2016/08/14

お盆と椅子の日々(2)

Img_4628 今日は、妹夫婦が釣りに行くというので、成果を待っていたところ、この近くの川の上流で、ご主人が見事に岩魚を釣ってきた。これは今晩のおかずにすることにして、それで昼食は蕎麦にしようということになり、この一本道を北アルプスに向かった。道路を道なりに一直線に行くと、日向山地区があり、その地域からさらに山奥へ進んでいくと、蕎麦屋が見えてくる。

Img_4621 じつはその手前には、黒部ダムの観光へ行く人たちの予備の駐車場が設けられている。こんな山奥で、さらにこの予備の駐車場でさえ、こんなに何千台もたまっていて満杯の状況なのだ、この自動車文化の極致と言えるような状況を、こんな山奥で体験するとは思わなかった。自動車文明を超える論理を展開できていない、現代の状況についてゾッとした感触を受けたのだった。もちろん、展開できない原因は明らかで、複雑性が増しているために表には現れてこないことが数多くあるためであり、それはわたし自身にとっても認識不足でお恥ずかしい限りなのだ。

Yamagatachair この蕎麦屋の隣に、5月に工芸店「グレイン・ノート」で個展を開いていた、Y氏の工房「木楽工房」がある。一度は訪れてみたい場所だった。木造二階建ての工房と、昨年まで喫茶店だった平屋のショールーム、さらに住宅と連なる建物が街道沿いに建てられている。奥様が外で作業をなさっていたので、声をかけて、Y氏を呼んでいただく。仕事の邪魔になるならば、出直そうと考えていたのだが、幸い笑顔で工房へ導き入れてくださった。

http://www.kirakukoubou.com/

Img_4622 二つの点で興味津々の話を伺うことができた。一つは、椅子修理の話である。30年前に作られた、居酒屋用の民藝椅子がこの工房に5脚運び込まれていた。修理の注文だということだ。全部で40脚の椅子の修理作業を行わなければならないという、珍しいところに遭遇したのだ。このような修理作業の現場には滅多に遭うことはないので、幸運だった。民藝椅子の特徴は、すべてミズメの木製で、金属の木螺子などはまったく使用されていない点にある。それで、修理の中心は乱暴に使われたために、「ほぞ」が緩んでしまったところの組み直しと、Y氏が得意とする座編みの編み直しだ。ここで、興味深かったのは、椅子の大方の設計構造はほぼ同じなのだが、「ほぞ」の組み方が職人によって異なるという、違いが見えてきたという点だった。これだけならば、それほど興味深いとは思われないのだが、実際に椅子というものは、「ほぞ」同士が交差するところなどのような、見えないところにこそ、手仕事の緻密さが出ているのが説明を聞いていてわかった次第なのだ。

Img_4623 もう一つは、文字では表すことが難しい椅子の構造の話だ。Y氏の独自に創作する椅子は、立木を鉈で割ったような柱の仕上げになっている。もちろん、細部は丁寧に鉋かけしてあるので、すべすべした感触なのだが、全体として荒々しさという点を強調する作りだ。それで、この荒々しさを残しつつ、しかも曲線の滑らかさを取り入れるにはどのようにしたら良いか、という工夫をお聞きしたのだ。この辺になってくると、設計図にはなかなか残すことが難しいし、もし図面に起こそうとするとたいへん面倒臭い表現になってしまうために、話はすごくわかりやすいのだが、客観的にはどのように記述したら良いだろうか、と迷ってしまうところなのだ。上下左右のバランス感覚の問題であり、頭から手仕事へつながる、曖昧な想像力が発揮される部分だ。

Img_4624 とりわけ、座板と肘木が後ろの脚と結合される部分の話が面白かった。見る人が見れば、「なるほど」ということになるのだそうだが、おそらく座る人はそこまで意識して座る人はいないだろうということだった。Y氏の表現が秀逸で、「二次元の素材を三次元の素材として利用する方法」なのだそうだ。これでわかってしまう人びとがいるということを知って、この世界の懐の深さを思い知ることになったのだった。9月に行われるグレインノートでの椅子展にも2点ほど出品なさるそうなので、楽しみにしたい。

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2016/08/13

お盆と椅子の日々(1)

Img_4550 お盆とピザの季節がやってきた。午前中早々に、妹夫婦と一緒に、お墓まいりと親戚のT家への挨拶を済ませた。大町市内は、標高が高いだけ、日差しが強い。T家では、お盆休みで、一家の皆さんがいらっしゃった。白玉とコーヒーゼリーの甘いもの、さらに恒例のお漬物をいただいた。また帰りには、畑で採りたての野菜をどっさりといただいた。

Img_4549 昼食をとったのは、毎年訪れることにしている、森の中のパン屋「パン・ド・カンパーニュ」である。予約を取っていたのだが、石窯の前の席はすでに早い時間の予約客で満杯だったので、子供部屋になっている八角形のストーブのある小屋の席を空けてくださる。Img_4566 駐車場には、品川ナンバーや足立ナンバーの車が並んでいたので、帰省客や観光客がかなり訪れているものと思われる。

まずは、地元産の無印リンゴジュースで喉を潤してから、マルゲリータ、きのことゴーダチーズ、さらに夏野菜ピザを次々と食べた。Img_4560Img_4559 Img_4564 Img_4561 Img_4562 このパン屋は10年ほど前に、妹夫婦が車で通りかかって、我が家にとっては「発見」された。1992年創業の店だ。幹線道路からは少し入ったところにあるので、なかなか分かり難い場所にある。Img_4556 現在ピザを焼いている息子さんが当時はまだフランスへ修業に行っていたので、パンだけが売られていた。むしろ、父親のご主人がやっている木工の注文家具屋として開店していた。けれども、天然酵母を使っている味が独特で、わたしたちも妹夫婦に教えてもらって、ようやく知った次第なのだ。Img_4567 そして、息子さんがフランスから帰ってきて、石窯を構えてからは、夏のピザの常連となったのだ。

安曇野市の穂高には、椅子の作家たちがショールームを構えていて、その中の一つでも良いから、かねてより行ってみたいと考えていた。Img_4587 けれども、わたしは自動車を運転できないので、電動付き自転車でも穂高で借りていこうとおぼろげながら計画していた。今回、妹のご主人がレンタカーを借りて、穂高へ行ってくれるというので、便乗して、北アルプスの麓を並行して走る、山麓線(安曇野アートライン)と称する道路を南下した。

Img_4586 美術館やハーブの店や地元産の野菜などを売る店が、何キロにわたって続いており、その中に目指す「アトリエ宇(そら)」がある。ここは、信州木工会のU氏が経営する工房とショールームがある。無垢材の椅子やテーブル、子ども椅子と卓袱台のセット、木のカトラリー、友人たちの陶磁器などが展示即売されている。ホームページは以下のところだ。

http://sfrsora.exblog.jp/

Img_4589 ここで最も聞きたかったことは、通称「ドワーフ椅子」と呼ばれているU氏の作る「子ども椅子」についての発想についてである。この椅子はすでに5月の子ども椅子展で拝見していた。もっとも、その時の材質は黒いウォールナットだったけれど。この子ども椅子の特徴は、座面が柔な曲線で囲われているにもかかわらず、全体としては頑丈な構造を持っている点である。とりわけ、座面の形に特色があって、人間の足が二本出ているのに沿って、凹凸がつけられている点だ。なぜ凹凸なのか。また、なぜ背板が細いのかなど、幾つかの疑問が存在する。

Img_4588_3 座面については、すぐに疑問は解決した。当初、これらのチェアは、「ハート・チェア」と呼ばれていて、座面を意図的にハート型にして、子どもにもわかりやすい形を取り入れたからだということだった。Img_4594 それじゃ、なぜ途中からドワーフ・チェアになったのかというと、保育園からの注文で、卓袱台とのセットで作ったことからで、そのときのセットの卓袱台は7色の無垢材が組み合わせて作られており、この7色に合わせて、椅子も7色の種類が作られたのだそうだ。それで、グリムの「白雪姫と7人の小人」童話から、小人のドワーフ族が連想されたのだそうだ。

Img_4592 もう一つ興味深い点は、このドワーフ椅子には、大人用も作られていることである。じつは他の作家の多くが大人椅子のデザインが先にあって、子ども椅子が後で作られるのがふつうなのだが、この椅子に限っては子ども椅子が先に作られたそうである。そして、のちに大人用に作られて、この形になった。Img_4593 大人椅子と子ども椅子とは、ふつうそのまま同じ尺度で拡大したり、縮小したりしたのではそれぞれ成り立たないことはわかっている。ここが微妙なところであり、縦横の拡大や高さの調節には、勘による部分が大きくて、設計図には残されていないそうである。

このような勘に頼る方法の欠点は、試作品を作るときと同様に、不確実性が残っているために、「失敗」に至る可能性がつねに存在する点である。Img_4591 U氏のこのドワーフ椅子の発展系には、上記の大人椅子と、もう一つ「大人用ハイチェア」とがある。じつは、このハイチェアへの発展を計画しているときに、「失敗」が起こったのだそうで、二つのハイチェアを見せてくださった。つまり、ドワーフ椅子の脚をずっと伸ばしたときに、背板の傾きと椅子の大きさとのバランスが崩れたのだ。けれども、完成させてしまえば、この椅子に合う利用者を見つければ別に「失敗」というわけではないだろうと思われるのだが。

Img_4595 最後に、興味深かったのは、U氏が複数の職人の方々と共同で工房を運営している点である。このところ、わたしが椅子製造の統計を扱っていて気付いたのは、日本の家具メーカー全般に事業所規模が小規模になりつつある点である。このときに問題なのが、若手の育成である。規模が大きくなれば、教育訓練の費用が賄えるが、小規模になればなるほど、その余裕がなくなることになる。つまり、現在の日本の家具メーカーでは、この若手の育成に「失敗」しつつあるのではないかと推測できるのである。

Img_4603 この点で、U氏の考え方はたいへん参考になったのだ。つまり現代においては、松本民芸家具などでかつて見られていたような、職人特有の徒弟制的なキャリア形成は難しくなってきているのだから、徒弟制とは違う形で、若手育成を図る必要があるとのことだ。一つのヒントは、古典的ではあるのだが、若手に下請けを受けてもらうことで、同時にOJT的な育成を図る方法である。つまり、積極的に作品の部分をアウトソーシングすることで、若手に同様の技術を身につけてもらうという方法だ。U氏は実際に行っていて、手応えがあるのだそうだ。この工房に来てもらって制作を手伝ってもらうことも考えているそうだ。若手の起点になればということらしい。

Img_4578 この工房で共同制作している若手職人の子ども椅子も、このショールームには展示されていた。ソファのイメージを子ども椅子へ落としたものだ。大学の講義で学生に人気投票させると、かなり票の集まる子ども椅子だ。そしてこれの大人椅子への発展形が、この座椅子に近い大人椅子で、テレビを床近くで見るのに好都合の椅子となっている。子ども椅子からの発展形は今後も多様に出てくる予感がしたのだ。子ども椅子、恐るべし。

Img_4576 ショールームに入ったところで、すぐに目に入ってきた椅子で、もっともシンプルな子ども椅子が置かれていた。じつは、これも子ども椅子展に出品されていた。あまりにシンプルすぎて、子どもの可愛さよりも、脚のつけ方という基本的な機能の方が目立つ椅子になっている。ほぞの組み方がたいへんきっちりしていて、滅多なことでは抜けない構造になっている。Img_4569 また、角の取れたつるりとした手に伝わる木の感触が素敵なので、思わず購入してしまったのだった。帰りに、街道沿いで見つけたハーブの店で、そのハーブのソフトクリームを楽しみながら家路に着いたのだった。

2016/08/11

松本で、O先生と夏カフェ

Img_4457 朝、信濃大町のいつものバス停のそばを通ると、外国人の男女がコミュニティバスを待っている。視線に入ってこなければ気にはならなかったのだが、今日は「山の日」の祭日なので、このバスはお休みのはずなのだ。Img_4459 旅支度の様子からして、時間はそれほど気に留めないタイプの方々だなとは思ったのだが、ここで待っていて、気がつく頃には半日は経ってしまう。Img_4460 ちょっと差し出がましいとは思ったが、ひと声かけて、異なる路線のバス停を教えた。結果としては、良かったらしく、そのまま松本駅まで、わたしと同じバスと電車だった。早めに旅を進めることができて、感謝されたのだ。

Img_4462 大糸線では、信濃大町駅を出発して、一駅ごとに気温が上昇していくようだった。松本駅へつく頃には30度を超えていて、夏の日差しが厳しい。O先生との約束は午後の1時だったので、それまでカフェ書店の「栞日」でカフェオレを取ることにする。Img_4463 ここはちょうど1ヶ月前に、以前店のあったところから、5軒先の広い建物「高橋ラジオ店」跡へ移転したばかりだ。ここ数ヶ月で、新しい喫茶店開店と、書店とギャラリーの移転と活版印刷スタジオ新設、新装ホテル開業にレンタル・自転車と、さらに今月初頭の木崎湖で行われたImg_4466 「アルプス・ブック・キャンプALPS BOOK CAMP 2016」(野外ブックフェア)主催と、栞日のご主人は八面六臂の大活躍だ。

Img_4464 店の周りを見ると、じつは小学校時代の友人宅がすぐ近くにあり、そしてわたしの幼稚園時代には、ここから数分のところに両親が家を借りていて、この店の前にある銭湯「菊の湯」へ毎日通っていたのだ。懐かしいな。Img_4467 この辺は、清水の源泉が常に出るので、銭湯の帰りにはその清水で冷えた壜牛乳を飲むのが習慣となっていた。「栞日」の二階から眺めると、当然銭湯も様変わりして、建物も近代的な様相に変わってしまっていた。半世紀以上前のことだものな。

Img_4465_2 栞日の1階には、新しい店へ移る動機となったという「活版印刷機」が置かれ、さらにブックフェアのスペースを挟んで、ベンチタイプの客席がゆったりと作られている。そして、奥にカウンターがあって、カフェオレをここで注文した。

Img_4469 活版印刷機は半世紀ぐらい使われ続けたものだそうで、思ったよりも大きい。機械の隣には、この印刷機のためのインク缶、さらに活字が書体・ポイントごとに置かれていた。将来ここで、小冊子を作りたいという希望をわたしは抱いていたのだが、残念ながら、当面チラシや名刺を作るだけで、冊子印刷は考えないそうだ。Img_4470 基本的な技術さえ習得すれば、あとは誰でも動かすことができるとは、ご主人はおっしゃっていたけれども、実際に活字を組む時には、時間がかかるのだろうなと想像するのだった。印刷機と活版印刷のスタジオという、いわば店の「シンボル」を持ったことで、実際の印刷もさることながら、栞日は新たなカフェ書店の理念を獲得したと思われる。

Img_4472 中央のブックフェアのスペースでは、東京蔵前の出版社「アノニマ・スタジオ」の「旅する灯台」展(日本の各地を照らすという比喩だろうか)を開催していて、同社が展開する料理本や野菜本、詩集、絵本が平積みされていた。Img_4532 英国のP.L.トラヴァースの「メアリー・ポピンズ」のシリーズで、『台所のメアリー・ポピンズ』を購入。家に帰って、娘にメールすると、幾つかのレシピを送ってくれれば、そのうちこのトラッドな料理を作ってくれるとのことで、さっそく「アイリッシュ・シチュー」などを送る。この本には、お話と一緒に、料理ノートがついているのだ。

Img_4461 2階へ上がると、壁一面に古いたんすや書棚がランダムに取り付けられていて、そこに書店の書籍が並んでいる。東京でも簡単に手にはいらいないような地方誌や、生活誌、デザイン誌だ。見逃していた建築雑誌「住む。」や日本民藝館が発行している「民藝」などを手にとって読む。Img_4471 ここにも、幾つかのアンティクの椅子が置かれていて、やはり「教会の椅子」も置かれていた。長野で座ったタイプと似ている。聖書や聖歌集をちょっと入れておくような、木のポケットが素敵だ。

今日、この2階では二つの活動が見られた。このような使われ方が、今後のこの店の活動を支えていくのだろう。Img_4475_2 一つは、近くにある市民のための音楽や演劇などを興行する会館の関係者だろうか、スタッフと思われる方々が事務所代わりに、ミーティングを開いていたのだ。Img_4477 何やら難しそうな話をして、顔突き合わせてアイディアを出しあっていた。この方々もたぶん、わたしと同様に、世の中がお休みの時に忙しい人たちなのだ。

もう一つ、2階には、喫茶店の客席部屋以外に、もう一部屋がギャラリーになっていて、その展示準備が行われていた。これから展覧会「Travelling with Spices」が始まるとのことだった。女性の写真家と画家のコラボ展覧会で、テーマは「spices」、インドの旅のことらしい。Img_4480_2 展示されていた一枚の絵の中に四角い窓が真っ白に描かれていて、真ん中なのに余白といった雰囲気をもたらしている。さて、ここに何を描きたいと思うか、と話しかけているようである。もう一枚の絵には、昔懐かしい路地が建物で囲われているという、インドの原風景が描かれていた。この画家の方は、注文でも絵を描くことがあって、肖像画の依頼もあるそうだ。Img_4473 1号が数千円からとおっしゃっていた。これらの展示から察するに、基本的には暇を楽しみつつも、なおかつそれを仕事にしている方々だと思った。

Img_4474 後ろから声がして、待ち合わせ前なのに、なんとO先生が現れた。午前中の卒業生との約束がキャンセルになったそうだ。これで松本滞在中、彼は栞日に毎日来たことになる。さらになんと、この栞日が主催する「アルプス・ブック・キャンプ」のオリジナルTシャツを早速着て登場したのだった。「旅する灯台」どころか、「歩く広告塔」ではないか。すでに日程が終了したキャンプとはいえ、来年の宣伝には十分に貢献することになるかもしれない。

Img_4490 この9月に取材でお邪魔する、工芸店「グレインノート」の奥様へ挨拶に訪れる。その9月には、恒例の「グレインノート椅子展」が開催されているはずで、すでにダイレクトメール用のハガキが完成していた。この椅子展では、この2月に亡くなった、S氏と親しかった木工作家の日高英夫氏の追悼コーナーも設けられるそうである。Img_4487 S氏が日高氏のお嬢さんのために作った子ども椅子が、「AI」と名前が刻まれて店先に展示されていた。この椅子が十何年間にわたって、何人かの人びとを結んでいたのか、と考えると感慨深いものがある。Img_4536 Img_4535

Img_4494 昼食は、O先生が予約を取ってくださったフランス料理「コトリ」で。O先生は牛肉のソティ、わたしは阿波尾鶏ローストだ。味付けはフランス料理なのだが、和風料理の健康に良さそうなところを取り入れている。大根や人参などの付け合わせがさっぱりした味だ。今日は新しい祝日「山の日」で、上高地などでレセプションや祭典や行事が行われる。Img_4497_2 それには、皇太子一家が出席することになっている。この第1回「山の日」式典に客が取られたせいか、このランチ時間に限ってはいつもより店はすいていた。それで、O先生とは十分に親密な話ができたのだった。

Img_4500 気になっているのは、O先生のブログを見ればわかるように、卒業生たちが彼とのランチや喫茶を目指して殺到していることである。これだけの若い女性たちと会うからには、何らかの目的があるに違いないだろうとふつうは思うのだ。もちろん、年齢からして、恋愛関係は除外できるとしても、それじゃ何なのだろうか。彼女たちの親たちもきっと気にしているだろう、ということはW大卒では考えられないだろうが。Img_4499 話の中で、ある卒業生のお母様から、写真を綺麗に撮ってくださってありがとう、とお礼を言われたそうである。Img_4501 さて、会う理由は、彼の専門はライフコース論だから、その標本集めではないかということは誰にでもわかるのだが、さてその標本をどのように整理されるのか、たいへん見ものである、というようなお話をしたのだった。

Img_4502 明日からはわたしは山奥にこもって生活をするので、そのためのジャムを調達しようと、女鳥羽川沿いのいつものコンフィチュールの店「シェモモ」へ寄る。写真でわかるように、ここも改装していて、今度の店はグリーン主体の落ちついた店構えになっており、さらに店の中も、販売部門と製造部門とがガラスで隔てられている。Img_4504 フランスにある専門店をイメージしたのだとか。もちろん、ガラス戸だから双方見ることができるので、ご主人が手を休めて、調理場から出てきてくれた。Img_4528 香辛料の効いた新しい味も出ていたが、やはり定番の「バナナとイチゴ」と「ブルーベリーとレモン」をそれぞれ購入する。明日から「甘い生活」が始まる。

Img_4508_2 O先生との夏カフェは、この日差しと気温との相談の結果、喫茶店「チーアン」を最後の訪問地ということにした。この後、喫茶店MとかLとか、名前は挙がったが、ここでの二人の話が弾んだ一方、身体の方が1学期間の重労働に耐えかねていたこともあって、ここを動きたくなくなったのだ。Img_4509 もちろん、身体の事情は、わたしだけの事情で、O先生は老いて!ますます盛んで、数日前に一つの原稿の校正を終え、さらに今月中に50枚書くのだそうだ。わたしも、予定だけは今夏全部で300枚を目標に掲げているのだが、やはり身体との相談だな、と弱気なのだ。

Img_4507 なんの話が弾んだのかというと、このところここでも書いてきた「生活科学」とはどのような学問か、ということだ。じつはO先生は放送大学の同僚だったことがあり、その時の彼の担当が「生活学」だったのだ。その後、ライフコース論へ彼の関心は移っていったのだが、もしそのままずっと放送大学に彼が勤めていたならば、当然「生活科学とは何か」という、現在の論争の中心を占めなければならなかったのだ。Img_4510 それで今回、実際にこのテーマをめぐって、面白い対話ができたのはほんとうに得難いことだった。このテーマは現在の彼の関心とも決してかけ離れたものでないことも確認できて、わたしとしては夏カフェの成果を十分に感じたのだった。

Img_4514 O先生とは、中町通りで別れて、最後に寄ったのは、これも行きつけになりつつある、コーヒーの焙煎屋「ローラ」と駅前の「中島酒店」だ。すでにローラは、今日からお盆休みに入っていて、ローラのコーヒー豆はまた今度ということにして、Img_4531 中島酒店ではご推薦の新しいもので、ちょっと若い感じのワインであったのだが、長野県中野市のぶどう酒ファームのシャルドネを買う。ジャムとワインが揃ったので、当分の禁欲生活も十分に耐え忍ぶことができるのではないかと思う。

2016/08/04

善光寺近くで、お昼に蕎麦を啜りつつ、面接授業を行う

Img_4371 長野市は古い門前町であるにもかかわらずというのか、門前町だからというのか、構造は極めてシンプルな形を取っている。脊柱のごとく、長野駅から善光寺まで垂直な「中央通り」が立っていて、真ん中あたりを水平な「昭和通り」が切っている。この昭和通りの西は長野県庁に至るし、東は長野市役所に至る。これら4象限に官庁街、商業街、ビジネス街、歓楽街などが収まっている。

Img_4356 今回の面接授業は、この中央通りと昭和通りが交差する、市の中心の場所に立っている「TOiGO-west」ビル3階で行われた。外国人をはじめとして、善光寺の参拝客が日差しを避けながら、このビルの前を通って、山門目指して登っていく姿を見ることができる。このビルには、長野市の生涯情報センターが入っていて、ここに放送大学の再視聴室なども入っている。今年は、わたしの担当する面接授業と同時に、放送大学の入学説明会も開かれていて、長野学習センターの職員の方も諏訪からいらっしゃっていた。

Img_4389 1日目の昼食は、隣のビルにある、やはり蕎麦屋さんへ。学生の方々と一緒に雑談しながら食べる。冷たいざるそばが喉を通っていくのは、この暑さの中ではほんとうに有難いものだ。じつは二日目も、中央通りを少し登ったところの蕎麦屋さんへ行く。経済学の林先生時代に修士課程を修了なさったK氏がこの長野市内に職場があって、授業の合間にいらっしゃるのかもしれないと思っていたら、彼の奥様がわたしの授業を取っていたのだ。Img_4368 それで、ゆったりできるこの蕎麦屋さんへ連れて来ていただいた。ところが、店に着くと、店の入り口には、すでに「準備中」という札がかかっていたのだ。Img_4364 そこは一応言葉を交わしておくべきだと思い、顔を入れて聞くと、二人なら構わないというので、良かったと胸を撫で下ろし席に腰を下ろしたのだった。それにしても、12時20分で、すでに本日の手打ち蕎麦が完売となるのだ。

Img_4358 K氏は放送大学を終了したのちも、信州大学へ入って、さらに学問の領域を広げていらっしゃることを奥様から聞いて、頼もしく思ったのだった。噂をしていたら、K氏ご本人から電話もかかってきた。地方へ来て、卒業生の方がたと会えるのは、率直に言って喜びだ。授業の積み重ねと、授業を超えたところの交流が存在するのだ。W大のO先生が地方旅行して卒業生と会いたくなるのも頷けるところだ。

Img_4361 1日目は午後5時には終了した。ちょうど盆地の山の陰に太陽が沈む頃だったので、日差しがなくなり、少し歩きたい気分が出てきたのだった。このまま中央通りを登って、宿坊を両側に見つつ、高村光雲が原型を作った仁王像のある山門をくぐり、善光寺の本殿へ参る。Img_4373 すでに、善光寺の大方の業務は終了していたので、参拝客もほんのわずかしかいなかった。善光寺では、寺の運営をめぐって、内紛が伝えられている。Img_4369 外からはよくわからないのであるが、この写真にある寺のお知らせのような文章は何やら意味深の感じがするのだった。

Img_4391 宿への帰り道の参道沿いには、善光寺参りの名物となっている、唐辛子の老舗がある。この八幡屋儀五郎店が経営する「横町カフェ」へ、裏道側から入る。辛味といえば、カレーだと思い、そのままの野菜カレーを夕飯として注文する。Img_4376 テーブルには七味唐辛子が並んでいて、自分で辛さをコントロールできるようになっている。わたしが今日最後の客だったらしく、広い喫茶店を独占して食べることができた。Img_4377 だから、より辛くなるというわけではないのだが。食後のコーヒーを頼もうとしたら、この店の食後の特別な飲み物で、柚子入り甘酒があったので、それを取ることする。辛さを中和して、神経を宥めてくれるのだ。

Img_4375 食後、中央通りの一本裏の通りを、権堂アーケードへ向かって下っていく。途中、入りたくなるような喫茶店やランチの店などが点々として、今度来るときにはこの街を目指してくるのも良いのかもしれないと思った。Img_4385 これらの店の幾つかには、O先生のブログで見た覚えのあるものもあったから、Img_4383 長野市で寒い時期の冬カフェというのも良いかもしれない。

Img_4393 二日目の面接授業もいつものように拍手とともに終わって、長野駅から高速バスで1時間ほどのところで、明日から開催される「ALPS BOOK CAMP」という、野外ブックフェアの催しへ行きたいと思ったのだが、Img_4395 じつは長野市では明日6日は、「おびんずる祭」という、長野市民総出の善光寺のお祭りがあり、中央通りには踊りの人波が溢れるのだそうだ。この理由と、さらに6日には若者から中年にかけて人気のあるらしい「嵐」のコンサートが重なり、5日の宿泊は望み薄になっていたのだ。

Img_4398 お昼にK氏の奥様からお話を伺ったところによると、「おびんずる祭」は昔からあったのだが、この6日に行うようになったのは、松本市の「ぼんぼん祭」に対抗して、客を取られないように始まったらしいとのことだった。Img_4399 長野県では、長野市と松本市の対抗意識というのは、明治初期の廃藩置県後に、筑摩県だった松本市が長野県に併合された時から、さらに遡れば、戦国時代の武田寄りの松本と、上杉寄りの長野との川中島決戦が行われた時からにも由来するとも言われ、かなりの累積的な意識が存在することが知られている。Img_4388 もっとも、これは信州人の中だけの地元における特殊な対抗意識で、他の地方へ行けば、このような意識は問題にされないのだが、ご当地ではみんなが血相を変えるものがあるのだ。

Img_4414 長野市での最後の訪問は、K氏から教えていただいた隠れ家的自家焙煎の喫茶店「ヤマとカワ珈琲店」だ。権堂アーケードから、少し登った住宅街の中にある、二軒長屋の1軒だ。戦前に建てられた建物らしい。かなり年季が入っている。Img_4415 玄関を登ると、すぐにカウンターになっていて、自家焙煎の豆を売っている。店では、深煎り(ガテマラ)と中煎り(ブラジル)と浅煎り(エチオピア)のコーヒーが揃っていたので、授業で体力的にヘトヘトな状態で、胃腸も同様に疲れが出てきている、というので、元気を出すために深煎りにしたかったのだが、これはお土産に家へ持って行くことにした。Img_4420 それで、いただいたのはフルーツケーキと浅煎りコーヒーだ。アンティークの教会椅子に腰掛けて、フーッと息をついた。

Img_4422 二年前に開店したそうだ。よその店で、2週間みっちりコーヒーの淹れ方を学んで、その後は自分で切り開いて、今日の味を形成してきたのだそうだ。Img_4424 焙煎機は二代目で、ピカピカのものが置かれていた。喫茶店よりも、焙煎専門店に比重があるのではないかと、若いご主人はおっしゃっていた。ご自分では、サービス業よりは製造業でありたいという意識なのだそうだ。なるほど。推察するに、豆の焙煎の方が利益率も良いのではないかと思われる。

Img_4423 店の紹介文の中で、開店時間が「12時から日没まで」、ということになっていた。なぜ「日没」なのかというと、自然を大事にしたいからだということだった。午前中には焙煎を行い、午後には夏は長く、冬は短く、葉っぱの色が変わるのを見て、鐘の音がゴーンとなる時間を大切にしたいのだそうだ。また、このような喫茶店に来る交友関係にも自然と面白いものがあるそうだ。Img_4426 たとえば、長野市近辺には、同世代の職人さんの友人が数人いて、この中には木工の職人さんも訪れるそうである。木工の専門学校を出て、アンティークの修理専門を行っている若手の方だそうだ。そのうち、紹介してもらって、取材したいと思ったのだった。

Img_4430 帰りは、長野電鉄の権堂駅から、長野駅へ出る。この路線は、長野市内では古い地下鉄になっていて、駅には田舎で取れた野菜が売られていたのだ。Img_4429 エリンギとモロッコ・インゲンが旨そうだったので、即購入。家への良いお土産になった。なんと駅の改札口で、切符と一緒に野菜の支払いを済ませたのだった。家に帰って、さっそく料理してもらった。モロッコ・インゲンのキュキュという食感が素晴らしいのだ。Img_4431_2 それから、K氏から頂いた「七味唐辛子」も煮物の味付けなどにありがたくいただいている。この箱のどこかに唐辛子の隠し絵が入っているそうなのだが、しかとは確認できなかった。たぶん、壁の模様ではないかと思われるが、Kさんいかがでしょうか。

2016/08/03

「生活科学」という学問分野はいかにして可能か(III)

Img_1211 歳を取り、自分の身の回りのことを一切できなくなって、他者に自分の裸までも見せなければならなくなったとき、いったい誰に頼むのだろうか。このような状況の認識については、どのように映像化できるのだろうか。映画「或る終焉(原題:Chronic)」を観る。原題のクロニックというのは、「絶え間なく不断に続くこと」という意味だ。病気で言えば、慢性的ということらしいが、日常生活では習慣的ということだ。映画のテーマは明らかに、自分の領域に他者が入ってくる日常の関係を描いている。日常的に裸を見せる他者とは誰なのか。ここで、患者と看護人との間の「親密性」ということが問題となる。この親密な二者関係というものは、クロニックなものであるのだ。他方、その関係が続かなくなり関係が無くなるときには、どちらかの死を意味することになる。

Img_4408 この映画の中心となっている「親密性」とは何か。俳優のティム・ロスが演じる主人公の看護人デヴィッドと患者との関係を、3~5ケースにわたって、オムニバスに描いているところに現れてくる。そして、それにもう一つの親密な関係である、デヴィットの娘や息子、さらに離婚した妻との家族関係が絡んでくる。果たしてこの映画の取り上げている、親密な関係とはいったい何だろうか。家族関係との対比において、患者と看護人との親密関係が明らかにされている。

