである。余計なお世話かもしれないが、さてあなたは日常、この問題に気づいているだろうか。

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2012/05/21

セザンヌの意識した「多様性」とはなにか

Photoセザンヌの絵画を見てきたが、まだまだ分かっていないな、と正直なところ思っている。それで今回は、ちょっとした視点を定めて、観てみようと思って出かけた。

5月の陽気がいっぺんに降ってきたという、一日であった。Photo_2連休中は避けたいと思っているうちに、そろそろ新国立美術館でのセザンヌ展会期も残すところわずかとなってきた。駅に降り立つと、すでに階段を登ったところで、行列ができている。やはり、中も混んでいるのだろうか。

Photo_6ちくま選書の「セザンヌの手紙」を以前から読んで見たいと思っていた。セザンヌは、近代絵画の父と呼ばれていて、その後の絵画の歴史の出発点となったと言われている。この点を確認したいと常々思っていた。このなかで、ひとつ気になっていたところがあった。

Photo_4それは、「自然の多様性」という言葉を出して、その描き方に言及しているところだった。ところが、あとになって、この本の記述を探しても、どうしてもその箇所が見つからない。ほんとうにセザンヌが多様性のことについて、どのように考えていたのか、ちょっと不安に思っている。それでも詳細を確かめることはできないが、それ以外のところからは、多様性を重要視していたことが、容易に確認できる。

Photo_5のちに、キュビスムの画家たちに寄って、注目されたベルナールへの手紙の箇所では、次のような文章がみえる。「自然を円筒形と球形と円錐形によって扱い、すべてを遠近法のなかにいれなさい。・・・水平線に平行する線は広がり、すなわち自然の一断面を与えます。・・・この水平線に対して垂直の線は深さを与えます。ところでわれわれ人間にとって、自然は平面においてよりも深さにおいて存在します。そのため、赤と黄で示される光の震動のなかに、空気を感じさせるために必要なだけの青系統の色を導入する必要が生じます。」という、のちのち有名になった箇所である。

Photo_13つまり、自然が断片として現れるのだが、深さにおいて、色彩において、画家によって統合される可能性のあることを、セザンヌは主張しているように思える。自然の多様性を認めながら、この多様性をいかに描くことができるのかを、十分に意識していたといえる。

今回の展覧会では、この事例に従った作品が、とりわけ年を取るに従って、鮮明に意識されて行ったように思える。有名なりんごを含む静物画が多数きていたが、どの面から見たのか、多面的に捉えられているのを見ることができる。

Photo_8けれども、自然との関係でいえば、やはり、「サント=ヴィクトワール山」は、上記の言葉をそのものを描いていることがわかる。手前の赤と黄の平地の配置、そして、山と空の青い配合、これらの調和は、見事に実現されている。今回同じような趣向で、港を描いていて、ブルー基調の素敵な絵もあった。このようなことを考えながら見て回っていたら、数時間があっという間に経ってしまった。

Photo_9太陽がまだまだ高かったので、陽気に誘われて、青山の街を歩くことにした。みんな同じような気分だったらしく、近所にある有名なWという喫茶店は、外に開放されたガラス窓が客を誘ったらしく、何時間待っても入れないほどの混みようだった。

Photo_12発想を変えて、表参道へ出て、昨年入った喫茶店に今回もお邪魔することにする。青山通りをすこし横へ入って、二階へ上がったところにある「L」という茶店に入る。やはり、休日は、こちらの方が空いている。手前の小部屋の席に案内される。窓際のテラスにテーブルがくっついていて、外を通る人びとを見下ろすことができる。小径の展望の効く特等席だ。ケーキは小さめの柔らかなクリームの入った、ガトウショコラ。コーヒーは深煎り苦目のブレンド。しばし、セザンヌ展を思い出しながら、休憩。

Photo_11帰り道は、青山学院大学を迂回して、六本木からくる道路沿いのトンネルを潜って、壁に描かれた模様を楽しみながら、クロスタワービルのテラスへ出る。ここからは、ヒカエリエの中を通って、直ちに渋谷駅に到達できるのだ。

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2012/05/19

ひっくり返してみると、真実が見えてくる

Photo_46東京文京学習センターで卒業研究のゼミを行った。5月になって、最初の混乱から脱して、落ち着いた議論ができた。まだまだ磨かなければならないところは多々あるとはいえ、いつもながらゼミ生の発想の豊かさについては驚くばかりだ。多くは長い人生の中で得てきた、隠れた知識が成せる技ではないかと感心している。時間が経ってみなければ、わからないことは、長い人生の中では存在するのだ。

今回は、長崎在住のYさんがWeb会議で参加してきたので、同時中継で進行して行った。途中、長崎では選挙でも行われているのでしょうか。街宣カーのような響きがときどき聞こえてきて、何やら日本中の物事が、降ってくるような雰囲気の中で、ゼミが進んで行った。夕方、5時近くには、無事終了した。遠くから出かけてきている方は、都内のお子さんに会うらしい。ということで、夕方から少し時間ができたので、久しぶりに、チネチッタへ回ることにした。

Photo_47ジョニー・デップ主演の映画「ダークシャドウ」をみてきた。監督ティム・バートンの笑いには、何か影がかかっていて、それをひっくり返すと真実が現れるというものだ。現代において真実を探そうとすれば、影の部分からしか、それを探り出すことができないと言っているようだった。

ひっくり返しは、映画的手法の中心だと思う。けれども、ひっくり返しを狙っても、すべての人が可能であるとは言えないところが、難しいところだ。

物語となるのは、米国のコリンズポートという水産業の盛んな町である。ここにコリンズ家という英国のリバプールから移住してきて、大金持ちとなった家がある。息子のバーナバスを好きになった召使の子アンジェリークは、じつは魔女で、バーナバスを独占するために、彼の両親、奥さんも殺してしまう。数世紀に渡る闘いが繰り広げられることになるのだ。

20世紀となって、舞台となるコリンズ家を訪れた家庭教師に対して、男女平等・不平等について、女主人が面接で質問するシーンがある。それに答えて、「男女は不平等だ」というのだが、しかし、「女性がいなければ、男性の役割もなくなってしまう」と言わせていて、この全体の物語の隠喩を盛り込んでいる。

監督ティム・バートンの取り上げる物語は、ヴァンパイアや魔女がたくさん登場するので、いつもおどろおどろしい感じがある。顔面蒼白の仮面をつけたような、キャラクターも、それを倍加しているのだが、実際には、話の筋はノーマルで古典的だと思う。女性の普遍的なポジティブな行為を描くことで、現代社会の潜在的な要請に応えていると思われる。

かつての男性の家庭観は、配偶者を閉じ込めようとしており、所有欲に基づいていたと考えられていた時代があった。映画の中で、度々出てくるセリフ「血は水よりも濃い」ということが、男性支配の象徴だったのだ。

この映画は、この古典的な家庭観をそのまま継承しているという点では、極めて正統的だといえる。ところが、この価値観をそっくり女性にもたせることで、ひっくり返して見せるのだ。さらに、ファンタジーとしてではあるが、光の部分をひっくり返して、影の部分に真実があることを描いている。そして、このひっくり返しによって、映画として観せて、何の違和感もないではないかと、思わせてしまっているところが、ダークシャドウの意味ではないかと思う。

それにしても、エヴァ・グリーンが演じる魔女・悪女アンジェリーク像は、ひとつの人間像として、普遍的なタイプだと思う。ティム・バートンのアニメ映画の中に登場してきても、十分に「いい女」だと思う。どんなに裏切られても、いつも主人公に入れあげていて、たとえ命を奪ってまでも、愛ということを成就させようとする。アンジェリークを観るだけでも、この映画を見る価値があると思う。

Posterこの映画は、上述のようにみれば、十分に古典的であるのだが、ちょっと考えてみればわかるように、映画というものは、たとえテーマは古典的であっても、手法を変えれば、十分に現代的であるということも、この映画を観ればほんとうのことのように思えてくるのだ。

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2012/05/17

バウハウスのデザインの流れは、ここにもあった

Photo母の家で、配管が古くなったので、集合住宅全体で取り換えを行わなければならない事態となった。数ヶ月に及ぶ工事に入っていた。それで工事中、台所とトイレのものを運び出さなければならない、と言われて、手伝いに呼ばれていた。風邪が周期的に腰にもきていたので、物を運ぶのはキツかったが、親孝行をするのはこのような時以外にはないと観念して、母を手伝った。

Photo_2工事は、朝9時に始まるために、それまでに日常の事を済ませて、さらに全部を撤去しなければならなかった。そして、9時になるや否や、改修工事のチームが来て、早速始まった。パイプを切断する時の騒音は半端なものではなく、扉を閉めても耐えられるレベルではないことがわかり、早々に退散することにした。母は、準備怠りなく、耳栓を用意し、数日間耐えられる一室を作って、閉じこもった。

Poster日比谷公園にある都立日比谷図書館では、「名取洋之助」展を開催していた。好天に誘われて、有楽町駅から日比谷公園へ入り、公園を突っ切る形で、散歩しながら、公会堂前へ出て、公園の花壇を楽しんだ。ちょうどバラ園が満開で、黄色、真紅、ピンクの大柄のバラの花が花弁を四方に展開していた。この満開の様には、人びとを誘う何かがある。

Photo_3近くに寄るとすわ~っと香りが鼻を支配する。戸外であるにもかかわらず、これだけの香りの支配力を行使できるのは、やはり、バラのチカラだと思う。そのバラ園の前のベンチでは、そのチカラに支配され、あるいは支配されることを楽しむ人びとが集っていた。目であり、鼻であり、空気をに触れることが大切で、写真を撮っているような無粋な者は、わたし一人であった。

Photo_4名取展の圧巻は、幻の雑誌である「Nippon」の全号、実物が展示されていたことだ。これまで、木村伊兵衛展や、土門拳展などで、断片的に見てきたものが、一堂に会すると、それはそれで壮観であった。さらに、この雑誌には、資生堂の取材を行った時に、唐草模様を資生堂の意匠部にもたらした山名文夫も参加していることもわかり、時代背景が折り重なっていることがわかって、たいへん興味深いものであった。特に、戦時中にこれだけの国際雑誌を発行できたという、マネジメント力にはみるべきものがあった。

Poster_2名取が報道写真という考え方を、日本に持ち込んだ手腕にも興味を持った。展示では、米国雑誌のライフなどでの取材写真が掲げられていた。フィールドを背景として、ちょっと斜めから主人公(虐げられシワの写っている労働者や住民が多いのだが)を撮った、今ではほんとうに典型的になってしまった構図の写真が展示されていた。

Photo_5現代ということに特に注目するには、それ相応の必然性があるように思う。当時、なぜ報道ということに注目したのかといえば、報道するに値する現象が存在するのか、報道する側の事情が反映されるか、それとも、突然変異で報道する媒体・主体が現れるかである。

Photo_6だから、本人の言葉が「バウハウスを真似したんだよ」だったのは、ほんとうに意外であた。むしろ、ライフを真似したんだよ、という方があっているのだが、そう言わなかったところが、洒落ている。報道写真のあと、日本を紹介する写真集で、何回も日用雑貨が取り上げられており、さらに雑誌「Nippon」が続いていたので、その方向性のあったことは理解した。それに、当時民芸運動が起こっていたとはいえ、この方向を目指していたのは、先見の明があったと思われる。

Photo_7日比谷図書館の食堂「Library Dining」にて、プレート・ランチを食べる。わたしの人生を振り返ると、図書館の中で、ずいぶんと時間を過ごしてきた。頭の中では、世界中の想像世界があったので、一日図書館にいて、飽きることはなかった。Photo_8つまり、図書館では読書の時間が多いのは当然であるが、生活の場という意味もあった時代があった。朝一番に並んで、図書館に入って、定位置を確保し、図書館の閉所となる時間まで、ずっとその席で過ごす、という生活を若い頃に行ったものとしては、食堂に美味しい食事が用意されていることが必須であった。けれども、今日では大学や図書館に有名なダイニング店が入ることは珍しくはなくなったが、当時はなかなか改善されなかった。仕合わせな時代を迎えている。

Photo_9さらに、1階の奥には、本屋とコーヒーショップを組み合わせたテラス風の場所も用意されていて、読書家にとっては、至れり尽せりである。千代田図書館に次いでオープンしただけあって、読者に対するサービスは満点である。とはいえ、これから講義があるので、ここにこのまま腰を落ち着かせるわけにはいかないのが残念である。

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2012/05/16

久しぶりに、サッカーを観た

Photo_41マンチェスター・シティが、マンチェスター・ユナイテットとの一位争いに勝って、イングランド・プレミアムリーグで44年ぶりに優勝した。マンチェスターは、英国取材でいった時に、産業博物館や綿の取引所などで印象深いところだったので、つい注目してしまうのだ。

じつはそれだけでなく、サッカーということについては、中学・高校でサッカー部に属していたことを思い出した。部員の人数が少なかったし、試合数があまり多くなく、廃部寸前の状態であった。この廃部寸前の状態というのは、辛いものがあった。たとえば、この頃から、財政問題に悩んでいたような気がする。

Photo_42この点からすると、マンチェスター・シティよりも、対戦相手のクインズ・パーク・レンジャーズがリーグ残留が掛かっていて、こちらの状況を考えることもたいへん面白い試合だったと思う。もう一つの残留をかけていたボルトンの試合結果がこれに関係していて、たいへん複雑な状況があった。一時、ボルトンが2-1で勝っていて、クインズ・パークが負けていて、残留がひっくり返りそうになって、双方が必死になる場面があって、このような時にどこまで頑張れるかが、試されることを知った。

Photo_43つまり、マンチェスター・シティは、「粘り」ということで、観るべきものを持っていた。今期ずっと一位を続けてきていたのだが、4月にマンチェスター・ユナイテットが一位になって、この時点で勝ち点もかなりの引き離されていた。それにもかかわらず、それを跳ね返して、マンチェスター・シティが一位に返り咲いての最終戦だった。マンチェスター・シティは勝てば優勝ということだったのだが、さてどうなるのかというギリギリの試合だった。

Photo_44それで、優勝や残留の競争ということで、粘りが問題になると、通俗的に思っていたら、どうやら問題の中心は、別のところにあるらしいことがわかって、なるほどという気分になった。

何が公平なのか、ということが、じつは今回の隠れた中心点だったのだ。これを問題にした新聞記事や、ネットの報道が散見された。タフさが、貨幣と関係しているのだ。

アラブ資本によるチームの増強、選手の移籍、試合の駆け引き、それらがすべて凝縮された最後の試合であった。

Photo_45さて、後半45分が終わったところで、マンチェスター・シティは、クインズパークにリードをゆるしていた。ロスタイムがわずかに5分というところから、頑張った。ここからの2点というのは、思い出しても、感情が高ぶるのだ。取材をして、エールを飲みながら、パブでテレビを観た時のあったことも思い出した。

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2012/05/15

蕭白ショック!とは、ほんとうによく言ったものである

Photo_39千葉市美術館で開催されている「蕭白ショック!」展に行ってきた。「蕭白ショック!」とは、よく言ったものである。ほんとうに、ショックなのだ。展覧会の入り口近くには、蕭白以前の、影響を与えたと言われる画家たちの展示があるのだが、蕭白の絵に移った途端に、がらっと何かが変わるのだ。

曽我蕭白は、1730年生まれで、京都の商家出身であるという来歴を持つ。やはり京都の商家出身の若冲と同時代の画家だ。たとえば、「鷹図押絵貼屏風」などの細密画は、若冲と同様に、惚れ惚れとする。妙齢の和服姿の女性が、麝香の香りを立てながら、この絵のウインドウ前に立膝して、ジッとその細密な構図を覗き込んでいる。それ程に、見れば見るほど、うっとりする。

細密画も良いのだが、やはり一筆で、ぐっと全体を決定するような、太いダイナミックな線で描かれて行く人物像は、圧巻である。「達磨図」は即興で描かれた趣がとても良いし、禅文化の影響のある「寒山拾得図」は凄い。小さなプリントや、絵葉書になってしまうと、なぜか俗っぽく、外連味たっぷりの絵に見えてしまうのだが。やはり、この大きさが必要で、この壁いっぱいに展開する大きさというものがないと、風に吹かれて、陽に晒された人物の、枯れているような、全体と微細の取りなす様子がわからないのだと思われる。

さて、注目したのは、蕭白がこの江戸期において、京都ではなく、三重地方で制作を行っていることである。二度ほどの長期滞在をして、集中的に制作を行っていて、今日までもそれが当地に残されている。たぶん、スポンサーがついたことが一番の理由だったとわたしは想像してしまうのだが、三重地方である点は注目しておく必要がある。なにしろ、松坂を中心とした三重の経済と文化が江戸期の最高潮を迎えた時期に、当地を訪れている。お伊勢参りで栄え、江戸や京都に影響力を持つ三井家があり、その下で、蕭白と同じ年に生まれた本居宣長がいた時代に当たっている。

Photo_40枯れたものにも、見るべきものがあると思う。「松鷹図襖」(それに、記憶が定かでないが、梅の細い枝の描かれた屏風絵も良かった)「松に孔雀図襖」など、次から次へ、ギョとしては落ち着き、落ち着いては、またギョとするの連続だった。

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2012/05/13

鎌倉にもシンプルネスは似合う

Photo_20鎌倉へ出る。何年振りだろうか。京急線を利用して、逗子から回るルートを取ってみると、意外に早く着くことがわかる。また、季節が良くなってきて、観光客の数が増してきているので、自分のことはさて置いて、これを避けるためにも有効だった。Photo_21新田義貞ではないけれど、搦め手から「いざ鎌倉」だ。

Photo_30それでも、近道と言われている小町通りへはいった途端に、身動きが取れなくなる。いつ来ても、この不思議な人数に圧倒される。鎌倉の独自性は、付加価値が高いところだが、それがいろいろなところに見られるにしても、やはり表立って現れているのは、この通りだと思われる。

Photo_23モノの値段が高い、ということは、鎌倉の数少ない特色のひとつだ。高いというだけで、消費者が満足してしまうという、ほんとうに不思議な構造を持っている街だ。後期資本主義時代の合理性にピッタリあって、見事にそれを利用している。

Photo_37これは、まったく皮肉ではなく、真面目にその通りだから凄い。合理性は、後期資本主義では、多様性に転換するのだが、この小町通では渋谷で見られるような、画一的な多様性ではなく、個別的な多様性が実現されている。Photo_38たとえば、雑貨屋であるが、入口付近では渋谷青山系の白磁や木綿のモダンな店があるのだが、通りが深くなるに従って、専門店的になっている。自然に、他の店との差別化が図られ、全体としての雑貨街が成立している。

Photo_24中でも、豆を扱った店があり、季節ごとの味を前面に出していて、それが一ヶ月ごと、評判がよければ三ヶ月ごと、に売り出されていくから、多様性も対話形式になっている。今回は、「青うめ」と「きな粉」味の豆菓子を妻が選んでいた。

Photo_25近道をしたつもりが、思わぬ伏兵で時間がかかってしまった。目的は、県立近代美術館の二つの展覧会である。鎌倉本館では、「石元泰博写真展」、別館では、「柚木沙弥郎展」。

Photo_26両方とも、展示数は少ないにもかかわらず、筋が通っていて、充実した展覧会だった。石元泰博は今年2月に90歳で亡くなった写真家である。米国生まれで、米国バウハウスの流れを身につけて、後に日本に帰化している。

Photo_271953,1954年の「桂離宮」シリーズが今回の展示だった。桂離宮へ行ってみるとわかるのだが、多くの編年によるその時代時代の異なった様式の建物群が存在していて、ブルーノタウト達による、「簡素」という桂離宮のイメージは、全体からするとほんの一部に過ぎないことがわかるのだが、このようなほんの一部に、この桂離宮の本質的なことが存在する。

Photo_29それは、この写真展をみれば、一目瞭然なのだ。たとえば、庭石は代表例だ。中でも、行の庭石は特別な意味を持っていて、大きな石と小さな石とが組み合わされているところに、特色がある。小さな石の組み合わせであれば、並の庭石である。ところが、これらの小さな石をまとめてしまって、大きな石で代えることで、簡素の特色を出している。

けれども、最も石元が捉えたところは、中書院から新御殿へかけての形象だと思われる。建物全体の高床式の白い壁と柱の生み出す簡素さが有名であるが、石元の写真は、もっと微細な簡素を捉えて行く。それは、水平の柱と柱の積み重ねであり、細い柱と障子の水平線との積み重ねであり、さらに、これらに垂直に、縦の連鎖が大きく区画して行く。

Photo_31この平行線のリズムには抗い難い、パターンが存在しているように思える。この1950年代前半において、すでにその後の桂離宮を観る見方を決定づけている。中書院から、楽器の間を繋いで、新御殿に至る建物の連鎖が、本来は複雑であるはずの建物群だが、それがこのようにシンプルに見えてしまうのは、どうしてだろうか。

Photo_32近美の本館を出て、北鎌倉方向へ少し行ったところの左手に、別館がある。ここに至る道筋には、ゆったりとした別荘風の家や喫茶店が並んでいて、それらを洒落た雰囲気にすべく、ハナミズキなどの高い木の花々が咲いていた。写真にあるような素敵な案内板に誘われて、ちょっと曲がって、ゆるい坂を数段登ったところにある別館に着く。

Photo_33別館では、すでに90歳を迎えるという染色デザイナーの「柚木沙弥郎展」が開催されていた。こちらは狭い会場なので、小展覧会という雰囲気で、わたしのような老人には、見て回るにちょうど良い規模だ。

Photo_34それでも、先日展覧会を紹介した村上知義の息子である「村上亜土」との創作である「夜の絵」は、大人の童話という雰囲気で、布をつまんで、切り絵にした絵本だ。見ているだけで心が休まり、明日もベッドを抜け出そうという気力を与えてくれそうな連作である。

Photo_35ここに掲げたポスターは「夜の絵」の最後に出てくるデザインなのだが、何に見えるでしょうか。コップでしょうか、顔でしょうか、それとも、夜を満たしている世界なのでしょうか。Photo_36家から持ってきた、コーヒーを柚木沙弥郎の制作した暖簾の下で飲んで一服して、帰り道に小町通をひやかしながら歩き、鎌倉駅に着いた。それでも、まだ陽は高かった。

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2012/05/10

どうしても風邪が去ってくれない

Photo_16どうしても、風邪の鼻、風邪の喉、風邪のやる気無さが去ってくれない。今日は大丈夫だと、歩き始めると、身体全体が熱を持ってぶり返してしまう。貧乏神のように、少し良くなるとまたまた、倍加して帰ってきてしまう。妻は、日常生活に支障はないのだから、心の持ちようだわ、と取り合ってくれない。

最悪の肺炎を疑って見たが、どうも大げさすぎる。周りの人びとも風邪にかかっているらしいのだが、医者に行った人は誰もいない。具合が悪くても、今の時期、特別ではないことだけはわかるのだ。それに、ウィルス性の風邪ならば、どうせ医者へ行っても治らないだろう。

