2016/12/01

今年行った面接授業の全体結果について振り返った

Img_1707 今回の札幌での面接授業を終えると、「アーツ&クラフツ経済社会入門」と題した、今年度の面接授業、すなわち宮崎学習センターから始まり、山形学習センター、長野学習センター、そして北海道学習センターの4回の授業が完結することになる。今回の札幌での面接授業では、特色のあるいくつかの課題を設定していたのだが、これらの4学習センターに共通する課題もあり、それぞれの学習センターの学生の皆さんに、4回が終わったら、全体結果を公表することを約束していた。じつに、6月に始まって、11月までかかったことになる共通課題があるのだ。

Img_5180 4回がめでたく終了したので、ここに共通課題の結果を公表しておきたい。それは、アーツ&クラフツ(美術工芸)におけるデザインの傾向についてであり、具体的には「機能主義と装飾主義」という傾向が、参加した学生の方々に、いかに認識されるのかという点についてアンケート調査を行ったのだ。「椅子」という日用品クラフツを取り上げ、近代に注目された椅子群を学生の方々に見てもらって、何が「機能主義」的で何が「装飾主義」的なのかを感じてもらおうという趣向だった。おおよそ90名弱の方々に、43脚の椅子にそれぞれ点数をつけてもらって、学習センターごとに集計し、さらに今回4学習センター全体、すなわち80数人の集計結果がまとまった。受講した学生の方々には、当日配った43脚の写真資料を片手に、この全体結果と学習センターごとの差異を比較して、楽しんでもらえればありがたいと思う。

次の表でわかるように、機能主義的だと全体結果から示されたのは、チャドウィックの事務椅子、ブロイヤーのパイプ椅子、北欧デザインのウェグナー椅子などだ。チャドウィックの椅子には、人間工学的で仕事がはかどりそうだ、ブロイヤー椅子には、シンプルで持ち運びに便利そう、などという学生の感想があった。ブロイヤーの椅子に現れているように、バウハウス的な機能主義が椅子に現れている。

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それから、装飾主義的だと認識された椅子は、ウェブの貴族趣味のベンチ、ウィリアム・モリスの装飾椅子、アールヌーボーのガレ椅子などが選ばれた。美術品・芸術品にも匹敵するという感想のあったウェブの椅子、花の模様が彫刻されたガレの椅子などが、装飾的だと学生に判断されていた。アーツ&クラフツ運動やアールヌーボーの影響がこれらの椅子には、顕著に現れている。

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6月、8月から待ってくださった学生の方、そして、今回の札幌の学生の方々に感謝申し上げる次第だ。さて、今回の札幌訪問には、もう一つの目的があり、決して出張費を無駄にしない精神にあふれている。・・・のかな。ちょうど、あと3週間で、修士論文の締め切りが来るのだ。それで、現在M2の方々から毎日のように書き換えられた草稿が到着している。M2の東京のAさんからは、旅行予定があるらしく、直前の原稿が札幌へ出発するときに後を追ってきたのだ。そして、札幌のAさんも修士論文締め切り間近に迫っており、今回の出張の目的の一人であるのだ。つまり、論文の研究指導という目的も今回の出張には含まれている。

Img_5233 二日目の夜になって授業が終了し、北大にある学習センターから駅や道庁を経由して、途中で今年文書館が改修されて、お菓子屋さんになったという古いビルや、さらに札幌市の資料館のライトアップなどを見学しつつ、植物園横の老舗の喫茶店「倫敦館」に落ち着くことにする。Img_5236 Aさんが高校生時代によく利用していたのだそうだ。勉強する学生や、読書する学生の似合う喫茶店だ。二日間も喋っていると、ついさらにおしゃべりしたくなってしまって、Aさんの修士論文のこともさることながら、Aさんが北海道学習センターでの別の発表も抱えているとのことで、議論する種は尽きなかった。Img_5235 そうは言っても二時間が経つほどに、外はしんしんと冷えてきて、目の前をスピードを上げて走っていた自転車が見事に転ぶほどに、道路も凍ってきており、明日も研究指導の時間を取ってあるので、ほどほどに切り上げて、今日のところは大通公園へ出ることにした。

Img_1683 テレビ塔を囲んで、「White Illumination」というイルミネーションの催しが36回目を迎えて、観光客を集めていた。Img_5250 とりわけ、一番はしっこに位置していた8丁目会場には、ドームシアターが設置されていて、大きな万華鏡にみんな見入っていた。小さな時に見たような万華鏡の飽きることない模様の変化を堪能した。Img_5252 なぜ万華鏡は飽きないのだろうか。二つとして、同じ模様にはならないというところが、現実に似ているからなのだろうか。しばし面接授業の疲れを忘れて、見入ってしまった。

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ドームシアターの映像は、こちらから。

札幌での面接授業

Img_5215 昨夜、陽が落ちてからホテルへ着いたので、寒さのために窓に霧がかかって細かい水滴がついていた。それで、外の景色はキラキラしたビルのガラス窓しかわからなかった。向こうの方に、コンサートホールらしき大きな建物がようやくわかる程度だった。Img_1709 朝になって、水滴のない窓の上の方から、青空が広がっているのが見え、その下には札幌の藻岩山が昨夜降った雪で冬化粧をして現れた。そして、眼下には中島公園の池が真っ白に凍結していた。白い世界が目覚ましの清涼な風を運んできた。

Img_5185 朝食を食べた後、まだ時間があったので、ホテルの中島公園散歩案内図をもらって、ちょっと歩いた。ホテルの横がすぐ公園の入り口になっていて、地下鉄へ向かう通勤客が足早に階段を下っていく。Img_5183 幼稚園の施設が建物を擬人化させて、単調な緑の景色に剽軽なアクセントを加えている。道なりにコンサートホールへ向かって池の周囲を迂回する。途中、ベンチがあって、池に臨みつつ、重要文化財の豊平館を望む良好な配置の場所があった。Img_5192 典型的なレイクビューのベンチだ。おそらく、世界中のベンチの中でも、腰掛け率などというものがあるかわからないが、それに相当する率が良いと思われる椅子だ。Img_5194 ここを通る人の多くが必ず座ってしまうほどの良いロケーションのベンチである。

Img_5191 公園には、多くの彫刻が置かれているのだが、コンサートホールが近くにあることもあって、音楽に関係したものが散見される。Img_5199 札幌交響楽団の本拠地だということで、地下鉄のベンチでは、楽器を持った乗降客を多く見かけた。さて、彫刻なのだが、この陽に背を向けた指揮者は誰だかわかるだろうか。

Img_5201 コンサートホールを過ぎると、そのまま中島公園の南側にある地下鉄方面へ行くか、それとも、池の反対側を回って、ホテルへ帰るかの分かれ道となる。授業が控えているので、今朝のところは、池の反対側へ足を向け、枯葉が積もっている文学館の前の道を通って、いったん戻ることにする。Img_5205 そして、地下鉄で4つ目の「北12条」駅で降りて、放送大学の北海道学習センターへ入る。北大は入り口を入ってから建物までが長いのだ。その分の計算がうまくいかず、数分の遅刻をしてしまった。二日間の中で、なんとか挽回しよう。

Img_5207 当初懸念されたような、寒さで喉が詰まって、声が出なくなってしまうこともなく、ちょっと過剰反応だとは思ったのだが、龍角散のど飴を準備して臨んだのだ。しかし、その世話にもならずに、1日が順調に過ぎた。

Img_5211 以前、同僚のA先生が札幌へ来た時に、受講生の学生主催の懇親会が開かれたらしい。熱烈なA先生のファンがいたらしい。その伝えで、わたしへもお声がかかった。もちろん、A先生のように高級志向ではないので、ごく慎ましく近くのカフェで、Aさん、Sさん、Eさん、Kさん、そして事務長のIさんも残業の後、駆けつけてくださって、気の置けない飲み会となった。Img_5219_2 何が楽しいのかといえば、多くは学生の方々の放送大学の先生方や職員の方々への見方の面白さだ。これらの話の中には、同僚のわたしたちではうかがい知ることができない話がたくさんあって、猛省したり抵抗したり、会話が弾むこと、この上ないのだった。

2016/11/10

青空と、落葉と、世界と

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青空と、落葉と、世界と

(オーデン詩へのオマージュ)

紅葉が風に耐えている。

秋の日の遠くまで見通すような青空の中に

萌えたつ葉たちが揺れているのを見ると、

つい足が進んでいくのを覚える。

きのうまでの頭にひびが入るような忙しさと

同じ空間の延長線上に

あっけらかんとした

こんな日常がある。

明治時代に作られた椅子にすわって

昔のことを空想しているようで

どこかで忘れられていた安逸どもが

秋風とともに

身体全体に染み込んでくる。

椅子が青空の中へ飛んでいく。

幼児のクレヨンが

青空に絵を描いていくように。

もし昔の仲間たちがみんな死んでいったとしても

青空に描かれた空想たちがそのまま残ってくれるならば

わたしの書いたことだって、

そんなに非難されることではない。

足腰が立たなくなって

この坂道を這いずり登ったとして

元気に並んで、ピクニックを楽しむ

子供達に反感を抱くこともないだろう。

青空に描かれた空想が子供達に見えないないだろうし、

それらが理解されることもない。

それでも、わたしはそっと足を出すだろう。

老人ホームを夜に抜け出し

時計屋のコチコチと鳴る時間を泳ぐよりは

江戸時代の畑の真ん中に石を見つけて

のぼり旗を立て、

日本中から人びとを呼び出し

踊り出す方が面白いだろう。

青空のもとでこそ

許される祝祭の幕開けだ。

さあ、泣いていても始まらない。

青空の椅子が飛び込んだのは、

百人の会議が繰り広げられている

図書館だ。ちょうど後ろの席では、

大統領選挙の開票ニュースが

告げられている。

共和党がわずかだった差を広げている。

けっしてストイックだとは言えない選挙戦が

終わったことにみんな共感している。

貧しい人も金持ちも

ただ結果を待っている。

公園の片隅の椅子は

青空に描かれた椅子とどこか違う。

世界の人びとを近づけようと

青空の椅子は言っている。

けれども、目の前の椅子は、人びとを

遠ざけている。

現実の椅子は、

すわることは拒否しなくても

すわる人びとを選んでいる。

それが証拠に、椅子と椅子の距離は

会話ができないほど離れてしまっている。

まさに公園を歩いているうちに、

予期せぬことが起こってしまったのだ。

同じ青空のもとで

紅葉は風に揺らいでいる。

先行きのわからない世界を

青空の下の向こう側とこちら側で

計りかねている人びとがいる。

震災の後にも同じように青空が

広がっていて、みんなあっけらかんとした状況を

理解できないでいた。

風が吹いている。

今日も一日が暮れようとしている。

家に帰って、妻と今日を語ろう。

どんな世界が待っていようとも

みんな同じ青空の下にいることだけは

確かなのだから。

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2016/11/01

社会経営ジャーナル第4号が発行された

20161031_164537 社会経営ジャーナルの本年度号がようやくできた。5月に原稿提出があって、約半年間かかって、雑誌という形になったのだ。今年度の特徴は、エッセイ風のものよりも、論文調のものが多かった点にある。

第4号はこちらから

http://u-air.net/SGJ/category/journal/

これには幾つもの経緯があって、ほんとうに残念なことだったのだが、査読付きの研究誌「社会経営研究」が休刊となったことだ。いずれこのような事態が起こることは予想していたのだが、意外に早く起こったのは、やはりショックだ。査読付き雑誌の必要性については、博士後期課程ができて、応募者の候補生が数多くいることから、理解されてきているのだ。けれども、査読というのがネックであって、論文審査を厳しく行えば、いくらでも厳しくできるのだ。それで、今回はかなり厳しい方へ振れてしまったのだと言える。つまり、一本も査読でパスしなかったのである。

しかしながら、社会経営ジャーナルの方は、9本の論文執筆があり、例年の倍くらいの分量になった。雑誌というのは、4、5本よりも、やはり9、10本あったほうが、賑やかで良いのではと思っている。もちろん、分量が多くなると、編集委員の担当も増えて、その調整が難しくなるのだが。

もう一つの残念なことは、3年目にして色々なミスが出てきたことだ。3月以前に応募があった早い段階の原稿があったのだが、編集委員会が開かれた時にそれが反映されなかったという事件が起こったことだ。この原稿は、どちらかといえば、エッセイ風の原稿だった。著者のMさんにはたいへん済まない気持ちでいっぱいで、反省している。先日の比較地域研究会でも、話題になった。メールで原稿を管理するシステムに不完全があり、ダウンしている時にこの問題が起こってしまったのだ。メールシステムが万能ではないことを改めて示されて、今後の対応が必要であると考えている。

このような雑誌では、いつも気に留めている人がいることが必要なのだが、やはり編集委員は他に幾つも仕事を持っているために、必ずしもこの雑誌だけに注意しているわけにはいかない。そこで対応策が必要になってくる。複数の方が常にメールをチェックすることを考えているが、うまくいくかどうかは、来年度わかるだろう。

「箸墓」古墳についてのエッセイを書いてくださった、Kさんからはさっそくメールが届き、奈良へ行ってきたことと、エッセイがプリントされたことが重なって、ハッピーな気分なのだそうだ。自分の文章が自己満足だけに終わらずに、人目に晒され、実際に公になることは緊張感があると同時に、「創る」という人間の本能的なものを刺激することは間違いないと思われる。ヴェブレンによれば、このような製作者本能は見せびらかしの本能と紙一重なのだが、ハレやかな気分には比類がないものがある。Mさんからも雑誌を見たという報告が入った。

あれやこれやで、ここ一ヶ月は卒業論文数本と2、3回のやり取りを行い、修士論文数本とこれも2、3回やり取りを行い、さらに社会経営ジャーナルの数本と2、3回やり取りを行ったのだ。これに加えて、放送大学のテキスト2冊の再校と三校の時期が集中して、10月は結局編集する側と、編集される側とで、編集者の苦労と執筆者の楽しみと両方を同時に味わうことになったのだった。

2016/10/28

神戸で散策

Img_4720 神戸の中心部でランチを食べ、そして山の上でイタリアン料理という食べ物中心の散策をした。今回の旅行は食べること自体が目的だったので、それ以外については、何も計画を持っていなかった。Img_4743 「ポンペイの壁画」展を東京で見逃していたので、これを県立美術館へ行って見るという選択もあったが、結局は神戸の街自体を楽しみたいという方に軍配が上がった。

ゆっくりと、バスで三ノ宮へ出る。いつもより多目にとった朝食の、お腹がこなれた時間になったので、駅から徒歩でなだらかな坂道を辿って、昨日は断念したパンのフロインドリーブへ行く。Img_4744_2 昔の教会の建物が店になっているので、ゆったりとした広い造りだ。窓の金具などは壊れているのだが、おそらく重要文化財なのだろう。安易には直せないというような、別の金具がつけられていた。古い建物を尊重するのは良いことだと思う。われわれ観光客が街の方へはみ出すことがないほど、スペースはたっぷりしているのだが、ひとたび建物の中に入ると、昨年と同様に、客が椅子に腰掛けてランチの順番を待っている。多くは女性のカップルか、同窓生観光の集団で、それに家族連れが加わる。Img_4810 したがって、客のほとんどは女性客で、男性は数えるほどしかいない。パンをランチで、という発想自体が女性向けなのだろうか。建物の中の待合椅子はせいぜい20脚くらいなので、もし団体客などが来たら、外のベンチや庭のテラス席が総動員されるのだろう。

Img_4748 ほどなく、席に通された。今日はランチメニューと決めていたので、選ぶ楽しみはスキップした。きのこのスープは香りを運んできたし、程よく切られた今日の特製サンドイッチはちょうどかぶりつきやすかった。Img_4758_2 ローストポークハムとチェダーチーズのサンドイッチだ。中に挟まれたピクルスも効いている。それにコーヒーとデザートが付いている。こんな時に何なんだが、じつはこのような時に妻と話す会話は、ほとんど覚えていない。Img_4770 会話自体を楽しんでいるので、内容や目的は存在しない。でも、会話の内容はいつもの家の中とは何か違うのだ。周りの雰囲気の影響を受けて、サードプレイス的な会話をしているのではないだろうか。改めて、妻と社交というわけではないのだが、おそらく社交を楽しむというのは、このようなことなのだろうと思うのだ。時間を気にしないで、何気ない会話に終始しているのだ。

Img_4777 午後には天気が崩れるという予報が出ていたので、早々に摩耶山ケーブルを目指す。やはり、途中からかなりの霧が煙ってきて、ロープウェイに乗る頃には、霧雨から冷たい本格的な雨に変わっていた。Img_4784_2 山の中腹にある待合室を兼ねた展示室に、映画「デスノート」の写真展が展開されていたので、ケーブルとロープウェイの間の待合時間に読んでいると、この近くにかつて建たっていた摩耶観光ホテルがこの映画のロケで使われたらしい。現在では、まったくの廃墟となっていて、ロープウェイから見ても、奇々怪々の雰囲気を持っていて、この建物の内部を見るだけでも、この映画を見たいと思わせるような建物だった。Img_4805_2 途中、まだまだ、阪神間の眺望はかなり効いたのだが、ロープウェイの終点に着くころには、10メートル先の視界も望めないほどになっていた。標高は、682メートルあるということで、先ほどまで、淡路島の標高0メートルのところにいたのだが、一気に700メートル弱を登ったことになる。

Img_4827 客を待っていた山頂のバスが、わたしたちが乗らないことを確認して、空のままで運転手がアクセルを踏んで出発していった。 道なりのなるべく濡れていない車道を選んで、宿に着いた。Img_4832_2 そして、夕食を少し遅めに設定して、お湯に入って、寒くなって冷えた身体を温めたのだ。今日の夕飯は、これも昨年来ているので、ゆったりと時間を過ごしての夕食となった。Img_4848 今回も、定評あるイタリアン料理を堪能する。年を取っているのでハーフコースにしたのだが、それでもお腹いっぱいになってしまった。フォアグラから魚料理、牛肉料理までが続いた。Img_4877 外は吹雪いたような、横なぐりの雨で、テラスのガラス戸が煙った雨で揺らされるのを見ながらの食事であった。Img_4881Img_4891 Img_4896 Img_4885 Img_4893 この窓からは、いわゆる1千万ドルの夜景が見えることになっているのだが、視界はまったくない状態だ。

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いつもはそういうことはないのであるが、夜中に目が覚めて、テラスから外を眺めると、なんと雨が上がって、神戸の夜景が浮かび上がっていた。先ほどの激しい雨はどこへ行ってしまったのだろうか。当たり前ではあるが、山岳の変わりやすい天候が夜中にもあるのだ。Img_4977Img_4979Img_4986 いま、都市経済の原稿を抱えているのだが、この夜景の映すイメージはこれまで読んできた文献を凌駕する。都市経済そのものだなと感じたのだ。寝るのも忘れて、ずっと窓際で、この初期カンディンスキー的夜景を眺め続けた。この抽象的な光の重なりの下には、どれほどの具体的な人間の活動がさらに重層しているのだろうか。

結局のところ、その後朝湯に入り、朝食を食べ、六甲山周りのバスに乗って、神戸の街の散策へ戻ってきたのだった。ここで妻と別れて、妻は買い物、わたしは珈琲店巡りとなった。Img_5004_2 今回目的とした喫茶店は、元町近くのトアロードにある「樽珈屋」だ。現在は挽き豆専門店になってしまったが、かつては喫茶店も営業していて、その頃から神戸へ来るたびにいくのだが、タイミングが悪く、いつも閉まっていた。Img_5018 今回、ようやく豆を買うことができた。土産もここの豆にした。バリエーションは豊富なので、次にも色々と試したいと思わせる味の豆がありそうだ。Img_5035 今回は、軽めのスッキリ味のブレンドを二袋購入した。ふつう、スッキリした味のものは、焙煎を浅くして、酸味系のものを入れてあるのだが、ここのスッキリ味は酸味系でスッキリというよりは、他の豆(どこの豆なのかはわからないが)の影響でスッキリ味としていて、特有の味がして楽しかった。

Img_5043 道を挟んで、反対側を見ると、そこには雑貨書店のチェーンであるビレッジ・ヴァンガードが店を出していて、神戸まで来て、ここで入るのかとも思ったが、変わった本が時々置かれているし、楽しい音楽もかかっており、最近の若者の雑貨志向も知ることができるので、やはり入ったのだった。Img_5041 そして、たくさん立ち読みしてしまった。たとえば、小出版社から出て、注文しにくい本であるル・コルビュジエの『小さな家』などが並べられていた。建築家が両親のために、一部屋だけの小屋を作ったのだ。このような小屋に本を並べて、木陰で暮らしたいという、わたしの欲望を刺激したのだった。Img_5047 表に出ると、子供達が商店街のハロウィーンの催しで行儀よく列をなしていて、店主たちがサービスで、訪ねて来る子供達へキャンディを振舞っていた。このようなお祭りには抗しがたいものがある。

Img_5055 さらに、三つの店を回った。元町の駅前から1本入った商店街の中くらいに、ドアが建物にぽんとついていて、何屋さんなのか、通りすがりの人にはわからない店がある。これが二軒目のお目当の珈琲焙煎専門店「グリーンズ」だ。クラフト・コーヒーと包み紙に記されていた。クラフト・コーヒーという言い方はありそうなのだが、これまでお目にかかったことがなかった。ドアを開けて、奥で焙煎機と格闘しているご主人を見れば、なるほど「クラフト」なのかもしれないと思うのだった。どちらかというと苦味系の豆が多い。

Img_5054 三軒目は、いつもここへ来ると寄る店「エビアン」だ。ここのブレンドは、複雑な味がするので、飽きることがない味を出していると思う。1日1回は寄りたいと思わせる味なのだ。Img_5057 袋から豆を出して眺めていると、深煎りの黒い豆や浅煎りの薄茶色の豆や中ぐらいの豆などが見るからに複雑な色模様を照らしているのがわかる。味もこの通りなのだ。Img_5063 この豆を職場のカンファレンス室へ持って行こうと思う。今度のコース会議のコーヒーに出してもらうことができるかもしれない。

そして、最後はエビアンの入っている隣ビルの地下にある、ジャズ喫茶の「ジャムジャム」だ。Img_5065_2 小腹がすいてきたので、名物シフォンケーキとコーヒーを頼んだ。

Img_5069_2 ここは聴く専門の席と、話すことのできる席とが中央で分かれている。けれども、今日のところは途中から話す人々が多く入ってきて、ジャズに耳を傾ける方は劣勢だった。Img_5072 この店では、数時間いると、必ずかかるのがモダンジャズ・カルテットで、今日も最後の最後に「サテンドール」がかかって、今日の締めとした。Img_5073 それで、妻との待ち合わせの「大丸」トアロード口へ急いだのだった。

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2016/10/27

夜行バスで関西観光

Img_4604 忙しい合間をぬっての観光ほど、楽しいものはない。まるで、夢を見たような数日なのだ。難題の書かれた注文票が目の前に何枚も並べ立てられてたのが、急に取り払われて秋の快晴青空がずっと見渡すかぎり広がっていったという気分にしてくれる。数日後に卒論の締め切りが迫ってきていて、このところ連日、学生からの草稿が届いていた。今日までに届いたものは、ようやく夕方までに返事を出した。Img_4610 もう一人いらっしゃるが、直前にメールが来て、送付が来週になりそうだというので、身軽になった気持ちで旅に出たのだ。卒論にとって、最後の1ヶ月は重要な熟成の期間なのだ。じっくりと攻めていただきたいという思いがある。今年の卒論生は優秀で、ほぼ全員が1ヶ月前までにほぼ8~9割の完成原稿を送ってきていた。わたしにとっても、余裕のある季節となった。

Img_4589 夜行バスでの関西観光という強行軍を、妻が提案してきたときには、ほんとうに体力がもつのかわからなかった。閉所恐怖症ということはないのだが、ふつうに狭いところはダメだ。そして、このところの夜なべが続いていることもあり、さらに、昔から夜行列車が苦手だったということもあった。大学生の頃には、京都にいた友人のS氏を訪ねた帰りは、お金もなかったので、鈍行の夜行列車に乗ったのだ。Img_4591 ところが、寝台車と違って、普通席でしかも満席状態だった。覚えているのだが、長い列車の先頭車両の、しかも一番前の席だった。うつらうつらした後は眠れずに、デッキに出て、時間を潰したのを覚えている。

Img_4587 そんなこともあって、夜行バスで寝ることができるのか、という心配があったのだが、いざ乗ってしまうと、溜まっていた疲れのせいか、座席を倒して、あっさりと寝込んでしまったのだった。気がつくと、すでに京都、そして大阪で、早々に神戸の三ノ宮へ着いたのだった。骨は軋んでいたけれど、気分は爽快だった。Img_4609 昨年と同様に、さっそくパンのフロインドリーブで朝食を、と考えたのだが、残念ながら10時始まりなので、まだだいぶ時間がある。そこで、北野の入り口にある老舗の西村珈琲本店でモーニングセットを頼むことにする。ここなら、8時から開いていて、中が3階まであって、広くて、ゆったりとできる。

Img_4598 今日は直行で、淡路島へ行ってしまおう、ということにして、淡路島行きの高速バスを探すが、路線が3~4路線あって、競合しているし、三ノ宮の駅前のバス会社の位置がなかなかわからない。出発時間が迫ってきてから勘が鋭くなって、乗り場のビルをようやく見つけ、切符を買うのもそこそこにバスへ乗り込んだ。予定のない旅行の面白いところだ。関西だといっても、日本語なのでよく聞けば、理解できるのだが、年をとるに従って、聞く能力が衰えてきているのだろうか。右と左を間違える。Img_4634 妻の得意技が病的に移ってくるのを感じるのだ。バスが淡路島へ渡ってからが、かなり距離があり、いろいろなバス停をたどって、ようやくにして、「陸の港西淡」へ着く。時間がたっぷりあったので、周りを散策して、この辺唯一のショッピングセンターを見つけた。何を思ったのか、ここのビュフェで残した仕事を広げてしまった。仕事中毒も極まっているのを自覚する。

Img_4640 数時間後、宿へ電話をして、迎えに来てもらう。数分で着く距離かと思ったら、淡路島の一つの町村を横断するくらいの距離があり、運転手さんの説明を聞きながら、農村風景を楽しむことができた。今回はグルメ旅行という位置付けをしていた。中でも、今回の宿の「玉葱フォンデュの鯛しゃぶしゃぶ」という料理に執着しているのだ。この玉葱フォンデュとはいかなるものか、というのが、頭で考えてもなかなかイメージ出来なかった。Img_4652 だからこそ、味を体験したいという好奇心が湧いたのだった。玉葱は淡路島の特産物で、甘い果肉に特徴があるのだそうだ。車窓の両側に二毛作の田畑が広がり、ちょうど稲が終わって、玉葱が植えられ、いつも5月ごろに収穫が見られるのだそうだ。農家の話になって、特産品があっても、やはり後継者がいないので、生産性の良い畑もどんどん減っているのだそうだ。

Img_4653 宿に着くと、運転手さんが日の入りが綺麗ですよ、と海岸沿いの散歩コースを教えてくれた。道なりに坂を下って行くと、坂の下でちょうど日の入り時刻となった。瀬戸内海の向こうの島の間に日が沈んでいった。Img_4648 空は快晴だったのだが、日の入り近辺だけに雲が出ていて、複雑な模様を写していた。瀬戸内海は、波が静かで、潮の香りがほとんどしないという特色があるのだが、この海岸もその例にもれなかった。湖のような、波を聞きながら、世間の音を後ろへ追いやって、旅の音に耳を傾けたのだった。

Img_4680 さて、問題は「玉葱フォンデュの鯛しゃぶしゃぶ」なのだ。フォンデュはこんな感じで、言葉に表すことはできないのだが、チーズフォンデュと似ていないことはない。けれども、このスープをそのまま見た限りでは、チーズフォンデュとはまったく別物だ。Img_4687 鍋いっぱいに、半固形で濃厚そうな玉葱を摺ったスープが入っている。これを温めて、横の用意された贅沢な鯛の刺身でしゃぶしゃぶするのだ。スープだけでも美味しいのだが、しゃぶしゃぶにするともっと美味しいのだ。数年に一回は味わいたい料理である。Img_4685 これだけで、満足してしまった。いかにも味は美味しいのだが、目にも贅沢な料理だ。グルメ料理の要素である見せびらかしの要素を兼ね備えていて、素晴らしい。さらに、料理はこの後、鯛の姿焼きやあら煮、鯛の釜飯など、鯛づくしの楽しい献立が目白押しだった。Img_4696 それから、目にも良いという点では、意外にも、鯛の刺身についていた、淡路島の今朝採れた「レタスのしゃぶしゃぶ」が玉葱に合っていて旨いし、グリーンの色具合がよかったのだ。

Img_4704 この宿の料理の出し方がちょっと変わっていた。ふつう、料理は部屋ごとに、仲居さんが専門に張り付いて、同じ人が次から次へと料理を運んでくる。部屋付き仲居制なのだが、この宿は違っていて、料理付き仲居制をとっていた。Img_4702 料理によって、運んでくる仲居さんが異なるのだ。一つの料理に専門に一人の仲居さんがつくやり方なのだ。想像されるのは、この宿の料理では、それぞれの料理ごとに仲居さんが専門に行う作業が特別なのだと思われる。Img_4708 接客を中心とするサービスではなく、料理のためのサービスを中心にしている仲居制度を取っているものと思われる。それが証拠に、「玉葱フォンデュの鯛しゃぶしゃぶ」付きの仲居さんは、板場には入れないのだがと注釈を入れながらも、客に板さんが説明するときの口上を覚えていて、「玉葱フォンデュの鯛しゃぶしゃぶ」の説明に詳しかった。Img_4711 「玉葱フォンデュの鯛しゃぶしゃぶ」は仲居制度まで変えてしまうほどの料理なのだ。「玉葱フォンデュの鯛しゃぶしゃぶ」恐るべし。

Img_4715 もう一つこの宿の取り柄があって、それは鳴門大橋を見ながらの露天風呂だ。180度の視界が広がる中での入浴なのだ。泉質はアルカリイオンが含まれていて、肌がヌルヌルしてくる性質があり、身体中のシミそばかすが溶けていくような感覚がある。Img_4624 目をつぶって、瀬戸内海の空気を感じながら、頭を浴槽のヘリに預け、身体を温泉に浮かせていると、夢の中と間違えるほどだった。H県から来た農業委員会の方と一緒になったのだが、瀬戸内海を渡ってくる価値があるのだそうだ。栄養を取って、英気を養う旅となったのだ。Img_4690

2016/10/20

話し合うこと

話し合うこと

話し合いはきっと

話し合うためにあるのだ

酸っぱいりんごが口に入ってきて

味が後までずっと残るように

後悔しないためにも

話し合いの対立は後々までの協調に

きっかりと刻まれたほうがよいのだ

どうしてこうなったのかね

エレベーターにつながる地下通路で

話しかけられた

話し合いの問題は最初見えなかった

見えなくて当然だった

そして、静かに静かに、

それらは始まったのだった

急激に対立が高まる予感はあった

テーマの中に内在していた

けれど、誰もがその裂け目を

発見する機会を見ているとは

思えなかったのだ

一番先にそのことに気づいたのは

ほんとうのところ、誰でもなかったのだった

でも、その裂け目がみんなを

呼び込んだことは確かだ

葉脈がすべての筋を結びつけているように

葉のすべてを覆っているかのように見えたとしても

葉脈がどのような作用を及ぼしているのかが

わからなかっただけだ

そしてただ発見すべき問題が

存在するとは思わなかったのだった

裂け目は葉脈に沿って現れたのではなく、

これを切り裂いて表に出てきたのだった

きっと大丈夫ですよ、と

話し合いを聞いていたミューズはささやく

明るい廊下には陽が差し込んで

温室のような気分がよみがえってくる

さっきまでの凍りつく会議場とは

正反対だ

さっきはどうもと

通り過ぎる友人もいる

最終決定寸前になって

意見を変えてくれた友人もいる

次の決定まで付き合うよ

と言ってくれる友人もいる

どうしてこうなったのかね

という言葉が最後まで残る

話し合いはきっと

話し合うためだけにあるのだ

酸っぱいりんごが口に入ってきて

味が後までずっと残るように

2016/10/16

編むということ(クラフト・ピクニックにて)