Img_4409 映画冒頭のケースで、典型的な「患者・看護人関係」が描かれている。エイズで終末を迎えている患者サラを、看護人デヴィッドが引き受ける。患者サラがもし健康であるならば、決して他者の世話にならないような、プライベートな身の回りの世話の領域に、看護人デヴィッドは「侵入」することになる。ここには、家族でさえ、入り込めない領域なのだ。家族がサラと歓談していると、デヴィッドはそろそろ帰宅時間であることを告げるほど、親密性の強い関係を見せつけるシーンが織り込まれている。この関係は擬似的な夫婦関係に近い状態まで進むことになる。数日後サラが亡くなって、デヴィッドはサラの葬式に出る。そこで姪からサラの話を聞かせてほしいと頼まれるのだが、それを拒否する。だが、他方見ず知らずの人には自分の「妻」として、サラのことを話して聞かせるのだった。患者・看護人という関係はそこまで親密性を発揮するところまで行くのだ。

Img_1230 もう一つの建築家ジョンという終末期患者のケースでは、もっと印象的な親密関係が描かれることになる。デヴィッドは、本屋へ行って建築書を購入したり、ジョンの設計した家を訪れたりして、ジョンとの親密な関係を強めようとするのだ。この企ては、家族が二人の関係に嫉妬することで挫折することになるのだ。ここまで、侵入するのかと思えるほどだ。ほんとうなら他者を拒否するようなところにまで、本人の親密圏内に入ろうとする。ここでは、家族からデヴィッドがセクハラで訴えられるという誤解が生ずるということも、親密な領域に他者が侵入するからこそ起こることだと考えられる。まさに、患者・看護人関係の本質が現れると同時に、この親密性の限界も示していることになるのだ。

Img_4403 映画の最後のシーンは衝撃的だ。映像技術的にすごいと同時に、親密の二者関係というものの宿命を教えることになっている。二者関係には、片方が崩壊すると継続性のないことを教える。ここが三者以上の社会関係と異なる点だと思われるのだ。

Img_4413_2 さて、今日は朝早く、横浜の家を出て、午前中に千葉幕張で会議に出て、加えて午後からは東京文京学習センターで修士課程の方の研究指導を行い、さらに東京駅から北陸新幹線で長野市へ向かったのだ。泊まったホテルが、善光寺に一番近いホテルという売りのところなのだ。Img_4404_2 それで一番近くの駅である、長野電鉄二つ目の権堂駅で降り、七夕の飾りが連なる「権堂アーケード」を通って、途中の長野市の名画座である、木造造りの古い映画館、相生座「銀座ロキシー」に着く。ここで、「出張先で映画」と相成ったのである。仕事の1日だったが、最後に遊びも加えた充実した1日だったのだ。

2016/07/28

馬車道のビール屋で飲む

Img_4320 大学時代の友人F氏と待ち合わせて、昔懐かしい関内の馬車道でビールを飲むことにする。東京神田に勤め先があるF氏は、仕事を終えてから、電車を乗り継いで、関内駅に着いた。

関内という駅は、分散型の駅を構成している。東口と西口とが完全に分断されているというイメージが強い。そういえば、横浜市には南北の区によって格差が広がっているという南北問題があるのと、もう一つ、中心地が横浜西口とこの関内に分かれているという、分散問題があるのだ。Img_4321 なぜ関内が横浜の中心地を占めることができないのか、という重要な問題は、横浜が東京のベッドタウンであることから生じたことなのだが、その対策が未だに打たれてきていないという事情が、関内の中心地としての地位を危うくしているのだ。関内は、東京から自由なところにあるのだから、その利点を生かすべきだと思われるのだ。

Img_4323 中でも、馬車道の特徴がここ近年削がれてきているのは、惜しい。映画館がなくなり、老舗の小売店が閉まってきている。そこで今回、たまには馬車道で飲もうということになった。まず向かったのは、関内から馬車道に入って、一つ目を左に入ったところにある、「勝烈庵」だ。とりあえず、腹拵えしてから飲もうということだ。勝烈庵のトレードマークは、棟方志功の女神像で、これを拝めば、みんな幸せな気分になる。トンカツと同じように、豊かさの象徴として役割を演じている。混んでいる1階は避けて、2階へ向かう。ちょうど夕飯にはまだ早い時間だったので、ゆったりとヒレカツを頬張ることができた。当然のように、キャベツをお代わりして、シジミの味噌汁で、どんぶり飯をたっぷりと食べた。

Img_4330 もしランチに来たのであるならば、この裏通りにある馬車道十番館でコーヒーを飲んで、午後に備えるのだが、今日はビールが御目当てなので、直接ビール屋へ向かった。ビールは、いつもの「タップルーム」でベアド・ビールの「アングリーボーイ」だ。ビールのつまみはお腹がいっぱいであることもあって、雑談で済ませた。

Img_4334_2 雑談にはテーマがないのが特徴であるのだが、取り立ててあげるならば、一つは「定年」ということが話題になった。60歳代半ばを迎えた二人にとって、仕事の転換期を迎えている。Img_4335 本務を辞めた後のことを考える必要がある時期を迎えているのだ。一つは、今の仕事の延長線上で、何かできることがあるか、ということを話した。幾つか、思い浮かんだ。もう一つは、今の仕事から離れて、何かできることがあるのか、ということも話した。

Img_4338 彼の実家は、かつて銀座に近い築地で、印刷屋さんを営んでいた。そこには立派な活版印刷機が備わっていた。それで、今回も仕事に関係ないことでは、私家版を作りたい、美しい小さな本を作りたい、ということが話題になった。互いの本の内容は、幾つか候補が上がっていたが、率直に美しい本が出来上がることを夢見たいと思ったのだった。

Img_4343 ハッと気がついて時計を見ると、12時近くなっていた。彼の家は小田急線なので、関内からは横浜線で向かい、町田へ出て乗り換えなければならない。翌日のメールで、無事最終電車に間に合ったことが書かれていた。

Img_4326 今日の椅子は、勝烈庵の待合椅子だ。トンカツが目の前を運ばれていく。それを見ながら待つために、満席の部屋の隅っこに据えられている木製のベンチだ。座板が一枚板でできている。ふつう、これだけの板であれば、これだけで三人分の体重を支えるには十分なのであるから、脚を板に直接取り付けそうである。ところが、この椅子はその辺がすごく丁寧なのだ。脚は完全に板全体を受け止める形に作っていて、真ん中にも受ける脚が通っている。この丁寧さのために、かえって職人の方のこの一枚板への思い入れを感じてしまうのだ。また、この座板がくりぬかれていて、この点でも丁寧な仕事を感じさせる。Img_4345 多分、この穴にはクッションが入ることが想定されていたに違いないのだが、それを取り除いて、この穴を強調する形で、店に置かれている。クッションが置かれなくても十分にこの椅子が好ましいと感じさせる形を保っている。

2016/07/24

「生活科学」という学問分野はいかにして可能か(II)

Img_1194 放送大学の期末試験は、今が真っ最中である。朝、幕張地区のビル群を横目で見て、青空だらけの道をつき抜けると、千葉学習センターの駐車場が見えてくる。いつも、おはようございますと、玄関で挨拶する守衛さんたちは、自動車の整理に追われて、外に出ている。すでに、駐車場は満杯だ。

Img_1196 最近の関心事の一つに、「生活科学」という学問分野の本質とは何だろうということがある。じつは先月になってしまったが、放送大学博士課程の「生活健康科学」プログラムの報告会という催しが非公開で行われて、オブザーバーとして出させていただいた。わたしの所属する「社会経営科学」プログラムは社会科学で、このプログラムは、「生活科学」を基本的な方法として考えているという違いがある。

Img_1195 報告会の内容については、非公開の場なので、ここで言うことはできないのだが、わたし自身の感想として、「生活科学」と「社会科学」とはどこが異なるのか、という当然の疑問が湧いてきたのだった。それで止せば良いのに、つい口が滑ってしまって、「生活科学」などという学問が成立するのでしょうか、などと素人発言をしたものだから、その場にいた「生活健康科学」プログラムの先生方から随分と顰蹙を買ってしまったのだった。

Img_1191 「生活科学」の源流には、幾つかの流れが存在することがわかっている。社会学では家族社会学やライフコース論などの系譜が存在することはよく知られているのだが、彼らは社会学の流れの中に収まっていて、「生活科学」という形で外へ出ることはあまりない。やはり「家政学」という分野の系譜との関係は深いと見ることができる。個人化の影響を受けて、家庭生活を中心に衣食住を考察してきた家政学が成り立たなくなって、個人が衣食住の活動の中心的な役割を担うようになったという認識が広がったのだ。家政学がその名の通り、家庭生活の中での人間と環境との関係を見ることにあるが、この観点が家庭の中での個人化の進展や、個人と社会とのダイレクトな関係が発展するにしたがって、家庭という視点が次第に失われるようになったと、これはやや早計だと思われる面もあるが、家政学会が積極的に認定してきたことを示している。ここには、社会福祉の進展が社会の側にあったし、さらに「生活者」という個人化の象徴が発達したことが作用しているのだが、果たしてその通りに、生活科学は発達してきているのだろうかという疑問が未だに存在するのだ。

Img_1193 このような事情は知っていたのだが、今回じつは、タイミングの良いことに、生活健康科学プログラムの博士課程のKさんと、二日間にわたって議論する機会を得たのは、幸せなことだったと思う。「経済学研究法」という授業を15回分、つまりは約22時間ぶっ通しで授業を行う、という過酷なカリキュラムだ。けれども、研究法の方は、ほどほどに済ませて、Kさんのテーマに沿って話し合いを進めたところ、この議論が盛り上ったのだった。Kさんはたいへん意欲的で、前の晩から本部に泊まり込んで、レポートを仕上げてメールで送ってきていて、準備万端で臨んできたのだった。

Kさんの博士論文のテーマは、患者と歯科医との関係を扱ったもので、まさに「生活科学」なのか、「社会科学」なのかが凝縮されて、問題状況として出てくる面白い対象だと言える。このテーマに沿ってでさえ、「生活科学」と「社会科学」との違いについて、おおよそ5点から6点の中心的な問題が明らかになったのだ。久しぶりに、議論から練り上げていく論文作成の醍醐味を味わうことができたのは、喜ばしい限りだ。いずれ、博士論文として現れてくるだろうから、暖かく見守っていきたい。詳しいことを知りたい方は、来年には成就されるであろうKさんの博士論文をぜひ読むことをお勧めしたい。

2016/07/23

「生活科学」という学問分野はいかにして可能か(I)

昨年書いた文献紹介の文章が1年あまりが経って、

ネットで公開することが解禁となった。遅ればせ

ながら、再掲させてもらう。

(季刊家計経済研究 2015 AUTUMN No.108

掲載)

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なぜ家計経済研究の方法は転換されたのか? 

・・・『御船美智子論文集』(2015)を読んで

 『御船美智子論文集』が光正館から発刊された。

御船氏が6年前に他界して、かつての仲間たち・

後継者たちが彼女の代表的な著作を集めて編んだ

書物である。御船氏個人の著作活動全体がわかる

だけでなく、彼女が1977年に24歳で一橋大学の

大学院生として著作活動を始め、2009年に55

で「家計経済研究」の中枢のひとつたるお茶の水

女子大学生活科学部教授として研究を終えるに至

る「時代の変化」を感じることができる論文集に

なっている。今日興隆してきている「生活科学研究」

の源流のひとつがここにあることのわかる書物だ。

 「刊行によせて」の中で、岩田正美氏(日本女

子大学)が「(彼女の研究は)家計構造だけでなく、

家計管理組織、生活主体論にまで広げた野心的な

ものに高まっていた。その狙いとするところは、

従来の家計構造の限界を超え、家族社会学やジェ

ンダー研究とも異なった意味での、経済を基礎と

した生活関係の総合的研究であった」と的確に述

べているように、彼女が生き、また研究対象とし

た時代はちょうど旧来からの近代経済学的な消費

経済学や家政学的な家計管理論から脱して、生活

者を中心とした「生活科学研究」が求められる時

代に到達していた。

 全体の章は、御船氏が取り上げた家計経済の

キー概念である「生活経済の体系」「生活経営」

「消費者教育」「家計の長期研究」「家計組織研究」

「生活政策」の順に、全6章が構成され7つの解題が

付され並んでいる。この章の中に、それぞれ2

から5本の論文、全体で18本の主要な御船論文が

収められている。

 これらの論文の魅力は、各章の解題を書いた彼

女の仲間たちによって余すところなく伝えられて

いる。解題を読んで察するに、御船氏の論文は大

きく二つに分類される。ひとつは、色川卓男氏(静

岡大学)、上村協子氏(東京家政学院大学)、磯村

浩子氏(日本消費生活アドバイザー)の解題で代

表されるような、ざっくり言うならば、生活者概

念の「主体性」「自律性」を強調する論文群の存

在である。第2章の解題で、上村氏は「(御船氏は) 

生活の自立と消費者の自立を図るキー概念として、

自律的アイデンティティに注目した。役割を超え

て、統合して生き生きとした生活を営むことを志

向した」という、いわゆる生活創造論を構築した

と指摘する。また、磯村氏は第3章での消費者教

育のあり方として、「消費者自身が主体的な意思

決定を行うためには、学習すべき内容を体系的に

組織する必要がある」と御船氏が述べていたこと

を取り上げている。

 もうひとつの御船論文の方向性は、同じく解題

を担当した中川英子氏(宇都宮短期大学)、重川

純子氏(埼玉大学)、李秀眞氏(弘前大学)によっ

て指摘されている。御船氏が従来の家計簿分析や

家計管理論の限界を認識し、新たな「家計組織研

究」を行ったとする論文群が存在すると考えられ

ている。第4章の解題で中川氏は「狭い意味での

家計では対処できず、家庭生活の経済としての視

点を進め、さらには経済全体を生活の視点で再構

築することも視野に入れ、課題の達成方法を探る」

という家計経済研究に踏み込むべき時代を、御船

氏が感じていたことを指摘する。さらに、第5

の解題で重川氏や李氏が指摘するように、御船氏

は夫婦間における財産形成の不平等性を指摘し、

「ブラックボックス化していた家計の内実を可視化

し、世帯内経済関係のジェンダー不平等を示し、

それを踏まえた社会の仕組みへの提案」をすべき

とする。

 これらの二つの傾向で真に注目すべきは、この

傾向が御船氏の論文特性にとどまらずに、時代を

反映したものになっている点である。色川氏が「は

じめに」の中で、御船氏の「分野別業績数の推移表」

を掲げている。これによると、御船氏の著作は前期、

中期、後期の三つに分かれる。第1に、彼女は前

期の1970年代後半から1980年代前半にかけて、「家

計の現状」分野に力を注いでいたことがわかる。

ここでは、家計の個別化を指摘し、「個計化」と

いう言葉をはやらせている。第2に、中期の1980

年代後半から1990年代前半には、「生活経営」と

「家計組織」分野に重点があり、「家計組織化」研

究をリードした。そして第3に、早すぎた後期の

1990年代後半から2000年代前半には、「生活経済」

に関する業績が最も多いという結果が示され、そ

のなかでは「生活者」概念を家計経済へ持ち込ん

だ研究を集中させている。これらの研究は、時代

の趨勢を反映していた。

 ここで御船氏にとっておそらく最大の問題だっ

たのは、なぜ家計組織研究から生活者の経済研

究へ転換しなければならなかったのか、という点

である。中期において実りある家計組織研究を成

功させていて、家計組織の内部構造タイプを次々

に実証研究で明らかにさせていたにもかかわらず、

なぜ後期においては、組織研究をあえて諦めて、

生活者の経済研究への転向を行う必要があったの

か、という疑問がある。組織研究の実証実績があ

りながら、あえて理念的な生活者概念にこだわっ

たのか、という点が御船氏の示している事実であ

り、かつわたしが疑問とするところでもある。組

織から個人へ方法的関心を移したのは、きわめて

不思議な転換であると思われる。

 推測であることを留保して述べることが許され

るならば、第1に、前期に御船氏が明らかにした「個

計化」という家計の傾向は、彼女の頭のなかでは

意外に大きな位置を占め続けたのではないかと推

測される。共働き所得増大や財産所有の個別化な

どの家計組織に与える影響を予知しており、家計

システムはいずれ崩壊するとみて、これに対処す

る個人概念の考え方を立てる必要を感じていたの

だと思える。第2に、ジェンダー研究からの影響

は大きかった。家計の内部組織研究で、「ジェン

ダー格差」が依然として続いていることを明らか

にしたために、この状況からの理論的脱却を必要

としていた。これは時代の要請でもあった。第3に、

「生活者」という理念に対して、かなりの理論的肩

入れを行っていた。近代市場社会で断片化された

消費者・労働者という概念に対して、役割分業を

超えたもっと包括的な生活者像を御船氏は求めて

いたのである。

 じつは、ちょうど彼女が中期から後期への転換

を終えてしばらく経ったころ、『季刊家計経済研

究』43号(1999)が御船氏とわたしとの対談を

設けてくださった。多くは御船氏の動向をお聴き

して和やかに進んだのだが、唯一かなり鋭く対立

した点があった。それは家計の共通資源・共同資

産などの「家計のプーリング」というシステムを

めぐってだった。御船氏は生活者が存在して、個

人的ネットワークを形成すれば、家計というシス

テムは存在しなくてもよいと主張した。他方、わ

たしは個人的ネットワークが形成されたとしても、

家計システムは存在するし、また保たれるべきだ

と主張した。今になって振り返るならば、その後

の時代は確実に御船氏がおっしゃった方向へ進ん

でいる。けれども、依然として家計システムのプー

リングは存在することも確かである。今となって

は昔懐かしい対立であり、いまだに帰趨は明らか

でないのだが、この点はじつは御船氏が「結節点

としての家庭概念」を捨象する方向へ進んでいた

とする、本書32頁の色川氏解題の中での証言とも

符合することなのである。

 わたしが思うに、この点がなぜ今日でもなお曖

昧なまま残されているのかといえば、「生活者」と

いう考え方が、古い考え方にもかかわらず、「生

活科学研究」の中でいまだに定着できないでいる

からだと思われる。消費者や労働者などのバラバ

ラな役割を統合するとする理想的な「生活者」像

は理念的には素晴らしい考え方であっても、現実

の世界でこの概念が実際に受け入れられるところ

は、消費者概念に比較すればそれほど多いとは言

えない。そのことは今日の消費者庁や消費者基本

法の名称選択においても、残念ながら明らかであ

る。「生活の視点」が重要なことは多くの人が認

めるところであるにもかかわらず、「生活者」とい

う概念が、いつの間にか手垢にまみれて姿を消し

てしまうのではないかと危惧している。

 他方、そうは言っても、じつは最後に申し上げ

たいのは、今回論文集という形で、御船氏の仲間

たち・後継者たちが予想以上の頑張りをみせてい

ることを知ることができたことで、わたしは僭越

ながらこの数年間の彼らの努力に対して敬意を表

し、率直に喜び、同時に最高のエールを送りたい

気分になったのも事実だということである。

『御船美智子論文集』(2015

光生館、2015年、328ページ、3,000円(税別)

 

(季刊家計経済研究 2015 AUTUMN No.108

掲載)

2016/07/17

夏期合宿の二日間

Img_4286 夏期恒例の大学院ゼミナール合宿が始まる。今年度、いつもゼミを開催する、セミナーハウスの研修室には先着予約が入っていて、残念ながら利用することができなかったのだ。そこで放送大学本部の部屋の中でも少し広い、本部西研究棟8階のラウンジを使用することにした。Img_4282 先週のうちに借りておいたパソコンやスクリーン、マイクにスピーカーなどを午前中に運ぶ。放送大学も御多分に漏れず、経費削減が激しくて、このような準備はすべて教員が行うのだ。運ぶのは良いのだが、このラウンジの机はがっしりしすぎていて、会場のセットに時間がかかってしまった。幸い、早く来たAさんが一緒に手伝ってくださったのだ。

Img_4290 全部で述べ30名の方々が今回参加してきている。先生方も5名体制で対応したし、さらに修士課程を修了したOBHさんとYさんが駆けつけてきて、議論に参加してくださった。二日にわたって、10数人ずつが分かれて発表を行うことになった。途中、懇親会が一日目の夜に行われるために、一日目で発表を終えた方々はすっきりした気分で懇親会へ出ることができるが、二日目の発表を行う方々は、気もそぞろとなる。懇親会での話題は、発表内容が多くなるので、一日目に発表なさった人々は、内容を知ってもらっていることもあり、質問を受けやすいのだ。この点でも、有利に働くが、こればかりは順番で仕方がないだろう。二日目には、震度3の地震も来た。このビルの8階にある合宿会場がかなり揺れたのだ。

Img_4298 今の季節には、それぞれの研究論文にとって、一つの転換期を迎えているのではないかと思われる。M1の方々にとっては、4ヶ月くらいかけて先行論文を読んできて、そろそろ研究の方向性への筋みたいなものがいくつか見えてきた頃ではないかと思われる。この「筋」というのものは文脈を作る上で大切だから、大事に育てていただきたい。M2の方々には、そろそろ草稿に取り掛からなければというプレッシャーがかかる時期だ。ここで急がずに、一息つくのが良いのだ。つまり、今までやってきたことを、1日かけて考え直す余裕が欲しい。白紙と鉛筆一本だけを持って、一部屋に閉じこもって、数時間かけて集中的に「結論」を検討していただきたい。とりわけ、草稿の文脈がこの結論と有機的な関係を持つように考えていただきたい。

Img_4301 今日のゼミが終わり懇親会まで、1時間ほど余裕を見てスケジュールを立てたのであったが、結局超過してしまい、店に着くのが遅れてしまった。いつも夏の合宿では、近くの中華料理屋「ホイトウ(回頭)」にお世話になっている。今日も、他のお客に最初に少しうるさくなることを納得していただいて、議論と料理を楽しんだ。

Img_4284 隣の席には、島根大学の林業専門のI先生(農業経済学)が座っていたので、木材産業についての話で盛り上がった。その中で、「独林家」つまり林業の自営農民あるいは単独の森林所有者という人びとが存在することを知った。みんなが知っているように、現在の木材価格はかなり低迷していて、森林の山の値段は極端に安いそうだ。それで、I先生も「林家」になる夢を持っているのだ。わたしの祖先にも、「山師」の系統があったので、もう少し若ければ、この方向を目指し、山々を駆け巡っても良いなという妄想が、旨い紹興酒の酔いが回るほどに、湧いてきたのだった。植林された一山を数十万円で 買えると聞いたが、ほんとうだろうか。

第2日目は、朝9時始まりで、昨日と同様の人数の発表が待っていた。そして最後には、恒例の記念撮影を行って、部屋の片付けをして、ほぼ予定どおりの時間に終了したのだった。先生方、先輩諸氏、学生の方々、ご苦労様でした。帰りには、妹夫婦のご馳走に呼ばれていて、ここで二日間の疲れをすっかり落として、夜遅くなってようやく家路に着いたのだった。

2016/07/14

自由さと頑なさ

20160721_173313_3 社会的な動きが自分の人生に影響を与えることがあるのだが、ふつうは直接的ではなく間接的であって、それらはじわじわと「社会化」過程として、わたしの中へ入ってくるのだ。けれども、交通事故や自然災害と同じように、その社会的な動きが直接的な動きとなって、わたしの中に入ってきたことが、これまで数えるほどではあるのだが、数例あるのだ。


http://www4.nhk.or.jp/anotherstories/x/2016-07-13/10/8680/1453030/

なぜこの時期にこのドキュメンタリーが流されたのかはわからないところがあるのだが、NHK「アナザー・ストーリー」で流された「東大安田講堂事件~学生たち 47年目の告白~」を観る。

20160721_173227 若い人たちにはこの出来事は馴染みがないだろうが、この番組の謳い文句は、次のようなものだった。「1969118日。学生たちが立てこもる東京大学・安田講堂を警察機動隊が包囲した。警察の催涙弾と放水に、火炎瓶や投石で抵抗した学生377人が逮捕、その姿はTVで生中継された。あのとき何が起きていたのか?事件から47年、学生の中心メンバーや機動隊員らが、初めて詳細な証言を始めた。発端となった小さな火種はなぜ大きくなったのか?対峙した大学の極秘資料も公開、東大・安田講堂事件の真相に迫る」という宣伝がNHKのウェブサイトに掲げられていた。1969年の1月に、最終的に東大本郷で起こった、機動隊による安田講堂からの学生排除という事件である。

これまで、この出来事の学生側の証言記録は多数公開されてきているが、大学側の「極秘資料」が公開されたことはなく、この度当時の東大総長の加藤一郎氏をはじめとして関係者が全て亡くなったのを機会に公開された、ということが今回の番組が作られた理由らしかった。「極秘」の内容と言っても、結局は東大という大学組織にとって、当時何が一番重要で優先されるべき事柄だったのかが明らかにされたということに留まる。思想や考え方がわかったわけではない。優先されたのは、今回の番組によると、「大学の自治」であり、それは「東大入試」がその時行われるか否かにかかっていたということだ。結局、これ以降、それまでの「大学自治」というものはありえなくなったと言える。しかし考えてみれば、それ以前にも大学自治などというものが成立していたのかと問われるなら、大学全体の話し合いなどは行われてきた歴史は日本にはないので、このことが改めて確認されたということだけなのかもしれない。

この出来事は、わたしの人生の中では直接的な影響を持った事柄である。当時、都内に住んでいて、高校3年生の身で大学受験を控えていた。また、高校でもそろそろ火の手が上がる時代に突入していたのも事実である。この出来事は、前年6月の医学部での学生闘争が発端となっていた。東大構内は、前年の7月当時はまだ牧歌的な雰囲気だった。本郷では、大学院生たちが、夏休みの空いた講義室を使って、高校生相手の受験講座と教養講座を開いて、小遣い稼ぎを行っていた。映画「戦艦ポチョムキン」を見たのも、この時だ。都内に住む多くの高校生が大学院生たちの講座に通った。現在の大学では、オープンキャンパスと称して、高校生向け無料出前講座を行っているのだが、当時は高校生が授業料を払って、本郷へ通ったのだ。すでに、紛争が起こっていたにもかかわらず、構内は夏休みということもあって意外に静かで、化学の授業や「抵抗権」などの教養講座に出たことを記憶している。最後は歌を歌って締めるのが通例となっていた。共産党と区別するために、ボルシェビキのワルシャワ労働歌などを、肩を組んで歌ったのだ。にわか労働者気分が恥ずかしかったのだが。

それで問題の、わたしたちの入試期間に突入することになって、戦後の歴史の中で唯一東大入試の存在しない、混乱の1969年を迎えたのだ。成績の良かった高校の同級生は、京大や阪大を受験して東京を離れることになった。わたしは成績が悪かったために、他の大学を受けるが失敗し浪人することになった。同級生たちと、このことをときどき話す機会がある。東大入試がなかったことで人生が変わったことは多少あるかもしれないが、それはそれでそのような人生もありうるだろうとみんな考えていて、これまで非難する人には巡り合ったことがない。むしろ、みんな地方へ散ったことで、自由さが増したものと思っていることは確かだ。「造反有理」や「自己否定」や「東大解体」などの彼らの運動とは別の形で、実際問題としてわたしたちの問題として、この出来事を乗り越えて、自分の人生を形成する必要があったというところなのだ。

このドキュメンタリーの中でも指摘があったが、彼らの運動の中でこれ以降の社会やわたしたち自身へ大きな影響を与えたのが、「連合赤軍」問題、つまり「セクトの限界」問題だとわたしも思う。「頑なさ」という非寛容問題が、セクト(党派)にはどうしても発生してしまうのだが、それをいかに解決できるのかが、重要だと思うようになった。すでに、安田講堂事件の最中から、内ゲバなどの組織内や組織間の対立がセクトというものの「頑なさ」を代表していた。理性主義を批判するものとして、感性としての暴力を持ち込んだのだが、逆に暴力の「頑なさ」が感性をも封殺するようになったのだ。

20160721_173144 最後まで安田講堂に立てこもった377名の逮捕者の一人として、このドキュメンターに代表して出ていたT氏には、わたしがアルバイトをしていた研究機関でお世話になったことがある。逮捕からすでに数年が経っていて、彼は研究プロジェクト・リーダーから青年実業家への道を歩みつつあり、非常勤研究員として研究に関わっていた。じつは、この研究機関で二人の非常勤職員が首になりそうになって、非常勤職員だけで団結して、その人たちの首をつないだのだ。この時の団結力を集める手際の良さと、交渉戦術の巧みさには惚れ惚れした経験がある。彼が強調していたのは、それぞれの立場があるのだから、交渉の席上ではみんな別々の戦術で色んなことを多様に発言しよう、というものだった。もちろん、団結は必要で、標語スローガンを掲げることは忘れなかったのだが。このような個人の自由さを活かしながら、集団をまとめていく方法は、きっと安田講堂で学んだことだろうと、当時思ったのだ。この経験の中で、彼は「頑なさ」を超越して、「自由さ」を獲得する術を身につけたに違いないのだ。

http://www4.nhk.or.jp/anotherstories/x/2016-07-13/10/8680/1453030/

2016/07/13

映画「ブルックリン」を観る

Img_1183 映画「ブルックリン」を観る。この映画は、アイルランド出身の女性(エイリッシュ・レイミー)が移民としてニューヨークへ渡り、そこで成長を遂げ、故郷アイルランドへの郷愁と、つまりは親密な関係とから脱していく物語である。アイルランドという「近くの循環」への思いがありながら、NYという「遠くの循環」へと旅立っていくとする、いわゆる世界を巡ってつなぐ「女性循環」という普遍的な話なのである。アイルランドにおける内循環に止まって、地元アイルランドの男性と結ばれるのではなく、ニューヨークにおける外循環のイタリア男性と結ばれる。もちろん、一人の女性の細やかな心の動きあるいは揺れが、第1のテーマであることは間違いないのだが、同時に第2のテーマとして、アイルランド人やイタリア人がニューヨークでどのようなつながりを見出しているのか、という点にも興味深い観点を持つものだ。

Img_1186 映画の出だしに映るアイルランドの田舎道、石畳、アイルランド風の煙突のある長屋は、それを見るだけでも素晴らしい。母や姉との手紙での仔細なやり取り、アイルランドでの友人との交流、そして揺れる女心というものは、その振幅には不合理で不思議な感じを受けるのだが、それは男にはわからない微妙な心理が反映されていて面白いのだ。この女優には好き嫌いはあっても、数々の主演女優賞を取っていて、高い評価が下されているのには、それなりの理由があるように思われる。

Img_1180 ニューヨークで聞くケルトのトラディショナルなダンス音楽は、良かった。特にダンスの中で、フィドロを使ったシンプルなワルツ曲が流れていて、この点も映画を盛り立てていたと思う。アイルランドの田舎からブルックリンへ渡ったアイルランド人たちが、どのような思いで週末のダンスホールを楽しんだのか。想像するに余りある。

アイルランド移民で、国に帰るに帰れなくなった貧しい老人たちが、カトリック教会の施しに集まってきた場面があった。ここで、アカペラで歌うアイルランド民謡を聴いて、みんなが涙する場面には、共感するものがあった。ローカルな心持ちにグッとくる場面だ。「ふるさとは遠きにありて思ふもの そして悲しくうたふもの よしや うらぶれて異土の乞食となるとても 帰るところにあるまじや」という感動がある。

この女性主人公が、ニューヨークの夜学大学に通い、簿記の勉強をする場面がある。その大学では、日本の大学と同様に、教師が自分勝手な理論を衒学的に喋っているのだが、それを聞き流す寛容さを発揮する場面が出てくる。寛容さという点で放送大学と似たところがあるかもしれないが、この寛容さが大学では大事だと思う。そして、次の時間の授業に入っていくのだ。