朝、講義の準備で大学へ出るが、1時間ほどで終わってしまった。タイミングの良いことに、いつもお世話になっているKビジネスのM氏が、カンファレンス室のAさんを訪ねてきたところだった。それで、以前から懸案であった、無線LANの設定を見てくださることになった。

このところ、電子書籍や電子新聞を取るようになって、にわかに無線LAN環境が必要になっていたのだが、放送大学のセキュリティがたいへん厳しくて、ルーターの設定がどうしてもうまく行かなかったのだ。ゴシゴシと失敗に次ぐ失敗で、すっかり嫌気がさしていたところだった。手動で、特別な設定が必要であることはわかっていたが、その画面がどうしても出ないし、さらに、詳細で複雑な設定があることで、先延ばしを続けてきていたのだ。

必要なのは、先達である。M氏は試行錯誤を少し繰り返したのちに、見事に導いてくださった。ずっと滞っていたことがすっと、通ることはたいへんな快楽である。精神が開放される思いだった。これで、心置きなくW大の講義へ向かうことにする。

Photo_17途中、気になっていた本を手に入れようと、久しぶりに千代田図書館へ寄る。一階にはパン屋さんが入っていて、洒落たテーブルと椅子が置いてあり、昼食と休憩ができるようになっている。サンドイッチをつまんで、8階の図書館を目指す。相変わらず、利用者は多いが、本の配置は利用しやすく、席もさまざまな席が用意されているので、まったく座れないことはない。十分に読書をして、図書館をあとにした。

Photo_18W大の講義の前に、久しぶりにO先生と雑談。大学行政の仕事がもうすぐ終わると、おっしゃる時の顔が、たいへん和やかで、とても良い様相だったのが印象に残った。Photo_19講義のあとは、風邪で疲れが出たため、喫茶店Gへ寄って、杏のフランと今日最後のコーヒーを飲む。精神的なカタルシスにとって、すこぶる良し、として、今日を振り返る。

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2012/05/06

雨宿りしながら、鮮烈な歌を反芻した

あかあかと一本道とほりたりたまきはる我が命なりけり

Photo_7という歌が展覧会の入り口で迎えてくれた。この歌で始まる「斎藤茂吉」展へ行く。茂吉が30歳代になって作った歌であり、生命の躍動が伝わってくる。有名な母への感情が横溢している第一詩集の「赤光」から受け継いでの「たまきはる」的な精神の状態がどくどくと伝わってくる。

けれども、すべてにわたって、このような躍動が支配していたのかといえば、そうではない。「赤光」には、次のような寂しい感じの歌も入っている。

かうべ垂れ我がゆく道にぽたりぽたりと橡の木の実は落ちにけらずや

Photo_8いとおしさ、あはれさなどが、ないまぜになってやってきたようだ。アララギの活動では、茂吉と赤彦の木曽連作にはかなりの緊張感がある。木曽福島の谷あいの暗く、新緑に満ちた様子をよく詠んでいると思われる。また、精神医としての仕事も、直接的に作風に影響を与えていると思われる。

自殺せし狂者の棺のうしろより眩暈して行けり道に入日赤く

そして、師である伊藤左千夫が亡くなったときに詠まれた歌は、身に迫る危機を真剣に受け止めようとする真摯さが感じられる。

ひた走るわが道暗ししんしんと怺へかねたるわが道くらし

この歌には、茂吉が強調する時にいつも使う、同じ言葉の反復がみられる。「わが道」ということにかなりのこだわりを見せている。けれども、自信喪失しているわけではない。寒い冬の日にあっても、ハツラツとした歌が詠まれてもいるのだ。

かんかんと橡の太樹の立てらくを背向にしつつわれぞ歩める

111展覧会では、当時の報道写真がたくさん展示されていた。青山病院の火災や、アララギの付き合い、おさな妻輝子とのやり取り、そして、斎藤茂太、北杜夫などの茂吉観など盛りだくさんで、2時間あっても観きれない内容だった。

すでに、陽が高くなって、仕事が終わりになる頃を見計らって、妻と家を出てきたので、会場である「神奈川県立文学館」につく頃には、閉館時間を意識しなければならない時間になっていた。粘って、閉館の音楽を背に聞きながら、文学館をあとにした。

Photo_10この頃までには、予報通りに雨がポツリポツリと振り出してきた。文学館の裏にある、111号洋館を迂回して、池の雨音を聞きながら坂道を登って、玄関を左に見て、立派な門に到達するころには本格的に降ってきた。そこで、庭園を見ながら、雨宿りして、時間を潰す。

Photo_11雨上がりの山手の街は、連休の人通りが嘘のように閑散としていて、落ち着いた街に戻っていた。いつものように、外人墓地を右手に見ながら、貝殻坂を下り、公園を突っ切って、ジュール煉瓦工場跡から、元町に入った。

Photo_13横浜元町は、常に独自性を持ち、洗練された街を目指しているように思える。だから、他の街にないような特性を伸ばしていれば、たぶんこれからも、横浜の街を象徴する街を保っていけると思う。横浜に住んで、まだ数十年にしかならないものが言うのが僭越であるが、どうも洗練されすぎるところがむしろ難点になりつつあるように、最近になって思えてきた。それがどのように作用するのかはわからないが、たとえば、写真のように、洗練された横浜老舗が並ぶ中で、シャッターを下ろしている店も目立っているのは、ちょっと心配だ。

Photo_14それにしても、子供の小さな頃に連れてきた店が、まだまだ残っているのは嬉しい。横浜の子供であれば、D家具屋さんの大きな赤い椅子には、一度は腰掛けさせてもらったことがあるはずだ。Photo_15また、今は鉄道会社に買収されてしまったUスーパーマーケットの緑の紙袋を持たされたこともあるはずだ。今日は、妻の好みの抹茶ロールケーキと、わたしの選んだ勝沼のワインとを買って、家に帰るとする。

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2012/05/04

電気をめぐる関係から、人と人の関係に至るまで

Photo東京都現代美術館で開催されている、「田中敦子展」へ行く。連休中の風邪がひどく、家に閉じこもっていたのが、やはり外に出てしまったために、なかなか治らない。それで、人混みのところは避けて、図書館へ閉じこもっていた。

これはこれで、調子は良かったのだ。30年間分の新聞をざっと目を通したのだ。今は検索が出来るので、随分楽になった。けれども、これは風邪と同じで、頭の中を強い風が吹き抜けて行く、という調子で、さらに3日間があっと言う間に経ってしまった。

Photo_2「田中敦子展」は、本当に偶然に見つけたのだが、田中が所属していた前衛団体の「具体」という名前だけは聞いたことがあった。田中敦子の作品は、「コネクティング」というテーマで展示されているので、どのような「結合」なのかを見にきたのだ。Art of Connectingと題されていて、このConnectingという言葉に、特別な刺激を受けていた。スタートは実践的で具体的なもので、結合するものが抽象的であるという大方の期待を裏切って、予想以上のものだ。これは、見事な発想だと思う。原点は、じつは電気なのだ。

部屋中を巡って、ベルの音が駆け抜けて行く。近くのベルの音は、大きく聞こえ、遠くの音は、小さく聞こえる。という単純な装置だけで、次々に鳴る場所を連続して隣から隣へ、伝えて行く。それだけで、身近さと疎遠さが物理的な関係として、表現されてしまう。ベルという作品だ。

Photo_3音の次は、光で、一人の人間が様々な光を発していて、赤い玉、青い棒状、黄色い玉、緑の棒状など、およそ他者を惹きつけるに十分な華やかな、夥しい電球が一人の人を包んでいる。「電気服」と名付けられている。

これが、出発点となっていて、はじめはこの電線が玉をめぐり始めて、コネクティングになっていくのだが、つまりは、これからおよそ50年間に渡る、丸と線だけで表現される「work」という作品群が、田中の亡くなるまで展開されて行く。

Photo_4もちろん、一人の作家の作品についての生涯にわたるシリーズがすべてConnectingというモティーフだけで描かれているということはあり得ないが、それでも、この連作は息が長くて、1960年頃に始まって、亡くなる2005年まで続いているから、約半世紀に及ぶ時間の長さを誇っている。

今回の展示の中にも、他のモティーフがない訳ではなく、「カレンダー」の連作や「舞台服」の連作は、それだけでもかなり興味深い。かなり「余白」部分が多いために、その間を想像力で埋めることが楽しくなる作品群だった。

たとえば、カレンダーからいくつかの逸脱した作品が生まれている。キャンバスの中に、カレンダーの「週」の横のつながりがいく筋にもなってデザインされていて、いわば数字が抜けた帯となって残っている。そして、数字はひとつの数字が分断され、連ならされて、一定のリズムを刻んでいる。といった具合だ。

Img_0264ちょっと見た目には、構成主義的な幾何学模様に見えてしまうが、そうではないらしい。ここで注目されるべきは、むしろ形態よりも展開であり、動いて行く様が重要であるのだ。このような発展のプロセスが面白いと感じた。

たとえば、これらの連作の出発点は、実践である。このことは、のちの発展が、抽象的に発展しており、このことを考え続けるならば、奇異であり、まったくよくわからない動機だ。ここで登場してくるのが、前述の「電気服」なるものなのだ。キュウリのような長細い電球を積み重ねたような、眩しい洋服をまず作ってしまうのだ。

Photo_6この実践があって、次にこれらの配線モデルをいくつか描いてみた、という、絵画の連作なのだ。それがWorkとなって、どんどん展開を開始することになる。最初は「葡萄の房」のようなものとして、小さな丸印のグループの絵となる。次に、画布いっぱいに、「電球」が散りばめられて、それぞれ二箇所の結節点を持って、つながって行く。赤い線でつながったり、青い線でつながったり、黄色い線で結ばれて行くのだ。

線には、特にこだわりがあって、互いに玉の上では決して交差しない、けれども一度、線同士が絡み始めると、そこには戦争状態が現出する。玉の周りをクネクネと結び合っている。これらの玉を全部とったとしても、そこに関係性が残されているだけなのだが、それでも結び合わされていることが重要で、それがぐっと前に出る工夫がなされている。

電気というモティーフには、プラスとマイナスがあって、すでに関係性という意味が込められていることはわかっているのだが、改めて電気から、配線モデルへの転換がなされたときに、抽象に転換されることになる。いくら抽象であっても、最初にこれが定着されてとしまうと、パターンが固定されてしまう危険性があるのだが、ここでは、むしろパターンそれ自体が抽象の対象になっているために、球が大きくなったり、小さくなったり、二重になったり、内側からつながったり、外側から結んだり。パターンの多様性はすこぶる多くの例を示していて、その様子は、自然界の多様性と同じ様子を示しているのだ、といえる。

これらの電気服から始まるモチーフが、半世紀に渡って、継続され、転回されて行く様は壮観だ。最後の到達点が、カンディンスキー的な模様であっても、その経過と歴史は、まったく異なるものだ。この全体的な構成美というもの自体、時間がかかっている分、かなりの価値を生み出し、観るものに迫ってくるのだ。

ベルの鳴り響くホールは、行って帰るだけでなく、このけたたましさを共有する空間となっていて、一人一人ベルを押して、その共有を確かめる工夫が行われている。このベルの音は、あたかも近代になって、電気によってしか人々が結びつくことができないことを鎮魂しているかのようだった。

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2012/04/30

連休は風邪と共に去りぬ

渋谷の講義が終わって、皆と別れて、東横線に乗ったことまでは確かに覚えている。ところが、その一昨日前からの鼻風邪がどうしても直らない。熱が出てきて、鼻水が止まらない。医者からもらった総合感冒薬を飲むが、風邪に薬が効かないという定説通り、まったくどうにもならない。どんどん悪くなる一方だ。これほど、悪くなっていく、様子の見える風邪も、ここ1年来ということになるかもしれない。昨年のブログを観ていたら、ちょうど1年前にも、鼻をグジュグジュさせていた、とあった。けれども、そのときはどこかへ出かけようという意欲だけはあったらしい。今回は、それすらまったくない。

それで、晴耕雨読ではなく、晴耕風映とでも言うのだろうか。ここ数日、晴れることはなさそうだから、風邪を理由にして、映画三昧で過ごそうということになった。もっとも、それはひとりで決めたことだが。家族は、富山の高岡から能登半島への旅行へ出てしまった。

一日中寝込んでいた昨日のように、周りで何が起こっているのかわからないということはないが、本を読んでいても、世界が目の前で回り出すほどだ。朝から風も出て、雨も激しくなってきた。そんなお天気模様のなか、家で映画を観るにはちょうど良い日ということになるかもしれない。

朝早々に、テレビを付けると、フランキー堺主演の映画「地方記者」をやっていて、中央の記者とどこが違うのか、というドキっとするようなセリフが飛び交っていて、興味深かった。また、続いてちょうど1963年制作の岡本喜八監督映画「江分利満氏の優雅な生活」を放映した。当時の高度成長期の映画にしては、すでにそれを超越した作りになっている。サントリーの宣伝部という、それだけでイメージがあるような、職場の雰囲気が良く出ていた。

もちろん、会社の仕事はそんなに甘くはないだろうが、たとえ嘘であっても、高度成長期にこのような人びとが実際に活躍していたと思わせることが重要なのだと思われる。この点で、まだ高度成長期のほうが職場に余裕があったなと観察することができ、ところどころ面白くて観てしまった。

主人公が、第二次大戦中の父親をはじめとする戦争商売に対して、批判的な視点を出している。それにしても、小林桂樹が山口瞳の役を演じて、飲んでしゃべり、ときには絡んでえんえんと一晩しゃべり続けるだけの映画をよくも撮ったものだと思う。後半はさらに加速して退廃気味になって、高度成長からは逸脱するが、前半のテンポのよさは、積極的に高度成長期を描いていて面白いと思う。

Photo_11池脇千鶴主演の「ジョゼと虎と魚たち」は、以前観たときには忘れてしまっていたことが、かなりあって、また田辺聖子の小説を引っ張り出してきてみると、どれも皆違っていて、どこに最も印象に残ったところがあるのか、と探してみると、一番目には、虎が正面から「がおっ」と迫ってきて、怖い物を一緒に観たかった、というところかとも思ったが、どうもそうでは無いらしい。二番目に、男の子が、おばあさんが亡くなったあと、訪ねてきて、帰ろうとするシーンかと思えば、それはそれで小説でも映画でも、共通に名場面を構成していて、たいへん良かったのだけれども、どうも今一歩ちょっと違っている。

このころまでには、風邪もずいぶんと進行していて、すでに花粉症ではないことは十分認識できるほどになってきていた。それで三番目に、何がこの映画で最も印象的だったかといえば、それはこの映画の中でも最も映画的な部分だ。ジョゼは足が悪くて、台所では椅子に座っているのだが、その椅子から降りるときに、言葉では説明できないような、「ドダ」と音のする降り方をする。この一瞬、椅子の上の映像から、ふっとジョゼが消えてしまうとき、あれっという感じなのだ。このシーンはこの映画の特徴をよく掴んでいる。

映画はさらに続いて、すでにロードショーでは観ていたアルモドバル監督の「ボルベール(帰郷)」で、原色に近い色調で、香りが匂ってくる感じを、熱に魘されながら観てしまう。さらに、ゼタ=ジョーンズ主演の「理想の彼氏」で、心の中でニヤニヤ過ごし、ヒュー・グラント主演の「ラブソングができるまで」になるころには、映画であれば、もう何でも良いというくらいになっていた。だから、いつの間にか、夢うつつでうたた寝をしている最中に、どういうわけか、これらの映画が二度目を放映し始めたから、世の中がどうなっているのか、と不思議な感覚で眺めたものであった。

このようにして、連休を過ごしたのだが、だからこの休み前半にいったい何があったのか、よく覚えていない。すでに、歳老いてきているから、これからの毎日を予想させるに十分な、今回の風邪模様であった。記憶や自覚というものが、風邪とともに去って行ったのだった。

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2012/04/26

裏切りは不信と確信と共にやって来る

Poster呼び声どおりの映画は少ない。その中にあって、映画「裏切りのサーカス」は、原題がTinker, Tailor, Soldier, Spyで、いかにも曲者揃いのスパイ劇という匂いがプンプンとしてきて、堪らない。アダ名が鋳掛け屋、洋服屋、兵士などで呼ばれる英国情報部(サーカス)幹部の一人が「モグラ」と呼ばれるソ連の二重スパイなのだ。

事件は、諜報機関のトップであるコントロールが右腕の主人公スマイリーと辞任するところから始まる。一連の事件の発端になったのは、ソ連側がW作戦を仕掛けてきていたことにある。この作戦で、ソ連の情報を混乱させるために、英国情報部幹部たちに、偽の情報を持たせ、故意にソ連へ通じさせるという作戦を取る。ところが、ソ連側はその上を行って、その情報の流れを利用して、二重スパイの「もぐら」に真の情報を持ち出させることに成功する。

この「もぐら」は、幹部のうちの誰だったのか。コントロールが謎の死を遂げたあと、スマイリーに「もぐら」探索命令が下されることになる。スパイ同士の虚々実々の駆け引きが展開されることになる。スパイの世界では、すべて虚実であっても、それも真実なのだ。嘘は日常のことであり、嘘の中に真実があると言って良いほどだ。もし疑問が生ずるとすれば、それは真に本当のことが表に現れてしまった時に、なぜなのかが問われることになるといえよう。

さて、この作者の仕掛ける頭脳劇にどれほどついて行くことができるだろうか。じつは、劇場はほぼ満席であったのだが、わたしの隣に座った若い人は、始まって30分ほどで眠り込んでしまった。だからして、決してこの映画は、すべての人向きではない。けれども、なぜそう行動するのか、と問い始めたら、眠気などは吹っ飛んでしまうはずなのに、と思うのだが。

二重の関係性ということが、信と不信の両方を運んでしまうところまでは真実であると言えるが、その関係のどちらが真実で、どちらが虚実であるのかは、このようなスパイ状況では見えない。そして、見えないままに、映画も進行して行くのだが、この複雑さが堪らないのだ。

映画の色調は、極めて英国調であるのだが、どうしてそう見えるのかは、この映画の物語と同じように全体から来るイメージにかかっているからだと思いたい。担当したデザイナーの力量にもみるべきものがある。同様にして、デザインが自律していると同時に、英国諜報部の特徴は、個人主義的であって、常に命令に従わない者が現れるところが物語を面白くしていると思う。だからこそ、二重スパイ問題は、英国情報部にとっては、普遍的な問題なのだと思われる。

Photo_6W大の講義まで、まだだいぶ時間があるので、久しぶりにお堀端を日比谷から東京方面へ向かって散歩する。日比谷公園の角から右に折れると、まず見えるのが、第一生命ビルで駐留軍が本部に使っていただけあって、重厚な建物だ。玄関を入ると、贅沢な空間が広がっている。次のビルが帝国劇場で、いつも中年・老年の小母さんたちが集団をなして玄関近くにも、また、それを見ながら遠巻きにして、またたむろしている。

Photo_7そして、今日の目当てとしていた東京會舘ビルである。漢字が旧字で表示されているところからも、権威を感じる。ここまで、三つのビルだけにもかかわらず、ずいぶん歩いたな、という気分だ。気分だけではなく、実際にビルの大きさが違っているのだが。ひとつひとつのビルの大きさが現代のちまちました雑居ビルとは異なるために、街並み自体も風格があるのだ。落ち着いているのはよいのだが、その分費用がかかっており、利用するにも応分の負担が必要であるところが、すこし欠点だ。

Photo_9堀端には新緑の並木が薄っすらと雨露で輝いており、車の交通量がもう少し少なければ、ここは格好のオープンスペースのカフェになることだろう。昔栄えた街が再生されて、将来もっと客がくるようなまちになるだろうか。東京會舘の窓側の席はゆったりしていて、テラス的な気分を十分伝えている。Photo_10もう少し日本の人口が減って、ここが散歩道として復活するようになる可能性は十分あろう。そのころには、もう生きていないかもしれないが、実現可能な状況として、想像することだけは現在でもできるだろう。

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2012/04/25

ランチを食べて、知識欲をも満たしてくれるような大学

今や、放送大学の特別食堂(第2食堂)となった、とわたしたちは呼んでいるのだが、中華食堂「ホイトウ」でランチ。少し早めにいったのだが、お一人がすでに食事を取ってらっしゃる。中世歴史のG先生であった。以前、岩波新書をいただいたことがある。歴史に浮かんでくる土地を訪れて、その土地を歩いて回る本で、一冊こちらが読むと、自然に時空間を旅することのできる、素敵な本だった。

それで話が弾んで、最近は講演を行うときに、その場所に由来する話を考えることにしている、という話をお始めになった。知識生産の「地産地消」ということなのでしょうか。

たとえば、ある地域で、特定の「街と山」の結びつきを歴史的に話すとしよう、と続けられた。実際には具体的な場所についてお話してくださったのだが、複数の地域に共通していることなので、記号として記しておくことにする。その「街と山」は、距離は近いのだが、しかしわたしには何の結びつきは何も無いように思えたのだが。けれども、時間を長くとって探ってみると、そこには、江戸時代からの特別な産業が育っており、さらにその製品を全国に広める、いくつかの経路が見えてきた、ということである。思わず、話に引き込まれ、こちらも知識を総動員して、お話に参加しはじめてしまった。

土地には、郷土史家がいて、詳しいことをご存知じゃないですか。というと、それも楽しみのひとつです、とおっしゃる。郷土史家は、その土地についてはよくわかった人が多い。けれども、詳しければ良いというわけではない。それを上回る自由な発想をすれば、互いに得るところがあるのだと、悠然とした構えである。

このような地域の特殊性と、全国の共通性を超えることのできるところが、歴史学の良いところだということらしい。ランチを食べに行って、食欲を満足でき、さらに知識欲を満たしてくれるところとして、放送大学周辺が存在するとしたら、五体のバランスを取ることができ、すこしは大学本来のあり方に近づけることができるのではないかと思われた。

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2012/04/24

車で追いかけられ、兵士に銃を突きつけられたら、どうするか

Photo_5世の中で最も行きたい場所と、最も行きたくないところを挙げなさい、と聞かれたならば、前者はたくさん挙げることができるが、後者については、わたしには想像力が欠如していて、そうたくさんは挙げることができない。けれども、この映画をみたら、一つ追加することができるだろう。

ほぼ確実に死ぬかもしれない場所は、最も避けたいところだ。「ルート・アイリッシュ」という道路は、世界でも珍しくテロが多発する場所として知られているらしい。この道路は、米軍区域とバグダッド空港を結ぶ道路で、アルカイダをはじめとして、現地の戦闘ゲリラ隊が目を光らせ、常に襲おうと手をこまねいているところだ。もしここを任務で、一日何回も往復させられたとしたら、それは他殺に近い行為だということになるということだ。

映画「ルート・アイリッシュ」(ケン・ローチ監督)を、千葉劇場で観る。物語は、このルート・アイリッシュ道路で車が炎上し、友人のフランキーを亡くした元民間兵のファーガスが、この友人の死に疑念を抱き、預かった携帯から事件を解明して行くことが始まりとなる。イラク戦争での民間兵、英国へ帰った民間兵の喪失感、残された遺族、妻レイチェルとの違和感、組織の硬直性など、社会問題とサスペンスの中間を狙った映画だと思う。