編むということ

編むのは、人の手だけれど

編まれるのは、糸や縄だ

そして、編みこまれるのは人びとのイメージ

クラフト・ピクニックで

座編みを教わることになった

都会で育った柔な手に荒い縄が操れるのだろうか

と思いながら、駅から走って会場へ向かった

去年は木製の椅子を作った

今年は座編みの椅子を作ることになった

先生のY氏は自然の荒々しさを

椅子のイメージに持ち込む人だ

憧れの荒々しさを取り込もうと、

今日も座編みテントには人がいっぱいだ

編むのは力だと考えると不幸だ

編むのは優しさだと考えると幸せだ

たわみは簡単に修正できるのだから、

編み方は多様で荒々しくて良いのだ

編むのは、人の手だけれど

編まれるのは、糸や縄だ

そして、編みこまれるのは人びとのイメージ

男は締めすぎて、座面を硬くしてしまう

女は柔らかすぎて、座面を凸凹にしてしまう

編むことは個人ごとに、異なって良いのだ

一列編むと、一列だけ個性が出るものなのだ

隣で編んだ男性は生まれながら

器用な人だった

東京で喫茶店をやっていたが、

松本へ移って、店を開くのだ

革の鞄が素敵で、これも自分で造ったのだ

縦に一列編んで、横に二列編む

縦に一列編んで、横に一列編む

縦に一列編んで、横に二列編む

縦に一列編んで、横に一列編む

手順が交錯して、イメージを混乱させる

編むのは、人の手だけれど

編まれるのは、糸や縄だ

結局、編みこまれるのは人びとのイメージ

真剣に編んだ人には、綺麗な網目が

よそ見して編んだ人には、不揃いの網目が

座る凹みがまっすぐに揃ってないのは素人だ

日頃使ってない手が

明日になるとこうなりますよ、と

Y氏の奥様が仕草を示し

たしかに、こうなった

Y氏の手のひらが日差しに暖かい

赤みを帯びてすべすべしている

職人の手はごつごつして当たり前だと

思うとそれは間違いだ

編むことは手仕事だ

手仕事は人びとの血液を還流させるのだ

編むことは紐の問題だと

思うとそれは間違いだ

編む手と編む手の交錯の問題なのだ

編むのは、人の手だけれど

編まれるのは、糸や縄だ

そして、編みこまれるのは人びとのイメージ

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2016/10/15

まつもとクラフト・ピクニックへ行く

Img_5100 朝、横浜を出て、新宿へ向かう。あずさ5号へ乗って、松本へ。このところ、卒論や修論の仕上げの季節を迎えて、連日次々と、草稿が届く。旅行に仕事を持ってくるのは、止めたいので、どうしても徹夜に近い作業を前日に行ってしまうことになる。加えて、「社会経営ジャーナル」の編集も少しずつだが行い始めているのだ。だから、朝の眠気を覚ますために、特別あつらえの珈琲をポットに用意しての旅行となった。Img_4462 この負荷が激しかったらしく、途中から目が充血していたらしい。そうとは知らず、あずさ号の中では、推理小説に集中してしまったのだ。目に良いわけがない。本人にだけ目の充血はわからないのだ。

Img_4255 松本へ着くと、さわやかな青空が広がっていた。クラフト・ピクニック日和だ。駅の観光案内で、ピクニックの出展者リストをもらい、その足で中町通りの「グレインノート」へ挨拶に行く。奥様と話をしていたら、目の前の棚にある田中一光氏の陶器を手にとって、コーヒー茶碗の色を確かめている女性客がいらっしゃった。この仕草は、実はわたしもこの店に来るたびに行う動作なので、同じ趣向の方がいるな、と思ったのだ。Img_4256 たっぷりした藍色のカップが定番として、いつもは棚に飾られているのだが、ここ半年ほどは、田中氏の体調が悪いということで、出品されていない。それで、黒色のカップが並んでいるのだが、色が紛らわしいので、つい手にとって確かめてしまう。

Img_4260 なぜ同じ趣向の人がいるのだろうと思うのだ。これまで、それは趣味の問題だということにして、このような感性の問題にはなるべく関わらないようにしてきたのだが、同じように好きだ、という感性は、考えてみるまでもなく、改めて不思議な現象なのだ。何らかの「同調」が、境遇の異なる人の中で、同じく起こっているという現実が存在するのだ。

Img_4259 昨年よりも、遅い電車だったので、今年はまずは腹拵えをしてから、ピクニック会場へ向かうことにする。喫茶店「chiian」を考えたが、夕方まで少しあるので、少しお腹にたまるものをと考えて、ブック&カフェの「栞日」へ向かう。ピクニックの行き帰りに寄る客が多く、外国からの女性客もいた。ご主人から、先日早稲田のO先生のブログを読んだ女性の方がいらっしゃいましたよ、と告げられる。Img_4320 栞日は、地域雑誌を中心に置いていて、ローカルな雰囲気を大事にしているが、だからこそ、ユニバーサルに受ける何ものかを持っている喫茶店だと思っている。このようなところに特色が現れるのだろう。O先生の卒業生が一人できても、旅の途中できっと休まるものを得られる場所なのだ。

Img_4263 9月に伺った「グレインノート椅子展」の作家のO氏、S氏、T氏、H氏がこのクラフト・ピクニックで出店しているので、それぞれ挨拶へ行く。とりわけ、今回は目的があった。来年わたしが出す本の中でO氏と、石の彫刻家のI氏に登場していただいているので、実名を使って良いかの許可を得たいと思ったのだ。プリントを見せて、いいですよ、と言っていただけた。

Img_4335_2 クラフト・ピクニックの特徴は、子ども世代の参加が多いところだ。もちろん、木工のグライダーや、木の汽車のおもちゃや、積み木などは、子どもに人気があるのはわかるのだが、本格的な椅子造りや、樽造りなどにも参加してきて、木の感触を楽しんでいるのが印象的なのだ。Img_4266 一年に一回のほんのちょっとしたことが、木工作家に結びつくかもしれないのだ。松本はバイオリン教室の多いことでも有名だが、わたしの経験からして、1万人に一人でも教室の最後に残り、さらに数万人の一人がようやくにしてプロを目指すことになるということから考えると、Img_4319 木工の場合にも、子どもの頃から親しんでも、この中から一人でも、木工を目指したいという子どもが出てきたら、それはそれで良いことだと思われるのだった。イベントの中で、徳島の樽職人が来ていて、木槌を持って、一緒に樽のタガを嵌める作業を行っていた少年・少女のたくましさに感動した。

Img_4307 今年も池の端に、M氏のコンフィチュールの店を出していたので、予約を入れる。そばへ寄って行っただけで、フルーツの甘い香りが誘う。これに誘われて、人間だけでなく、ミツバチやアシナガバチなども、寄って来るそうだ。今年は、どれにしようかな、葡萄は季節のものだから入れるとして、もう一つ酸味の強いのを入れると美味しくなるらしい。Img_4439 ところが、M氏によればコンフィチュールにはそのような倫理観はまったくないのだそうで、好みのものを選ぶように客に勧めていた。それで、松本にいた小学校時代に、友人の豆腐屋さんの店先にたわわになっていたイチジクを思い出し、Img_4445 これに決めたのだ。それぞれ生でちょっと味わっておき、いつものようにスケールに鍋を置き、まずイチジク70グラム、そして葡萄を130グラムくらい、砂糖を4分の1位に軽く止めて、泡がちょっと粘性を持つくらいに煮込む。Img_4441 この止めどきが勝負らしい。見事な出来上がりだ。昨年もそうだったが、作っていると、必ず観客ができてくる。そして、ちょっと一緒に味わうと、自分もやってみたくなるのだ。Img_4454 わたしの次には、この白いシャツの女性が挑戦することになった。

Img_4447 木工のS氏と、北欧の推理小説について話している時に、目の充血を指摘された。朝から、さらに進んで、横一列にさっと血走った眼になっていたのだった。それで、今日はこれにて退却ということにして、ピクニックの会場を離れ、懐かしい地元の源池小学校に立ち寄り、家路に着いた。Img_4453

2016/10/11

青山のグルニエと編集者パーキンズ

Img_1565 かねてより約束のあった原稿提出の日だ。出版社のT氏と青山で会うことにしていた。久しぶりに東横線に乗って、渋谷を経由して、半蔵門線で表参道へ出る。大学院生時代には渋谷に住んでいたし、青山には友人もいたし、さらに英国トラッドのレコード屋さんがあったので、比較的よく表参道へは出ていた。それで、飲んだ後には喫茶店へ入ることが多かった。

Img_1567 けれども、今日待ち合わせている喫茶店「レジェ・グルニエ」には、よく前を通っていたにもかかわらず、看板がないため目立たず、入ったことがなかった。以前集中講義を行っていたとき、甲府にある喫茶店のご主人から聞いてようやく知った喫茶店だ。1972年設立とのことで、凝った白かべの内装はタバコのヤニで貫禄が出ており、さらに組み木の梁なども黒光りして、素敵だ。

Img_1564 先日、NHKで石津謙介のVAN物語を描いていて、青山を中心とした街の一時代がわかった。それから、かなりの変遷があり、わたしの学生時代からもさらに青山は変貌を遂げていると思われる。この喫茶店の横丁は、雑多な店が並んでいるところが良いのだが、次第に小綺麗なショールームが多くなりつつある。

Img_1563 喫茶店の一番奥のテラスに面した特等席が空いていた。チョコレートケーキとブレンドを頼んだ。ほどなくT氏が現れたが、現在来年まで10冊ほどの編集を抱えていて、忙しそうである。これまで、2度ほど他の喫茶店を巡りながら、話を聞いてもらっているのだが、いつも空みやげ話ばっかりだったので、ようやくドンと原稿を渡すことができて、約束を果たせた。T氏の奥様が農業関係に関わっているとのことで、衰退産業というのか、希望産業というのか、いずれにしろ生産性の低い産業の雑談話に花を咲かせた。

Img_1569 原稿を出したその足で、銀座に出た。映画を見ようということだが、まずは腹ごしらえということで、映画の前の小腹が空いた時に入るのが、この近辺であれば、この店「吉祥」だ。ここの「鶏だしソバ」というラーメンが美味しい。鶏の出汁なので、薄味風に見えるのだが、塩はしっかり効いている。お腹がいっぱいになってしまうと、眠気が出るので、この程度で満たしていくのが良いのだ。

Img_1572 映画「ベストセラー(原題:Genius)」を観る。コリン・ファースが編集者パーキンズを演じていて、抑え目な人格の編集者役をうまくこなしていた。じつはこの映画は、1980年代に日本で翻訳され出版されていた本が原作となっている。当時、すでにこの本を読んでいて、たいへん面白かった印象を持っていた。その後、ニューヨークへ資料収集に行った時も、この本の舞台となった出版社であるスクリュブナー社へも訪れたような気がする。本を読んだ時には、パーキンズが育てたベストセラー作家トム・ウルフが、毎日手書き原稿を書き、夕方にはタイピストに渡し、次の日にはまた手書きする、という流行作家の場面に感激した。日本でも、まだワープロは今日ほど普及しておらず、タイプライターというものの役割が絶大だった時代なのだ。

映画の中でも、トム・ウルフが手書き原稿を木箱いっぱいに持ち込んで、それを端から数人のタイピストが活字原稿にしていく様子が描かれていた。おそらく昔であれば、これはかなり感動的なシーンのはずだ。今日のように、ワープロ・コンピュータの時代であれば、みんな自分で入力するのが当たり前なのだが、それによって消えてしまったタイピストという職業と、それから手書き原稿へのロマンが懐かしい。今日でもワープロを使わない作家は存在するが、わたしが本を読んだ八十年代でも、まだまだ原稿の清書業が成り立っていたように思う。だから、この40年間の間に感動のシーンがかなり変わってしまったのだ。

この時代というのは、編集者という役割が重要となった時代と言って良いのではないか。つまり、前の時代にディケンズのような作家という職業ができて、まずは小説家・生産者からの「小説という世界」が生まれたのだといえる。次に、そこに読者の世界が存在しなければ、小説家も存在しないことになるから、読者の側の「小説という世界」が広がるのだ。そして最後には、この小説家と読者を結びつける、編集者という役割が重要になったのだ。編集者パーキンズを見ていると、この時代にそれが起こったのだと思わせるものがあるのだ。うろ覚えで申し訳ないのだが、確か本の中では、このパーキンズが編集者向けの講座を持っていた描写があったような気がする。つまり、教育が始まるという事態が起これば、それは社会現象として、認められたということだろう。

2016/10/01

比較地域研究会が開催された

Img_1475 東京文京で、比較地域研究会が開かれた。第13回目である。今回じつは早めに来たのだが、それはI氏が発表することになっていたからだ。発表のレジュメをコピーしたいということだった。I氏はIT産業に勤めていて、定年後技能を活かして、タイ国へ仕事で行っていたのだ。けれども、日本へ戻ってきたばかりなので、コピーを行うところがないのだ。Img_1484 この問題は、放送大学のように定年後の学生が多い大学では、結構深刻な問題だ。発表の場としての大学はあるのだが、研究の場、とりわけ作業場というものが限られてくるという難点がある。学習センターへ出てくれば、何とかコピー作業が確保可能だというので、わたしも早く来て対応したのだった。

Img_1481 I氏はタイにおける先端プロジェクトの共同研究のあり方についての発表を行った。革新というものには、応用・維持タイプと、発見・創造タイプとあるのだが、I氏によれば、後者のタイプほど、周辺的なところで開発が進むのだという説で、タイ国での事例がたいへん興味深いものだった。次の氏は、雇用制度について法意識という観点から見てみようということだった。いつもの論調を少し異なる観点から見てみようということで、今後に期待したいと思わせるものだった。最後のO氏は、近年の日本経済を需要サイドから見てみようという発表だった。多くの経済論者が供給サイドに問題があるのではないかという主張している中で、あえて需要サイドにこだわることで特徴を見出していた。需要の中でもとりわけ投資需要が注目点であった。

Img_1483 議論はいつも尽きなくて、みんな熱戦を繰り広げて、感情を高ぶらせて議論するので、カタルシスが一気に浄化されていくのを感ずる。他の人々が見ていたら、喧嘩をしているのではと見られてしまう場面だが、教室で行われることに意味があるのだ。やはり議論の場合には、真剣な真面目さというものが大切な場面があるのだと思われる。

Img_1485 懇親会は、珍しくイタリアン料理の店で行われた。ワインを始めとする飲み物の全てが飲み放題で、赤白ワイン1.5リットルのボトルが出てきたので、十分に楽しめたのだ。今日の懇親会では、前回出席のGさんが飛び入りで入ってきて、議論を盛り上げていた。話していたら、ようやく議論が見えてきて、Gさんは環境論のO先生のところで、二年前に卒業研究を仕上げ、その後の発表会での報告をわたしも聞いていた方だったのだ。蒲田にある呑川をテーマにして、詳細な環境特性を明らかにした論文を書いた方で、印象に残っていたのだった。それで、今日の議論の参加者たちも、今度はこの呑川問題について、みんなで議論を始めたのだった。都市型の河川という特徴を多く持っているというタイプが明らかになるにつれて、第2論文を書くべきだとGさんはみんなに励まされていたのだった。Img_1486 このような他の人の議論をすぐに引き受けて、自分のことのように議論に加わってくるところが、放送大学生の経験知を活かせる、良いところだと思われる。今年から、幹事になる方がH氏に加えて、新たに3名の方が名乗りを上げ、スムーズな運営への足がかりを築いたといえよう。今後の益々の発展を望みたい。

2016/09/21

松本ロケ取材の日

Img_4097 台風一過というわけにはいかないという現実的なメールをいただいたが、台風が過ぎても、今日も雨が降ったり止んだりしてはっきりしない天候だ。昨夜は台風16号が本州を縦断して、信州もあずさ号やしなの号のJR特急列車が午後からすべて運休になった。主任講師のS先生とロケスタッフの方々は、準備が良いことに、あずさ号が止まる前に、松本入りしていたとのことだった。

Img_4069 朝、早く起きて、ロケ先へ向かおうと百メートル歩いたところで、忘れ物に気がついた。カメラを部屋へ置き忘れてきたのだ。この年になると、忘れたことを憂いたら良いのか、それとも思い出したことを喜ぶべきなのか、わからなくなるところがあるのだ。ここにこれだけの写真が残っているのを見るにつき、やはり思い出したことを喜ぶべきなのだろうと楽観しておこう。

Img_4074 ロケ取材先の工芸店「グレインノート」前の中町通りにディレクターのTさんとカメラマンのOさんが出て、打ち合わせをしていた。グレインノートの奥様に挨拶をして、さっそく二階へ上がり、インタヴュー相手のS氏と、それから TさんとOさんと、収録順序を決めていく。この「グレインノート椅子展」は参加メンバー25名で、9年前から始まったということで、今回は40の椅子が出展されている。この椅子とこの椅子と・・・・とS氏と選んでいくと、思わず椅子の数がかなりの量になっていく。また、Tさんへご面倒をおかけすることになりそうだが、この内容については来年の4月から始まる授業科目「色と形を探究する」を見ていただければと思う。

Img_4103 先日打ち合わせておいたところで、その後思いついたことがあって、インタヴュー内容が次々に変わっていく。せっかく、TさんとOさんが綿密に打ち合わせしてくださって確定していたところなのだが、カメラマンの方が一番困る場面だ。しかし、Oさんは苦もなく次々に難問を解決して、最も良い撮影状況を作り出してくださった。その頃までには、このギャラリーに並べられていた椅子たちも、こちらの雰囲気を受け入れてくれたらしくて、前へ押し出されるように、次々と出てきてくれた。すべての点にコメントできなくて、椅子たちごめんなさいね。

Img_4102 「人と物」との相関関係は、消費経済論の中心的なテーマなのだが、これまで貨幣価値に引き摺られた表現しかできなかった。貨幣価値から遊離することで、今回はかなり自由な「人と物」関係についてコメントできたのではないかと、自分なりに思ったのだった。

Img_4019 ところが、実際に今回の椅子展で面白かったのは、言葉では説明できないが、ほんとうに面白いとみんなが感じるような椅子がいくつか登場した点だ。自分の中では、説明できるのだが、しかしながら、この写真のM氏の椅子のように、自分の言葉を超える椅子があることも事実であるのだ。椅子展で、今回興味深いと思われる点は、途轍もないような、想像力を超える椅子がありうるということを示していることだ。この写真のものを一目見て、どのように座るのかを想像できる人はいるだろうか。このような例は一例にすぎない。この作家たちの参加意識たるや、素晴らしいものがある。きっと作家たちは、個人的にそれぞれ頑張っていると思われるが、やはりこのような発表の場が存在することが重要であることは否定できない。椅子を届けに来た作家たちの顔を見ていると、それが何となくではあるのだが、わかる気がしてきたのだった。

Img_4166 午後から、松本市の郊外にあるS氏のベロ工房へ連れて行ってもらった。街道から急な坂道をぐっと上がったところにあって、古い農家の納屋を改造した、前面が全部ガラス窓になっている明るい作業場だ。Img_4158 作業台が一台置かれていて、道具類がぐるっと壁に並べられており、さらに暖房用のストーブ、S氏は木屑の焼却用とおっしゃっていたが、薪ストーブが置かれている。アトリエという感じのする工房だ。ここで説明していただいた、「Uアームチェア」の構造と組み立てを見せていただいたのだ。Img_4107

2016/09/17

グレインノートの椅子展

Img_4014 グレインノート椅子展が今年も開かれた。さっそく、松本を目指すことにする。台風16号の影響で、今年のシルバーウィークはずっと天気が悪いという予報が出ている。けれども、出発のあずさ号ではまだ雨の影響はなく、新宿の駅ではホームいっぱいに山歩きの人びと、観光の家族連れなどが列を作っていた。

Img_3928 先日、松本の宿を取るために旅行情報を検索したところ、どこの宿泊所もこの連休中は満杯で、最後に出てきたのが「tabisiro」という、このゲストハウスだった。二段ベットの大部屋が中心で、若者が多いだろうから、夜が遅くなるとちょっと面倒かな、と一瞬思ったのだが、和室の個室が空いていたので予約したのだった。泊まってみると、泊まり客は多彩で、気の置けない人びとだった。

Img_3920 ゲストハウスは松本駅から一駅くらいの距離のところにあった。いつもの街歩きの範囲内だった。道の途中にある、昭和初期の薬局を改造した喫茶店&ショップの「ラボアトリオ」でランチを食べた。そこから程ないところにある、宿はちょうど昼休みに入るところで、客は出払っていて、都合の良いことに電動付き自転車を借りることができた。Img_3937 これで足回りの確保ができたのだった。この自転車はたいへん便利だった。中町通りまで、ほんのちょっと一漕ぎで行くことができる。小学校時代には、街中を20インチの自転車で縦横に駆け巡っていた。この感触が戻ってきた。昔と比べると、松本市の道路は圧倒的に綺麗になっていたが、街巡りの距離感や角を曲がる感覚は、半世紀前と同じだった。この爽快な感覚を確かめつつ、中町通りに着く。

Img_3938 グレインノートの奥様が、高山から来ていらっしゃったT氏と話しているのを、ショーウィンドウの窓越しに見えたので、店の脇に自転車を停めて、そのまま裏口から入らせてもらう。挨拶もそこそこに、二階の展示室に上がると、電車の中であれこれ想像していた椅子がずらっと現れた。Img_3941 まず階段を上ると、正面には今年の子ども椅子展でメルヘン的な椅子を出品していたM氏が、椅子デザイナーのハンス J. ウェグナーの「ザ・チェア」をより重厚にしたような椅子が配置されている。それに続いて、H氏親子、A氏・・・と20数名の方々の作品が並ぶ。いつも思うのだが、作風というものが椅子にもあり、それぞれの作家の個性が表れているのが見事だ。

Img_4009 じつは、本日オープニングパーティがあって、何人かの椅子作家の方がたがいらっしゃるというお誘いをグレンインノートのS氏から受けた。来週には、授業科目「色と形を探究する」のロケを撮ることになっているので、ヒアリングができる絶好の機会であると、二つ返事で参加することにしたのだ。さっそくまずは、S氏の「Uアームチェア」についてお聞きすることにする。

Img_3987 内容については、来年から始まる授業番組を見ていただきたいのだが、一つだけコメントするならば、椅子をめぐる視点には、三つあって、利用者の視点、場所や社会の視点、中でも特に重要なのが、制作者の視点だ。椅子の製作には、利用者にはわからない、目には触れない、感触も不確かな制作者的な視点がそれぞれの椅子に埋め込まれているのだ。熟練の技術的なところでは、いわば「暗黙知」のような視点が重要なのだ。この見えない視点を、今回映像でいくつか注目したいと考えているのだ。さて、うまくいくのかな。「見えない形」というものが映像に定着できるのかが勝負だ。

Img_4006 たとえば、今回のS氏の椅子には、椅子の重要な構成要素の一つで、貫(ストレッチャー)という、椅子の足を結ぶ構造があり、それが「カウホーン(牛角)」型になっている特徴を示している。なぜカウホーンなのか、機能的にこれが必要なのか、それとも単なる装飾なのか、などは注目点の中でも、興味深い点なのだ。伝統的な考え方と、革新的な考え方とが、まさに交差する「暗黙知」の部分なのだ。

Img_4016 このような構造に関しては制作者にしかわからないところがあって、実際のところ、利用者に対してどのような影響を与えるのか、この椅子が据えられている場所から見て、あるいは社会的な意味から見て、どのようなことが背景に横たわっているのか、ということは、言葉に表してみないとなかなか理解できないところだ。

椅子を届けに来たT氏の椅子は、子ども椅子でも話を聞いていて、今回もたいへんユニークな椅子を出品してきている。曲線を多く取り入れていて、これまでの椅子の歴史の中では、ガレやガウディのアールヌーボー系の系譜に属するのではないかと、わたしは勝手に思っている。背板の植物模様、前足から笠木そして反対側へ向かっての曲線は素敵だ。

Img_4034 パーティの中で、ベースを受け持っていたH氏は四角い座面のスツールを展示していたし、またギターを担当したS氏は、授業で取り上げたいと考えている椅子も別にあるのだが、それとは別に、イタリアのジオポンティ風の軽量を狙った椅子も出品していて、軽量ということが実際に形に定着するときには、どのような苦労が存在するのかを詳しく話してくださった。単に素材の重さを軽くすれば良いということではなく、これは人工構造物に共通した「耐久性」ということとの相関関係にあることを説いてくださって、ギリギリのところの制作者の思いということがたいへん興味深かった。

Img_3985 オープニングパーティは、このように音楽付きで楽しい会となった。びっくりしたのは、グレインノートの奥様で、メロディホーンを片手に大方の名曲を覚えていて、ゆったりとした伴奏にうまく乗る演奏を披露なさっていたことだ。

出席していた中では、特に安曇野市在住のKa氏から詳しい話を聞くことができた。Img_3986 ご自身の椅子の話は、興味は尽きないが、座面の編みを得意とする方で、有名なウェグナーのYチェアの編み方の秘密など、専門家にしてようやくわかるようなお話、実際に全てを理解したのかは自信が全くないのだが、制作者にしかわからないことがたくさん出てきて、だからこそ、利用者の視点との対比が面白くなるのだ、ということも感じたのだった。

Img_4000 若い世代に属するKi氏との対話は、まさにその点に関わることだった。ここには通称「マルガリータ」さんというフラメンコを良くする人が、話に加わってきて、次から次へ言葉を繰り出してきて、それを選びつつ話が進むという珍しい経験をした。酒酔いのせいもあったのかもしれないが、自分と異なる世界に乱入する場合には、このような霊媒者的な方の役割は大きい。何が問題になったのか、要約してしまうことは難しいのだが、椅子にも「遊びの要素」が必要ではないか、というような、ニュアンスの会話があった。これがわかるためには臨場感が重要なので、うまく伝えられないかもしれないのだが、わたし自身はわかったつもりになったのだったのだ。こんな風に、パーティの夜は更けていったのだった。

2016/09/11

遠くから来た人

遠くから来た人

昭和二十年代後半

池袋の木造分譲アパートには、

デニム青地に赤い刺繍のカバーがかかった

木枠のソファが置かれていて、

父と母とわたしを

結んでいた。

人食いのシベリアから帰って来た、その人は、

当然であるかのように、

ソファに座っていた。

背もたれの上の壁には

クレパスで描かれた僕の絵が掛かっていて、

父の象徴画を真似ただけの幼い絵だったけれど

話のタネが尽きた時に、

特別な意味がその絵にあると

褒めてくれたのだった。

遠くから来た人であったが、

僕の心の中にとりあえず

近しい人として入ってきたのだった。

次に会ったのは、昭和三十年代前半、

松本の家で

やはり同じソファに腰掛けていた。

遠くから来た人は

リュックを肩から外して、

僕を膝に乗せて重さを測っていた。

近所で父と飲んだらしく、

地元の飲兵衛先生と意気投合して、

家へ連れてきてしまったのだ。

勝手に僕の将来のことを話し合っていて

運命というものが存在することを悟った。

昭和三十年代後半

東京に移って、

世の中は機械文明に

どっぷりと浸かっていた。

路面電車の軋りが耳障りだった。

遠くから来た人は、

機械を運んできた。

東京オリンピックがあるので、

わたしはニコンの一眼レフを借りたが、

会場で壊してしまった。

何も言われなかった。

諦めと寛容ということを知った。

昭和五十年代になっていた。

遠くから来た人は、

同化のうまい人だった。

大阪の博物館に勤めていたときに、

訪ねて行った。

掃除のおばさんや守衛のおじさんたちと

通るたびに談笑したのを見た。

世辞に長けた大学院生が訪れてきて、

就職を売り込んで、

三時間ほど粘っていたのだが、

ニコニコと応対していた。

このような事態になるとは知らなかった。

僕以外の人の心に入り込んでいたことも

理解していなかった。

昭和六十年代になってから、

仕事先でばったり会った。

やはりリュックを背負っていて、

代わりに持ったが、

後ろへひっくり返りそうになった。

ユーラシアへの旅を綴った本が

たくさん入っていた。

四十五歳までに本は書くもんだよ

遠くから帰ってくるものといつも思っていたが、

遠くのウズベキスタンで亡くなった。

なぜ遠くから来たのか、と問うて

いまでもソファに座っているのだ。

K氏が定年退職なさったとき(一九八六)に、ご自身の半生を綴ったのが出てきたので、一緒に掲載しておきたい。

わたしの一週間(加藤九

日曜日

天地玄黄 宇宙洪荒

日月盈昃 辰宿列張

寒來暑往 秋収冬藏

これは父から教えられた

千字文の一節である。

月曜日

ちょんまげに大小姿の

坂本龍馬の肖像画を壁に貼り

松陰の留魂録を筆写した。

火曜日

五族協和の共栄圏を夢見て、

軍靴を履いた。

そして・・・・・・・・

ダワイ、ラボータイ、クーシャイ、ダモイ

アムールの寒風にきしみ、

アンガラの川すじをわたる鶴に涙した。

水・水曜日

東京で丹波立坑出身の

下中藩に仕えた。

先代の藩主弥三郎は、

わたしのことを天竺浪人とよんだ。

人間は壁にぬりこまれた田螺じゃ

という面白い言葉も

彼から聞いた。

木曜日

寺社領民博寺の梅棹座主に拾われて、

旅し、集め、そして描いた。

金曜日。

かわいい天使たちの園が

行く手に待っている。

日、月、火、水・水、木、金、土。

土曜日はだいじにとっておこう。

2016/09/03

夏の仕事の打ち上げ(三蔵呑み歩き)

Img_4685 今日は、打ち上げの日だ。前月から学期中に溜まっていた教材執筆および原稿執筆の仕事を片付けるために、山ごもりを行っていたのだ。通信が届かない山奥なので、ときどきは届くところまで出て行っていたのだが、やはりメールがままならないというのは、すこぶる不便であり、同時に原稿作成のためには、すこぶる便利なのだ。Img_4717 約1カ月間で400字詰め原稿用紙300枚分の仕事だと宣言してしまったので、今日でひとまず打ち止めとして、成果をまとめる日となった。ほぼ目標は達成したのだ。

これはほんとうに「おかげさまで」という状態で、枚数だけは上回る成果を上げることができ、むしろ削らなければならないという事態になったのは、上々の成績だと思われる。Img_4695 例年、この9月の第1週には、自己中心的な事態ではあるのだが、わたしの仕事達成に合わせて、信濃大町で「三蔵呑み歩き」という催しが行われる。呑み歩きを楽しみとして、仕事を打ち上げるということだが、原稿のせいで自己中になっているのだ。