2016/07/12

映画「ラスト・タンゴ」を観る

Img_4270 映画「ラスト・タンゴ」を観る。久しぶりの千葉劇場だ。ちょうど明日の教授会とコース会議に出席のため、千葉市内へ来ている。千葉駅前から、かつて父や母の看病で通ったバス「千葉大学病院」行きに乗って、中央二丁目で降り、パルコの裏道を行くと、喫茶店「呂久呂」が左側にある。

Img_4271 ランチ「具沢山の野菜スープ」と厚切りトースト、食後に自家焙煎のコーヒーを飲む。そのあと、近くのコーヒーの豆専門店で、明日のコース会議用に浅煎りの「マンデリン」を400グラム購入する。

Img_4275 アルゼンチン・タンゴがなぜ世界に広まったのか?この映画は、タンゴ革命を起こした伝説のペア、「マリア・ニエベス」と「フアン・カルロス・コペス」の愛と断絶を描いたドラマ仕立てのドキュメンタリーだ。特に、断絶以降が俄然面白くなる。なぜ喧嘩しているのに、踊りはさらに円熟していくのだろうか。ここのところで、本人たちが出演し語り、かつ、若手のダンサーたちの踊りがイメージを膨らませる映画だ。バンドネオンがパッ、パッ、パッと、切りの良いリズムを刻み、全編が進行していく。

Img_4277 マリアとフアンは、14歳と17歳で出会ってから、50年近くもペアを組んで踊り続け、世界的に有名になる。しかし、栄光の陰では何回にもわたって、愛と裏切りが繰り広げられていた。特に後半では、愛憎を芸術的なタンゴ・ダンスに昇華するところを描いていて、対立からの協調が描かれるのだ。そしてついに、1997年の日本公演の後、コンビを解消する。

Img_4276 映画の中で描かれている「テーブル上のタンゴ」という踊り方は、二人の限定された踊りを象徴しているように思われた。踊りの会場から出て、「橋の上や道路でのダンス」は、二人の開放的な踊りを表していると感じた。このような想像力溢れるダンスを見ると、なぜ50年間も踊り続けることができたのか、ということを思わずにはいられない。

Img_4273 評論家たちが指摘しているのは、前半生のペアとして、互いに愛し合って、ダンスをするときには、二人の視線が一致しているのだが、これに対して、断絶のあと、視線は合わず別のところを向いているという点だ。さらに、それにもかかわらず、踊りは良くなっていくというのは、どういうことなのか。

Img_4268 前半で、ペアとしてのパートナーシップの基本的な合意が行われてしまうと、後半で愛情のパートナーシップが失われようとも、ダンスのパートナーシップには影響を与えないということになるのだろうか。ここで、むしろ個性を限りなく発展させて、憎しみの中からでも、協調が生み出されるという逆説が生ずることになるのだ。けれども、これには肉体的・精神的な負担が相当なものであることは確かなのだ。Img_1163 最後は、フアンの現実の妻がこの状況に耐えられなくなる。二人の相互作用だけでは、世界は形成できず、三人以上の社会が支えなければ、「ペア」という関係も最後はうまくいかないのかもしれない。

Img_1164 今日の椅子は、喫茶店「呂久呂」の椅子だ。ここの曲木椅子は、年季が入っていて、座面と背中が当たる曲木の塗料が薄くなって、明るい黄色に変色している。1日数人、けれども合計すると、何万何十万人の人がこの椅子に腰掛け続けた結果なのだと思われる。木製椅子の価値は、このように地肌が出るほどに使い込まれるところにあるのだ。

2016/07/10

京都へ来ている

Img_1102 京都へ来ている。大学院のゼミナール開催のためだ。博士課程のFさんが島根に住んでいて、Hさんが関西在住で、さらに修士のNさんが同じく関西なので、わたしの横浜在住というのがずっと引っ張られて、今回は変則の大学院ゼミとして、京都学習センターで開かれることになった。今回がうまくいくならば、1学期に1回程度、関西から岡山さらに島根で開催するゼミを定例化することを考えても良いのかもしれない。

Img_1105 問題はあるのだ。今日はたまたま京都学習センターの部屋が空いていてゼミができたのであるが、じつはこのセンターでは、いつもこのようにすんなり予約が取れる保証はないのだ。それで、京都出身のHさんに聞くと、幾つかの他の選択肢がありそうである。また、京都学習センターの事務長の方にも相談したら、幾つかの候補が上がってきたので、何とか粘って探してみたい。もっとも、有料にはなってしまうのだが、それでも静かなゼミ室が確保されるのであれば、それに代わるものはないと言える。

Img_1106 これまで1月の合宿では、同志社大学の講義室をN先生との合同ゼミということでお借りしてきたのだが、今年度はN先生の担当学生が全部修了なさってしまい、一人もいなくなってしまったので、N先生にお願いするわけにはいかなくなったのだ。そこで、半年も前から会場探し、ということになっている次第だ。京都大学のG会館とか、S庭園とか、ということが実現されればこの上ないのだが、なかなか難しい。Img_1107 少し奮発して、前回使った京大医学部のS会館ということもありうる。けれども、会場探しも京都の場合には、他に素敵な場所が数多くあり、たとえば東京圏ではM先生の著書「権力の館」を見れば良いのだろうが、京都にもそれに類した魅力的な場所があり、選ぶ楽しみだけでも満喫できるのは良い。

Img_1110 午前中に、新自由主義についての議論を行い、午後から博士後期課程の方々との消費者社会論、社会ケア論などの議論が続いた。このような1学期に1回のゼミというのは、まとめて数回分に当たるために、じっくりと考えることができるというメリットがある。少人数で、長時間、しかも転地効果が働くのだ。

Img_1108 学習センターは6時には閉館になってしまうので、後の残った話や議論は、オフ時間を利用することになる。京都駅近辺では、いつも適当なところがなく困っていたが、今回はHさんの誘導で裏道へ入っていく。ちょうど開店1周年記念だという店「たかひとり」に当たる。1軒目にして、落ち着けるところを見つけることができたのは幸いであった。鴨料理を得意とするところだが、鹿肉や猪肉もある。ビルの地下室にあるために、10人足らずでいっぱいになってしまう。予約をしてなかったので、最初は断られると思っていたが、若いご主人が席を詰めてくださった。

Img_4235 Fさんの本職は公務員なのだが、同時に実家の寺の住職を継いでいる。その寺の総本山が京都にあって、明日は儀式に出席しなければならないそうだ。法衣を持参のゼミナール参加だ。想像するに、これは相当な忙しさである。それを克服して、ゼミに参加してきているのは素晴らしいと思う。学者の方で、住職を兼ねている方は、京都を中心にしてかなりの数がいると聞いているのだが、学術と宗教とには似たところがあるのかもしれない。

Img_4236 京都の夜は、姉小路にある「Kocsi」で静かに過ごすのが、定番となりつつある。夜食には、ここのキッシュとワインをとった。今日のゼミナールでの議論を振り返る時間をたっぷりととることができた。今日の議論で共通に問題となったのは、消費者社会にしても、ケア社会にしても、なぜそのような社会が崩れ、かつ成立するのか、という生成の問題点が浮き彫りになった。議論は多岐にわたったので、うまく整理して、次の議論につなげてもらいたいと思った次第だ。Img_4241 ここには書くことはできないが、多くの魅力的な言葉やアイディアが満載の議論だったな、という感想を持った。Img_4245 以前にも書いたが、麩屋町あたりの町屋には、老舗が並んでいて、ショーウィンドーがギャラリーになったりしている。この「デルフトタイル」の白と藍の組み合わせを見つつ、夜の散歩をして、宿へ至る。

Img_4242 次の日も午前中11時まで、部屋を使えるので、これまで溜まっていた大学院関係の仕事をまとめて片付ける。幾つか整理していくうちに、問題点が見つかり、さてどうしたら良いのだろうか。

Img_1117 これも定番となりつつある京都での昼食は、柳馬場通りにある「菜根譚」にて、白胡麻担々麺だ。これも一年に1回は賞味したい味だ。とくに、今日のように暑い日には、この濃厚なスープに乗った、程よい辛さが似合っている。Img_1121 玄関を入ると、町屋特有の土間が奥まで続いている。静かな奥の板の間に通される。そこの小さな卓袱台に案内される。担々麺を食した後に、さっぱり感が凝縮されている杏仁豆腐を頼んで辛さとのバランスをとる。

Img_1119 さて、今週からはゼミ合宿や試験週間、さらに採点が目白押しなので、まだまだ夏休みは遠いのだが、その準備を行っておきたい。Img_4262 静かな喫茶店で、まとめて読書をしたいと思ったのだが、京都の月曜日は博物館や美術館はほとんどお休みで、それに呼応するかのように、行きたいと思っていた喫茶店も閉まっているのだ。Img_4264 四条に出て、喫茶店「ソワレ」定休。喫茶店「エレファント・ファクトリー」定休。という道筋を辿っていると、木屋町の高瀬川沿いへ出る。ここには以前から、廃校になった旧立誠小学校の校舎・講堂がまだ建たっていて、現在ではコミュニティ活動の拠点となって解放されている。Img_4267 Img_1125 Img_1128 Img_1131 この正面玄関を入ったところに、喫茶店「Traveling Coffee」を見つける。京都の繁華街の真ん中に、オアシスを見つけた思いだ。新幹線までの数時間をほぼこの空間を独占して過ごす。コーヒ1杯300円なり。静けさや学び舎にしみいる抽出珈琲。Img_1145 Img_1144 Img_1143 Img_1142 Img_1141 Img_1139 Img_1134 Img_1136 Img_1146 Img_1153

Img_1115 今日の椅子は、「Kocsi」のスペイン風長椅子と、年代物の応接椅子だ。いずれもアンティークショップで見るようなものだが、今日の喫茶店でこのような古い椅子が好まれて使われる理由があるように思われる。Img_1122 それは、現代人にとってはノスタルジアは解放の要素だという点だ。現代人は現在に追われているから、逃げる先は未来か過去かになると思われる。落ち着けるのは、やはり過去で、この椅子の古さがそれを呼び起こしていると思われるのだ。Img_4234 Img_4252 Img_4243

2016/07/02

茗荷谷で卒研ゼミ

Img_1057 まだ梅雨明け宣言が出されていないにもかかわらず、連日猛暑が続いている。松本市へ行くとほぼ必ず立ち寄る、カフェ書店「栞日」が数軒先へ移転することになった。それで、現在のビルを滞在型宿泊施設へ作り変えるらしい。6月末を期限にして、その資金をネットで募っていた。もし目標額(200万円)へ達しなければ、その募金はチャラになってしまうという決まりのファンドだ。わたしが(ほんのわずかであったのだが)応募した頃には、それがまだまだ到達するのか、わからなかったのだが、あれよあれよという間に、最後の1週間になって、ググッと増加したのだった。驚いたのは、応募人数で、200人を優に超えたことだ。昨日締め切られ、結果が公表されていた。ほんとうにおめでとうございます。

松本の街に「仮暮らし」できる、毎週1組限定のホテル

松本という場所で、中長期滞在型というのは、良い狙いだと思われる。一年の中では、クラシックコンサートの季節もあるし、クラフトフェアの季節もある。秋には、クラフトピクニックがあるから、ずっと滞在する人には福音だ。けれども、きっとそれらの季節には、宿泊希望者が集中するから、何もない頃を見計らって、原稿を抱えて松本滞在というのは、想像するだけでも何か突き抜けるようなことが起こる予感がする。

先日、長崎を訪れた時に、やはり1階が自転車屋、2階が喫茶店、3階が宿泊所という複合喫茶店に遭遇したが、これからは滞在型で、このように気楽に住める施設が流行るのかもしれない。松本には、「まるも」や「布屋」のような、変形B&B形式の宿屋はあるのだから、これらと英国のBBの中間の形式があっても良いのではと思われる。英国のBBという形式は、日本の住宅事情からすると、ちょっと狭くて無理だと思われるから、ビルの部屋貸しという方が、手間もかからず、良いのかもしれない。ここから、日本的変形BBが育つことを期待したい。

Img_1058 今日は午後から卒業研究のゼミナールが茗荷谷で行われた。学習センターの玄関ホールへ入ると、この木彫というのか、木を重ねられた、首から上だけのキリン像が設置されていて、何となくノホホンという気分にさせてくれる。動物園に入ったという感じではないのだが、ちょっと異次元の空間へ入った気分にはなるのだ。Img_1062 題名が変わっていて、「人間が両手で出来ることについて考えてみた」と書かれていて、筑波大学の渡辺直氏の作品だということだ。このビル全体が学問の世界なので、頭だけが展示されているのだろうか。でも、キリンほどの頭しかないのだ。これに対して、人間は両手を動かして生活するのだよ、ということを喚起させてくれる。キリンを見て、わが振り直せ、というのだろうか。

Img_1063 今回のゼミも、いつものように、5人の方々の発表が続いた。7月になると、論文作成過程の半分を消化したことになる。S字型学習曲線の理論で言うと、ちょうど踊り場状態(プラトー状態)で、中だるみが来る季節だ。Img_1066 先が見えそうで、なかなか見えないという時期ではないかと思われる。論文作成では、必ずやってくる季節だ。ここをうまくいなすと、次の急成長時期を迎えるのだ。

今日はお客さんが加わった。北海道からわざわざ見学のために、このゼミに参加してくださったMさんだ。Img_1060 実は冒頭の話につながるのだが、「長期滞在」ということに興味があるそうで、なかなか魅力的な研究計画を持っていらっしゃる。来年以降、ぜひ研究実現を遂げていただきたい、とエールを送った次第である。

Img_1061 ゼミが終了してから、Oさんの提案で、Kさんが企画してくださった懇親会を行う。学習センターから出て、その昔印刷工場などがあった裏道を少し歩いた。桜並木が有名な播磨坂に出る。イタリアン料理のペッシェへ行く。日曜日のせいなのか、以前来た時と雰囲気が違っていて、家族連れやカップルでも、近所から来たようなグループが目立つ。写真機を持ってこなかったので、料理をお見せすることはできないが、ゼミの後の雑談を楽しんだ。

Img_1050_2 写真に写っている扉の後ろ左側に座っていた。今日の椅子は、大量生産の木製椅子だ。イタリアンの店には、このような安価で丈夫な椅子がなぜか似合う。頻繁に掃除をするので、軽く積み重ねることができる椅子が好まれるのだ。Shop01a 椅子の写っている写真がこの店のホームページにあったので、借用する。夜になって、心地よい風が少しだけ吹いてきた。

2016/06/26

宮崎面接授業の二日目

Img_1005 「アーツ&クラフツ経済社会入門」と題した今回の面接授業では、中世から近代に向かう様々な「デザイン運動」を紹介した。Img_1006 昨日の講義では、「デザイン運動」という、苦手の分野をいかに簡潔に紹介し、さらに「経済」との関係をよりシンプルに説明できるのかが、わたしにとっては問題だったのだが、無難に切り抜けることができたのは幸いだった。

Img_1011 講義の出だしでは、20世紀前半に英国で活躍したウィリアム・モリスの「アーツ&クラフツ運動」を導きの糸として講義した。この運動は典型というわけではないが、題名からして避けることができない。映像や写真もかなり手に入れてあり、これらのデザインは見ることができなければ、学生の方々も感ずることはでいないので、映像を用意しておいて、思った通りの講義になったと思う。最初はアーツ&クラフツについておぼろげな印象しかなかった方々も、おおよそのイメージを抱いたようだった。Img_0967 モリスの中ではちょうどデザインと経済が交差していて、扱いやすかったのだ。面接授業の参加者たちも、モリスの名前は多少知っていても、経済との結びつきまで想像できなったみたいで、スタートの話は順調に進んだ。

Img_0969 その後、近代のデザインの中で、とりわけ経済社会に関係するのは、建築やデザイン運動になるのだが、ちょうど近代の建築とインテリアの関係を述べるなかで、とりわけ注目したのは、「バウハウス運動」であり、デザインの系譜と経済との関係を明らかにしていくことができた。Img_0962 問題は、中世の手仕事と、現代の手仕事と経済的に見て、どこが異なるのかという点にある。

Img_0988 昼食は、またしてもイタリアンとなった。ピザの店「ボンリッサ」で石窯ピザだ。日曜日だということがあって、玄関を入ると、左右の部屋の席はほぼ満席である。予約を取っているかと、石窯でピザ焼きを行っているご主人に聞かれて、取っていないと答えると、カウンターの席を用意してくれた。ここからは、窯もよく見えて、ピザを窯に入れ、どのように焼くのかが手に取るようによく分かる。Img_0991 このような作るためばかりではなく、見せるための窯というのは、料理人にとっては、ある種の見せ所なのだ、自信の表れなのだと思った。窯へ入れる時に使う長い柄のついたヘラをくるくると、天井を突き抜けていくくらいに回して、リズムを取っている。Img_0989 自然に身についた職人の癖みたいなもので、これは見ものだ。ご主人の汗はかなりのものだった。冬にはこの石窯が暖房替わりになるとしても、これからの夏には、ちょっと近くには寄れないだろうなと推測したのだった。薄焼きで、外パリパリ、内モチモチタイプのマルゲリータが出来上がってきた。これから、午後の講義がなければ、白ワインが欲しいところだ。

Img_0998 学習センターの方々に、宮崎牛の店を聞いたのだけれども、昨日行こうと計画したフランス料理の店しか、この辺では思い浮かばないとのことだったので、あっさりと諦め、他の可能性を追求することした。Img_0996 昨日、散歩をしているうちに、駅から北のほうへ歩いていったところに、とんかつの店を見つけていたのだ。ホームページで見ると、宮崎で一番豚肉が旨い店として紹介されていたのだ。Img_4199 それで、講義が終了した後、レポートの採点の途中ではあったのだが、その店「不二かつ」本店へ出かけることにしたのだった。

Img_4206 まだ夕方の5時だというのに、店内へ入ると、椅子に腰掛けて順番を待っている人々がいるのだ。一人だと告げると、やはりカウンターの真ん中を用意してくださった。眼の前で、肉が出てきて、コロモをつけ、次から次へと油で揚げられていく。Img_4201 3人の分業体制を十分に観察することができて、食欲だけでなく、仕事のタイミング、流れ作業のネックなど、面白い場面が見られたのだった。肉を準備することと、揚げることは、見せ場なのだが、それほど手がかかるわけではない。やはり、コロモをつけるところがネックになるところらしい。

Img_4202 次の日の午前中は、レポートの採点と整理に費やした。大雨が来るらしいという予報があり、なんとか日向市の駅に着くと、その途端に大粒の雨が降り出した。若山牧水の生まれ故郷だということで、至る所に牧水の句を見ることができる。大雨に濡れ始めた駅広場の碑には、有名な旅の句が刻まれていた。また、駅の中の句は、故郷を歌ったものだった。

幾山河超えさり行かば寂しさのはてなむくにぞ今日も旅ゆく

Img_1001 日向灘ぞいに日豊本線が南下していく。宮崎らしさは、なんといっても、このヤシの木だろうか。この激しく降る雨に似合っている。しっとりとした南国の空気を感じながら、木製のシートで作られた素敵なJR九州のCT列車に揺られたのだ。Img_1015 航空機まで時間が少しあったので、宮崎市内を散歩した。砥部焼を売っている民芸店「日向路」などを散策して、ジャズ喫茶「Lifetime」でハンバーグランチ。食事の後、さらに少し時間があったので、残っていた面接授業のレポート整理を一気に片付けてしまう。Img_1018 この全体結果は、後の長野と札幌が終了したのち、ホームページを通じて、お知らせしようと考えている。受講生の方々は、12月には忘れずに、このページへアクセスしてほしい。きっと興味深い集計が現れていることだと思われる。でも、11月までみんな覚えているかな。

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今日の椅子は、JR九州のCT列車の座席シートだ。なんといっても、木製であるところが洒落ている。また、南国であるということから考えて、公衆衛生上、布は使わないという点でも合理的な配慮がされている。けれども、JR九州の「贅沢」コピーはここでも効いていて、なんと黒い部分は、本革だったのだ。駅舎や人員合理化で浮いた分を、惜しげもなく、車両のデザインにつぎ込んでいて、これだけの「見せびらかし」効果を自覚している会社というのは、大したものだ。Img_4210 Img_4209

2016/06/25

宮崎の面接授業へ行く

Img_4183 宮崎学習センターの面接授業が先週の山形に続いてある。昨日の金曜日に飛行機に乗り、宮崎市のさらにその先の日向市までJR九州の列車で行く。K大学の講義が終わって、18時の飛行機まで時間があるので、羽田空港ではクッキーを購入して、その後夕飯として「アカシヤ」のロールキャベツ定食を食べることにしている。Img_4186 学生時代の新宿の味を忘れないためである。なぜ新宿の味が羽田空港のビルに入っているのかわからないところが面白いところなのだ。場所柄とあまり合っているとは思われないのだが、それはわたしの主観であって、入る客が決めることである。Img_4189 いつも満席だというところを見るにつけ、並みいる高級店が並ぶ中で、この場所を「アカシヤ」へ提供した空港当事者へ賛美の言葉を贈りたい。

Img_4190 それにしても、昨日は英国のEU離脱ニュースが駆け巡った1日となった。お昼ごろには、国民投票の結果が発表されていた。そして家を出る頃には、BBCが全体の開票がまだ済まないうちに、確定を告げていた。英国と大陸との関係が付かず離れずであったことはヨーロッパ歴史を学んだものにとってはよく知るところだ。以前から通貨のユーロ圏には属していなかった。Img_4187 通貨統合にはサッチャー政権の頃から反対であったことも知っていたから、結果からすれば、それほど驚くほどのことはないとはいえ、関税のことなど経済への影響が大きいことを予想させる。まだまだ、数百年にわたって、行ったり来たりするのだろうな。息の長い歴史がある。

Img_4192 さて、宮崎空港駅から延岡行きの特急に乗って、学習センターのある日向市に着く頃には、日が長い季節であるにもかかわらず、もうすっかり暗くなっていた。有名な日向灘を見ることができると思っていたのだが、暗くて想像力だけの電車行となった。Img_4194 日向市駅に着くと、駅舎が新しく、さらにホテルまでの道幅が広く、みんな同じデザインの低層の店が揃っている。再開発の最中であることが分かる。Img_4195 けれども、途中から景色は変わり、赤提灯やBarの飲み屋さんがずいぶん多い街だな、という感想を持つほどだったのだ。それは「上町」という、飲み屋街を通ってきたからだったことが地図を見て理解したのだった。

Img_4197 次の日は、準備があるから9時15分には、学習センターへ着いているように、という連絡があった。学習センターの隣のホテルに泊まっていたので、角を曲がると学習センターへ着いていたのだ。隣に日向市の市役所があり、まさに再開発の最中で、同じように工事中だった。Img_4196 学習センターの向かいには公園があって、なんと重量級のD51蒸気機関車が置かれていたのだった。紹介文によると、地球を60周以上の距離を走ったのだと書かれていた。さらに引退してからも、このような公園でずっと奉公しているのだ。

Img_0943 学習センターでは、メールでやりとりしたH氏とKさんが迎えてくださって、すでに準備万端の状態だった。早速、講義室へ案内され、学生の方々へ紹介してくださった。今回は以前の放送講義「社会の中の芸術」を取った学生はいなかったので、芸術傾向の学生よりも、経済傾向の学生が多かったような気がする。Img_0946 とりわけ、人生の中で、芸術や工芸にこれまでほとんど興味を持ってこなかった、と答える学生が3人もいて、これを機会に少し芸術へ興味を持ちたいとおっしゃっていたのが、印象に残った。この3人以外は、工業用のリボンを織って、カゴなどを創作する手芸教室を教えている人や、ギターを趣味で演奏している人たちが参加してきていた。

Img_0948 今回も質問を投げかける方式の講義進行を行ったのだが、参加された方々は静かな学生の方々が多かった。けれども、数は少なかったが、本質的な質問が間欠的に続いたので、楽しい授業となった。今回も体調はそれほど良くなかったのであるが、コーヒーを自分で淹れてきて、なんとか最後まで、このコーヒーを飲んで、冷静さを保ったのは幸いだった。

Img_0966 日向市の再開発の様子を見たかったので、昼食のついでに、その先を見ることにした。駅前から道路の幅が途中まで広げられ始めている。この現場にある、イタリアン料理と喫茶の店「Run Into」へ向かった。次第に客が入って、ほぼ満席状態にすぐなった。鶏肉の定食を取った。1年ほど経っていると店主は言っていたが、再開発で統一されたモダンでシンプルな建物だった。

Img_0976 じつは、夕食を食べたのも、イタリアンの店となった。モダンな北欧風デザイン意識した建物に入っているイタリアン料理店「バッケーロ」である。結局予定していた「フランス料理で宮崎牛を」というプランは、その店が臨時休業だったので、あえなく挫折して、この店になったのだ。Img_0978 Img_0977

2016/06/20

出張の最終日

Img_4122 まだ、山形に止まっている。面接授業で集めたレポートの採点と集計を午前中に行う。今シーズンに行う面接授業では、同じテーマで山形、宮崎、長野、札幌と面接授業を行うのであるが、同時に同じテーマで、レポートも出題している。実はその結果を数値化して、表に整理して、最終結果をこのブログで発表することを約束してしまったのだ。Img_4117 六月に面接授業が半分終了するが、実は全部終了するのは、十一月になってしまうのだが、それでも約束は約束であり、待っている方々がいる以上、手間はかかるが整理しないわけにはいかない。Img_4119 午前中かかって、ようやく整理を終えることができた。長居できるホテルを取っておいてよかったと思ったのだ。

Img_4118 昼食をとりながら、昼からジャズというのも良いと思い、駅のすぐそばにある、老舗のジャズ喫茶「OCTET(オクテット)」へ行く。ちょうど店を開くところに当たって、まだ客が一人もいなかった。それを良いことに、相変わらず、椅子と店との関係をまたしても聞いてしまったのだ。この店には、このような前面木製の壁から通じて、収納箱付きのベンチが設置されている。この一体型のベンチが先か、それとも部屋のデザインが先なのかと聞いたのだった。Img_4120 結局、改築のときに、スピーカーの響きを考慮して、さらに残った椅子やカウンターとの関係から、このベンチを作りつけてもらったのだ、ということだった。

最初の一曲は、バド・パウエルの曲をトリオで演奏している女流ピアニストのシンシア・ジッチのアルバムだった。Img_4121 これまで聞いたことがない演奏で、落ち着いているが、パウエルのエネルギーを受け継いでいて、不思議な雰囲気をたたえたアルバムだった。これ良いですね、というと、ご主人も感想を述べられて、朝から(もう昼だが)良い気分でスタートできたのだった。

Img_4124 結局、予約した新幹線の時刻まで数時間余裕ができたので、隣町の上山市にある斎藤茂吉記念館を訪ねることにする。Img_4126 駅を降りて、林の中を3分ほど歩くと、コンクリート造りの低層の記念館が見えてくる。玄関から静かな佇まいで、茂吉の歌をたどる形で、展示が進んでいく。Img_4139 入ってすぐのところに、茂吉の部屋が移築されていて、さらにビデオで茂太や北杜夫などの映像が流れていた。父親との関係は意外なほど濃密だったことを知る。やはり、印象に残る歌は、赤色を象徴的に使った『赤光』からの「たらちねの」が素敵で、上の句で自然を描写して、その後に茂吉の感情が入れ込まれた、下の句が続くというスタイルが、好ましいリズムを刻んで参観者に迫ってくる。Img_4142 「実相観入」という写生の伝統を受け継いだ茂吉の作風が、繰り返し展示されていた。Img_4181 Img_4166 Img_4163 Img_4159 Img_4156 Img_4157 Img_4154 Img_4153 Img_4152 Img_4144_2 Img_4149 Img_4143

かみのやま温泉駅へ出て、さらに時間があったので、自家焙煎の店「豆と麦と」へ入る。今朝採れたさくらんぼだ、というので、素敵な小皿に入れて、おまけを振舞ってもらう。ここでも、ゆったりと時間を潰すことができ、ようやく時間が来たので、東京行きの新幹線にのって帰路に着いたのだった。Img_4178 Img_4179 Img_4175 Img_4174 Img_4172

2016/06/19

面接授業の2日目

Img_4064 思ったよりも講義の方はうまくいって、今回の講義は初めての内容だったので、もっとたどたどしい展開になるかもしれないと思っていたにもかかわらず、用意した資料もほんのわずか残しただけで、ほとんどの内容を説明することができた。最後の結論部分も、学生の方々にも、比較的すんなりと受け入れられたので、考えている時のウズウズした気分が、全部喋り終えたことで、すっきりとしたのだった。これには、参加してくださった学生の方々の反応がかなり作用している。それに助けられて、結論がこれほど無理なくできたのだと思う。感謝する次第である。最後は、いつものように、拍手で大団円。

Img_4044 講義が終わって、事務室へ出欠表を届けに行く。Nさんがお休みなので、総務のTさんが対応してくださった。ついでに、これから食事に行きたいのだと告げると、しばらく考えたの後、一箇所を教えてくださった。このタイミングの取り方は何か、不思議な雰囲気があったのだが、もしかしたら、この教えられたところについて、何か含むところがもう少しあったのかもしれなかったと思えるほどの、微妙な返答だったのだ。

Img_4046 ところが、静かな喫茶店はないか、と尋ねると、こちらは即答で七日町(旅籠町)にある喫茶「シャンソン物語」を教えてくださった。この即答の勢いに感じるものがあったので、すぐに駅前から七日町循環バスに乗って、この喫茶店へ行ってみる。すると、この町は今日一日さくらんぼ祭りだったらしくて、この時間にはすでに店が閉じ始めていた。Img_4048 推薦の言葉に違わず、周りのビルの様子とは異なり、一度店の中へ入ると、シャンソンが流れていて、このような古典的な間仕切りが取られており、いかにも長居して大丈夫というサインを送っている店だった。Img_4049 途中からは貸切状態で、講義が終わって、ホッとした気分を長く長く、余韻を楽しむかのような時間が過ぎていったのだった。推薦の言葉をTさんから聞いておいてよかったな、と思った次第である。Img_4054 「シャンソン」で時間を聞くと、1時間ほどは居ても良いということで、こんなにゆったりできる空間を持っている、地方都市の豊かさに羨ましさを感じたほどだった。

Img_4057 店を出て、食事の店へ向かう途中に、専門書の品揃えが素晴らしい本屋「八文字屋」へ入る。これだけのスペースを専門書に割いている本屋は、今では珍しい存在だ。山形大学の学生たちが利用するのだろうか。Img_4058 長居できる喫茶店と本屋があり、さらに名画座が整備されているなどの、都市の必須条件を十分の充している街は、今後もこれらを維持していただきたいものだと思う。Img_4079 外から来て、差し出がましいが、なかなかこれだけのものが残っている都市は、少なくなってしまったのだ。

Img_4080 結局、食事はやはりTさんに教えていただいた「紅の蔵」という施設に入っている、蕎麦料理屋へ入ることにする。ここでも、地元推薦を店員に聞いて、山形の「肉蕎麦」を食べたのだった。酒ももちろん地元天童の「出羽桜」の冷やを頼んだ。今日は、地元推薦が全て当たった日となった。Img_4086 Img_4093 Img_4088_2

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2016/06/18

山形学習センターの面接授業の第1日目

Img_0917 山形駅前にある霞城セントラルビルという、見るからに城をイメージさせる24階ビルの10階に放送大学が入っている。ビルのある場所はわかりやすいのだが、10階に通じるエレベーターが1階の迷路をくぐり抜けたところにあって、宿泊しているホテルからよりも、ビルの中で迷ってしまった分時間がかかってしまった。

今年の面接授業テーマは、「アーツ&クラフツ経済社会入門」という題を選んだ。以前放送で作った授業科目『社会の中の芸術』の続編という趣向だ。今日参加した学生の中にも、有難いことにこの以前のテキスト「社会の中の芸術」を持ってきてくださった方が複数いらっしゃって、この授業の影響がまだ消えていないことを喜んだのだ。