問題は、国の軍隊ならば、その軍隊の行動は最終的にはその国に帰属するものだと言えるけれども、民間兵の場合には、国が雇ったからと言って、その国の責任になるのか、という点である。おそらく、民間兵の行動は、国の軍隊よりは自主的な判断で行動することが許されていると思われる。命令が気に食わなかったら、最終的には、民兵を辞めれば良いからである。

そうすると、民間兵の責任は誰が取るのだろうか、という疑問が湧いてくる。イラク戦争では、戦後のイラク議会で「民間兵の責任を問わない」という法案が可決されてしまった、とこの映画は伝えている。戦争が何らかの合理的な説明で解決できるものではないことは知っているとしても、このようなルールのない命のやり取りが行われていることが、実際のところ真実なのである。

最後は、戦争の連鎖は報復を以って閉じており、戦うことがコミュニケーションの元にはならないことを、苦々しく伝えている。それにしても、銃や爆弾の使い方が、これほど日常化しているのは、常に戦争状態であることを、彼らは認識しているからに違いない。わたしたち日本においても、このような戦争状態を想定した日常生活を暮らすことができるだろうか、実際には、このような戦争状態が日本にも存在することを想像できるだろうか、ということをこの映画は突きつけている。

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2012/04/23

90歳を超えれば、大往生だ

今年にはいってから、大正9年生まれの身近な親戚と遠い知り合いが、3人も亡くなった。義母と、父の友人だった勅撰歌人のM氏、そして、M氏とも諏訪清陵で同期であった、今回亡くなった、わたしの伯父Tである。すでに90歳を超えたところなので、わたしの近辺でも最長老であった方々である。90歳を超えれば、大往生といっても良いと思われる。

雨が降る中、妻と娘を伴って、告別式に出てきた。親戚の挨拶の中で、伯父の紹介があった。江戸時代から続く信州諏訪の「亀長」の屋号を持つ、刀や鍬などの金物関係の商家の当主で、15代目に当たる。この家は、相当な金持ちだったらしく、「諏訪は亀長で持つ」と称されたらしい。その後、むしろ分家筋に当たる「亀源」や「亀泉」などが、味噌や酒の醸造などで勢いを持つようになってきたらしい。祖母の葬儀が諏訪の正願寺で営まれたときに、大勢の親戚がいるので、驚いた記憶があるくらいだ。

中世から現代に伝わる「諏訪上社」の古文書や、江戸幕末上州「茂来山鉄山」のたたら製鉄経営で、名前が散見される。明治になってから、安曇野に今でも残る水力発電機を利用した松本島内工場で、日本初の「電気製鋼」を行った家としても記録されてきている。鉄鉱石と電力が豊富に手に入ったから、当時は十分採算が取れる事業だったと思われる。現代の特殊鋼へ技術が引き継がれて来ていると聞いている。

伯父は根っからの技術屋さんという性格を持っていたが、当主としての伝統を受け継いでいたので、カメラのレンズを専門とするメーカーの役員を長く務めていた。生活はきわめて質実かつ合理的で、信州人特有のきまじめさを持っていて、しかもさっぱりとした性格だった。

毎年夏になると、わたしが諏訪にある放送大学の学習センターで講義を行うので、そのあと、諏訪湖畔からすこし入ったところにある「鰻屋」さんで、会食するのが習わしとなっていた。戦前の横浜工高出身だったので、横浜の弘明寺のことは詳しくて、よく学生時代の横浜のことを話したことを覚えている。当時は、三殿台の丘に登れば、切り通しで一回降りる程度で、尾根伝いに横浜山手まで行くことができた。学生達の散歩コースだったらしい。戦後は、駐留軍の住宅が建ってしまったので、このコースはわたしたちのころには、流行らなかった。このように、物事を正確に話すことに長けていたから、最盛期の亀長時代などの話を、脚色なく話していただいたのを懐かしく思い出した。

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2012/04/22

映画「ヘルプ」で何が助けられ、何が助けられなったのか

Photo_4「The Help」を観る。ヘルプというのが、日本語の「お手伝いさん」という意味に、そのままなっていることを知った。とくに、米国の高度成長期に、郊外型の核家族が成立し、中産階級でもかなり裕福な家庭が現出し、「お手伝いさん」を雇えることになった。恒常的に、ヘルプの人出が足りないということが起こった。1960年代の米国社会の在り方がこの映画では問題とされている。そしてもちろん、ここでは人種問題と公民権運動は、重要な要素だった。

1960年代の米国南部ミシシッピー州には、黒人差別が根強く残っていた。公的な場においては、日本でも報道されているので写真でよく知っていた。バスの乗降口が別だったり、公衆トイレの入口が別だったり、さらには店についても黒人が利用できる店は限られていた。けれども、この映画が問題としているのは、公的な場所を一度離れたところ、プライベートな場所での差別だ。観ると、歴史的な記述では伝えられていない差別の存在がわかる。

つまり、家庭の中での黒人差別の問題だ。それは身近な問題であるだけに、かえって見過ごされ、さらに増幅されていた問題だといえよう。親密圏の中ほど、愛憎は激しく出てくる。社会の中で、公民権運動が激しくなり平等が叫ばれるほど、親密圏での差別がかえって激しくなるというパラドクスを描いている。

たとえば、衛生問題が差別を助長することは、親密圏特有の問題だと思われる。この映画の一つの象徴として選ばれているのが、ヘルプが家庭内のトイレを禁止され、外のトイレへ移されるという問題だった。そのことが、どのように問題を大きくして行くのかは、映画を見ていただきたい点である。

この映画は、白人女性で、結婚に行き遅れたジャーナリストが、ミシシッピー州の故郷の街でヘルプのインタヴューを得ることで、隠れていた差別状況を明らかにし、最後には一冊の本を上梓する物語である。メイドという一般的な名称も使われているから、このヘルプという名称はやはりこの時代、この地域の特殊な意味を持っているのだろうと想像される。

後半最大の見せ場は、「親密な関係における信頼とはどのようなものか」という点である。メイドだからして、日常の食べ物はすべてメイドによって作られている。もしメイドの信頼を失ったとしたら、どのような事態が待ち受けているのか、考えるだけでも恐ろしいし、本当のところを見てみたい事態だ。主人にチョコレートパイを食べさせる場面だ。あーあ。それだけはやめて欲しい。

親密な関係だからこそ、ひとたび信頼が失われると、もっとも恐ろしいことが起こるのだ。「食べ物に何が入っているかわからない」という状況は、人間関係の中でも、最も不確実な事態となりうることを、この映画は示している。

それにつけても。このヘルプの時代、1960年代は、米国にとって最も社会的信頼性が高かった時代であると言われている。公民権運動が盛んで、社会が良くなるという幻想がまだまだ存在し得たのだ。ところが、この時代を過ぎると、崖を転がるが如くに、米国の犯罪率は高くなり、社会的信頼性は地域で見られなくなるのだ。差別をなくそうということが、最後の信頼の証でしかなかった。このように、まだまだ幸福な時代が米国にもあったのである。

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2012/04/21

言葉は真実を隠すために存在する

Photoスプーンは、ジャムを「すくわせない」ためにあり、ちょっと省略して、言葉は感情を「隠す」ために存在する。道具は、その目的のためにあるのだが、それは許容度の範囲内で活きる技術なのであって、手段は無限の人間欲求を実現するものではない。むしろ欲望を制限する役割を果たすものとして存在すると言った方が適当な場合がある。

本来はほとんどのスプーンは、ジャムなどをすくい取るために作られている。この積極的な面だけを見ていると、スプーンはキラキラと輝くばかりだ。けれども、どう見ても、この写真に写っているスプーンはすくい取るために作られたのではない.。このようなスプーンが存在するのだ。それが、無造作にジャム入れに突っ込んであったりすれば、それは明らかに、スプーンであって、スプーンではない。だからこそ、ダイエットの効果は抜群なのだ。

世の中には、このような、一見中途半端なものがあって、「馬鹿にするでないよ」と言いたくなるほどのものがあり、じつはそう言わせるために、作られているものがあるのだ。それはそれで存在理由が立派に存在するから、じつは世の中はたいへん不思議な構成を持っているのだと、かえって感心したりするのだ。

スタンダールの小説を映画化した、ジェラル・フィリップの映画「赤と黒」の中では、ちょっと違ってはいるが、やはり「言葉は態度を隠す」、という箴言が出てくる。これなどは、フランス的であり、ほんとうに隠すということが必要だから、という実用的な隠し方のように思える。

ここまで実用的である必要はないが、そして、言葉は言葉自体で存在する世界を持っているのだから、もっとレトリカルな意味を付け加えることができそうにも思える。

論文を書いていると、ときどきスランプまではいかないとしても、書いたことに懐疑的になることがある。言葉は何のために存在するのか、などというとんでもない妄想が立ち上がってくるのも、調子の悪い時ほど、目立つものだ。

ほんとうのところ、言葉は何のために存在するのか。ということを問うというところからして、否定的なことを予想してしまうだろう。その期待に従うならば、「言葉は真実を隠すために存在するのだ」と言いたいところだ。

どうしてそうなるのかといえば、ひとつの事を書いていて、じつはその一つのことの一部しか書いていないのではないかと、思ってしまうことがたびたびあるのだ。

今日は、久しぶりにM2の方々との大学院ゼミナールを開いた。もうすでに東京文京学習センターの桜も最盛期をすぎて、ほぼ葉桜に変わりつつある。このところ、卒業研究やM1の新入生と付き合っていたので、新入の状態からグループの状態へ参加を引き上げるにはどうしたら良いか、という点を考えていた。M2の方々と話してわかるのだが、何回も言葉を交わして行くうちに、参加することになっている、というのが実情だ。「暗黙知」の部類に属する、集団特有の参加条件があるのだと思われる。

この点で、M2の方々とは、すでに1年間に渡って、言葉を交し続けてきているので、話していても議論をしていても、気の置けない安心感がある。話の筋が見えているということが、一番大きいと思われる。互いの議論の進む行方、方向性がほぼ予想できると言える。この結果、ストレスを感じさせないコミュニケーションが可能になるのだ。

Photo_2さらに今日は、昨年のOBのH氏も出席して議論に加わったので、厚い論議を展開できたと思われる。二人の発表が終わり、少し休憩が欲しくなったので、昼食を取ることにする。先週、花見客で満席であったパスタ屋さんを目指したが、桜はすでに散ってしまったにもかかわらず、店は長期休業の札がかかっていて、当分食べられそうにない。桜祭りで、そのあと休業したらしい。

Photo_3そこで、坂を少し下ったところにある、ケーキ屋さんのランチを食べることにする。プレート式のビーフシチューのあとは、この店の特別製モンブランを食べることにする。クリームが柔らかく、大きくたっぷりしているのが特徴だ。このケーキ屋さんはこのような住宅街では目立つ建物になっている。今回は、ゼミの中で女性の比率が高いので、ケーキ屋さんのゼミというのも、議論が盛んになって良いかもしれない。駅近くのケーキ屋さんがつぶれてしまったのは、痛いところだ。

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2012/04/20

渋谷での講義デビューだ

Photo_18今日から、渋谷で講義が始まる。渋谷デビューという気分だ。今日一緒に出ていただいた先生が言っていた言葉が印象的だった。まさか、渋谷という場所で、「教える」ということをするとは思わなかった、と。繁華街で、遊びの街というイメージのところで、どれだけこの試みが成功するのかは、わたしにとっても、興味津々である。

Photo_19今回の教室は、駅前のバスターミナルの真ん前に建つ、Tokyu Plazaを会場としている。夜の学校という特色があって、19時半からはじまって21時までの時間だ。その昔、今から45年前の高校時代、このビルの5階に当時もあり、今もある「紀伊國屋書店」に、必ず放課後寄って、時には後ろの方にあった喫茶店(今はない)、あるいは、このビルをちょっと出て、一本入ったところにあった喫茶店で、たむろすることもあったのだ。

もちろん、前にも書いたように、大学院生時代には、この246号線沿いの道筋を少し上がって、山手通りを左に折れたところに住んでいた。そこは、カトリック修道院の寮で、そこに入って、ストイックな生活(残念ながら信者ではなかったが)をしていたので、時々はこの坂を下って、俗世間の空気を吸いにきたのも、このビル近辺であった。お腹の空いたときには、246を隔てて、小さな工場を持つほどの豆腐屋さんがあって、そこは中華料理屋さんも経営していたので、栄養満点の定食を食べていた。その裏にあるジャズ喫茶Mにこもって、紀伊國屋で買った本を読むときもあった。

じつは、放送大学に来て、多くの授業は受け入れていただいて、仕合わせな講義人生をおくらせていただいたと思っているが、ひとつ残念に思っていることがあった。それは、この大学では、「文献購読」系の授業が学生に人気がないということである。それは、一般の大学でも、文献を読むのは手数がかかるし、予習も大変なので不人気なのだが、だいたいは必修科目に指定することで、何とか維持しているのだ。

今回は、文献購読という考え方を、いっさい取り払ってしまい、ちょっと違うコンセプト、つまり「読書会」を行ってしまおう、という意図で、講義を提案して見たのだ。おかげさまで、意図だけは受け入れていただいて、意欲的な学生の方々が集まってくださった。

最初に自己紹介をしてもらったが、皆さんそれぞれ特有の読書体験を持っていて、活発に発言してもらえそうで、これからの授業の進行が楽しみである。字を知る前に、枕元で本を読んでもらったという経験を語ってくださった方がいて、読書会の起源が黙読ではなく、音読から始まった歴史がヨーロッパにあることを思い出した。

また、渋谷に縁がある小説家のO氏が好きだ、という方もいらっしゃった。何かの因縁であろう。推理小説の刑事ものが好きだという人もいれば、その刑事関係を現実に扱っている法律事務所に勤めている人もいるということだ。小さな時から、読書感想文でつねに賞をとっていたという方もいれば、大きくなって、これじゃいかん、と本を読んでみたくなったという方もいる。

Photo_20今日の講義テーマは、「なぜ本を読むのか」ということで、題材を提供して、話し合ってもらった。ポイントは読むことによって、記憶として残すか否かという「フィルタリング」の是非あるいは可能性について、最終的な議論が落ち着いてきたように思われる。次回から、本格的な読書が始まる。

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2012/04/15

「もっと広く、もっと深く、もっと一緒に」

Photo_16今日は大学院の新入生のためのオリエンテーションの日だ。 注目点は、どのようなゼミナールが今年は成立するのかな、ということに尽きる。ゼミということの不思議さは、毎年流動的であるということにとどまらず、不確実であるという点である。

ゼミナールはいうまでもなく、グループという複数の成員が伴う特徴を持っている。グループであることからして、集団特有の力学が働くことがあるということが、たいへん興味深い点である。

近年、組織を考えたいという学生が、わたしのゼミ生の中では、どういう訳か、増えてきている。そこで、共通の話題が湧き上がってきていてたいへん面白い。放送大学では、学生の個性が強いので、通常はバラバラのテーマが林立していて、共通の議論を形成することは珍しい。今回はこのような意味では、稀有のゼミである。

Photo_17「大学の窓」という広報番組が、放送大学にあることはこれまでもこの欄で伝えている。その取材が今回はわたしのゼミに回ってきた。このような新たなゼミのオリエンテーションではほとんど特色が出ないと思っていたので、遠慮したかったが、新しいメンバーを見ていると積極的な方々が集まってきているので、このような取材に応えることも、学生の方々の表現の訓練になるので、二つ返事でOKをしてしまった。テレビカメラの前ではわたしの方がよほど、訓練が必要であることがわかったのだが。これで、放映が楽しみである以上に、ゼミの展開が楽しみになってきた。

加わっていただいた先生方はたいへん熱心だった、わたしのほうはビデオ取材があったので、たいへん長く感じていたが、それが終わっても、まだお話を続けていた。また、学生のほうも熱心で、最初の自己紹介の段階で、他のゼミの展開に興味を示し、そちらへも出て見たいという方々がいらっしゃった。このような集団連鎖を呼び込むところが、放送大学らしい良いところである。

ところで、学生の方々の録画が終了して、わたしの番になって、用意してきた話をしゃべり始めたのだが、通常は2分程度の内容だから4分ていどのことを喋れば良いのだ、とおもっていたら、担当のSアナウンサーははるかに10分を超えて、質問してきたのだ。それで仕方なく、昔、昔、考えていて、お蔵入りさせていたことをしゃべる羽目になってしまった。

それは一つの標語なのだ。放送大学は「いつでも、どこでも、だれでも」というユニバーサルな教育標語を唱えてきた。これは、学則にはないものの、ほぼ放送大学関係者の間では、学校の設立理念と言っても良いくらいの認識を得てきている。

これに対抗するわけではないが、大学院もできたことだし、放送大学も高度化したのではないかと思われるようになってきている。教養に高度化は語義矛盾ではないかと、言われてしまいそうだが、それは置くとして、その場では、ちょっと説明したのち「もっと広く、もっと深く、もっと一緒に」ということで話を締めた。これで、完了したと再び思っていたのだが。

この辺は、Sアナウンサーの茶目っ気のあるところで、言外のサービス精神が手厳しく、繰り出されるのだ。「もっと広く、もっと深く」という具体的な内容は、どういうことですか、とおっしゃるのだ。そこで、さらに大風呂敷を広げることになってしまった。その結果をしゃべっている時には、ちょうどカメラが違うアングルの映像を撮りに離れたところで、残念ながら録音されずに、口がパクパクしている映像として残されることになった。さて、どのような風呂敷が広げられたのだろうか、自分のことながら、ここは録音されずに済んで良かったと、ほんとうのところ思っているのだ。たぶん、この調子だと、上記の関連ほとんどの発言はボツになっていることだろうと思う。だいたい、テレビ・ラジオの授業もすべてが入るわけではないのと、まったく同じで、しゃべったことの10%も伝わらないのだ。Sアナウンサー、「大学の窓」班、ご苦労様。

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2012/04/13

映画「ドライブ」は現代版「シェーン」である

Photo_15カウボーイという人間類型には、数多くのものがあることはわかるが、映画に定着されるほどに典型的なものというのは、少ないと思われる。ジョン・ウェンの保守的なカウボーイは、一つの典型であると言える。けれども、正統からは外れているが、日本の任侠にも似たアウトサイダー型のカウボーイといったら、やっぱり「シェーン」だと思う。

小学校六年生の時に、田舎から東京へ出てきて、「良かったな」と思えることは、映画を安く見ることができるようになったということだった。母の背中にいた乳児時代から、東京目白の映画館に入っていて、木曽福島に住んでいる幼稚園時代も、東映の映画館に毎日入り浸りだった。ここまでは、無料であったから、良かったのだが、小学校時代に料金がかかることになって、不自由になった。中学校時代の東京池袋には、「名画座」がいくつか有った。廉価の映画館であって、二本立てで当時中学生は50円で見ることができた。東京に出て来て、はじめて観たのが、友人と一緒にいって、興奮のあまり声が出てしまったのだが、映画「駅馬車」と「シェーン」である。

特に、シェーンは謎の多い映画として、その後何度も記憶の中に蘇ってきている。なぜシェーンと貧しい農家の主人は、街のボスと対立したのか。経過はわかるのだが、本当のところの利害対立はどこに原因があったのか。などなど、その後知識として知ることになることだが、これらの謎が思い出されてくるのだ。

これらの記憶の中でも、シェーンとその農家の家族との関係は、今でも謎に満ちている。最後は、シェーンは子供との関係で、「シェーン カムバック」という最後の言葉で生き残ることになるのだが、じつは主人との関係、奥さんとの関係は微妙だ。

異邦人として生活しているカウボーイが、他者の家族に介入した時に、何が起こるのか、という典型例として、シェーン類型はたいへん興味深い観点を提供してくれる。近代家族の普遍的な問題が含まれていて、シェーンの現代版を描くことには意味があると、わたしには思える。

映画「ドライブ」を観た。主人公がドライバーで、スタントマンと闇の仕事を持っている。隣りの家族を助けることから、その家族の旦那、妻、子供との関係を形成していくのだ。この映画の人気度をみると、西洋では絶賛を得ているにもかかわらず、日本ではそれ程ではないことにも、近代家族の意味が日本では多少違っているのではないかということを示していて、たいへん興味深い。

今ロードショーにかかっている映画「ドライブ」は、シェーンがもし現代に生きていたならば、どのように行動したかを想像させてくれる作品だ。とわたしには直感的に思えたのだが、どこを探してもそんなことを言っている人は、残念ながらひとりもいなかったのは、寂しい限りだ。それでも、ライアン・ゴズリング演じる主人公の「ドライバー」は、口数の少ない、楊子をくわえた感じが、アウトサイダー的な現代版カウボーイ像にぴったりだと思われる。阻害された現代人の典型であると思われる。

近代家族という仕組みは、内にあっては、インセストタブーを原則として形成されていることは常識的な理解であると思われるが、それだけでは、外に向かって広がりすぎるので、これに対しては、不倫タブーや同性愛タブーを原則として標準家族を中心に形成されてきた制度であるといえる。但し、これは原則であって、実のところ、不規則的に破られてきた。また恒常的には、肉体的に禁止されているとしても、精神的にはむしろ寛容で、プラトニックで観念的な家族の広がりは、不倫や同性愛とは認定されず、むしろ親密性の圏内では褒められるべきこととされた。

映画「ドライブ」についても、このような近代家族の神話を強化するものとして、エトランゼとしてのシェーンが、現代においても存在しうると言えよう。「君と子どもと、ほんの一瞬でも一緒に過ごすことができた」というだけで、僕は良かったと思っている、というセリフは、わたしたちが到底口に出すことはできないとしてもだ。現代にあっては、このセリフはやはりアナクロで、寅さんじゃないと日本では流行らないのだろうか。現代にあっては、誰も「シェーン・カムバック」と誰も言ってくれないのではなかろうかという淋しい現実が存在する。

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2012/04/12

家族の中へ入って感じる孤独はより深い

Photo_14久しぶりに、幕張から飯田橋へ出て、映画館Gへ入る。日常生活を描いた英国的な映画が掛かっていると、妻に教えられていた。描かれているのは、カウンセラーという仕事を持つ女性の家庭で、「公と私」の使い分けが難しいことを想像させる内容だ。描き方は落ち着いており、ゆったりとしたリズムを持った映画だ。マイク・リー監督映画「家族の庭(原題:Another Year)」は、一つの家族の一年間を描いている。カウンセラーをしているジェリーと、掘削コンサルタントを業務としているトムの夫婦家族のところに、一人、二人と、息子や兄弟が来たり、カウンセラーの相談で関係のできた人々が来る。そこに、生ずる会話は、少しずれているところがユーモラスであり、空気を読めない人には痛烈な皮肉として、映像が形成されている。