Img_4720 街には古くから営業している造り酒屋が北と真ん中と南に三軒あってそれぞれ特色ある清酒造りを行っている。辛口を特色としていたり、甘口を売りにしていたりする。この時期少し暇になるのだろうか、仕込みの前の時期に合わせて、6~10種類平均の蔵出し試飲会を三蔵共同で行うのだ。参加証となるお猪口を買った人は飲み放題なのだ。Img_4725 お猪口1杯に50ミリリットル(昨年は20ミリリットルと書いてしまったが)入るとして、20数種類のお酒を飲むのだから、やはり1リットルくらいは飲んでいると思われる。昨年は、6000の参加お猪口が完売したようだから、今年は8000くらいの人数が出るものと考えられている。

Img_4722 季節の仕込みで「秋あがり」という名称の清酒が、フルーティな味で出される。これが共通項だ。各蔵それぞれで提供されるが、それ以上に他の種類にも、特色のあるものが多い。Img_4791 たとえば、今年旨いと感じたのが、ドブロク系のものだ。完全に濁っている、というよりも、酒粕が液状化したもの、というくらい濃密なドブロクが売られていて、これはすぐに腐敗するので、このイベントでしか手に入らないのだそうだ。そういえば、瓶も通常の一升瓶や720ml瓶には入っておらず、はちみつ瓶のようなものに入っていて、どろっと出てくる。Img_4785 というようなものもあるし、同じにごり酒でも、ほんの少し濁っているだけのものもあるのだ。いずれにしても、にごり酒系のホンモノは、その場でしか置いてなく、これで打ち上げをすれば、気分も違ってくるのだ。

Img_4735 さて、大盤振る舞いだと感じさせるのが、これらの試飲の中でも、大吟醸が数種類含まれていて、これらはコクがあるし、フルーティだし、確かに美味しいのだ。でも、呑んべえたちはこぞって大吟醸へ殺到するのかといえば、必ずしもそうではない。Img_4747 消費テストで、目隠ししてどれが美味しいですか、というテストがあって、通常価格の高い商品が美味しいものだ、と認識されやすいという結果が出ることが一般の消費テストでは知られている。けれども、本物の呑んべえは、価格ではないのだ。Img_4751 それを示しているのが、この三蔵の中のH酒造の社長が行っている、お燗の酒のコーナーだ。ここでは、口の中で強いと感ずる酒が好まれる。「とどろき」と言っていたかな。時には、この社長はお酒を振ってから、提供して、空気にさらすと美味しいですよ、と勧めるのだ。

Img_4730 このような呑み歩きのコミュニケーションの手段は、酒であって、決して言葉ではないというところが、「酒中心である」という意味では納得もするが、ワインの試飲のように言葉で確認するという機会が、清酒の場合には、あまり用意されていないのは、ちょっと寂しい気もしないでもない。作り手の話をもう少し聞きたい気がするのだ。Img_4768 でも、わたしとしては、閉じこもっていて、内向的な生活が続いた後に、このような青空のもとで清酒をエンジンに歩き回るのは、気分を外向的にしてくれて素晴らしい。最高の打ち上げとなったのだ。

Img_4705 今日の椅子は、三蔵呑み歩きの前にランチを食べに寄った、「麻倉」でY氏の椅子に久しぶりに腰掛けた。相変わらず座りやすい椅子で、どうやらこの展示場とレストランに常設されているらしい。O氏とY氏の合作だという椅子も置かれていた。こちらも綺麗な椅子だ。Img_4699

2016/08/14

お盆と椅子の日々(2)

Img_4628 今日は、妹夫婦が釣りに行くというので、成果を待っていたところ、この近くの川の上流で、ご主人が見事に岩魚を釣ってきた。これは今晩のおかずにすることにして、それで昼食は蕎麦にしようということになり、この一本道を北アルプスに向かった。道路を道なりに一直線に行くと、日向山地区があり、その地域からさらに山奥へ進んでいくと、蕎麦屋が見えてくる。

Img_4621 じつはその手前には、黒部ダムの観光へ行く人たちの予備の駐車場が設けられている。こんな山奥で、さらにこの予備の駐車場でさえ、こんなに何千台もたまっていて満杯の状況なのだ、この自動車文化の極致と言えるような状況を、こんな山奥で体験するとは思わなかった。自動車文明を超える論理を展開できていない、現代の状況についてゾッとした感触を受けたのだった。もちろん、展開できない原因は明らかで、複雑性が増しているために表には現れてこないことが数多くあるためであり、それはわたし自身にとっても認識不足でお恥ずかしい限りなのだ。

Yamagatachair この蕎麦屋の隣に、5月に工芸店「グレイン・ノート」で個展を開いていた、Y氏の工房「木楽工房」がある。一度は訪れてみたい場所だった。木造二階建ての工房と、昨年まで喫茶店だった平屋のショールーム、さらに住宅と連なる建物が街道沿いに建てられている。奥様が外で作業をなさっていたので、声をかけて、Y氏を呼んでいただく。仕事の邪魔になるならば、出直そうと考えていたのだが、幸い笑顔で工房へ導き入れてくださった。

http://www.kirakukoubou.com/

Img_4622 二つの点で興味津々の話を伺うことができた。一つは、椅子修理の話である。30年前に作られた、居酒屋用の民藝椅子がこの工房に5脚運び込まれていた。修理の注文だということだ。全部で40脚の椅子の修理作業を行わなければならないという、珍しいところに遭遇したのだ。このような修理作業の現場には滅多に遭うことはないので、幸運だった。民藝椅子の特徴は、すべてミズメの木製で、金属の木螺子などはまったく使用されていない点にある。それで、修理の中心は乱暴に使われたために、「ほぞ」が緩んでしまったところの組み直しと、Y氏が得意とする座編みの編み直しだ。ここで、興味深かったのは、椅子の大方の設計構造はほぼ同じなのだが、「ほぞ」の組み方が職人によって異なるという、違いが見えてきたという点だった。これだけならば、それほど興味深いとは思われないのだが、実際に椅子というものは、「ほぞ」同士が交差するところなどのような、見えないところにこそ、手仕事の緻密さが出ているのが説明を聞いていてわかった次第なのだ。

Img_4623 もう一つは、文字では表すことが難しい椅子の構造の話だ。Y氏の独自に創作する椅子は、立木を鉈で割ったような柱の仕上げになっている。もちろん、細部は丁寧に鉋かけしてあるので、すべすべした感触なのだが、全体として荒々しさという点を強調する作りだ。それで、この荒々しさを残しつつ、しかも曲線の滑らかさを取り入れるにはどのようにしたら良いか、という工夫をお聞きしたのだ。この辺になってくると、設計図にはなかなか残すことが難しいし、もし図面に起こそうとするとたいへん面倒臭い表現になってしまうために、話はすごくわかりやすいのだが、客観的にはどのように記述したら良いだろうか、と迷ってしまうところなのだ。上下左右のバランス感覚の問題であり、頭から手仕事へつながる、曖昧な想像力が発揮される部分だ。

Img_4624 とりわけ、座板と肘木が後ろの脚と結合される部分の話が面白かった。見る人が見れば、「なるほど」ということになるのだそうだが、おそらく座る人はそこまで意識して座る人はいないだろうということだった。Y氏の表現が秀逸で、「二次元の素材を三次元の素材として利用する方法」なのだそうだ。これでわかってしまう人びとがいるということを知って、この世界の懐の深さを思い知ることになったのだった。9月に行われるグレインノートでの椅子展にも2点ほど出品なさるそうなので、楽しみにしたい。

Img_4613

2016/08/13

お盆と椅子の日々(1)

Img_4550 お盆とピザの季節がやってきた。午前中早々に、妹夫婦と一緒に、お墓まいりと親戚のT家への挨拶を済ませた。大町市内は、標高が高いだけ、日差しが強い。T家では、お盆休みで、一家の皆さんがいらっしゃった。白玉とコーヒーゼリーの甘いもの、さらに恒例のお漬物をいただいた。また帰りには、畑で採りたての野菜をどっさりといただいた。

Img_4549 昼食をとったのは、毎年訪れることにしている、森の中のパン屋「パン・ド・カンパーニュ」である。予約を取っていたのだが、石窯の前の席はすでに早い時間の予約客で満杯だったので、子供部屋になっている八角形のストーブのある小屋の席を空けてくださる。Img_4566 駐車場には、品川ナンバーや足立ナンバーの車が並んでいたので、帰省客や観光客がかなり訪れているものと思われる。

まずは、地元産の無印リンゴジュースで喉を潤してから、マルゲリータ、きのことゴーダチーズ、さらに夏野菜ピザを次々と食べた。Img_4560Img_4559 Img_4564 Img_4561 Img_4562 このパン屋は10年ほど前に、妹夫婦が車で通りかかって、我が家にとっては「発見」された。1992年創業の店だ。幹線道路からは少し入ったところにあるので、なかなか分かり難い場所にある。Img_4556 現在ピザを焼いている息子さんが当時はまだフランスへ修業に行っていたので、パンだけが売られていた。むしろ、父親のご主人がやっている木工の注文家具屋として開店していた。けれども、天然酵母を使っている味が独特で、わたしたちも妹夫婦に教えてもらって、ようやく知った次第なのだ。Img_4567 そして、息子さんがフランスから帰ってきて、石窯を構えてからは、夏のピザの常連となったのだ。

安曇野市の穂高には、椅子の作家たちがショールームを構えていて、その中の一つでも良いから、かねてより行ってみたいと考えていた。Img_4587 けれども、わたしは自動車を運転できないので、電動付き自転車でも穂高で借りていこうとおぼろげながら計画していた。今回、妹のご主人がレンタカーを借りて、穂高へ行ってくれるというので、便乗して、北アルプスの麓を並行して走る、山麓線(安曇野アートライン)と称する道路を南下した。

Img_4586 美術館やハーブの店や地元産の野菜などを売る店が、何キロにわたって続いており、その中に目指す「アトリエ宇(そら)」がある。ここは、信州木工会のU氏が経営する工房とショールームがある。無垢材の椅子やテーブル、子ども椅子と卓袱台のセット、木のカトラリー、友人たちの陶磁器などが展示即売されている。ホームページは以下のところだ。

http://sfrsora.exblog.jp/

Img_4589 ここで最も聞きたかったことは、通称「ドワーフ椅子」と呼ばれているU氏の作る「子ども椅子」についての発想についてである。この椅子はすでに5月の子ども椅子展で拝見していた。もっとも、その時の材質は黒いウォールナットだったけれど。この子ども椅子の特徴は、座面が柔な曲線で囲われているにもかかわらず、全体としては頑丈な構造を持っている点である。とりわけ、座面の形に特色があって、人間の足が二本出ているのに沿って、凹凸がつけられている点だ。なぜ凹凸なのか。また、なぜ背板が細いのかなど、幾つかの疑問が存在する。

Img_4588_3 座面については、すぐに疑問は解決した。当初、これらのチェアは、「ハート・チェア」と呼ばれていて、座面を意図的にハート型にして、子どもにもわかりやすい形を取り入れたからだということだった。Img_4594 それじゃ、なぜ途中からドワーフ・チェアになったのかというと、保育園からの注文で、卓袱台とのセットで作ったことからで、そのときのセットの卓袱台は7色の無垢材が組み合わせて作られており、この7色に合わせて、椅子も7色の種類が作られたのだそうだ。それで、グリムの「白雪姫と7人の小人」童話から、小人のドワーフ族が連想されたのだそうだ。

Img_4592 もう一つ興味深い点は、このドワーフ椅子には、大人用も作られていることである。じつは他の作家の多くが大人椅子のデザインが先にあって、子ども椅子が後で作られるのがふつうなのだが、この椅子に限っては子ども椅子が先に作られたそうである。そして、のちに大人用に作られて、この形になった。Img_4593 大人椅子と子ども椅子とは、ふつうそのまま同じ尺度で拡大したり、縮小したりしたのではそれぞれ成り立たないことはわかっている。ここが微妙なところであり、縦横の拡大や高さの調節には、勘による部分が大きくて、設計図には残されていないそうである。

このような勘に頼る方法の欠点は、試作品を作るときと同様に、不確実性が残っているために、「失敗」に至る可能性がつねに存在する点である。Img_4591 U氏のこのドワーフ椅子の発展系には、上記の大人椅子と、もう一つ「大人用ハイチェア」とがある。じつは、このハイチェアへの発展を計画しているときに、「失敗」が起こったのだそうで、二つのハイチェアを見せてくださった。つまり、ドワーフ椅子の脚をずっと伸ばしたときに、背板の傾きと椅子の大きさとのバランスが崩れたのだ。けれども、完成させてしまえば、この椅子に合う利用者を見つければ別に「失敗」というわけではないだろうと思われるのだが。

Img_4595 最後に、興味深かったのは、U氏が複数の職人の方々と共同で工房を運営している点である。このところ、わたしが椅子製造の統計を扱っていて気付いたのは、日本の家具メーカー全般に事業所規模が小規模になりつつある点である。このときに問題なのが、若手の育成である。規模が大きくなれば、教育訓練の費用が賄えるが、小規模になればなるほど、その余裕がなくなることになる。つまり、現在の日本の家具メーカーでは、この若手の育成に「失敗」しつつあるのではないかと推測できるのである。

Img_4603 この点で、U氏の考え方はたいへん参考になったのだ。つまり現代においては、松本民芸家具などでかつて見られていたような、職人特有の徒弟制的なキャリア形成は難しくなってきているのだから、徒弟制とは違う形で、若手育成を図る必要があるとのことだ。一つのヒントは、古典的ではあるのだが、若手に下請けを受けてもらうことで、同時にOJT的な育成を図る方法である。つまり、積極的に作品の部分をアウトソーシングすることで、若手に同様の技術を身につけてもらうという方法だ。U氏は実際に行っていて、手応えがあるのだそうだ。この工房に来てもらって制作を手伝ってもらうことも考えているそうだ。若手の起点になればということらしい。

Img_4578 この工房で共同制作している若手職人の子ども椅子も、このショールームには展示されていた。ソファのイメージを子ども椅子へ落としたものだ。大学の講義で学生に人気投票させると、かなり票の集まる子ども椅子だ。そしてこれの大人椅子への発展形が、この座椅子に近い大人椅子で、テレビを床近くで見るのに好都合の椅子となっている。子ども椅子からの発展形は今後も多様に出てくる予感がしたのだ。子ども椅子、恐るべし。

Img_4576 ショールームに入ったところで、すぐに目に入ってきた椅子で、もっともシンプルな子ども椅子が置かれていた。じつは、これも子ども椅子展に出品されていた。あまりにシンプルすぎて、子どもの可愛さよりも、脚のつけ方という基本的な機能の方が目立つ椅子になっている。ほぞの組み方がたいへんきっちりしていて、滅多なことでは抜けない構造になっている。Img_4569 また、角の取れたつるりとした手に伝わる木の感触が素敵なので、思わず購入してしまったのだった。帰りに、街道沿いで見つけたハーブの店で、そのハーブのソフトクリームを楽しみながら家路に着いたのだった。

2016/08/11

松本で、O先生と夏カフェ

Img_4457 朝、信濃大町のいつものバス停のそばを通ると、外国人の男女がコミュニティバスを待っている。視線に入ってこなければ気にはならなかったのだが、今日は「山の日」の祭日なので、このバスはお休みのはずなのだ。Img_4459 旅支度の様子からして、時間はそれほど気に留めないタイプの方々だなとは思ったのだが、ここで待っていて、気がつく頃には半日は経ってしまう。Img_4460 ちょっと差し出がましいとは思ったが、ひと声かけて、異なる路線のバス停を教えた。結果としては、良かったらしく、そのまま松本駅まで、わたしと同じバスと電車だった。早めに旅を進めることができて、感謝されたのだ。

Img_4462 大糸線では、信濃大町駅を出発して、一駅ごとに気温が上昇していくようだった。松本駅へつく頃には30度を超えていて、夏の日差しが厳しい。O先生との約束は午後の1時だったので、それまでカフェ書店の「栞日」でカフェオレを取ることにする。Img_4463 ここはちょうど1ヶ月前に、以前店のあったところから、5軒先の広い建物「高橋ラジオ店」跡へ移転したばかりだ。ここ数ヶ月で、新しい喫茶店開店と、書店とギャラリーの移転と活版印刷スタジオ新設、新装ホテル開業にレンタル・自転車と、さらに今月初頭の木崎湖で行われたImg_4466 「アルプス・ブック・キャンプALPS BOOK CAMP 2016」(野外ブックフェア)主催と、栞日のご主人は八面六臂の大活躍だ。

Img_4464 店の周りを見ると、じつは小学校時代の友人宅がすぐ近くにあり、そしてわたしの幼稚園時代には、ここから数分のところに両親が家を借りていて、この店の前にある銭湯「菊の湯」へ毎日通っていたのだ。懐かしいな。Img_4467 この辺は、清水の源泉が常に出るので、銭湯の帰りにはその清水で冷えた壜牛乳を飲むのが習慣となっていた。「栞日」の二階から眺めると、当然銭湯も様変わりして、建物も近代的な様相に変わってしまっていた。半世紀以上前のことだものな。

Img_4465_2 栞日の1階には、新しい店へ移る動機となったという「活版印刷機」が置かれ、さらにブックフェアのスペースを挟んで、ベンチタイプの客席がゆったりと作られている。そして、奥にカウンターがあって、カフェオレをここで注文した。

Img_4469 活版印刷機は半世紀ぐらい使われ続けたものだそうで、思ったよりも大きい。機械の隣には、この印刷機のためのインク缶、さらに活字が書体・ポイントごとに置かれていた。将来ここで、小冊子を作りたいという希望をわたしは抱いていたのだが、残念ながら、当面チラシや名刺を作るだけで、冊子印刷は考えないそうだ。Img_4470 基本的な技術さえ習得すれば、あとは誰でも動かすことができるとは、ご主人はおっしゃっていたけれども、実際に活字を組む時には、時間がかかるのだろうなと想像するのだった。印刷機と活版印刷のスタジオという、いわば店の「シンボル」を持ったことで、実際の印刷もさることながら、栞日は新たなカフェ書店の理念を獲得したと思われる。

Img_4472 中央のブックフェアのスペースでは、東京蔵前の出版社「アノニマ・スタジオ」の「旅する灯台」展(日本の各地を照らすという比喩だろうか)を開催していて、同社が展開する料理本や野菜本、詩集、絵本が平積みされていた。Img_4532 英国のP.L.トラヴァースの「メアリー・ポピンズ」のシリーズで、『台所のメアリー・ポピンズ』を購入。家に帰って、娘にメールすると、幾つかのレシピを送ってくれれば、そのうちこのトラッドな料理を作ってくれるとのことで、さっそく「アイリッシュ・シチュー」などを送る。この本には、お話と一緒に、料理ノートがついているのだ。

Img_4461 2階へ上がると、壁一面に古いたんすや書棚がランダムに取り付けられていて、そこに書店の書籍が並んでいる。東京でも簡単に手にはいらいないような地方誌や、生活誌、デザイン誌だ。見逃していた建築雑誌「住む。」や日本民藝館が発行している「民藝」などを手にとって読む。Img_4471 ここにも、幾つかのアンティクの椅子が置かれていて、やはり「教会の椅子」も置かれていた。長野で座ったタイプと似ている。聖書や聖歌集をちょっと入れておくような、木のポケットが素敵だ。

今日、この2階では二つの活動が見られた。このような使われ方が、今後のこの店の活動を支えていくのだろう。Img_4475_2 一つは、近くにある市民のための音楽や演劇などを興行する会館の関係者だろうか、スタッフと思われる方々が事務所代わりに、ミーティングを開いていたのだ。Img_4477 何やら難しそうな話をして、顔突き合わせてアイディアを出しあっていた。この方々もたぶん、わたしと同様に、世の中がお休みの時に忙しい人たちなのだ。

もう一つ、2階には、喫茶店の客席部屋以外に、もう一部屋がギャラリーになっていて、その展示準備が行われていた。これから展覧会「Travelling with Spices」が始まるとのことだった。女性の写真家と画家のコラボ展覧会で、テーマは「spices」、インドの旅のことらしい。Img_4480_2 展示されていた一枚の絵の中に四角い窓が真っ白に描かれていて、真ん中なのに余白といった雰囲気をもたらしている。さて、ここに何を描きたいと思うか、と話しかけているようである。もう一枚の絵には、昔懐かしい路地が建物で囲われているという、インドの原風景が描かれていた。この画家の方は、注文でも絵を描くことがあって、肖像画の依頼もあるそうだ。Img_4473 1号が数千円からとおっしゃっていた。これらの展示から察するに、基本的には暇を楽しみつつも、なおかつそれを仕事にしている方々だと思った。

Img_4474 後ろから声がして、待ち合わせ前なのに、なんとO先生が現れた。午前中の卒業生との約束がキャンセルになったそうだ。これで松本滞在中、彼は栞日に毎日来たことになる。さらになんと、この栞日が主催する「アルプス・ブック・キャンプ」のオリジナルTシャツを早速着て登場したのだった。「旅する灯台」どころか、「歩く広告塔」ではないか。すでに日程が終了したキャンプとはいえ、来年の宣伝には十分に貢献することになるかもしれない。

Img_4490 この9月に取材でお邪魔する、工芸店「グレインノート」の奥様へ挨拶に訪れる。その9月には、恒例の「グレインノート椅子展」が開催されているはずで、すでにダイレクトメール用のハガキが完成していた。この椅子展では、この2月に亡くなった、S氏と親しかった木工作家の日高英夫氏の追悼コーナーも設けられるそうである。Img_4487 S氏が日高氏のお嬢さんのために作った子ども椅子が、「AI」と名前が刻まれて店先に展示されていた。この椅子が十何年間にわたって、何人かの人びとを結んでいたのか、と考えると感慨深いものがある。Img_4536 Img_4535

Img_4494 昼食は、O先生が予約を取ってくださったフランス料理「コトリ」で。O先生は牛肉のソティ、わたしは阿波尾鶏ローストだ。味付けはフランス料理なのだが、和風料理の健康に良さそうなところを取り入れている。大根や人参などの付け合わせがさっぱりした味だ。今日は新しい祝日「山の日」で、上高地などでレセプションや祭典や行事が行われる。Img_4497_2 それには、皇太子一家が出席することになっている。この第1回「山の日」式典に客が取られたせいか、このランチ時間に限ってはいつもより店はすいていた。それで、O先生とは十分に親密な話ができたのだった。

Img_4500 気になっているのは、O先生のブログを見ればわかるように、卒業生たちが彼とのランチや喫茶を目指して殺到していることである。これだけの若い女性たちと会うからには、何らかの目的があるに違いないだろうとふつうは思うのだ。もちろん、年齢からして、恋愛関係は除外できるとしても、それじゃ何なのだろうか。彼女たちの親たちもきっと気にしているだろう、ということはW大卒では考えられないだろうが。Img_4499 話の中で、ある卒業生のお母様から、写真を綺麗に撮ってくださってありがとう、とお礼を言われたそうである。Img_4501 さて、会う理由は、彼の専門はライフコース論だから、その標本集めではないかということは誰にでもわかるのだが、さてその標本をどのように整理されるのか、たいへん見ものである、というようなお話をしたのだった。

Img_4502 明日からはわたしは山奥にこもって生活をするので、そのためのジャムを調達しようと、女鳥羽川沿いのいつものコンフィチュールの店「シェモモ」へ寄る。写真でわかるように、ここも改装していて、今度の店はグリーン主体の落ちついた店構えになっており、さらに店の中も、販売部門と製造部門とがガラスで隔てられている。Img_4504 フランスにある専門店をイメージしたのだとか。もちろん、ガラス戸だから双方見ることができるので、ご主人が手を休めて、調理場から出てきてくれた。Img_4528 香辛料の効いた新しい味も出ていたが、やはり定番の「バナナとイチゴ」と「ブルーベリーとレモン」をそれぞれ購入する。明日から「甘い生活」が始まる。

Img_4508_2 O先生との夏カフェは、この日差しと気温との相談の結果、喫茶店「チーアン」を最後の訪問地ということにした。この後、喫茶店MとかLとか、名前は挙がったが、ここでの二人の話が弾んだ一方、身体の方が1学期間の重労働に耐えかねていたこともあって、ここを動きたくなくなったのだ。Img_4509 もちろん、身体の事情は、わたしだけの事情で、O先生は老いて!ますます盛んで、数日前に一つの原稿の校正を終え、さらに今月中に50枚書くのだそうだ。わたしも、予定だけは今夏全部で300枚を目標に掲げているのだが、やはり身体との相談だな、と弱気なのだ。

Img_4507 なんの話が弾んだのかというと、このところここでも書いてきた「生活科学」とはどのような学問か、ということだ。じつはO先生は放送大学の同僚だったことがあり、その時の彼の担当が「生活学」だったのだ。その後、ライフコース論へ彼の関心は移っていったのだが、もしそのままずっと放送大学に彼が勤めていたならば、当然「生活科学とは何か」という、現在の論争の中心を占めなければならなかったのだ。Img_4510 それで今回、実際にこのテーマをめぐって、面白い対話ができたのはほんとうに得難いことだった。このテーマは現在の彼の関心とも決してかけ離れたものでないことも確認できて、わたしとしては夏カフェの成果を十分に感じたのだった。

Img_4514 O先生とは、中町通りで別れて、最後に寄ったのは、これも行きつけになりつつある、コーヒーの焙煎屋「ローラ」と駅前の「中島酒店」だ。すでにローラは、今日からお盆休みに入っていて、ローラのコーヒー豆はまた今度ということにして、Img_4531 中島酒店ではご推薦の新しいもので、ちょっと若い感じのワインであったのだが、長野県中野市のぶどう酒ファームのシャルドネを買う。ジャムとワインが揃ったので、当分の禁欲生活も十分に耐え忍ぶことができるのではないかと思う。

2016/08/04

善光寺近くで、お昼に蕎麦を啜りつつ、面接授業を行う

Img_4371 長野市は古い門前町であるにもかかわらずというのか、門前町だからというのか、構造は極めてシンプルな形を取っている。脊柱のごとく、長野駅から善光寺まで垂直な「中央通り」が立っていて、真ん中あたりを水平な「昭和通り」が切っている。この昭和通りの西は長野県庁に至るし、東は長野市役所に至る。これら4象限に官庁街、商業街、ビジネス街、歓楽街などが収まっている。

Img_4356 今回の面接授業は、この中央通りと昭和通りが交差する、市の中心の場所に立っている「TOiGO-west」ビル3階で行われた。外国人をはじめとして、善光寺の参拝客が日差しを避けながら、このビルの前を通って、山門目指して登っていく姿を見ることができる。このビルには、長野市の生涯情報センターが入っていて、ここに放送大学の再視聴室なども入っている。今年は、わたしの担当する面接授業と同時に、放送大学の入学説明会も開かれていて、長野学習センターの職員の方も諏訪からいらっしゃっていた。

Img_4389 1日目の昼食は、隣のビルにある、やはり蕎麦屋さんへ。学生の方々と一緒に雑談しながら食べる。冷たいざるそばが喉を通っていくのは、この暑さの中ではほんとうに有難いものだ。じつは二日目も、中央通りを少し登ったところの蕎麦屋さんへ行く。経済学の林先生時代に修士課程を修了なさったK氏がこの長野市内に職場があって、授業の合間にいらっしゃるのかもしれないと思っていたら、彼の奥様がわたしの授業を取っていたのだ。Img_4368 それで、ゆったりできるこの蕎麦屋さんへ連れて来ていただいた。ところが、店に着くと、店の入り口には、すでに「準備中」という札がかかっていたのだ。Img_4364 そこは一応言葉を交わしておくべきだと思い、顔を入れて聞くと、二人なら構わないというので、良かったと胸を撫で下ろし席に腰を下ろしたのだった。それにしても、12時20分で、すでに本日の手打ち蕎麦が完売となるのだ。

Img_4358 K氏は放送大学を終了したのちも、信州大学へ入って、さらに学問の領域を広げていらっしゃることを奥様から聞いて、頼もしく思ったのだった。噂をしていたら、K氏ご本人から電話もかかってきた。地方へ来て、卒業生の方がたと会えるのは、率直に言って喜びだ。授業の積み重ねと、授業を超えたところの交流が存在するのだ。W大のO先生が地方旅行して卒業生と会いたくなるのも頷けるところだ。

Img_4361 1日目は午後5時には終了した。ちょうど盆地の山の陰に太陽が沈む頃だったので、日差しがなくなり、少し歩きたい気分が出てきたのだった。このまま中央通りを登って、宿坊を両側に見つつ、高村光雲が原型を作った仁王像のある山門をくぐり、善光寺の本殿へ参る。Img_4373 すでに、善光寺の大方の業務は終了していたので、参拝客もほんのわずかしかいなかった。善光寺では、寺の運営をめぐって、内紛が伝えられている。Img_4369 外からはよくわからないのであるが、この写真にある寺のお知らせのような文章は何やら意味深の感じがするのだった。

Img_4391 宿への帰り道の参道沿いには、善光寺参りの名物となっている、唐辛子の老舗がある。この八幡屋儀五郎店が経営する「横町カフェ」へ、裏道側から入る。辛味といえば、カレーだと思い、そのままの野菜カレーを夕飯として注文する。Img_4376 テーブルには七味唐辛子が並んでいて、自分で辛さをコントロールできるようになっている。わたしが今日最後の客だったらしく、広い喫茶店を独占して食べることができた。Img_4377 だから、より辛くなるというわけではないのだが。食後のコーヒーを頼もうとしたら、この店の食後の特別な飲み物で、柚子入り甘酒があったので、それを取ることする。辛さを中和して、神経を宥めてくれるのだ。

Img_4375 食後、中央通りの一本裏の通りを、権堂アーケードへ向かって下っていく。途中、入りたくなるような喫茶店やランチの店などが点々として、今度来るときにはこの街を目指してくるのも良いのかもしれないと思った。Img_4385 これらの店の幾つかには、O先生のブログで見た覚えのあるものもあったから、Img_4383 長野市で寒い時期の冬カフェというのも良いかもしれない。

Img_4393 二日目の面接授業もいつものように拍手とともに終わって、長野駅から高速バスで1時間ほどのところで、明日から開催される「ALPS BOOK CAMP」という、野外ブックフェアの催しへ行きたいと思ったのだが、Img_4395 じつは長野市では明日6日は、「おびんずる祭」という、長野市民総出の善光寺のお祭りがあり、中央通りには踊りの人波が溢れるのだそうだ。この理由と、さらに6日には若者から中年にかけて人気のあるらしい「嵐」のコンサートが重なり、5日の宿泊は望み薄になっていたのだ。

Img_4398 お昼にK氏の奥様からお話を伺ったところによると、「おびんずる祭」は昔からあったのだが、この6日に行うようになったのは、松本市の「ぼんぼん祭」に対抗して、客を取られないように始まったらしいとのことだった。Img_4399 長野県では、長野市と松本市の対抗意識というのは、明治初期の廃藩置県後に、筑摩県だった松本市が長野県に併合された時から、さらに遡れば、戦国時代の武田寄りの松本と、上杉寄りの長野との川中島決戦が行われた時からにも由来するとも言われ、かなりの累積的な意識が存在することが知られている。Img_4388 もっとも、これは信州人の中だけの地元における特殊な対抗意識で、他の地方へ行けば、このような意識は問題にされないのだが、ご当地ではみんなが血相を変えるものがあるのだ。