Img_0927 わたしにとっては、クラフツ(工芸)という少し専門の領域を広く取ることになるので、かなりの「力仕事」が必要だという位置付けの授業だ。現代社会において、「クラフトが経済として成り立つのだろうか、成り立つとしたら、どのようなことが条件となっているのか」ということが聴きどころだ。わたし自身にとっても、どのような展開になるのか、興味津々のテーマであることは間違いないところだ。

Img_0928 グループ討論も計画しているので、あまり多くない方が良い。できれば、10名ちょっとの程度になってくれれば、と考えていたら、思っていたよりは少し多かったが、1グループ増やす程度だったので、胸をなでおろした。授業は順調に進み、まだ空が明るいうちに今日の分は終わりとなった。

Img_4074 山形学習センター所長のS先生に山形市の成り立ちを教えていただき、城下町であるにもかかわらず、七日町や十日町などの市場の立つ日が町名になっていて、商業の街であることを認識したのだった。それで、繁華街はこの七日町の方であり、駅からはバスにちょっと乗るほどの距離がある。

Img_4073 早速、授業の後、歩いてみた。やはり、距離があったが、ちょうど授業の教室から一日中出ることがなかったので、気分転換になったのだった。そして、今日も「フォーラム」へ寄って、ウディ・アレン監督の映画「教授のおかしな殺人妄想(原題:Irrational Man)」を見たのだった。

Img_0908 物語は、アレンらしい内容だ。天才的な哲学教授が生きる意味を求めて、「完全犯罪」の殺人を犯すことで、結局は身の破滅を導いてしまうというものだ。非理性的なことを理性的に計画した途端に、非理性的な結末を迎える、というアレン特有のカントやヘーゲルまでも持ち出して、多才なおしゃべりを挿入させている。いつもながら、諧謔や皮肉や逆説に満ちた映画だった。アレンが好きな方でないと、この笑いどころがわからないだろう。世の中は、非理性的な謎に満ちているのだ。

この頃になると、一日中講義で立って喋っていた体力的な問題が生じてきて、ようやく宿泊所に帰り、早めにベッドに入り、体調を整え、最終日の講義に備えようという気になってきたのだった。

2016/06/17

面接授業の季節が巡ってきた

Img_0901_1 今年も面接授業のシーズンが巡ってきた。毎年、6月には地域の学習センターの面接授業に出かけることにしている。土日に集中するので、4月と5月にはゼミをスタートさせ、7月には学期末試験が控えていて、やはり6月に集中することになる。たぶん他の先生方も同じことを考えるから、自然に6月は面接授業の季節となる。自然の調整とは恐ろしいものだ。

まずは、山形からスタートだ。K大学での講義を終えて、横浜で買い物を済まし、東京駅の混雑したお弁当売り場で、ヒレカツ弁当を購入して、夕方の山形新幹線つばさ号へ飛び乗った。山形駅へは、9時前に着いた。宿泊先へ荷物を置いて間もなく、さっそく恒例の出張先の映画鑑賞に繰り出した。山形市には、駅から程よい距離のところに名画座系の映画館「フォーラム」がある。映画「マネーモンスター」の最終回にようやく間に合ったのだ。

Img_0934 俳優がG・クルーニー、J・ロバーツ、さらに監督がJ・フォスターであれば、出資のSONYも文句は言わないだろう。物語は、クルーニー扮する株専門キャスターがテレビの生番組放映中に、番組ジャックされて、デレクター役のロバーツとともに、物語があらぬ方向へ進んでいき、最後は原因となった株価暴落企業の秘密が暴かれるというものだ。

Img_0935 近年、ハリウッド映画は、金融ものというジャンルを打ち立ててきている。なぜ株価が上下するのかということについては、いろいろの要因が絡み合っていて、一筋縄ではいかない。だから今回もリーマンショックを上回る複雑な要因が存在していて、見事に説明をしてくれるのだと思っていたが、この映画では多少不満が残るかもしれない。何か秘密で重要なことがあると思われるからには、その内容はもっと重要な要因でなければならないのだが、この映画では古典的な詐欺事件に堕してしまっていて、ちょっとつまらない気がする。

Img_0902 つまり、「マネーモンスター」という割には、貨幣の「信用」という本質的なもののところでモンスターが生まれるのではなく、人間の欲望のような本来の物語でのモンスターであって、題名に偽りアリというところが残念なのだ。けれども、ドラマ自体は面白いし、クルーニーもロバーツの演技も慣れたものであって、娯楽作品としてはとても楽しめるものとなっている。

スタジオがジャックされるときの、この映画の道具が気になった。爆弾テロで自爆・他爆する時、スイッチから手を離すと、爆弾が炸裂するという仕掛けが、よく使われる。今回もこれだ。スイッチを押すと爆発するのと、スイッチを離すと爆発するのとの違いがあるのだ。スイッチを押す人、押している人を倒せば、前者は爆発から免れるが、後者は倒されると爆発が生ずることになり、ここに違いがあることがわかる。このセットした時からいつ倒されるのか、スイッチを押している人からスイッチをいつ離すことができるのか、このズレの時がドラマの中核に当たる時間なのだ。この不安定さが映画の虚構性を成立させている。映画の筋に緊張感を与えておいて、それを本筋にして、そこに幾つかのエピソードを付け加えていく。この映画でも、このスリリングな状態が効果的に使われていたと思う。

Img_0916 もう一つ、面白いシーンがあった。スタジオ・ジャックされた理由の一つが、犯人の投資資金を株価下落で損させてしまったということにあるのだが、それを逆手にとって、それでは株価を上げるように、クルーニー演じる司会者はリアルタイムで、テレビを見ている投資家たちへ呼びかける。みんながこの株へ投資すれば、株価が上がって、犯人の損失を取り戻すことができるかもしれない、という賭けを行うのだが、そして自らの命も助かるかもしれないのだが、お涙頂戴で人道的に投資する人がいるか否か、というアメリカ資本主義の本質を抉り出すようなシーンだ。Img_0906 結果は、観ての楽しみだが、このようなシナリオをちょっと入れることができるのが、ハリウッドの隠れた魅力の一つだと思う。自己批判ができるとしたら、このような方法が、最も映画では適していると思われたのだった。

さて、気分を入れ替えて、明日からの面接授業に備えて、熟睡することにしよう。お休みなさい。

2016/05/29

子ども椅子展のヒアリング

Img_3815 今日も、松本クラフトフェアへ、そして午後からは昨日に続いてヒアリングだ。昨日、3人の方へのヒアリングができ、ビデオ録画の準備へ布石を打つことができたが、まだまだフェアには4、5名の方がたが出店しているので、聞きたいことがあったのだ。

Img_3811 家具制作者がこんなに多くの顧客の人びとと交流できる機会というのは希有の状態だと思われる。これに便乗して、わたしもヒアリングに利用しているのだ。子ども椅子展へ出展の制作者が25名いるうち、3分の1ほどの方がたが、このクラフトフェアに参加してきており、数分であれば、こちらの質問に答えていただけるのだ。たいへん有難い次第である。今回は子ども椅子という対象がはっきりしており、ピンポイントで質問できるので、制作者たちの邪魔にはならないだろう。一応主催者の松本クラフト推進協会へも、今回の一連の取材については了解を取っている。

Img_3821 今日も会場は満員状態で、すでに午前中に観て回った人びとが帰り始め、交差が激しい。用意された作品も、最初が肝心で、みんなが良いと思うようなものは、すでに昨日のうち、朝のうちに出てしまうので、あとはコミュニケーションの時間があるだけだ。だから、この最後の余裕のある時間こそ、ヒアリングに適している。つねに、観光客と垂直にすれ違い、ズレを読みながら、調査というものは行わなければならないのだ。

Img_3802 少し前に戻るのだが、今日は会場へ直接行くのではなく、回り道をして、余裕を持ってフェアの会場へ行くことにしたのだ。子ども椅子展と同様に、フェアフリンジとして行なわれている「工芸の五月」の催しで、「六九ストリート」が行われているのだ。駅からの六九商店街への入り口にある最初の催し場では、すでに開店を待つ人びとの列が長くなっていた。途中、新潮社の雑誌「青花」の展示で、さりげなく高貴さを漂わせた刺繍を触らせていただき、その先の「工芸のウチとソト」を観ようと、ビルの前へ行く。

Img_3796 すると、ポパイのような目立つ服装をしたM氏が展示の写真を撮っているのに遭遇した。M氏は木工芸とエッセイで、生活工芸運動の一つの流れを生み出してきていて、この「六九ストリート」のプロデューサーでもあるのだ。わたしのテキストでも、引用させていただいている。このようなところでお会いできるとは思ってもいなかったので、ヒアリングの対象に入れていなかったのだが、松本家具制作の周辺をめぐるここ数十年の動きについては、斜めから見た一つの意見を持っているような気がしていたので、忙しそうな様子ではあったのだが、この点のみピンポイントで質問をしてみたのだった。

Img_3822 質問はちょっとずらせて、日本における「遍歴職人」の可能性はあるか、という自分でもちょっと恥ずかしくなるような穿った問いをしてみた。いろいろと理由を挙げ、人びとの背景を説明してくださり、丁寧なお答えを得たのだが、結論だけ書くならば、やはり重厚な家具が似合うような家の時代から、生活民芸が似合う家の時代へ、社会が転換したのだ、という認識を示されたのだった。立ち話でお聞きできるのは、この辺が限界であると思われた。

この近辺には、手打ち蕎麦屋が点在していて、観光客がずっと待っている。その一軒Sにおいて、フェアの幹部だったDさんが陶器の展示会を催していて、渋く明るい様子の酒器や皿や碗を出していた。こちらは、無料で店に入って鑑賞することができるのだ。

Img_3101 さて、今日のヒアリングは、まずはM氏から始めた。M氏は子ども椅子展では、ウィンザーチェア系の子ども椅子なのだが、ちょっと変わった特徴ある椅子を出展していた。ウィンザーチェアの場合には、背中のスピンドルが通常は子ども椅子であっても4本以上あるのだが、彼の椅子には、スピンドルが2本しかないというフォルムが特色となっている。背板部分が2本しかないということは、イメージとしては、空白部分が目立ち、真ん中がポンと空いているという印象が強い。ここにM氏の想いがあったそうで、話を聞くまでは、なぜ2本にしたのかということはわからなかった。つまり、意匠として2本スピンドルが選ばれたのだ。一言で言えば、「浮かんでいる」感じを出そうしたのだそうだ。背板部分の空いた部分でそれが実現されるのだ。この点は、スピンドルが使われる以前のウィンザーチェアに想いをはせてみるとわかるだろう。背板が一枚板で覆われていた頃には、板が座面から壁のように空気を遮ってしまう、重苦しいウィンザーチェアだったのだ。ウィンザーチェアの歴史は、いかにこの背板の重苦しさから、軽やかさへ転換できるのかの歴史であったと言っても過言ではない、この点からすれば、M氏の発想には、ご本人は認めないかもしれないけれども、軽やかな浮遊感を求める意図には、歴史的必然性があったのだと言えなくもない。

Img_3729 さらに、この2本だけで背中を支えるためには、当然のように座面とスピンドルをつなぐ技術の発達があったということだろう。楔が使われているが、その溝が二重構造になっているという強化が行われた結果、この2本のスピンドルが成立したのだ。この二重構造は、以前O氏のところで紹介したのだが、通常は脚部分に使われる技術だが、それがスピンドルでも使われているという特色をM氏の子ども椅子は持っているのだ。なお、M氏の場合にも、大人椅子が先にあって、バランスを考えながら、この子ども椅子が成立してきたという数十年にわたる工夫の歴史があるのだ。

Img_3818_2 次に向かったのは、T氏の子ども椅子、いわゆる「ぬく森チェア」だ。このテントには、小物ファンから、木のオーディオファンまで、顧客のネットワークがあって、なかなかT氏が単独でいるのが少なく、昨日から何回も暇の時間を見つけようと訪れていたのだが、ようやくにして、テント前で捕まえることができた次第だ。

Vlcsnap2016060214h55m37s138 この椅子の魅力は、年齢を超えて、子ども椅子が大人まで利用できてしまうという、変幻の椅子である点だ。第1に、お赤ちゃん時代には、最も座面が低層な置き方の使用法がある。ここでは、座席の前の棒が役に立つ。この棒は、西洋の子ども椅子にはよくつけられていて、子どもが滑り落ちないように、安全のためにつけられているのを見ることができる。けれども、T氏の場合には、そうではなく、この棒は子どもの自在で所在ない手を置いたり手で握って踏ん張ったりすることを想定していて、かなりポジティブな棒となっている。西洋風の使い方とは違うことがわかる。Vlcsnap2016060214h55m45s144 第2に、小さな子供時代には、この椅子をひっくり返して座面を高くして座ることができるのだ。この時、この棒は今度足置きになる。第3に、背面を上に出すと、大人でも使えるスツールが現出することになるのだ。

Vlcsnap2016060214h55m59s246 もっとも納得できたのは、このように多機能な点を強調するからには、機能的な観点からこの椅子が作られた、と思い込んでいたが、それがそうではないことがわかった時の意外さがあるのだ。

この椅子は、もともと東京の幼稚園からの依頼で作られたそうである。幼稚園椅子だから、パーソナルな子ども椅子ではなく、集団で多数個が使われることが想定されている。だから、T氏はこれらが積み上げられ、並んだ時の色のデザイン効果を狙って、おもちゃのキューブのように、異なる色が積み重ねられて、対比されたり同系統の色が揃えられたりする集団効果を想定したのだということである。想像するだに、これらが数十も積み重ねられ、それらのキューブの模様が得られるというのは壮観なのではないだろうか。つまりは、機能的な椅子だったと思われた椅子が、実際には装飾的な効果を狙ったものであった椅子であることがわかり、この落差が面白かったのだった。

Img_3104 今日3人目のS氏は、座面がしなるという特性を持つ椅子を作っていることで、自分の特色を出しているのだが、それを子ども椅子にも持ってきたのだ。こちらが興味を持ったのは、大人椅子から子ども椅子へ設計を変えた時に、何が実際に変わったのだろうか、という「古典」的な問いだ。やはり、子ども椅子の脚にそれが出たそうだ。具体的には、ストレッチャーの位置のバランスが変わったのだということだった。子ども椅子はふつう重心が低くなるから、ここで影響を受けるというのはたいへんわかる話だった。

Photo 少し違う領域にテントを出している方がたにも、ヒアリングを行おうと考えて、公園内のA-3領域から、C-3領域へ向かって歩いていく。Kさんの子ども椅子は、おにぎり型三角形の座面と、しかしながら4本脚であることと、座面と脚が白い素材を使っているのに対して、背板部分(と言ってもスツール仕上げなので低いのだが)が黒いウォールナットで色の対比を出している点で、機能にこだわらずにデザインの良さで特徴がある。このコントラストのある色使いは、確かに目立つのだ。先日の子ども椅子展でも、観客の一人が気に入ってしまって、そのまま購入したいと申し出ていたのを見た。

Img_3707 このコントラストはKさんがかなりお気に入りであって、コースターでも一枚板ではなく、この二枚が張り付いたものが作られていた。このような制作者の本能というものはたいへん重要で、顧客がつくかつかないかはわからないのだけれども、まずは作ってしまいたいという本能的な直感が制作者にはどうしても必要なのだと教えられる。おそらく、注文を取る場合にも、この点は重要で、100%顧客のいうことが取り入れられるという制作者はいないのだろうと思われる。否定的な言い方をすれば、このようになるだろうが、肯定的に言うならば、100%顧客のためを思うのであれば、顧客のいうことをある程度聞かないほうが良いものになるということだろう。

Img_3708 この点は椅子では特に大切で、Kさんはフロアで使う、低いベンチふうの安楽椅子を展示していた。Kさんが言うには、この椅子はおそらくあまり需要はないだろうとして作りました、とおっしゃる。けれども、絶対にこの椅子は大量生産の家具工場では作られない類の椅子であって、うちほどの需要のところで手作りでようやく作られるのだというのだ。そして、これをほんとうに欲しいという少数の方が出てきてもらえれば、それで経済的にも制作者側としても十分なんだというのだ。小さな経済圏で成り立つ製作ということの基本線がここにあると思われる。

Img_3876 あと、数人を残してしまったが、一度に全部というわけにもいかないだろう。秋には、クラフトピクニックも開催されるから、その時のためにも少し余裕を見ておきたいと思ったのだ。それで、せっかく来たのだから、陶器の方も見ておこうと、このC-3領域を眺めることにした。一つは、この人形を購入した。説明はいらないと思うが、実は先日の九州旅行の由布院温泉で、この人形のシリーズの中で「哲学者」と名前がついた人形に出会っている。制作者のMさんによると、その後由布院が今度の震災で被害を受け、これらの人形も壊れたものがあって、修復プロジェクトが立ち上がったそうだ。

Img_3880 わたしの買ったのは、「旅に出ます」と名前がついた人形だ。Mさんによると、三つのエピソードが詰まっているらしい。一つ目は、宮澤賢治が田んぼを歩いている姿だ。外套の姿には連続性が認められる。二つ目は、ニューヨークのエリー島に集められた移民審査の人びとだ。移民となると、カバンはもっと大きいかもしれないが、このくらい落ち着いていないと、今後どのような目にあうのか予想がつかない中で生きていくことができないだろう。そして、三つ目は収容所へ送られる前にカバンを預けられようとするユダヤ人だという。切羽詰まっている。Img_3881 題名からすると、もっと開放的なテーマがあったのではないかと思われるのだが、蝙蝠傘とカバンの組み合わせからすると、ちょっと暗い状況だったのだと思われる。反面、先日見た舟越保武の少年像もそうだったが、後姿がとても良いから購入に至ったのだ。

2016/05/28

今年は取材で、クラフトフェアへ

Img_3670 例年のことだが、今日は松本市にとって一番長い一日になる日だ。朝、新宿であずさ号に乗るときには、ちょっと満員で、自由席に立っていく人が多いな、という程度だった。松本駅に着いたときにも、メインの通路にあるコインロッカーはいっぱいだったが、駅外のコインロッカーは空きがあったので、昨年までよりも空いているのかと思うくらいだった。Img_3671 いつものように、クラフトフェアの会場である「あがたの森」へ行く途中にあるブックカフェの「栞日」で、カフェオレを飲んで外を眺めている頃には、ちらほらと会場を目指して歩く人びとが急に列をなしてきたのだった。

Img_3683 クラフトフェアの入り口付近では、すでに人びとは塊となって、テントの列に沿って移動していくのが見えた。この入り口付近のテントは重要で、実力派で特色ある陶芸のテントが並んでいた。手芸の出展者は顔を憶えているわけではないのだが、むしろ常連の方々がその辺を占めているのではないかと思われた。思わず触ってみたくなる絹の草木染めが目に入ってきたのだ。

Img_3686 その後、どういうわけか、「あがたの森」の池の北側に回ってしまったらしく、中心にある本部テントから遠ざかってしまった。全部で260ものテントが出店しているらしいので、Img_3693 こうなると、一日では全部を回るのは到底無理になってきてしまう。そう諦めれば、あとは楽で、本部近くの作家一覧で場所を見て、お目当ての木工の方々の場所を確かめて、そこを中心に聴いて回ることにする。多くの木工の方がたは、A-3領域に固まってテントを出していることがわかった。

Img_3704 途中2年前に、ラジオ授業を制作した時にお世話になった松本クラフト推進協会代表で、石の彫刻家のI氏のテントが見えたが、見学者が十重二重に取り囲んでいて、到底挨拶するどころではなかった。隣に、昨年のクラフトピクニックで、椅子を作らせていただいたO 氏が展示を出していた。Img_3706 やはり椅子を作ってもらった顧客の方々が多く来ていた。でも、ちょっと割り込んで、ようやくお話を聞くことができたのだ。若いときに考案した組み立て式のテーブルを展示していて、家具というものの工夫の細部がわかる話をしてくださった。

面白かったのは、O氏が述べた「制作者の立場」と、「デザイナーの立場」の違いという視点だった。この多機能的で、どのような部屋や場所でも変幻自在に組み立て可能なテーブルは当然のように、意匠登録の対象になるのではないかと質問したのだった。ところが、返ってきた答えが意外なものだったのだ。わたしはやはり、制作者としてテーブルを作っているのだ、ということだった。面倒臭いとはおっしゃったのだが、それ以上に、作るということ自体に喜びがあるのであって、そこから家具というものが始まるのだということがよく分かる態度だと思ったのだった。

Img_3072 それにしても、天板が数本の板に分かれていて、脚部分も屈折可能で、テーブルの幅に自由にフィットするような構造は、たいへん柔軟な発想の元に構想されたテーブルだと思われた。写真を見れば、なるほどと思うのだが、話に夢中になっていて、写真を撮るのを忘れてしまったのは残念だ。大学のゼミでは、このような融通無碍なテーブルが欲しいところだ。そう考えると、なぜ大学の事務機や机はなんと無機的で、味気ない家具が使われているのか、と不思議に思ってしまう。働く場にこそ、このようなテーブルや椅子が欲しい。そこで、O氏がお子さんのために作ったという、伝説的な子ども椅子をここに掲げておきたい。先日の子ども椅子展で撮ってきたものだが、若い女性たちが、これを見て、かわいい、と連発したのが印象的だった。

Img_3715 話を聞きたかった、T氏やM氏やS氏のテントを巡ってみたのだが、椅子は出しているものの、このようなフェアでは、木工の小物に人気が集まり、その応対でたいへんそうであった。それで、ちょっと目を離したすきに、姿を見失ってしまったのだ。それほど、多くの人数が押し寄せてきたということだ。

Img_3731 並びには、子ども椅子展でお話を伺った、H氏が出店していて、ちょうど後ろの休憩用のテントにお孫さんと一緒にいらっしゃった。子ども椅子展はS氏の呼びかけで始まったのだが、S氏によれば、その呼びかけはH氏が軽井沢で作り始めた子ども椅子がきっかけになった(数年間のズレがあるようだが)との話を聞いたことを言うと、その頃の様子をH氏は話してくださった。最初の子ども椅子は注文だったそうだが、その時考えたことは、おもちゃ椅子や人形椅子のレベルの子ども椅子は抜け出すべきだ、という意識があったとのことだった。このことは重要で、うさぎをくり抜いて、原色やパステルカラーのペンキを塗っただけの子ども椅子では、それはやはり、おもちゃであって、座るという意識が希薄なのだということだった。

Img_3735 それに加えて、M氏の子ども椅子が登場したのだそうだ。M氏は本格的なウィンザーチェアを作り続けている方で、子ども椅子も本格的なものだったのだそうだ。M氏は自分の子どものために作ったので、商品化されなかったらしい。けれども、あまり本格的すぎると、高価なものになってしまい、かえって子ども椅子の特性が失われることになろう。

Img_3088 H氏の目指したのは、おもちゃではないが、しかしあまり本格的なものでもないところだ。子ども椅子は、大人の椅子と同様の手間がかかったにもかかわらず、大人椅子と同じ価格にはできず、半値以下の値段をつけざるをえない。そのため、結局採算性からすれば、なかなか厳しいところがあるのだそうだ。

H氏の向かいには、上記のM氏が店を出していた。70数歳のM氏の店には、対象物は四つしか展示されていない。ウィンザーチェアが三脚と、大ぶりなスツールが一脚である。絶対のものとしての、椅子が厳然と存在しているという風情だ。熱烈なファンがいて、これこそわたしの椅子だ、という雰囲気が漂ってくる。

Img_3734_2 M氏は英国で修行してきたのだが、当地のウィンザーチェアはちょうど衰退期に当たっていて、大量生産から手仕事への転換期に当たっていたのだそうだ。それには、相応の理由があるのだが、ここでは触れない。重要なのは、轆轤技術などが発達し、技術革新が一方で生じたのだが、それでも衰退を迎え、さらに復興が生ずるという歴史が、英国にはあったという点である。理由もさることながら、M氏のように実体験を持って、このことを感得し、なおかつこのようなクラフトフェアを通じて、日本へ伝えたという事実は得難いものだったと思われる。手仕事の復活は、いろいろの経路をたどっているのだが、木工事情はその典型例を示していて、たいへん面白いのだ。

Img_3752 中町通りへ入って、グレインノートのご夫妻へ先日のお礼を述べに行き、S氏と先日の録画の話を思い返した。店もフェアのために、相当混んできたので、このところシリーズで集めている田中一光氏の紺色のコーヒーカップを購入して、退散した。昼飯が遅くなってしまったので、いつもの鰻屋さんへ駆けつけたが、休憩時間に当たっていた。さらに、そのまま、中町通りのChiianへ行ったのだが、開店以来最大の混みようで、もちろんお目当てのキッシュは売り切れていた。Img_3754 結局、話をたっぷりと聞いた分だけ、食欲の方は今日のところは満たされなかったのだ。駅前の中島商店で、小布施のシャルドネを買ったのだった。松本にとっても長い一日だっただろうが、わたしにとっても長く充実した一日だった。Img_3742

2016/05/22

砧公園の世田谷美術館へ行く

Img_0812 砧公園の世田谷美術館で開かれている、「竹中工務店400年」展へ行く。東急線用賀駅から遊歩道を15分ほどたどって、砧公園へ着く。歩道の石に、百人一首が刻み込まれていて、楽しい散歩コースだ。Img_0817 竹中工務店といえば、あべのハルカス(2014)や東京ドーム(1988)などの近代建築の会社であるというイメージが現代では定着しているのだが、関係者にとっては400年の歴史というものがあって、この400年のうち近代以前の最初の250年が重要な意味を持つことがわかった展覧会だった。

Img_0819 数多くのコンクリートの近代建築が展示されているのはこの展覧会ではまったくの事実であって、それらだけでもかなりのボリュームの写真や説明があるのだが、それらの中でもコンクリート以外の建築物、とりわけ目を引いた建築物は、やはりポスターに謳われていた「棟梁精神」が前面に出た、木造建築だった。先日神戸で訪れた大工道具館の展示を思い出した。

Img_0829 全体の展覧会では、必ずしもそのことは強調されていなかったのだが、見終わると心に残るのだ。記憶の底にズシンと沈殿してきて、重く思い出されてくる建物があるのだ。都市の建築物よりも、地域の建築物にそのような建物が多いのはなぜだろうか。それらは、神社仏閣もさることながら、それ以外の木造建築物だ。中でも、1935年落成の「雲仙観光ホテル」は今回の展覧会ポスターの下の方に、設計図が載っていて強調されていたし、この建物には窓が多く取ってあり、いかにも人間を向かい入れることを思い起こさせそうな建物なのだ。

Img_0834 さらに加えて、注目したのは、2013年に作られた「大阪木材仲買会館」だった。宇宙の果てまでもギューンと伸びていきそうな、木造の庇と外廊を持ったビルなのだが、素材として耐火性の木造であるという点が特色だ。木柱の芯に石が埋め込まれて、類焼しない工夫がなされている。

Img_0836 これは、都会では、心強い仕組みということになるだろう。なぜ都市の建築物がコンクリートと鉄鋼で作られ、味気ない街になってしまったのだろうか。やはり、都市の火事は、相当に恐れられていたことの一つだと考えられる。それは、江戸時代の火消しの活躍に象徴されている。この災害対策として、わたしたちは次第に、木造建築物を排斥してきてしまったのだと考えられる。けれども、この木材仲買会館のような木造が増えていけば、解決されるだろう。心配なのは、コンクリートと比べると、極端にコストがかかっている感じのところだ。木材にこだわった結果、費用が極端に高くなってしまったのだろう。けれども、長期的に見れば、木材を生かすことの事例として、かなり意味が出てくるのだろう。

Img_0841_2 昼をとうに過ぎてしまったので、美術館のカフェで軽い昼食をとる。公園から、一段下がった、中庭がテラスになっていて、水が流れている、今日のような夏日には、見た目で涼しい。

今日の椅子は、これまで何回も取り上げようとして、うまくいかなかったウェグナーのYチェアだ。柱と笠木の曲木が綺麗で、全体として、ぷっくりとまとまっているところが、自然さを示している。Img_0844 けれども、ほとんどの部材がかなりのロット生産で作られており、大量とまではいかないが、量産可能な椅子として、しかしながら、手作りの趣を残している木製椅子の代名詞的な椅子だ。

座ってみると、ペーパーコードの座面が心地よく、左右への身体の揺れに自由度があるところがたいへん良いのだ。Img_0845 今回の世田谷美術館のレストランの常備椅子として、数十のYチェアが使われていて、Yチェアがパレードを行っているようだ。待合の廊下にも、長椅子とともに使われており、ちょっと休憩というときに良いのだ。ガラスが大きく取ってある廊下でYチェアに座って、庭に置かれた不思議な彫刻を眺めながら、しばし展覧会を思い出していたのだった。Img_0842

2016/05/12

子供椅子とウィンザーチェアを観る

Img_3636 「松本民芸生活館」を観せていただく。この施設は故池田三四郎氏が、昭和40年代に富山からの建物を二棟合築して建てられたものだ。職人修行の場として造られたものであって、家の梁が大きく、いかにも豊かな富山の名家の建物だというもので、信州にはこのような大きな古民家はあまりない。現在は、道場としての使用もなく、非公開の施設となっている。

Img_3633 この非公開の椅子には「椅子とは何か」ということを考えさせられる名品が詰まっている。このことについては、三四郎氏の著書「三四郎の椅子」にまとめられている。今回は、松本民芸家具の社長であり、館長のI氏(三四郎氏の孫にあたる)の案内で訪れたのだ。そして、いつもお世話になっている、グレイン・ノートのS氏と、当授業科目の主任講師であるS先生、それからビデオ収録のチーム(放送大学とNHKエデュケーショナルの、さらにカメラマンと録音技師)の方々が同行してくださった。松本市の神田にある。

この辺はじつはこの施設が移築されてくる前は、まだ田んぼと電気工場だけの場所だったところで、わたしは小学校時代によく友達と共に、自転車で駆け巡っていたところだ。この北へ行ったところに、千鹿頭という池があって、ちょっとお弁当を持ってハイキングを行うには最適な場所だったところだ。その頃には、まだこの施設はなかった。

Img_3599_2 一つ一つ椅子を見ていきたい気分だったのだが、目的は椅子の「色と形」に集中しなければならない。思いの外、緊張していたらしく、それは珍しくはないのだが、NGを何回も出してしまった。二つ目的があって、一つは子ども椅子の回についての収録と、もう一つはウィンザーチェアの「色と形」についての取材収録だった。

Img_3600 あまりに多くの名品揃いで、全部お話できないのが残念なくらいだ。収録し残した椅子たちに、今後生きているうちに、もう一度会うことはできるだろうか。収録した中でも幾つかの印象に残っている椅子がある。例えば、カナダの子ども椅子は、子ども椅子としての始原性を残しているばかりでなく、ウィンザーチェアとしての始原性を表していて、たいへん興味深いものだった。

Img_3598_2 この子ども椅子の基本は座面にあった。分厚い座板がゴロンと存在していて、そこに脚がついたり、背板がついたりするのだった。この椅子を見ていると、椅子の一つの始原が地面からちょっと隔てた座板にあることがわかる。椅子というものは、つまり座るということは、地面と人間との関係性だということだ。なぜこの座板が分厚いのか、ということは、地面から浮遊させる必要があったというばかりでなく、脚を支えるだけの厚さが必要だったということであったのだ。制作上の必要がのちのち加わってくるのだが、その必然性を象徴している。

Img_3605_2 グレイン・ノートのSさんは、英国の古いウィンザー調の子ども椅子を特に注目し取り上げていた。ウィンザーチェアの特徴は、やはり座面がしっかりしていて、それに脚とスピンドルがついたという構造を示している。したがって、やはり座面の分厚い子ども椅子を発達させているのだというのだ。けれども、英国の子ども椅子では、細心の注意が行われていて、この分厚さをさりげなく隠すために、座面の前部が斜めに切り取られて、厚さを感じさせない工夫がなされている。このような細かいところの配慮は、Sさんのように常に椅子を作っている方にとっては、制作者としては気になるところらしい。