演劇の英国ならではの、劇中会話の妙がたっぷり入った映画である。出演の俳優たちは、いずれも何処かの映画で、必ず見たことがあるようなベテラン揃いで、ちょっとした仕草もきちんとした自然な演技となっている。

職場の女友達だ、ということで、メアリーを家庭に招く。その時の演技は、確かにある程度は正常で、ちょっと陽気過ぎるかな、という程度の友達が演じられる。単に、男運の悪い女性であるかのように演ずる。これが春だ。夏になり、秋を過ぎ、冬にもアポなしで、家庭を訪れる場面が出てくる。

この頃までには、メアリーの性格が明らかになる。この微妙な性格の違いを演じ分けることはたいへん難しいことだが、トムとジェリーの処し方や、メアリーの男たちに体する態度の中から、小さなことをうまく描いていて、飽きさせない。60歳を過ぎた人間のドラマ、という触れ込みだったが、まさにこのような機微に触れる日常生活の面白さは、年をとって見ないとわからないものかもしれない。

一人で、他者の家族の中に居ることになってしまい、その会話に入れない時ほど、孤独を感ずることはないかもしれない。家族というサークルの、親密さゆえの残酷さがうまく最後の場面に現れていたと思う。と、このように言ったからといって、この映画を見てみないと、ほんとうのところはわからないところが沢山ある。映画というものの興味深い点である。どこかでこの映画の広告をみたら、行って観るべし。

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2012/04/11

「委員会」を抽象画で描いてみたら

Photo_12放送大学本部の桜も満開だ。桜の空は、抜けるように青かった。このような写真を撮ることに、何にも違和感はない。けれども、人間関係を写真に撮ろうとしたら、結構たいへんだ。

人間関係を感性的な音楽や絵画で描いたら、それは具象的という意味ではなく、感性そのものとして描いたら、どのようなものになるだろうか。という試みは何処にでもあるようで、探してみるとそれほど簡単に見つかるわけではない。

Photo_13たとえば、「会議」というものを抽象画として描いたとしよう。ある時刻が来ると、議長が始まりを宣言する。これを抽象化したら、一本の線で描くのか、それとも、滲んだ水溶液で画用紙に落とすのか、とりあえず絵画もスタートする。

最初だから、参加者全員が一つの土俵に上がったという意味で、自己紹介を行うことになる。実際には、ぐるぐると線が回るように、それぞれの中心と周辺が明らかにされ、互いに相互作用を果たして行くことになる。点が滲んで行くのも悪くないだろう。

ここで、議長は会議がマンネリに動くことを警戒して、自分の独自性を強調する。このような目立ちたがりの、わたしのような人もいるだろう。最初のスタートの一本の線に交差する真っ赤な新たな線がスッと引かれることになる。これで、絵画全体の構図と動線の可能性が定まったことになる。中心は、複数描かれることで、オールオーバー的視点が、抽象的な中にも圧点と、薄い点とが描き分けられていくことになる。

会議の進行は、ほぼルーティンワークに徹する方が良いので、線画でもポウリングでも、べた塗りでも、リズムを持って、中心から周辺へ、周辺から中心へと塗り進められていく。ところが、途中で何回か局面が変わる時がある。ひとりの人の発言で、何かが開かれる。それを突破口として、あたかも傷口がジリジリと広がって行くように、ワイワイとザワザワと、右に行ったり左に行ったりするのだ。

これらは必ず発言者と受信者のやり取りという形態を取るので、もしキャンバスに描きこまれるとしたら、ネットワーク状の、あるいはやり取りなので、二重線でポロック状の多層的な線画で、多彩な色使いの描き方が残って行くことだろう。話した本人たちは、その一本一本が何を意味するのかが鮮明にわかるのだが、他者からはその時点ではかなり辿ることができたとしても、もはや描かれたのちには、やり取りがあったことしか記憶にはないだろう。ということは、このような抽象画として描かれることは、かなりの真実を反映していることかもしれない。

時には、議論が土手に乗り上げてしまい、壁にぶつかってしまう。これなどは、絵画表現が得意とするところである。左右で断絶が生じているような、活断層のズレが書き込まれれば、それで事態の描写は、ほぼ完璧である。このときこそ、議長の出番であって、当事者は迂回したり、とんでもない方向へ線が引かれ、先は曖昧な滲んだ面となって消えるたりするような局面がいくつか描かれるだけだ。けれど、上からみれば、一目瞭然でどの方向に活路があるのかはすぐわかり、脇から見ている者の特権的な操作が可能なのだ。これほど、議長からは特別に、議論が見えるとは思わなかった。

この議長という役目を行って見て、一番意外だったのは、顔色を見ることがあるということが生じたことである。つまり、あまりに議論の進む先を、先を、と急ぐあまり、参加者で誰が次に何を言おうとしているのかを瞬時に察してしまい、常に先回りした発言をしてしまうという機会が再三再四起こったことだった。これは、つまり心理学でいうところのプライム効果ということだが、抽象画は常にこの先回りしたプライム効果の連続であるという気がするのだ。周りの雰囲気を先回りして描いているような、将来を見通したような絵画によく行き当たることがある。それは、絵画にぽっかり穴が空くような表現であったり、切り裂かれた画面のようであり、向こう側が見えてしまうような表現であったりする。

結局、会議は二時間半に及んで、わたしは長かったなとは思ったが、議論好きのY先生からは短かったですね、と言われてしまった。これまで、一時間半ずつかかっていた会議を三つ統合したので、総合的には短くなったのでは、とK先生も慰めてくださった。一幅の絵画が、手に乗るような小さな額の中に収まるようなものなのか、それとも、ベネチアの大講堂でみたような、全世界を圧倒するような大きな絵画であるのか。

これで、納まりがつくかつかないかは、終わってみて、描いてみなければわからない。抽象絵画として描かれると、このようなところでも類似点が明らかになるのではないかと思っている。目にとって、よい絵画とは言えないとしても、描いてみなければ何も始まらない。

一枚の絵を描いたような会議を、今日新鮮な気持ちで体験したのだった。今年は特別に一年間だけに限って、教務に関係する委員会の議事を任されることになった。社会科学を勉強するものにとっては、あえて「幸運」と思わなければならないだろう。

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2012/04/07

文京区と足立区のダブル花見を楽しんだ

Photo朝、茗荷谷の東京文京学習センターへ出る。新しくなったこの建物をめぐる桜も綺麗に咲いている。建て替え前の清楚さを維持して、建物と立木の配置をかなり考えた工夫が、桜に関しては見られる。

じつは、放送大学には大学院OB研究会がいくつか存在している。これらを結ぶような「研究会の連合会」のようなものをみんなで企画したらどうかということになった。このような「連合」という在り方が、必要とされる状態になってきたことを、わたしはじつは「学問」的にも喜んでいる。もし許してもらえるならば、僭越ではあるが、この欄で人間関係の類型としての標本にできるからである。

Photo_2放送大学の修士課程設立から10年以上を経過した。修了生の方々が今後のことを計画しはじめていることがあって、その一つの表れが「連合」ということではないかと思っている。この方向はこれからのOBの方々が研究を発展させていくうえで、たいへん好ましいことではないかと思って、提案のお手伝いを買って出ている。

Photo_3実際には、各先生がたが修士論文の指導を行っていたときのゼミナール・研究会が、OBになってからも継続されているという基礎があるから、このような研究会も可能ではないかと思っている。S先生やO先生、K先生、A先生たちが顧問で加わっている「環境研究会」、定年を迎えたA先生を中心として続いている政治学の「政府間研究会(仮称)」、さらにD大学へ移られたH先生が設立し、わたしも所属している「比較地域研究会」などなど、他にもいくつかが存在する。

Photo_4これらの研究会に属する人たちは、大方修士論文を一度は仕上げているのであるが、さらに第二論文、第三論文を書く場所がなかなか存在しない。放送大学の修了生に合うような生涯学習のための研究会の運営がなかなか難しいためである。

Photo_5けれども、たとえ名目的であっても、作成の中核となる場所は必要であると思われる。研究会は続いており、毎年修士論文は集まってきて、研究会の材料には事欠かない。問題は労働提供である。OBの皆さん方は、仕事に、家事に、介護にと結構忙しくて、機関誌の制作までは手が回らないらしい。今後も、何回か話し合いを続けて、ぜひ設立まで持って行きたいと考えている。

Photo_6さて、お昼になったので、久しぶりにパスタ屋さんへ繰り出そうということになったのだが、日が悪かった。文京区の「さくらまつり」がパスタ屋さんの目の前で繰り広げられており、ランチは予約でいっぱいのようであった。「満席」の札がかかってしまっていた。そこで、花より団子が先決ということを置いておいて、駅前まで戻ることにして、まずは花を鑑賞することになったのだ。

Photo_7夕方には、東綾瀬公園で恒例のお花見だった。亡くなったA先生を偲んで、毎年開かれていたのだが、昨年はやはり自粛していた。昼からの晴れがまだ続いていて、曇り空になりそうであったが、雨という予報で、相当寒くなることになっていたことを考えると、マシである。花はほぼ満開であった。この公園は、回遊式になっていて、異なる風景が現れてきて、桜もそれによって異なる群を作っている。

Photo_9芝生の近くの桜も良いが、跨線橋近くの桜の量感もたっぷりとしている。いずれにしても、まだ一枚の花びらも散っていない。満々とした、ふわっとした桜は気持ちが良い。これが散り始めると、寂しい感じが出てきて、侘しくなってきてしまう。散りゆく桜も其れなりに哀れな感じで良いかもしれないが、今日はこれで満足だ。

Photo_10定点観測で、橋の上ですぐそばまで、桜の花が茂ってきている様を背景には、写真を撮る。そして、第二の目的である「ダイニング」へ向かう。ここは家庭料理を中心に、幅広く全国の料理を集めている。ここに写っているのは、穴子の白焼きと、広島風つくねである。次から次へと頼んでしまったが、最後はご飯ものをたべる余裕がなくなってしまうくらいだった。

Photo_11Nさん、Aさん、T先生、Y先生、来年もまた、来ませんか。今年は、I先生が忙しくて不参加だったので、毒舌の議論が収まった感じだったが、これも無いとなると、少し寂しい。

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2012/04/06

選挙には、危ない人びとが集まってきて、「正義心」のドラマを繰り広げるのだ

Photo_16映画「スーパー・チューズデー」を観る。G.クルーニー監督・出演の意欲作だ。クルーニーを知ったのは、テレビドラマの「ER」で、彼は小児科医を演じていた。幼児虐待に正義感をあらわにする役回りであった。その印象は、その後娯楽映画へ転向した後も健在であった。また、演出にも興味があったらしく、ドラマ「ER」にもそれが反映されていたと聞いていた。

今回の映画では、息苦しいほどの緻密さが特徴だと思われる。クルーニーの個性の中に、メルギブソンにも似た、完全主義的な一面があるように感じた。映像にそれが現れている。映画として、それが良いことか否かは分からないが、接頭語がつくほどの真面目さが、全面に出ている。それは、現実感を出すためには必要かもしれないが、物語としてはどうだろう。また、先日のワシントンでのスーダンデモに関わるクルーニーの逮捕劇も、一連の延長線上にあって、彼の真面目さの表現だったと解釈したい。

今売り出し中の俳優ゴズリング演じる主人公のスティーヴンは、知事から大統領選に出ようとしている、モリスの選挙参謀のナンバー2である。選挙というイベントには、政治信条もさりながら、それ以上に、人生をそれにかけてみようとする野心的な人びとが集まってくる。だから、彼らの織りなすミクロ権力の世界のほうが余程政治的リアリティがあると、という設定だ。

政治的駆け引きがそうであると同様に、人生そのものも駆け引きによって支配されている、という人生観はかなりスリリングでスキャンダルに満ちていると予想されるので、物語としては面白いが、実際の世界がそうであったら、かなり息苦しいと思われる。

正義心が主題である。モリス側参謀ナンバー1のポールはスティーヴンに「忠誠心」を要求する。敵対する参謀ダフィは「裏切り」を誘ってくる。スティーヴンの野心は、どちらに転ぶのか。その展開は不確実だ。ドラマとしては、現実主義的な展開で幕を閉じることになるのだが、最後に正義心が問われるわけではない。この点では、良い意味で娯楽作品となっていて、わたしたちの想像力を広げてくれる。悪漢小説の趣を持っているのだと思われる。

わたしは小学校時代に、田舎の家が破産して東京に出てきた。そのときに、父が何を思ったか、経験がまったく無い世界であるにもかかわらず、大学時代の恩師が全国区の参議院選挙に出馬するというので、選挙参謀の手伝いを半年くらいしていたことがある。いや、もしかしたら、祖父が田舎の町議会議長をやっていたから、その手伝いぐらいはやっていたかもしれないが。

それで、選挙用の国鉄無料パスを持って、全国行脚の選挙活動を行っていた。わたしは小学生の高学年になっていたので、選挙事務所にときどき一緒にいって、選挙を見学させてもらっていた。それが不思議なことに、その事務所が上智大学の中にあって、そこに集まってきているアルバイトの学生達に遊んでもらったことを思い出した。

やはり、映画と同じで、問題を起こしそうな20歳くらいの学生達だった。実際の選挙は残念ながら、次点に終わり、わたしの父も政界へ入ることなく、この映画のような泥沼を経験することがなくて良かったと思っている。大物政治家の師弟や、有名企業の御曹司と呼ばれていて、時間を持て余らせている学生達が、心理ゲームを演じていた時から、もう半世紀が経ってしまった。

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2012/04/05

趣味が人間をつないでいく世界がある

Photo_9東京の蒲田が注目されている、といっても、管見するところなので、NHKの「梅ちゃん先生」と、森田芳光監督の遺作映画「僕達急行 A列車で行こう」の二つだけなのだが。前者については、長く続くので、またコメントする機会もあろう。また、早稲田のO先生が、継続して取り上げるらしいので、そちらに注目したい。

Photo_10原稿の目処が今日の分だけだけど、たまたまついたので、今日のところはそれを祝して、夕方には仕事を離れて、上大岡へ出る。途中南区図書館へ寄って、明日の講義で事例として使う新聞記事をコピー。近くに図書館があるのは、このような緊急の時に都合が良いといつも感謝している。弘明寺公園の桜も、そろそろ5分咲きだ。Photo_11今週末の花見が期待される。

蒲田には、色々なイメージがあって、京急を利用している者にとっては、何と言っても近くに羽田空港があるということが頭に浮かぶのだが、このことを逆手にとって、今回の映画は鉄道おたくの物語を作っている。Photo_12今、京急線に乗ると、この映画の吊り広告が出ている。この吊り広告のほうが力がこもっているので、こちらを写真に撮りたいとは思ったが、人目があって恥ずかしいので、電車を降りてから、駅に掲げられているポスターを撮った。

この広告には、映画でロケした「京急の電車止まり上の跨線橋」がどこの駅なのか、蒲田なのか、川崎なのか、神奈川新町なのかというところまでは、書いてない。また、京急線の数ある支線の中で、海に突き出た駅が果たしてどこの駅なのかも、まったく書いてない。自分でじっくり探すことを勧めているかのようである。ポスターには、ロケ地を回ろう、とあるだけだ。ちょっと乗って行ってみれば、すぐわかることだ。

Photo_13映画の出だしは、「おいらせ渓谷鉄道」で、山の中を爽快に走って行く。ところが、松山ケンイチ演ずる主人公「小町」の個人的性格が早くも明らかにされる。エリート社員でありながら、じつは趣味に生きる人であることがわかる。その趣味が問題で、いわゆる鉄道趣味という特有の特性を持った趣味なのだ。もちろん、いわゆる「鉄ちゃん」と言っても、様々な趣味の複合であることは確かで、それが次第に明らかにされて行くのだ。

Photo_14森田監督は、この映画に「これからの人間は趣味でつながって行く」という人間観をまともに持ち込んでいる。ここでいう「趣味」というのは、映画の中で鉄道模型を取り上げているので、ホビーとしての趣味と勘違いされてしまうかもしれないが、ほんとうのところ、趣味感覚のことを言っていて、感性そのもののことである。「感性が人びとをつなぐ」といったほうが、正確かもしれない。

東京蒲田で生活していた主人公「小町」が、九州博多へ出て、そこで人脈がないにもかかわらず、趣味を通じて良好な関係をつないで行く。ビジネスの世界を、趣味の世界が支えて行く様子が描かれている。

この映画には、シリーズ化する企画があったらしい。一回の映画では収まりきれないものが、直ちに見て取れる。今回は、東京蒲田と九州博多との間の行ったり来たりの企画であったが、丸の内の不動産屋さんである「小町」と蒲田の町工場の技術屋さんである「小玉」、という現代日本の産業を代表する人たちが現代日本全体で繰り広げているドラマは、日本の隠された姿を指し示しており、東北仙台や、関西大阪など、彼ら二人に巡って歩いてもらいたかったところは、たくさんあったと思われる。

最後に、特別に付け加えておかなければならないのは、この映画のなかで採用されている「対話の話法」である。「小町」と「小玉」の二人の間の対話呼吸には、一拍多く、間が取られていて、ぎこちなく聞こえるかもしれないほどの余裕を持たせている。それは、小津監督がそうであったように、独特の表現方法である。そのために、対話の時間が長くなり、間延びしていると言われるかもしれないが、この映画の対話の方法としては秀逸である。

趣味を語ると、どうしても前のめりになりがちである。それに対して、ほんとうの趣味の世界を表現するためには、現実の世界との照合を行う時間が必要であるということを示している。そのフィードバックに時間がかかる分だけ、対話の反応が遅れることが出てくる。この遅れを重要視することが、この手の描き方が導入されなければならない必然的な理由であった。

Photo_15趣味というほどではないが、メモ帳がすこし小さいと感じはじめたので、上大岡の文具店で、一回り大きなメモ帳を購入した。いままでのメモ帳が二つ入る容量で、これがあれば十分だ。今年度は、異なる仕事もひとつ入っているので、これらをまた別に書き分けなければと考えている。もっとも、メモ帳が変わったからといって、内容が一新されるというわけではない。

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2012/04/03

春の猛烈な嵐が来る前に、散歩に出た

Photo良い意味でも悪い意味でも、新自由主義と保守主義の原理主義者としてのサッチャーのイメージが変わってしまうのではないか、と思ってしまったので、鑑賞することを抑制してきた。映画「マーガレット・サッチャー 鉄の女」のことである。ところが、ここが英国人のユーモアというのか、アイロニーというのか、この映画を見ていると、ここに来ても真面目に批判していて、これはこれで凄いと思った。

つまり、サッチャーという歴史上の人物からは離れて、かつて名を遂げた女性の物語として、よく描かれていると思った。映画的には、メリル・ストリープの演技に軍配が上がるのだと思われる。映画の出だしに、年老いてからスーパーマーケットへ行くシーンが映る。彼女が引退後、家を抜け出して、ミルクを買いに行くシーンだ。身体にたくさんのパッドをおそらく巻きつけての、化け方は堂に入った演技だと思う。そして、帰ってから警備の人たちからチェックを受けるところは、警備の人の機関銃などがちらっと写ったりして、リアリティがあった。日常、銃口や爆弾を気にしなければならない社会がサッチャー時代だったと思う。

Photo_2サッチャーの英国首相時代の数々の武勲は、丁寧に盛り込まれている。フォークランド戦争や、炭鉱デモとの闘争、IRAの爆発事件などなど。ちょうど今日がフォークランド紛争勃発後、30年に当たることも、何かの縁かもしれない。

わたしは、サッチャーのこれらの出来事が終わった後、1993年に英国へ1ヶ月ほど行っていた。このときまだ、爆発で壊された建物がシティでは修理されている最中だった。そして、街を歩いていると、軍隊が銃を持ってトラックから駆け出してきたりして、テロ対策の軍事訓練だということで、遠くながら銃を向けられたりした。良い気はしなかった。

Photo_3この映画は政治的な変遷を描いた映画というよりは、むしろ英国首相を妻や母として持った家族の物語だ。そこで、この映画の微妙な立場が明らかになる。異論はあるかもしれないが、保守主義の砦の一つが家族であることは大方の人は認めると思われる。それで、保守主義を攻撃するとして、これまでは経済政策や政治状況が攻撃の的になってきた。つまり、新自由主義と保守主義の両方が、サッチャーの基本であったのだが、これらを理論的に批判することはほぼ種が尽きてしまったために、保守主義の牙城である家族問題に標的を定めてきたのが、この映画の趣旨はないかと推測している。

Photo_4それで、家族というものは円満に過ごすべきだとする保守主義の考え方に対して、サッチャーは、現実には家族問題でも失敗していた、ということをこの映画は言いたいのではないかと、この映画の隠れた意図があるのではないかと邪推したところである。ちょっと考えすぎかもしれないが。伝記文学の発達している英国のことだから、過去の行動についての徹底的な解明を図るのがお国柄ではないか、と思った。

Photo_5散歩のついでに、川崎のチネチッタで映画を鑑賞した。それで、ランチの時間になったので、かねてから入りたいと思っていた、H屋へ入る。隣がひものなどを古くから売っている市場になっていて、その地下にある。おそらく、何らかのビジネス上の関係はあるのかもしれない。

Photo_6地下の入り口には、ひものが焼かれている。さば、さけ、あじなどジュウジュウと音を立てている。家具調度も、魚の煙がしみこんで、濃厚な焦げ茶色を示していて、落ち着く。一人で食べていても、じっくりと味うことができる。Photo_7日替わりランチが赤魚の粕漬けだったので、それを頼む。大きな椀で、大きく切った大根や人参の満載な豚汁がついてくる。年を取ると、タンパク源はやはり魚だ。店はみるみるうちに席が埋まって、家族連れも目立つ。地元でも、よく知られた店であることをうかがわせる。

いつもの珈琲屋さんで、豆を煎ってもらい、待ち時間にエスプレッソを一杯。この頃になると、天気予報通り、空がにわかにかき曇り、黒い雨雲の足が速くなった。Photo_8川崎市役所の近代的な建物にも、雨がぽつりぽつりと掛かり、突風の巻き上がる予感を感じさせた。

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2012/03/31

読書とは、フィルタリングだ

Photo_13読書会を催した。参加者は16名で、グループ討論するにも、結果をまとめるにも、ちょうど良い人数だった。これでも、参加者全員から発言をもらうには、時間内では難しかった。じつは、この読書会はたいへん欲張った企画だったのだ。

読書会の第一の目的は、4月から新しくできる放送大学の渋谷学習センターで始まる、「読書会形式の面接授業」の模擬実験を行って、本番に備えようということにあった。先生方にも4人ほど参加いただいての重厚な読書会となった。このなかで、読書会なので、やはり本を読んでくるという作業がどうしても、自宅で行ってくる必要のあることが痛感された。けれども、放送大学の性質上、毎日大学へ来るわけではないので、あらかじめ読んでおくことが難しい。4月からの第1回目は、すこし工夫が必要であろう。本番までには、この問題を解決して臨みたい。乞うご期待。