Img_4414 長野市での最後の訪問は、K氏から教えていただいた隠れ家的自家焙煎の喫茶店「ヤマとカワ珈琲店」だ。権堂アーケードから、少し登った住宅街の中にある、二軒長屋の1軒だ。戦前に建てられた建物らしい。かなり年季が入っている。Img_4415 玄関を登ると、すぐにカウンターになっていて、自家焙煎の豆を売っている。店では、深煎り(ガテマラ)と中煎り(ブラジル)と浅煎り(エチオピア)のコーヒーが揃っていたので、授業で体力的にヘトヘトな状態で、胃腸も同様に疲れが出てきている、というので、元気を出すために深煎りにしたかったのだが、これはお土産に家へ持って行くことにした。Img_4420 それで、いただいたのはフルーツケーキと浅煎りコーヒーだ。アンティークの教会椅子に腰掛けて、フーッと息をついた。

Img_4422 二年前に開店したそうだ。よその店で、2週間みっちりコーヒーの淹れ方を学んで、その後は自分で切り開いて、今日の味を形成してきたのだそうだ。Img_4424 焙煎機は二代目で、ピカピカのものが置かれていた。喫茶店よりも、焙煎専門店に比重があるのではないかと、若いご主人はおっしゃっていた。ご自分では、サービス業よりは製造業でありたいという意識なのだそうだ。なるほど。推察するに、豆の焙煎の方が利益率も良いのではないかと思われる。

Img_4423 店の紹介文の中で、開店時間が「12時から日没まで」、ということになっていた。なぜ「日没」なのかというと、自然を大事にしたいからだということだった。午前中には焙煎を行い、午後には夏は長く、冬は短く、葉っぱの色が変わるのを見て、鐘の音がゴーンとなる時間を大切にしたいのだそうだ。また、このような喫茶店に来る交友関係にも自然と面白いものがあるそうだ。Img_4426 たとえば、長野市近辺には、同世代の職人さんの友人が数人いて、この中には木工の職人さんも訪れるそうである。木工の専門学校を出て、アンティークの修理専門を行っている若手の方だそうだ。そのうち、紹介してもらって、取材したいと思ったのだった。

Img_4430 帰りは、長野電鉄の権堂駅から、長野駅へ出る。この路線は、長野市内では古い地下鉄になっていて、駅には田舎で取れた野菜が売られていたのだ。Img_4429 エリンギとモロッコ・インゲンが旨そうだったので、即購入。家への良いお土産になった。なんと駅の改札口で、切符と一緒に野菜の支払いを済ませたのだった。家に帰って、さっそく料理してもらった。モロッコ・インゲンのキュキュという食感が素晴らしいのだ。Img_4431_2 それから、K氏から頂いた「七味唐辛子」も煮物の味付けなどにありがたくいただいている。この箱のどこかに唐辛子の隠し絵が入っているそうなのだが、しかとは確認できなかった。たぶん、壁の模様ではないかと思われるが、Kさんいかがでしょうか。

2016/08/03

「生活科学」という学問分野はいかにして可能か(III)

Img_1211 歳を取り、自分の身の回りのことを一切できなくなって、他者に自分の裸までも見せなければならなくなったとき、いったい誰に頼むのだろうか。このような状況の認識については、どのように映像化できるのだろうか。映画「或る終焉(原題:Chronic)」を観る。原題のクロニックというのは、「絶え間なく不断に続くこと」という意味だ。病気で言えば、慢性的ということらしいが、日常生活では習慣的ということだ。映画のテーマは明らかに、自分の領域に他者が入ってくる日常の関係を描いている。日常的に裸を見せる他者とは誰なのか。ここで、患者と看護人との間の「親密性」ということが問題となる。この親密な二者関係というものは、クロニックなものであるのだ。他方、その関係が続かなくなり関係が無くなるときには、どちらかの死を意味することになる。

Img_4408 この映画の中心となっている「親密性」とは何か。俳優のティム・ロスが演じる主人公の看護人デヴィッドと患者との関係を、3~5ケースにわたって、オムニバスに描いているところに現れてくる。そして、それにもう一つの親密な関係である、デヴィットの娘や息子、さらに離婚した妻との家族関係が絡んでくる。果たしてこの映画の取り上げている、親密な関係とはいったい何だろうか。家族関係との対比において、患者と看護人との親密関係が明らかにされている。

Img_4409 映画冒頭のケースで、典型的な「患者・看護人関係」が描かれている。エイズで終末を迎えている患者サラを、看護人デヴィッドが引き受ける。患者サラがもし健康であるならば、決して他者の世話にならないような、プライベートな身の回りの世話の領域に、看護人デヴィッドは「侵入」することになる。ここには、家族でさえ、入り込めない領域なのだ。家族がサラと歓談していると、デヴィッドはそろそろ帰宅時間であることを告げるほど、親密性の強い関係を見せつけるシーンが織り込まれている。この関係は擬似的な夫婦関係に近い状態まで進むことになる。数日後サラが亡くなって、デヴィッドはサラの葬式に出る。そこで姪からサラの話を聞かせてほしいと頼まれるのだが、それを拒否する。だが、他方見ず知らずの人には自分の「妻」として、サラのことを話して聞かせるのだった。患者・看護人という関係はそこまで親密性を発揮するところまで行くのだ。

Img_1230 もう一つの建築家ジョンという終末期患者のケースでは、もっと印象的な親密関係が描かれることになる。デヴィッドは、本屋へ行って建築書を購入したり、ジョンの設計した家を訪れたりして、ジョンとの親密な関係を強めようとするのだ。この企ては、家族が二人の関係に嫉妬することで挫折することになるのだ。ここまで、侵入するのかと思えるほどだ。ほんとうなら他者を拒否するようなところにまで、本人の親密圏内に入ろうとする。ここでは、家族からデヴィッドがセクハラで訴えられるという誤解が生ずるということも、親密な領域に他者が侵入するからこそ起こることだと考えられる。まさに、患者・看護人関係の本質が現れると同時に、この親密性の限界も示していることになるのだ。

Img_4403 映画の最後のシーンは衝撃的だ。映像技術的にすごいと同時に、親密の二者関係というものの宿命を教えることになっている。二者関係には、片方が崩壊すると継続性のないことを教える。ここが三者以上の社会関係と異なる点だと思われるのだ。

Img_4413_2 さて、今日は朝早く、横浜の家を出て、午前中に千葉幕張で会議に出て、加えて午後からは東京文京学習センターで修士課程の方の研究指導を行い、さらに東京駅から北陸新幹線で長野市へ向かったのだ。泊まったホテルが、善光寺に一番近いホテルという売りのところなのだ。Img_4404_2 それで一番近くの駅である、長野電鉄二つ目の権堂駅で降り、七夕の飾りが連なる「権堂アーケード」を通って、途中の長野市の名画座である、木造造りの古い映画館、相生座「銀座ロキシー」に着く。ここで、「出張先で映画」と相成ったのである。仕事の1日だったが、最後に遊びも加えた充実した1日だったのだ。

2016/07/28

馬車道のビール屋で飲む

Img_4320 大学時代の友人F氏と待ち合わせて、昔懐かしい関内の馬車道でビールを飲むことにする。東京神田に勤め先があるF氏は、仕事を終えてから、電車を乗り継いで、関内駅に着いた。

関内という駅は、分散型の駅を構成している。東口と西口とが完全に分断されているというイメージが強い。そういえば、横浜市には南北の区によって格差が広がっているという南北問題があるのと、もう一つ、中心地が横浜西口とこの関内に分かれているという、分散問題があるのだ。Img_4321 なぜ関内が横浜の中心地を占めることができないのか、という重要な問題は、横浜が東京のベッドタウンであることから生じたことなのだが、その対策が未だに打たれてきていないという事情が、関内の中心地としての地位を危うくしているのだ。関内は、東京から自由なところにあるのだから、その利点を生かすべきだと思われるのだ。

Img_4323 中でも、馬車道の特徴がここ近年削がれてきているのは、惜しい。映画館がなくなり、老舗の小売店が閉まってきている。そこで今回、たまには馬車道で飲もうということになった。まず向かったのは、関内から馬車道に入って、一つ目を左に入ったところにある、「勝烈庵」だ。とりあえず、腹拵えしてから飲もうということだ。勝烈庵のトレードマークは、棟方志功の女神像で、これを拝めば、みんな幸せな気分になる。トンカツと同じように、豊かさの象徴として役割を演じている。混んでいる1階は避けて、2階へ向かう。ちょうど夕飯にはまだ早い時間だったので、ゆったりとヒレカツを頬張ることができた。当然のように、キャベツをお代わりして、シジミの味噌汁で、どんぶり飯をたっぷりと食べた。

Img_4330 もしランチに来たのであるならば、この裏通りにある馬車道十番館でコーヒーを飲んで、午後に備えるのだが、今日はビールが御目当てなので、直接ビール屋へ向かった。ビールは、いつもの「タップルーム」でベアド・ビールの「アングリーボーイ」だ。ビールのつまみはお腹がいっぱいであることもあって、雑談で済ませた。

Img_4334_2 雑談にはテーマがないのが特徴であるのだが、取り立ててあげるならば、一つは「定年」ということが話題になった。60歳代半ばを迎えた二人にとって、仕事の転換期を迎えている。Img_4335 本務を辞めた後のことを考える必要がある時期を迎えているのだ。一つは、今の仕事の延長線上で、何かできることがあるか、ということを話した。幾つか、思い浮かんだ。もう一つは、今の仕事から離れて、何かできることがあるのか、ということも話した。

Img_4338 彼の実家は、かつて銀座に近い築地で、印刷屋さんを営んでいた。そこには立派な活版印刷機が備わっていた。それで、今回も仕事に関係ないことでは、私家版を作りたい、美しい小さな本を作りたい、ということが話題になった。互いの本の内容は、幾つか候補が上がっていたが、率直に美しい本が出来上がることを夢見たいと思ったのだった。

Img_4343 ハッと気がついて時計を見ると、12時近くなっていた。彼の家は小田急線なので、関内からは横浜線で向かい、町田へ出て乗り換えなければならない。翌日のメールで、無事最終電車に間に合ったことが書かれていた。

Img_4326 今日の椅子は、勝烈庵の待合椅子だ。トンカツが目の前を運ばれていく。それを見ながら待つために、満席の部屋の隅っこに据えられている木製のベンチだ。座板が一枚板でできている。ふつう、これだけの板であれば、これだけで三人分の体重を支えるには十分なのであるから、脚を板に直接取り付けそうである。ところが、この椅子はその辺がすごく丁寧なのだ。脚は完全に板全体を受け止める形に作っていて、真ん中にも受ける脚が通っている。この丁寧さのために、かえって職人の方のこの一枚板への思い入れを感じてしまうのだ。また、この座板がくりぬかれていて、この点でも丁寧な仕事を感じさせる。Img_4345 多分、この穴にはクッションが入ることが想定されていたに違いないのだが、それを取り除いて、この穴を強調する形で、店に置かれている。クッションが置かれなくても十分にこの椅子が好ましいと感じさせる形を保っている。

2016/07/24

「生活科学」という学問分野はいかにして可能か(II)

Img_1194 放送大学の期末試験は、今が真っ最中である。朝、幕張地区のビル群を横目で見て、青空だらけの道をつき抜けると、千葉学習センターの駐車場が見えてくる。いつも、おはようございますと、玄関で挨拶する守衛さんたちは、自動車の整理に追われて、外に出ている。すでに、駐車場は満杯だ。

Img_1196 最近の関心事の一つに、「生活科学」という学問分野の本質とは何だろうということがある。じつは先月になってしまったが、放送大学博士課程の「生活健康科学」プログラムの報告会という催しが非公開で行われて、オブザーバーとして出させていただいた。わたしの所属する「社会経営科学」プログラムは社会科学で、このプログラムは、「生活科学」を基本的な方法として考えているという違いがある。

Img_1195 報告会の内容については、非公開の場なので、ここで言うことはできないのだが、わたし自身の感想として、「生活科学」と「社会科学」とはどこが異なるのか、という当然の疑問が湧いてきたのだった。それで止せば良いのに、つい口が滑ってしまって、「生活科学」などという学問が成立するのでしょうか、などと素人発言をしたものだから、その場にいた「生活健康科学」プログラムの先生方から随分と顰蹙を買ってしまったのだった。

Img_1191 「生活科学」の源流には、幾つかの流れが存在することがわかっている。社会学では家族社会学やライフコース論などの系譜が存在することはよく知られているのだが、彼らは社会学の流れの中に収まっていて、「生活科学」という形で外へ出ることはあまりない。やはり「家政学」という分野の系譜との関係は深いと見ることができる。個人化の影響を受けて、家庭生活を中心に衣食住を考察してきた家政学が成り立たなくなって、個人が衣食住の活動の中心的な役割を担うようになったという認識が広がったのだ。家政学がその名の通り、家庭生活の中での人間と環境との関係を見ることにあるが、この観点が家庭の中での個人化の進展や、個人と社会とのダイレクトな関係が発展するにしたがって、家庭という視点が次第に失われるようになったと、これはやや早計だと思われる面もあるが、家政学会が積極的に認定してきたことを示している。ここには、社会福祉の進展が社会の側にあったし、さらに「生活者」という個人化の象徴が発達したことが作用しているのだが、果たしてその通りに、生活科学は発達してきているのだろうかという疑問が未だに存在するのだ。

Img_1193 このような事情は知っていたのだが、今回じつは、タイミングの良いことに、生活健康科学プログラムの博士課程のKさんと、二日間にわたって議論する機会を得たのは、幸せなことだったと思う。「経済学研究法」という授業を15回分、つまりは約22時間ぶっ通しで授業を行う、という過酷なカリキュラムだ。けれども、研究法の方は、ほどほどに済ませて、Kさんのテーマに沿って話し合いを進めたところ、この議論が盛り上ったのだった。Kさんはたいへん意欲的で、前の晩から本部に泊まり込んで、レポートを仕上げてメールで送ってきていて、準備万端で臨んできたのだった。

Kさんの博士論文のテーマは、患者と歯科医との関係を扱ったもので、まさに「生活科学」なのか、「社会科学」なのかが凝縮されて、問題状況として出てくる面白い対象だと言える。このテーマに沿ってでさえ、「生活科学」と「社会科学」との違いについて、おおよそ5点から6点の中心的な問題が明らかになったのだ。久しぶりに、議論から練り上げていく論文作成の醍醐味を味わうことができたのは、喜ばしい限りだ。いずれ、博士論文として現れてくるだろうから、暖かく見守っていきたい。詳しいことを知りたい方は、来年には成就されるであろうKさんの博士論文をぜひ読むことをお勧めしたい。

2016/07/23

「生活科学」という学問分野はいかにして可能か(I)

昨年書いた文献紹介の文章が1年あまりが経って、

ネットで公開することが解禁となった。遅ればせ

ながら、再掲させてもらう。

(季刊家計経済研究 2015 AUTUMN No.108

掲載)

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なぜ家計経済研究の方法は転換されたのか? 

・・・『御船美智子論文集』(2015)を読んで

 『御船美智子論文集』が光正館から発刊された。

御船氏が6年前に他界して、かつての仲間たち・

後継者たちが彼女の代表的な著作を集めて編んだ

書物である。御船氏個人の著作活動全体がわかる

だけでなく、彼女が1977年に24歳で一橋大学の

大学院生として著作活動を始め、2009年に55

で「家計経済研究」の中枢のひとつたるお茶の水

女子大学生活科学部教授として研究を終えるに至

る「時代の変化」を感じることができる論文集に

なっている。今日興隆してきている「生活科学研究」

の源流のひとつがここにあることのわかる書物だ。

 「刊行によせて」の中で、岩田正美氏(日本女

子大学)が「(彼女の研究は)家計構造だけでなく、

家計管理組織、生活主体論にまで広げた野心的な

ものに高まっていた。その狙いとするところは、

従来の家計構造の限界を超え、家族社会学やジェ

ンダー研究とも異なった意味での、経済を基礎と

した生活関係の総合的研究であった」と的確に述

べているように、彼女が生き、また研究対象とし

た時代はちょうど旧来からの近代経済学的な消費

経済学や家政学的な家計管理論から脱して、生活

者を中心とした「生活科学研究」が求められる時

代に到達していた。

 全体の章は、御船氏が取り上げた家計経済の

キー概念である「生活経済の体系」「生活経営」

「消費者教育」「家計の長期研究」「家計組織研究」

「生活政策」の順に、全6章が構成され7つの解題が

付され並んでいる。この章の中に、それぞれ2

から5本の論文、全体で18本の主要な御船論文が

収められている。

 これらの論文の魅力は、各章の解題を書いた彼

女の仲間たちによって余すところなく伝えられて

いる。解題を読んで察するに、御船氏の論文は大

きく二つに分類される。ひとつは、色川卓男氏(静

岡大学)、上村協子氏(東京家政学院大学)、磯村

浩子氏(日本消費生活アドバイザー)の解題で代

表されるような、ざっくり言うならば、生活者概

念の「主体性」「自律性」を強調する論文群の存

在である。第2章の解題で、上村氏は「(御船氏は) 

生活の自立と消費者の自立を図るキー概念として、

自律的アイデンティティに注目した。役割を超え

て、統合して生き生きとした生活を営むことを志

向した」という、いわゆる生活創造論を構築した

と指摘する。また、磯村氏は第3章での消費者教

育のあり方として、「消費者自身が主体的な意思

決定を行うためには、学習すべき内容を体系的に

組織する必要がある」と御船氏が述べていたこと

を取り上げている。

 もうひとつの御船論文の方向性は、同じく解題

を担当した中川英子氏(宇都宮短期大学)、重川

純子氏(埼玉大学)、李秀眞氏(弘前大学)によっ

て指摘されている。御船氏が従来の家計簿分析や

家計管理論の限界を認識し、新たな「家計組織研

究」を行ったとする論文群が存在すると考えられ

ている。第4章の解題で中川氏は「狭い意味での

家計では対処できず、家庭生活の経済としての視

点を進め、さらには経済全体を生活の視点で再構

築することも視野に入れ、課題の達成方法を探る」

という家計経済研究に踏み込むべき時代を、御船

氏が感じていたことを指摘する。さらに、第5

の解題で重川氏や李氏が指摘するように、御船氏

は夫婦間における財産形成の不平等性を指摘し、

「ブラックボックス化していた家計の内実を可視化

し、世帯内経済関係のジェンダー不平等を示し、

それを踏まえた社会の仕組みへの提案」をすべき

とする。

 これらの二つの傾向で真に注目すべきは、この

傾向が御船氏の論文特性にとどまらずに、時代を

反映したものになっている点である。色川氏が「は

じめに」の中で、御船氏の「分野別業績数の推移表」

を掲げている。これによると、御船氏の著作は前期、

中期、後期の三つに分かれる。第1に、彼女は前

期の1970年代後半から1980年代前半にかけて、「家

計の現状」分野に力を注いでいたことがわかる。

ここでは、家計の個別化を指摘し、「個計化」と

いう言葉をはやらせている。第2に、中期の1980

年代後半から1990年代前半には、「生活経営」と

「家計組織」分野に重点があり、「家計組織化」研

究をリードした。そして第3に、早すぎた後期の

1990年代後半から2000年代前半には、「生活経済」

に関する業績が最も多いという結果が示され、そ

のなかでは「生活者」概念を家計経済へ持ち込ん

だ研究を集中させている。これらの研究は、時代

の趨勢を反映していた。

 ここで御船氏にとっておそらく最大の問題だっ

たのは、なぜ家計組織研究から生活者の経済研

究へ転換しなければならなかったのか、という点

である。中期において実りある家計組織研究を成

功させていて、家計組織の内部構造タイプを次々

に実証研究で明らかにさせていたにもかかわらず、

なぜ後期においては、組織研究をあえて諦めて、

生活者の経済研究への転向を行う必要があったの

か、という疑問がある。組織研究の実証実績があ

りながら、あえて理念的な生活者概念にこだわっ

たのか、という点が御船氏の示している事実であ

り、かつわたしが疑問とするところでもある。組

織から個人へ方法的関心を移したのは、きわめて

不思議な転換であると思われる。

 推測であることを留保して述べることが許され

るならば、第1に、前期に御船氏が明らかにした「個

計化」という家計の傾向は、彼女の頭のなかでは

意外に大きな位置を占め続けたのではないかと推

測される。共働き所得増大や財産所有の個別化な

どの家計組織に与える影響を予知しており、家計

システムはいずれ崩壊するとみて、これに対処す

る個人概念の考え方を立てる必要を感じていたの

だと思える。第2に、ジェンダー研究からの影響

は大きかった。家計の内部組織研究で、「ジェン

ダー格差」が依然として続いていることを明らか

にしたために、この状況からの理論的脱却を必要

としていた。これは時代の要請でもあった。第3に、

「生活者」という理念に対して、かなりの理論的肩

入れを行っていた。近代市場社会で断片化された

消費者・労働者という概念に対して、役割分業を

超えたもっと包括的な生活者像を御船氏は求めて

いたのである。

 じつは、ちょうど彼女が中期から後期への転換

を終えてしばらく経ったころ、『季刊家計経済研

究』43号(1999)が御船氏とわたしとの対談を

設けてくださった。多くは御船氏の動向をお聴き

して和やかに進んだのだが、唯一かなり鋭く対立

した点があった。それは家計の共通資源・共同資

産などの「家計のプーリング」というシステムを

めぐってだった。御船氏は生活者が存在して、個

人的ネットワークを形成すれば、家計というシス

テムは存在しなくてもよいと主張した。他方、わ

たしは個人的ネットワークが形成されたとしても、

家計システムは存在するし、また保たれるべきだ

と主張した。今になって振り返るならば、その後

の時代は確実に御船氏がおっしゃった方向へ進ん

でいる。けれども、依然として家計システムのプー

リングは存在することも確かである。今となって

は昔懐かしい対立であり、いまだに帰趨は明らか

でないのだが、この点はじつは御船氏が「結節点

としての家庭概念」を捨象する方向へ進んでいた

とする、本書32頁の色川氏解題の中での証言とも

符合することなのである。

 わたしが思うに、この点がなぜ今日でもなお曖

昧なまま残されているのかといえば、「生活者」と

いう考え方が、古い考え方にもかかわらず、「生

活科学研究」の中でいまだに定着できないでいる

からだと思われる。消費者や労働者などのバラバ

ラな役割を統合するとする理想的な「生活者」像

は理念的には素晴らしい考え方であっても、現実

の世界でこの概念が実際に受け入れられるところ

は、消費者概念に比較すればそれほど多いとは言

えない。そのことは今日の消費者庁や消費者基本

法の名称選択においても、残念ながら明らかであ

る。「生活の視点」が重要なことは多くの人が認

めるところであるにもかかわらず、「生活者」とい

う概念が、いつの間にか手垢にまみれて姿を消し

てしまうのではないかと危惧している。

 他方、そうは言っても、じつは最後に申し上げ

たいのは、今回論文集という形で、御船氏の仲間

たち・後継者たちが予想以上の頑張りをみせてい

ることを知ることができたことで、わたしは僭越

ながらこの数年間の彼らの努力に対して敬意を表

し、率直に喜び、同時に最高のエールを送りたい

気分になったのも事実だということである。

『御船美智子論文集』(2015

光生館、2015年、328ページ、3,000円(税別)

 

(季刊家計経済研究 2015 AUTUMN No.108

掲載)

2016/07/17

夏期合宿の二日間

Img_4286 夏期恒例の大学院ゼミナール合宿が始まる。今年度、いつもゼミを開催する、セミナーハウスの研修室には先着予約が入っていて、残念ながら利用することができなかったのだ。そこで放送大学本部の部屋の中でも少し広い、本部西研究棟8階のラウンジを使用することにした。Img_4282 先週のうちに借りておいたパソコンやスクリーン、マイクにスピーカーなどを午前中に運ぶ。放送大学も御多分に漏れず、経費削減が激しくて、このような準備はすべて教員が行うのだ。運ぶのは良いのだが、このラウンジの机はがっしりしすぎていて、会場のセットに時間がかかってしまった。幸い、早く来たAさんが一緒に手伝ってくださったのだ。

Img_4290 全部で述べ30名の方々が今回参加してきている。先生方も5名体制で対応したし、さらに修士課程を修了したOBHさんとYさんが駆けつけてきて、議論に参加してくださった。二日にわたって、10数人ずつが分かれて発表を行うことになった。途中、懇親会が一日目の夜に行われるために、一日目で発表を終えた方々はすっきりした気分で懇親会へ出ることができるが、二日目の発表を行う方々は、気もそぞろとなる。懇親会での話題は、発表内容が多くなるので、一日目に発表なさった人々は、内容を知ってもらっていることもあり、質問を受けやすいのだ。この点でも、有利に働くが、こればかりは順番で仕方がないだろう。二日目には、震度3の地震も来た。このビルの8階にある合宿会場がかなり揺れたのだ。

Img_4298 今の季節には、それぞれの研究論文にとって、一つの転換期を迎えているのではないかと思われる。M1の方々にとっては、4ヶ月くらいかけて先行論文を読んできて、そろそろ研究の方向性への筋みたいなものがいくつか見えてきた頃ではないかと思われる。この「筋」というのものは文脈を作る上で大切だから、大事に育てていただきたい。M2の方々には、そろそろ草稿に取り掛からなければというプレッシャーがかかる時期だ。ここで急がずに、一息つくのが良いのだ。つまり、今までやってきたことを、1日かけて考え直す余裕が欲しい。白紙と鉛筆一本だけを持って、一部屋に閉じこもって、数時間かけて集中的に「結論」を検討していただきたい。とりわけ、草稿の文脈がこの結論と有機的な関係を持つように考えていただきたい。

Img_4301 今日のゼミが終わり懇親会まで、1時間ほど余裕を見てスケジュールを立てたのであったが、結局超過してしまい、店に着くのが遅れてしまった。いつも夏の合宿では、近くの中華料理屋「ホイトウ(回頭)」にお世話になっている。今日も、他のお客に最初に少しうるさくなることを納得していただいて、議論と料理を楽しんだ。

Img_4284 隣の席には、島根大学の林業専門のI先生(農業経済学)が座っていたので、木材産業についての話で盛り上がった。その中で、「独林家」つまり林業の自営農民あるいは単独の森林所有者という人びとが存在することを知った。みんなが知っているように、現在の木材価格はかなり低迷していて、森林の山の値段は極端に安いそうだ。それで、I先生も「林家」になる夢を持っているのだ。わたしの祖先にも、「山師」の系統があったので、もう少し若ければ、この方向を目指し、山々を駆け巡っても良いなという妄想が、旨い紹興酒の酔いが回るほどに、湧いてきたのだった。植林された一山を数十万円で 買えると聞いたが、ほんとうだろうか。

第2日目は、朝9時始まりで、昨日と同様の人数の発表が待っていた。そして最後には、恒例の記念撮影を行って、部屋の片付けをして、ほぼ予定どおりの時間に終了したのだった。先生方、先輩諸氏、学生の方々、ご苦労様でした。帰りには、妹夫婦のご馳走に呼ばれていて、ここで二日間の疲れをすっかり落として、夜遅くなってようやく家路に着いたのだった。

2016/07/14

自由さと頑なさ

20160721_173313_3 社会的な動きが自分の人生に影響を与えることがあるのだが、ふつうは直接的ではなく間接的であって、それらはじわじわと「社会化」過程として、わたしの中へ入ってくるのだ。けれども、交通事故や自然災害と同じように、その社会的な動きが直接的な動きとなって、わたしの中に入ってきたことが、これまで数えるほどではあるのだが、数例あるのだ。


http://www4.nhk.or.jp/anotherstories/x/2016-07-13/10/8680/1453030/

なぜこの時期にこのドキュメンタリーが流されたのかはわからないところがあるのだが、NHK「アナザー・ストーリー」で流された「東大安田講堂事件~学生たち 47年目の告白~」を観る。

20160721_173227 若い人たちにはこの出来事は馴染みがないだろうが、この番組の謳い文句は、次のようなものだった。「1969118日。学生たちが立てこもる東京大学・安田講堂を警察機動隊が包囲した。警察の催涙弾と放水に、火炎瓶や投石で抵抗した学生377人が逮捕、その姿はTVで生中継された。あのとき何が起きていたのか?事件から47年、学生の中心メンバーや機動隊員らが、初めて詳細な証言を始めた。発端となった小さな火種はなぜ大きくなったのか?対峙した大学の極秘資料も公開、東大・安田講堂事件の真相に迫る」という宣伝がNHKのウェブサイトに掲げられていた。1969年の1月に、最終的に東大本郷で起こった、機動隊による安田講堂からの学生排除という事件である。

これまで、この出来事の学生側の証言記録は多数公開されてきているが、大学側の「極秘資料」が公開されたことはなく、この度当時の東大総長の加藤一郎氏をはじめとして関係者が全て亡くなったのを機会に公開された、ということが今回の番組が作られた理由らしかった。「極秘」の内容と言っても、結局は東大という大学組織にとって、当時何が一番重要で優先されるべき事柄だったのかが明らかにされたということに留まる。思想や考え方がわかったわけではない。優先されたのは、今回の番組によると、「大学の自治」であり、それは「東大入試」がその時行われるか否かにかかっていたということだ。結局、これ以降、それまでの「大学自治」というものはありえなくなったと言える。しかし考えてみれば、それ以前にも大学自治などというものが成立していたのかと問われるなら、大学全体の話し合いなどは行われてきた歴史は日本にはないので、このことが改めて確認されたということだけなのかもしれない。

この出来事は、わたしの人生の中では直接的な影響を持った事柄である。当時、都内に住んでいて、高校3年生の身で大学受験を控えていた。また、高校でもそろそろ火の手が上がる時代に突入していたのも事実である。この出来事は、前年6月の医学部での学生闘争が発端となっていた。東大構内は、前年の7月当時はまだ牧歌的な雰囲気だった。本郷では、大学院生たちが、夏休みの空いた講義室を使って、高校生相手の受験講座と教養講座を開いて、小遣い稼ぎを行っていた。映画「戦艦ポチョムキン」を見たのも、この時だ。都内に住む多くの高校生が大学院生たちの講座に通った。現在の大学では、オープンキャンパスと称して、高校生向け無料出前講座を行っているのだが、当時は高校生が授業料を払って、本郷へ通ったのだ。すでに、紛争が起こっていたにもかかわらず、構内は夏休みということもあって意外に静かで、化学の授業や「抵抗権」などの教養講座に出たことを記憶している。最後は歌を歌って締めるのが通例となっていた。共産党と区別するために、ボルシェビキのワルシャワ労働歌などを、肩を組んで歌ったのだ。にわか労働者気分が恥ずかしかったのだが。

それで問題の、わたしたちの入試期間に突入することになって、戦後の歴史の中で唯一東大入試の存在しない、混乱の1969年を迎えたのだ。成績の良かった高校の同級生は、京大や阪大を受験して東京を離れることになった。わたしは成績が悪かったために、他の大学を受けるが失敗し浪人することになった。同級生たちと、このことをときどき話す機会がある。東大入試がなかったことで人生が変わったことは多少あるかもしれないが、それはそれでそのような人生もありうるだろうとみんな考えていて、これまで非難する人には巡り合ったことがない。むしろ、みんな地方へ散ったことで、自由さが増したものと思っていることは確かだ。「造反有理」や「自己否定」や「東大解体」などの彼らの運動とは別の形で、実際問題としてわたしたちの問題として、この出来事を乗り越えて、自分の人生を形成する必要があったというところなのだ。

このドキュメンタリーの中でも指摘があったが、彼らの運動の中でこれ以降の社会やわたしたち自身へ大きな影響を与えたのが、「連合赤軍」問題、つまり「セクトの限界」問題だとわたしも思う。「頑なさ」という非寛容問題が、セクト(党派)にはどうしても発生してしまうのだが、それをいかに解決できるのかが、重要だと思うようになった。すでに、安田講堂事件の最中から、内ゲバなどの組織内や組織間の対立がセクトというものの「頑なさ」を代表していた。理性主義を批判するものとして、感性としての暴力を持ち込んだのだが、逆に暴力の「頑なさ」が感性をも封殺するようになったのだ。