もう一つだけ紹介すると、この生活館には、ウィンザーチェアのプロトタイプ(原型)がある。館長のI氏による詳細な説明が行われた。この模様は、来年から始まる放送大学総合科目「色と形を探究する」で放映するので、ぜひご覧になっていただいきたい。まだ、だいぶ後の話で恐縮だが。

2016/05/11

子ども椅子展のロケ

20160604_002741 ほんとうに実現できるのだろうかと思っていた。授業科目「色と形を探究する」のビデオ収録がようやく実現して、ちょっと夢見心地で松本市を訪れている。20160604_003004 先日連休中に、この欄でも紹介した「子ども椅子展」が松本市美術館から場所を移して、ここの中町通りのグレイン・ノートで明日から再開される。そこで、再開される1日前にもかかわらず、またグレイン・ノートが休業日にもかかわらず、S氏が特別に撮影のために、この場所を提供してくださったのだ。

20160604_002838 カメラマンの方に撮ってもらうと、自分で撮ったものより当然ながら数段良い。何が違うのだろうか。カメラのモニター画面に映し出された60脚の子ども椅子は、美術館の中庭と違って、部屋の中でもなお壮観だ。

20160604_002920 なぜ「子ども椅子」は「大人椅子」と異なり、子ども椅子特有の形を持っているのだろうか。単に設計段階で、大人椅子を縮小しただけにとどまらずに、それ以上に、何かが付け加わっているのが、子ども椅子の特徴だ。20160604_003043 ある人は、可愛さだといい、ある人はずんぐりしているといい、ある人はバランスだといい、さらにこのメリット探しはとどまることを知らないほど、と興味深いのだ。これまで、二、三の理由は挙げてきたのだが、何が決定的なのか、もうしばらく、心をオープンにして、解答を楽しみたい。

S氏の言葉は、ゆっくりと的確に本質的な中核へ迫っていくのだ。それに吊られて、質問を慌てて繰り出したのだった。子ども椅子に座りながら、この触感を楽しみながらの撮影だった。いろいろな話をしているうちに、ビデオ取りは確実に終了したのだ。

2016/05/02

O先生と松本カフェ

Img_3041 今日は季節カフェの番外編で、O先生と松本カフェの1日だ。まずはモーニングコーヒーを飲むために、Books&コーヒースタンド「栞日」へ寄る。昨日、O先生が来ましたと店のマスターに告げられる。Img_3345 コーヒースタンドでは、ジーンズに赤いスカーフの女性が先客だったのだが、どうやら1日同じコースを辿っていたらしく、こののち2回ほど、わたしたちが街中を歩いていて、彼女に自転車で追い抜かれることになる。わたしたちは、だいたいのところで、観光客と垂直に交わる道を辿っていたのだから、この女性も単なる観光ではなかったのかもしれない。

Img_3109 今日も、O先生に会う前に、松本市美術館の中庭で開催されている「はぐくむ子ども椅子展」へ寄る。ウィークデイなので、やはり来ている子どもの数は、一昨日より圧倒的に少ない。それで、ビデオを回すのを今日は諦めることにする。今日の子ども椅子展の当番は急に用事ができたらしく、急遽S氏が代わりに立っていた。Img_3058 これ幸いとばかりに、今度お願いしている授業科目「色と形を探究する」のビデオ収録について、打ち合わせをする。可能なところだけだったが、ここで大方のところを行ってしまうことができた。Img_3097 互いに喋りたいところが、次第に決まってくるのがわかる。このような自然なセリフの決まり方が理想的だ。

Img_3074 子ども椅子には、無限に多様な可能性が備わっていて、それは子ども自身の可能性であると同時に、子ども椅子にもあることがわかったのだ。わたしたちは既成観念で、椅子は座るものと考えているのだが、そして、座面があれば、それに座るものと決めているのだが、子どもたちは、どうも規定通りには座らないことがわかる。Img_3084 横に座らなければならないと、わたしたちは思っていることで、縦に座ってしまって、それで十分に椅子の機能を果たしている場合が見つかるのだ。S氏と話していて、今回も得るところ大であったのだ。

S氏と話し込んでいたら、O先生から簡易メールが入って、Rホテルのロビーで待っているとのことだった。20分もあれば、街の中心部を駆け抜けることができるほどの都市と言うのは、ほんとうに好ましい限りだ。Img_3221_2 O先生は昨日にすでに行くべきところはほぼ回ってしまったので、あとは自由だとおっしゃる。まずはホテルの並びにあるギャラリー「灰月」に寄る。アクセサリー展が開かれていて、通常はわたしの興味の範囲外なのだけれども、今日展示している方は、作った作品に素敵な名前「こころ」とか「あめふり」とかを与えていて、それを小冊子にして、アクセサリー・プラス・言葉の作品にまで仕上げている。このアイディアは興味深かったのだ。Img_3226 モノに名前を与えると、想像力が動き出すから不思議だ。O先生は、これらのアクセサリーではなく、白地に斜線が無造作に入ったお茶碗を気に入ってしまい、あっという間に購入していた。研究室で使うそうだ。

Img_3228 次に、S氏の奥様が開いているグレイン・ノートへ行く。明後日の4日にSさんに会うことになっているのだが、天気が悪くなりそうで、心配してくださっていたのだった。Img_3229 O先生は、奥様が女優の〇〇さんに似ていらっしゃるというのだが、確かにそうかもしれない。笑顔に安心感のある方だ。O先生はここでも白地のお茶碗を購入なさっていて、1日何回お茶を飲まれるのだろうかと思ってしまったのだ。

店の二階では、荒削りの木材と、イグサ織りの座面に特徴があるY氏の椅子展が行われていたので、しばしお話を伺うことにした。Img_3416 この独特の作風には、原型があるそうで、額に入れた写真を見せてくださった。一目見て、池田三四郎著『三四郎の椅子』に出てくるスペインの椅子を思い出したので、そのことを伝えると、まさにその通りだった。この原型となる椅子の荒削り感には、このスペイン椅子にまつわるもう一つのエピソードがあって、1脚を15分ほどで組み立ててしまう、という生産効率がたいへん素晴らしい椅子だということになっている。Y氏の椅子は、イグサを織り込むのに、7時間くらいかかるそうで、一つ一つ織り上がるとそのこと自体が楽しいのだとおっしゃっていて、素敵な仕事をなさっている。Img_3419 お尻に当たるイグサ織りに特徴があって、ちょうどお尻が当たる凹み部分が後ろの方へずらされているという工夫がなされていて、実際に座ってみると、すごく座り心地が良いことがわかるのだった。スペインの粗野な椅子から発展して、Y氏独特の優しさを加味した椅子に仕上がっていることがわかる。

Y氏の木楽工房はこちら

Img_3231 お昼は、O先生行きつけのル・コトリで、わたしは魚料理ランチを食べる。すでに電話予約がO先生によってなされていて、電話の声だけで、すぐにO先生だと認識されたとのことだった。O先生はエビ料理のランチを選択した。えんどう豆のスープは、視覚的に訴えかけてくるような真みどりの色で、ほんとうに色鮮やかだ。5月の「緑の季節」をそのままスープにしましたという雰囲気を持った、また味も豆特有の香りの濃厚なスープだった。Img_3232 食事は、華やかだったのだが、雑談の内容は大学の仕事のことになってしまい、気の引ける話で、このような時に話すべきではなかったのではないかと、後悔したのは、夜になってからだった。Img_3236 老人になると愚痴が多くて、済みません。

スイーツとコーヒーは、O先生がこの3月に松本に来た時に開拓した、新しい喫茶店「Chiian」において。Img_3255 本物の漆喰壁で、その白い壁の色が清潔な感じを引き立てている。この店は、昨年9月に改造したのだそうだ。ここには、老舗の漬物屋「みずしろ」の事務所があったところだそうだ。松本市には、このひらがなの「みずしろ」と、漢字で書く「水城」と二つの漬物屋さんがある。わたしの小さな時にも、母がよく漬物を買ってきた店だし、わたしもお土産を買うのによく利用した店だ。セロリの粕漬けがわたしの好物で、他にも、ワサビを使った珍味の漬物がたくさんあったのだ。表の漬物屋だったその店は、かりんとう屋さんになってしまったのだ。

Cafe Chiianはこちら

Img_3409 「みずしろ」の遺構として、表から裏へ通ずるトロッコの軌道とトロッコ自体も残されていた。なぜトロッコかといえば、それは松本地方の昔を知っている人であれば、すぐわかることで、漬物の樽がたいへん大きいからだ。Img_3413 「お葉漬け」と呼んでいたが、長野の方では、野沢菜漬けと呼ばれているものだ。その樽が、おそらくお漬物の樽の標準であるとすれば、これを毎日運んでいたら、腰がいくつあっても足らないほどの重労働だからだ。Img_3257 トロッコというのは必然の産物なのだ。

Img_3260 さらに、観光客を斜めに見つつ、大名町の混雑を横切って、昔の六九商店街のはずれからちょっと入ったところにある喫茶店「matka」で、O先生とさらに雑談を楽しんだ。どのような雑談なのかといえば、老人たちの雑談だから、人生物語の1ページということにはなるのだが。Img_3238 人生の中で、時間に間に合わなかった経験、つまり遅刻した経験で一番冷や汗をかいたのはいつなのかという、話すだに汗が湧いてくる話だったのだ。O先生は学生時代にヨーロッパ旅行で待ち合わせ時間に間に合わなかったのだそうだ。次の街でようやく追いついたという話を聞かせてくださった。なんとなく、北杜夫的な雰囲気のお話で、O先生のパーソナリティを思わせるエピソードだったと思う。乗り遅れた時の顔を拝見したかった。わたしもそういえば、高校時代に地学遠足で、バスに乗り遅れたことがあったのだ。

Img_3269 日中の温度がすっかり夏日となり、日焼けした顔を互いに見つつ、女鳥羽川を過ぎたところで、O先生は夕飯を食べにまた中心街へ向かい、わたしは、最終バスへ接続する電車に乗るべく、松本駅へ向かったのだった。Img_3273 O先生は、また夏カフェでと言って、すぐそのあとにも、カメラを片手に隣のビルを撮影していた。

O先生のブログはこちら

2016/04/30

北アルプスの麓、奥深い田舎へ来ている

Img_3012 連休を前にして、溜まった原稿をまとめようと、田舎にこもっている。世間と遮断して、ネットもメールも見ずにただひたすら、風呂に入って検討し、検討しては風呂に入るという生活だ。原稿が進むかと問われれば、そういうわけでもないのだが、湯船に浮かんでいると、肩の凝りが治り、明日の原稿のアイディアが湧いてくるかのように思えるのだ。

Img_3014 けれども、今朝はちょっと調子が違っていた。気温が異常に低く、風呂へ入るには寒すぎるのだ。零度以下には、もうすぐ五月だから、さすがにならなかったけれども、すれすれのところまでは行っていて、窓を開けると昨日の大風に乗ってきた冷気がさっとカーテンを揺らして入ってきた。昨日の、もの皆吹き飛ばすような春の強風は、この冷気の前触れだったのだ。それで(とつながれば良いのだが)、寒さを避けて、田舎から近くの地方都市である松本市へ、今日一日出ることにしたのだ。

Img_3023 朝一番のコミュニティバスに乗ったのだが、土曜日だということもあって、ついに乗客はわたし一人きりで、貸切状態で駅に着いた。バスという公器を独占しているようで、利用していない人びとに何だか申しわけないような気にもなりそうだが、しかし、これで誰も乗っていない時の運転手の方々の心持ちを考えると、もっと厳しいだろうから、やはり一人でも乗っていた方が良いに違いないと思い直した。

Img_3201 大糸線に乗ると、松本駅に近づくに従って混んでくる。若い人たちや、高校生たちが多いから、予備校や高校の補習授業でもあるのだろうか。長野県は昔から教育県と呼ばれているから、土曜日の登校くらい当然だと思っているのだろうな。このところは、小学校の学力テストでも、秋田に取られているし、長野県が教育県ということはあまり聞かなくなったのは、なぜだろうか。少し正常になったということなのだろうか。

Img_3206 松本駅を降りて、あがたの森公園へ向かって、駅前の大通りを大股で歩く。後ろから来た若い人が突然走り出し、何なんだと見ていたら、今度は交差点で並んだ背の高い女性も足早になって、とっとと先を急ぎ、わたしは何なく追い越されてしまう。右手にブックス&コーヒーの「栞日」が見えてきた。マスターがビルの前で話をしていたのだが、何かを思い出したように、入り口から駆け込んでいくのが見えた。昨年以来の「栞日」訪問である。カフェオレを注文する。岩手盛岡の地域雑誌「てくり」などが3階に展示されていて、すっかり岩手特集の様相だった。Img_3209 盛岡の喫茶店を特集していた「てくり」と「別冊てくり」を購入する。じつは来年度には、岩手学習センターで面接授業を行わなければならない。数年前にも、授業で行って、「光原社」や岩手大学内の農学校の校舎などを見学した覚えがある。今回、この雑誌を偶然手に入れ、これを見たからには、きっと充実した出張になる予感がするのだった。

Img_3052 今日の松本市出張の目的は、以前ラジオ講義でお世話になった松本クラフト推進協会主催の「工芸の五月」企画の中で、今度インタヴューをお願いしている椅子作家のSさんたちの「子ども椅子」展を見るためだ。Img_3050 松本市美術館のふかふかした芝生の中庭に60脚ばかりが置かれている。今日は展示の初日に当たっていて、しかも連休日だということで、家族連れや子連れが多く来ている。

Img_3060_2 25名の椅子作家たちが、数十年前のものから現在の新作に至るまでの子ども椅子たちを展示しているのだ。そして、この椅子作家の誰か一人が毎日の当番で説明に当っている。今日はH氏が担当だった。Img_3063 H氏は親子で「Kancraft」という工房を主宰なさっていて、注文家具の製作を行っている方だ。子ども椅子では、クルミ材や栗材、でできたコムバックチェア系統と、ボウバックチェア系統椅子を出展していた。

http://kancraft.jp

Img_3079 子ども椅子を作っている作家の方々へいつも質問するのは、「大人椅子と子ども椅子とどこが異なるのか」というものだ。もちろん、大きさが違うのだが、単に縦横を同じ尺度で縮小しているわけではないというところが肝心なところだ。それじゃ、具体的にどこが異なるのか、という質問を行って、楽しんでいる。皆さん、それなりの理由がユニークであるところが面白いのだ。Img_3091 特に、手仕事での椅子製作では、気になるのは採算の問題だ。これらは、ほとんど「企業秘密」に属する問題なので、密着取材をしないと得られない情報のひとつであり、興味深々のところがあるのだ。

Img_3148 松本市美術館では、「工芸の五月」に合わせるような企画で、「バーナード・リーチ展」を開催していた。これまで、大山崎の美術館や、新橋汐留の美術館で何回か観ており、とりわけスリップウェア系のものは、英国の伝統と、描かれた動物のダイナミックさが素晴らしいと思っていた。今回は、日本の民芸運動との関係をとりわけ重視しているところが面白かった。柳宗悦のリーチを評する言葉が壁に描かれていた。Img_3198 きっと構えた窯のあるセント・アイブスの英国と、日本などの外国での窯の間を行き来した陶人としてのリーチを捉えたものであると思われる。Img_3126 正確には覚えていないが、ものを作るより、「人を誘うこと」がうまかった、ということが強調されていた。一箇所に止まってしまってしか作陶できない仕事に就いていながら、「人を誘うこと」ができる社交の域に達するには、どのような人となりが必要なのだろうか。

Img_3116 市美術館を離れるころには、すっかり14時を回ってしまい、昼食時を逃していた。それで、中心街にある食べ物屋さんはどこも満員で、特に蕎麦屋の前には行列ができていて、入ることすらできない状態だった。Img_3139 観光客に人気の「しずか」にも待つ人が溢れていたのだ。それで、結局はいつものうなぎ屋さんで肝吸付きのうな丼を食べることにして、ひんやりと落ち着いた雰囲気の中で一息をついたのだった。

Img_3171 今日はたっぷりと椅子を見たので、取りあげる「今日の椅子」は60脚の子ども椅子全部だ。駅への道で、いつものジャムの店「シェモモ」で、三種類のコンフィチュールを購入する。この中で、りんごとライムのものが爽やかな味だった。これからの季節に合いそうだ。ワインは駅前の中島酒店で、並んでいる中で小布施が良いか城戸が良いかと訊くと、逆に日頃何を飲んでいるのか、と問われてしまった。それとの相対的な嗜好で、結局小布施の白ワインを勧められる。

Img_3164 それから、田舎にこもるには、眠気が大敵なので、いつもよりもかなり濃いめの焙煎で、少し甘さを感じるくらいのコーヒー豆ケニアAAを、焙煎豆専門販売店「ローラ」で買う。これに乗れば、山奥へのバスの最終便にやっと間に合うことになる、大糸線にようやく飛び乗ったのだった。

2016/04/23

卒業研究ゼミナールが始まる

Img_4033 今年度の卒業研究ゼミナールが東京文京学習センターで始まった。初対面にもかかわらず、皆さんがかなりのボリュームのあるレジュメを切ってきて、濃密なゼミになる予感を充満させていた。

東京のSさんと名古屋のKさんは昨年度からの継続なので、昨年度の総括をすれば、かなりの時間を取る発表になることは予想されていたのだが、新たに加わってきた岐阜のOさん、東京のKさん、神奈川のSも、このゼミが始まる前から、意欲満面の様相を呈していて、議論が期待できそうな雰囲気がこの第1回目からして作られていた。

Img_4032 もちろん、皆さんともに、不安がないわけでは決してない。卒業研究でもっとも困難さを感じるのは、時間だ。4月から始まって、11月の上旬には提出ということだから、実質7ヶ月で1本を書き上げなければならない。初回の論文なのだ。かなり蓄積を持った人でも、7ヶ月の猶予しかないと言われたら、尻込みしてしまうほどの集中した作業量を要求される。もっとも逆に、7ヶ月しかないと考えれば、それなりの諦めがつくから、どの程度の文献を読み、どの程度の分析を行い、どの程度の結論を導くのかが、最初から計算できるというメリットがあるのではないかと、気安めを述べるしかなかったのも事実だ。

Img_0732 今年度もたいへん興味深いテーマを持ち寄ってくださった。神奈川のSさんは福島の工芸運動についてであり、わたしの現在のテーマと重なるところがかなりありそうだ。東京のKさんは、社会はどこに存在するのか、という根本的な問題で議論が沸騰しそうだし、さらに岐阜のOさんは家庭ゴミ処理という極めて現実的な問題である。とにかく、スタートを切ったということで、気分を新たにして取り掛かっていただきたいと考えている。修士課程のゼミナールとは、かなり雰囲気の異なる、しかしながらもしかすると、少人数のメリットを生かして、大学院ゼミに優るかもしれない議論中心のゼミナールになるかもしれないという可能性を感じさせる、今日のゼミナールだった。Img_0733 帰ってから、キャンパスネットワークに設けた卒研ゼミナールの掲示板を見ると、すでに皆さん2、3回の書き込みを行って、スタートと同時にすでに活発なコミュニケーションを取り合っていたのだった。

Img_0734 ゼミの後、久しぶりに横浜の中華街へ出る。娘と会う約束をしていたのだ。娘の使い古したパソコンを譲り受けて、新たに再生しようという趣旨だったのだが、それは後にして、とりあえず空腹を満たそうと街へ繰り出した。このところ、娘は中華街に凝っていて、本通りを外れた、際どく旨い店を何軒か開拓していた。その中の一軒で、ワンタンの専門店というのがあって、そこへ入った。Img_0736 今日は土曜日だったので、本通りや市場通りなどは、歩くのもままならないのだが、関帝廟通りのこの店あたりにまで来てしまうと、人通りもその半分以下となる。店を知っている人びとしか訪れないという雰囲気が伝わってくる。

ワンタンと言っても、すべてスープのワンタンというわけではなく、餃子のような焼きワンタンや、蒸しワンタンなどがある。Img_0737_2 また、中の具が豚肉であったり海鮮であったりして、それなりにバリエーションがあり、わたしたち日本人の観念を上回る上海料理になっていたのだった。Img_0737 このような専門店には、ワンタン以外にも変わった種類のメニューが用意されていて、その中から、冷菜の「冷茄子」をとった。写真でわかるように、茄子が主体であるが、下に敷いてあるトマトとタレが効いている。そして、ワンタンとの組み合わせが絶妙な料理だった。紹興酒を飲みながら、ワンタンと冷菜というのも、悪くないのだ。

Img_0742 娘は来週始まる連休を利用して、モロッコへ行くそうだ。砂漠の中をバスと借り上げ自動車でドライブするコースを辿るらしい。外人部隊かカスバの写真を撮ってきて、と映画を思い出すようなレトロな物言いをしたら、それはアルジェリアじゃないのかと言い、さらにカスバが何なのかわかったら撮ってくる、と相変わらず高飛車なのか謙譲なのかわからぬ応答が返ってきたのだった。

2016/04/16

茗荷谷で大学院ゼミを行い、その後映画「スポットライト」を観る

Img_0723 ただひたすら足で稼いで、人と会って、事実を確かめる。これだけの繰り返しと積み重ねの映画だ。これだけで映画になるのだ。むしろこれまでの「映画的」なところがないのが、この映画のリアリティを生んでいる。こうなると、映画らしさとはなんだろう、と逆に考えさせられてしまうのだ。けれども、見終わると、まぎれもなくこの映画は本物の「映画的」な映画なのだ。

一人の神父が幼児虐待事件で訴えられ、それをボストン・グローブ新聞の「スポットライト」欄の鬼記者ロビー・チームが取り上げるところから、この映画の物語は始まることになる。そして、この事件には、幾つかの奇妙な現象がつきまとっていた。たとえば、事件の記録が残っていないなどのことだ。そこに、新任の編集局長が親会社のニューヨークタイムズから赴任してきて、この事件を取り上げることになるのだ。おそらく、ここにおいて記者という職業の勘が働くところなのだろう。何が特ダネ記事になり得るのか、という展開が続いていくのだ。それから、想像でしかないが、ボストンのカトリック信者の方がたがこの事件に遭遇して、複雑な思いを信仰に対して抱いたことは否めないだろう。この点については、ボストンという地域の特徴としても、よく描かれていた。

Img_0722 この映画の中でも感心するのは、チームの記者たちが、夥しい量の聞き込みをこなしていくことだ。そして、ひとつひとつ追っていくうちに、これらのひとつひとつの事実が、別々の切り離された事実ではなく、繋がっている何らかのものとして次第に見えてくるのだ。地域新聞の特徴がよく表れている。事実同士が繋がって、事実から真実がようやくにして見えてくる。段階があって、ひとつは一人の神父の問題から、複数の神父の問題へ広がったことだ。もうひとつには、証拠はすべて非公開にされていたのだが、これを公開する手段を見つけたことだ。これらのストーリーがどんどん広がって、結びついていく興奮は忘れられない。この映画を見て、新聞記者になりたいと思う若者が、確実に増えるのではないかと思われるくらいだ。

なんだ、この手法はまさにいつも論文作成で、わたしたちがやっていることじゃないか、と思い当たる。この映画自体は筋に近いところだけのクールな展開に終始するのだが、1シーンだけ若い記者が感情をむき出しになって怒り出すところがある。ここが特ダネを記事にするべきか否かのひとつの山場なのだが、老練な記者ロビーはまだだといい、部下の記者は機会を逃してしまうと焦る。論文作成でも、このような場面は必ずあるところだ。「やった」と思って、結論が書けたと錯覚するのだが、実際にはまだ真実に達してはいないのだ。

この映画でも、核心を掴んでから、さらに数ヶ月をかけて、実際の掲載記事が書かれるのだ。しかし、ここで山場から最後までの、この期間がほんとうに重要なのだ、ということは実際にものを書いたことのある人にしか、わからないだろう。

この展開は、確かに論文作成の過程に似ていると思う。論文の作成過程そのものなのだ。じつは昼間には、大学院ゼミを東京文京学習センターで開いていて、M2の人びとが少人数でじっくりと検討する機会としては、最後のゼミだったのだ。5月からは、大勢入ってきたM1の方々と一緒に、ゼミを開くので、どうしても時間が足りなくなるのだ。

そこで、今日はじっくりと、修士論文の結論へ向かうプロセスを検討したのだった。これは個々に異なるので、ここでどうだということはまったく言うことができないのであるが、総じて言うならば、一年間先行研究を続けてきて、単なる説明に終始する「記述」と、論文で描かれるべき「分析」による因果関係との違いが、わかってきたのではないか、ということではないだろうか。とは言うものの、わたし自身がそれを本当にわかるのか、と問われるならば、口を濁してしまうかもしれない。上記の映画のように、ひとつひとつがすべて繋がっていることを存分に意識していただきたいと思っている。

Img_0717 ゼミが終了してから、大学院学生OBH氏と近所の喫茶店を開拓すべく、茗荷谷から大塚方面へ歩く。お茶の水女子大学の正門前に、「Fuu」という居心地の良さそうなカフェを見つけて、ゼミの後の休憩をする。わたしはエルサルバトルの珈琲を飲み、彼はチョコレートパフェを食べながら、研究雑誌「社会経営研究」と「社会経営ジャーナル」の編集について相談をする。Img_0718 5月初旬に原稿締め切りがあるので、5月中旬から下旬にかけて、編集委員会を開いたらどうか、などと話す。委員の方がた、いかがでしょうか。いずれメールで日程調整を行いたいと考えている。店を出るときに、ランチの時間は混んでいますか、と聞くと、人気店らしく、行列ができてしまうほどに盛っているらしい。のんびりできそうな店なのに、時間に追われてしまうのは、ほんとうに惜しい気がするのだった。

Img_0724 大学のAさんからメールが入っていた。昨日までに何回かの大きな地震(阪神大震災と同じくらいだという報道もある)に見舞われた熊本には、「社会と産業」コースの教員だったH先生がいらっしゃる。数年前に熊本大学へ赴任したのだが、ようやく彼と彼の家族の安否が確認できたそうだ。阿蘇の麓にお住まいだったので、苦労して宮崎に出て、ご家族は東京へ向かったとのことだった。地震の直撃を受けた地域だったので、みんな心配していたのだが、とりあえず安心だ。振り返ってみると、わたしたちもちょうど1ヶ月ほど前に、これらの地震が起こっている大分・阿蘇・熊本とバス旅行をしていたのだ。あの雄大で緩やかな丘陵地帯の地底で、いったい何が起こっているのだろうか。

2016/04/09

映画「ボーダーライン」を観る

Img_3994 映画「ボーダーライン(原題:Sicario殺人者)」を観る。殺人者とは、ボーダーラインを超えてしまう者のことだ。この映画には、三つのボーダーがある。一つ目は、麻薬の密輸が行われる米国とメキシコの「国境」というボーダーであり、二つ目は国防総省、FBI、CIA、地元警察などの「組織」のボーダーであり、三つ目が個人間ボーダーというのか、「人間」のボーダーというのか、人間の中にある物理的、生物的、倫理的ボーダーだ。

Img_3990 女性のFBI員が組織のボーダーを超えて、国防総省のプロジェクトに加わるところから、このサスペンス・アクション映画がスタートする。次から次へ麻薬組織とボスをめぐって、殺人が行われていくので、何が真実なのか、何が倫理に適うことなのかがわからなくなるというサスペンスだ。でも考えてみれば、わたしたちの場合にも、生活のボーダーをちょっとでも外せば、このような危険地帯のボーダーはただちに現れることだろう。

Img_3989 わたしたちはいろいろなボーダーを持って生きているが、一度このボーダーが超えられてしまうと、どのような混乱が待っているのか、という映画だ。ここでは、麻薬カルテルの無法地帯で何が起こるか、というスリリングな展開が行われている。この状況もさることなれど、とりわけハリウッド映画がこのところ開発してきた戦争場面の描き方、その映画技術には残酷さを非情に描き出す場合に素晴らしいものがある。

Img_3993 この映像的なリアリティは、実際に現地で行われてきているという、経験に裏打ちされたリアリティなのだろうか。他方において、ボスを始末して、混乱を招くという手段は、統治の点から見れば最悪のシナリオで、この映画の根本的な不条理が存在するようにも思えた。

じつは、映画は夜観たのだが、今日昼の一日は、修士課程のオリエンテーションと第1回目の大学院ゼミナールだったのだ。自分の生活のボーダーを踏み越えて、修士課程という「無法地帯」へいらっしゃった新入生の方々を、ようこそ、と歓迎したい。

それぞれの抱えている問題意識は、皆さん異なっていて、現在は「無法」ような混沌とした状態であるけれども、いずれ明確な秩序を与えて、面白い修士論文へ仕上げていただきたいと考えている。

Img_3988 オリエンテーションの一言スピーチでは、先日発行された村上春樹氏の『職業としての小説家』を例に出した。村上氏が小説は1本だけなら誰でも面白いものを書くことはできる。けれども、常に良いものを継続して出せなければ、職業小説家ではないと言っている。これを逆手にとってスピーチに入れたのだ。つまり、論文も同じで、職業として論文を書くならば、継続してコンスタントに書かなければならないのだが、しかし修士論文は最初の1本目か、2本目かであるから、放送大学生は職業経験が豊富であり、それを総動員すれば、面白い論文を1本書くのはそう難しいことではないだろう、と励ましのスピーチを行ったのだった。

Img_3986 おそらく、自分の中にあるボーダーを、トンと越えることができた人だけが、面白い論文1本をものにすることができるのではないか、とちらっと思ったのだ。それと、放送大学生の特殊事情も、ぜひ常に考慮していただきたい。家庭と仕事と同時並行でうまくバランスをとらなければならないという、社会人特有の事情を皆さん抱えている。論文を書くには、物理的な時間の余裕がなければならないのだが、それが得られるためには、家族や仕事仲間との信頼関係をこれまで以上に築く必要があるということだ。家族の中のボーダー、職場のボーダーを越えて、あの映画のごとくの「無法」ではなく、ぜひ信頼を引き出してほしいのだ。

Img_3987 今日の椅子は、有楽町での映画時間を待つ間に、東京駅近くの東京ビルの地下で食事をしたのだが、そこでは、周りの場所とはちょっと異なった庶民的な店が並んでいる。それで、行列ができるのであるが、店の外での待合の椅子が乱雑に並んでいる。Img_3984 店の中の椅子と、店の外の椅子との違いがはっきり出ていると思われる。左の写真の曲木の椅子は、ふつう、天然の木の色が出るように作成されるのだが、やはり外で使われる椅子の特徴は、耐久性であり、塗装が厚化粧であるというところにある。同様にして、椅子風に作られた看板たても、塗装が厚く塗られていた。

2016/04/02

博士後期課程のオリエンテーションと「特論」

Img_3924 大学正面と図書館横の桜がきれいだ。新学期になって、オリエンテーションが午前中に終わって、午後から博士後期課程の授業というのか、あるいは共同ゼミというのか、「特論」と呼んでいる演習が始まった。このような形式で、先生方が全員揃って授業を運営する演習は、わたしたちの大学院時代では、到底考えられなかったことだろう。

Img_3920 なぜならば、先生がた十数人一箇所に集まるというのは、教授会や行事や会議ではありえても、授業では「個人商店」だと考えられていて、一堂に会すことはないからだ。しかも、みんな忙しい方々なので、4日間も一日中出席するのは日程調整だけでも大変だからだ。

一人の先生が一つの講義を行う場合と、十人の先生が同時に一つの講義を行う場合とを比べてみれば、その違いがわかるだろう。Img_3919 前者は通常の授業であるのだが、同じ90分しゃべるにしても、後者では、同時に十人分の負担がかかってしまっているのだ。経営として考えれば、これは明らかなのだが、労働生産性が一挙に十分の一になってしまう状態が起こっているということだ。もしこれが効率を優先しなければならない企業であったならば、到底許されるような状態ではないだろう。