Photo_14第二の目的は、「電子書籍における読書」ということを考える企画だった。これは、今回のスポンサーが電子テキストについて考えることで、お金を出してくださっているので、この目的を外すことはできない。そこで、カリエールとエーコの著名な対談集である『もうすぐ絶滅するという紙の書物について』を取り上げて、この中で取り上げられている「紙の書物」と「電子の書物」との比較を通じて、間接的に電子書籍について考えてみることができたと思う。電子テキストのいくつかの試みや、わたし自身の作成した電子テキストも、冒頭に紹介したが、物珍しさが先に立って、「前のめり」の感が否めない。読書会では、書物の持つ「フィルタリング(濾過)効果」について、多少なりとも議論できたのは良かったかもしれないが、ちょっと時間配分が悪く、討論までいけなかったのは反省材料となった。この点でも、4月からの読書会では、もっとおもしろい議論が出来るように工夫の余地があることがわかった。

第三の目的は、修士修了生の会である「比較地域研究会」の例会にあった。SさんやHさんが活躍して、今回初めて読書会形式を取ってみた。取り上げた論文は、貧困問題に関する計量論文であった。この点に関しては、同じレベルの知識の共有が必要で、また討論として成り立つためには、賛成派と反対派の設定が必要で、そこから議論が始まるのだ、という基本的なことを学んだ気がした。フェイスブックを利用しての「事前読書会交流」も行われて、おもしろい試みが出来たと思う。Sさんはソーシャル・リーディングの一種だとおっしゃっていた。これについても今後のOB/OG会交流で、どのような方法があるかということの課題となった。

201203311などなど、初回なので反省点はあったが、とりあえずスタートしてみてから、次第に内容を整えていきたいと考えたところだ。いずれにしても、東京圏でも遠くから、中には大阪や岐阜から駆けつけてくださった方々がいらっしゃって、たいへん感謝している。読書会が終了した後は、以前のケーキ屋さんがイタリアンの店Kに変わっていて、そこでワインをいただきながら、雑談を楽しんだ。春の嵐の雨も、家路に着く頃には、ようやく収まって明日からはまた晴れの日が続きそうである。左の写真は、Sさんが撮ったもので、フェイスブックの「比較地域研究センター」(公開)に貼り付けられたものを拝借した。

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2012/03/27

鬼に訊け

Photo_12「鬼」という語感には、むしろ好ましい感じがあった。それは、この映画「鬼に訊け」にも感じられることだった。何かに憑かれたように集中して、周りを不幸に陥れてしまう象徴として、鬼というものがふつう描かれることのようだが、どうもこの映画の趣旨は違うらしい。「職人」ということの考えが変わる一本だ。

このドキュメンタリー映画の主人公は、西岡常一という奈良の宮大工である。代々、法隆寺の修理に携わってきた家に生まれ、いずれ棟梁になる運命を背負っていた。お祖父さんに育てられ、20代にして、リーダーを任されたらしい。途中、太平洋戦争に出兵するが、そのときに「将来自分を必要としないならば、命を取ってくれ」と法隆寺に祈ったということだ。ここには、千年を超える、普遍的な命のやり取りが反映されている。「鬼」の一面である。

もちろん、「槍かんな」や「ちょうな」の手練れなどは、職人の見せ場としては面白いが、それは職人の手仕事の一つの側面に過ぎない。とはいえ、映画のなかでは、なぜ「台かんな」ではなく、「槍かんな」が使われるのか、ミクロン差の削りくずなど、見所満載である。むき出しの木肌にとって、カビが着くか着かないかで、数百年の違いが出るらしい。生態系に長じていなければ、大工はできないということだ。

最も興味深かったのは、西岡常一のお祖父さんが、常一の学校進路について口出しをして、常一が工業学校志望だったのに対して、農学校へ入ることを勧めた話だ。大工は、木を扱う仕事であるから、木についてとことん知らなければならないという思想だった。これも、千年思想の一つだ。奈良には、このような時代を超えた、長期的な考え方をする人たちを育ててきた伝統があることを知って、京都に対抗して、奈良がその後も建築や芸術で優位を保った理由がわかった。常一は、60歳を過ぎて、法隆寺を出た。薬師寺の棟梁を引き受けることになる。この映画は、主として、薬師寺の復元作業を追っている。奈良へ行く楽しみが、またひとつ増えた。

横浜のJ&B劇場で、この映画を見ようと思っていたのだが、好評だった追加上映も先週終了してしまっていた。それで、朝早く、千葉劇場へ駆けつけたのだった。見終わった後、お腹が空いたので、いつもの喫茶店で、よく煮込んだロールキャベツ定食を食べ、珈琲を飲みつつ、「職人」ということの観念を見直した。何と評判が評判を呼んで、来週は写真美術館でも上映するらしい。現代の日本に必要なドキュメンタリー映画だと認められて、鑑賞した者としてもうれしい。

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2012/03/24

ハレの儀式後に「なまはげ」が出てきた

Photoポケットの中に、一枚のキップを持っているときのように、気持ちが旅にふっと向かう時がある。このようなときに、汽車に乗っていると、気分が解放されて頭の中が自由になる。本来、ハレの儀式へ行くときにも、このような機能があったものと思われる。

渋谷のNHKホールで開催される放送大学の学位授与式に向かうが、あいにくの雨だ。土曜日にもかかわらず、横浜から乗った東横線は混んでいた。やはり、学期末や年度末の行事があるからなのだろうか。行楽客に混じって、礼服姿の人びとが目立つ。

Photo_2少し早く着いたので、パルコ通りにある近くのコーヒー屋さんへ入って一服。入るときにすれ違いざまに、神奈川学習センター所属のNです、と挨拶された。やはり時間を潰していた卒業生の方だったらしい。けれども、いくら学位授与式場が近くても、わたしの顔を特定できるとは到底思えない。

Nhkあとで懇親会でも会ったので聞いたら、わたしが電話で相談に乗ったことのある学生の方だった。うかつにも、そのことは忘れていたのだが、声だけでは覚えられない。そういえば、懇親会で「以前お会いしたことがあります」とほかの方に言われた。O県の名札を付けていたので、「面接授業のときですか」と返答すると、「違います」とおっしゃる。「ネットのなかですよ」ということらしい。声や映像で覚える知覚を発達させなければ、生きられない時代になったのかもしれない。

Photo_3すでにホールの玄関には、入場のための行列ができていて、それをかいくぐって会場に入り席に着く。卒業生の方が今日の主役なので、教員は端役で席も例年3階の一番隅に追いやられている。ところが、今年はコース主任だったので、大学院のコーディネーターの先生方と一緒に前方の席を占めることになった。ホールの前の方から観客席を見上げると、このホールの巨大さがよくわかる。紅白歌合戦で客席の人数を数える場面があったが、ここに立って見ると、隅々まで網羅することは到底出来ないと思われるほどの大きさだ。ローマのコロセウムと同じで、大量観客時代の遺跡としての資格を十分持っていると思う。

Photo_4また、テレビカメラが動きやすく造られていて、その点でも放送大学向きなのだ。今年の総代に指名された方のひとりは、わたしのゼミ出身のT氏だったので、「ご面倒をおかけします」と始まる前に挨拶を済ませた。いつもながら、落ち着いた雰囲気を維持した方だ。

Photo_5途中で席を抜け出していく方々がいらっしゃるので、どうしたのか、と思っていたら、皆さん舞台の裏手から壇上に現れた。放送大学の合唱団は自前のボランティアで組織されている。神奈川学習センター職員のN氏や教員のY先生など、なおかつO学長が指揮をとっていて、多士済々なのだ。臨場感が3階席とは異なる。

Photo_6学長や文科大臣などの祝辞が続き、さらにそれを上回る、いつものように感情の入った答辞が読み上げられ、儀式は滞りなく終了した。わたしの後ろの席には、見覚えのある学生が座っていたが、夫婦で放送大学生なのだが、今日は一人だという。来年には、奥さんも学位授与式に出て、ここで二人の写真を撮りたいのだそうだ。

Photo_7懇親会も相変わらず、盛大に行われた。いつものとおり、ゼミ生の方々とおしゃべりに夢中になっていたら、料理が大方無くなっていた。昨年亡くなった同僚のS先生の指導学生もいらっしゃっていた。最後まで忙しくなさっていたことなど、話をすることが出来た。卒業式には、このような今年一年の気になっていたことが一気に吹き出して、目の前に現れるから不思議だ。

Photo_8最後には、秋田の「なまはげ」が登場して、会場を盛り上げていた。正真正銘の男鹿半島の「なまはげ」だそうだ。持っていた小道具にそう明記されていた。ゼミ生の方々と、珈琲を飲みに、四谷の街に出る。途中、聖イグナチオ教会の脇を抜けて、四谷三丁目のほうへ向かうが、昔のような学生とビジネスの街という雰囲気は無くなっていて、なかなか喫茶店が見つからない。仕方が無いので、チェーン店にはいって、しばし卒業式後の余韻に浸る。

Photo_9話題になったのは、今度の読書会で出てくる「阿呆・馬鹿・間抜け」論であった。T氏の説によると、間抜けがstupid、馬鹿がfool、阿呆がidiotではないかと英語の語感を述べていた。「間抜け」はうっかりした行為、「馬鹿」が他者に迷惑をかける行為、さらに「阿呆」は声高に馬鹿さを誇ってしまう行為ということだ。場所によって、たとえば関西と関東では、間抜けと阿呆の基準が違っているという説が出てきた。いずれにしても、愚かであるという共通点がある。

Photo_11ということで、ゼミ生のみんなで身の回りにある「愚かさ」を挙げては笑ったのであるが、やはりこのような話題を繰り広げていくと、それは自分に返ってくる。そして、自分の愚かさがわかっている人は愚かではない、という常識的な結論に達することになった。学位授与式にふさわしい話題に終始したところで、再会を約して別れた。

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2012/03/16

「村山知義」展覧会を観ながら、如何に多様な世界にわたしたちは住んでいるのかを理解した

Photo_18妻と一緒に、葉山の神奈川県立近代美術館へ久しぶりに行く。その前に腹ごしらえをというので、逗子の街にある「V」というイタリア料理の店で、ピッツァのマルガリータを食べる。石室焼きでこんがり焦げていて美味しかった。大きなガラスで囲まれた食事室で、美味なるものをゆっくり食べるということの大切さがわかった。ときどきは行いたいものだ。一人で来て、本を読みながら食べている人もいたが、ここは意味はなくとも、しゃべりながらの食事が似合っている。

Photo_19このへんは、昔からの街並みが続く、小さな商店街だ。表通りにはかつての賑わいはない。人は多いように思えるが、需要に繋がっていないのだろう。けれども、ちょっと横丁に入ると、洒落た店が並んでいる。向かいの蕎麦屋さんには、遠くから食べにきたような人びと、とくに年配の人びとが、次から次へと入って行くのが見えた。

Photo_20駅前からバスに乗って、海岸通を南に下る。いつも変わらぬ、見慣れた街が続く。冬の期間は、サーファーたちも寄り付かないので、街が引き締まって見える。日常生活が正常に営まれている。車も住人たちだけならば、渋滞することはない。Photo_21釣竿を一本持って、歩いていても、誰からも注目されることがないのが、この葉山の良いところだ。都会で資産をなして、引退後暮らしている人たちの多い、余裕の街だ。

「村山知義」という名前を聞いて、そのすべての作品を同一化することのできる人は少ない。つまり、彼の長生きした人生のなかで、「転向」とまでは言わないとしても、度々の路線変更を行ってきた人だ。

Photo_22カンディンスキーをはじめとするバウハウスの紹介者で芸術誌「マヴォ」の編集者という初期の、戦前の「村山知義」と、現代の週刊誌に長期に連載されていて映画化がされた『忍びの者』を書いた「村山知義」が同一人だったのは、言われるまでは意識したことがなかった。別人として、認識していた。それに、「マヴォ」誌での活躍や、演劇人の顔も、別だと見ていた。時代も違えば、作風もジャンルも違う。どうしてこんな多様な人格が存在することができたのか、不思議だ。

展覧会の題名が、それを表している。「すべての僕が沸騰する」と名付けられていて、時代その時代に「沸騰」すべき感情を育ててきた人なのだ。何人かの肖像画にそれが現れていて、細密画の如くに詳細な細部が具象的に描かれている。演劇にも見られたように、感性を具象化する手法に秀でていた人なのだ、と思った。なぜ早くに抽象画から離れてしまったのかがわかる。

また、そうみると、なぜ「忍びの者」に惹かれたのか、も理解できた。つまり、「忍びの者」は時代の中で、潜在的に存在する人びとである。彼らを描くことで、これまで言葉にできなかった真実が具象化されて表に現れることになるのだ。市川雷蔵が山から谷へ忍びの小走りする姿が、一瞬目の前を過って行った。

彼の初期の頃の絵を探っていたら、何とわたしとの間に不思議な縁のあることがわかってきた。わたしの曾おじいさんは、日本で電気製鋼を始めた人なのだが、その妹の配偶者の方がHさんという美学者であった。吉祥寺に住んでいたらしい。この方は、ロールスロイスなどのクラシックカーを戦前から集めていることでも有名であった。わたしの名前にある「素」という字は、デザイナーであったHさんの息子の方から、一字いただいたと聞いている。

じつは、Hさんは若いときにバウハウスへ美学研究に行っていて、たぶん村山知義とそこで知り合ったのではないかと思われるのだが、何枚か彼の絵画を持っていたらしい。後に、それらが近代美術館へ寄贈されている。

Photo_23いつもの小道がわたしたちを海に誘っている。冬の海岸は、人がいないことで、かえって存在感を新たにしている。自分さえ、この世にいなくなっているかのようだ。ぐるっと、海から太陽へ、太陽から岬へ、岬から灯台へ、灯台から海岸へ、海岸から丘へ、丘からまた岬へ、そして、海へ太陽へ。Photo_24誰もいないのだ。遠くに漂う舟が見えなかったならば、このまま自分も消えて行ってしまいそうだ。

Photo_25美術館の向かいにある山口蓬春記念館で、春の気分を予習する。遅咲きの梅の花が迎えてくれて、なだらかな丘の麓にある建物をぼんやりと背景としている姿を見せてくれた。玄関には、梅の木が枝垂れていて、たくさんの梅の花をつけていた。

Photo_26吉本隆明が亡くなったというニュースが流れた。高校生の頃から、周りにたくさんの読者がいた。そのような世代に属している。高校の友人から知らされて、初期詩集を読んだのがはじめだ。このように、みんながそれぞれの吉本像を持っていた。

大学生時代には、大学紛争の名残があった大学の連続講演会に、吉本が来て、学生との激しいやり取りを行ったことは、いまでも覚えている。それから、やはり印象深いのは、家族という問題に取り掛かるキッカケをつかんだのが、彼の初期の著作「マチウ書試論」だったということがある。

当時通っていた大学には、同じ講義を一度も行ったことがないと豪語していたN教授がいて、いつもダンディな洋服を着ていた。夜は、銀座に通っているという噂だった。ちょうどユダヤ文化論を取り上げて、家族や国家などの社会論を講義していた。そこで、レポートが宿題となっていた。参考文献が必須だったので、わたしはこの「マチウ書試論」を取り上げたのだった。レポートの内容は忘れてしまったけれども、有名な「絶対の関係性」という言葉が出て来て、これだと思ったことを覚えている。

Photo_27たまたま、妻が図書館から、生前最後の出版になるかもしれない著書「老いの幸福論」を借りてきていて、数日前に読んだところだった。この中で、物事を長続きさせるためには、危機に際して、時には短く考えたほうが良い、というような直観的だが、相変わらず鋭いことを言っていた。

数年前に、吉本が鎌倉の海で溺れて、一命が助かるという事件が起こった。それで、その時にこの世で観念を作り出す場所の一つがここにある、という思いを認識し、もしこの場所がなくなったら、世界が変わってしまうかもしれない、という思いがした。もちろん、このような場所は、吉本に限らないのだけれども、そのような場所を作っていくということが重要なのだと自覚した。それぞれの吉本が存在する、ということは、このようなことなのかもしれないと思った。

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2012/03/12

ドンブリ一杯の大きなイチゴをようやく食べることができた

Photo_3Nプロジェクトで、宮城県の亘理町を訪れている。大雪が伝えられて、道行きが困難であるというので、出発時間を遅らせていた。それで、仙台には早目に着いた。かつて、仙台で閉じ籠って仕事をした時に、いくつかの長居できる喫茶店を探してあったので、時間つぶしには困らない。

Photo_4風が強いので駅から離れたくないと思ったので、丸善の上にあるホシヤマ珈琲店で読書。31日の読書会で使う『もうすぐ絶滅するという紙の書物について』は、噛むほどに味が出る対話集で、この著者のような人たちはたとえ紙の書物が絶滅しても、種として絶滅することはないだろうと思えるほどだ。それにしても、わたしたちはなぜ読書するのだろうか。

Photo_6昼になって、N先生の運転で、南相馬市へ向かう。N先生たちは、震災直後の一年前に、ここを訪れたらしい。まだ、崩れた家々がそのままで、打ち上げられた漁船がたくさん見られたとのことだ。現在残っている家や船は、記憶として遺されているものだけで、ほとんどが片付けられている。

Photo_7わたしたちの日常と同じだ。この場にずっと佇むことが許されていないということだ。家々がガレキとなってしまい、その瓦礫が一掃されると、それを見ていたわたしたちの目も変わっていることを自覚せざるを得ないのだといえる。一年間のこれだけのことが、ここで起こったということは、その変化があるから分かるのだが、じつはそれを見つめる人々が日々変わっているにちがいないのだ。見つめている人がかえって、この場所によって見つめられていることを感ずる。

Photo_8福島第一原発の制限地域ギリギリのところまで行って見る。たぶん、交代で誘導が行なわれているのだろう。三重県警のお巡りさんに静止され、ターンすることになった。海岸沿いの被害の激しかったところを、亘理町へ戻る形で、国道35号線沿いに北上する。南相馬市を遠ざかるに従って、まだ壊れた家々がそのままの状態で、放置されている地域が多くなっている。Photo_9家の前には、解体処分なのか、残すのかを表示する板が立てられていた。順番を待っているところなのだろうか。すでに家具も運び出されて、人気の無くなった住宅ほど寂しいものはない。人びとの中での記憶消去の順番も、これに従って行われるのだろうか。

Photo_10結局、いつも訪問しているMさん宅に着いたのは、三時過ぎだった。前回訪問した時に母屋が倒れかかっていて、Mさん一家は避難所生活を強いられていた。今回も、精神的な理由からという、経験者にしか理解できない理由で、まだ家族は避難所生活を送っている。Mさんも夜になると、怖いのだという。

Photo_11今回、その母屋はボランティアなどの援助で、内装にも手が入れられて、物理的には住める状態にまでなっていた。玄関の柱には、写真でわかるように、当時の水のついた跡が残っていて、拭いても消えないほどの泥を被ったことをうかがわせる。特に、柱の一番下には、かなりあとまで水没していたことのわかるような、すでに木自体が変質してしまっていることがわかる。

Photo_12今回の訪問の目的のひとつは、震災後倒れてしまったハウスの跡に、再び高設の苗床のハウスが作られ、そこで穫れたイチゴを食べさせていただくことにあった。写真のように、ドンブリ一杯の大きなイチゴを出してくださった。その味に感激した。穫れたてで、かなり甘いのだけど、特別な香味を持っていて、深い味のイチゴだった。

Photo_13このイチゴがここにあるのは、昨年きた頃に、Mさんがひとつの決断をしたことで可能になった、とわたしは思っている。それは、ここを動かない、という決断だ。このことが、なぜ可能だったのかは、わたしにはわからない。Photo_14実際には、家族の一部を分離してまで、ここにMさんが残るという努力をしていることは確かで、これがなかったならば、このイチゴがなかったであろうことは確かだ。Photo_15だから、とりわけ感慨を深いのだ。Mさんは、不思議な言葉だが、「ボイドのフライング」という控え目な表現をとっていたが、これは照れであろうと解釈した。動かなかったことが、その後いくつかの行動につながって行くのだが、それはまた伺う時もくるであろうと考えている。

Photo_16今回も、夜空にハウスの光が、輝く時間になってしまった。イチゴは多年草で、次から次へでてくるのですよ、というMさんの言葉を聴きつつ、仙台へ向かった。Photo_17

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2012/03/09

「おとなのけんか」を転回させるのは、何だろうか

Photo映画「おとなのけんか」を観た。どのように「けんか」という感情的なものを、劇に定着できるのか、それを観たいと思った。ところで、「おとなのけんか」と「こどものけんか」と、どこが違うのだろうか、理性的な感情というものがあれば違うのかもしれないが。映画を観ていると、疲れがでる分だけ違うのか、深刻になりすぎるところが違うのか、とも思えてくる。

今日は、妻と葉山の近代美術館へ行くつもりだった。けれども、このところの天候不順は、外へ出る気力を失わせる。ここは晴耕雨読で、仕事を行え、というご託宣だと思われるので、朝から本へ向かう。

昼になって、4月から始める「読書会のような授業」、あるいは「授業のような読書会」の準備のための模擬授業用宣伝ポスターを作ったので、それとテキストを持って、東京文京学習センターを訪れる。わたしたちの「商売」では、宣伝活動ということが苦手であって、授業の「深み」を持たせることは、いくらでもできて、それで難しくなってしまうのであるが、「広がり」を持たせ、易しくすることがどうも上手くいかない。それで、窮地の策として、学生の方々を呼び込んで、コミュニケーションを通じることで、「広がり」を確保しようということになる。

このことがどのような効果を持っているかは、今後の課題だが、たぶん放送大学の学生の方々はたいへん多様なので、議論を戦わせているうちに、それなりの面白さが出てくるのではないかと楽観的に考えている。このような情宣活動は、遠隔教育の大学の最も不得手とするところだが、経験的にいえば、遠隔であっても、直接会って密接なお願いをすることが鉄則である。そして帰りに、有楽町の映画館へ向かう。この映画がかかっているのは、東京ではここだけなのだ。

「おとなのけんか」の原作は日本の演劇でも成功したらしい、と聞いて、へえーと思った。国の違いや文化の違いがあるにしても、そしてかなり特殊な喧嘩を描いている割には、普遍的な視点が随所に散りばめられているからだ。

コメディで最も笑えるのは、出演者全員が真にマジメに演技をする時である、とある映画監督が言っていたことだが、この映画はそのことを最も忠実に描いている。ニューヨークのブルックリン。こども同士がけんかになり、これをめぐってロングストリート夫妻(ペネロペとマイケル)とカウワン夫妻(ナンシーとアラン)のけんかが始まる。後者のこどもが前者のこどもを棒で殴ってしまうという事件が起こり、このけんかを冷静に話し合いで解決しようとロングストリート家に面々が集まる。ところが、主義主張の違いや偏見の存在などがさらけ出されるに従って、夫妻対夫妻の対立に止まらず、男と女、さらには夫婦内部の争いにまで発展していく。ほんとうに興味深いけんか劇である。けんかを避けるために、4人が集まったのであるが、このことを理性的に避けようとしたことが、かえってけんかを拡大してしまう、という人間の非条理がうまく描かれていると思われる。