20160721_173144 最後まで安田講堂に立てこもった377名の逮捕者の一人として、このドキュメンターに代表して出ていたT氏には、わたしがアルバイトをしていた研究機関でお世話になったことがある。逮捕からすでに数年が経っていて、彼は研究プロジェクト・リーダーから青年実業家への道を歩みつつあり、非常勤研究員として研究に関わっていた。じつは、この研究機関で二人の非常勤職員が首になりそうになって、非常勤職員だけで団結して、その人たちの首をつないだのだ。この時の団結力を集める手際の良さと、交渉戦術の巧みさには惚れ惚れした経験がある。彼が強調していたのは、それぞれの立場があるのだから、交渉の席上ではみんな別々の戦術で色んなことを多様に発言しよう、というものだった。もちろん、団結は必要で、標語スローガンを掲げることは忘れなかったのだが。このような個人の自由さを活かしながら、集団をまとめていく方法は、きっと安田講堂で学んだことだろうと、当時思ったのだ。この経験の中で、彼は「頑なさ」を超越して、「自由さ」を獲得する術を身につけたに違いないのだ。

http://www4.nhk.or.jp/anotherstories/x/2016-07-13/10/8680/1453030/

2016/07/13

映画「ブルックリン」を観る

Img_1183 映画「ブルックリン」を観る。この映画は、アイルランド出身の女性(エイリッシュ・レイミー)が移民としてニューヨークへ渡り、そこで成長を遂げ、故郷アイルランドへの郷愁と、つまりは親密な関係とから脱していく物語である。アイルランドという「近くの循環」への思いがありながら、NYという「遠くの循環」へと旅立っていくとする、いわゆる世界を巡ってつなぐ「女性循環」という普遍的な話なのである。アイルランドにおける内循環に止まって、地元アイルランドの男性と結ばれるのではなく、ニューヨークにおける外循環のイタリア男性と結ばれる。もちろん、一人の女性の細やかな心の動きあるいは揺れが、第1のテーマであることは間違いないのだが、同時に第2のテーマとして、アイルランド人やイタリア人がニューヨークでどのようなつながりを見出しているのか、という点にも興味深い観点を持つものだ。

Img_1186 映画の出だしに映るアイルランドの田舎道、石畳、アイルランド風の煙突のある長屋は、それを見るだけでも素晴らしい。母や姉との手紙での仔細なやり取り、アイルランドでの友人との交流、そして揺れる女心というものは、その振幅には不合理で不思議な感じを受けるのだが、それは男にはわからない微妙な心理が反映されていて面白いのだ。この女優には好き嫌いはあっても、数々の主演女優賞を取っていて、高い評価が下されているのには、それなりの理由があるように思われる。

Img_1180 ニューヨークで聞くケルトのトラディショナルなダンス音楽は、良かった。特にダンスの中で、フィドロを使ったシンプルなワルツ曲が流れていて、この点も映画を盛り立てていたと思う。アイルランドの田舎からブルックリンへ渡ったアイルランド人たちが、どのような思いで週末のダンスホールを楽しんだのか。想像するに余りある。

アイルランド移民で、国に帰るに帰れなくなった貧しい老人たちが、カトリック教会の施しに集まってきた場面があった。ここで、アカペラで歌うアイルランド民謡を聴いて、みんなが涙する場面には、共感するものがあった。ローカルな心持ちにグッとくる場面だ。「ふるさとは遠きにありて思ふもの そして悲しくうたふもの よしや うらぶれて異土の乞食となるとても 帰るところにあるまじや」という感動がある。

この女性主人公が、ニューヨークの夜学大学に通い、簿記の勉強をする場面がある。その大学では、日本の大学と同様に、教師が自分勝手な理論を衒学的に喋っているのだが、それを聞き流す寛容さを発揮する場面が出てくる。寛容さという点で放送大学と似たところがあるかもしれないが、この寛容さが大学では大事だと思う。そして、次の時間の授業に入っていくのだ。

2016/07/12

映画「ラスト・タンゴ」を観る

Img_4270 映画「ラスト・タンゴ」を観る。久しぶりの千葉劇場だ。ちょうど明日の教授会とコース会議に出席のため、千葉市内へ来ている。千葉駅前から、かつて父や母の看病で通ったバス「千葉大学病院」行きに乗って、中央二丁目で降り、パルコの裏道を行くと、喫茶店「呂久呂」が左側にある。

Img_4271 ランチ「具沢山の野菜スープ」と厚切りトースト、食後に自家焙煎のコーヒーを飲む。そのあと、近くのコーヒーの豆専門店で、明日のコース会議用に浅煎りの「マンデリン」を400グラム購入する。

Img_4275 アルゼンチン・タンゴがなぜ世界に広まったのか?この映画は、タンゴ革命を起こした伝説のペア、「マリア・ニエベス」と「フアン・カルロス・コペス」の愛と断絶を描いたドラマ仕立てのドキュメンタリーだ。特に、断絶以降が俄然面白くなる。なぜ喧嘩しているのに、踊りはさらに円熟していくのだろうか。ここのところで、本人たちが出演し語り、かつ、若手のダンサーたちの踊りがイメージを膨らませる映画だ。バンドネオンがパッ、パッ、パッと、切りの良いリズムを刻み、全編が進行していく。

Img_4277 マリアとフアンは、14歳と17歳で出会ってから、50年近くもペアを組んで踊り続け、世界的に有名になる。しかし、栄光の陰では何回にもわたって、愛と裏切りが繰り広げられていた。特に後半では、愛憎を芸術的なタンゴ・ダンスに昇華するところを描いていて、対立からの協調が描かれるのだ。そしてついに、1997年の日本公演の後、コンビを解消する。

Img_4276 映画の中で描かれている「テーブル上のタンゴ」という踊り方は、二人の限定された踊りを象徴しているように思われた。踊りの会場から出て、「橋の上や道路でのダンス」は、二人の開放的な踊りを表していると感じた。このような想像力溢れるダンスを見ると、なぜ50年間も踊り続けることができたのか、ということを思わずにはいられない。

Img_4273 評論家たちが指摘しているのは、前半生のペアとして、互いに愛し合って、ダンスをするときには、二人の視線が一致しているのだが、これに対して、断絶のあと、視線は合わず別のところを向いているという点だ。さらに、それにもかかわらず、踊りは良くなっていくというのは、どういうことなのか。

Img_4268 前半で、ペアとしてのパートナーシップの基本的な合意が行われてしまうと、後半で愛情のパートナーシップが失われようとも、ダンスのパートナーシップには影響を与えないということになるのだろうか。ここで、むしろ個性を限りなく発展させて、憎しみの中からでも、協調が生み出されるという逆説が生ずることになるのだ。けれども、これには肉体的・精神的な負担が相当なものであることは確かなのだ。Img_1163 最後は、フアンの現実の妻がこの状況に耐えられなくなる。二人の相互作用だけでは、世界は形成できず、三人以上の社会が支えなければ、「ペア」という関係も最後はうまくいかないのかもしれない。

Img_1164 今日の椅子は、喫茶店「呂久呂」の椅子だ。ここの曲木椅子は、年季が入っていて、座面と背中が当たる曲木の塗料が薄くなって、明るい黄色に変色している。1日数人、けれども合計すると、何万何十万人の人がこの椅子に腰掛け続けた結果なのだと思われる。木製椅子の価値は、このように地肌が出るほどに使い込まれるところにあるのだ。

2016/07/10

京都へ来ている

Img_1102 京都へ来ている。大学院のゼミナール開催のためだ。博士課程のFさんが島根に住んでいて、Hさんが関西在住で、さらに修士のNさんが同じく関西なので、わたしの横浜在住というのがずっと引っ張られて、今回は変則の大学院ゼミとして、京都学習センターで開かれることになった。今回がうまくいくならば、1学期に1回程度、関西から岡山さらに島根で開催するゼミを定例化することを考えても良いのかもしれない。

Img_1105 問題はあるのだ。今日はたまたま京都学習センターの部屋が空いていてゼミができたのであるが、じつはこのセンターでは、いつもこのようにすんなり予約が取れる保証はないのだ。それで、京都出身のHさんに聞くと、幾つかの他の選択肢がありそうである。また、京都学習センターの事務長の方にも相談したら、幾つかの候補が上がってきたので、何とか粘って探してみたい。もっとも、有料にはなってしまうのだが、それでも静かなゼミ室が確保されるのであれば、それに代わるものはないと言える。

Img_1106 これまで1月の合宿では、同志社大学の講義室をN先生との合同ゼミということでお借りしてきたのだが、今年度はN先生の担当学生が全部修了なさってしまい、一人もいなくなってしまったので、N先生にお願いするわけにはいかなくなったのだ。そこで、半年も前から会場探し、ということになっている次第だ。京都大学のG会館とか、S庭園とか、ということが実現されればこの上ないのだが、なかなか難しい。Img_1107 少し奮発して、前回使った京大医学部のS会館ということもありうる。けれども、会場探しも京都の場合には、他に素敵な場所が数多くあり、たとえば東京圏ではM先生の著書「権力の館」を見れば良いのだろうが、京都にもそれに類した魅力的な場所があり、選ぶ楽しみだけでも満喫できるのは良い。

Img_1110 午前中に、新自由主義についての議論を行い、午後から博士後期課程の方々との消費者社会論、社会ケア論などの議論が続いた。このような1学期に1回のゼミというのは、まとめて数回分に当たるために、じっくりと考えることができるというメリットがある。少人数で、長時間、しかも転地効果が働くのだ。

Img_1108 学習センターは6時には閉館になってしまうので、後の残った話や議論は、オフ時間を利用することになる。京都駅近辺では、いつも適当なところがなく困っていたが、今回はHさんの誘導で裏道へ入っていく。ちょうど開店1周年記念だという店「たかひとり」に当たる。1軒目にして、落ち着けるところを見つけることができたのは幸いであった。鴨料理を得意とするところだが、鹿肉や猪肉もある。ビルの地下室にあるために、10人足らずでいっぱいになってしまう。予約をしてなかったので、最初は断られると思っていたが、若いご主人が席を詰めてくださった。

Img_4235 Fさんの本職は公務員なのだが、同時に実家の寺の住職を継いでいる。その寺の総本山が京都にあって、明日は儀式に出席しなければならないそうだ。法衣を持参のゼミナール参加だ。想像するに、これは相当な忙しさである。それを克服して、ゼミに参加してきているのは素晴らしいと思う。学者の方で、住職を兼ねている方は、京都を中心にしてかなりの数がいると聞いているのだが、学術と宗教とには似たところがあるのかもしれない。

Img_4236 京都の夜は、姉小路にある「Kocsi」で静かに過ごすのが、定番となりつつある。夜食には、ここのキッシュとワインをとった。今日のゼミナールでの議論を振り返る時間をたっぷりととることができた。今日の議論で共通に問題となったのは、消費者社会にしても、ケア社会にしても、なぜそのような社会が崩れ、かつ成立するのか、という生成の問題点が浮き彫りになった。議論は多岐にわたったので、うまく整理して、次の議論につなげてもらいたいと思った次第だ。Img_4241 ここには書くことはできないが、多くの魅力的な言葉やアイディアが満載の議論だったな、という感想を持った。Img_4245 以前にも書いたが、麩屋町あたりの町屋には、老舗が並んでいて、ショーウィンドーがギャラリーになったりしている。この「デルフトタイル」の白と藍の組み合わせを見つつ、夜の散歩をして、宿へ至る。

Img_4242 次の日も午前中11時まで、部屋を使えるので、これまで溜まっていた大学院関係の仕事をまとめて片付ける。幾つか整理していくうちに、問題点が見つかり、さてどうしたら良いのだろうか。

Img_1117 これも定番となりつつある京都での昼食は、柳馬場通りにある「菜根譚」にて、白胡麻担々麺だ。これも一年に1回は賞味したい味だ。とくに、今日のように暑い日には、この濃厚なスープに乗った、程よい辛さが似合っている。Img_1121 玄関を入ると、町屋特有の土間が奥まで続いている。静かな奥の板の間に通される。そこの小さな卓袱台に案内される。担々麺を食した後に、さっぱり感が凝縮されている杏仁豆腐を頼んで辛さとのバランスをとる。

Img_1119 さて、今週からはゼミ合宿や試験週間、さらに採点が目白押しなので、まだまだ夏休みは遠いのだが、その準備を行っておきたい。Img_4262 静かな喫茶店で、まとめて読書をしたいと思ったのだが、京都の月曜日は博物館や美術館はほとんどお休みで、それに呼応するかのように、行きたいと思っていた喫茶店も閉まっているのだ。Img_4264 四条に出て、喫茶店「ソワレ」定休。喫茶店「エレファント・ファクトリー」定休。という道筋を辿っていると、木屋町の高瀬川沿いへ出る。ここには以前から、廃校になった旧立誠小学校の校舎・講堂がまだ建たっていて、現在ではコミュニティ活動の拠点となって解放されている。Img_4267 Img_1125 Img_1128 Img_1131 この正面玄関を入ったところに、喫茶店「Traveling Coffee」を見つける。京都の繁華街の真ん中に、オアシスを見つけた思いだ。新幹線までの数時間をほぼこの空間を独占して過ごす。コーヒ1杯300円なり。静けさや学び舎にしみいる抽出珈琲。Img_1145 Img_1144 Img_1143 Img_1142 Img_1141 Img_1139 Img_1134 Img_1136 Img_1146 Img_1153

Img_1115 今日の椅子は、「Kocsi」のスペイン風長椅子と、年代物の応接椅子だ。いずれもアンティークショップで見るようなものだが、今日の喫茶店でこのような古い椅子が好まれて使われる理由があるように思われる。Img_1122 それは、現代人にとってはノスタルジアは解放の要素だという点だ。現代人は現在に追われているから、逃げる先は未来か過去かになると思われる。落ち着けるのは、やはり過去で、この椅子の古さがそれを呼び起こしていると思われるのだ。Img_4234 Img_4252 Img_4243

2016/07/02

茗荷谷で卒研ゼミ

Img_1057 まだ梅雨明け宣言が出されていないにもかかわらず、連日猛暑が続いている。松本市へ行くとほぼ必ず立ち寄る、カフェ書店「栞日」が数軒先へ移転することになった。それで、現在のビルを滞在型宿泊施設へ作り変えるらしい。6月末を期限にして、その資金をネットで募っていた。もし目標額(200万円)へ達しなければ、その募金はチャラになってしまうという決まりのファンドだ。わたしが(ほんのわずかであったのだが)応募した頃には、それがまだまだ到達するのか、わからなかったのだが、あれよあれよという間に、最後の1週間になって、ググッと増加したのだった。驚いたのは、応募人数で、200人を優に超えたことだ。昨日締め切られ、結果が公表されていた。ほんとうにおめでとうございます。

松本の街に「仮暮らし」できる、毎週1組限定のホテル

松本という場所で、中長期滞在型というのは、良い狙いだと思われる。一年の中では、クラシックコンサートの季節もあるし、クラフトフェアの季節もある。秋には、クラフトピクニックがあるから、ずっと滞在する人には福音だ。けれども、きっとそれらの季節には、宿泊希望者が集中するから、何もない頃を見計らって、原稿を抱えて松本滞在というのは、想像するだけでも何か突き抜けるようなことが起こる予感がする。

先日、長崎を訪れた時に、やはり1階が自転車屋、2階が喫茶店、3階が宿泊所という複合喫茶店に遭遇したが、これからは滞在型で、このように気楽に住める施設が流行るのかもしれない。松本には、「まるも」や「布屋」のような、変形B&B形式の宿屋はあるのだから、これらと英国のBBの中間の形式があっても良いのではと思われる。英国のBBという形式は、日本の住宅事情からすると、ちょっと狭くて無理だと思われるから、ビルの部屋貸しという方が、手間もかからず、良いのかもしれない。ここから、日本的変形BBが育つことを期待したい。

Img_1058 今日は午後から卒業研究のゼミナールが茗荷谷で行われた。学習センターの玄関ホールへ入ると、この木彫というのか、木を重ねられた、首から上だけのキリン像が設置されていて、何となくノホホンという気分にさせてくれる。動物園に入ったという感じではないのだが、ちょっと異次元の空間へ入った気分にはなるのだ。Img_1062 題名が変わっていて、「人間が両手で出来ることについて考えてみた」と書かれていて、筑波大学の渡辺直氏の作品だということだ。このビル全体が学問の世界なので、頭だけが展示されているのだろうか。でも、キリンほどの頭しかないのだ。これに対して、人間は両手を動かして生活するのだよ、ということを喚起させてくれる。キリンを見て、わが振り直せ、というのだろうか。

Img_1063 今回のゼミも、いつものように、5人の方々の発表が続いた。7月になると、論文作成過程の半分を消化したことになる。S字型学習曲線の理論で言うと、ちょうど踊り場状態(プラトー状態)で、中だるみが来る季節だ。Img_1066 先が見えそうで、なかなか見えないという時期ではないかと思われる。論文作成では、必ずやってくる季節だ。ここをうまくいなすと、次の急成長時期を迎えるのだ。

今日はお客さんが加わった。北海道からわざわざ見学のために、このゼミに参加してくださったMさんだ。Img_1060 実は冒頭の話につながるのだが、「長期滞在」ということに興味があるそうで、なかなか魅力的な研究計画を持っていらっしゃる。来年以降、ぜひ研究実現を遂げていただきたい、とエールを送った次第である。

Img_1061 ゼミが終了してから、Oさんの提案で、Kさんが企画してくださった懇親会を行う。学習センターから出て、その昔印刷工場などがあった裏道を少し歩いた。桜並木が有名な播磨坂に出る。イタリアン料理のペッシェへ行く。日曜日のせいなのか、以前来た時と雰囲気が違っていて、家族連れやカップルでも、近所から来たようなグループが目立つ。写真機を持ってこなかったので、料理をお見せすることはできないが、ゼミの後の雑談を楽しんだ。

Img_1050_2 写真に写っている扉の後ろ左側に座っていた。今日の椅子は、大量生産の木製椅子だ。イタリアンの店には、このような安価で丈夫な椅子がなぜか似合う。頻繁に掃除をするので、軽く積み重ねることができる椅子が好まれるのだ。Shop01a 椅子の写っている写真がこの店のホームページにあったので、借用する。夜になって、心地よい風が少しだけ吹いてきた。

2016/06/26

宮崎面接授業の二日目

Img_1005 「アーツ&クラフツ経済社会入門」と題した今回の面接授業では、中世から近代に向かう様々な「デザイン運動」を紹介した。Img_1006 昨日の講義では、「デザイン運動」という、苦手の分野をいかに簡潔に紹介し、さらに「経済」との関係をよりシンプルに説明できるのかが、わたしにとっては問題だったのだが、無難に切り抜けることができたのは幸いだった。

Img_1011 講義の出だしでは、20世紀前半に英国で活躍したウィリアム・モリスの「アーツ&クラフツ運動」を導きの糸として講義した。この運動は典型というわけではないが、題名からして避けることができない。映像や写真もかなり手に入れてあり、これらのデザインは見ることができなければ、学生の方々も感ずることはでいないので、映像を用意しておいて、思った通りの講義になったと思う。最初はアーツ&クラフツについておぼろげな印象しかなかった方々も、おおよそのイメージを抱いたようだった。Img_0967 モリスの中ではちょうどデザインと経済が交差していて、扱いやすかったのだ。面接授業の参加者たちも、モリスの名前は多少知っていても、経済との結びつきまで想像できなったみたいで、スタートの話は順調に進んだ。

Img_0969 その後、近代のデザインの中で、とりわけ経済社会に関係するのは、建築やデザイン運動になるのだが、ちょうど近代の建築とインテリアの関係を述べるなかで、とりわけ注目したのは、「バウハウス運動」であり、デザインの系譜と経済との関係を明らかにしていくことができた。Img_0962 問題は、中世の手仕事と、現代の手仕事と経済的に見て、どこが異なるのかという点にある。

Img_0988 昼食は、またしてもイタリアンとなった。ピザの店「ボンリッサ」で石窯ピザだ。日曜日だということがあって、玄関を入ると、左右の部屋の席はほぼ満席である。予約を取っているかと、石窯でピザ焼きを行っているご主人に聞かれて、取っていないと答えると、カウンターの席を用意してくれた。ここからは、窯もよく見えて、ピザを窯に入れ、どのように焼くのかが手に取るようによく分かる。Img_0991 このような作るためばかりではなく、見せるための窯というのは、料理人にとっては、ある種の見せ所なのだ、自信の表れなのだと思った。窯へ入れる時に使う長い柄のついたヘラをくるくると、天井を突き抜けていくくらいに回して、リズムを取っている。Img_0989 自然に身についた職人の癖みたいなもので、これは見ものだ。ご主人の汗はかなりのものだった。冬にはこの石窯が暖房替わりになるとしても、これからの夏には、ちょっと近くには寄れないだろうなと推測したのだった。薄焼きで、外パリパリ、内モチモチタイプのマルゲリータが出来上がってきた。これから、午後の講義がなければ、白ワインが欲しいところだ。

Img_0998 学習センターの方々に、宮崎牛の店を聞いたのだけれども、昨日行こうと計画したフランス料理の店しか、この辺では思い浮かばないとのことだったので、あっさりと諦め、他の可能性を追求することした。Img_0996 昨日、散歩をしているうちに、駅から北のほうへ歩いていったところに、とんかつの店を見つけていたのだ。ホームページで見ると、宮崎で一番豚肉が旨い店として紹介されていたのだ。Img_4199 それで、講義が終了した後、レポートの採点の途中ではあったのだが、その店「不二かつ」本店へ出かけることにしたのだった。

Img_4206 まだ夕方の5時だというのに、店内へ入ると、椅子に腰掛けて順番を待っている人々がいるのだ。一人だと告げると、やはりカウンターの真ん中を用意してくださった。眼の前で、肉が出てきて、コロモをつけ、次から次へと油で揚げられていく。Img_4201 3人の分業体制を十分に観察することができて、食欲だけでなく、仕事のタイミング、流れ作業のネックなど、面白い場面が見られたのだった。肉を準備することと、揚げることは、見せ場なのだが、それほど手がかかるわけではない。やはり、コロモをつけるところがネックになるところらしい。

Img_4202 次の日の午前中は、レポートの採点と整理に費やした。大雨が来るらしいという予報があり、なんとか日向市の駅に着くと、その途端に大粒の雨が降り出した。若山牧水の生まれ故郷だということで、至る所に牧水の句を見ることができる。大雨に濡れ始めた駅広場の碑には、有名な旅の句が刻まれていた。また、駅の中の句は、故郷を歌ったものだった。

幾山河超えさり行かば寂しさのはてなむくにぞ今日も旅ゆく

Img_1001 日向灘ぞいに日豊本線が南下していく。宮崎らしさは、なんといっても、このヤシの木だろうか。この激しく降る雨に似合っている。しっとりとした南国の空気を感じながら、木製のシートで作られた素敵なJR九州のCT列車に揺られたのだ。Img_1015 航空機まで時間が少しあったので、宮崎市内を散歩した。砥部焼を売っている民芸店「日向路」などを散策して、ジャズ喫茶「Lifetime」でハンバーグランチ。食事の後、さらに少し時間があったので、残っていた面接授業のレポート整理を一気に片付けてしまう。Img_1018 この全体結果は、後の長野と札幌が終了したのち、ホームページを通じて、お知らせしようと考えている。受講生の方々は、12月には忘れずに、このページへアクセスしてほしい。きっと興味深い集計が現れていることだと思われる。でも、11月までみんな覚えているかな。

Img_4233 Img_1024

今日の椅子は、JR九州のCT列車の座席シートだ。なんといっても、木製であるところが洒落ている。また、南国であるということから考えて、公衆衛生上、布は使わないという点でも合理的な配慮がされている。けれども、JR九州の「贅沢」コピーはここでも効いていて、なんと黒い部分は、本革だったのだ。駅舎や人員合理化で浮いた分を、惜しげもなく、車両のデザインにつぎ込んでいて、これだけの「見せびらかし」効果を自覚している会社というのは、大したものだ。Img_4210 Img_4209

2016/06/25

宮崎の面接授業へ行く

Img_4183 宮崎学習センターの面接授業が先週の山形に続いてある。昨日の金曜日に飛行機に乗り、宮崎市のさらにその先の日向市までJR九州の列車で行く。K大学の講義が終わって、18時の飛行機まで時間があるので、羽田空港ではクッキーを購入して、その後夕飯として「アカシヤ」のロールキャベツ定食を食べることにしている。Img_4186 学生時代の新宿の味を忘れないためである。なぜ新宿の味が羽田空港のビルに入っているのかわからないところが面白いところなのだ。場所柄とあまり合っているとは思われないのだが、それはわたしの主観であって、入る客が決めることである。Img_4189 いつも満席だというところを見るにつけ、並みいる高級店が並ぶ中で、この場所を「アカシヤ」へ提供した空港当事者へ賛美の言葉を贈りたい。

Img_4190 それにしても、昨日は英国のEU離脱ニュースが駆け巡った1日となった。お昼ごろには、国民投票の結果が発表されていた。そして家を出る頃には、BBCが全体の開票がまだ済まないうちに、確定を告げていた。英国と大陸との関係が付かず離れずであったことはヨーロッパ歴史を学んだものにとってはよく知るところだ。以前から通貨のユーロ圏には属していなかった。Img_4187 通貨統合にはサッチャー政権の頃から反対であったことも知っていたから、結果からすれば、それほど驚くほどのことはないとはいえ、関税のことなど経済への影響が大きいことを予想させる。まだまだ、数百年にわたって、行ったり来たりするのだろうな。息の長い歴史がある。

Img_4192 さて、宮崎空港駅から延岡行きの特急に乗って、学習センターのある日向市に着く頃には、日が長い季節であるにもかかわらず、もうすっかり暗くなっていた。有名な日向灘を見ることができると思っていたのだが、暗くて想像力だけの電車行となった。Img_4194 日向市駅に着くと、駅舎が新しく、さらにホテルまでの道幅が広く、みんな同じデザインの低層の店が揃っている。再開発の最中であることが分かる。Img_4195 けれども、途中から景色は変わり、赤提灯やBarの飲み屋さんがずいぶん多い街だな、という感想を持つほどだったのだ。それは「上町」という、飲み屋街を通ってきたからだったことが地図を見て理解したのだった。

Img_4197 次の日は、準備があるから9時15分には、学習センターへ着いているように、という連絡があった。学習センターの隣のホテルに泊まっていたので、角を曲がると学習センターへ着いていたのだ。隣に日向市の市役所があり、まさに再開発の最中で、同じように工事中だった。Img_4196 学習センターの向かいには公園があって、なんと重量級のD51蒸気機関車が置かれていたのだった。紹介文によると、地球を60周以上の距離を走ったのだと書かれていた。さらに引退してからも、このような公園でずっと奉公しているのだ。

Img_0943 学習センターでは、メールでやりとりしたH氏とKさんが迎えてくださって、すでに準備万端の状態だった。早速、講義室へ案内され、学生の方々へ紹介してくださった。今回は以前の放送講義「社会の中の芸術」を取った学生はいなかったので、芸術傾向の学生よりも、経済傾向の学生が多かったような気がする。Img_0946 とりわけ、人生の中で、芸術や工芸にこれまでほとんど興味を持ってこなかった、と答える学生が3人もいて、これを機会に少し芸術へ興味を持ちたいとおっしゃっていたのが、印象に残った。この3人以外は、工業用のリボンを織って、カゴなどを創作する手芸教室を教えている人や、ギターを趣味で演奏している人たちが参加してきていた。

Img_0948 今回も質問を投げかける方式の講義進行を行ったのだが、参加された方々は静かな学生の方々が多かった。けれども、数は少なかったが、本質的な質問が間欠的に続いたので、楽しい授業となった。今回も体調はそれほど良くなかったのであるが、コーヒーを自分で淹れてきて、なんとか最後まで、このコーヒーを飲んで、冷静さを保ったのは幸いだった。

Img_0966 日向市の再開発の様子を見たかったので、昼食のついでに、その先を見ることにした。駅前から道路の幅が途中まで広げられ始めている。この現場にある、イタリアン料理と喫茶の店「Run Into」へ向かった。次第に客が入って、ほぼ満席状態にすぐなった。鶏肉の定食を取った。1年ほど経っていると店主は言っていたが、再開発で統一されたモダンでシンプルな建物だった。

Img_0976 じつは、夕食を食べたのも、イタリアンの店となった。モダンな北欧風デザイン意識した建物に入っているイタリアン料理店「バッケーロ」である。結局予定していた「フランス料理で宮崎牛を」というプランは、その店が臨時休業だったので、あえなく挫折して、この店になったのだ。Img_0978 Img_0977

2016/06/20

出張の最終日

Img_4122 まだ、山形に止まっている。面接授業で集めたレポートの採点と集計を午前中に行う。今シーズンに行う面接授業では、同じテーマで山形、宮崎、長野、札幌と面接授業を行うのであるが、同時に同じテーマで、レポートも出題している。実はその結果を数値化して、表に整理して、最終結果をこのブログで発表することを約束してしまったのだ。Img_4117 六月に面接授業が半分終了するが、実は全部終了するのは、十一月になってしまうのだが、それでも約束は約束であり、待っている方々がいる以上、手間はかかるが整理しないわけにはいかない。Img_4119 午前中かかって、ようやく整理を終えることができた。長居できるホテルを取っておいてよかったと思ったのだ。

Img_4118 昼食をとりながら、昼からジャズというのも良いと思い、駅のすぐそばにある、老舗のジャズ喫茶「OCTET(オクテット)」へ行く。ちょうど店を開くところに当たって、まだ客が一人もいなかった。それを良いことに、相変わらず、椅子と店との関係をまたしても聞いてしまったのだ。この店には、このような前面木製の壁から通じて、収納箱付きのベンチが設置されている。この一体型のベンチが先か、それとも部屋のデザインが先なのかと聞いたのだった。Img_4120 結局、改築のときに、スピーカーの響きを考慮して、さらに残った椅子やカウンターとの関係から、このベンチを作りつけてもらったのだ、ということだった。

最初の一曲は、バド・パウエルの曲をトリオで演奏している女流ピアニストのシンシア・ジッチのアルバムだった。Img_4121 これまで聞いたことがない演奏で、落ち着いているが、パウエルのエネルギーを受け継いでいて、不思議な雰囲気をたたえたアルバムだった。これ良いですね、というと、ご主人も感想を述べられて、朝から(もう昼だが)良い気分でスタートできたのだった。

Img_4124 結局、予約した新幹線の時刻まで数時間余裕ができたので、隣町の上山市にある斎藤茂吉記念館を訪ねることにする。Img_4126 駅を降りて、林の中を3分ほど歩くと、コンクリート造りの低層の記念館が見えてくる。玄関から静かな佇まいで、茂吉の歌をたどる形で、展示が進んでいく。Img_4139 入ってすぐのところに、茂吉の部屋が移築されていて、さらにビデオで茂太や北杜夫などの映像が流れていた。父親との関係は意外なほど濃密だったことを知る。やはり、印象に残る歌は、赤色を象徴的に使った『赤光』からの「たらちねの」が素敵で、上の句で自然を描写して、その後に茂吉の感情が入れ込まれた、下の句が続くというスタイルが、好ましいリズムを刻んで参観者に迫ってくる。Img_4142 「実相観入」という写生の伝統を受け継いだ茂吉の作風が、繰り返し展示されていた。Img_4181 Img_4166 Img_4163 Img_4159 Img_4156 Img_4157 Img_4154 Img_4153 Img_4152 Img_4144_2 Img_4149 Img_4143