Img_3926 けれども、大学は営利企業ではないので、たとえ生産性が十分の一に下がろうとも、同時に十数人の先生がたを投入しようとも、教育を熱心に行うミッションのもとにおいて、ためらうことなく労力を傾注するのだ。教育上の生産性は経済的には測ることができないという真実には揺るぎないものがある。もっとも他方において、確実に先生がたの負担は増えていることも事実なのだが。

Img_3921 博士新入生の方がたは、どのような感想を持ったのか、知りたいところだ。それぞれの担当の先生方が、新書版1冊あるいは単行本1冊くらいのエッセンスとボリュウムある内容の話を語ってくださるので、面白くないわけはないだろうと勝手に思っている。

Img_3922 たとえば、M先生は、戦中世代と戦後世代との違いが現れる統計データを示して、戦争の影響が生活のどのような点に現れるのかを印象的に話してくださった。K先生はなぜブータン研究を行うようになったのかについて、体験・経験を話してくださった。さらに、途中でH先生が天皇・皇后論の深奥を語ってくださった。なぜ時の皇后がその時々政治の舞台に立ち現れて来るのだろうか、といった疑問を提起して解読してくださった。さらに、T先生はオバマ政権は何を行ったのか、というホットな話題をわかりやすく話してくださった。

Img_3927 夢の国に浸ったようにも思えるし、どういう理由かわからないのだが、あたかも楽しい紙芝居が次から次へ展開していくような場面のようでもあるのだ。このようにして、めくるめく大学講義の展開が始まったのだった。さて、これで前半が終了したのであるが、最終的には、博士新入生の方がたがどのような意見や考えをレポートに書きつけて、それを送ってくるのか、たいへん楽しみなのだ。Img_3938

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2016/03/26

式とパーティとゼミ会と

Img_3834 この道は、毎年1回通る道だ。副都心線の渋谷駅を降り、宇田川町を横切り、山手教会の前からパルコへの坂道を登る。すると、左側にコーヒーショップが何軒か並んでいる。Img_3833 半世紀ほど前には、わたしも中学生で、この道筋にあったジロー渋谷店の前を通って、渋谷公会堂のコンサートへ通ったのだが、ここはその道だ。渋谷公会堂も、おそらく老朽化したのが原因だろうが、大規模な工事に入っていた。 卒業・修了式の前に、この道筋の1軒のコーヒーショップへ寄って、薄い珈琲をたっぷりしたマグカップで飲むことにしている。Img_3835 朝の新聞を読みながら、土曜の朝をゆったりと過ごす男性や女性がいて、みんな一人で珈琲を飲んでいる静かな店だ。

Img_3843 式会場のNHKホールへ到着する。玄関ホールの日当たりの良い場所に、いつも放送大学叢書の販売・展示コーナーが設けられており、今日も叢書編集を担当なさっている左右社のK氏とT氏が営業でいらっしゃっていたので、挨拶をする。Img_3848 そして、もうこのような光景を何回も見ることがないだろうな、とちょっと個人的な感傷に浸って玄関ホール上の階段に佇んでいたら、1985年の神奈川学習センター設立当初時代に話したことがあるという学生、四月から他大学の職員として出向するのだという修士修了生など、何人かの学生の方に話かけられたのだった。

Img_3850 卒業・修了式は滞りなく、スイスイと進行して、最後は校歌を会場全員で斉唱して、演壇は暗転となった。会場を品川プリンスホテルへ移して、懇親会パーティが始まる。移動ばかりしていて、人と人を結ぶような時間があるのか、と思われがちなのだが、至るところで止まる場所と時間が用意されているのだ。Img_3854 じつは会場の移動には貸切バスが使われており、その時の隣にお座りになる方との語らいは楽しい。今年は沖縄学習センターのセンター所長のT先生と話す機会を得た。脳科学と心理学が専門の先生で、参考にしたくなるような新しい知見を教えていただいた。

Img_3865_2 式の前から予想をしていたのだが、今年のゼミの修士修了生は結束が固く、一つのテーブルをゼミで占めてしまった。例年おしゃべりに夢中で、多く食べることができなかったのだが、今年はM氏たちが立食ビュフェのご馳走をたくさん運んできてくださったのだった。Img_3866 それで、お腹の方はすぐに満足されたので、今年復活した日本各県の銘酒コーナーへたびたび出かけて行って、各地の珍しい酒を十分に堪能したのだった。このコーナーは社会人大学らしい特色を持っていると思うのだ。Img_3857 日本全国に学習センターを持つ放送大学の地域特性を、味覚的・視覚的に強調していて、楽しむことができる。お手伝いいただいた弘明寺商店街のK酒店のご主人をはじめとして、神奈川学習センターの所長K先生や学生の方がたに感謝したい。どうやら、数学のK先生とわたしが、とくに多く、このコーナーに来ているらしいのだ。

Img_3856 ここは他の先生方も立ち寄る場所となっているので、日頃話すことができない他コースの先生と懇談できるというメリットがある。N先生やO先生やI先生やK先生やM先生にそれぞれ相談を受けていただいたり、また雑談したりしてインフォーマルの場としても、うまく機能しているのではないかと思われたのだった。また、今年度が最後だという、転勤する放送大学職員の方がたにも、声をかけていただき、一緒に写真に収まったのだ。

Img_3858 懇親会では、退任なさる先生方の紹介が行われた。退職の先生方は、学習センター所長の先生方も入れると、今年は14名いらっしゃる。わたしの所属する「社会と産業」からはM先生とD先生が退任なさる。先日群馬で送別会は済ませたのだが、M先生には改めてお別れを申し上げた。退任の先生方を代表して、日本中世史がご専門のG先生がスピーチを行って、その中で日本全国の各県での面接授業を制覇なさったとのことだった。Img_3871 先日お会いしたI先生もあと1年ぐらいで全国制覇だとおっしゃっており、じつはわたしも再来年辺りにはようやく全国制覇を遂げることになる。考えてみれば、各県ごとに、11時間ほどの講義を多くの先生方が行っている大学というのは珍しいだろう。Img_3877 もっとも、テレビとラジオではすでに「全国制覇」は放送大学の先生方みんなが果たしているのだが。今後、若手の先生方の多くは毎年2箇所のノルマがあるので、わたし以降年齢さえ積めば、おそらく続々と全国制覇する先生方が出てくるものと思われる。

Img_3872 今回は、さらにわたしのゼミのみんなが拠点としていたテーブルからたびたび離れて、他のテーブルでの歓談も大いに楽しむことができた。とりわけ印象に残っている何人かを覚えている。車椅子で参加されていた女性の方は、わたしの担当した授業科目「社会の中の芸術」を取ったとおっしゃっていて、中でもワインの話を憶えていてくださって、そして、その後東京でも甲州ワインの買える店を実際に探したそうだ。思い入れをそれほどしていただけたとは、しゃべった者として有り難い限りだ。

Img_3873 また、先生方が学生のことを観察するのは、論文指導の過程ではどの大学でも普通にあることなのだが、この大学ではむしろ学生の方が先生をじっくりと観察しているから要注意だ。他のプログラムの修士を修了したという女性の方がやってきて、指導に当たった先生方の様子を聞かせてくださって、たいへん興味深かった。ふむふむ、あの先生はそうなのか。

Img_3882 最後に、クロークに預けた荷物を取るために並んでいたら、すぐ後ろの学生の方が、わたしの1990年代に担当していた授業科目「家庭の経済」を受講したとおっしゃったのだ。放送大学に入って最初に受講した科目だったそうだ。それで、内容が少し変わっていたので、印象深かったとのことだ。そういえば、当時もこの科目は、家庭を扱っているのだが、ちょっと異なる印象を受けたと言われたことが多かったのを思い出した。まったくのところ、20数年前の科目を覚えてくださっていて、たいへんありがたかったのだ。

Img_3883 パーティも終わりに近づき、ゼミの面々がこの後ゼミ会を開催したいということで、隣のグースホテルのティールームへ行く。やはり土曜日は満杯で、ちょっと待たされたが、待った甲斐のあるゆったりとした五人掛けのソファーの席に案内してくれたので、ケーキとコーヒーをいだだきながらゆったりとしたのだった。放送大学大学院を修了する感想を全員の方が述べてくださった。Img_3881 でも、やはり話題の中心は、いかにして修士論文を書いたのか、ということだった。Mさんが中心となって、同期の方には、必ず全員の人が修士論文を提出するようにという圧力がかかっていたらしい。その恩恵もあって、今年度は珍しく一人も脱落することなく、最後には全員が2年間で修士論文を提出したのだった。集団というものは、恐ろしいものだ、と良い意味で思ったのだった。

Img_3885 名残惜しかったが、新幹線に乗らなければならない方もいらっしゃるので、品川駅で解散となった。いつもながら、第二論文を書くことを待っています、とみんなに別れの言葉を伝えたのだった。最後になってしまったが、遠隔地に住んでいる、あるいは仕事や転勤で出席できない、ゼミの卒業生・修了生の方がたにも、おめでとうと伝えておきたい。おそらく一年のうちで最も多くの人びとと、社交を楽しんだことになる、特別な一日が終わったのだ。

2016/03/11

真田時代の用水を見る

Img_3717 今日は、昨日の話に出てきた「押野用水」が残っているというので、須川宿の北東に位置する禅寺の泰寧寺へ行くことにする。20分ほど歩くと、寺の前には、立派な用水が通っていて、岩場が見事に作られているのがわかった。Img_3706 水量も豊富なので、江戸時代にこのような治水技術があったのであれば、すごいことだと感心して、さらに歩を進め、寺の山門前へ差し掛かると、写真のような立て札が立っていた。細い水路が通っており、それを辿っていくと、山の奥深くへずっと連なっているのがわかった。Img_3716 こちらが、ほんとうの「押野用水」であった。この細さでは、この数百ヘクタールある河岸段丘上のすべての田畑と、宿場の水を供給するには到底難しかっただろうと推測された。とすれば、あの立派な宿場の一本水路を潤した水は、かなり貴重な水であったのではないかと考えられるのだった。

Img_3714 お昼は昨年もお世話になった、「たくみの里食堂」でジビエ料理だ。昨年はシカ料理中心だったが、今年はイノシシ料理中心のメニューだ。最初に出てきたのは、イノシシの脂身の多い肉が入っている煮物だ。ニンジンやこんにゃくが旨い。Img_3741 酒は場所からいって「谷川岳」の温燗。最初は、おからとごぼうの和え物、ふきのとうの苦みが美味しい揚げ豆腐、山ウドのきんぴらなどで、野菜づくしの料理で身体に良い。Img_3744 そのあと、酒の肴に最適なイノシシのリブ、柔らかいももの焼肉、少し歯ごたえのある肩肉などが続いた。妊娠していない若い雌のイノシシが犠牲になったらしい。成仏するように祈りつつ、みんなで有難く頂いたのだった。Img_3742 途中イノシシのソーセージと一緒に出た芽キャベツも、地元の新鮮なもので美味しかった。Aさんはソーセージが気に入ったらしく、晩御飯のおかずに1打程のソーセージを獲得していた。最後は、昨年と同じ、手打ちそばだ。

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ここの食堂も何人かのオーナーが替わっている。それで、今のオーナーがどのようにして、椅子との調合を企てたのかを聞いた。カウンターと座敷のヘリの木材が残っていたので、部屋の備品は、その木材の様子に合わせて備えられて行ったとのことだった。この写真の椅子とテーブル、さらに本棚(これは奥さんの小学校が廃校になる時に理科室の実験用具入れを頂いたそうだ)、そして壁代わりに使われている桐ダンス。Img_3756 そして、きわめつけは薪ストーブだ。ここにお燗のための昔の弁当箱があって、山小屋風を醸し出している。この暖かさならば、一日中でも本を読んで、座っていたいと思うだろう。先生方の何人かは、食事の後、散歩せずに、実際にここに座って居眠りをしていたそうだ。

Img_3634 わたしはじつは、昨年欲しいと思った鉄のコーヒーメジャーを手に入れるべく、「絵マッチの家」へ向かったのだが、残念ながら、すでにコーヒーメジャーは展示していなかったのだ。Img_3636 ここにも喫茶室があり、三方向が窓の明るいストーブ室となっている。早速、一番古い椅子をストーブの前へ持ってきて、暖をとることにする。ストーブの前に座り、美味しいコーヒーを飲んで、本を読むという、至福の時を過ごしたのだった。

Img_3639 「絵マッチの家」の「部屋と椅子」の関係についても、聞いてみた。この部屋は、母屋から拡張させて出城風に家から出っ張っている。黒い梁と白い壁が特徴であり、この部屋が椅子より先に作られたのだそうだ。そして、テーブルと椅子が入れられたとのことだ。Img_3760 特に、昨年紹介した鉄職人の方が初期の頃に作ったテーブルと椅子が、真ん中で、この部屋の特徴を代表しているのだが、それとは別に、個性的な椅子も並んでいる。Img_3759 椅子の背板に箱が取り付けられているのは、たぶん教会の椅子で、聖書などが入れられるようになっているのだ。西欧ではよく見るタイプの椅子だ。この薪ストーブには窓が付いていて、中で木が燃えているのが見える。Img_3758 炎がメラメラと燃えさかるのに合わせて、自分の中でゆらゆらと時間が経っていくのを楽しんだのだった。

2016/03/10

「社会と産業」コースの合宿

Img_3677 毎年恒例となっている、「社会と産業」コースの先生方の合宿が行われた。群馬のみなかみ町にある、KW先生の親戚が経営なさっている湯宿温泉「湯本館」で、午後から重要な会議、その後、D先生とM先生の送別会、K先生の歓迎会となった。Img_3764 もちろん、会議などは放送大学の仕事なので、当然大学が費用を補助してくれるのだろうと、大方は思うだろうが、一切そのようなことはなく、全部私費参加であり、心置きなく楽しむことができるというシステムだ。D先生とM先生のお別れの言葉も、たいへん楽しいものだった。別れの時こそ、人が懐かしく思える。

Img_3627 また、これも恒例となった三国街道の須川宿資料館での資料見学も、待ち合わせたわけではないのだが、H先生と一緒になって、今年も学芸員の方のお話を伺うことになった。宿場の真ん中に用水が通っていたという江戸期の古地図を何枚も比較して見せていただいた。「なぜこの宿場の街道には、用水が真ん中に一本だけ通っていたのか」という謎に、ここ数年取り組んでいるのだ。

Img_3608 今年新たに加わった知識としては、じつはこの毎年話題にしていた、用水がいまNHKの大河ドラマ「真田丸」で有名になっている、沼田真田家の統治時代に作られたという事実がわかったのだ。江戸時代の初期には、このみなかみ町も沼田城主であった真田家が治めていた。第5代当主の真田伊賀守の時代に、この道の真ん中を通る用水が当時の最新技術で作られたのだそうだ。たとえば、水が山の登り坂を遡る技術が、この台地に入ってくる「押野用水」で使われているらしい。幕府あるいは真田の中に、かなりの治水技術の蓄積が進んでいたのだ。

Img_3629 なぜこのような用水の技術が発達したのかが重要なのだ。沼田藩には、河岸段丘が多くあり、その下を流れる川には豊富な水があるのだが、河岸段丘の上には当然水がないのだ。この段丘の上に灌漑用水を通すなどの治水事業がうまくいけば、農業が盛んになり豊かになるという時代を迎えていた。だから、江戸時代には、この地方にいくつかの有名な用水が作られており、須川宿の用水も、この典型例であったということになる。

Img_3612 今回の資料館の展示物のメインが、じつは当時の「検地帳」であった。学芸員の方の説明の中で、年貢の話が出てきて、ちょうどこの時代に用水ができて、収穫が増加したと考えられるのだが、同時に、年貢の元になる検地が見直され、それまでこの地域の石高は3万石だったのが、一挙に約14万石に変えられたということであり、年貢が4倍以上になったという過酷な状況が生じたことになるとのことだった。いくら用水が開通したからといって、収穫が4倍になるというのは考え難いところだ。Img_3613_2 このころ、百姓一揆や直訴が行われたという資料が数多くあるらしい。隣村である月夜野村での伝説的な「磔茂左衛門」のこともある。その後、真田が改易になった時、約6万石に評価が変更になって、統治が落ち着いたということだ。Img_3701 段丘の農地、用水の整備、生産性向上、年貢の評価などが、一直線上に並んで結びついたという面白さが、今年見られたのだ。これらのことは、KW先生からいただいた「歴史的農業用水」資料で確認されている。

Img_3734 H先生は環境から見る建築学がご専門なので、年貢のことよりも、この用水が宿場でも使われ、さらに農業用水でも使われ、地域環境全体を見る視点を与えてくれることに、興味を示していた。まだまだ、発展の可能性のある須川宿の「用水論」であることがわかったのだ。

Img_3697 ところで、今回KW先生から歴史資料を頂いたので、かえっていろいろな疑問がわいてきてしまったのだ。たとえば、須川宿と、東峯須川村と西峯須川村との間には、なんとなく齟齬があって、最初に1660年代に須川地区が主導権を持って、用水工事を進めようとしていたのだが、途中からそれが中止になって、村側からの「押野用水」が再開されたという事件も不思議なのだ。さらに謎なのは、村側からの技術者が幕府の関係する技術者であったらしい。Img_3692 すでに真田には、沼田の河岸段丘への灌漑用水建設で、1世紀以上前から用水技術が蓄積されていたのであるが、それにもかかわらず、幕府からの技術者が呼ばれている。想像でしかないのだが、真田側と幕府側の駆け引きがかなりあったのではと勘ぐってしまう。Img_3695 さらに、20年後に真田がこの地区の年貢の過酷な取り立てで、改易になることにまで、この出来事は続いているような気がするのだ。一大歴史ロマンを最大に広げてしまったのだったのだ。

2016/03/05

九州の喫茶店を歩く

Img_0670 妻の申し込んだ今回の九州温泉ツアーには、オプションと称する追加旅行がたくさん付いている。それは、参加者の満足と利便性を高めるために付いているのだが、怠け者を自認するわたしのようなものにとっては、このようなオプション旅行が多ければ多いほど、その時間を利用しての自由時間の余裕がそれぞれ1時間ほど増えて、たいへん喜ばしいのだ。Img_3276 大ツアーに応じておいて、小ツアーを避けるというのは、たいへん矛盾しているのだが、今回はそれが良い方へ転回したのだった。自由時間の主たる狙いと定めたのは、喫茶店巡りだ。

三つの喫茶店へ寄ることができた。とりわけ、シリーズとなっている椅子の採集にはたいへん役立ったのだった。Img_3364 初めての土地で、しかも初見で良い喫茶店かどうかを見分けるのは、かなり難しいのだが、今回はハズレがなかったということでも良い旅行に行ってきたと思うのだった。

Img_3431 このところ探っているのが、喫茶店の「部屋を先に作ったのか、それとも、椅子を先に作ったのか」論争であるのだが、いくつかの結論に近いものが出てきそうになりつつある。一つ目の喫茶店では部屋が先だった。二つ目の喫茶店では椅子が先だった。三つ目は以前からのものを受け継いだ喫茶店だった。これらに共通していることは、どのようなことだろうか。

Img_0680 旅行の1日目には、泊まりは別府だったのだが、そこへ行く前に福岡空港から湯布院の街へ回った。この湯布院という観光地にはランドマークとなるような、有名な金鱗湖という湖があって、その周りに喫茶店が集中している。Img_0681_2 みやげ物屋から少し離れてゆったりとした地域なのだろうか。湖水に面した喫茶店で、観光客が吸い込まれるように入っていく「S」という店があって、絵画なども展示していて、見るからにリゾート地の喫茶店風をしていたが、当然のようにして、その前をパスした。このようなところでは、地元客が行くような、目立たなくしかし自信を持ってずっと続いているような店を探すことにしている。「S」を出て、さらに寂しい道を一本入ったところに喫茶店「キャラバン」を見つけた。

Img_0682 二軒が横に並んでいて、どちらかにたくさんの客が入るのであれば、それなりの理由があるのだ。けれども、二軒が前後に並んでいて、前にたくさん入るのは当然で、むしろ後ろにあってずっと店を継続している方に、敬意を持つことにしている。

Img_0686 キャラバンのご主人は、数年前に博多の店をたたんで、湯布院へ移ってきたそうだ。その時に、この店を建具大工ではなく、建築大工屋に任せたそうなのだ。そこで出来上がったのが、そば屋さん風のカウンターであったと嘆いていらっしゃった。その大工さんはそば屋を作ったことがあるのだが、喫茶店を作ったことがなかったのだそうだ。なるほどなるほど、カウンターの板を見ると、縦に細い板が隙間をとって並べられている。一枚板のカウンターという喫茶店の常識から逸脱しているのがわかる。Img_0683 さらに、このカウンターを眺めた目で見ると、その脇の作り付けのテーブルとベンチも、なんとなく居酒屋さん風に見えてくるから不思議だ。木造りが良いと注文したらしいのだが、その木造りが和風であったのを知るのは、できた後だったらしい。

Img_3405 それで、ご主人は急遽テーブルと椅子をカナダから取り寄せたり、コーヒーカップをたくさん並べたりして、現在の喫茶店のインテリアを調整したのだ、とのことだった。最初の和風を消すことに、かなりの労力をつぎ込んだことがわかる作りの喫茶店だった。つまりは、部屋が出来て、それに合わせて普通は椅子とテーブルが選ばれるのだが、そうではなく、部屋の趣向を打ち消すために椅子とテーブルが選ばれたという、たいへん面白い事例だったのだ。

Img_3380 時間がなかったので、コーヒーを淹れながら、お話を聞いたのだが、深煎りのコロンビア・グアテマラ・浅煎りのモカなどのブレンドで、旅行にあっても、時々このような美味しいコーヒーに出会えるならば本当に言うことはない。

Img_3389 二つ目の喫茶店は、「雲仙温泉」へ移動する最中に立ち寄った長崎駅近くの「ROUTE」だ。これもオプション旅行に加わらず、余裕ができたために可能になった喫茶店訪問だ。妻が舟越保武の「二十六聖人殉教碑」を見たいということで、西坂公園に行ったのだ。Img_3394 そこで公園のベンチに座って、ゆったりと碑を眺めたのだった。戦国時代から江戸時代、さらに昭和時代から平成時代へ、と空の青さがつないでいたのだった。

妻が買い物へ行ったので、公園から街を見下ろしていたら、近くのビルに、「ROUTE」の看板が見えた。Img_3403 2年ほど前にできた喫茶店で、さらに近年には3階に宿泊所と1階にレンタル自転車の店が併設されている、複合的喫茶店だ。気安く入りやすい雰囲気が素敵だった。

木の椅子やテーブルやさらに内装が良かったので褒めると、店主がこのビルの内装を請け負った工務店の絵葉書のような、パンフレットを持ってきてくださった。Img_3400 そこには、この店の改装の様子が載っていたのだが、さらに目を惹いたのが、フィンランドの建築家アアルトのサマーハウスの記事だった。建築家が椅子作りの名手である例には、後を絶たないほどたくさんあるのだが、中でも、アアルトの合板作りの椅子は有名で、今回のわたしのテキストでも取り上げさせてもらっていた。Img_3595 このパンフレットのサマーハウスの中にも、それらの椅子を見ることができたのだった。つまりは、家に合わせて、椅子が作られ、椅子に合わせて家が作られたのが、アアルトのサマーハウスなのだ。

 

Img_3408 もちろん、喫茶店「ROUTE」の椅子も素敵で、窓際の二つの個性的な家庭椅子がまずあって、それに合わせるようにして、部屋が作られ、さらにテーブルと他の椅子が加えられて行ったのだとおっしゃった。この居心地の良さは、これらの椅子への気遣いに現れていると思われる。Img_3409 この喫茶店には、いろいろの種類の椅子が配置されていて、カウンターには高いスツール、窓際にはスペイン風の椅子で座面を張り替えられたもの、さらにわたしの座った曲木の椅子、そして奥には大勢座れるソファと大きなテーブルがある。多様な座り方ができ、どのような組み合わせでもできるように配置されていたのだった。

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三つ目の喫茶店は、最終日の佐賀空港へ向かう途中に立ち寄った太宰府の街の喫茶店だった。ツアーなので、太宰府天満宮まではみんなと一緒に行かねばならない。けれども、その後の昼食は各自とることになっていたので、九州国立博物館から公園を降りて、賑やかな山門通りから少し離れた光明禅寺の裏通りに、木工の喫茶店があったのを思い出して行ってみた。出張で一度来たことがあるのだ。けれども、この喫茶店はコーヒーだけだったので、子ども椅子など見学させてもらって、すぐに退散した。そして表へ出ると、すぐに三つ目の喫茶店「GOKAKU」が見えた。

Img_3580 GOKAKUには、太宰府の「合格」祈願の意味と、太宰府にちなんだ梅の花の「五角」の意味とがあるとのことだった。ここの野菜カレーを注文したのだった。カレー・ルーにはたくさんのスパイスが入っていてコクがあった。野菜がそれぞれ姿のわかるように大きく裁断されていて、それをオリーブオイルでさっと揚げてある。Img_3581 野菜の好きな人であれば、きっと来たくなるような喫茶店だ。山門の方は観光客であふれかえっている。とりわけ、近年は中国や韓国からの観光客が多く、道が混雑で歩けないほどだ。それに比べて、こちらの博物館へ通ずる道は静かで穏やかな住宅街を通っていて、散歩コースとしてオススメだ。

Img_3582 この喫茶店の椅子は、カリモク系のシンプルなものだ。けれども、それらは部屋にあっている。部屋自体が白い壁に、明るい木製の床だからだ。奥の大きなテーブルだけは、家から持ってきたとおっしゃっていたが、この辺が全体の調和とはちょっと違っていて、オーナーからの受け継ぎがあって、その後の自分の調整が始まろうとなさっているのかな、ということを感じさせたのだった。

Img_3310 さて、今日の椅子はどれにしようかな。たくさん候補がある中で、阿蘇の温泉場で、客との間で裸の付き合いを長らく行ってきた木製スツールを取り上げることにしよう。真ん中に穴が空いている特徴を持っていて、温泉から上がっても、濡れたままでこの椅子に座ることを想定しており、しっかりした作りを見せている。いままで何人の温泉客が、濡れたお尻でこの椅子に腰掛けたことだろうか。

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2016/03/02

温泉尽くしの旅

Img_3154 数ヶ月前になるが、突然妻が温泉へ行かないと誘った。そういえば、去年もこの時期に行ったなと思い出し、すぐに行くと答えた。その時には現在のような状態になっているとは、誰が予想しただろうか。

Img_3155 肩がバリバリと鳴って、ジーサン状態が夥しいのだ。毎年、ヤワな身体のことで言い訳がましいが、今年はまた格別で、このままの状態が続くと、今後予想される仕事に差し障りが出る。それで、一度ここで身体を回復してから、春休みの原稿後半戦を迎えようと決心した。休みを取るにも決心が必要なのだ。

Img_3157 肩バリバリの原因は明らかで、大学のテキスト制作のために原稿150枚ほどを編集者へ届けたばかりだったのだ。これはこれで肉体労働が含まれていたので、肉体疲労が残っているのだ。今回の原稿書きについては、精神的には結構楽しくて、総合科目「色と形を探究する」と、人間と文化科目「日本語アカデミックライティング」で、(ほんの一部だけの担当だったのだが、)いろいろなことを考えさせられたのだった。だから、頭の方は健康だった。だが、身体の方がダメになったのだ。2月末にすべての仕事を終えて、健康な身体でスタスタと夢の温泉旅行へという趣向だったのだが。

Img_3143 結局、今回の旅は、肩バリバリ治癒の温泉旅行へと趣向変更と相成ったのだ。関西では、少し遠出して、長期の温泉療養に行くというと、それは有馬でもなく、大津でもなく、白浜でもないのだ。やはり瀬戸内海を辿って、行き着くところは別府だったらしい。明治大正の旅絵葉書が残っている。余暇の研究所でアルバイトをしていたことがあるので、定年になったら(もう少し定年には間があるがそろそろ心の準備だけはしておきたい)、ということを常に考えている。まずは温泉だろうなと思っていて、それで別府なのだ。それほど、九州の温泉には憧れが眠っている。行けば、ググッと目覚めることだろう。

Img_3145 今回、いずれ劣らぬ強者揃いの温泉地、温泉尽くしなのだ。一つ目は別府の「観海寺温泉」、二つ目は阿蘇の「米塚温泉」、三つ目は島原の「雲仙温泉」で、これを三日間毎晩、連チャンでこなそうという、考えてみれば、結構過酷な温泉巡りなのだ。Img_3146 肩バリバリが治るか、旅の疲れが出るか、リスクをかなり負っての旅行であることは間違いない。身体のことばかり理由に挙げたが、照れ隠しも少しあって、結婚記念日を前にして、35周年記念ということも理由の一つだ。

Img_3147 別府は二回目の訪問となる。前回は別府八湯の中の狭義の「別府温泉」という市街地温泉と、湯量豊富な「鉄輪温泉」に浸った。この時は面接授業と立命館太平洋大学への出張だったが、別府の広い温泉地をめぐって歩いて、昭和レトロな街の印象がたいへん強かったのだ。

Img_3149 観海寺温泉はその時は訪れなかったので、今回楽しみにしていた。着いてすぐ、まずは風呂だというので、駆けつけた。お湯はあっさり、さらりとして、肩の筋肉をほぐすにはたいへん結構なお湯だった。ぎこちなく、ギチギチした身体を、お湯に預けていると、身も心もすっとする感覚があるのだ。Img_3151 この露天風呂は、建物を出て、坂を下ったところに東屋風の小屋としてあるのだが、簡素な脱衣・着衣室から、床続きで、外の露天風呂場へ直結している。風呂の半分に屋根が掛かっていて、もう半分は露天となっている。風呂端にタオルを置いて、それを枕に上を向いて、星を眺めながらという風呂小屋は良いものだ。Img_3148 ここに机を持ってきて、勉強して疲れたら入り、入ったら勉強するなどという趣向は想像するだけでも、満足するものだった。そして、食事の後にももう一回、朝太陽が昇ってくるのを見ながら、もう一回浴びたのだった。ジーサン趣味満開の時間を過ごした。

Img_3185 朝風呂の効用があって、午前中まではなんとか肩バリバリは治ったかのように思えたのだったが、お昼になる頃には、表面ではなく奥深いところの筋肉が肩バリバリ状態をぶり返したのだった。首を傾げると、バリバリとまたしても音がする。頭の奥にまで、バリバリ状態が浸透していたのを知ったのだ。

Img_3188 二日目の温泉は、阿蘇の草千里を眺めた後、その火山の外輪山に当たるなだらかな斜面に、ゴルフ場と一緒にある「米塚温泉」だ。朝の食事の時に阿蘇のカルデラ全体が見えて、ちょうど霧と湯煙が混ざったような朝霧が盆地状に薄く伸びて、ロマン主義的な感覚を呼び起こすような立地だった。Img_3201 このころになると、三日前に提出した原稿内容もすっかり霧の彼方に消えて、温泉の効能が精神的な奥深いところにまで効いてきたような感覚があった。源泉のお湯には、湯元特有の黒い泥が舞っていて、濃厚な効き目がありそうだった。

Img_3291 相変わらず、ここでも三つある露天風呂につぎつぎと入ったのだった。頭を縁に残して、身体を浮かせると、お尻に負担がかからない。お湯は重力へ対抗する幾つかの方法の一つである。椅子も重力対抗の道具の一種なのだが、いかにお尻への負担を減らすのかを考えた椅子が良い椅子の条件として、よく出品されるのを思い出した。このお尻を使わなくても済む、浮遊感が精神的な開放感につながるのだと思われる。Img_3312 露天の効用は、このように上を向いた視線が、地から天へ突き抜けるところにあり、自分の実在感というものが地と天の中間にあることを実感するのに適しているのだ。ここも三回入ったのだが、男湯と女湯が前の日と後ろの日では変えられる。前の日に女湯だったところに壺湯があるよ、と妻から教えられていたので、朝湯はこの壺湯へ入った。人ひとりがちょうどゆったりと入るようなコロンとした大壺に、湯が竹筒でかけ流されている。Img_3314_2 ここに手足を折って入ると、世界の中で自分がいかに小さな生き物であるのかが実感できる。壺湯で手足を窄め、露天で手足を伸ばすと、世界に対する自分のバランスがわかって、精神的に安定するのを覚える。