演技の中心は、ジュディー・フォスター演じるペネロペであることは間違いないが、じつはフォスター自身の実際の性格が、演じているような性格ではないことも現れてきて、人間というのは何とも複雑な生き物だなと再認識させられた。したがって、真によく演じているのは、渋みを出した悪徳弁護士役のアランではないかと思われてくる。

映画を描く時に、何と何が対立するのであるのか、たとえば映画の中で、マイケルがハムスターを捨てることに対して、これに賛成なのか反対なのかが、ひとつの争点として浮かび上がってくるのだが、それを言葉に定着させなければならない。映画のシナリオの段階で、この対立とそれぞれの理由が正当でないと、映画の面白さが出てこない。シナリオライターの腕が問われることになる。

二組の夫婦が二時間に渡って、言葉を激しく交わし合う物語だ。けんかの争点を明らかにして、その争いが面白くなければ映画として成立しない。ということは、人間を類型化する必要が出てくることになる。マイケルとペネロペ、アランとナンシー、この状況が4人であるというところがひとつの見所である。2人でも、3人でも、まずくて、4人であるところから、それぞれの対立と、グループ間の対立とが、際限なく続く仕組みを発達させている。

スタートから面白い。こどものけんかを収めるために、合意文書を書くのだが、危害者の意図性を巡って、弁護士であるマイケルがまず気を咎める。ほんのちょっとのところから、傷口が広がっていくのだ。あらゆるけんかがそうであるように、結果よりも、プロセスに基本的なけんかの種があるのだ。これは、かなり普遍的なことだと思われる。だから、ここで家に帰ってしまえば、そういうことにはならなかったのに、という、帰りがけのシーンがいくつも出てくるのだ。なぜそこで、わざわざ戻ってくるのだ。これでもかこれでもか、と劇は進んで行くのだ。

シナリオライターの意図があるとするならば、それは4人全員が、全く異なる4類型を持っていて、譲れない価値観を持っているという共通点があるというところだ。普通の世界では、これだけ異なる価値観を持っていたら、結婚などするはずがないと思われるのだが、そこが映画であり、劇であるという架空のけんかの面白いところだと思われる。

ペネロペは、アメリカ人特有のひとつの典型で、普遍的な倫理観を持っていて、人道的で人権主義的な思想の持ち主だ。このようなタイプは、アメリカでは、ジェーン・フォンダ的、と呼ばれているらしいが、さもありなんと、この呼び方を理解した。明らかにジュディー・フォスターはジェーン・フォンダ的を演じていて見事なのだが、彼女自身は明らかに、ジェーン・フォンダ的ではないところが、面白いところだと思われる。マイケルは、むしろヘンリーフォンダ的というのだろうか、ジョン・ウェイン的心性と、アイバンフォー的騎士道精神を兼ね備えている。

これに対して、アランは製薬会社の弁護士をしていて、絶えず携帯でしゃべっている。資本主義の信奉者だ。ナンシーは金持ちだが、あまり教養はなく、美人を鼻にかけているようなところがある。結論を言ってしまうならば、ペネロペが普遍的な人道主義を見せて、「社会民主主義」に偏るならば、それ対して、アランの悪徳弁護士が「新自由主義」を見せて対立する。また、潜在的なところでは、マイケルの「保守主義」とナンシーの「共同体主義」が争いを見せるのだ。きれいな類型を描いたことで、けんかがすっきりと整理されることがわかった。でも、なぜ新自由主義と共同体主義とが結婚し、さらに保守主義と社会民主主義とが結婚するのだろうか。この想定のほうが、実際の劇そのものよりも非条理のような気がした。

最も注目したのは、けんかの次元がぐっと転回するシーンである。何回かあるのだが、その中でも特に使えるなと思ったシーンがある。けんかを転回させるのは、理性よりも感性であり、潜在的な動きが圧倒的な力を持つ。保守主義者であれば、いわゆる「卓袱台をひっくり返す」という怒りの手段が常套だ。Photo_2これに対して、この映画の中では、卓袱台をひっくり返す以上のすごい効果を持つ方法のあることを教えている。それは、ナンシーが場面の潜在的な雰囲気を読み取って、どおっと行う、いわば生理的な力だ。これは、有効だった。理性や合理を一気に吹き飛ばしてしまった。映画が終わってから、映画館前の喫茶店で、雨をみつつ「けんか」の余韻を冷やしながら、カフェラテを飲んで帰路に着いた。

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2012/03/06

如何にして、武家文化を優越しようと考えたのか

Photo_6雨模様が続いている。朝から強い雨が降っている。けれども、気温は暖かく、すでに春の雨だ。近くの叡山鉄道茶山駅から軽軌道電車に乗って、二つ目の修学院駅で降りる。あらかじめ時間を計算して行ったつもりだが、修学院離宮の門に着くには、早すぎる時間だ。そこで、周りのゆきとどいた石垣と植え込みをぐるりと見て回る。以前きた時には、夏でまだ携帯電話を持っていないころで、電話ボックスを探して、長距離電話をした覚えがある。このように、何度も修学院離宮に通ってくるのは、日本人の歴史の中で、この離宮をめぐる文化の状況が特別の意味を持っているのではないかと思うからだ。

Photo_7待合室で観覧のダイジェストであるDVDを見せてもらい、イメージを作ってから、案内の方に従って、下離宮から、見て回ることになる。寿月観という清楚な建物が残っており、居心地の良さそうな佇まいである。苔むしたる庭が広がり、装飾的なものは極力省略されている。自然を楽しむと同時に、それを言葉で表し、コミュニケーションの道具として使ったものとして、これらの建物が存在しているといえる。もし言葉をあまり使わずに自然だけを楽しむのであれば、これほどの意匠は必要なかったに違いない。言葉さえあれば、このように何もないところに置かれたとしても、決してあきることはなかったであろう。

Photo_8一見、上下の離宮にとって、横道に逸れる中離宮は無駄な施設のように見えてしまうのだが、シンプルさの中に余裕を読み込むのが、この時代の特徴だと思われる。棚田が広がる、いわば世界を表す生活の場を通って、松並木からすこし逸れたところに、客殿と楽只軒がある。世界というものが、貴族から武士へ移り、それが何度となく展開したことを自然に学習した結果だろうと思う。単なる思いつきで棚田を取り入れたのではなく、文化の在り方の基本を上手くすくい取っていると思う。

Photo_10作りは凝っていて、書院の棚などにも余裕が見られるが、これが王朝文化の中核かと尋ねられれば、ちょっとちがうと直ちに言えるような、棚なのだが、その構えは雄然としていて風格がある。武士文化への気兼ねや、対抗などの嫌味の部分がなぜ存在しないのか、そちらの方にむしろ興味を覚えた次第である。

この頃には、雨が激しくなってきて、温かい雨なので救われているが、そうでなければ、ビショビショに濡れてしまって、気持ちも萎いでしまうところだ。隣雲亭では、質素さも極まっていて、見学者の中にもシンプルさがこれほどとは思わなかった方々がいたようだった。多くの見学者は、このシンプルさを特殊な在り方だと知って参加しているのだが、それにしても、ここまで徹底されているとは思わなかったに違いない。それほど、京都の市内を離れて、このような離宮を作る必然性が後水尾上皇には存在していたのであろう。そして、その複雑な心情が、現在では日本人の中核的な心情を反映していると言えるのではないだろうか。

Photo_11このような心情の現れとして、「大刈込」を挙げておきたい。池は庭園の中で人為の極致である。けれども、この人為性を如何に隠すことができるのかが、庭園の自然さを表現するには大切になるところだ。もし武士文化の元であれば、池を作る際に大工事を行い、その石垣が如何に大変だったのかを自己顕示するだろう。それは、中世の城建築における常識的な感性だったといえるだろう。城の石垣は、建築物として優秀であることはその通りだが、それ以上に顕示欲が強い建築物である。

Photo_12これに対して、後水尾上皇は、明らかにこの逆を行ったことがわかる。これほどの石垣を持っていて、しかし徹底的にその石垣を隠した建築物を他には例を見ない。これが修学院離宮の離宮たる所以だと思われる。大刈込こそ、離宮の隠れた中心だと思った。Photo_13そして、この石垣があるために、池が成立し、下の棚田が存在し灌漑ができたのだと、指摘されれば、この離宮全体の自然と文化のシステムが如何に一体のものとして、熟慮されたものであるのかが理解できるところである。

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2012/03/04

「詩仙の間」に座し、K書店で本を渉猟して、読書会を催す気力を養った。

Photo仕事と疲れの量の両方が極致にまで達して、均衡点間近になってきたので、それを理由として小雨が降る中、20分ばかりのところまで、散歩に出る。雨のため、気温が上がったので、濡れることを気にしなければ、散歩にちょうどよい。

Photo_2北大路通りを東に歩いて、比叡山に連なる山間地にあたり、坂をちょっと登ったところに、詩仙堂がある。手前のバス停には、「一乗寺下り松」とあり、縁があるようで昨日ちょうどNHKテレビで、映画「宮本武蔵」が放映されており、一乗寺下り松での吉岡道場門下生との決闘場面も写っていた。

Photo_8そこから、両側に木造の落ち着いた住宅がならんていて、それが途切れたあたりに、詩仙堂がある。江戸初期1641年に、「石川丈山」が造営したとある。明日行くことになっている、ちょっと北にある修学院離宮は、1655年に出来たのだから、詩仙堂はそれより十数年早く作られたことになる。いずれにしても、江戸期のシンプル文化の典型であることには、間違いない。

Photo_9丈山は、かなりの曲者であったと思われる。あちこちに奉職しているが、いずれも求められて、あるいは推薦されていて、交流の広さを表している。社交に長けていたばかりか、詩仙堂をはじめとして、いくつかの造営を手がけているし、学芸についても、漢詩と隷書に通じていたということである。部屋には、いくつかの書の模造品が掲げられていた。

Photo_12今回、詩仙堂の「詩仙の間」に腰掛けて、雨の音を聞いていた。観光客が夕方になって途絶えたのが幸いして、静寂の中での景色を楽しんだ。この「詩仙の間」は、読書室であったらしい。四方には、詩片が掲げられており、本を散らかしていても十分のスペースが確保できる。縁側が巡らされており、冬の寒い時期には、寒さよけにもなっている。この静けさの中での読書は、格別の集中ができたであろう。

Photo_5今年は以前から大々的に宣伝しているように、公式・非公式の読書会を催そうと意気込んでいる。OBの学生の方からは、ソーシャル・リーディング、つまりは読書を種にして、交流を高める会となるように企画すべきとの提案も受けている。少しずつ形を整えて行って、読書会の枠組みをもう少し幅ひろく、構えを緩やかにした会を持続させて行きたいと考えている。以下、ちょっと宣伝です。

お知らせ:読書会の開催
3月31日(土)14:00から、東京文京学習センター2階第1講義室にて、
(第1部)『もうすぐ絶滅するという紙の書物について』カリエール&エーコ著
・紙と電子の書物について読んで考えます。
(第2部)『金融危機とマクロ経済』東大出版会
・貧困について読みつつ考えます。
参加自由・無料です。テキストは、東京文京学習センター窓口で配布中。
比較地域研究会、坂井ゼミ主催。
もし時間があれば、ご参加ください。

Photo_13しっとりと濡れた砂地の坂道を、叡山鉄道の一乗寺駅に向かって、下った。この通りには、喫茶店が両側に夥しく存在する。ベトナムの喫茶店街ほどではないけれども、どのように客を奪い合っているのかが想像できそうであった。そんな中での存在のあり様として、この写真のようなものも、一つの手ではないかと、思われた。「インキョカフェ」というのは、詩仙堂が隠遁生活の場であったところから、名をとったものだろうか。生き残りの策として、背水の陣という、命名であると思う。

Photoちょっとびっくりしたのは、一乗寺駅の踏切を超えて、少し行ったところにある書店である。外から見ていると、何やら本屋なのに、雰囲気が街の本屋さんというものではないのだ。写真のように、レンガに緑の扉というのに誘われて、つい入ってしまった。何やら、客でいっぱいで、見て歩くにも人とぶつからないように注意する、というくらいなのだ。なぜ今時、新刊本本屋でこんなに客が入っているのだろうか。書棚を見ていくに連れて、それがわかった。本の品揃えが並でないのだ。

Photo_2たとえば、「クレーの日記」の8千円の本の横には、「北斎漫画」のシリーズ文庫本が並んでいる。反対側には、「河鍋暁斎」の岩波文庫が隣同士なのだ。人名で並んでいるわけでない。芸術文化の棚であることはまちがいないが、並び方は独特の並びがしていて、ここの店主の趣味が一つの世界を作り出しているような感じだ。

モランディの下には、グールドがならんていて、そうなのかという感じがない訳ではない。Z大学が近くにあるので、デザイン関係の本揃えが特に素晴らしかった。また、雑貨も素敵なものが並んでいて唸らせた。来週からは、廃刊となったポパイと宣伝の展覧会も催されるとか。

Photo_3古い古典だけが並んでいるわけではない。新刊本が中心だが、少し前の気になる本もキチンとフォローされていて、書棚を追う目を楽しませてくれる。一度入ったら、半日は簡単に時間を潰せることができる。よくもまあ、カタログや大都会の本屋さんが見逃してきた本で、魅力にあふれる本を探し出してきたな、という感じである。このような本屋さんが、京都の片田舎に、ヒョイと現れてくるところが、京都らしいところなのでもしれない。

Photo_4来週にはちょうど母の誕生日が巡ってくるので、プレゼントにちょうど良い本(郷里の「松本」の写真と文章の本)を見つけ、ラップでくるんでもらった。何という本屋さんか確かめずに入ったので、外に出て、写真を撮っていたら、女主人の方がこちらを見て、笑っていた。わたしのような観光客がたくさんくるのでしょうか。

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2012/02/28

トランクをゴロゴロと引いて、東福寺近辺を歩く

Photo京都駅の南のほうには、いろいろな風景があるらしい、といつもの大学での雑談の中での聞いていた。ということもあったが、じつは旅に不確実なことは付きもので、京都駅に12時38分に着くことはわかっていたのだが、40分発のバスがあり、間に合わないなとは思っていたが、バス停へ急いだのだが、案の定すでに姿はなかった。

Photo_2そこで、宿のある出町柳まで京阪電鉄に乗るために、東海道線の線路に沿って、山科方面へ向かって歩き出した。たぶん、いずれは京阪線と交差して、そこに駅が出現するだろうと目論んだのだ。

Photo_3とは言え、トランクいっぱいに、40冊ほどの本を持参しているので、ちょっと無謀な気もしたが、やはり旅で歩きたいという気分に負けてしまった。殺風景な長屋や、資材置き場が並ぶ街を、ガラガラとトランクを引きずりながら、散歩を楽しむ。

Photo_4京都駅から京阪へ出る人は、JRで一つ戻って、東福寺で京阪線に乗り替えるらしい。歩くような暇な人は皆無らしい。途中、京都に来たな、という感慨を新たにしたのは、鴨川に突き当たり、河岸を歩いた時だ。もちろん、上流で見られるような自然の土手は、京都の南では失われていて、コンクリートで覆われてはいるのだが、これが上流に繋がっているのだと想像するだけで、朝に横浜にいて、今は京都なのだなという不思議さに、何の変哲もない景色なのだが、ついて回る想像力の違いが付け加わるのだ。

Photo_5ゴチャゴチャとした街並みをかき分け、なぜ同じような道が何本も存在するのかを想いながら、東福寺駅近くに出ることができた。途中、二回ほど道を訊いたのだが、最初のご夫婦はベストアンサーを探ろうとしてくださり、連れて行ってくださる勢いだった。単なる散歩者ではないことを感じさせる方々であった。二番目に訊いた人は、地元の人で、いかにもここが複雑な道筋を保っていて、口で説明することが困難な街であるのかを悟らせてくださった。近くに行ったらまた聞いてください、というアドバイスを受けたのだった。

Photo_6やはり、寄り道は必然なのだが、ビビンバの素敵な店が目の前に現れた。喫茶店風でもあり、落ち着いてランチを取れそうだ。それに、そろそろトイレタイムである。京都の家らしい、奥まったところまで歩いて行って、素敵なトイレをお借りした。

Photo_7あとは電車で一直線だった。宿舎について、届いていた段ボールいっぱいの本と資料をベットの上に広げて、一週間のメニューを練って就寝した。

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2012/02/26

集合意識は、どこで育まれるか

Photo この写真に写っているのは、思いがけずばったりと出会った、野生のニホンカモシカである。雪の中で、正面からの姿は、たいへん格好良い、と思う。すっと立っていて、素朴な眼をして、こちらを警戒することなく眺めている。雪の中のお嬢さんという雰囲気だった。

ところがである。わたしたちの姿を認めて程なくして、すたこらと坂道を上って、逃げ始めたのだ。その姿たるや、雪の中のカバという風情である。後ろからみると、栄養が良いのか、だいぶ太っている。Photo_3その重みで、雪の中へ足が沈んでしまう。ずぼ、ずぼ、と先ほどの鹿のごとくの、すっとした感じはどこへやら。自分の老年振りを棚に上げてしまうのであるが、中年太りのおじさんの歩調であった。せっかくの好印象が台無しであった。メタボの間抜けさは人ごとではない。こちらも昨日の料理がお腹に残っているのを感じつつ、温泉へ向かう。

Photo_4 朝起きて、宿の窓を開けると、雪が舞っている。表の共同浴場からの湯気と雪とが、冬の季節を構成している。朝風呂は、Y館の内風呂に入った。六角形のドーム型の建物に、湯気が蓄積して、朝のボンヤリした気分とマッチしている。湯の温度は、かなり高めなので、数を数えている間に、汗が吹き出て、手足の血管が働き出すのを実感する。Photo_5 そのうち、身体中が電気ストーブのように、熱を放出し始める。何か野菜を放り込んだら、煮立ててしまう勢いの温度である。じゅっとばかりに、朝茹での卵みたいに入って出た。それでも、何人かの我慢強い人たちはまだ入っていたのには恐れ入った。

Photo_6 集合意識は、どこで育まれるか。経験したてなので牽強付会の気もしないではないが、最も原初的な形のひとつは、温泉の大浴場ではないだろうか。ロールズの向こうを張って、無知のヴェールならぬ、裸のヴェール(語義矛盾ではない)でも唱えようか。Photo_7 湯船で一緒のお湯に入るだけで、他人のような気がしなくなるし、話しかけたくなるということが、その原型振りを表している。

Photo_8車に乗って、「法師温泉」という、日本秘湯の会の古株温泉を、K先生の案内で訪れた。ここの大浴場は、知らない人たちが、話をしながら、長時間湯浴みするのに適している。 第一に、湯船は10ほどの矩形に区切られているものの、それぞれ5,6人ずつ入ることができるから、50人以上が一度に入ってしまう。Photo_9第二に、男女混浴であり、女性にとっては入りにくい面もあるが、形式上は平等の作りになっている。大浴場に、男の低い声ばかりでなく、女の高い声も響くのはたいへん良い。 第三に、お湯が温めであるために、長湯できるようになっている。長湯するときには、当然会話が進むことになるだろう。

Photo_10 さらに、今回は「地熱エネルギー」についてのセミナー付きの温泉研修旅行である。環境の専門家であるS先生も同行しており、ひとしきり議論が続いた。温泉は好きだが、社会科学としてこれほど問題があるとは思わなかった。不覚を恥じた。Photo_11 たいへん勉強になったのは、温泉権という考え方であり、権利としてまだ不確定なところがあるということだ。もっとも、それを言い出したら、すべての権利はかなり不確定なものだということになってしまうのだが。

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2012/02/25

雪が残っている群馬県での先生方の合宿に参加して、心身ともにリフレッシュした

Photo_5群馬県の温泉にて、放送大学の先生方との合宿があった。昨年も来た湯宿温泉だ。到着してすぐ、昨年と同様にセミナーを開いて、早々にいくつかの決定を行っていった。本当に楽しむためには、そのまえに仕事を片付けなければならない。

T先生がおっしゃるには、このような別天地へくることには、いわば「転地効果」があるのだという。常日頃、放送大学本部で議論を行っているのだが、ここで全員の先生が集まっても、やはりそれは公式の行事である教授会のときでしかなく、ほとんどいつも時間が少ないのだ。それと異なって、場所が変わったことによって、一日たっぷり時間を取ることが出来るし、効果のほどは本当かどうかは別にして、多少想像力も柔軟になるし、許容の幅も広がる効果が望めるのだ。

Photo_6新しい考え方には、新しい環境が必要だということかもしれない。具体的な議論の内容は、今後の新しい放送授業の企画に関してであったが、そのことはともかくとして、今回興味深かったのは、議論の中核というものはどのようにして生ずるのか、という典型の議論が行われたことだ。ちょっとだけ出すならば、一つには、機軸というものが必要であり、二つには、それがどの範囲まで広がりを持つものなのか、ということを確かめる必要があるということであった。

Photo_7もっとも、この二つの関係は、逆転するかもしれない。放送大学としては、教養の広がりを得てから、中核を刻んで行くことがむしろ得意なのかもしれない。学問の領域は今日複雑に絡み合っているから、それを解しながら、かつ組み合わせることができればというところだろう。

さて、このような会を積み重ねた結果は、2年後には、放送大学の印刷教材という形になり、さらに3年後には、放送教材というものに定着されて行くことになるだろう。その時に、学生の方々が、ここでの議論の雰囲気を、少しでも感じていただけるならばたいへんありがたいと思う。

今回は、S先生が定年を迎えるので、お別れ会を兼ねている。S先生は建築学の先生で、実際に建築事務所を持っている。普通の設計だけを担当する建築事務所とはちょっと違っていて、環境全体をデザインすることで知られている。近年では、広島市民球場なども手がけられている。行きのバスで隣の席に座ったので、お話をいろいろ聞くことができた。

Photo_8中でも特に印象に残っているのは、事務所のスタッフが40名ほどいらっしゃって、その統括を行っている話だ。30年間くらい一緒に、運営していくと、途中で建築設計をやめて経営の方へ回る人が出てくるという現実は、特に興味深かった。どのようにして、転向を図ったのだろうか、想像するだけで興味深々だった。そのうち、ヒアリングを行いたいと思ったくらいだった。

Photo_9宿舎となったY館をちょっと出た隣に、町の共同浴場がある。K湯というのだが、宿舎の内湯も良いのだが、このような共同浴場の良い点は、地域の方々と話ができるところにある。たまたま毎日来るという、おじいさんと孫娘さんが入っていた。4、5人はいれば、いっぱいになってしまうようなところなので、3人くらいがちょうど良いくらいだ。

昔は、朝風呂にもきていたとおっしゃっていた。けれども、最近の若い住人たちは、次第に内風呂を作るようになってきていて、共同浴場の利用は減りつつあるのだそうだ。高齢化も影響していて、歳を取ると、外湯は難しいと言っていた。そうは言っても、家族中で共同浴場へ行くという伝統は、この建物が存在しているから続いているのだろう。湯元のホスピタリティと、住民たちの共同性とに、共感を感じた入浴であった。