かみのやま温泉駅へ出て、さらに時間があったので、自家焙煎の店「豆と麦と」へ入る。今朝採れたさくらんぼだ、というので、素敵な小皿に入れて、おまけを振舞ってもらう。ここでも、ゆったりと時間を潰すことができ、ようやく時間が来たので、東京行きの新幹線にのって帰路に着いたのだった。Img_4178 Img_4179 Img_4175 Img_4174 Img_4172

2016/06/19

面接授業の2日目

Img_4064 思ったよりも講義の方はうまくいって、今回の講義は初めての内容だったので、もっとたどたどしい展開になるかもしれないと思っていたにもかかわらず、用意した資料もほんのわずか残しただけで、ほとんどの内容を説明することができた。最後の結論部分も、学生の方々にも、比較的すんなりと受け入れられたので、考えている時のウズウズした気分が、全部喋り終えたことで、すっきりとしたのだった。これには、参加してくださった学生の方々の反応がかなり作用している。それに助けられて、結論がこれほど無理なくできたのだと思う。感謝する次第である。最後は、いつものように、拍手で大団円。

Img_4044 講義が終わって、事務室へ出欠表を届けに行く。Nさんがお休みなので、総務のTさんが対応してくださった。ついでに、これから食事に行きたいのだと告げると、しばらく考えたの後、一箇所を教えてくださった。このタイミングの取り方は何か、不思議な雰囲気があったのだが、もしかしたら、この教えられたところについて、何か含むところがもう少しあったのかもしれなかったと思えるほどの、微妙な返答だったのだ。

Img_4046 ところが、静かな喫茶店はないか、と尋ねると、こちらは即答で七日町(旅籠町)にある喫茶「シャンソン物語」を教えてくださった。この即答の勢いに感じるものがあったので、すぐに駅前から七日町循環バスに乗って、この喫茶店へ行ってみる。すると、この町は今日一日さくらんぼ祭りだったらしくて、この時間にはすでに店が閉じ始めていた。Img_4048 推薦の言葉に違わず、周りのビルの様子とは異なり、一度店の中へ入ると、シャンソンが流れていて、このような古典的な間仕切りが取られており、いかにも長居して大丈夫というサインを送っている店だった。Img_4049 途中からは貸切状態で、講義が終わって、ホッとした気分を長く長く、余韻を楽しむかのような時間が過ぎていったのだった。推薦の言葉をTさんから聞いておいてよかったな、と思った次第である。Img_4054 「シャンソン」で時間を聞くと、1時間ほどは居ても良いということで、こんなにゆったりできる空間を持っている、地方都市の豊かさに羨ましさを感じたほどだった。

Img_4057 店を出て、食事の店へ向かう途中に、専門書の品揃えが素晴らしい本屋「八文字屋」へ入る。これだけのスペースを専門書に割いている本屋は、今では珍しい存在だ。山形大学の学生たちが利用するのだろうか。Img_4058 長居できる喫茶店と本屋があり、さらに名画座が整備されているなどの、都市の必須条件を十分の充している街は、今後もこれらを維持していただきたいものだと思う。Img_4079 外から来て、差し出がましいが、なかなかこれだけのものが残っている都市は、少なくなってしまったのだ。

Img_4080 結局、食事はやはりTさんに教えていただいた「紅の蔵」という施設に入っている、蕎麦料理屋へ入ることにする。ここでも、地元推薦を店員に聞いて、山形の「肉蕎麦」を食べたのだった。酒ももちろん地元天童の「出羽桜」の冷やを頼んだ。今日は、地元推薦が全て当たった日となった。Img_4086 Img_4093 Img_4088_2

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2016/06/18

山形学習センターの面接授業の第1日目

Img_0917 山形駅前にある霞城セントラルビルという、見るからに城をイメージさせる24階ビルの10階に放送大学が入っている。ビルのある場所はわかりやすいのだが、10階に通じるエレベーターが1階の迷路をくぐり抜けたところにあって、宿泊しているホテルからよりも、ビルの中で迷ってしまった分時間がかかってしまった。

今年の面接授業テーマは、「アーツ&クラフツ経済社会入門」という題を選んだ。以前放送で作った授業科目『社会の中の芸術』の続編という趣向だ。今日参加した学生の中にも、有難いことにこの以前のテキスト「社会の中の芸術」を持ってきてくださった方が複数いらっしゃって、この授業の影響がまだ消えていないことを喜んだのだ。

Img_0927 わたしにとっては、クラフツ(工芸)という少し専門の領域を広く取ることになるので、かなりの「力仕事」が必要だという位置付けの授業だ。現代社会において、「クラフトが経済として成り立つのだろうか、成り立つとしたら、どのようなことが条件となっているのか」ということが聴きどころだ。わたし自身にとっても、どのような展開になるのか、興味津々のテーマであることは間違いないところだ。

Img_0928 グループ討論も計画しているので、あまり多くない方が良い。できれば、10名ちょっとの程度になってくれれば、と考えていたら、思っていたよりは少し多かったが、1グループ増やす程度だったので、胸をなでおろした。授業は順調に進み、まだ空が明るいうちに今日の分は終わりとなった。

Img_4074 山形学習センター所長のS先生に山形市の成り立ちを教えていただき、城下町であるにもかかわらず、七日町や十日町などの市場の立つ日が町名になっていて、商業の街であることを認識したのだった。それで、繁華街はこの七日町の方であり、駅からはバスにちょっと乗るほどの距離がある。

Img_4073 早速、授業の後、歩いてみた。やはり、距離があったが、ちょうど授業の教室から一日中出ることがなかったので、気分転換になったのだった。そして、今日も「フォーラム」へ寄って、ウディ・アレン監督の映画「教授のおかしな殺人妄想(原題:Irrational Man)」を見たのだった。

Img_0908 物語は、アレンらしい内容だ。天才的な哲学教授が生きる意味を求めて、「完全犯罪」の殺人を犯すことで、結局は身の破滅を導いてしまうというものだ。非理性的なことを理性的に計画した途端に、非理性的な結末を迎える、というアレン特有のカントやヘーゲルまでも持ち出して、多才なおしゃべりを挿入させている。いつもながら、諧謔や皮肉や逆説に満ちた映画だった。アレンが好きな方でないと、この笑いどころがわからないだろう。世の中は、非理性的な謎に満ちているのだ。

この頃になると、一日中講義で立って喋っていた体力的な問題が生じてきて、ようやく宿泊所に帰り、早めにベッドに入り、体調を整え、最終日の講義に備えようという気になってきたのだった。

2016/06/17

面接授業の季節が巡ってきた

Img_0901_1 今年も面接授業のシーズンが巡ってきた。毎年、6月には地域の学習センターの面接授業に出かけることにしている。土日に集中するので、4月と5月にはゼミをスタートさせ、7月には学期末試験が控えていて、やはり6月に集中することになる。たぶん他の先生方も同じことを考えるから、自然に6月は面接授業の季節となる。自然の調整とは恐ろしいものだ。

まずは、山形からスタートだ。K大学での講義を終えて、横浜で買い物を済まし、東京駅の混雑したお弁当売り場で、ヒレカツ弁当を購入して、夕方の山形新幹線つばさ号へ飛び乗った。山形駅へは、9時前に着いた。宿泊先へ荷物を置いて間もなく、さっそく恒例の出張先の映画鑑賞に繰り出した。山形市には、駅から程よい距離のところに名画座系の映画館「フォーラム」がある。映画「マネーモンスター」の最終回にようやく間に合ったのだ。

Img_0934 俳優がG・クルーニー、J・ロバーツ、さらに監督がJ・フォスターであれば、出資のSONYも文句は言わないだろう。物語は、クルーニー扮する株専門キャスターがテレビの生番組放映中に、番組ジャックされて、デレクター役のロバーツとともに、物語があらぬ方向へ進んでいき、最後は原因となった株価暴落企業の秘密が暴かれるというものだ。

Img_0935 近年、ハリウッド映画は、金融ものというジャンルを打ち立ててきている。なぜ株価が上下するのかということについては、いろいろの要因が絡み合っていて、一筋縄ではいかない。だから今回もリーマンショックを上回る複雑な要因が存在していて、見事に説明をしてくれるのだと思っていたが、この映画では多少不満が残るかもしれない。何か秘密で重要なことがあると思われるからには、その内容はもっと重要な要因でなければならないのだが、この映画では古典的な詐欺事件に堕してしまっていて、ちょっとつまらない気がする。

Img_0902 つまり、「マネーモンスター」という割には、貨幣の「信用」という本質的なもののところでモンスターが生まれるのではなく、人間の欲望のような本来の物語でのモンスターであって、題名に偽りアリというところが残念なのだ。けれども、ドラマ自体は面白いし、クルーニーもロバーツの演技も慣れたものであって、娯楽作品としてはとても楽しめるものとなっている。

スタジオがジャックされるときの、この映画の道具が気になった。爆弾テロで自爆・他爆する時、スイッチから手を離すと、爆弾が炸裂するという仕掛けが、よく使われる。今回もこれだ。スイッチを押すと爆発するのと、スイッチを離すと爆発するのとの違いがあるのだ。スイッチを押す人、押している人を倒せば、前者は爆発から免れるが、後者は倒されると爆発が生ずることになり、ここに違いがあることがわかる。このセットした時からいつ倒されるのか、スイッチを押している人からスイッチをいつ離すことができるのか、このズレの時がドラマの中核に当たる時間なのだ。この不安定さが映画の虚構性を成立させている。映画の筋に緊張感を与えておいて、それを本筋にして、そこに幾つかのエピソードを付け加えていく。この映画でも、このスリリングな状態が効果的に使われていたと思う。

Img_0916 もう一つ、面白いシーンがあった。スタジオ・ジャックされた理由の一つが、犯人の投資資金を株価下落で損させてしまったということにあるのだが、それを逆手にとって、それでは株価を上げるように、クルーニー演じる司会者はリアルタイムで、テレビを見ている投資家たちへ呼びかける。みんながこの株へ投資すれば、株価が上がって、犯人の損失を取り戻すことができるかもしれない、という賭けを行うのだが、そして自らの命も助かるかもしれないのだが、お涙頂戴で人道的に投資する人がいるか否か、というアメリカ資本主義の本質を抉り出すようなシーンだ。Img_0906 結果は、観ての楽しみだが、このようなシナリオをちょっと入れることができるのが、ハリウッドの隠れた魅力の一つだと思う。自己批判ができるとしたら、このような方法が、最も映画では適していると思われたのだった。

さて、気分を入れ替えて、明日からの面接授業に備えて、熟睡することにしよう。お休みなさい。

2016/05/29

子ども椅子展のヒアリング

Img_3815 今日も、松本クラフトフェアへ、そして午後からは昨日に続いてヒアリングだ。昨日、3人の方へのヒアリングができ、ビデオ録画の準備へ布石を打つことができたが、まだまだフェアには4、5名の方がたが出店しているので、聞きたいことがあったのだ。

Img_3811 家具制作者がこんなに多くの顧客の人びとと交流できる機会というのは希有の状態だと思われる。これに便乗して、わたしもヒアリングに利用しているのだ。子ども椅子展へ出展の制作者が25名いるうち、3分の1ほどの方がたが、このクラフトフェアに参加してきており、数分であれば、こちらの質問に答えていただけるのだ。たいへん有難い次第である。今回は子ども椅子という対象がはっきりしており、ピンポイントで質問できるので、制作者たちの邪魔にはならないだろう。一応主催者の松本クラフト推進協会へも、今回の一連の取材については了解を取っている。

Img_3821 今日も会場は満員状態で、すでに午前中に観て回った人びとが帰り始め、交差が激しい。用意された作品も、最初が肝心で、みんなが良いと思うようなものは、すでに昨日のうち、朝のうちに出てしまうので、あとはコミュニケーションの時間があるだけだ。だから、この最後の余裕のある時間こそ、ヒアリングに適している。つねに、観光客と垂直にすれ違い、ズレを読みながら、調査というものは行わなければならないのだ。

Img_3802 少し前に戻るのだが、今日は会場へ直接行くのではなく、回り道をして、余裕を持ってフェアの会場へ行くことにしたのだ。子ども椅子展と同様に、フェアフリンジとして行なわれている「工芸の五月」の催しで、「六九ストリート」が行われているのだ。駅からの六九商店街への入り口にある最初の催し場では、すでに開店を待つ人びとの列が長くなっていた。途中、新潮社の雑誌「青花」の展示で、さりげなく高貴さを漂わせた刺繍を触らせていただき、その先の「工芸のウチとソト」を観ようと、ビルの前へ行く。

Img_3796 すると、ポパイのような目立つ服装をしたM氏が展示の写真を撮っているのに遭遇した。M氏は木工芸とエッセイで、生活工芸運動の一つの流れを生み出してきていて、この「六九ストリート」のプロデューサーでもあるのだ。わたしのテキストでも、引用させていただいている。このようなところでお会いできるとは思ってもいなかったので、ヒアリングの対象に入れていなかったのだが、松本家具制作の周辺をめぐるここ数十年の動きについては、斜めから見た一つの意見を持っているような気がしていたので、忙しそうな様子ではあったのだが、この点のみピンポイントで質問をしてみたのだった。

Img_3822 質問はちょっとずらせて、日本における「遍歴職人」の可能性はあるか、という自分でもちょっと恥ずかしくなるような穿った問いをしてみた。いろいろと理由を挙げ、人びとの背景を説明してくださり、丁寧なお答えを得たのだが、結論だけ書くならば、やはり重厚な家具が似合うような家の時代から、生活民芸が似合う家の時代へ、社会が転換したのだ、という認識を示されたのだった。立ち話でお聞きできるのは、この辺が限界であると思われた。

この近辺には、手打ち蕎麦屋が点在していて、観光客がずっと待っている。その一軒Sにおいて、フェアの幹部だったDさんが陶器の展示会を催していて、渋く明るい様子の酒器や皿や碗を出していた。こちらは、無料で店に入って鑑賞することができるのだ。

Img_3101 さて、今日のヒアリングは、まずはM氏から始めた。M氏は子ども椅子展では、ウィンザーチェア系の子ども椅子なのだが、ちょっと変わった特徴ある椅子を出展していた。ウィンザーチェアの場合には、背中のスピンドルが通常は子ども椅子であっても4本以上あるのだが、彼の椅子には、スピンドルが2本しかないというフォルムが特色となっている。背板部分が2本しかないということは、イメージとしては、空白部分が目立ち、真ん中がポンと空いているという印象が強い。ここにM氏の想いがあったそうで、話を聞くまでは、なぜ2本にしたのかということはわからなかった。つまり、意匠として2本スピンドルが選ばれたのだ。一言で言えば、「浮かんでいる」感じを出そうしたのだそうだ。背板部分の空いた部分でそれが実現されるのだ。この点は、スピンドルが使われる以前のウィンザーチェアに想いをはせてみるとわかるだろう。背板が一枚板で覆われていた頃には、板が座面から壁のように空気を遮ってしまう、重苦しいウィンザーチェアだったのだ。ウィンザーチェアの歴史は、いかにこの背板の重苦しさから、軽やかさへ転換できるのかの歴史であったと言っても過言ではない、この点からすれば、M氏の発想には、ご本人は認めないかもしれないけれども、軽やかな浮遊感を求める意図には、歴史的必然性があったのだと言えなくもない。

Img_3729 さらに、この2本だけで背中を支えるためには、当然のように座面とスピンドルをつなぐ技術の発達があったということだろう。楔が使われているが、その溝が二重構造になっているという強化が行われた結果、この2本のスピンドルが成立したのだ。この二重構造は、以前O氏のところで紹介したのだが、通常は脚部分に使われる技術だが、それがスピンドルでも使われているという特色をM氏の子ども椅子は持っているのだ。なお、M氏の場合にも、大人椅子が先にあって、バランスを考えながら、この子ども椅子が成立してきたという数十年にわたる工夫の歴史があるのだ。

Img_3818_2 次に向かったのは、T氏の子ども椅子、いわゆる「ぬく森チェア」だ。このテントには、小物ファンから、木のオーディオファンまで、顧客のネットワークがあって、なかなかT氏が単独でいるのが少なく、昨日から何回も暇の時間を見つけようと訪れていたのだが、ようやくにして、テント前で捕まえることができた次第だ。

Vlcsnap2016060214h55m37s138 この椅子の魅力は、年齢を超えて、子ども椅子が大人まで利用できてしまうという、変幻の椅子である点だ。第1に、お赤ちゃん時代には、最も座面が低層な置き方の使用法がある。ここでは、座席の前の棒が役に立つ。この棒は、西洋の子ども椅子にはよくつけられていて、子どもが滑り落ちないように、安全のためにつけられているのを見ることができる。けれども、T氏の場合には、そうではなく、この棒は子どもの自在で所在ない手を置いたり手で握って踏ん張ったりすることを想定していて、かなりポジティブな棒となっている。西洋風の使い方とは違うことがわかる。Vlcsnap2016060214h55m45s144 第2に、小さな子供時代には、この椅子をひっくり返して座面を高くして座ることができるのだ。この時、この棒は今度足置きになる。第3に、背面を上に出すと、大人でも使えるスツールが現出することになるのだ。

Vlcsnap2016060214h55m59s246 もっとも納得できたのは、このように多機能な点を強調するからには、機能的な観点からこの椅子が作られた、と思い込んでいたが、それがそうではないことがわかった時の意外さがあるのだ。

この椅子は、もともと東京の幼稚園からの依頼で作られたそうである。幼稚園椅子だから、パーソナルな子ども椅子ではなく、集団で多数個が使われることが想定されている。だから、T氏はこれらが積み上げられ、並んだ時の色のデザイン効果を狙って、おもちゃのキューブのように、異なる色が積み重ねられて、対比されたり同系統の色が揃えられたりする集団効果を想定したのだということである。想像するだに、これらが数十も積み重ねられ、それらのキューブの模様が得られるというのは壮観なのではないだろうか。つまりは、機能的な椅子だったと思われた椅子が、実際には装飾的な効果を狙ったものであった椅子であることがわかり、この落差が面白かったのだった。

Img_3104 今日3人目のS氏は、座面がしなるという特性を持つ椅子を作っていることで、自分の特色を出しているのだが、それを子ども椅子にも持ってきたのだ。こちらが興味を持ったのは、大人椅子から子ども椅子へ設計を変えた時に、何が実際に変わったのだろうか、という「古典」的な問いだ。やはり、子ども椅子の脚にそれが出たそうだ。具体的には、ストレッチャーの位置のバランスが変わったのだということだった。子ども椅子はふつう重心が低くなるから、ここで影響を受けるというのはたいへんわかる話だった。

Photo 少し違う領域にテントを出している方がたにも、ヒアリングを行おうと考えて、公園内のA-3領域から、C-3領域へ向かって歩いていく。Kさんの子ども椅子は、おにぎり型三角形の座面と、しかしながら4本脚であることと、座面と脚が白い素材を使っているのに対して、背板部分(と言ってもスツール仕上げなので低いのだが)が黒いウォールナットで色の対比を出している点で、機能にこだわらずにデザインの良さで特徴がある。このコントラストのある色使いは、確かに目立つのだ。先日の子ども椅子展でも、観客の一人が気に入ってしまって、そのまま購入したいと申し出ていたのを見た。

Img_3707 このコントラストはKさんがかなりお気に入りであって、コースターでも一枚板ではなく、この二枚が張り付いたものが作られていた。このような制作者の本能というものはたいへん重要で、顧客がつくかつかないかはわからないのだけれども、まずは作ってしまいたいという本能的な直感が制作者にはどうしても必要なのだと教えられる。おそらく、注文を取る場合にも、この点は重要で、100%顧客のいうことが取り入れられるという制作者はいないのだろうと思われる。否定的な言い方をすれば、このようになるだろうが、肯定的に言うならば、100%顧客のためを思うのであれば、顧客のいうことをある程度聞かないほうが良いものになるということだろう。

Img_3708 この点は椅子では特に大切で、Kさんはフロアで使う、低いベンチふうの安楽椅子を展示していた。Kさんが言うには、この椅子はおそらくあまり需要はないだろうとして作りました、とおっしゃる。けれども、絶対にこの椅子は大量生産の家具工場では作られない類の椅子であって、うちほどの需要のところで手作りでようやく作られるのだというのだ。そして、これをほんとうに欲しいという少数の方が出てきてもらえれば、それで経済的にも制作者側としても十分なんだというのだ。小さな経済圏で成り立つ製作ということの基本線がここにあると思われる。

Img_3876 あと、数人を残してしまったが、一度に全部というわけにもいかないだろう。秋には、クラフトピクニックも開催されるから、その時のためにも少し余裕を見ておきたいと思ったのだ。それで、せっかく来たのだから、陶器の方も見ておこうと、このC-3領域を眺めることにした。一つは、この人形を購入した。説明はいらないと思うが、実は先日の九州旅行の由布院温泉で、この人形のシリーズの中で「哲学者」と名前がついた人形に出会っている。制作者のMさんによると、その後由布院が今度の震災で被害を受け、これらの人形も壊れたものがあって、修復プロジェクトが立ち上がったそうだ。

Img_3880 わたしの買ったのは、「旅に出ます」と名前がついた人形だ。Mさんによると、三つのエピソードが詰まっているらしい。一つ目は、宮澤賢治が田んぼを歩いている姿だ。外套の姿には連続性が認められる。二つ目は、ニューヨークのエリー島に集められた移民審査の人びとだ。移民となると、カバンはもっと大きいかもしれないが、このくらい落ち着いていないと、今後どのような目にあうのか予想がつかない中で生きていくことができないだろう。そして、三つ目は収容所へ送られる前にカバンを預けられようとするユダヤ人だという。切羽詰まっている。Img_3881 題名からすると、もっと開放的なテーマがあったのではないかと思われるのだが、蝙蝠傘とカバンの組み合わせからすると、ちょっと暗い状況だったのだと思われる。反面、先日見た舟越保武の少年像もそうだったが、後姿がとても良いから購入に至ったのだ。

2016/05/28

今年は取材で、クラフトフェアへ

Img_3670 例年のことだが、今日は松本市にとって一番長い一日になる日だ。朝、新宿であずさ号に乗るときには、ちょっと満員で、自由席に立っていく人が多いな、という程度だった。松本駅に着いたときにも、メインの通路にあるコインロッカーはいっぱいだったが、駅外のコインロッカーは空きがあったので、昨年までよりも空いているのかと思うくらいだった。Img_3671 いつものように、クラフトフェアの会場である「あがたの森」へ行く途中にあるブックカフェの「栞日」で、カフェオレを飲んで外を眺めている頃には、ちらほらと会場を目指して歩く人びとが急に列をなしてきたのだった。

Img_3683 クラフトフェアの入り口付近では、すでに人びとは塊となって、テントの列に沿って移動していくのが見えた。この入り口付近のテントは重要で、実力派で特色ある陶芸のテントが並んでいた。手芸の出展者は顔を憶えているわけではないのだが、むしろ常連の方々がその辺を占めているのではないかと思われた。思わず触ってみたくなる絹の草木染めが目に入ってきたのだ。

Img_3686 その後、どういうわけか、「あがたの森」の池の北側に回ってしまったらしく、中心にある本部テントから遠ざかってしまった。全部で260ものテントが出店しているらしいので、Img_3693 こうなると、一日では全部を回るのは到底無理になってきてしまう。そう諦めれば、あとは楽で、本部近くの作家一覧で場所を見て、お目当ての木工の方々の場所を確かめて、そこを中心に聴いて回ることにする。多くの木工の方がたは、A-3領域に固まってテントを出していることがわかった。

Img_3704 途中2年前に、ラジオ授業を制作した時にお世話になった松本クラフト推進協会代表で、石の彫刻家のI氏のテントが見えたが、見学者が十重二重に取り囲んでいて、到底挨拶するどころではなかった。隣に、昨年のクラフトピクニックで、椅子を作らせていただいたO 氏が展示を出していた。Img_3706 やはり椅子を作ってもらった顧客の方々が多く来ていた。でも、ちょっと割り込んで、ようやくお話を聞くことができたのだ。若いときに考案した組み立て式のテーブルを展示していて、家具というものの工夫の細部がわかる話をしてくださった。

面白かったのは、O氏が述べた「制作者の立場」と、「デザイナーの立場」の違いという視点だった。この多機能的で、どのような部屋や場所でも変幻自在に組み立て可能なテーブルは当然のように、意匠登録の対象になるのではないかと質問したのだった。ところが、返ってきた答えが意外なものだったのだ。わたしはやはり、制作者としてテーブルを作っているのだ、ということだった。面倒臭いとはおっしゃったのだが、それ以上に、作るということ自体に喜びがあるのであって、そこから家具というものが始まるのだということがよく分かる態度だと思ったのだった。

Img_3072 それにしても、天板が数本の板に分かれていて、脚部分も屈折可能で、テーブルの幅に自由にフィットするような構造は、たいへん柔軟な発想の元に構想されたテーブルだと思われた。写真を見れば、なるほどと思うのだが、話に夢中になっていて、写真を撮るのを忘れてしまったのは残念だ。大学のゼミでは、このような融通無碍なテーブルが欲しいところだ。そう考えると、なぜ大学の事務機や机はなんと無機的で、味気ない家具が使われているのか、と不思議に思ってしまう。働く場にこそ、このようなテーブルや椅子が欲しい。そこで、O氏がお子さんのために作ったという、伝説的な子ども椅子をここに掲げておきたい。先日の子ども椅子展で撮ってきたものだが、若い女性たちが、これを見て、かわいい、と連発したのが印象的だった。

Img_3715 話を聞きたかった、T氏やM氏やS氏のテントを巡ってみたのだが、椅子は出しているものの、このようなフェアでは、木工の小物に人気が集まり、その応対でたいへんそうであった。それで、ちょっと目を離したすきに、姿を見失ってしまったのだ。それほど、多くの人数が押し寄せてきたということだ。

Img_3731 並びには、子ども椅子展でお話を伺った、H氏が出店していて、ちょうど後ろの休憩用のテントにお孫さんと一緒にいらっしゃった。子ども椅子展はS氏の呼びかけで始まったのだが、S氏によれば、その呼びかけはH氏が軽井沢で作り始めた子ども椅子がきっかけになった(数年間のズレがあるようだが)との話を聞いたことを言うと、その頃の様子をH氏は話してくださった。最初の子ども椅子は注文だったそうだが、その時考えたことは、おもちゃ椅子や人形椅子のレベルの子ども椅子は抜け出すべきだ、という意識があったとのことだった。このことは重要で、うさぎをくり抜いて、原色やパステルカラーのペンキを塗っただけの子ども椅子では、それはやはり、おもちゃであって、座るという意識が希薄なのだということだった。

Img_3735 それに加えて、M氏の子ども椅子が登場したのだそうだ。M氏は本格的なウィンザーチェアを作り続けている方で、子ども椅子も本格的なものだったのだそうだ。M氏は自分の子どものために作ったので、商品化されなかったらしい。けれども、あまり本格的すぎると、高価なものになってしまい、かえって子ども椅子の特性が失われることになろう。

Img_3088 H氏の目指したのは、おもちゃではないが、しかしあまり本格的なものでもないところだ。子ども椅子は、大人の椅子と同様の手間がかかったにもかかわらず、大人椅子と同じ価格にはできず、半値以下の値段をつけざるをえない。そのため、結局採算性からすれば、なかなか厳しいところがあるのだそうだ。

H氏の向かいには、上記のM氏が店を出していた。70数歳のM氏の店には、対象物は四つしか展示されていない。ウィンザーチェアが三脚と、大ぶりなスツールが一脚である。絶対のものとしての、椅子が厳然と存在しているという風情だ。熱烈なファンがいて、これこそわたしの椅子だ、という雰囲気が漂ってくる。

Img_3734_2 M氏は英国で修行してきたのだが、当地のウィンザーチェアはちょうど衰退期に当たっていて、大量生産から手仕事への転換期に当たっていたのだそうだ。それには、相応の理由があるのだが、ここでは触れない。重要なのは、轆轤技術などが発達し、技術革新が一方で生じたのだが、それでも衰退を迎え、さらに復興が生ずるという歴史が、英国にはあったという点である。理由もさることながら、M氏のように実体験を持って、このことを感得し、なおかつこのようなクラフトフェアを通じて、日本へ伝えたという事実は得難いものだったと思われる。手仕事の復活は、いろいろの経路をたどっているのだが、木工事情はその典型例を示していて、たいへん面白いのだ。

Img_3752 中町通りへ入って、グレインノートのご夫妻へ先日のお礼を述べに行き、S氏と先日の録画の話を思い返した。店もフェアのために、相当混んできたので、このところシリーズで集めている田中一光氏の紺色のコーヒーカップを購入して、退散した。昼飯が遅くなってしまったので、いつもの鰻屋さんへ駆けつけたが、休憩時間に当たっていた。さらに、そのまま、中町通りのChiianへ行ったのだが、開店以来最大の混みようで、もちろんお目当てのキッシュは売り切れていた。Img_3754 結局、話をたっぷりと聞いた分だけ、食欲の方は今日のところは満たされなかったのだ。駅前の中島商店で、小布施のシャルドネを買ったのだった。松本にとっても長い一日だっただろうが、わたしにとっても長く充実した一日だった。Img_3742

2016/05/22

砧公園の世田谷美術館へ行く

Img_0812 砧公園の世田谷美術館で開かれている、「竹中工務店400年」展へ行く。東急線用賀駅から遊歩道を15分ほどたどって、砧公園へ着く。歩道の石に、百人一首が刻み込まれていて、楽しい散歩コースだ。Img_0817 竹中工務店といえば、あべのハルカス(2014)や東京ドーム(1988)などの近代建築の会社であるというイメージが現代では定着しているのだが、関係者にとっては400年の歴史というものがあって、この400年のうち近代以前の最初の250年が重要な意味を持つことがわかった展覧会だった。

Img_0819 数多くのコンクリートの近代建築が展示されているのはこの展覧会ではまったくの事実であって、それらだけでもかなりのボリュームの写真や説明があるのだが、それらの中でもコンクリート以外の建築物、とりわけ目を引いた建築物は、やはりポスターに謳われていた「棟梁精神」が前面に出た、木造建築だった。先日神戸で訪れた大工道具館の展示を思い出した。

Img_0829 全体の展覧会では、必ずしもそのことは強調されていなかったのだが、見終わると心に残るのだ。記憶の底にズシンと沈殿してきて、重く思い出されてくる建物があるのだ。都市の建築物よりも、地域の建築物にそのような建物が多いのはなぜだろうか。それらは、神社仏閣もさることながら、それ以外の木造建築物だ。中でも、1935年落成の「雲仙観光ホテル」は今回の展覧会ポスターの下の方に、設計図が載っていて強調されていたし、この建物には窓が多く取ってあり、いかにも人間を向かい入れることを思い起こさせそうな建物なのだ。

Img_0834 さらに加えて、注目したのは、2013年に作られた「大阪木材仲買会館」だった。宇宙の果てまでもギューンと伸びていきそうな、木造の庇と外廊を持ったビルなのだが、素材として耐火性の木造であるという点が特色だ。木柱の芯に石が埋め込まれて、類焼しない工夫がなされている。