三日目のお湯は、香りというのか匂いというのか、さらにとろりとした感触からして、最も重濃度な温泉「雲仙温泉」だ。Img_3447 山奥の温泉場であるにもかかわらず、歴史はかなり古くて、建物も風雨に晒され、さらに温泉の湯煙に当たっていて、新しいものもみな硫黄色が染み付いているのだ。ここの特色は、視覚に訴える、湯煙がもうもうとした「温泉地獄」だ。

Img_3476 宿泊したところがすぐその横であったので、バスが着くとすぐに、外へ出た。もうその道路が湯煙で見えなくなるほどだった。街灯の横には、湯煙を上へ誘導する土管が立っていて、そこからもかなりの湯煙が出ているし、歩道が木製の板でできていて、その隙間からも湯煙だ。Img_3456 左右にふつふつと泡を出して、硫黄を含んだ煙が立っている。温泉の畑のような雰囲気のパイプが縦横に交差した地獄の源泉群を見て歩く。なぜ「地獄」と呼ばれるのか、説明されればされるほど、謎は深まるのだが、理由は呼称とは関係ないという言語学の説が最もその理由になっていると思われる。Img_3490 この風景を「地獄」と形容した人に敬意を表すとともに、この地獄的な煙と、匂いと、熱さとに肩のバリバリを付けて、地獄へ向かって洗い流したいと思ったのだ。ここのお湯は、私たちの嗅覚を溶かしてしまうほどに、すべての現世の悩みも溶かして、洗い流してしまうような温泉だ。

Img_3487 さて、今日の椅子は、地獄に居て、地獄に付き合い、巡ってくる湯治客をもてなし続けるベンチだ。ベンチの脚は、硫黄に溶け始めていて、木製部分が腐食している。それでも、この匂いに耐え、化学変化に従い、今日もわたしたちを座らせてくれている。Img_3488 それは、肩バリバリと同じようなものだと思う。ベンチの日々の使用はベンチを痛めていくだろう。同様にして、日が経てば、肩バリバリもどうしても蓄積されていくのだろう。けれども、そのような状況にあっても、肉体的にも、精神的にも、さらに洗い流されたコリから見ても、肩バリバリから日々の日常への転換はどうしても必要なのだから、今回のバリバリ治癒旅行はそれなりに意味があったのではないかと思っているのだった。つまりは、肩バリバリはわたしだ、ということなのだ。これと末長く付合っていくほかはないのだ。

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2016/02/18

クロワッサンとサンドウィッチとスコーンと、ちょっとのビール

Img_3017_2 「きょうはマラカスのひ」という絵本を持って、三回目の訪問となるパン日和「あをや」へ行く。早稲田のO先生と冬カフェなのだ。「あをや」さんが4周年を迎えたというので、O先生は植木鉢に入った花と奥様が作った首飾りをプレゼント。Img_3030 4周年というのはじつはわたしは知らなかったのだが、何やら予感があって、この絵本を贈ろうと持ってきていたのだった。それで、O先生に続いて差し出したのだ。いつも子供連れのお客さんがいらっしゃるので、絵本があると、お子さんたちも楽しめるだろうなという発想だったのだが。

パン日和「あをや」のTwitterはこちら

Img_2371 絵本「きょうはマラカスのひ」は、最近になく傑作の絵本だと思う。うちでは、娘と観て盛り上がっていて、ヒット作ではないかということになっている。最初のほうに、その絵が素晴らしいのだが、主人公と二人の仲間が一緒になって、準備運動のために、マラカスで踊りだす場面が出てくる。それで喜びも上げ潮状態に達するのだった。けれども、主人公が練習を重ねた、その肝心なマラカスの踊りを失敗してしまって、ひとり寝室にこもってしまうシーンになると、みんな一緒に泣けてくるのだ。Img_3015 最後に、二人の仲間が慰め、再び踊りに挑戦する頃になると、主人公に感情移入してしまっていて、わたし自身の仕事がうまくいかなくても、元気がざわざわと出てくるのだった。喜びと悲しみがマラカス仲間の社交で描かれているのだ。

Img_3018 この絵本の作家樋勝朋巳さんは、O先生が信州の松本へ行くとほぼ必ず寄る店に、銅版画を出していて、O先生はその銅版画を2枚購入しているそうだ。それでわたしもその店に入った時に名前を知ったのだが、その時は絵本作家であることは知らなかったのだ。「あをや」の奥様は、このように踊るのは自分だとおっしゃって、直ちに絵本を受け入れてくださった。マラカスの踊りというのを一度は見てみたいな。

Img_3019 きょうは、開店時間早々に寄ったので、開店を待つお客さんがまだ整理されずに、外に溢れていた。O先生が予約を入れていなかったら、危ないところだったのかもしれない。パンづくしのまず最初は、焼きたてのクロワッサンで、何もつけずにそのままいただいた。Img_3020 バターの味と香りがふわっと降りてきたのだ。いろいろな豆の入ったチリスープで途中をつないで、そのあとビールといつものサンドウィッチ(アボガドとクリームチーズ)、最後にホットチョコとスコーンというラインナップだった。

Img_3023 冬カフェの話題は、数々あれど、試験の話は面白かったな。けれども、この話題は残念ながら書くことはできない。それから、「あをや」の奥様の話題もすごく面白かったが、口止めを早々にされてしまった。ここが人間のなせるところだと思われるのだが、禁止や口止めされたことほど、記憶に残っていて、もっと重要で書こうかな、と思っていることほど、すぐ忘れてしまうというパラドクスが働くのは困ったものだ。Img_3024 世にスキャンダルがはやる理由がわかる。それで、O先生との会話が始まって、これはメモにでも書き留めておかねば、と思っていた重要なことがあったことだけは忘れていないのだが。たしか、「音」の話題についてだったのだが、すっかり忘却の彼方だ。有名な哲学命題「誰もいない森で、木の倒れた音がするか」について話していて、今回わたしが書いた「音」のテキストに関して素敵な発想がひらめいたことまでは覚えているのだ。しかしながら、 肝心のその中身をすっかり忘れてしまっているのは、悲しい事実だ。


Img_3029 帰りの駅に出るまで、少し遠回りして、冷気を楽しみながら、散歩をしようということになって、「あをや」の奥様に地図を書いてもらう。それで気がついたのだが、この川崎市の幸区というのは、碁盤の目のように道は真っ直ぐに通っているところは多いのだが、幹線道路はどういう理由かわからないが、

Img_3027 くねくねと曲がり、江戸時代そのままの道筋を見せていて、ちょっと迷うと、すぐに目的地からはどんどん離れていくという、つまりは斜めの道がたくさん通っている街を形成しているのだ。

Img_3040 矢向駅へ出る手前の、家が立て込んだ場所に、O先生が二度目の訪問だという「ノチハレ喫茶店」がある。散歩の喉の渇きを、エチオピア、そしておかわりで、モカブレンドを飲んで癒す。O先生は食欲旺盛で、この店でも小倉の厚切りトーストを頼んでいた。外が暗くなるに従って、お客さんたちが家へ帰って行って、Img_3039 わたしたちだけになったので、若いご主人にいつもの質問をしてみたのだった。店を作る時に、椅子が先に決められたのか、それとも部屋が先に決められたのか。それについての回答は、新しい店なので、同時進行で決定されたとのことだった。白い壁と、椅子の塗料のナチュラルな色が良い対比を醸し出していた。

Img_3037 「ノチハレ」という名前は素敵な名称だと思われるが、どこに由来するのか、とO先生が訊いていた。ポスターのコピー文の中にあった文章から採ったらしいのだ。何の「ノチハレ」なのか、雲りなのか雨なのか、とも。Img_3036 答えは雨だったが、たぶんこの店に来ると、精神的に「ノチハレ」になるということかもしれない。

O先生のブログはこちら

2016/02/13

「恩地孝四郎」展へ行く

Img_2873 昨日は昼食の後、大学を早めに退散して、恩地孝四郎展を観に東西線の竹橋へ出た。国立近代美術館は、金曜日には夕方遅くまで開いているので、じっくりと鑑賞できる。Img_2913 わたしの原稿書きの調子からして、下旬になると予定が立て込んでくる予想があるので、これから迎える苦難の前に一条の救いを求めたのだ。

Img_2874 恩地孝四郎の名前は、かなり前から知っていた。記憶を辿ると、たぶん中学校時代にまでさかのぼることになるだろう。当時、池袋を通って、練馬区の大泉まで電車通学していたのだが、この池袋のいつも寄る書店の包み紙が、恩地孝四郎の装丁だった。どのような模様であったのか、見ればわかるだろうが、今ではあまりはっきりとは記憶していない。だが、この名前だけには記憶があるのだ。

Img_2876 展覧会場に入ってすぐに、油絵の自画像があった。途中にも幾つかの自画像が掲げられていた。それらを観て、これらは油彩であるのだが、いかにも版画的な絵画なのだと思った。ここでの版画的とは、色ごとに、刷りが異なり、それらが複合的にレイヤーを構成しているような描き方のことだ。それで他の恩地の絵画を見ていても、どうしても表現が版画的だと思ってしまうのだ。たぶん、これらの絵画をもし単体で見せられたら、きっと興味を示さなかったに相違ない。版画的に描かれているから、きっと表現上意味が出ているのだ、と思ったのだった。ということは、恩地孝四郎は最初から版画家だったのだと思う。

Img_2910 わたしが思うに、木版表現には絵画表現に勝る二つの版画的特徴がある。ひとつは、切り取ってきたような輪郭のはっきりした、エッジの切れた表現だ。浮世絵の多くは、輪郭のはっきりした表現でできている。もうひとつは、ベタ面の表現だ。木の持つ細胞の凸凹が刷られて反映される質感である。表面の示すザラザラ感がなんとも言えない。

Img_2906 恩地の初期の「月映(つくはえ)」時代には、黒と白とで、エッジの切れた木版表現を行っていた。これに対して、関東大震災以降辺りから、木面の豊かさを意識したような版画が多くなる。この時代で、好ましいなと思ったのは、眼鏡がなかったので、細かい字が見えなかったのだが、Img_2914 1922年の「卓上静物」(リンゴが素晴らしい)、1928年の「湖辺」、1930年の「朝」、1939年の「円波」などだ。後者の三つは、水色の使い方が木面を生かしたものになっている。「朝」は、その後何年か、同じモチーフで描かれている。

Img_2917 これらの後、恩地は戦後の「抽象画」時代に入っていくことになる。チケットの挿入画になっている1949年の「孤独」、詩集の表紙となった1950年の「雲は機械である」などに、興味を持った。

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さて、近美の楽しみは、常設展示だ。こちらは写真を撮っても良いことになっている。なぜか、今回はこれまで何度も見てきて、見飽きない逸品が数多く展示されている。上記の恩地孝四郎の企画展では、写真が禁止されているのだが、こちらの常設展での恩地作品は、撮影OKだった。

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Img_2883 企画展の間に挟んだ東京駅がその作品だ。藤田嗣治の2作品は、堂々とした大作だ。作風が正反対であるのだが、この作家の特徴をよく表していると思う。この小林古径のりんごは透き通るようで、見飽きることがない。

Img_2878Img_2894Img_2900 Img_2909 今日の椅子は、近美の実際の椅子を取り上げようととも考えたが、やはり作品の中の椅子を二つ上げておきたい。一つは駒井哲郎の「歪んだ室内」、もう一つは、山口蓬春の描いたウィンザーチェアだ。両方とも、すぐにでも座ってみたい椅子だ。Img_2904

2016/02/12

思い出を処分する

Img_2833_2 昨日から千葉の母の家へ泊まり込んだ。そして、今朝はいよいよ家財道具の処分業者に頼んで、家の中を空にする作業に入った。全てを明け渡すのだ。この家には、1975年に移ってきた。わたしは次の年には、大学院のある渋谷へ引っ越したから、じつはこの家には数ヶ月しか住んでいないのだが、やはり40数年間ずっと実家であったから、夏休みやお正月には必ず帰ってきていた家だ。それなりの記憶が累積されているのは確かで、この場所へ来ればその思い出が必ずよび起こされるという記憶維持の場所で有り続けた。

Img_2862 母が亡くなってから、このところ数ヶ月かかって、重要な記憶のものは、たとえば写真アルバムや昔の文集、成績表などはすでに移してあるのだが、どうしても見つからないものやヒョイっと手に取ると思い出すものが、まだかなり残っている。Img_2863 昨夜も最後の品定めをして、ほんとうに最後の最後に救い出す品物を選んでいたのだった。妻には「私の実家のものはみんな捨てたのよ。思い切りが悪いわね」と言われるし、妹からは「持っていてもいずれ捨てるのよ」と言われ続けてきているのだが、まだ諦めきれないのだ。ものに憑かれるとはこのようなことを言うのだろうか。何かが呼んでいる気がする。

Img_2864 もちろん、今日までこの家で使ってきた肉厚のコーヒー茶碗や、ガラスの使いやすいパン皿、さらには娘が欲しいと言っていた額やデミタス茶碗、ビートルズやシカゴなどのレコード、テレビ・エアコン・ストーブなどの電気機器などは諦めざるを得なかった。タンス類が荷物の中では一番場所を取ったようだが、これらも全て処分する。けれども、幼稚園時代から聴いてきたオイストラフのベートーベンのバイオリン協奏曲などは、毛布に包んで持ち出すことにしたのだった。

Img_2856 朝になって、座っていた近くの戸棚を開けると、昔懐かしい江戸切子のグラスが出てきた。今までずっと探していたのだったが、奥の方に3個だけ隠れていたのだ。今朝の最後に出てきたのだった。包装紙に包んでビニールへ入れている最中に、業者が玄関のベルを鳴らしたのだった。

Img_2851 このグラスには、たくさんの思い出がある。これは、何回も夢の中に出てくる思い出だ。その中でも飛びっきり古いのは、幼稚園時代の思い出だ。クリスマス会を家族で行うことになって、テーブルに料理が並び始めた。父と母は準備で台所へいっていた。それで、テーブルの上にあったこのグラスに、写真にあるデキャンタからワインを注いで、飲み始めてしまったのだ。そのうち、目の前がぐるぐると回りだし、その場へ眠ってしまったらしい。笑い話で済んだが、それは父の血を受け継いだということだったからだ。

Img_2838 と、この話を妻に話したら、母は生前、このグラスはデキャンタのグラスではないと、言っていたよ、ということだった。言われてみれば、確かにエンジ色の濃さが異なるのだ。今となっては確かめる術はないのだが、本当のところ、残っているのは思い出だけだということなのかもしれない。

じつはもう一つ、ヒョイと出てきたものがある。どのような家族でも、その家族の宝と呼ばれている品があると思う。うちのような衰退家族でも、一品だけあるのだ。何か儀式があるときには、父が必ず押入れの奥から出してくるものだ。Img_2865 それは、室町時代に描かれたと言われている「五大尊像」なのだ。もう画像は判読できないくらいつぶれていて、見る影もないものだが、確かに神秘的で家の宝だというに相応しいものだと思われる。これは絶対に「何でも鑑定団」へは出さないことにしようと思っている。家の宝というのものは、家族だけが認めていれば良いもので、一種のアイデンティティの象徴であれば良いのだ。

Img_2846 さて、あれやこれやで荷物をまとめてみると、何やらホームレスの人びとの移動のようになっているのが自分でもわかった。写真に写っているのは、合計4つの大荷物を自転車の前後につけ、さらにリュックとショルダーを肩にかけようとしている図である。ほんとうに見られたものでない、ヨタ旅をしているのではないかと思ってしまったのだった。

今日のランチは大学近くにあるホイトウの日替わり定食だ。「鶏肉とカボチャのスープ」。鶏肉とカボチャが別の料理で出てくるのではなく、カボチャスープの中に鶏肉が入っているのだ。この味は初めてだった。意外に合うのだ。カボチャスープにも味付けがしてあって、鶏肉と合う工夫がされている。

ホイトウは最近店内の改装を行った。それで、今日はちょうどマスターがレジに立ったので、そのことを話題にしてみた。何を中心にして、改装を行ったのか、と。ある程度は予想していたのだが、木のイメージと白いイメージを大切にしたのだとおっしゃっていた。確かに、壁は半分が木で覆われ、半分は白壁になっている。なぜ木のイメージなのかが気になっていたのだ。じつはテーブルと椅子はほぼ以前のままにして、あまり変えずに連続性を維持したのだということだった。前から問題にしている。「椅子が先にあって、部屋が作られるのか。それとも、部屋があって、椅子が導入されるのか」論争の良い事例が見つかったと思った。

さて、今日の椅子は当然、ホイトウの椅子を出さないわけにはいかないだろう。ところが残念なことに、カメラを持っていなかったのだ。今度行った時に、お目にかけようと思う。

2016/02/02

映画「眺めのいい部屋売ります」を観る

Img_0663 映画「ニューヨーク眺めのいい部屋売ります(原題:Heroic Measures)」を観る。原題のHeroic Measuresは、大胆な手段という意味だ。どのような大胆な手段なのか、といえば、結婚以降の人生40年にして、初めてこれまで住んできた「眺めのいい部屋を売り出す」という決断だ。この映画の冒頭で、名老優モーガン・フリーマン演じる画家のアレクッスと、これも名女優のダイアン・キートン演じる元教師のルースが、この決断を行うところから、この物語が始まる。

この映画には見せ場がある。ニューヨークという世界の中心たるところのマンションがどのように売りに出され、どのようなシステムで取引が実際に行われるのかという興味津々なテーマが展開されるところだ。9千万円から1億円くらいの部屋の話だが、仲介にブローカーが入って、入札が行われ、内覧会が開催され、そして値段がつりあがっていく。そこに「普通の人」である主人公アレックスがあたかも「悪魔の碾き臼」へハマったがごとくに日常が失われることになるのだ。

Img_0661 じつを言えば、わたし自身が現在同様な状況にあるので、すっかり思い入れをしてしまったのだ。もっとも、ニューヨークの場合と違って、わたしの受け継いだ母のマンションはずっと価格は低いので、気が狂うほどでないのはなんとも寂しいところであるのだが。

問題は歳をとると、エレベーターのない部屋から移らなければならないために、いつもこのような状況に投げ込まれ、「眺めのいい部屋」という好ましい状況を手放さなければならないことが、ニューヨークでは起こってきてしまうということである。古ければ古いほどなお良いというヨーロッパ的な価値観がなかなか貫けないところがアメリカ的であるというところなのかもしれない。もちろん、ニューヨークだけが特別なのではなく、どこででも起こっていることであって、現在のわたしの状況からも見えてくるのであるのだが。わたしが巻き込まれている街にも、エレベーターのない旧住宅公団の団地があって、かなりの中古であるにもかかわらず、エレベーターのある母のマンションへの引越し願望と需要とが結構あるのだそうだ。

Img_0660 それで考えたのであるが、結局のところ、自分にとって「最後に住みたいと思う街」はどのような街なのか、ということが日常生活では大切なことなのだ。人間は歳をとると保守的になると言われるが、まさに住む場所こそ、保守的な態度の発揮されるところに違いないのだ。少なくとも、この映画はそう主張しているように思えた。ニューヨークの真ん中でも可能ならば、日本のこちらの街でもきっとこの思いは可能だと思われるのだ。ニューヨークはやはり金融中心の資本主義の権化とみなされてしまう街なのだが、この映画に見るように、必ずしもそれが貫徹できるわけではないのだというところで救われる。

2016/02/01

授業科目「音を追究する」のラジオ収録が終わった

Img_2728 紆余曲折があればあるほど、それを乗り越えて、最後に完成へ至る喜びには大きなものがある。今日の収録をもって、今年度のラジオ制作が一応終了した。まだまだ、行わなければならないことが残っているとはいえ、収録という、授業の中心になるものが終わるというのは、わたしたちにとっては象徴的な事件なのだ。

Img_2725 今日は朝から全員が制作棟3階のRAスタジオに集まって、番組「音を追究する」の一番最初の回と一番最後の回の座談会形式の収録が行われたのだ。主任講師で放送大学同僚のコミュニケーション学のO先生と心理学のS先生、それから各章の担当講師を務めた同僚の物理学K先生、聖徳大学で音楽学を教えているT先生、芸大で音響学を専門としているK先生、そして社会科学からは、わたしが参加したのだ。それぞれ2回から3、4回分を担当した。

Img_2731 これに加えて、15回ずっと見守ってくださったディレクターのK氏、録音スタジオ技師のO氏が通称「金魚鉢」の内と外に対峙した授業だ。対峙したとはいえ、いつもの録音風景とは随分と異なって、これは主任講師やディレクターの人柄を反映していると思われるが、絶えず言葉が満ちていて、笑いを誘う面白い状況が連続したのだった。

Img_2732 授業における「双方向性」が大事だ、と通信制の教育現場ではよく言われる。その場合に、通信制の放送大学では(1)先生と学生との間の双方向性(2)教材と学生との間の双方向性(3)学生間の双方向性、が主たるものだとふつうは考えられている。今回のような学際的な科目では、最後に問われるのは、じつは第4番目の双方向性である。(4)先生間の双方向性もあるのだ。今回のような座談会は、まさにこの第4番目の双方向性を試すことになった。

Img_2734 じつは今回、他の分野の「音」についての考え方に触れて、わたしとしても、たいへん得ることが大きかったのだ。そのことで、少し大げさな物言いだが、「社会の音」についての本質的な点がわかった。100メートル走でピストルの合図で走り出す。この時のピストルの音が「社会の音」の典型であると当初は考えていた。一つの音に合わせて、人びとが集団を形成するのを見ることができる。工場で鳴り響くサイレンも同じだ。

Img_2736 ところが、いろいろな社会の音を採集しているうちに、奇妙なことに気づくようになった。その象徴的な例が「鐘の音」だった。鐘の音も、一つの地域でみんなが聞くことで、おおよその時間を知ることができるという機能を持っている。この点ではピストルの音と同じであると考えられた。ところが、鐘の音を物理的・音響的に分析すると、実に多彩な音による合成物であることがわかり、さらにどの段階の「鐘の音」を聴くかによって、全く異なる音を人びとは聞いていることがわかったのだ。

Img_2729 鐘の音には、撞木をついた時に出る「アタリ」、そしてもっとも鐘の音の中心となる「オシ」、さらに「オクリ」などの音の段階があって、それぞれの段階で鳴っている音が異なるのだ。アタリでは、100デシベルを超えるくらいの強い音で、30ヘルツくらいの低い音になっていて、オクリでは、30デシベルくらいの弱い音なのだが、600ヘルツくらいの高い音になっていく。

Img_2738 このように、鐘の音は多様な音の段階を内包していて、決して一つの音ではないのだ。ところがここが素晴らしいところなのだが、このようにたくさんの音を持っているから、多くの人びとの耳に届くのであり、さらにその人びとは鐘の音を一つの音だと認識するという不思議な現象が最後に起こるのだ。多くの音が一つの音だと認識される構造を持っていることが、「鐘の音」の特色なのだと言える。

Img_2727 わたしは個人的にたいへん得るものがあったのだが、他の先生方も同様であったと思う。先生間の双方向性をとりもってくださった主任講師のO先生とS先生に感謝申し上げる次第だ。他にも、たくさんの面白い話が、座談会では飛び出したのだった。ぜひこの番組を聴いていただけたらと思っている。以下、宣伝。「音を追究する」の番組の放送予定は、下記の通り。

Photo 放送授業期間:20164/1285/67/21

放送時間(2016年度)第1学期:(木曜)2045分~2130

4/295/5までは「ゆとりの期間」で、通常の放送時間とは異なる。

Img_2732_2 最後の収録だったので、終了後「海浜幕張」の街へ繰り出して、打ち上げの酒宴を張ったのだった。そこでは最後まで、音の話題が絶えなかった。

2016/01/26

神奈川学習センターでの試験監督

定期試験の季節になった。このところの冷え込みが激しくて、家にいても身体じゅうのいたるところに筋肉痛が出る。たぶん、老人性の何かだと思うのだが、やはり運動不足が一番効いてきている。身体がガタピシ言っている。それで、仕事というのは身体にとってはありがたいもので、学生の方々には申し訳ないが、運動不足解消に神奈川学習センターへ出向いて、今日は試験監督の1日だ。

監督というのは、試験場に入ってしまうと、本を読んだり論文を書いたりしてはいけないので、ほんとうにちょっとの余裕もないほどに、退屈で暇なのだ。数人のチームで監督しているので、逸脱した行為は一切できない。

G先生はここ数年間、町田のブランチ会場の監督長を行っていて、長がつくと、試験場には出ないので、1日自分の部屋で、十分にエッセイは書けたのだとおっしゃる。けれども、現在は神奈川学習センターで、わたしたちと同様に試験監督として、会場に立たなければならないので、エッセイは書けないと嘆いていらっしゃった。監督業にも、いろいろあるのだ。

それで、監督に立つと、暇に任せて、想像力の世界に漂うか、あるいは、目の前の現実の世界を観察するのか、のどちらかになる。学生の方を観察すると、放送大学らしさというものがよくわかるのだ。たとえば、このような光景は他の大学ではたぶん見られないと思われる。これまでにも、何回か話題にしてきたと思う。解答には鉛筆が使われるのだが、どうしても消しゴムを使わざるを得なくなり、当然のように消しクズが大量に出るのだ。それで、消しクズをどうするのか、を見ていたら、多くの学生は机の上の消しクズを処分してから、席を立つのだ。丁寧な人は自分で消しクズを持って帰る人もいる。ここまでは、これまで何回も見てきた光景だった。

今日見た学生は、中年の婦人だったが、手に消しクズを集めていたので、どうするのかな、と見ていたら、やおら自分のカバンの口を開けて、そこへ放り込んだのだ。そこまでやらなくても良いですよ、と言いたいくらいだった。試験中だったので、声をかけることはできなかったのだが。家へ帰って、カバンに掃除機を突っ込むのだろうか、と想像を羽ばたかせてしまったのだった。

一番前に座っている、これも年配の女性の方が統計の問題を解いていた。テキスト持ち込み可の科目だったので、机いっぱいにテキストやノートやプリントを広げていた。すると、そのテキストのカバーに見慣れたカバーがかかっていた。じつはわたしもよく作るのだが、大判写真のカレンダーの用紙を使ってのカバーなのだ。紙質が良くて厚い紙が使われている。そして、写真部分とカレンダーの数字部分との組み合わせがとても良い。日付が3分の1位見えていて、3分の2が綺麗な写真が残るようにブックカバーに仕立てるのだ。見栄えも良いし、さらに頑丈なカバーになっていると思う。それがわたしだけでなく、今日の一番前に座った学生の手元にあったので、「あれー」と思った次第なのだ。テキストがカバーが破れるほどに、擦り切れていたのが、たいへん印象的だったのだ。これほど、読み込んでくだされば、テキスト作成者にとって言うことはないのだ。またまた、作ってみようという気にさせられる。

Img_0646 試験会場から、センターの試験実施本部へ帰ると、文房具として使うように、目の前に大量の油性ペンが準備されているのに気がついた。なぜ油性ペンが使われるのかといえば、試験が終了して答案を収める袋が、プラスチックでできていて、これに記入するのに、油性のインクしか使えないからである。かつては、この写真のようなガラス瓶のついた「マジック・インキ」という商標の通称マジックと呼んでいたものが主流だったが、今日ではあまり見なくなった。Img_0645 今日、久しぶりに見た。このマジックはどの製造メーカーで作られているか、知っているだろうか。「○くら」や「○んてる」と答えた人は、かなり文房具に精通した方だ。けれども、違うのだな。

現在では、太字用と細字用とが一本にまとまったこちらの油性ペンがよく使われるようになっている。やはり、ガラス製のマジックは少し太字すぎたのだと思われるし、ちょっと持ちにくいのだ。Img_0647 小学校の壁新聞や立て看の模造紙に書くには、これが最適で、一世を風靡していたのだが、A4版の小さな紙に書くには適していないのだ。けれども、懐かしくかつ可愛い文房具だったのを思い出したのだ。

帰り道、かなり暗くなっていたのだが、80歳を過ぎたとおぼしき女性が教室から出てきて、杖をつきながら、時々ため息をついて、Img_0648 今日の試験のことを思い出し(ているのではないかと見られ)歩いているのを見ると、社会人の大学なのだな、と思うのだ。放送大学らしさ、というのは、このような時にチラッと窺い知ることができるのだ。

2016/01/11

京都合宿の3日目

Img_2595_2 今日から二日間は、博士後期課程の合宿だ。ところが、今日は成人の日と重なり、放送大学の京都学習センターは休館であり、公共の施設は大方お休みである。それで、奥の手を使って、京都大学医学部の付属施設であるS会館を借りることを大学に認めてもらったのだ。宿を取っている四条から、京阪に乗って、終点の出町柳から、徒歩で百万遍に出て、会館に至る。


Img_2597 島根から出てきているF氏も、程なく到着した。会議室はいくつかあるのだが、一番小さな部屋である和室の会議室を取った。障子を引くと、狭いながらも庭があって、寒椿が咲いている。到着すると、すでに暖房が効いていて、庭へ向かって、眺めの良いところに座椅子を据えて、早速講義を開始する。

Img_2598 講義内容は、経済学研究法ということになっているのだが、ほぼ1対1の講義なので、結局は研究内容に引きつけて、テキストはツマにして、論文作成の話にそれていくことになる。このような雑談がどのような効果を及ぼすのかは、よくわからないところがあるのだが、一括りにして言えば、経済学的な外部効果が働くことになるということになるだろう。Img_2600 ちょっと異なることを題材として、それにプラスして、雑談を加えるようなところで、外部効果のアマルガムを生成してくるというのは、自然科学ではよく見ることころだが、社会科学でも似たようなことが起こるのだろうと思っている。

Img_2604 午前が終わろうとするころには、玄関あたりで、話し声がしてきて、昨日同志社で合宿を行った修士学生のAさんとKさんが現れた。一緒にランチを食べようということなっていたのだ。京大の第2食堂みたいな、近くのレストランへ連れて行くと、ホームページでは「open」になっていたのだが、実際には閉まっていた。仕方ないので、後でコーヒーを飲むために連れて行こうとしていた京大北側にある喫茶店「進々堂」へ行き、カレーランチを食べる。Img_2612 4人くらいで腰掛けると、ここの黒田辰秋の大テーブルはほんとうにゆったりしていて、気持ちが落ち着くのだ。最初にこのテーブルと椅子に会った時には、なんと大袈裟なインテリアだと思ったのだが、このような数十年間変わらずに、しかもこの喫茶店の安定化機能を果たしているのを見るにつき、この木の厚みと温かな材質感が、学生喫茶店としてはどうしても必要だったのだと思い至った。

Img_2605 午後からは、東京からH先生も駆けつけてきてくださって、F氏の研究発表を検討することになった。F氏のテーマは消費者行政であるのだが、今日の「消費者像」の変化とともに、消費者基本法が成立し、消費者庁ができ、消費者教育法が発行されていて、その中で消費者概念をはじめとして、検討すべき課題が山積であり、発表を聞き議論をしていくほどに、問題点が明らかになっていったのだ。

Img_2607 とこのように書くと、表面をすらっと滑っているように聞こえてしまうのだが、今ではすでに当たり前と考えられている「消費者と生産者との分離」というすでに忘れられている近代問題が、現在でも根本的な問題として存在することが理解できるのだった。Img_2613_2 それを「情報の非対称性」と専門用語で読んでみても、また消費者ではなく「生活者」と捉えなければならないと言ったとしても、それで消費の現実を理解したことにはならないと、ということなどが、改めて問題として出てきた。内容については、まだまだ「企業秘密」なので、明らかにはできないのだが、そのうち彼が博士論文として、これらの考え方をしっかりと定着してくれるだろう。期待してじっくりと待ちたい。