Photo_10住民たちの共同性には、変容があるらしい。たとえば、かつて浴場の掃除は、住民たちの当番で行っていたのだが、現在は専門の掃除人を頼んでいるとのことであった。

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2012/02/24

遠くに行ってしまったものに対して、「ものすごくうるさくて、ありえないほど近い」ものとは何だろう

Photo_4映画「ものすごくうるさくて、ありえないほど近い」を観る。父親とたいへん仲の良い少年オスカーが、9.11で父を亡くす。父親とどのような遊びを行ったか、ということは、父親の思い出のなかではかなりの部分を占めるという普遍的なことをうまく使っていると思った。この映画では、ブランコのシーンや、探検調査ゲームがあげられていて、これらが後の物語で重要な役割を演ずる。

身近な人が亡くなったときに、その当事者のどこがおかしくなるのかは、よくわからない。けれども、そこから回復することは、可能なはずで、なるべく「自生的」に回復することを、この映画では重視している。この点でアメリカ的だな、と思う。そして、「自生的」の裏で何が必要なのかも、最後に明かされるが、それは一見アメリカ的ではないように見えるかもしれない。けれども、何かちょっとわからない雰囲気がこの映画には漂っている。その原因はどこかと見つけていくと、人と人の結びつきでも、やはり個を大切にするということを中心になっていて、この点に関しては、やはりアメリカ的だなと思ってしまう。

ネットワークが重要だ、という共通認識が存在することは、人間の社会ではかなり了解されていても、やはり場所によって、ネットワークの在り方が異なるだろう。この映画で感動的なのは、場所が異なり、人が異なっていても、それぞれの場所でネットワークから外れたり、ネットワークが壊れたり、さらにはネットワーク自体が存在しなかったりという問題があることが、訪ねていく先々で明らかになって行くことだ。

この映画のアイディアで気に入ったところを、一つだけあげろというならば、やはり「鍵」のエピソードは秀逸だと思う。詳しいことは映画を見ていただくとして、大雑把にいえば、次の如くだったと思われる。

父親の死後、封筒に入った「鍵」を父の部屋から発見する。鍵の収まる鍵穴を見付け出すべく、一つの旅が始まり、それを巡ってのドラマが始まることになるのだが、結局のところ、鍵自体は重要ではなく、むしろ鍵を巡って起こったネットワークが重要であったという物語だ。これを観て、現実の生活を振り返っても、ほぼ同じではないかと思った。

402735_283577035033801_238518536206中心にあることが重要であることのも事実だが、往々にして、その周辺に真理や重要なことが存在する場合もあるのだと言える場合が多いのだ。あえて、プロセス主義だと言われようとも、甘んじる他ないのははないかと思う。

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2012/02/16

「神」を見たことがあるか、としか言い様のない一日もある

Photo義理の関係であるが、きわめて近しい親戚が今日一日で、同じ日に二人も亡くなった。それだけでなく、やはり近しい若い人が、新たな人生を歩み始めることを決めた。

人生の中の一日で、途轍もなく大きな力が一度に働き、何かがぎゅっと凝縮して現れる。そして、その凝縮したものは、次から次へ渡って行くのだ。このような一日というものがありうることを、ようやくにして知った。

Photo_2昔、高校時代の国語教師N先生が授業中におっしゃったことがある。わたしは座高が高かったにもかかわらず、この頃は一番前の席に座ってからよく覚えている。君たちは「神」を見たことがあるか、と。クラス全員に、突然問いかけたことがあった。どんな神でも良い、あたかも神の起こした奇跡のようなものでも良い、と。遅ればせの宗教体験と言ってもよいかもしれない。

言ってみれば、生と死とが交錯する、そんな一日だったのかもしれない。朝、5時に妻から電話がかかってきて、支度をしてすぐ、朝の一番列車に乗って、秋田へ向った。昨日、会議に出ていて、今日の午前中に報告を送らなければならなかったが、新幹線の中で書いて、秋田駅で送ることができた。

Photo_3病室へ赴き、病院からの葬送に立ち会った。ベッドから搬送用の器具へ移す時、ずっしりと重かった。それは体重という意味ではなく、一人の死というものの重さだと思った。

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2012/02/10

キノコについての想いを辿るのは楽しい

20120210キノコについての想いを辿るのは楽しい。小学校時代からの特別な意味をつねに思い出させてくれるからである。すこし大袈裟な言い方かもしれないが、このキノコの記憶があることが、田舎育ちの一つの良い点だと思われる。田舎者と言われようとも、わたしの心のよりどころとなってきた気がする。

20120210_2キノコは、食べ物であると同時に、わたしの環境そのものだからだ。信州の北西部で育ったのだが、ここには、キノコ狩りという風習があって、学校で連れて行ったり、家族で行ったり、町内会の旅行として行ったりしてきた。このような風習は、季節が限定されているし、さらにキノコの取ることのできる環境が近くになければならないから、地域でもかなり限定される活動となっていると思われる。

20120210_3逆にいうならば、キノコ狩りのできるという経験を持っているだけで、すでにその環境の一員であることを認められたと言っても過言ではない。田舎のメンバーシップというものがあるならば、その重要な構成要素だと思われる。まだ、観光キノコ狩りというビジネスが成り立つまえのことである。

20120210_4だから、実際には、キノコの生えている場所を知っているのは、栽培している農家でなければ、キノコ狩りの名人がいなければならない。また、キノコには毒キノコというものがあって、これを見分けないとはいないという、食べ物としてのタブーが存在しているのも、キノコの面白いところである。

20120210_6ところが、ここが地域の閉鎖的であって、とても良いところだと思われるのだが、名人は親子であろうとも、ほぼ絶対的に密集地を教えることはないという点である。そしてこれは、環境の進化としては正しいのではないかと、わたしは思っている。

20120210_7もしキノコ狩りの名人がたくさんいたら、美味しいキノコは直ちに絶滅してしまうではないか。さらに、もし名人が世襲制だったら、その周りのキノコは永遠に独占されてしまうではないか。名人が一代限りだから、つまりは名人の絶対数を限ることで、キノコの絶滅を防いでいるのではないだろうか、と思われる。

20120210_9ということで、如何にキノコを食することには、自然に対する手続きが厄介なものであるのかを、信州に育ったものであれば、知っているのだ。何もここで信州生まれをひけらかすことは、ないのかもしれないが。じつは、今日は恒例の「清談会」であった。放送大学をご退官なさった先生方もお呼びして、Y先生ご推薦の六本木にある「G」へ集った。ここは、中国雲南のキノコ料理で名立たる店である。

20120210_10最初の前菜の中にも、キノコが使われていたが、味を見て歓談しているうちに、皿からはあっという間に、料理が消えてしまった。一応、当番として司会をしなければならないと観念していたが、すっかりOBの先生方の毒気とキノコの香味に当てられて座っていたら、司会なしでどんどん話は進んで行った。

松茸入りの薬膳スープは、アッサリとして好評だった。車海老と虎掌茸の炒め物は、想像していたものとかなり違った。牛肝茸の香味炒めは、こってりとしていた。肉と魚の料理が続き、さらに、豆腐料理と点心が出る頃には、紹興酒が何本かに達して、酔いが回ってきた。

20120210_11Y先生が店の若主人を呼んできて、雲南名物である「米線」の盛り付けをテーブルで見せてくださった。ここには、アジア的と呼ばれるものの原型が保存されているのを感ずる。コメを中心とする文化、麺を中心とする文化、薄い醤油味を中心とする文化が保たれている。

20120210_12キノコの効用が酔いとと一緒に、身体の中をめぐり出す頃、先生方を車で帰し、こちらも六本木の喧噪を避けるように家路に着いた。

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2012/02/07

「情報は権力なり」という神話を確かめたいと、映画「エドガー」を観る

Img_0284情報は力なり、というセリフが出てくることで、有名になった映画「エドガー」(クリント・イーストウッド監督)を観てきた。なぜちょっとした単なる情報が権力の元になりうるのだろうか。歴代の大統領たちのもとで、米国のFBI長官として48年間に渡って米国の情報を支配してきた、ジョン・エドガー・フーバーの半生を描いた映画だ。いつもは、クリント・イーストウッド監督だと、自分の名前が前面に出るのだが、今回は背景に退いていて、映画の描き方でも、クイント・イーストウッドらしさが、あまり見られない。

クリント・イーストウッドらしさとは、メリハリの効いた、アクセントのはっきりした映画ということだ。今回は、デカプリオの過剰な役作り以外は、淡々と事実関係をそのまま流しているばかりだ。むしろ、歴史の筋に忠実な運びの映画となっている。

出だしが穿った作りになっている。「情報」世界の典型例は、国会図書館だという、一般受けしやすいところから入っている。わたしもこの米国図書館に惹かれて、二度も訪れた記憶があるのだが、入り口ホールに置いてある、グーテンベルクの活版印刷の聖書を眺めて、閲覧室のボックスに入った図書カードを引いて、席に座っていると係の人が図書を席まで届けてくれるのだ。

映画のシナリオでは、図書カードだけでは、うまく行かないことを示して、このエピソードで映画の全体を暗示させている。カードから異なる文献に行き着いてしまうことを、皮肉に描いていて、情報の行き違いが他人の人生を狂わせてしまうことも有りうることを示唆していて、そこから映画が始まっている。カードの貧弱な情報だけでは、内容の判断もできないのは当たり前のことだ。書籍でさえも、現物に当たらなければ、内容はわからない、ということだ。

フーバーは科学捜査の先駆者で、指紋鑑定のオーソリティになるのだが、この図書カードのエピソードが後の筋に効いてくるのだ。有名なリンドバーグ誘拐事件の犯人を最後に指紋鑑定などで追い込んでいる、と描いている。映画のなかで使われた図書カードのキーワードが「無節操」というのも、クリント・イーストウッドらしい皮肉である。

いくつかの疑問点がある。単なるスキャンダルが、じつは情報としての権力の元になるとこの映画は言いたいのだが、それでは、フーバー自身のスキャンダルをこの映画がきちんと描いたかといえば、そうでもないと思われる。

それで、この映画の核心は何かといえば、フーバーの「極秘ファイル」の存在であるとわたしは思う。ここで使われている論理は、先日ここで指摘したデュシャンの「泉」と同じ構造を持っていて、たいへん興味深かった。

つまり、権力を左右するような情報は、本来は公式的で正統な実力であるはずである。ところが、実際は、権力に座る人の情報操作によって、権力が発生してしまうし、それならば、権力に座る人を情報操作すれば、実際の権力を得ることができるだろうということになる。それで、権力に座る人の弱みを情報として獲れば、実際の公式的な権力を実質的に得たことになるだろう。

その元となるのがが、「極秘ファイル」である。内容は、権力者の弱みとなるスキャンダルの情報が集められたものとなる。けれども、この情報をフーバーは滅多なことでは外に出さなかった。「極秘」とされたのだ。

脅迫の遂行と同様にして、表に出さないことで、機能するのが「極秘ファイル」の役割だ。そして、フーバーが亡くなるときに、個人秘書によって廃棄されてしまう。結局、存在していたのだろうけれども、最後に姿形が無くなることで、もっともっと存在感を増したものとして、フーバーの「極秘ファイル」は現在でも存在感があるのだ。

Img_0286映画の中心は、「極秘ファイル」なのだから、これをもっと効果的に映画に登場させて欲しかったと思う。今回の映画では、いかに「極秘ファイル」における「不在の実在性」を映画で描くことが出来るのかが試されていたのだと、勝手ながら考えているのだ。

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2012/02/04

放送大学発祥の地を懐かしんで、壊される前に世田谷学習センターを訪ねた

Photo_7ここ数日、寒い日が続いていたが、今日は晴天だったので、途中から気温が上がってきた。オーバーは必要だが、ストールはいらない。歩いていたら、汗が出てきて、外気の冷たさと丁度良い加減となった。

Photo_8東京世田谷学習センターが閉所するということを聞きつけてから、一度はお別れにいかなければと考えていた。世田谷に所属したことはなかったが、面接授業やその他で、ずいぶんお世話になったのだ。

Photo_9こちらとの関係でいうならば、まずは面接授業を数年に一回はこなしてきたというつながりがある。三階の一番奥にある、少し大きめの講義室が、階段教室になっている。このブログでも、一度くらいはその様子を書いたことがあったかもしれないが、すでに忘却の彼方だ。廊下の窓から、そっと写真を取らせていただいたが、もっと階段は急斜面だった気がするが、記憶などというものは当てにならない。

Photo_10階段教室だから、学生の方々の顔がすべて見える。一番低いところにいるわけだから、もちろん、上から目線が通用しない。絶えず、上から見られているという感じもあるが、むしろ全て対等に目線が合うという感じで、慣れてくるに従って、語りかけるという感じがある。取りわけ、ここの階段教室には、窓を超えて設定されているので、窓に目を向けても、自然な感じがする。講義をしながら、窓の外を見るのは、ふつうは気が引けるが、ここはきわめて自然だ。

Photo_11当時、わたしは神奈川学習センター所属だったが、駅からの曲がりくねった道を辿って、ここの非常勤講師室にたどり着き、一日中授業を担当した。それから、友人のI氏を頼んで、面接授業を担当していただいていたので、最終日になると、待ち合わせて学芸大学の駅前で呑んだりした。

1936_2古いということの良さがわかるのは、大人になってからなのだが、それはここの建物が良いとわかるということだ。古さがわかるということは、昔の状態を知っていることがないと言えないが、今日はここの写真展を見ていて、放送大学が入る前から、つまり戦前の青山師範時代からの歴史があり、そのころからの古さが存在することが付け加わって、感激した。この写真では左の白い建物が世田谷学習センターで、隣が学大附属、その奥にも大きな建物が1936年当時には建たっていたらしい。ここに通っていた時代には、たしか学長公舎はあったが、大きな建物はすでになかった。

Photo_12階段を降りて、各階に手を洗う水道と流しがあり、衛生主義の小学校時代の建物の様子がうかがいしれた。柱と柱の間隔が狭く、いかなる地震にも耐えることができそうな、建物で、それは図書館の建物としても適していることを示している。図書館短大が一時ここに入っていたのも、そのような構造のせいかもしれない。

写真展の写真には、歴代のセンター所長や当時の助教授の先生がたが、若い顔のままで写っていた。年月は確実に過ぎたことを思い知った。若い先生方が老けた、という意味でなく、もちろんそれもそうだが、昔が懐かしくそのような時代もあったのだという思いが先に立ったのだ。

Photo_14放送大学広報番組「大学の窓」の撮影班が、来ていて、今日の閉所式の様子を取材するのだということだったので、写真展の様子も、最後の世田谷学習センターの様子も、広報として流れる予定だ。この建物が壊されるまでに来所の予定のない方は、この番組を観たら良いと思う。

Photo_15窓班の方々、宣伝しておきました。ついでに、窓班を写真に撮ろうと思っていたら、すでにあちこち撮影しているらしく、つかまらなかった。センター所長のA先生は、今日の閉所式に出るためにタキシードに身を包んでいて、たいへん忙しそうだったが、廊下で雑談の相手をしてくださった。また、社会と産業コースのA先生も、最後の面接授業を行なっていたのだが、わたしの姿を見て、廊下まで挨拶に出てきてくださった。最後まで、皆さんが世田谷学習センターを愛好していることを知る訪問となった。

Photo_16さて、この学習センターとの繋がりで、忘れることができないのが、わたし自身の放送大学への就職面接がここで行われたことだ。当時、オーバードクターとなっていて、民間の研究所に通っていたのだ。それで公募があり、現在ほどは厳しくはなかったけれども、それでも数十人が応募する状況の中で、ようやく最後まで残り、最後の面接として本部のあった、この地へ試験を受けに来たのだ。まだ、放送大学が開学する3年前で、その後3年間は何も関係なく、どうやって暮らしていったら良いだろうか、というぐらいの就職だった覚えがある。

Photo_17今は、学生の控室になっているところに、哲学のO先生と、経済学のK先生がいらっしゃって、面接試験を受けたのだ。一緒に就職した経済学史のU先生も、ここで面接を受けていた。

Photo_18まだ、現在の幕張での放送大学本部が建たっていない時代の話だ。この世田谷学習センターはつまりは放送大学の発祥の地であることになる。もっと正確にいえば、隣の高校に、最初は準備室が間借りしていた時代もあるから、二代目の本部ということになるだろう。一説によると、この写真の高校の守衛室が先生方の溜まり場だったというのであるが。Photo_19さて、世田谷学習センターが更地になってしまい、放送大学の痕跡がまったく無くなってしまうのは、放送大学の起源が失われるようで、たいへん残念な気がする。

大学というところは、つまりは、精神の共和国たるところなのだから、建物は必要としない、というのは正論だが、やはり精神にも枠組みが必要で、思い出をつなぐ場所としての建物は、精神の一部と言って良いと思われる。

Photo_20昼食は、学芸大学の街へ出て、「L」というティールームでサンドウィッチと薄味の紅茶を飲む。冬の寒い中でも、陽射しは強く、格子のガラス窓から入ってくる。その暖かさにツラレて、この温室のような喫茶室の中を覗き込んでいく往来の人びとがいたが、覗くことができる魅力ある建物は必要だ。Photo_21何かがこの世から無くなってしまうという、なんとも寂しい一日となった。

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2012/01/24

シュルレアリスムをくぐってみて、何がわかったかというと、人間は現実以上にたくさんの超現実を持ち、またそれを超えるほどの想像を持つことが可能であり、さらにそれで終わらないということだ

Photo_6デュシャン展を観てきた。千葉市美術館の展覧会の準備は相当なもので、説明文の多さは他を圧倒している。だから、全部を見ようとしたら、一日あっても足りないくらいだ。それは、たぶんシュルレアリスムが中心となっているから、作品そのものというよりも、それによって、さらに「言葉」で説明されることに、抽象の表現というものが寄っているから、それでなお一層言葉が溢れるのだと思われる。

今回の展覧会が、「瀧口修造とマルセル・デュシャン」展となっているところが、この事情を語っているのだと思う。「言葉」と「シュルレアリスム」とが、いかに結びついているのか、ということを考えさせる点で、たいへん興味深い展覧会だったと思う。

たとえば、有名なデュシャンの「大ガラス(原題:彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも)」があって、無意識を象徴すると解釈されている装置やら全体やらが、複数組み合わさっている。誰もがこのような空想を日常生活で描いているから、なにもこの「大ガラス」に惹きつけられなくても良いはずである。けれども、言葉に定着された個々の装置である、たとえば「チョコレート摩砕機」などが言葉として提出されていると、なんとなく気になるのだ。気にならない人は、それはそれで自分の世界での自分の空想に甘んじれば良いのだと思うが、その空想を超えようとすると、何でもないことだが、何かが必要となるのだ。

経済に携わっているから、ちょっと場面をズラせてみたい。金持ちたちをうらやましがるのは、自分がそのような金を持ったことがないからであって、もしそのくらいの金を持ったとしたら、その金の束縛に耐えきれるかどうか、たいへん疑問だ、と言えるようになったのは、最近である。まだまだ学問が足らないのを嘆くのだが、金を持つということは、それを運用したり、使ったり、他人に任せたりしなければならないということで、そのためには、金額が多ければ多いほど、時間をそれに取られるということだ。だから、ほんとうの金持ちは、自分でお金を持つことはしない。

それで負け惜しみに聞こえてしまうのが、わたしが金持ちでないことの証拠なのだが、それ以上に、金を持たなくても、それと同じ効果を持つことを考えることが可能であることを知るようになったのは、やはり言葉があるからだと思いたい。

けれども、この無意識を言葉で表そうとすると、たいへん厄介なことになってしまう、ということもデュシャン展の教えるところであって、もっと無意識というのは自然なものではなかったのだろうか、とかえって疑問が湧いてしまったのだ。

デュシャンといえば、「泉」事件がある。この作品は、ニューヨーク・アンデパンダン展に匿名(R.マット)で出品された『泉』と題された男子便器の既製品であって、審査員から展示反対にあって、美術館の壁の向こう側に存在していたはずで、後に紛失されてしまったものだ。既製品であるから、わたしたちの身近なものであって、通常は芸術作品と認められないものである。けれども、否定され、不在とされ、紛失されることによって、作品として認められてしまう、という代物なのだ。

最後は、言葉としてしか、存在しない不在の作品が出来上がったことになる。今回の展覧会でも、「既製品」群のひとつとして。「泉」が展示されていたが、どこの不在を実在化させたものだろうか。このような実在化は、デュシャンの意図とは逆の動きである。これも含めて、その不在と実在の両方をこの展覧会で狙っている、というたいへん手練手管の展覧会であることを、じっくりと眺めてきたのだ。

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2012/01/23

老いて何が変わったかといえば、リンゴのキャラメル煮の乗ったハニー厚トーストを好きになってしまったと言えるようになったことだ

Photo年を取って何が変わったかといえば、酒に弱くなった分だけ、甘さを求めるようになったということだろう。依然として、コーヒーは好きで、苦さへの嗜好は続いているところをみれば、味覚にちょっとしたズレが起こっているということだと思われる。もちろん、嗜好は気まぐれだから、それはほんの短期間のことかもしれないが。

若い時には、辛さや酸っぱさへ向かう傾向があった。それに、先祖が甘辛両刀遣いなので、辛さよりも、甘さへの嗜好がこんなに偏向して出てくることは想像出来なかった。今日取り上げたいのは、スィーツではなく、パンのトーストである。それも、とびっきり甘いトーストである。千葉市中央の喫茶店Rに、今日は寄ったのだが、この欄ではすでに登場しているので、注目いただいた方にも、もう一度ここで強調したいと思う。

Photo_2商品名は、「リンゴのキャラメル煮トースト」(サラダ付き)で、それを食べてきたのだ。ちょっと風邪気味で、食欲が今一歩だった。それで、トーストというのもよくわからないが、胃の消化には良いのではないかと思われたのである。

写真のように、厚さが売りものであるが、それ以上に、その上に乗っているものが問題である。濃厚なハニーバターが塗ってあり、その上にバニラアイスクリームと焼きリンゴのキャラメル煮の大きな固まりが数個乗っている。以前紹介したように、真ん中をまずくり抜くように、アイスクリーム・トーストとして食べるか、焼きリンゴトーストとして食べるかするが、基本的には、その甘さを楽しむことが重要だ。昔、トーストに砂糖をまぶして食べた記憶があるが、それにクリーム味が付いているのか、それとも、リンゴ味が付いているのかという違いだ。トーストのイースト菌の香りと甘さとが、なぜかマッチするのだ。

Photo_3この料理の場合、トーストは空腹を満足させる「現実」であり、これらの料理の基礎をなしていて、味の基本である。それに加えて、甘さは「想像」であり、舌を通じて、頭脳に甘さの強い刺激を与え、なんとなく仕合せな期待を、わたしにもたらす。だからと言って、それでどうということはないが、この味に憑かれて、老年を迎えた男がランチに通っている図は、江戸時代であったら浮世絵に描かれて、時代の「象徴」として、つまり「女性化した男性」の典型として、世に残ったことだろう。ところが、現代にあっては、このような甘さを求める老年男性はたくさんいるらしく、注目されるどころではない。