Img_0836 これは、都会では、心強い仕組みということになるだろう。なぜ都市の建築物がコンクリートと鉄鋼で作られ、味気ない街になってしまったのだろうか。やはり、都市の火事は、相当に恐れられていたことの一つだと考えられる。それは、江戸時代の火消しの活躍に象徴されている。この災害対策として、わたしたちは次第に、木造建築物を排斥してきてしまったのだと考えられる。けれども、この木材仲買会館のような木造が増えていけば、解決されるだろう。心配なのは、コンクリートと比べると、極端にコストがかかっている感じのところだ。木材にこだわった結果、費用が極端に高くなってしまったのだろう。けれども、長期的に見れば、木材を生かすことの事例として、かなり意味が出てくるのだろう。

Img_0841_2 昼をとうに過ぎてしまったので、美術館のカフェで軽い昼食をとる。公園から、一段下がった、中庭がテラスになっていて、水が流れている、今日のような夏日には、見た目で涼しい。

今日の椅子は、これまで何回も取り上げようとして、うまくいかなかったウェグナーのYチェアだ。柱と笠木の曲木が綺麗で、全体として、ぷっくりとまとまっているところが、自然さを示している。Img_0844 けれども、ほとんどの部材がかなりのロット生産で作られており、大量とまではいかないが、量産可能な椅子として、しかしながら、手作りの趣を残している木製椅子の代名詞的な椅子だ。

座ってみると、ペーパーコードの座面が心地よく、左右への身体の揺れに自由度があるところがたいへん良いのだ。Img_0845 今回の世田谷美術館のレストランの常備椅子として、数十のYチェアが使われていて、Yチェアがパレードを行っているようだ。待合の廊下にも、長椅子とともに使われており、ちょっと休憩というときに良いのだ。ガラスが大きく取ってある廊下でYチェアに座って、庭に置かれた不思議な彫刻を眺めながら、しばし展覧会を思い出していたのだった。Img_0842

2016/05/12

子供椅子とウィンザーチェアを観る

Img_3636 「松本民芸生活館」を観せていただく。この施設は故池田三四郎氏が、昭和40年代に富山からの建物を二棟合築して建てられたものだ。職人修行の場として造られたものであって、家の梁が大きく、いかにも豊かな富山の名家の建物だというもので、信州にはこのような大きな古民家はあまりない。現在は、道場としての使用もなく、非公開の施設となっている。

Img_3633 この非公開の椅子には「椅子とは何か」ということを考えさせられる名品が詰まっている。このことについては、三四郎氏の著書「三四郎の椅子」にまとめられている。今回は、松本民芸家具の社長であり、館長のI氏(三四郎氏の孫にあたる)の案内で訪れたのだ。そして、いつもお世話になっている、グレイン・ノートのS氏と、当授業科目の主任講師であるS先生、それからビデオ収録のチーム(放送大学とNHKエデュケーショナルの、さらにカメラマンと録音技師)の方々が同行してくださった。松本市の神田にある。

この辺はじつはこの施設が移築されてくる前は、まだ田んぼと電気工場だけの場所だったところで、わたしは小学校時代によく友達と共に、自転車で駆け巡っていたところだ。この北へ行ったところに、千鹿頭という池があって、ちょっとお弁当を持ってハイキングを行うには最適な場所だったところだ。その頃には、まだこの施設はなかった。

Img_3599_2 一つ一つ椅子を見ていきたい気分だったのだが、目的は椅子の「色と形」に集中しなければならない。思いの外、緊張していたらしく、それは珍しくはないのだが、NGを何回も出してしまった。二つ目的があって、一つは子ども椅子の回についての収録と、もう一つはウィンザーチェアの「色と形」についての取材収録だった。

Img_3600 あまりに多くの名品揃いで、全部お話できないのが残念なくらいだ。収録し残した椅子たちに、今後生きているうちに、もう一度会うことはできるだろうか。収録した中でも幾つかの印象に残っている椅子がある。例えば、カナダの子ども椅子は、子ども椅子としての始原性を残しているばかりでなく、ウィンザーチェアとしての始原性を表していて、たいへん興味深いものだった。

Img_3598_2 この子ども椅子の基本は座面にあった。分厚い座板がゴロンと存在していて、そこに脚がついたり、背板がついたりするのだった。この椅子を見ていると、椅子の一つの始原が地面からちょっと隔てた座板にあることがわかる。椅子というものは、つまり座るということは、地面と人間との関係性だということだ。なぜこの座板が分厚いのか、ということは、地面から浮遊させる必要があったというばかりでなく、脚を支えるだけの厚さが必要だったということであったのだ。制作上の必要がのちのち加わってくるのだが、その必然性を象徴している。

Img_3605_2 グレイン・ノートのSさんは、英国の古いウィンザー調の子ども椅子を特に注目し取り上げていた。ウィンザーチェアの特徴は、やはり座面がしっかりしていて、それに脚とスピンドルがついたという構造を示している。したがって、やはり座面の分厚い子ども椅子を発達させているのだというのだ。けれども、英国の子ども椅子では、細心の注意が行われていて、この分厚さをさりげなく隠すために、座面の前部が斜めに切り取られて、厚さを感じさせない工夫がなされている。このような細かいところの配慮は、Sさんのように常に椅子を作っている方にとっては、制作者としては気になるところらしい。

もう一つだけ紹介すると、この生活館には、ウィンザーチェアのプロトタイプ(原型)がある。館長のI氏による詳細な説明が行われた。この模様は、来年から始まる放送大学総合科目「色と形を探究する」で放映するので、ぜひご覧になっていただいきたい。まだ、だいぶ後の話で恐縮だが。

2016/05/11

子ども椅子展のロケ

20160604_002741 ほんとうに実現できるのだろうかと思っていた。授業科目「色と形を探究する」のビデオ収録がようやく実現して、ちょっと夢見心地で松本市を訪れている。20160604_003004 先日連休中に、この欄でも紹介した「子ども椅子展」が松本市美術館から場所を移して、ここの中町通りのグレイン・ノートで明日から再開される。そこで、再開される1日前にもかかわらず、またグレイン・ノートが休業日にもかかわらず、S氏が特別に撮影のために、この場所を提供してくださったのだ。

20160604_002838 カメラマンの方に撮ってもらうと、自分で撮ったものより当然ながら数段良い。何が違うのだろうか。カメラのモニター画面に映し出された60脚の子ども椅子は、美術館の中庭と違って、部屋の中でもなお壮観だ。

20160604_002920 なぜ「子ども椅子」は「大人椅子」と異なり、子ども椅子特有の形を持っているのだろうか。単に設計段階で、大人椅子を縮小しただけにとどまらずに、それ以上に、何かが付け加わっているのが、子ども椅子の特徴だ。20160604_003043 ある人は、可愛さだといい、ある人はずんぐりしているといい、ある人はバランスだといい、さらにこのメリット探しはとどまることを知らないほど、と興味深いのだ。これまで、二、三の理由は挙げてきたのだが、何が決定的なのか、もうしばらく、心をオープンにして、解答を楽しみたい。

S氏の言葉は、ゆっくりと的確に本質的な中核へ迫っていくのだ。それに吊られて、質問を慌てて繰り出したのだった。子ども椅子に座りながら、この触感を楽しみながらの撮影だった。いろいろな話をしているうちに、ビデオ取りは確実に終了したのだ。

2016/05/02

O先生と松本カフェ

Img_3041 今日は季節カフェの番外編で、O先生と松本カフェの1日だ。まずはモーニングコーヒーを飲むために、Books&コーヒースタンド「栞日」へ寄る。昨日、O先生が来ましたと店のマスターに告げられる。Img_3345 コーヒースタンドでは、ジーンズに赤いスカーフの女性が先客だったのだが、どうやら1日同じコースを辿っていたらしく、こののち2回ほど、わたしたちが街中を歩いていて、彼女に自転車で追い抜かれることになる。わたしたちは、だいたいのところで、観光客と垂直に交わる道を辿っていたのだから、この女性も単なる観光ではなかったのかもしれない。

Img_3109 今日も、O先生に会う前に、松本市美術館の中庭で開催されている「はぐくむ子ども椅子展」へ寄る。ウィークデイなので、やはり来ている子どもの数は、一昨日より圧倒的に少ない。それで、ビデオを回すのを今日は諦めることにする。今日の子ども椅子展の当番は急に用事ができたらしく、急遽S氏が代わりに立っていた。Img_3058 これ幸いとばかりに、今度お願いしている授業科目「色と形を探究する」のビデオ収録について、打ち合わせをする。可能なところだけだったが、ここで大方のところを行ってしまうことができた。Img_3097 互いに喋りたいところが、次第に決まってくるのがわかる。このような自然なセリフの決まり方が理想的だ。

Img_3074 子ども椅子には、無限に多様な可能性が備わっていて、それは子ども自身の可能性であると同時に、子ども椅子にもあることがわかったのだ。わたしたちは既成観念で、椅子は座るものと考えているのだが、そして、座面があれば、それに座るものと決めているのだが、子どもたちは、どうも規定通りには座らないことがわかる。Img_3084 横に座らなければならないと、わたしたちは思っていることで、縦に座ってしまって、それで十分に椅子の機能を果たしている場合が見つかるのだ。S氏と話していて、今回も得るところ大であったのだ。

S氏と話し込んでいたら、O先生から簡易メールが入って、Rホテルのロビーで待っているとのことだった。20分もあれば、街の中心部を駆け抜けることができるほどの都市と言うのは、ほんとうに好ましい限りだ。Img_3221_2 O先生は昨日にすでに行くべきところはほぼ回ってしまったので、あとは自由だとおっしゃる。まずはホテルの並びにあるギャラリー「灰月」に寄る。アクセサリー展が開かれていて、通常はわたしの興味の範囲外なのだけれども、今日展示している方は、作った作品に素敵な名前「こころ」とか「あめふり」とかを与えていて、それを小冊子にして、アクセサリー・プラス・言葉の作品にまで仕上げている。このアイディアは興味深かったのだ。Img_3226 モノに名前を与えると、想像力が動き出すから不思議だ。O先生は、これらのアクセサリーではなく、白地に斜線が無造作に入ったお茶碗を気に入ってしまい、あっという間に購入していた。研究室で使うそうだ。

Img_3228 次に、S氏の奥様が開いているグレイン・ノートへ行く。明後日の4日にSさんに会うことになっているのだが、天気が悪くなりそうで、心配してくださっていたのだった。Img_3229 O先生は、奥様が女優の〇〇さんに似ていらっしゃるというのだが、確かにそうかもしれない。笑顔に安心感のある方だ。O先生はここでも白地のお茶碗を購入なさっていて、1日何回お茶を飲まれるのだろうかと思ってしまったのだ。

店の二階では、荒削りの木材と、イグサ織りの座面に特徴があるY氏の椅子展が行われていたので、しばしお話を伺うことにした。Img_3416 この独特の作風には、原型があるそうで、額に入れた写真を見せてくださった。一目見て、池田三四郎著『三四郎の椅子』に出てくるスペインの椅子を思い出したので、そのことを伝えると、まさにその通りだった。この原型となる椅子の荒削り感には、このスペイン椅子にまつわるもう一つのエピソードがあって、1脚を15分ほどで組み立ててしまう、という生産効率がたいへん素晴らしい椅子だということになっている。Y氏の椅子は、イグサを織り込むのに、7時間くらいかかるそうで、一つ一つ織り上がるとそのこと自体が楽しいのだとおっしゃっていて、素敵な仕事をなさっている。Img_3419 お尻に当たるイグサ織りに特徴があって、ちょうどお尻が当たる凹み部分が後ろの方へずらされているという工夫がなされていて、実際に座ってみると、すごく座り心地が良いことがわかるのだった。スペインの粗野な椅子から発展して、Y氏独特の優しさを加味した椅子に仕上がっていることがわかる。

Y氏の木楽工房はこちら

Img_3231 お昼は、O先生行きつけのル・コトリで、わたしは魚料理ランチを食べる。すでに電話予約がO先生によってなされていて、電話の声だけで、すぐにO先生だと認識されたとのことだった。O先生はエビ料理のランチを選択した。えんどう豆のスープは、視覚的に訴えかけてくるような真みどりの色で、ほんとうに色鮮やかだ。5月の「緑の季節」をそのままスープにしましたという雰囲気を持った、また味も豆特有の香りの濃厚なスープだった。Img_3232 食事は、華やかだったのだが、雑談の内容は大学の仕事のことになってしまい、気の引ける話で、このような時に話すべきではなかったのではないかと、後悔したのは、夜になってからだった。Img_3236 老人になると愚痴が多くて、済みません。

スイーツとコーヒーは、O先生がこの3月に松本に来た時に開拓した、新しい喫茶店「Chiian」において。Img_3255 本物の漆喰壁で、その白い壁の色が清潔な感じを引き立てている。この店は、昨年9月に改造したのだそうだ。ここには、老舗の漬物屋「みずしろ」の事務所があったところだそうだ。松本市には、このひらがなの「みずしろ」と、漢字で書く「水城」と二つの漬物屋さんがある。わたしの小さな時にも、母がよく漬物を買ってきた店だし、わたしもお土産を買うのによく利用した店だ。セロリの粕漬けがわたしの好物で、他にも、ワサビを使った珍味の漬物がたくさんあったのだ。表の漬物屋だったその店は、かりんとう屋さんになってしまったのだ。

Cafe Chiianはこちら

Img_3409 「みずしろ」の遺構として、表から裏へ通ずるトロッコの軌道とトロッコ自体も残されていた。なぜトロッコかといえば、それは松本地方の昔を知っている人であれば、すぐわかることで、漬物の樽がたいへん大きいからだ。Img_3413 「お葉漬け」と呼んでいたが、長野の方では、野沢菜漬けと呼ばれているものだ。その樽が、おそらくお漬物の樽の標準であるとすれば、これを毎日運んでいたら、腰がいくつあっても足らないほどの重労働だからだ。Img_3257 トロッコというのは必然の産物なのだ。

Img_3260 さらに、観光客を斜めに見つつ、大名町の混雑を横切って、昔の六九商店街のはずれからちょっと入ったところにある喫茶店「matka」で、O先生とさらに雑談を楽しんだ。どのような雑談なのかといえば、老人たちの雑談だから、人生物語の1ページということにはなるのだが。Img_3238 人生の中で、時間に間に合わなかった経験、つまり遅刻した経験で一番冷や汗をかいたのはいつなのかという、話すだに汗が湧いてくる話だったのだ。O先生は学生時代にヨーロッパ旅行で待ち合わせ時間に間に合わなかったのだそうだ。次の街でようやく追いついたという話を聞かせてくださった。なんとなく、北杜夫的な雰囲気のお話で、O先生のパーソナリティを思わせるエピソードだったと思う。乗り遅れた時の顔を拝見したかった。わたしもそういえば、高校時代に地学遠足で、バスに乗り遅れたことがあったのだ。

Img_3269 日中の温度がすっかり夏日となり、日焼けした顔を互いに見つつ、女鳥羽川を過ぎたところで、O先生は夕飯を食べにまた中心街へ向かい、わたしは、最終バスへ接続する電車に乗るべく、松本駅へ向かったのだった。Img_3273 O先生は、また夏カフェでと言って、すぐそのあとにも、カメラを片手に隣のビルを撮影していた。

O先生のブログはこちら

2016/04/30

北アルプスの麓、奥深い田舎へ来ている

Img_3012 連休を前にして、溜まった原稿をまとめようと、田舎にこもっている。世間と遮断して、ネットもメールも見ずにただひたすら、風呂に入って検討し、検討しては風呂に入るという生活だ。原稿が進むかと問われれば、そういうわけでもないのだが、湯船に浮かんでいると、肩の凝りが治り、明日の原稿のアイディアが湧いてくるかのように思えるのだ。

Img_3014 けれども、今朝はちょっと調子が違っていた。気温が異常に低く、風呂へ入るには寒すぎるのだ。零度以下には、もうすぐ五月だから、さすがにならなかったけれども、すれすれのところまでは行っていて、窓を開けると昨日の大風に乗ってきた冷気がさっとカーテンを揺らして入ってきた。昨日の、もの皆吹き飛ばすような春の強風は、この冷気の前触れだったのだ。それで(とつながれば良いのだが)、寒さを避けて、田舎から近くの地方都市である松本市へ、今日一日出ることにしたのだ。

Img_3023 朝一番のコミュニティバスに乗ったのだが、土曜日だということもあって、ついに乗客はわたし一人きりで、貸切状態で駅に着いた。バスという公器を独占しているようで、利用していない人びとに何だか申しわけないような気にもなりそうだが、しかし、これで誰も乗っていない時の運転手の方々の心持ちを考えると、もっと厳しいだろうから、やはり一人でも乗っていた方が良いに違いないと思い直した。

Img_3201 大糸線に乗ると、松本駅に近づくに従って混んでくる。若い人たちや、高校生たちが多いから、予備校や高校の補習授業でもあるのだろうか。長野県は昔から教育県と呼ばれているから、土曜日の登校くらい当然だと思っているのだろうな。このところは、小学校の学力テストでも、秋田に取られているし、長野県が教育県ということはあまり聞かなくなったのは、なぜだろうか。少し正常になったということなのだろうか。

Img_3206 松本駅を降りて、あがたの森公園へ向かって、駅前の大通りを大股で歩く。後ろから来た若い人が突然走り出し、何なんだと見ていたら、今度は交差点で並んだ背の高い女性も足早になって、とっとと先を急ぎ、わたしは何なく追い越されてしまう。右手にブックス&コーヒーの「栞日」が見えてきた。マスターがビルの前で話をしていたのだが、何かを思い出したように、入り口から駆け込んでいくのが見えた。昨年以来の「栞日」訪問である。カフェオレを注文する。岩手盛岡の地域雑誌「てくり」などが3階に展示されていて、すっかり岩手特集の様相だった。Img_3209 盛岡の喫茶店を特集していた「てくり」と「別冊てくり」を購入する。じつは来年度には、岩手学習センターで面接授業を行わなければならない。数年前にも、授業で行って、「光原社」や岩手大学内の農学校の校舎などを見学した覚えがある。今回、この雑誌を偶然手に入れ、これを見たからには、きっと充実した出張になる予感がするのだった。

Img_3052 今日の松本市出張の目的は、以前ラジオ講義でお世話になった松本クラフト推進協会主催の「工芸の五月」企画の中で、今度インタヴューをお願いしている椅子作家のSさんたちの「子ども椅子」展を見るためだ。Img_3050 松本市美術館のふかふかした芝生の中庭に60脚ばかりが置かれている。今日は展示の初日に当たっていて、しかも連休日だということで、家族連れや子連れが多く来ている。

Img_3060_2 25名の椅子作家たちが、数十年前のものから現在の新作に至るまでの子ども椅子たちを展示しているのだ。そして、この椅子作家の誰か一人が毎日の当番で説明に当っている。今日はH氏が担当だった。Img_3063 H氏は親子で「Kancraft」という工房を主宰なさっていて、注文家具の製作を行っている方だ。子ども椅子では、クルミ材や栗材、でできたコムバックチェア系統と、ボウバックチェア系統椅子を出展していた。

http://kancraft.jp

Img_3079 子ども椅子を作っている作家の方々へいつも質問するのは、「大人椅子と子ども椅子とどこが異なるのか」というものだ。もちろん、大きさが違うのだが、単に縦横を同じ尺度で縮小しているわけではないというところが肝心なところだ。それじゃ、具体的にどこが異なるのか、という質問を行って、楽しんでいる。皆さん、それなりの理由がユニークであるところが面白いのだ。Img_3091 特に、手仕事での椅子製作では、気になるのは採算の問題だ。これらは、ほとんど「企業秘密」に属する問題なので、密着取材をしないと得られない情報のひとつであり、興味深々のところがあるのだ。

Img_3148 松本市美術館では、「工芸の五月」に合わせるような企画で、「バーナード・リーチ展」を開催していた。これまで、大山崎の美術館や、新橋汐留の美術館で何回か観ており、とりわけスリップウェア系のものは、英国の伝統と、描かれた動物のダイナミックさが素晴らしいと思っていた。今回は、日本の民芸運動との関係をとりわけ重視しているところが面白かった。柳宗悦のリーチを評する言葉が壁に描かれていた。Img_3198 きっと構えた窯のあるセント・アイブスの英国と、日本などの外国での窯の間を行き来した陶人としてのリーチを捉えたものであると思われる。Img_3126 正確には覚えていないが、ものを作るより、「人を誘うこと」がうまかった、ということが強調されていた。一箇所に止まってしまってしか作陶できない仕事に就いていながら、「人を誘うこと」ができる社交の域に達するには、どのような人となりが必要なのだろうか。

Img_3116 市美術館を離れるころには、すっかり14時を回ってしまい、昼食時を逃していた。それで、中心街にある食べ物屋さんはどこも満員で、特に蕎麦屋の前には行列ができていて、入ることすらできない状態だった。Img_3139 観光客に人気の「しずか」にも待つ人が溢れていたのだ。それで、結局はいつものうなぎ屋さんで肝吸付きのうな丼を食べることにして、ひんやりと落ち着いた雰囲気の中で一息をついたのだった。

Img_3171 今日はたっぷりと椅子を見たので、取りあげる「今日の椅子」は60脚の子ども椅子全部だ。駅への道で、いつものジャムの店「シェモモ」で、三種類のコンフィチュールを購入する。この中で、りんごとライムのものが爽やかな味だった。これからの季節に合いそうだ。ワインは駅前の中島酒店で、並んでいる中で小布施が良いか城戸が良いかと訊くと、逆に日頃何を飲んでいるのか、と問われてしまった。それとの相対的な嗜好で、結局小布施の白ワインを勧められる。

Img_3164 それから、田舎にこもるには、眠気が大敵なので、いつもよりもかなり濃いめの焙煎で、少し甘さを感じるくらいのコーヒー豆ケニアAAを、焙煎豆専門販売店「ローラ」で買う。これに乗れば、山奥へのバスの最終便にやっと間に合うことになる、大糸線にようやく飛び乗ったのだった。

2016/04/23

卒業研究ゼミナールが始まる

Img_4033 今年度の卒業研究ゼミナールが東京文京学習センターで始まった。初対面にもかかわらず、皆さんがかなりのボリュームのあるレジュメを切ってきて、濃密なゼミになる予感を充満させていた。

東京のSさんと名古屋のKさんは昨年度からの継続なので、昨年度の総括をすれば、かなりの時間を取る発表になることは予想されていたのだが、新たに加わってきた岐阜のOさん、東京のKさん、神奈川のSも、このゼミが始まる前から、意欲満面の様相を呈していて、議論が期待できそうな雰囲気がこの第1回目からして作られていた。

Img_4032 もちろん、皆さんともに、不安がないわけでは決してない。卒業研究でもっとも困難さを感じるのは、時間だ。4月から始まって、11月の上旬には提出ということだから、実質7ヶ月で1本を書き上げなければならない。初回の論文なのだ。かなり蓄積を持った人でも、7ヶ月の猶予しかないと言われたら、尻込みしてしまうほどの集中した作業量を要求される。もっとも逆に、7ヶ月しかないと考えれば、それなりの諦めがつくから、どの程度の文献を読み、どの程度の分析を行い、どの程度の結論を導くのかが、最初から計算できるというメリットがあるのではないかと、気安めを述べるしかなかったのも事実だ。

Img_0732 今年度もたいへん興味深いテーマを持ち寄ってくださった。神奈川のSさんは福島の工芸運動についてであり、わたしの現在のテーマと重なるところがかなりありそうだ。東京のKさんは、社会はどこに存在するのか、という根本的な問題で議論が沸騰しそうだし、さらに岐阜のOさんは家庭ゴミ処理という極めて現実的な問題である。とにかく、スタートを切ったということで、気分を新たにして取り掛かっていただきたいと考えている。修士課程のゼミナールとは、かなり雰囲気の異なる、しかしながらもしかすると、少人数のメリットを生かして、大学院ゼミに優るかもしれない議論中心のゼミナールになるかもしれないという可能性を感じさせる、今日のゼミナールだった。Img_0733 帰ってから、キャンパスネットワークに設けた卒研ゼミナールの掲示板を見ると、すでに皆さん2、3回の書き込みを行って、スタートと同時にすでに活発なコミュニケーションを取り合っていたのだった。

Img_0734 ゼミの後、久しぶりに横浜の中華街へ出る。娘と会う約束をしていたのだ。娘の使い古したパソコンを譲り受けて、新たに再生しようという趣旨だったのだが、それは後にして、とりあえず空腹を満たそうと街へ繰り出した。このところ、娘は中華街に凝っていて、本通りを外れた、際どく旨い店を何軒か開拓していた。その中の一軒で、ワンタンの専門店というのがあって、そこへ入った。Img_0736 今日は土曜日だったので、本通りや市場通りなどは、歩くのもままならないのだが、関帝廟通りのこの店あたりにまで来てしまうと、人通りもその半分以下となる。店を知っている人びとしか訪れないという雰囲気が伝わってくる。

ワンタンと言っても、すべてスープのワンタンというわけではなく、餃子のような焼きワンタンや、蒸しワンタンなどがある。Img_0737_2 また、中の具が豚肉であったり海鮮であったりして、それなりにバリエーションがあり、わたしたち日本人の観念を上回る上海料理になっていたのだった。Img_0737 このような専門店には、ワンタン以外にも変わった種類のメニューが用意されていて、その中から、冷菜の「冷茄子」をとった。写真でわかるように、茄子が主体であるが、下に敷いてあるトマトとタレが効いている。そして、ワンタンとの組み合わせが絶妙な料理だった。紹興酒を飲みながら、ワンタンと冷菜というのも、悪くないのだ。

Img_0742 娘は来週始まる連休を利用して、モロッコへ行くそうだ。砂漠の中をバスと借り上げ自動車でドライブするコースを辿るらしい。外人部隊かカスバの写真を撮ってきて、と映画を思い出すようなレトロな物言いをしたら、それはアルジェリアじゃないのかと言い、さらにカスバが何なのかわかったら撮ってくる、と相変わらず高飛車なのか謙譲なのかわからぬ応答が返ってきたのだった。

2016/04/16

茗荷谷で大学院ゼミを行い、その後映画「スポットライト」を観る

Img_0723 ただひたすら足で稼いで、人と会って、事実を確かめる。これだけの繰り返しと積み重ねの映画だ。これだけで映画になるのだ。むしろこれまでの「映画的」なところがないのが、この映画のリアリティを生んでいる。こうなると、映画らしさとはなんだろう、と逆に考えさせられてしまうのだ。けれども、見終わると、まぎれもなくこの映画は本物の「映画的」な映画なのだ。

一人の神父が幼児虐待事件で訴えられ、それをボストン・グローブ新聞の「スポットライト」欄の鬼記者ロビー・チームが取り上げるところから、この映画の物語は始まることになる。そして、この事件には、幾つかの奇妙な現象がつきまとっていた。たとえば、事件の記録が残っていないなどのことだ。そこに、新任の編集局長が親会社のニューヨークタイムズから赴任してきて、この事件を取り上げることになるのだ。おそらく、ここにおいて記者という職業の勘が働くところなのだろう。何が特ダネ記事になり得るのか、という展開が続いていくのだ。それから、想像でしかないが、ボストンのカトリック信者の方がたがこの事件に遭遇して、複雑な思いを信仰に対して抱いたことは否めないだろう。この点については、ボストンという地域の特徴としても、よく描かれていた。

Img_0722 この映画の中でも感心するのは、チームの記者たちが、夥しい量の聞き込みをこなしていくことだ。そして、ひとつひとつ追っていくうちに、これらのひとつひとつの事実が、別々の切り離された事実ではなく、繋がっている何らかのものとして次第に見えてくるのだ。地域新聞の特徴がよく表れている。事実同士が繋がって、事実から真実がようやくにして見えてくる。段階があって、ひとつは一人の神父の問題から、複数の神父の問題へ広がったことだ。もうひとつには、証拠はすべて非公開にされていたのだが、これを公開する手段を見つけたことだ。これらのストーリーがどんどん広がって、結びついていく興奮は忘れられない。この映画を見て、新聞記者になりたいと思う若者が、確実に増えるのではないかと思われるくらいだ。

なんだ、この手法はまさにいつも論文作成で、わたしたちがやっていることじゃないか、と思い当たる。この映画自体は筋に近いところだけのクールな展開に終始するのだが、1シーンだけ若い記者が感情をむき出しになって怒り出すところがある。ここが特ダネを記事にするべきか否かのひとつの山場なのだが、老練な記者ロビーはまだだといい、部下の記者は機会を逃してしまうと焦る。論文作成でも、このような場面は必ずあるところだ。「やった」と思って、結論が書けたと錯覚するのだが、実際にはまだ真実に達してはいないのだ。

この映画でも、核心を掴んでから、さらに数ヶ月をかけて、実際の掲載記事が書かれるのだ。しかし、ここで山場から最後までの、この期間がほんとうに重要なのだ、ということは実際にものを書いたことのある人にしか、わからないだろう。

この展開は、確かに論文作成の過程に似ていると思う。論文の作成過程そのものなのだ。じつは昼間には、大学院ゼミを東京文京学習センターで開いていて、M2の人びとが少人数でじっくりと検討する機会としては、最後のゼミだったのだ。5月からは、大勢入ってきたM1の方々と一緒に、ゼミを開くので、どうしても時間が足りなくなるのだ。

そこで、今日はじっくりと、修士論文の結論へ向かうプロセスを検討したのだった。これは個々に異なるので、ここでどうだということはまったく言うことができないのであるが、総じて言うならば、一年間先行研究を続けてきて、単なる説明に終始する「記述」と、論文で描かれるべき「分析」による因果関係との違いが、わかってきたのではないか、ということではないだろうか。とは言うものの、わたし自身がそれを本当にわかるのか、と問われるならば、口を濁してしまうかもしれない。上記の映画のように、ひとつひとつがすべて繋がっていることを存分に意識していただきたいと思っている。

Img_0717 ゼミが終了してから、大学院学生OBH氏と近所の喫茶店を開拓すべく、茗荷谷から大塚方面へ歩く。お茶の水女子大学の正門前に、「Fuu」という居心地の良さそうなカフェを見つけて、ゼミの後の休憩をする。わたしはエルサルバトルの珈琲を飲み、彼はチョコレートパフェを食べながら、研究雑誌「社会経営研究」と「社会経営ジャーナル」の編集について相談をする。Img_0718 5月初旬に原稿締め切りがあるので、5月中旬から下旬にかけて、編集委員会を開いたらどうか、などと話す。委員の方がた、いかがでしょうか。いずれメールで日程調整を行いたいと考えている。店を出るときに、ランチの時間は混んでいますか、と聞くと、人気店らしく、行列ができてしまうほどに盛っているらしい。のんびりできそうな店なのに、時間に追われてしまうのは、ほんとうに惜しい気がするのだった。

Img_0724 大学のAさんからメールが入っていた。昨日までに何回かの大きな地震(阪神大震災と同じくらいだという報道もある)に見舞われた熊本には、「社会と産業」コースの教員だったH先生がいらっしゃる。数年前に熊本大学へ赴任したのだが、ようやく彼と彼の家族の安否が確認できたそうだ。阿蘇の麓にお住まいだったので、苦労して宮崎に出て、ご家族は東京へ向かったとのことだった。地震の直撃を受けた地域だったので、みんな心配していたのだが、とりあえず安心だ。振り返ってみると、わたしたちもちょうど1ヶ月ほど前に、これらの地震が起こっている大分・阿蘇・熊本とバス旅行をしていたのだ。あの雄大で緩やかな丘陵地帯の地底で、いったい何が起こっているのだろうか。