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Img_2617 その後、窓の外が暗くなって、宵闇が迫ってくる時間まで、この居心地の良い場所でぬくぬくと、また、えんえんと議論を続けたのだった。この施設の借用が夕方までとなっていたので、京都中心部の隠れ家的な喫茶店に場所を移した。Img_2624 移動の途中、鴨川端に出て、亀を象った飛び石をポンポンと渡り、神々が導いてくれそうな風景の中を歩いていたのだが、突如としてF氏の家族から緊急電話があり、島根のお母様が腕を骨折なされ、手術を受けなければならないという衝撃的な連絡が入ったのだ。今晩はすでに鉄道の便がなく無理であるが、明日の講義をキャンセルしなければならない事態となった。忙しいときほど、このような事故に見舞われるのだ。Img_2642_2 残念ではあったのだが、明日の講義は次回に持ち越しすることにして、せめて今晩だけでも、時間を挽回しておかねば、と静かな場所の座席を占めたのだった。授業としての生産性にどれほど貢献したのかは疑問であるが、そもそも博士課程の授業というものは、このような性格のものであり、考えてみれば、わたしも大学院では、飲み屋さんで多くを学んだという記憶がある。Img_2636 H先生は、英国で博士号を取ったので、毎回論文や報告を持って、添削を受けたという経験をお持ちで、ところ変われば、また領域も変われば、自ずと研究会のあり方も変わってくるということに違いない。

Img_2635_2 喫茶店の名前は。「Kocsi」と言って、わたしの泊まっている宿から数分の距離にあるところだ。二階の窓が大きく開かれた、そして何よりも、長居のできる喫茶店であるところが素晴らしいのだ。これまでも、京都に来るたびに訪れている。その恩恵を十分に活用して、またこの写真に写っているような安楽椅子風のゆったりした椅子が良くて、またまた長く腰を据えたくなってくる場所なのだ。Img_2637 今風の隠れ家的な喫茶店と言ってしまえば、それまでだが、隠れ家的な嗜好が流行る前から、京都の中心部で観光客に毒されることなく、むしろ観光客を巻き込んで、この雰囲気を維持しているのは稀有な在り様だと言える。末長く続いて欲しい喫茶店だ。

Img_2620 今日の椅子は、やはりコチの椅子を取り上げないわけにはいかないだろう。骨太のボウを持つ、ウインザーの原型風の椅子だ。長くこしかけていても、腰を移動させ、背を預けても離しても、どちらでも自由度が効く椅子の作りをしている。どこで作られたのだろうか。この骨太さは、ヨーロッパではなく、やはりアメリカだろうか、などと想像掻き立てられる椅子である。最後におまけとして、先ほどのS会館に置かれていたマッキントッシュ型の椅子も掲げておこう。背板に、近代主義とアールデコ風が混ざっているという特徴がある。

2016/01/10

京都合宿の2日目

Img_2563

Img_2544 今日も京都は快晴だ。地下鉄今出川駅の階段を登ると、御所の空が真っ青だ。今年も、同志社大学のN先生と博士課程のO氏のお世話になった。今回はいつものゼミ合宿で終わらずに、プラスして同志社大学のO氏も発表に加わったことで、社会人合同ゼミが成立したのだった。9時には、同大今出川校舎の入り口に着いて、ぐるっと歴史的建物群を見て回る。


Img_2546これで、同志社大学の教会が開いていれば、朝の瞑想にふける場所ができて言うことがないのだが、そううまくはいかない。日曜だからといって、必ずしも教会が開いているわけではないのだ。歴史的建造物の並びにある誠至館のS23室がゼミの場所だ。いつもは、同志社の学生たちで、廊下まで溢れかえっている建物も、今日は閑散としていて、ほぼわたしたちの独占状態だ。

Img_2551 今年の冬合宿の標語は、「論文の中核となるアイディアを発表する」というものだった。まだまだ、4月からわずかに10ヶ月間だけ経ったばかりで、このようなところが明らかになっているわけではないが、目標は高く持ちたい、ということだ。今回のゼミでは、多くの方々が悩んでいる様子を見せているのだが、悩み方の方向性が良い方向へ進んでいる方が多かった。個々に事情は異なるといえ、良い成果が表れているのではないかと思ったのだ。Img_2550 そしてさらに、集まった方々の意識は高く、テーマの知識集積も驚くほど進んでいて、4月からの進展を示すものだった。ほんとうに喜ばしい限りだ。さらに、先輩たちも手弁当で、3名も駆けつけてくださった。

印象に残った発表も今回は多々あったのだが、やはり客分の同志社大学のO氏のテーマに興味津々だった。京都特有の地域金融というものがあり、これが京都の歴史的産業である繊維産業・流通に関わっているというたいへん面白いものだったのだ。簡単に言うならば、製造業系の信用である「西陣タイプ」と、商業系の信用である「室町タイプ」の違いがあり、これらをめぐって、地域金融の歴史が展開するのだ。現代における京都の保証協会のあり方も、このことに関係するらしい。詳しくは、O氏の博士論文をご覧になっていただきたい。

その昔、高校時代の友人S くんの導きで、西陣織元の家へ連れて行ってもらったが、そこでの金融がこのような特質を持っていたとは、もちろん当時は気がつかなかったのだ。結局のところ、今回のゼミで、地域金融、地域交通、農村経済などのテーマが出てきて、そこでの地域特性として、「サーキュレーション(循環)」ということの存在が強烈に浮かび上がってきたゼミだったと思われる。また合同ゼミ自体が、サーキュレーションを起こし、いわば「アマルガム(amalgam効果」を及ぼすものとなったのだ。

Img_2553 夜恒例の懇親会では、慣例として、すべての出席者にスピーチをしてもらったのだ。ある大学院生が奥様から、「そんな歳で大学院へ行って、何の役に立つの?」と言われたという話をした。Img_2558 すると、前にいた他の大学院生が、次のようなエピソードを披露してくれた。昨夜仕事が終わってから、一生懸命今日の発表のためのレジュメを切っていると、パソコン画面を覗き込んで、奥様が聞いてきたのだそうだ。Img_2559_2 「楽しい?」一瞬考えて、「楽しい」と答えたのだ。それで、奥様はこうおっしゃったのだ。「もし楽しくないと答えていたら、そんな楽しくないのであれば、止めてしまいなさいというつもりだった」ということだった。 Img_2588 社会人学生の取り柄を遺憾なく発揮していて、このようにほんとうにホロりとさせられる瞬間があるのだ。Img_2570 学問をするということには、精神的・財政的スポンサーが必要で、とりわけ家族の寛容さというスポンサーシップが最も重要だということだと思われる。Img_2589

Img_2574 この場所も、いつもお世話していただいているWさんが予約を取ってくださったので、スムーズに開くことができるのだ。同志社大学のモットーが書き込まれたオーナメントと大理石の大テーブルがいつものように光り輝いている。

Img_2578 懇親会が濃密に、けれども2時間という短時間で終了したので、まだまだ夜は長く残っている。地下鉄で四条へでて、これも恒例になった出張先での映画鑑賞に入ることにする。Img_2582 今日京都シネマにかかっていたのは、ボグダノヴィッチ監督の「マイ・ファニー・レディ」だ。日本では、外国でもそうだと思われるが、「ファニー」という名前がつけば、ああ、あのテーマか、ということになるのだが、その通りだった。Img_2584 が、しかし、この言葉の過剰さには、ウッディ・アレン系の映画的な特性が感じられたのだった。

Img_2583 大方の筋は、予告編でも出回っているので、そちらをご覧いただきたいが、一言で言えば、互酬システムの映画である。そもそもの元は、オーウェン・ウィルソン演じる演出家が女好きで、付き合う女性を次々に換えていく女性交換システムの映画であり、同時に、付き合ったすべての女性がそれぞれの個性を発展させるという人間コミュニケーションの映画でもあるのだ。Img_2585 この演出家の女好きという人間特性には特徴があって、すべての女性を同じ口説き文句で落とし、(この同じ文句が映画の最後に有名な白黒映画時代の映画からの引用であることを知らされるというオチが付いていて、なぜこの言葉で並み居る美しい女性たちが口説き落されるのかがわからないままに、映画が進行して、それがこの映画自体の互酬システムの効果を上げていて、これがまた面白いのだが)Img_2586 ベッドで一緒になる女性ごとに、その見返りとして、3万ドルをプレゼントし、その元金で関係する女性たちが自立・発展していくことになるという意味でも、互酬システムが働くのだ。そして、最後には、バラバラだった関係が、その3万ドルで発展されたシステムの中で、すべて結びついて、大団円を迎えるのだった。

Img_2590 今日の椅子は、京都シネマの映画座席の椅子だ。なぜ映画館の椅子は「赤い」のか、ということを代表して表しているからだ。もし映画館が暗くならなかったら、この赤い色は目について仕方がないだろう。 けれども、幸いなことに、この赤い椅子の空間は、ほとんど真っ暗な中で機能する。だから、あまりに目立ちすぎる「赤」でも大丈夫なのだ。 日常生活では、こんな真っ赤な椅子は使わない。だからこそ、真っ暗な空間の椅子として、真っ赤な椅子が成立するのだった。

2016/01/09

京都合宿の1日目

Img_2503 今日から年初めの京都ゼミ合宿だ。晴れの日が続くと予報が出ている。今年はT先生が退任なされて、その分の修士論文審査がないだけ、つまりは午前中分の負担が少ない。それで、午後から審査を始めることにしたのだ。京都へは午後の一番に到着する予定を組んで、この午前に空いた時間を利用して、京都を素通りして、まずは神戸まで足を伸ばした。

Img_2510 兵庫県立美術館で待望の「ジョルジョ・モランディ展」が開催されている。もっとも、すぐの2月には、東京ステーションギャラリーで同じ展覧会が回ってくるので、あえて神戸へ行く必要はほんとうのところ無いのだが、やはり混雑を避けたいのだ。わたしの予想としては、モランディ展自体以前に一度キャンセルがあったので、今回の展覧会は一部の熱狂的な支持者からは相当なリクエストがあったのだと思っている。それでかなりの混雑が東京では予想されるのだ。それほどの意味のある展覧会だと思われる。わたしにとっては、本年度一番期待している展覧会だ。

Img_2508 なぜモランディにおいて、とりわけ「展覧会」というものが望まれるのか。モランディの1枚1枚の絵画それ自体も重要な意味があるのだが、それだけでなく、モランディの場合にはむしろ同じような作風の絵を並べてみることで、多くの意味が見出せるような作風だからだ。たとえば、背景に注目してみよう。多くの絵が床と壁が7対3、あるいは6.5対3.5くらいに分けられていて、しかも控えめな色で区分が行われている。Img_2518 なぜ7であって、5ではないのか、などというのは、一枚の絵だけではどうしようもない。一枚の絵だけでは考えることができないのだ。それから、たとえば、瓶群に注目してみよう。なぜ瓶同士が重なっているのか。重なっていない瓶とどのような違いがあるのか、などというのも、およそ1枚だけの絵からは見ることができないだろう。

Img_2520 モランディの場合、確かに複数の絵を同時に見る必要があるのだ。とはいえ、多くの人が感じるのは、なぜこのように同じ瓶を、同じ構図で、同じ色で、何度も何度も繰り返し描いたのか、という疑問だと思われる。このことを考えるだけでも、この展覧会を見る理由があるのだが。Img_2515 そのために、かなりの時間がかかってしまい、その人びとが美術館に滞留することになるのだから、やはり東京では混雑することになるだろうと思われるのだ。

最初は、みんな同じだ、と思ってしまうのだが、じつは丁寧に見ていくうちに、大方は同じ色や形なのだが、微妙に異なる意匠に気がついてくる。たとえば、心理学のゲシュタルト風に言うならば、「図-地」デザインに見えてきてしまう、ということも起こってくるだろう。Img_2509 スケッチを見ていたら、瓶は一つ一つ異なって描き分けられている場合も存在するが、中には全体が大きな塊になっていて、個々の瓶は描き分けられていないものもあって、そうなると、まさにゲシュタルトのイラストの「図」に見えてくるから不思議だ。Img_2526 モランディがそこに何を見ようとしていたのかが、それぞれの絵として定着されているたびごとに、読み取られるべき内容が存在すると言えるのだった。

Img_2525 時間は無情であって、余らせることを許さない。また、東京に来たら訪れることを約束して、美術館のフォルテッシモ(ff)という喫茶店で、カレーライスを食べる。ここの椅子は金属とプラスチックで作られている。にもかかわらず、冷たい感じから抜け出していて、よく考えられているのだ。椅子では、いかに素材感から自由になることができるのかが重要であると思った。

Img_2529 灘駅から快速電車で京都へ出る。早めに着いたのだが、指導教員をお願いしていた同志社大学のN先生とばったり玄関でお会いする。面接の修士学生もすでに準備体制に入っていたので、予定を前倒しして、面接審査を行うことにする。合計4名の方々の審査を終えることができた。それぞれの学生の方々が、自分の仕事が忙しい中、汗と涙の末に書いてきたもので、その様子がありありと現れていて、2年以上かけた成果を評価するということは、並大抵のことではないのだ。

Img_2531 予定時間を大幅に超過して、こちらの顔色がすっかり変わってしまう(と、A先生から言われてしまったのだ)ほどに、審査を終わらせることができたのだった。今日の仕事は、まだまだ終わらない。Img_2534 そのあと、来年度から制作が始まる新規科目の打ち合わせが入って、学習センターを出る頃には、やはり京都の夜はみんな平等に降りてくるのだった。

Img_2533 A先生がサービス精神を発揮してくださって、夕食に付き合ってくださった。京都の「おばんざい」料理を食べながら、まずは第1日目の夜は更けていったのだ。

2016/01/06

恒例のガレット大会

Img_2488 千葉の母の家が処分されることになったので、妹夫婦が横浜の家に来てくれることになり、毎年恒例のガレットのフェーヴ獲得大会が継続されることになった。Img_2484 何回か家に来てくれた方々でも、この家への道を口で説明しても、なかなかわかってくださらない。その理由は簡単で、途中目印になるような建物がほとんどなく、曲がりくねった公園の山坂の道を選択して歩かなければならないからである。

Img_2486 よく言えば、自然が残っていて、気持ちの良い道だね、ということになるが、時間に余裕のない方々は、必ず迷うので、帰り道を確保する自信が持てないとおっしゃる人が多い。田舎ならば、山を目印に方向を定めるという手があるのだが、横浜の場合、丘を目指さなければならないだろう。谷と階段を選んで、一度は他人の家の庭に入ってしまったそうだが、一度間違えただけで到達したのは、たいへん優秀だといえよう。

Img_2489 お正月に娘がいた数日前には、カードゲームを行う雰囲気がなく、息子とわたしが準備をしていたにもかかわらず、ゲーム大会は開催されなかった。しかし、ここで妹夫婦が加わることで、ようやくにして、ガレット大会が開かれることになったのだ。Img_2485 ガレット・デ・ロワというのは、キリスト教の三博士を祀るものだそうなので、三博士に十分なお礼を言わねばならない。お正月のおせち料理も、母の味付けと少し違う味付けを妻がすることで、今年の料理は新たな段階に入ったようである。

Img_2487 ところが、カードゲームが終わって、勝者から敗者へ向かって、ガレットを選んで行ったのだが、どこにもフェーヴが入っていないのだ。じつは今日、仕事のために欠席の娘の分を、一切れ余分に切っていたのだ。それで、改めてその残り物を切り開いてみると、見事にフェーヴが出てきたのだった。娘へメールでおめでとうと知らせてあげたのだった。また、来年も継続したい風習なのだ。

2016/01/03

「この世の事物は人間生活を安定させる機能を持つ」

「この世の事物は人間生活を安定させる機能を持つ」という、哲学者H・アーレントの有名な言葉がある。物質文化に侵されて、いつも事物の多さに悩まされているわたしたちが、いつになったら、このような言葉を使うことができるのか、と思っていた。そうしたら、あっさりとこのような場面が現れた。

Img_2482 写真にあるのは、たぶん有田焼の系統に属する方の作だと思われる、湯のみ茶碗である。手が触れたら、すぐに壊れてしまいそうなほどに、肉薄い磁器だ。外側の朱色がどのようなテーブルに置かれても映えて、目に飛び込んでくる。目が冴える色だ。そして、内側には伝統的な網目模様が手書きで書き込まれていて、見ているとその世界へ引き込まれそうになる。

毎年、母の家にみんなが集まったのだが、この茶碗がお正月最初の食卓に並んでいた。中央には、必ず木製の菓子器に甘栗と干し柿が盛られていた。商家の風習で、「繰りまわしよく、掻き取る」の言い伝えがあった。これらを食しながら、今年一年の抱負を家族で語るのだ。そのとき、お茶が必要で、この朱色の茶碗が引き立った。これに、うすみどり色の液体が注がれると、心が澄んでくるのだった。それで、1年先どころか、10年先まで見通せるかのような錯覚を覚えるのだ。

Img_2477 面倒臭いといえば、その通りなのだ。毎年のように抱負を語れと言われても、日常はそれほど変わるわけではない。けれども、毎年々々何か言っているうちに、生活の「重し」ができるのだ。この茶碗を眺めていると、「人間生活を安定させる機能」というものがほんとうにあるかのように思えてくるのだった。もう何十年か前になるのだが、結婚すると宣言したのも、この席だった。

昨年、母が亡くなって、この数ヶ月の間に、母の家の片付けを行っている。タンスやピアノなどの家財道具の多くのものが捨てられる運命を待っている。その中で、わたしの生活を安定させてきた記憶のある、これらの茶碗はわたしの家や、大学の部屋へ移動させようと考えているのだが、それも記憶に残っているうちの何十分の1に過ぎない。そんな移動の中、この朱色の茶碗もひとつ欠けてしまったのだった。

Img_0633 今日の椅子は、妻の買い物に駆り出された弘明寺商店街で、洋食レストランの店「Makoto」の外に、客待ち用に出されていた椅子たちだ。ここのランチは旨いのだ。このように、座布団が置かれて、どうぞ座ってください、と示唆されると、店が何となくみんなに開かれているように思えて、つられて入ってしまいそうになる。入ると、何か良いことがありそうな雰囲気が大事なのだ。椅子たちもわたしたちの生活を安定させている。

2015/12/31

今年の暮れ模様

Img_0626 暮れも押し迫ってきて、今年を振り返ってみた。空を見上げれば、この一年世界で起こった悲惨な出来事が暗雲のごとくに覆っていて、その隙間からちょっとの青空すら見えないほどだ。それで足元を見るしかないと思い、やはり今年は母の亡くなったことが、身近な出来事の中では大きなことだったと改めて思った。他のことを考える余裕を失っている、自分が見えた。

Img_0627 父が亡くなったのは、今からちょうど35年前の6月だった。ところが、それに続いて、父の母つまりわたしの祖母が同じ年の12月に亡くなった。歴史は繰り返すというから、今年の6月に母が亡くなり、12月頃にはわたしにも危機が訪れてもおかしくない状況にあるという、強迫観念に捉われていた。大袈裟なと思われもしようが、12月の風邪は2週間以上続いたし、そのため疲労は極度に達していた、と自分では思い込んでいて、ブラックホールへ吸い込まれるように、この年の瀬を迎えていた。

妻と話して、昨年の今頃を思い出した。母が風邪を拗らせて、28日には救急車を呼ばなければ移動できないほどに、病変を迎えた。病院に着くと、レントゲンなどで検査が行われ、心臓と肺に水が溜まっていて、すぐに危篤状態になるのではないかということだった。親しい範囲でみんなに集まってもらう騒ぎになっていた。そして、その後6ヶ月続く、母の病院生活が始まったのだった。

それにしても、年末の夜の病院には、いろんな患者が手当に来ていた。母の次に診察を待っていたのは、上半身から顔に傷を負っていて、血だらけで救急車で担ぎ込まれてきた老人の男性だった。付き添いの老妻が「いつものことなんですよ」と事も無げに言うのにびっくりしてしまったのだった。坂道を先に歩いていて、危ないと思った時には、すでに視界から消えていたそうだ。笑顔が素敵で、怪我をしても奥様のこの笑顔があれば、落ち込む事もないだろうというほどの素敵さだったのだ。

わたしも、いつものように難なく乗り切り、何とか今年の年末を迎えることができたのは、幸いだった。まだ生きよという恩寵が働いているからだと思いたい。外へ出かける気力もなかったせいか、毎年恒例の修士論文の読み込みも順調に終わり、原稿もそこそこ進んで、災い転じて福となす、という年末を迎えることになったのだ。夕方になって娘がワインやシャンパン、さらに中華料理を持ってくるというので、弘明寺駅へ迎えに出る。

Img_0624 駅から街へ向かう頃には、帰省へ向かう人と、荷物を持って帰ってくる人とが交錯していた。女性が一人でリュックを背負い、さらに、ペット籠をキャリーに乗せて、帰省へ向かう姿が目を引いた。そして、意外なことに、家族連れという姿がほとんどなかったことだった。弘明寺では毎年のことだが、初詣客が多すぎて、今晩から数日間は、境内へ立ち入ることができない。それで、まだまだ人影がまばらな弘明寺の本堂へ寄って、晦日詣を行ったのだった。

そして、数時間後には、再びここを訪れることになった。授業番組「音を探究する」で自分の音を持ち込むことになっていて、それに使うために、うまくいくのかは全くわからなかったけれども、とりあえず素人録音の「除夜の鐘」の音を取るためだ。「録り鉄」の方々もさもありなんという姿を寒空にさらして、少し先では、初詣客が何千人も押し寄せている熱い場所を尻目に、録音機を梵鐘へ向けて、しばし立っていたのだった。Img_0598 今年の最後の仕事は、毎年恒例だった本部の研究室での「通信問題の添削」ではなく、今年は録音納めということに相成ったのだ。ゴオーン、ポヨーヨン、ポヨーヨーン・・・・・・と今年も暮れたのだ。

さて、ほかの方々には、それほどの写真だとはけっして思われないだろうとは考えるが、わたしにとって、たいへん意味のある写真が今年最後に掲げる写真となった。今日の椅子は、いつもコーヒー豆を購入する店で坐る椅子だ。Img_0596 注目できるのは、椅子と椅子の間に大きな一枚板のガラス窓があることである。そして、内側の椅子は、ホーネットタイプの曲木椅子であり、外側の椅子はバウワータイプの鉄パイプの金属椅子である。椅子の素材と構造を決定している理由が、一枚の写真で明瞭に明らかになっている写真なのだ。

2015/12/06

卒業研究の成果が問われる季節だ

Img_2361 卒業研究の今年度締め切りが11月にあって、今はその審査にかかっている。放送大学の「社会と産業」コースでは多くの方々は、公開の審査発表会にかかることになっていて、それは来週13日の日曜日に予定されている。毎年、審査される人も、審査する人も、さらに議論を楽しむ人びとも集まって催され、最後は懇親会も用意されている。楽しい会がある。

Img_2333 じつは、今日行われるのはこの発表会に出ない方の審査であって、東京文京学習センターへ出てきている。Y先生の学生で、一人の思想家を扱った論文だ。放送大学は生涯学習の大学なので、大きく二つのタイプの卒業研究が存在する。一つは、これまで自分が関わった仕事・職業上の優位性を活用して、独自の研究論文を仕上げるタイプであり、学者の入り込めない世界を扱った論文もあり、他の通学制の大学にはおよそ見られない、放送大学ならではの論文が仕上がる。Img_2335 二つは、職業とは全く無関係に、自分がこれまで考えたことがないことに挑戦しようという、楽しむタイプの研究論文がある。欧米ではよく見られるタイプで、生涯学習の典型例として、玄人はだしの論文が仕上がることがある。けれども、楽しむためのものであるために、時間を十分にかけるということが必要になってくるという特徴がある。

Img_2336 今日の発表は、内容をいうわけにはいかないが、どちらかというと後者の部類に入っている。今日の論文審査では、審査官のわたしたちがやや引っ掛け気味に、挑発的な言説を弄しても、全く動じないで言い返してくる審査会で、議論自体たいへん楽しかった。あとを待っている人まで、時間が十分にあったこともあって、1時間を超える審査と議論とが続いた。Img_2362 このような楽しい議論があってこそ、1年間努力した甲斐が報われるというものだと思うのだった。もっとも、審査される方にとっては、針の筵の上で、チクチクと意地の悪い質問をされるのだから、次の質問を警戒して、楽しむどころではなかったかもしれない。でも、ほんとうの議論というものは、このような緊張感があって、初めて成り立つものだと思われるから、通常のゼミの議論とはやはり異なるシーンが行われるものだと思われる。

Img_2359 わたしの経験でも、思い出深い審査会に受ける立場で何度か出ている。その時に、いろんなことが起こるのだ。社会科学の議論では、ケインズの美人投票ではないが、その議論の大勢が重要になる。そこで、議論の筋を見つけようとするのだが、味方だと思って議論の同意を求めると、途端に裏切られてしまうこともある。Img_2365 とりわけ、審査の席上では、あえて挑発的な発言をして、逆のことを述べて、その答え方で判断するような風潮があるので、要注意なのだ。Y先生は、審査の席ではそうではなかったのだが、指導の時には思考実験として、取り上げる思想家と全く逆の立場の思想家と比較することを勧めるそうだ。議論は、対立にこそ面白みがあるのだ。

Img_2337 審査場を後にして、「春日」で都営線に乗り換え、板橋区の高島平の公園にある「板橋区立美術館」へ向かった。松本竣介や麻生三郎たちと新人画会で活動していた「井上長三郎・照子」の展覧会が開催されている。

Img_2338 今日の一枚は、何と言っても、ドン・キ・ホーテ像のある「主従」だ。展示されているものなので、ここに表示できないのが残念なくらいだ。受付を抜けて、ホールから会場へ入って右側に掲げられていた。第1に、力が抜けている感じが色に出ている、第2に、狂気と正気の二重性がうまく現れている、第3に、素描から形造りへのダイナミックな動きが現れていること、これらがどっと迫ってくる。Img_2346 これまで、多くのドン・キ・ホーテ像を見てきたが、この絵が一番良いとわたしには思われる。ドン・キ・ホーテ像では、馬が大きくて、ドン・キ・ホーテは痩せて心持ち小さく描かれており、それに対して、サンチョパンサ像は太く大きく、ロバは小さく描かれている。物語が二人の周りに溢れている。

Img_2341 そして、最晩年の娘像は、丸々とした体つきに素朴な色使いを見せて、外連味のない、最後に達成した境地を表していた。その脇を通って、ホールへ出た。ホールには、額に納められていない、二人の小品が並べられていた。ジャズメンたちの肖像画が幾つかあって、多彩な顔の線画がたいへん興味深かった。Img_2348 これで思い出したのは、やはり松本竣介が晩年になって、二重線や二重輪郭で人物や構造物を表していて、独特の描法を持っていたが、雰囲気は異なるのだが、やはりこの二重描法が井上長三郎でも使われていて、特に彼の場合には、戦後はほぼ一貫して、この描法を使っていて、面白かった。Img_2357 政治家たちや社会現象を描くときには、この二重線の意味は直喩的に明らかだったが、それ以外の二重線の意味はどこにあるのだろうか、と想像しながら、楽しんだのだった。

Img_2350 今日の椅子は、美術館の1階の休憩所にあった赤い椅子だ。まずはテーブルが素敵な一枚板の広い机で、この場所ではなんとなく役不足という感じで、尊大な厚さと広さを誇示していた。この赤い椅子は、そんなテーブルをなだめるように、色彩で可愛らしさを出していて、このコンビネーションが面白かったのだ。今日の展覧会の井上長三郎と照子は、これとはちょっと違うコンビネーションで、「妻は空気、わたしは風」という爽やかで、かつ意味深いコンビネーションを見せる展覧会だったのだ。

2015/12/05

みなとみらいホールでコンサートを聴く

Img_0580 横浜に住んでいて良かったと思うことは数々あるのだが、質が良くて、にも関わらず決して高価ではないコンサートが、探せばどこかで、週に1回以上催されていることだ。もちろん、たまには高価な演奏会に行くのは良いとしても、ずっと練習を続けて聴かせてくれるセミプロや低廉のコンサートでも十分に楽しめる演奏会が数多く集まるのが、横浜の特色だ。友人たちの演奏する楽団には、誘われてもなかなか時間が合わなくて駆けつけることも適わない。それで、Img_2307 いつも失礼してしまっているのだが、このように選ぶことができるほどに、家から30分ほどで着くみなとみらい地区では演奏会が目白押しなのだ。たとえば、年末になってくると、大学管弦楽の定期演奏会が続々登場して、わたしたちの耳を楽しませてくれる。


Img_2376 今日は、横浜国立大学管弦楽団の演奏会がある。神奈川学習センターが試験監督でいつもお世話になっている、そのメンバーたちが多く所属しているのだ。みなとみらいホールで、シベリウスの交響曲第2番を演奏するというので、妻と出かける。妻は先週もこの曲を他の楽団で聴いてきたところで、同じ曲を何回も聴きたいのだと通を気取ってひけらかすのだ。

Img_2375 そういえば、今週フィンランドの管弦楽団がNHKの放送でも流していた。第3楽章までは、低く響く長い曲が続くような印象の曲だと思うのだが、それが突然のように、明瞭なテーマが現れるに従って、カタルシスが一挙に作用するから、抑鬱していた気分がさっと晴れるような心持ちに変わるのだ。この気持ちは、家で鬱々と仕事を続けているものにとっては、何物にも変えがたいものだ。

Img_2379 じつは先週もみなとみらいホールを訪れている。よほど気持ちが鬱屈しているらしく、外にその解放を求める気分がずっと続いている。先週はランドマークタワーとクイーンズ・イーストから、みなとみらいホールへ入った。パイプオルガンの恒例1ドルコンサートがあり、これも妻と待ち合わせて行ったのだった。バッハゆかりの作曲家を取り上げた演奏だった。それでも、贔屓耳で聴くせいか、やはりバッハのオルガン曲が一番耳に残ったのだった。

Img_2295 その日は、時間に余裕があった。それでみなとみらいホールへ行く前に、暇があったら行きたいと思っていた、横浜美術館の美術ライブラリーで、椅子関係の資料を渉猟した。そこで偶然にも、古典的なハーバート・リードの本を見つけ、椅子に関するところを探し出す。Img_2292 ラスキンとモリスの文脈を正確に追っていて、その本は興味深かったが、彼らとリードとが異なることがあって、それは手仕事ではあるが機械生産を受け入れる覚悟がこのころから始まっていた点であり、ここでの木工の記述が特に面白かった。Img_2283 さらに、この図書館の書棚で、美術で有名な海外出版社が出している椅子の図録も見つけ、美術館関連の文脈で探すと、図書館と異なる本を得られることがわかって、たいへん有益な時間を過ごすことができたのだった。

Img_2286_2 書籍は充実していて良いのだが、このような専門図書館の欠点は、飲食がまったくダメなところだ。階下へ降りていけば、立派なレストランはあるのだが、それを持ち込むことはできない。年寄りは喉が乾くのだ。Img_2303 それで、最後の閉館チャイムが鳴るまで、ライブラリーにはいたのだが、その後すぐに、喉を潤したくなってしまった。向かいに近年できたビル「M」があって、その3階の喫茶店「C」へ入る。窓際から、みなとみらい地区の摩天楼が望めて、綺麗な照明が輝いていた。

Img_2298 この正面から横浜美術館を眺めていたら、先日のル・コルビュジエ展を思い出した。横に水平に伸びた、高床式の回廊が周りをぐるっと回っており、真ん中に一帯を眺望する展望台があるのだ。Img_2301 横浜美術館の建物がまさにコルビュジエ様式の建物であることがわかる。壁の模様がシンプルな幾何学模様を描いている。丹下健三設計のものなのだ。板倉準三が神奈川県立近代美術館を作って懐かしんでいるように、コルビュジエ様式はこのように極めて身近なところに残っている。

Img_2290 今日の椅子は、美術館の波打つ白いベンチだ。大きな施設には、大きなベンチが似合う。これも、インテリアの「連続性の原理」に従っているのだろうか。Img_0581

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プロフィール

  • 坂井素思
    放送大学教員で、社会経済学領域を研究しています。