という雑談を先生方の集まるカンファレンス室でしていたら、蜂蜜のかかった厚トーストは、千葉のローカルな味ではなく、すでに日本全国的な流行なのだと、Y先生が教えてくださった。全国チェーンの普遍的メニューらしい。

Photo_4そういえば、先日京都に行ったときに、ハンバーグを食べに入った店に、厚ハニートーストがメニューに載っていて、隣のカップルが仲良くトーストの両側から食べていた。そのとき、商品棚の写真も撮ってきている。

なぜ真ん中から食べるのか、それは上に載るトッピングのせいらしい。さすがにアイスクリームをおかわりする人はいないだろうが、京都の店では、蜂蜜が乗せ放題なのだ。店員を呼べば、トーストの真ん中にじゃぶじゃぶと何度も注いでくれるのだ。加えてもうひとつ、何かをかけていたけれども、メイプルシロップなどのいずれ甘いものであることは間違いないだろう。

このダイエット全盛の時代に、なぜこのような甘いものが流行るのだろうか。おそらく、過度のダイエットへの志向が、かえって過剰な甘さへ人びとを誘うのではないか、と雑談では落ち着いたのだが、ちょっと考えてみると、単なるスィーツの問題ならば、それで良いと思われるが、問題はトーストである。もうひとつ理由があるのではないか、と思われる。

つまり、ランチを食べに行く。そこでご飯物や麺物が選ばれるのではなく、パンが選ばれる。ここまでは、ダイエット的な志向ではないかと思われる。そこで、パンが選ばれたことで、一気に反転して、甘い物も良いのではないか、ということになるのではないか。食事の甘味化とでも呼ぶべき、一つの兆候が進行しているのではないだろうか。さて、人間の欲望には限りがないのだが、ひとつのダイエットが成功するとその周りでは、もう一つの非ダイエットが芽を吹くのではなかろうか。

ここでパン・トーストという中性的な媒体が、今回の甘味化への呼び水になったということが、注目値することだと思われる。これが、パンでなく、もしホットケーキだったら、何も面白くもなく、当たり前のことだ。人間の贅沢は何を媒介して現れるのか、ちょっと脇で起こっていることだが、気になったことである。

Photo_5帰りに、千葉劇場を通りかかって、思い出した。何回かリバイバルされている「ベニスに死す」に頽廃を見ようと思っていて、すっかり忘れていた。すでに上映が終わっていた。甘さは記憶力の増進には効かないのだろうか。

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2012/01/20

ひっくり返された世界は、いずれは元に戻さなければならないが、戻し方が問題だ

Photo世の中で何が怖いのかというと、いつか誰かがトンデモナイような考えを行なってしまうことがあることだ。なぜそう考えなければならないのかわからない。とりわけ、比較などという方法があって、ヤメテクレと言いたくなる比較があるのだ。なぜ比較しなければならないのか、わからない。雨の中の白鳥と、晴天下のなめくじを比較するような。

そのような比較をここで行なってみたい。俎上に登らせてしまったのは、映画「ヒミズ」と映画「パーフェクト・センス」である。日本映画と英国映画、若々しい映画と落ち着いた映画、小さな地域の映画と世界中に広がるという映画、などなど、これらの映画には、似ていないところのほうが多いといえる。だから、そんな比較は行うこと自体おかしい、ということはまさに明らかである。どちらがそうだとは言わないが、野蛮と洗練というほどの違いの目立つ、両方の映画である。

ところが、冷静に観ていくと、1つだけ共通点があって、それがほんとうにグッと来るのだ。とわたしは思う。映画的という規準に合ってくる。これを問題にしないで、何が問題になるのか、というほどの問題なのだ。「ひっくり返し」という映画描法について、観ておきたい。

両方の映画で、見事なひっくり返しが行われている。「ヒミズ」では、親子が親子の感情を持たないというひっくり返しである。もしこの映画で、主人公と父親、母親との関係が通常の人間関係として描かれていたとしても、何の違和感もないものとして、鑑賞したことだろう。それにもかかわらず、ここで「親子の関係」が赤の他人よりも「悪い」関係として描かれている。それは、映画なのだから、ひっくり返してもひっくり返さなくても同値として描くことができるのだ。しかも、それによって、かえって親子とは何かを考えさせる「強調」が行われていることにもなると思う。逆を描けば、その逆も真なり、という論法は、かなり古典的表現方法だが、今回もかなり有効に働いている。

Photo_2「パーフェクト・センス」でも、ひっくり返しが問題となっている。こちらは、いわば生物学的なひっくり返しであって、人間の五感が人類全体で失われるとしたら、どうなるのか、という近未来的設定である。五感の中で、「臭覚」がまず最初に失われる。つぎに、味覚が失われる。この程度であれば、他の感覚が発達して、トカゲの尻尾を切っても、また別の感覚が現れてくるのだ。そのへんまでは、想像が付いていくし、ドラマの素材として申し分ない。現場がレストランであり、シェフが準主人公であるから、なおさら設定が生きてきて、「強調」が有効に効く。

ところが、聴覚、視覚と進んでくると、かなり設定が難しくなってきて、想像力の限界が見えてきてしまって、映画として、「映画的だ」、を通り越してしまって、映画的な映画的になってしまって、リアリティが欠けてきてしまうのは、仕方ないことだろう。

さて、ここで問題にしたいのはひっくり返しを行ったあと、いかに元の現実に戻すことができるのか、それも、人為的であるものをいかに自然に見せかけつつできるか、ということになってくるのだろう。われわれ鑑賞者を感動に導くには、外連味たっぷりのひっくり返しを見せたからには、その落とし前をきっちりと行わなければ、ひっくり返しの倫理性、正統性を疑われることになりかねないだろう。ひっくり返しは荒唐無稽であっても、映画的であるためには、現実へうまく引き戻さなければ、リアリティが欠けてしまう。

さて、ひっくり返しの「元戻し」に関しては、「ヒミズ」のほうに軍配を上げたい。(これ以降、ネタバレになってしまうので、まだご覧になっていない方は、読まないほうがよいと思う。)主人公が自殺をする場面が何回か出てくるが、最後のもうダメかもしれない、という時に、準主人公が元に戻してしまうのだ。それは、それまで蓄積されてきた恨みを小石に込めて、何回か主人公の理不尽に寛容を発揮するのだが、最後の最後にそれを解放し、池に投げ込むことによって、ひっくり返った世界が元に戻るのだ。この小石というレトリックは、うまく働いていて、きわめて映画的であるな、と感心した。

これに対して、「パーフェクト・センス」のほうは、英国式理性主義に支配されていて、それが最後にストーリーとして破綻してしまうのだ。いくつかの場面でそれが出てしまうのだが、1つだけ例を示せば、最後に主人公と準主人公が再会する場面がある。両者とも、聴覚が失われていて、音が聞こえない状態なので、呼び止めることができないのだ。遠くにいる者が、相手を認知するには、どのような方法があるだろうか。

まだ、視覚が残っているのだから、相手の持ち物がそこに認められれば、そこに居ることが確認できる。たとえば、自転車に乗って、主人公がビルに到着する。準主人公はこの時点ではいないが、主人公がビルに入っている間に、乗用車で到着する。このとき、自転車が残されていれば、彼がそこに居ることがわかるのだ。ところが、どういうわけか、主人公はすでに自転車を持って、ビルの中へ消えて行くのだ。なぜ自転車を持って、ビルの中へ行くのか、たいへん不自然な動きがここで目立ってしまうのだ。シナリオがそうなっていて、一時的に双方が会うことができないことをわざと演出するために、自転車が邪魔だったのだ。けれども、それはないな、と思う。

というわけで、わたしの今回の判定は、理性主義をとるか、感性主義をとるか、ということだったが、はからずも感性主義に軍配を挙げることになった。もちろん、趣味を聞かれれば、グラスゴーのあの暗い雨模様の「パーフェクト・センス」に憧れる。映像に圧倒的に惹きつけられ、こちらが好きなのだが、けれども構成から見れば、圧倒的に「ヒミズ」に票を入れてしまうという矛盾したことになった。これが、今回の比較であった。ちょっとコジツケだったでしょう。コジツケついでに、もう一本逆転して見せる映画を観た。「ロボジー」だ。ふつう、人間を助けるためにロボットを作るという、世界がある。ところが、この映画では、ロボットを助けるために人間が代替するのだ。これも、ひっくり返しの変わった世界を描いて面白い。

414さて、K大の試験を今日行なって、今学期も閉じようとしている。一年間世話になった414号室に感謝を込めて。

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2012/01/10

J.ポロックの「細密な線の重層的」な絵に、何を観たか

Photo昨日、じつは学生の方々と別れてからが、身体的には大変だった。昼は、同志社大学の学食でみなさんと一緒に済ませた。じつは上の階には、イタリアンのコース料理を出すレストランがあって、そちらへみんなで行ったのだが、時間がかかるらしいので昨日はパス。残念ながら、次の機会に回すことになった。

学食は好評で、会社の食堂よりずっと良いとのことだった。その理由が現実的だった。会社食堂の場合には、その会社の関連会社になりがちであるために、味が落ちるそうだ。大会社ほど、この傾向があるのだという。

Photo_2みなさんと別れてから、かねてより行きたいと狙っていた、愛知県立美術館で開催されている「ジャクソン・ポロック展」へ駆けつける。名古屋と京都との距離は、約30分で、ほぼ通勤圏の距離だ。織田信長の天下取り気分を醸成したのも十分理解できるところだ。

妻からはそんなに無理しなくても、ポロック展は東京にも来るから・・・。と数日前に言われていたが、まえにもそれで、見逃してしまった展覧会がいくつかあるので、思い立ったら吉日と考え、合宿3日分の洗濯物・荷物持参で、展覧会場へ走り込んだ。会場は大盛況で、ポロックがこれほど人気あるとは意外だった。しかも、代表作ではなく、初期や晩期の作品が中心である展覧会で、これだけの人が見に来るとは・・・。考えてみれば、具象画と違って、抽象画にはそれ自体に向い合って楽しめばよいという、気楽さがかえってあるのかもしれない。

Photo_3今回の展覧会では、前述のように、1950年ごろのポーリングを中心とした最盛期と言われる作品以外のものが数多く展示されていることが特色となっている。中には、ユング派の精神分析手法の影響を受けた作品も展示されていて、ポロックが早くから、潜在性に興味を持っていたことを示す作品も展示されており、この傾向を知ることができたのはたいへん興味深いことだったし、ラッキーだった。

Photo_4多層的である、という評価は、観て誰でも思いつく特徴だ。展示の説明パネルにも、ポロックの特徴として、「細密な線の重層的な」表現を挙げていた。幾重にも積み重ねられた、線と色とデザインとが様々な連想を生むし、色自体の連鎖を追っても楽しい。

Photo_6問題は、抽象の問題である。なぜ近代になって、具象から離れて抽象に至る絵画が多く現れてきたのか。ポロックの場合には、どのような問題を観ることができるか、という点が興味深い点である。抽象に至る筋道には、たとえば、カンディンスキーの内的必然性という理由や、モンドリアンの単純化という理由や、さらに有名なところでは、シュルレアリスムの自動化などがあって、これらはたいへん解りやすい抽象の必然性だ。もちろん、言葉にしてしまうと表面的なものになってしまうので、溢れ出るものはこれらの言葉では納められないことはわかるのだが。

Photo_10それで、ポロックでは、そのような溢れ出るものに、どのような特徴があるのか。ポロックの人気は、ポーリング(流し込み)にある。この表現方法が瞬間的で、それ自体完結しているような総合性を持っているところにあると思われる。この技法は、ちょっと模倣してみたいという気にさせられる。前衛的でパフォーマンスを行うには、格好の技法だ。なぜ人気があるのか、がこれでわかる。絵を描いたことのない人でも、このポーリングならば、できるんじゃないか、という錯覚を覚えるからだ。

Photo_9それで、今回の会場には、ポーリングを行なっているポロックの当時のビデオが流され、その隣にはニューヨーク州のスプリングスにあった制作スタジオが再現されている。とくに、ポーリングの液が垂れたあとの床が、そのまま写真で復元され、その床に裸足で上がることができるようになっている。ここだけは、写真撮影が許されているのだ。上から目線で観ていると、さっそくポーズを真似する人たちがいて、それで何がわかるのかは定かでないが、体験的な理解ができたという雰囲気だけは醸しだされていた。

抽象のもっとも良い理解は、「体験」だ、というかなりパラドキシカルな状況が、ポロックには存在する。その意味でも、抽象的な世界に生きなければならない現代人にとって、示唆するものが盛りだくさんのポロック展であった。

今回の展覧会の特色は、評論家のクレメント・グリーンバーグの評論解釈を大幅に取り入れた点である。彼のポロック解釈は、「オールオーヴァー(画面全体に均等に散りばめられた様相)」である、とするものだ。この解釈が世界中にヒットしたことになっている。たとえば、絶頂期に制作された、「インディアンレッドの地の壁画」をみれば、なるほどと思う方法だ。

http://hamajubiyama.cocolog-nifty.com/.shared/image.html?/photos/uncategorized/2011/12/16/s.jpg

このことは、たいへん逆説的なことだ。ポロックは若い頃から精神的に深く、さらに多層性を探求するような形で、絵を描いてきた画家だと思う。今回出品されている、初期の自画像や、「西へ西へ」などの絵にはじまって、精神分析医との接触からの描法へと発展させてきたことがわかる。ところが、1940年代後半になって、ほんの数年間描いたオールオーヴァーな絵が最も人びとに評価されることになったのだ。深く深くの絵画も反映されていないわけではないが、けれどもそれよりも、広く均等な絵画が評価されたことになる。

晩年には、全体的でオールオーヴァー的な絵画から、また個別で、深く深くの絵画へ帰っている。けれども、もはやこれらはあまり評価されなかった。ここには、批評と作家との葛藤を読むことができそうだ。人生には、このような逆説的なことがたびたび起こるということだろうか。この1950年頃のほんの数年間のポロックの、溢れでた、あの輝きはいったい何だったのだろうか。

Photo_11ポロック展のあと、せっかく名古屋まで来たのだからと、もう一つ展覧会を回った。さすがに、お腹が空いたので、濃厚な名古屋の味、味噌煮込みうどんを食べ、さらに、名古屋と言えば、Kのコーヒーとシロノワールで、休憩をたっぷりとって、新幹線で帰路についたのだ。

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2012/01/09

京都人にはアンチ観光イズムがないのが不思議だ

Photo_25合宿の二日目である。外に出ると、この寒さの中、朝早くから観光客が街を散策している。自分がよそ者であることをすっかり忘れ、かつてベネチアで出会った、アンチ観光イズムが京都人にはないのかが不思議だとも思った。もっとも、わたしが関東在住なので、幸いにもそのような動きに出会ってないだけのことかもしれないが。

大阪出身の先生方に聞くと、それがイケズの本質だという、京都人は使い分けが上手いとのことだ、という説がある。また、京都千年の歴史がうまく融合する知恵をつけたのだ、という説もある。何れにしても、この観光客の多さをストレスだと感じない気質を、京都人は免疫として持っているということらしい。

Photo_26予定通り、午前中ゼミを行なって、二日間の幕を閉じた。学生の方から、時間が余ったら、先生方の話も行なって欲しいという要望が出ていて、T先生がそれに答えて、学生と対話しながらの参加型ショート講義を試みた。「モデルとしての現代的な発展型として、中国モデルとインドモデルとが存在すると仮定するならば、どちらのほうが妥当な発展モデルと、学生の方々は考えるか」という討論内容だった、学生の反応はほぼ半々だった。結果は2年後に開講されるT先生の授業をとっていただければ、説明されているとのことなので、参照していただきたいと思う。このような簡単な質問と対話のゼミも交えることは、このような合宿の際には有効かもしれない。

最後に、今年の夏にI先生の地元であるS県でゼミナール合宿を行わないか、という提起を行なってみたところ、数は少ないながら、賛成票が過半数を超えた。昨年の反対票の多さからすると、この変化には隔世の感がある。S県開催の可能性が出てきて、安堵した次第だ。参加者全体にも聞くことになるが、いまや「悲願」となっていたS県開催をぜひ勝ち取りたいと、わたし自身は思った次第である。どこかの都知事のオリンピック誘致活動のような様相を呈してきているな、とひとりで自嘲しきりだったのだが。

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2012/01/08

One Purposeを借景にして、合宿ゼミナールを行なってきた

Photo_18宿を出て、地下鉄四条駅へ向かう。ずっと西へ西へたどると、駅に到達する前に、六角堂がある。立て札によると、聖徳太子に由来する古いお寺だそうだ。六角堂の名前のごとく、本堂部分が六角形となっていて、建物のどちらから観ても、同じ様相を持っていて、綺麗な形を保持している。

Photo_19平安京でも、中心地区に当たるところだから、飛鳥時代から続いて平安遷都を乗り越えて続いてきたものと思われる。当然ながら、時代が経るにしたがって、土地は削られて今日に至っていると思われる。まわりは、すべて近代的なビルに囲まれていて、おそらく庭園だったところも、他に取られ、本堂だけの今日の姿になっていると思われる。時代のなかで生き延びてきた秘訣は何なのかと想像してみることは可能だ。

ひとつは、時の勢力、時の文化と結びつくことである。政治勢力との結合は相当行われたことだろう。それから、後者のほうでは、池坊の起源に関わっているという記述もあり、まわりに、生花の道具を売る店がぐるっと並んでいる。何が驚くことなのかといえば、このような文化的な中核がちょっとした街歩きで、すぐに見つかるという点である。

Photo_20地下鉄に乗って、今出川へ出る。同志社の門をくぐれば、すぐに煉瓦作りの古い建物群が並んでいて、これに魅せられて、この大学へ入る人が居ても不思議はないだろう。それほど、魅力的な建物群だ。しかも、今回この建物群のなかの一室を借りてのゼミナールの開催だ。H先生に昨年はお世話をいただいたが、今回はN先生にすっかりご厄介になってしまった。ここを借りて、御礼申し上げる次第である。

Photo_21ゼミナールの様子は、N先生の観察に表れていて、いつも感心する。「今回のゼミナールには例年になく、優秀な方々が参加していて・・・」というところで、学生の方が「ホントですか」と質問すると、空かさず「けれども、そのなかの何人かの方は、最後まで続くか本当に心配しています・・・」と続けられたのだ。笑いを取っていたが、その笑いが失笑なのか、嘲笑なのかは確認しなかった。

Photo_22内容は、今年度は世情を反映して、金融問題が多かった。けれども、バブルの問題を扱う時代が過ぎてきていて、規制緩和から規制強化の時代を感じさせる傾向を感じさせるものだった。グローバリゼーション問題も陰に陽に、すべての方々の問題に影を落としていた。そして、その副作用は貧困問題にも及んでいて、このゼミナールで提起されている問題がすべて結びついてしまうかのような、つまり、何でも関係付けてしまう精神病に侵されたかのような状況均質的な状況に陥ってしまう、錯覚に囚われた。

Photo_23恒例の懇親会は、昨年と同じ、同志社大学の学生会館内にある素敵なレストランで行われた。大理石の大テーブルは健在で、写真のように、対岸とちょうど声の届く範囲での大きさを保持している。このような大テーブルが存在するということが、グループ性を保つためには必要な道具だと思われる。N先生のゼミナールでは、この大テーブルを利用するそうだ。頭の上には、同志社大学の校歌が刻まれた照明があり、校風を受け継いでいく工夫がなされている。全国大学のラグビー大会のときに聞いた覚えのあるフレーズ「One Purpase Doshisha」をN先生が口ずさんでくださった。

Photo_24すべて借り物であったのは残念だったが、最近富みに、地域主義・共同体主義的な傾向をゼミナールが持ってきていることを考えれば、放送大学の中にも、ちょっと違ったものでも良いから、このような時代をつなぐ工夫があるべきではなかろうか、すこし思った次第である。放送なので、空中に存在するという、空しい在り方もひとつの伝統だといえなくもないが、実在には勝てない部分があることを認め、今回のようなゼミナールを開くことの重要性をもっと認めることも時には、必要かもしれない。

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2012/01/07

疲れたときには、ヴィトゲンシュタイン方式で、後に残らないアクション映画が一番良い

Photo_14早朝から、修士論文の面接審査である。四条の宿舎から、京都学習センターのある駅前のキャンパスプラザへ向かう。途中、コンビニへ寄って、今日の審査を終えた後、千葉へ論文を繰り返すためのダンボール箱を調達する。わたしの担当分でも十数冊になるので、全部を送り返すためには、中くらいの程良い箱が必要になる。

学習センターへ着いてみると、わたしの手違いで、昨年度同様に午後だけを予定していたのだった。けれども、明らかに今回は審査の数が多いので、午前中から部屋の予約を申し込んで置かなければならなかったのだ。学習センターの職員の方が、気を回してくださって、会議室を手配してくださっていた。胸を撫で下ろしたのだった。お土産に横浜のお茶菓子を持って行っておいて、良かったな。

面接審査それ自体は、体力の要求される、長時間労働のように見えてしまうが、わたしは労力以外に感ずることのできることがあって、これまで審査の最中に退屈したことがない。もちろん、当たり前のことだが。その理由は、論文の成長というものが読み取れるからである。当初の論文と、完成した論文を比較すると歴然とした違いがわかる。とくに、書き始めてから、グンと伸びる論文というのがあって、これは観る間に間に、磨かれて違ってくるのだ。この変調は音楽で言えば、変奏曲の如くで、変わっていく必然性が読み取れる場合は、かなり頭の中の思考実験としては、楽しめる過程である。

もしかすると、書いている学生本人よりも、こちらが没入することがある。今回しかできないと思われるが、論文を書き始めてからのメールのやり取りで、これまでの最高記録を更新した。一人に関して、都合25回。双方で50回以上のメールのやり取りを行った事態が起こったのだ。通常は、こちらも印刷教材の作成を抱えているので、これほどのことはできない。したがって、来年度以降はもう行われないと思われるので、今回が最後のことである。

Photo_15どのように記述が変化していくのか、手に取るようにわかるので、こちらの道しるべの出し方にも工夫の余地があり、楽しんで行うことができる。内容も、日本の経済政策から、南太平洋の小国の政策まで、さらにはゲーム論から費用便益分析まで多彩なメニューが並ぶ。審査は発表の時間を区切って行われるのだが、やはり面白い論文では先生方が話し込んでしまって、なかなか時間通りには終わらない。今回も大幅に時間を超過して、夕方から宵闇に変わる頃、ようやく終了した。

Photo_17京都駅の向こう側には、ショピングセンターができているので、そこで食事をして、いつものように出張映画に勇んで、出かけた次第である。このようなときには、ヴィトゲンシュタイン方式で観るのが良い。映画の種類も、後に残らないアクション映画が一番良い。

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«葡萄との付き合いは長いが、いろいろと思い起こさせてくれた若冲の絵だった