2016/04/09

映画「ボーダーライン」を観る

Img_3994 映画「ボーダーライン(原題:Sicario殺人者)」を観る。殺人者とは、ボーダーラインを超えてしまう者のことだ。この映画には、三つのボーダーがある。一つ目は、麻薬の密輸が行われる米国とメキシコの「国境」というボーダーであり、二つ目は国防総省、FBI、CIA、地元警察などの「組織」のボーダーであり、三つ目が個人間ボーダーというのか、「人間」のボーダーというのか、人間の中にある物理的、生物的、倫理的ボーダーだ。

Img_3990 女性のFBI員が組織のボーダーを超えて、国防総省のプロジェクトに加わるところから、このサスペンス・アクション映画がスタートする。次から次へ麻薬組織とボスをめぐって、殺人が行われていくので、何が真実なのか、何が倫理に適うことなのかがわからなくなるというサスペンスだ。でも考えてみれば、わたしたちの場合にも、生活のボーダーをちょっとでも外せば、このような危険地帯のボーダーはただちに現れることだろう。

Img_3989 わたしたちはいろいろなボーダーを持って生きているが、一度このボーダーが超えられてしまうと、どのような混乱が待っているのか、という映画だ。ここでは、麻薬カルテルの無法地帯で何が起こるか、というスリリングな展開が行われている。この状況もさることなれど、とりわけハリウッド映画がこのところ開発してきた戦争場面の描き方、その映画技術には残酷さを非情に描き出す場合に素晴らしいものがある。

Img_3993 この映像的なリアリティは、実際に現地で行われてきているという、経験に裏打ちされたリアリティなのだろうか。他方において、ボスを始末して、混乱を招くという手段は、統治の点から見れば最悪のシナリオで、この映画の根本的な不条理が存在するようにも思えた。

じつは、映画は夜観たのだが、今日昼の一日は、修士課程のオリエンテーションと第1回目の大学院ゼミナールだったのだ。自分の生活のボーダーを踏み越えて、修士課程という「無法地帯」へいらっしゃった新入生の方々を、ようこそ、と歓迎したい。

それぞれの抱えている問題意識は、皆さん異なっていて、現在は「無法」ような混沌とした状態であるけれども、いずれ明確な秩序を与えて、面白い修士論文へ仕上げていただきたいと考えている。

Img_3988 オリエンテーションの一言スピーチでは、先日発行された村上春樹氏の『職業としての小説家』を例に出した。村上氏が小説は1本だけなら誰でも面白いものを書くことはできる。けれども、常に良いものを継続して出せなければ、職業小説家ではないと言っている。これを逆手にとってスピーチに入れたのだ。つまり、論文も同じで、職業として論文を書くならば、継続してコンスタントに書かなければならないのだが、しかし修士論文は最初の1本目か、2本目かであるから、放送大学生は職業経験が豊富であり、それを総動員すれば、面白い論文を1本書くのはそう難しいことではないだろう、と励ましのスピーチを行ったのだった。

Img_3986 おそらく、自分の中にあるボーダーを、トンと越えることができた人だけが、面白い論文1本をものにすることができるのではないか、とちらっと思ったのだ。それと、放送大学生の特殊事情も、ぜひ常に考慮していただきたい。家庭と仕事と同時並行でうまくバランスをとらなければならないという、社会人特有の事情を皆さん抱えている。論文を書くには、物理的な時間の余裕がなければならないのだが、それが得られるためには、家族や仕事仲間との信頼関係をこれまで以上に築く必要があるということだ。家族の中のボーダー、職場のボーダーを越えて、あの映画のごとくの「無法」ではなく、ぜひ信頼を引き出してほしいのだ。

Img_3987 今日の椅子は、有楽町での映画時間を待つ間に、東京駅近くの東京ビルの地下で食事をしたのだが、そこでは、周りの場所とはちょっと異なった庶民的な店が並んでいる。それで、行列ができるのであるが、店の外での待合の椅子が乱雑に並んでいる。Img_3984 店の中の椅子と、店の外の椅子との違いがはっきり出ていると思われる。左の写真の曲木の椅子は、ふつう、天然の木の色が出るように作成されるのだが、やはり外で使われる椅子の特徴は、耐久性であり、塗装が厚化粧であるというところにある。同様にして、椅子風に作られた看板たても、塗装が厚く塗られていた。

2016/04/02

博士後期課程のオリエンテーションと「特論」

Img_3924 大学正面と図書館横の桜がきれいだ。新学期になって、オリエンテーションが午前中に終わって、午後から博士後期課程の授業というのか、あるいは共同ゼミというのか、「特論」と呼んでいる演習が始まった。このような形式で、先生方が全員揃って授業を運営する演習は、わたしたちの大学院時代では、到底考えられなかったことだろう。

Img_3920 なぜならば、先生がた十数人一箇所に集まるというのは、教授会や行事や会議ではありえても、授業では「個人商店」だと考えられていて、一堂に会すことはないからだ。しかも、みんな忙しい方々なので、4日間も一日中出席するのは日程調整だけでも大変だからだ。

一人の先生が一つの講義を行う場合と、十人の先生が同時に一つの講義を行う場合とを比べてみれば、その違いがわかるだろう。Img_3919 前者は通常の授業であるのだが、同じ90分しゃべるにしても、後者では、同時に十人分の負担がかかってしまっているのだ。経営として考えれば、これは明らかなのだが、労働生産性が一挙に十分の一になってしまう状態が起こっているということだ。もしこれが効率を優先しなければならない企業であったならば、到底許されるような状態ではないだろう。

Img_3926 けれども、大学は営利企業ではないので、たとえ生産性が十分の一に下がろうとも、同時に十数人の先生がたを投入しようとも、教育を熱心に行うミッションのもとにおいて、ためらうことなく労力を傾注するのだ。教育上の生産性は経済的には測ることができないという真実には揺るぎないものがある。もっとも他方において、確実に先生がたの負担は増えていることも事実なのだが。

Img_3921 博士新入生の方がたは、どのような感想を持ったのか、知りたいところだ。それぞれの担当の先生方が、新書版1冊あるいは単行本1冊くらいのエッセンスとボリュウムある内容の話を語ってくださるので、面白くないわけはないだろうと勝手に思っている。

Img_3922 たとえば、M先生は、戦中世代と戦後世代との違いが現れる統計データを示して、戦争の影響が生活のどのような点に現れるのかを印象的に話してくださった。K先生はなぜブータン研究を行うようになったのかについて、体験・経験を話してくださった。さらに、途中でH先生が天皇・皇后論の深奥を語ってくださった。なぜ時の皇后がその時々政治の舞台に立ち現れて来るのだろうか、といった疑問を提起して解読してくださった。さらに、T先生はオバマ政権は何を行ったのか、というホットな話題をわかりやすく話してくださった。

Img_3927 夢の国に浸ったようにも思えるし、どういう理由かわからないのだが、あたかも楽しい紙芝居が次から次へ展開していくような場面のようでもあるのだ。このようにして、めくるめく大学講義の展開が始まったのだった。さて、これで前半が終了したのであるが、最終的には、博士新入生の方がたがどのような意見や考えをレポートに書きつけて、それを送ってくるのか、たいへん楽しみなのだ。Img_3938

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2016/03/26

式とパーティとゼミ会と

Img_3834 この道は、毎年1回通る道だ。副都心線の渋谷駅を降り、宇田川町を横切り、山手教会の前からパルコへの坂道を登る。すると、左側にコーヒーショップが何軒か並んでいる。Img_3833 半世紀ほど前には、わたしも中学生で、この道筋にあったジロー渋谷店の前を通って、渋谷公会堂のコンサートへ通ったのだが、ここはその道だ。渋谷公会堂も、おそらく老朽化したのが原因だろうが、大規模な工事に入っていた。 卒業・修了式の前に、この道筋の1軒のコーヒーショップへ寄って、薄い珈琲をたっぷりしたマグカップで飲むことにしている。Img_3835 朝の新聞を読みながら、土曜の朝をゆったりと過ごす男性や女性がいて、みんな一人で珈琲を飲んでいる静かな店だ。

Img_3843 式会場のNHKホールへ到着する。玄関ホールの日当たりの良い場所に、いつも放送大学叢書の販売・展示コーナーが設けられており、今日も叢書編集を担当なさっている左右社のK氏とT氏が営業でいらっしゃっていたので、挨拶をする。Img_3848 そして、もうこのような光景を何回も見ることがないだろうな、とちょっと個人的な感傷に浸って玄関ホール上の階段に佇んでいたら、1985年の神奈川学習センター設立当初時代に話したことがあるという学生、四月から他大学の職員として出向するのだという修士修了生など、何人かの学生の方に話かけられたのだった。

Img_3850 卒業・修了式は滞りなく、スイスイと進行して、最後は校歌を会場全員で斉唱して、演壇は暗転となった。会場を品川プリンスホテルへ移して、懇親会パーティが始まる。移動ばかりしていて、人と人を結ぶような時間があるのか、と思われがちなのだが、至るところで止まる場所と時間が用意されているのだ。Img_3854 じつは会場の移動には貸切バスが使われており、その時の隣にお座りになる方との語らいは楽しい。今年は沖縄学習センターのセンター所長のT先生と話す機会を得た。脳科学と心理学が専門の先生で、参考にしたくなるような新しい知見を教えていただいた。

Img_3865_2 式の前から予想をしていたのだが、今年のゼミの修士修了生は結束が固く、一つのテーブルをゼミで占めてしまった。例年おしゃべりに夢中で、多く食べることができなかったのだが、今年はM氏たちが立食ビュフェのご馳走をたくさん運んできてくださったのだった。Img_3866 それで、お腹の方はすぐに満足されたので、今年復活した日本各県の銘酒コーナーへたびたび出かけて行って、各地の珍しい酒を十分に堪能したのだった。このコーナーは社会人大学らしい特色を持っていると思うのだ。Img_3857 日本全国に学習センターを持つ放送大学の地域特性を、味覚的・視覚的に強調していて、楽しむことができる。お手伝いいただいた弘明寺商店街のK酒店のご主人をはじめとして、神奈川学習センターの所長K先生や学生の方がたに感謝したい。どうやら、数学のK先生とわたしが、とくに多く、このコーナーに来ているらしいのだ。

Img_3856 ここは他の先生方も立ち寄る場所となっているので、日頃話すことができない他コースの先生と懇談できるというメリットがある。N先生やO先生やI先生やK先生やM先生にそれぞれ相談を受けていただいたり、また雑談したりしてインフォーマルの場としても、うまく機能しているのではないかと思われたのだった。また、今年度が最後だという、転勤する放送大学職員の方がたにも、声をかけていただき、一緒に写真に収まったのだ。

Img_3858 懇親会では、退任なさる先生方の紹介が行われた。退職の先生方は、学習センター所長の先生方も入れると、今年は14名いらっしゃる。わたしの所属する「社会と産業」からはM先生とD先生が退任なさる。先日群馬で送別会は済ませたのだが、M先生には改めてお別れを申し上げた。退任の先生方を代表して、日本中世史がご専門のG先生がスピーチを行って、その中で日本全国の各県での面接授業を制覇なさったとのことだった。Img_3871 先日お会いしたI先生もあと1年ぐらいで全国制覇だとおっしゃっており、じつはわたしも再来年辺りにはようやく全国制覇を遂げることになる。考えてみれば、各県ごとに、11時間ほどの講義を多くの先生方が行っている大学というのは珍しいだろう。Img_3877 もっとも、テレビとラジオではすでに「全国制覇」は放送大学の先生方みんなが果たしているのだが。今後、若手の先生方の多くは毎年2箇所のノルマがあるので、わたし以降年齢さえ積めば、おそらく続々と全国制覇する先生方が出てくるものと思われる。

Img_3872 今回は、さらにわたしのゼミのみんなが拠点としていたテーブルからたびたび離れて、他のテーブルでの歓談も大いに楽しむことができた。とりわけ印象に残っている何人かを覚えている。車椅子で参加されていた女性の方は、わたしの担当した授業科目「社会の中の芸術」を取ったとおっしゃっていて、中でもワインの話を憶えていてくださって、そして、その後東京でも甲州ワインの買える店を実際に探したそうだ。思い入れをそれほどしていただけたとは、しゃべった者として有り難い限りだ。

Img_3873 また、先生方が学生のことを観察するのは、論文指導の過程ではどの大学でも普通にあることなのだが、この大学ではむしろ学生の方が先生をじっくりと観察しているから要注意だ。他のプログラムの修士を修了したという女性の方がやってきて、指導に当たった先生方の様子を聞かせてくださって、たいへん興味深かった。ふむふむ、あの先生はそうなのか。

Img_3882 最後に、クロークに預けた荷物を取るために並んでいたら、すぐ後ろの学生の方が、わたしの1990年代に担当していた授業科目「家庭の経済」を受講したとおっしゃったのだ。放送大学に入って最初に受講した科目だったそうだ。それで、内容が少し変わっていたので、印象深かったとのことだ。そういえば、当時もこの科目は、家庭を扱っているのだが、ちょっと異なる印象を受けたと言われたことが多かったのを思い出した。まったくのところ、20数年前の科目を覚えてくださっていて、たいへんありがたかったのだ。

Img_3883 パーティも終わりに近づき、ゼミの面々がこの後ゼミ会を開催したいということで、隣のグースホテルのティールームへ行く。やはり土曜日は満杯で、ちょっと待たされたが、待った甲斐のあるゆったりとした五人掛けのソファーの席に案内してくれたので、ケーキとコーヒーをいだだきながらゆったりとしたのだった。放送大学大学院を修了する感想を全員の方が述べてくださった。Img_3881 でも、やはり話題の中心は、いかにして修士論文を書いたのか、ということだった。Mさんが中心となって、同期の方には、必ず全員の人が修士論文を提出するようにという圧力がかかっていたらしい。その恩恵もあって、今年度は珍しく一人も脱落することなく、最後には全員が2年間で修士論文を提出したのだった。集団というものは、恐ろしいものだ、と良い意味で思ったのだった。

Img_3885 名残惜しかったが、新幹線に乗らなければならない方もいらっしゃるので、品川駅で解散となった。いつもながら、第二論文を書くことを待っています、とみんなに別れの言葉を伝えたのだった。最後になってしまったが、遠隔地に住んでいる、あるいは仕事や転勤で出席できない、ゼミの卒業生・修了生の方がたにも、おめでとうと伝えておきたい。おそらく一年のうちで最も多くの人びとと、社交を楽しんだことになる、特別な一日が終わったのだ。

2016/03/11

真田時代の用水を見る

Img_3717 今日は、昨日の話に出てきた「押野用水」が残っているというので、須川宿の北東に位置する禅寺の泰寧寺へ行くことにする。20分ほど歩くと、寺の前には、立派な用水が通っていて、岩場が見事に作られているのがわかった。Img_3706 水量も豊富なので、江戸時代にこのような治水技術があったのであれば、すごいことだと感心して、さらに歩を進め、寺の山門前へ差し掛かると、写真のような立て札が立っていた。細い水路が通っており、それを辿っていくと、山の奥深くへずっと連なっているのがわかった。Img_3716 こちらが、ほんとうの「押野用水」であった。この細さでは、この数百ヘクタールある河岸段丘上のすべての田畑と、宿場の水を供給するには到底難しかっただろうと推測された。とすれば、あの立派な宿場の一本水路を潤した水は、かなり貴重な水であったのではないかと考えられるのだった。

Img_3714 お昼は昨年もお世話になった、「たくみの里食堂」でジビエ料理だ。昨年はシカ料理中心だったが、今年はイノシシ料理中心のメニューだ。最初に出てきたのは、イノシシの脂身の多い肉が入っている煮物だ。ニンジンやこんにゃくが旨い。Img_3741 酒は場所からいって「谷川岳」の温燗。最初は、おからとごぼうの和え物、ふきのとうの苦みが美味しい揚げ豆腐、山ウドのきんぴらなどで、野菜づくしの料理で身体に良い。Img_3744 そのあと、酒の肴に最適なイノシシのリブ、柔らかいももの焼肉、少し歯ごたえのある肩肉などが続いた。妊娠していない若い雌のイノシシが犠牲になったらしい。成仏するように祈りつつ、みんなで有難く頂いたのだった。Img_3742 途中イノシシのソーセージと一緒に出た芽キャベツも、地元の新鮮なもので美味しかった。Aさんはソーセージが気に入ったらしく、晩御飯のおかずに1打程のソーセージを獲得していた。最後は、昨年と同じ、手打ちそばだ。

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ここの食堂も何人かのオーナーが替わっている。それで、今のオーナーがどのようにして、椅子との調合を企てたのかを聞いた。カウンターと座敷のヘリの木材が残っていたので、部屋の備品は、その木材の様子に合わせて備えられて行ったとのことだった。この写真の椅子とテーブル、さらに本棚(これは奥さんの小学校が廃校になる時に理科室の実験用具入れを頂いたそうだ)、そして壁代わりに使われている桐ダンス。Img_3756 そして、きわめつけは薪ストーブだ。ここにお燗のための昔の弁当箱があって、山小屋風を醸し出している。この暖かさならば、一日中でも本を読んで、座っていたいと思うだろう。先生方の何人かは、食事の後、散歩せずに、実際にここに座って居眠りをしていたそうだ。

Img_3634 わたしはじつは、昨年欲しいと思った鉄のコーヒーメジャーを手に入れるべく、「絵マッチの家」へ向かったのだが、残念ながら、すでにコーヒーメジャーは展示していなかったのだ。Img_3636 ここにも喫茶室があり、三方向が窓の明るいストーブ室となっている。早速、一番古い椅子をストーブの前へ持ってきて、暖をとることにする。ストーブの前に座り、美味しいコーヒーを飲んで、本を読むという、至福の時を過ごしたのだった。

Img_3639 「絵マッチの家」の「部屋と椅子」の関係についても、聞いてみた。この部屋は、母屋から拡張させて出城風に家から出っ張っている。黒い梁と白い壁が特徴であり、この部屋が椅子より先に作られたのだそうだ。そして、テーブルと椅子が入れられたとのことだ。Img_3760 特に、昨年紹介した鉄職人の方が初期の頃に作ったテーブルと椅子が、真ん中で、この部屋の特徴を代表しているのだが、それとは別に、個性的な椅子も並んでいる。Img_3759 椅子の背板に箱が取り付けられているのは、たぶん教会の椅子で、聖書などが入れられるようになっているのだ。西欧ではよく見るタイプの椅子だ。この薪ストーブには窓が付いていて、中で木が燃えているのが見える。Img_3758 炎がメラメラと燃えさかるのに合わせて、自分の中でゆらゆらと時間が経っていくのを楽しんだのだった。

2016/03/10

「社会と産業」コースの合宿

Img_3677 毎年恒例となっている、「社会と産業」コースの先生方の合宿が行われた。群馬のみなかみ町にある、KW先生の親戚が経営なさっている湯宿温泉「湯本館」で、午後から重要な会議、その後、D先生とM先生の送別会、K先生の歓迎会となった。Img_3764 もちろん、会議などは放送大学の仕事なので、当然大学が費用を補助してくれるのだろうと、大方は思うだろうが、一切そのようなことはなく、全部私費参加であり、心置きなく楽しむことができるというシステムだ。D先生とM先生のお別れの言葉も、たいへん楽しいものだった。別れの時こそ、人が懐かしく思える。

Img_3627 また、これも恒例となった三国街道の須川宿資料館での資料見学も、待ち合わせたわけではないのだが、H先生と一緒になって、今年も学芸員の方のお話を伺うことになった。宿場の真ん中に用水が通っていたという江戸期の古地図を何枚も比較して見せていただいた。「なぜこの宿場の街道には、用水が真ん中に一本だけ通っていたのか」という謎に、ここ数年取り組んでいるのだ。

Img_3608 今年新たに加わった知識としては、じつはこの毎年話題にしていた、用水がいまNHKの大河ドラマ「真田丸」で有名になっている、沼田真田家の統治時代に作られたという事実がわかったのだ。江戸時代の初期には、このみなかみ町も沼田城主であった真田家が治めていた。第5代当主の真田伊賀守の時代に、この道の真ん中を通る用水が当時の最新技術で作られたのだそうだ。たとえば、水が山の登り坂を遡る技術が、この台地に入ってくる「押野用水」で使われているらしい。幕府あるいは真田の中に、かなりの治水技術の蓄積が進んでいたのだ。

Img_3629 なぜこのような用水の技術が発達したのかが重要なのだ。沼田藩には、河岸段丘が多くあり、その下を流れる川には豊富な水があるのだが、河岸段丘の上には当然水がないのだ。この段丘の上に灌漑用水を通すなどの治水事業がうまくいけば、農業が盛んになり豊かになるという時代を迎えていた。だから、江戸時代には、この地方にいくつかの有名な用水が作られており、須川宿の用水も、この典型例であったということになる。

Img_3612 今回の資料館の展示物のメインが、じつは当時の「検地帳」であった。学芸員の方の説明の中で、年貢の話が出てきて、ちょうどこの時代に用水ができて、収穫が増加したと考えられるのだが、同時に、年貢の元になる検地が見直され、それまでこの地域の石高は3万石だったのが、一挙に約14万石に変えられたということであり、年貢が4倍以上になったという過酷な状況が生じたことになるとのことだった。いくら用水が開通したからといって、収穫が4倍になるというのは考え難いところだ。Img_3613_2 このころ、百姓一揆や直訴が行われたという資料が数多くあるらしい。隣村である月夜野村での伝説的な「磔茂左衛門」のこともある。その後、真田が改易になった時、約6万石に評価が変更になって、統治が落ち着いたということだ。Img_3701 段丘の農地、用水の整備、生産性向上、年貢の評価などが、一直線上に並んで結びついたという面白さが、今年見られたのだ。これらのことは、KW先生からいただいた「歴史的農業用水」資料で確認されている。

Img_3734 H先生は環境から見る建築学がご専門なので、年貢のことよりも、この用水が宿場でも使われ、さらに農業用水でも使われ、地域環境全体を見る視点を与えてくれることに、興味を示していた。まだまだ、発展の可能性のある須川宿の「用水論」であることがわかったのだ。

Img_3697 ところで、今回KW先生から歴史資料を頂いたので、かえっていろいろな疑問がわいてきてしまったのだ。たとえば、須川宿と、東峯須川村と西峯須川村との間には、なんとなく齟齬があって、最初に1660年代に須川地区が主導権を持って、用水工事を進めようとしていたのだが、途中からそれが中止になって、村側からの「押野用水」が再開されたという事件も不思議なのだ。さらに謎なのは、村側からの技術者が幕府の関係する技術者であったらしい。Img_3692 すでに真田には、沼田の河岸段丘への灌漑用水建設で、1世紀以上前から用水技術が蓄積されていたのであるが、それにもかかわらず、幕府からの技術者が呼ばれている。想像でしかないのだが、真田側と幕府側の駆け引きがかなりあったのではと勘ぐってしまう。Img_3695 さらに、20年後に真田がこの地区の年貢の過酷な取り立てで、改易になることにまで、この出来事は続いているような気がするのだ。一大歴史ロマンを最大に広げてしまったのだったのだ。

2016/03/05

九州の喫茶店を歩く

Img_0670 妻の申し込んだ今回の九州温泉ツアーには、オプションと称する追加旅行がたくさん付いている。それは、参加者の満足と利便性を高めるために付いているのだが、怠け者を自認するわたしのようなものにとっては、このようなオプション旅行が多ければ多いほど、その時間を利用しての自由時間の余裕がそれぞれ1時間ほど増えて、たいへん喜ばしいのだ。Img_3276 大ツアーに応じておいて、小ツアーを避けるというのは、たいへん矛盾しているのだが、今回はそれが良い方へ転回したのだった。自由時間の主たる狙いと定めたのは、喫茶店巡りだ。

三つの喫茶店へ寄ることができた。とりわけ、シリーズとなっている椅子の採集にはたいへん役立ったのだった。Img_3364 初めての土地で、しかも初見で良い喫茶店かどうかを見分けるのは、かなり難しいのだが、今回はハズレがなかったということでも良い旅行に行ってきたと思うのだった。

Img_3431 このところ探っているのが、喫茶店の「部屋を先に作ったのか、それとも、椅子を先に作ったのか」論争であるのだが、いくつかの結論に近いものが出てきそうになりつつある。一つ目の喫茶店では部屋が先だった。二つ目の喫茶店では椅子が先だった。三つ目は以前からのものを受け継いだ喫茶店だった。これらに共通していることは、どのようなことだろうか。

Img_0680 旅行の1日目には、泊まりは別府だったのだが、そこへ行く前に福岡空港から湯布院の街へ回った。この湯布院という観光地にはランドマークとなるような、有名な金鱗湖という湖があって、その周りに喫茶店が集中している。Img_0681_2 みやげ物屋から少し離れてゆったりとした地域なのだろうか。湖水に面した喫茶店で、観光客が吸い込まれるように入っていく「S」という店があって、絵画なども展示していて、見るからにリゾート地の喫茶店風をしていたが、当然のようにして、その前をパスした。このようなところでは、地元客が行くような、目立たなくしかし自信を持ってずっと続いているような店を探すことにしている。「S」を出て、さらに寂しい道を一本入ったところに喫茶店「キャラバン」を見つけた。

Img_0682 二軒が横に並んでいて、どちらかにたくさんの客が入るのであれば、それなりの理由があるのだ。けれども、二軒が前後に並んでいて、前にたくさん入るのは当然で、むしろ後ろにあってずっと店を継続している方に、敬意を持つことにしている。

Img_0686 キャラバンのご主人は、数年前に博多の店をたたんで、湯布院へ移ってきたそうだ。その時に、この店を建具大工ではなく、建築大工屋に任せたそうなのだ。そこで出来上がったのが、そば屋さん風のカウンターであったと嘆いていらっしゃった。その大工さんはそば屋を作ったことがあるのだが、喫茶店を作ったことがなかったのだそうだ。なるほどなるほど、カウンターの板を見ると、縦に細い板が隙間をとって並べられている。一枚板のカウンターという喫茶店の常識から逸脱しているのがわかる。Img_0683 さらに、このカウンターを眺めた目で見ると、その脇の作り付けのテーブルとベンチも、なんとなく居酒屋さん風に見えてくるから不思議だ。木造りが良いと注文したらしいのだが、その木造りが和風であったのを知るのは、できた後だったらしい。

Img_3405 それで、ご主人は急遽テーブルと椅子をカナダから取り寄せたり、コーヒーカップをたくさん並べたりして、現在の喫茶店のインテリアを調整したのだ、とのことだった。最初の和風を消すことに、かなりの労力をつぎ込んだことがわかる作りの喫茶店だった。つまりは、部屋が出来て、それに合わせて普通は椅子とテーブルが選ばれるのだが、そうではなく、部屋の趣向を打ち消すために椅子とテーブルが選ばれたという、たいへん面白い事例だったのだ。

Img_3380 時間がなかったので、コーヒーを淹れながら、お話を聞いたのだが、深煎りのコロンビア・グアテマラ・浅煎りのモカなどのブレンドで、旅行にあっても、時々このような美味しいコーヒーに出会えるならば本当に言うことはない。

Img_3389 二つ目の喫茶店は、「雲仙温泉」へ移動する最中に立ち寄った長崎駅近くの「ROUTE」だ。これもオプション旅行に加わらず、余裕ができたために可能になった喫茶店訪問だ。妻が舟越保武の「二十六聖人殉教碑」を見たいということで、西坂公園に行ったのだ。Img_3394 そこで公園のベンチに座って、ゆったりと碑を眺めたのだった。戦国時代から江戸時代、さらに昭和時代から平成時代へ、と空の青さがつないでいたのだった。

妻が買い物へ行ったので、公園から街を見下ろしていたら、近くのビルに、「ROUTE」の看板が見えた。Img_3403 2年ほど前にできた喫茶店で、さらに近年には3階に宿泊所と1階にレンタル自転車の店が併設されている、複合的喫茶店だ。気安く入りやすい雰囲気が素敵だった。

木の椅子やテーブルやさらに内装が良かったので褒めると、店主がこのビルの内装を請け負った工務店の絵葉書のような、パンフレットを持ってきてくださった。Img_3400 そこには、この店の改装の様子が載っていたのだが、さらに目を惹いたのが、フィンランドの建築家アアルトのサマーハウスの記事だった。建築家が椅子作りの名手である例には、後を絶たないほどたくさんあるのだが、中でも、アアルトの合板作りの椅子は有名で、今回のわたしのテキストでも取り上げさせてもらっていた。Img_3595 このパンフレットのサマーハウスの中にも、それらの椅子を見ることができたのだった。つまりは、家に合わせて、椅子が作られ、椅子に合わせて家が作られたのが、アアルトのサマーハウスなのだ。

 

Img_3408 もちろん、喫茶店「ROUTE」の椅子も素敵で、窓際の二つの個性的な家庭椅子がまずあって、それに合わせるようにして、部屋が作られ、さらにテーブルと他の椅子が加えられて行ったのだとおっしゃった。この居心地の良さは、これらの椅子への気遣いに現れていると思われる。Img_3409 この喫茶店には、いろいろの種類の椅子が配置されていて、カウンターには高いスツール、窓際にはスペイン風の椅子で座面を張り替えられたもの、さらにわたしの座った曲木の椅子、そして奥には大勢座れるソファと大きなテーブルがある。多様な座り方ができ、どのような組み合わせでもできるように配置されていたのだった。

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三つ目の喫茶店は、最終日の佐賀空港へ向かう途中に立ち寄った太宰府の街の喫茶店だった。ツアーなので、太宰府天満宮まではみんなと一緒に行かねばならない。けれども、その後の昼食は各自とることになっていたので、九州国立博物館から公園を降りて、賑やかな山門通りから少し離れた光明禅寺の裏通りに、木工の喫茶店があったのを思い出して行ってみた。出張で一度来たことがあるのだ。けれども、この喫茶店はコーヒーだけだったので、子ども椅子など見学させてもらって、すぐに退散した。そして表へ出ると、すぐに三つ目の喫茶店「GOKAKU」が見えた。

Img_3580 GOKAKUには、太宰府の「合格」祈願の意味と、太宰府にちなんだ梅の花の「五角」の意味とがあるとのことだった。ここの野菜カレーを注文したのだった。カレー・ルーにはたくさんのスパイスが入っていてコクがあった。野菜がそれぞれ姿のわかるように大きく裁断されていて、それをオリーブオイルでさっと揚げてある。Img_3581 野菜の好きな人であれば、きっと来たくなるような喫茶店だ。山門の方は観光客であふれかえっている。とりわけ、近年は中国や韓国からの観光客が多く、道が混雑で歩けないほどだ。それに比べて、こちらの博物館へ通ずる道は静かで穏やかな住宅街を通っていて、散歩コースとしてオススメだ。

Img_3582 この喫茶店の椅子は、カリモク系のシンプルなものだ。けれども、それらは部屋にあっている。部屋自体が白い壁に、明るい木製の床だからだ。奥の大きなテーブルだけは、家から持ってきたとおっしゃっていたが、この辺が全体の調和とはちょっと違っていて、オーナーからの受け継ぎがあって、その後の自分の調整が始まろうとなさっているのかな、ということを感じさせたのだった。

Img_3310 さて、今日の椅子はどれにしようかな。たくさん候補がある中で、阿蘇の温泉場で、客との間で裸の付き合いを長らく行ってきた木製スツールを取り上げることにしよう。真ん中に穴が空いている特徴を持っていて、温泉から上がっても、濡れたままでこの椅子に座ることを想定しており、しっかりした作りを見せている。いままで何人の温泉客が、濡れたお尻でこの椅子に腰掛けたことだろうか。

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  • 坂井素思
    放送大学教員で、社会経済学領域を研究しています。